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前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪続報に期待です!
今回はまた「いくつも曲を紹介していく系」のエントリーです~
心を落ち着けたり奮い立たせたり、音楽で心の動きをいろんな風に制御したり変えたりできる、という話はこのブログで何度もしてきましたし、実際に自分もそれを実践していましたし。(一番最近の例としてはここんところの疲労にやられながらも働かなくちゃいけないためがんがん聖飢魔II(テンポとかビートががつがつ前に行くやつを選んで)流しながら働いたり、というケースも)
他人のために、そして自分のために(主に後者ですね、機会の数は)いろんな目的で音楽を選ぶことは習慣であり、楽しみであり。そして自分のために選ぶときは自分の心のケアという役割もあったり、でもそこまで重大な感じじゃない目的もいろいろありますし、そういうときでも手抜き無しで曲を選んでます。
そのなかでも割と自分が大切にしている、という目的?というかシチュエーション?がありまして。
それは例えば一日働いて(ピアノもはさんで)夕方になってきたとき、もうひとがんばりだと自分を励ましたり一日の疲れをいたわり始めたりするときであったり。
または友達と飲みに行ったり(コンサートの後とか)した後に興奮が冷めないまま帰りの電車にのって、ちょっと寂しさを覚えながら「良い時間を過ごした」と回想する時であったり。
そういう、心と頭がアクティブな状態から穏やかになる、「winding down」のプロセスを助けるための音楽に関して大事にしているものがありまして。
Winding downは別に音楽がなくても容易にできるものではあるんです。アクティブになったあとは自然と心は落ち着いていくものですから、本来は。(もちろん周りからの刺激が激しいとうまくいかなかったりしますがね)
ただ、そのプロセスがもっと心地良くなるように、というか・・・仕事の終わりにかけて、の場合だったら一日働いた自分をいたわることだったり、友達と別れて帰宅中にはみんなと一緒にいた心地良い時間の余韻がより長く続いて、より深くその感覚に浸れるように、とにかくより自然に、より穏やかに(急な気分の変化をたくさん経験するとそれがどんなに大切なことか痛感します)・・・という目的でふさわしい音楽を聴く、体験を創る、ということなんです。
必需品ではなく贅沢品ではありますが、大切なことだと思います。
今回はクラシックに限らずジャンル様々から10曲選んでみました。それではどうぞ。
1) Andy Statman 「Flatbush Waltz」
いきなりクレズマーのCDから一曲。クレズマーっていうと一般的にバイオリンが暴れたりクラリネットが叫んだり、陽気と陰気が入り交じった踊りだったり歌だったり、独特の民族音楽風味が強かったりするのですが、これはわりと癖が弱い(でも良い感じであるんですね、これが!)、穏やかなナンバー。ピアノが入ってるのが特徴的だったり。盛り上がりもあるながらも、上に行くときも下におろすときも心地良くて。メロディーとハーモニーのシンプルさもまた優しいです。
2) レスピーギ 「リュートのための古風なアリアと舞曲」第2組曲より 「パリの鐘」
Wind downに使う曲はある程度長さがあるとうまく浸れる、穏やかな状態に導きやすいんですが、この曲は比較的短いながらもしっかり優しく心を着地させてくれます。チェレスタの音が効きますね!一日の終わりを告げる鐘のようで。ものすごーくやさしい、夢がすぐそこにあるような、眠りを思わせるような、まるで子供を優しく眠りにつかせるような音楽です。
3) The Beatles 「The Long and Winding Road」
この曲が仕事時間の終わりにくるとものすごく嬉しいです!もともとこの曲はCDの終わりに来ることに慣れてる、というのもありますが、踏みしめていくような、どこかに向かいながらもうすぐたどり着くような感覚があって好きです。曲が盛り上がるところの弦のパートが特に。あとエンディングがものすごく充実するのもいいですね~
4) ラヴェル 「2つのヘブライの歌曲」より「カディッシュ」(バイオリン版)
Wind downに使う音楽は一つ一つの音が美しい!大切!と思える曲が良いような気がします。だから自然とシンプルで、どちらかというとスローなテンポの音楽が好ましい、という傾向で。シンプルな美しさ、という意味では本当にこの曲は素晴らしいですね。少しユダヤ風の旋律だったり、ピアノの伴奏だったり、ノスタルジックな音楽は疲れを改めて感じ始めている心にしみいります。
5) たま 「満月小唄」
柳原さんが作曲した(&メインボーカル担当した)曲です。歌詞もメロディーもハーモニーも各々の楽器のパートも何もかもが美しくて、柳原さんの音楽にある独特な揺れる心地よさがまた気持ちよくて、ちょっと長めの歌ですが身と心を任せてずっと聴いていられるようで。弾き語りなツインギターの音色がやっぱり主なのですが、パーカッションも随所随所でいいアクセントになってたり。
6) ホルスト 「吹奏楽のための組曲」第1組曲より「シャコンヌ」
繰り返されるベースラインに輝く、穏やかな管楽器の音色。実は夕方にはこういう「穏やかな金管」系統の音楽にある包み込むような暖かさが本当にありがたかったり。面白いのは、この曲は(実はキーも一緒ですが)先ほどのビートルズみたいなものすごい充実した終わり方をする、これだけでお腹いっぱいというか満ち足りた感じになれるのに組曲では第1楽章だということ(笑)
7) メシアン 前奏曲第6番 「苦悩の鐘と別れの涙」
メシアンはなんといっても「永遠」の使い手ですからね。「この一瞬をずっと味わっていたい」という思いを実現させてくれる音楽を書く作曲家で。この曲の後半の下降してくる和音だったり、息の長い、終わりが見えないメロディーだったり、本当に幸せとそれに伴う切なさをくみ取ってくれて、じっくり感じさせてくれるのです。だから曲が終わった時は満足して手放せる、そんな感じ。
8) ヴォーン=ウィリアムス 「富める人とラザロ」の5つの異版
ヴォーン=ウィリアムスはたまに心をちょっとした旅に連れてってくれます。この曲もそうで、あのノスタルジックな、ちょっとセンチメンタルなスタイルの音楽であんなこともあった、こんなこともあった、と思い出の中を手を引いて回想散歩させてくれて。弦とハープの音の繊細さ、そして力強さでちょっとだけ、一時だけ感傷的に浸るのを、後ろを向いて思い出を大切にするのを許してくれるようです。
9) 聖飢魔II 「嵐の予感」
これもまたEpic、というか聴いてるだけで旅をするような曲で。全体的に穏やかな感じで耳も心も傾けたくなるのもあり、そして間奏での盛り上がりもあり。特に間奏の終わりの方のギターのソロのあの美しいのを聴くと「本当に良かった」とものすごく思えるんですよね。心が落ち着く準備に入れる、というか。そのまま閣下の歌が入るのに浸りながら・・・という。夜帰宅中の電車で聴くとどうしても弱い曲です(笑)
10) シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
この曲を夕方に聴くことは自分にとって最高の贅沢のうちの1つだと思います。これが自分へのご褒美というか、自分をいたわるのに使えるのは本当に特別な時ではないかと(笑)とにかく美しいですし、なにかとっても黄昏を思わせるような色彩で。途中のクラリネットのソロの息の長いのなんか素晴らしいですし。本当に良い仕事をしたら全体重と心重(?)を預けて味わいたくなる、そんな曲です。
Wind downに使う音楽、というのはただ穏やかなだけじゃだめな気がします。聞き流せる音楽よりは、ぐっと心を掴んで、身も心も任せたくなるくらいしっかりしていて。あと上記の曲ほとんどに共通しているのが「穏やかながらもしっかり盛り上がりがある」曲だということ、そして盛り上がったところから曲の終わりまでの音楽(そして心)を着地に導く方法がものすごく上手い、ということではないかと。
先ほども書きましたが決して自分はwind downするのが下手というわけでもないのですが、それでも仕事なり友達との経験なりで体験した良いことを音楽を通じてもっと味わうため(記憶は音楽と結びつきますしね)、そしてそういう体験したことを通じてより深く音楽を感じるため、色々こうやって試したり探ったりして大切なものを見つけようとしたりしています。
あと実際友達と遊びに行って体験する感情だとか、そういうものと同じくらいwinding downのプロセスで得られる感覚も好きだったりするので。
こういう体験だったりこうやって思考をめぐらすことが自分の糧になると信じているのもありますが、全部ひっくるめてwinding downのプロセスが好きで、本当に興味深いと思っています。
今日は「今日の一曲」はまたお休みですが、こないだと同じく今回紹介した曲から1つ選んで改めて次回の「今日の一曲」で取り扱おうと思ってます。
今回はまた「いくつも曲を紹介していく系」のエントリーです~
心を落ち着けたり奮い立たせたり、音楽で心の動きをいろんな風に制御したり変えたりできる、という話はこのブログで何度もしてきましたし、実際に自分もそれを実践していましたし。(一番最近の例としてはここんところの疲労にやられながらも働かなくちゃいけないためがんがん聖飢魔II(テンポとかビートががつがつ前に行くやつを選んで)流しながら働いたり、というケースも)
他人のために、そして自分のために(主に後者ですね、機会の数は)いろんな目的で音楽を選ぶことは習慣であり、楽しみであり。そして自分のために選ぶときは自分の心のケアという役割もあったり、でもそこまで重大な感じじゃない目的もいろいろありますし、そういうときでも手抜き無しで曲を選んでます。
そのなかでも割と自分が大切にしている、という目的?というかシチュエーション?がありまして。
それは例えば一日働いて(ピアノもはさんで)夕方になってきたとき、もうひとがんばりだと自分を励ましたり一日の疲れをいたわり始めたりするときであったり。
または友達と飲みに行ったり(コンサートの後とか)した後に興奮が冷めないまま帰りの電車にのって、ちょっと寂しさを覚えながら「良い時間を過ごした」と回想する時であったり。
そういう、心と頭がアクティブな状態から穏やかになる、「winding down」のプロセスを助けるための音楽に関して大事にしているものがありまして。
Winding downは別に音楽がなくても容易にできるものではあるんです。アクティブになったあとは自然と心は落ち着いていくものですから、本来は。(もちろん周りからの刺激が激しいとうまくいかなかったりしますがね)
ただ、そのプロセスがもっと心地良くなるように、というか・・・仕事の終わりにかけて、の場合だったら一日働いた自分をいたわることだったり、友達と別れて帰宅中にはみんなと一緒にいた心地良い時間の余韻がより長く続いて、より深くその感覚に浸れるように、とにかくより自然に、より穏やかに(急な気分の変化をたくさん経験するとそれがどんなに大切なことか痛感します)・・・という目的でふさわしい音楽を聴く、体験を創る、ということなんです。
必需品ではなく贅沢品ではありますが、大切なことだと思います。
今回はクラシックに限らずジャンル様々から10曲選んでみました。それではどうぞ。
1) Andy Statman 「Flatbush Waltz」
いきなりクレズマーのCDから一曲。クレズマーっていうと一般的にバイオリンが暴れたりクラリネットが叫んだり、陽気と陰気が入り交じった踊りだったり歌だったり、独特の民族音楽風味が強かったりするのですが、これはわりと癖が弱い(でも良い感じであるんですね、これが!)、穏やかなナンバー。ピアノが入ってるのが特徴的だったり。盛り上がりもあるながらも、上に行くときも下におろすときも心地良くて。メロディーとハーモニーのシンプルさもまた優しいです。
2) レスピーギ 「リュートのための古風なアリアと舞曲」第2組曲より 「パリの鐘」
Wind downに使う曲はある程度長さがあるとうまく浸れる、穏やかな状態に導きやすいんですが、この曲は比較的短いながらもしっかり優しく心を着地させてくれます。チェレスタの音が効きますね!一日の終わりを告げる鐘のようで。ものすごーくやさしい、夢がすぐそこにあるような、眠りを思わせるような、まるで子供を優しく眠りにつかせるような音楽です。
3) The Beatles 「The Long and Winding Road」
この曲が仕事時間の終わりにくるとものすごく嬉しいです!もともとこの曲はCDの終わりに来ることに慣れてる、というのもありますが、踏みしめていくような、どこかに向かいながらもうすぐたどり着くような感覚があって好きです。曲が盛り上がるところの弦のパートが特に。あとエンディングがものすごく充実するのもいいですね~
4) ラヴェル 「2つのヘブライの歌曲」より「カディッシュ」(バイオリン版)
Wind downに使う音楽は一つ一つの音が美しい!大切!と思える曲が良いような気がします。だから自然とシンプルで、どちらかというとスローなテンポの音楽が好ましい、という傾向で。シンプルな美しさ、という意味では本当にこの曲は素晴らしいですね。少しユダヤ風の旋律だったり、ピアノの伴奏だったり、ノスタルジックな音楽は疲れを改めて感じ始めている心にしみいります。
5) たま 「満月小唄」
柳原さんが作曲した(&メインボーカル担当した)曲です。歌詞もメロディーもハーモニーも各々の楽器のパートも何もかもが美しくて、柳原さんの音楽にある独特な揺れる心地よさがまた気持ちよくて、ちょっと長めの歌ですが身と心を任せてずっと聴いていられるようで。弾き語りなツインギターの音色がやっぱり主なのですが、パーカッションも随所随所でいいアクセントになってたり。
6) ホルスト 「吹奏楽のための組曲」第1組曲より「シャコンヌ」
繰り返されるベースラインに輝く、穏やかな管楽器の音色。実は夕方にはこういう「穏やかな金管」系統の音楽にある包み込むような暖かさが本当にありがたかったり。面白いのは、この曲は(実はキーも一緒ですが)先ほどのビートルズみたいなものすごい充実した終わり方をする、これだけでお腹いっぱいというか満ち足りた感じになれるのに組曲では第1楽章だということ(笑)
7) メシアン 前奏曲第6番 「苦悩の鐘と別れの涙」
メシアンはなんといっても「永遠」の使い手ですからね。「この一瞬をずっと味わっていたい」という思いを実現させてくれる音楽を書く作曲家で。この曲の後半の下降してくる和音だったり、息の長い、終わりが見えないメロディーだったり、本当に幸せとそれに伴う切なさをくみ取ってくれて、じっくり感じさせてくれるのです。だから曲が終わった時は満足して手放せる、そんな感じ。
8) ヴォーン=ウィリアムス 「富める人とラザロ」の5つの異版
ヴォーン=ウィリアムスはたまに心をちょっとした旅に連れてってくれます。この曲もそうで、あのノスタルジックな、ちょっとセンチメンタルなスタイルの音楽であんなこともあった、こんなこともあった、と思い出の中を手を引いて回想散歩させてくれて。弦とハープの音の繊細さ、そして力強さでちょっとだけ、一時だけ感傷的に浸るのを、後ろを向いて思い出を大切にするのを許してくれるようです。
9) 聖飢魔II 「嵐の予感」
これもまたEpic、というか聴いてるだけで旅をするような曲で。全体的に穏やかな感じで耳も心も傾けたくなるのもあり、そして間奏での盛り上がりもあり。特に間奏の終わりの方のギターのソロのあの美しいのを聴くと「本当に良かった」とものすごく思えるんですよね。心が落ち着く準備に入れる、というか。そのまま閣下の歌が入るのに浸りながら・・・という。夜帰宅中の電車で聴くとどうしても弱い曲です(笑)
10) シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
この曲を夕方に聴くことは自分にとって最高の贅沢のうちの1つだと思います。これが自分へのご褒美というか、自分をいたわるのに使えるのは本当に特別な時ではないかと(笑)とにかく美しいですし、なにかとっても黄昏を思わせるような色彩で。途中のクラリネットのソロの息の長いのなんか素晴らしいですし。本当に良い仕事をしたら全体重と心重(?)を預けて味わいたくなる、そんな曲です。
Wind downに使う音楽、というのはただ穏やかなだけじゃだめな気がします。聞き流せる音楽よりは、ぐっと心を掴んで、身も心も任せたくなるくらいしっかりしていて。あと上記の曲ほとんどに共通しているのが「穏やかながらもしっかり盛り上がりがある」曲だということ、そして盛り上がったところから曲の終わりまでの音楽(そして心)を着地に導く方法がものすごく上手い、ということではないかと。
先ほども書きましたが決して自分はwind downするのが下手というわけでもないのですが、それでも仕事なり友達との経験なりで体験した良いことを音楽を通じてもっと味わうため(記憶は音楽と結びつきますしね)、そしてそういう体験したことを通じてより深く音楽を感じるため、色々こうやって試したり探ったりして大切なものを見つけようとしたりしています。
あと実際友達と遊びに行って体験する感情だとか、そういうものと同じくらいwinding downのプロセスで得られる感覚も好きだったりするので。
こういう体験だったりこうやって思考をめぐらすことが自分の糧になると信じているのもありますが、全部ひっくるめてwinding downのプロセスが好きで、本当に興味深いと思っています。
今日は「今日の一曲」はまたお休みですが、こないだと同じく今回紹介した曲から1つ選んで改めて次回の「今日の一曲」で取り扱おうと思ってます。
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
あれを書いてから舌の根(?)の乾かぬうちにすでにまた「曲をばんばん紹介する」タイプのエントリーのネタ詰めしてまして、今度もまた良い曲揃いになる予定なのでこうご期待♪
実はもう曲は上がってるのですが、ただ「曲をばんばん紹介する」タイプのエントリーはなるべく連続しないようにポリシーとして一応やってるので、その前に今回は・・・
オーケストラプロジェクトが帰ってきた!
・・・という話を。
The Orchestra Project(略称TOP)は数年前にメルボルンで活動していたオーケストラのプロジェクト。
ユースオーケストラとプロオケの間をつなぐようなオケを目指したTOPは若い人(主に大学世代)とプロの奏者から成り立つオーケストラで。ユースオケもかなりがっつりのレパートリーなのですがそれよりさらに上のレベルのレパートリーを集中型スケジュールでリハーサルして演奏する、というようなオケです。
しばらく活動していた後ちょうど3年前に一旦活動休止となり、今回また不死鳥のごとく(?)再開した、という経歴です。
TOPの主催をしているのはこのブログでもう何度も名前がでてきている指揮者さん、Fabian Russell。主催しながら今シーズンでもほとんどのコンサートで指揮者となっています。
とりあえず再開のミーティングみたいのが14日にあったみたいで、Facebookにお知らせが昨日載って。
弾きたい人はその旨を履歴書と共に送付、とあったのでシステムとしてはそういうことらしいです。最初の24時間で60通以上入隊(?)希望があったらしく。私もちょっと今日は慌ただしかったのですがメールを送りました。弾きたいですねえ(下記参照)。でも弾けなくても絶対聴きに行きたい。
で、とりあえずメディアリリース&通知が英語でfacebookに載ったのでまずはリンク。(permalinkだけど見れるかな)
でもキー情報が見つけにくいので自分のメモも兼ねてここにまとめます。
TOP 2012シーズンは国立音楽アカデミー(ANAM)で開催されます。
コンサートスケジュールは以下の通り:
3月4日: マーラー 交響曲第6番
Easter Sunday(日付は要確認): モーツァルト 大ミサ曲ハ短調 (Consort of Melbourneと共に)
9月2日: ブラームス 交響曲第3番、ブリテン「パイドラ(Phaedra)」、バルトーク「中国の不思議な役人」 (このコンサートは指揮者: Kristian Winther)
10月16日: プロコフィエフ ピアノ協奏曲第5番 (ピアノ: Daniel de Borah)、ショスタコーヴィチ 交響曲第8番
このうち私が弾けるパートがあるのはマーラー6番(チェレスタ)、そしてバルトーク「中国の不思議な役人」(ピアノ)です。ブリテンのパイドラはハープシコードパートがある様子。
モーツァルトの大ミサ曲は元々が未完成の曲で、いくつか補完版が書かれ演奏される中、来年は新しい補完版(誰のか、ということは書いてない)の世界初演になるそうです。
去年はユースオケとかで呼んでもらえて割と良い感じだったんですがTOPの場合(オケ全体で)ユース世代だけでなくプロ世代も対象になりますし、他の楽器でも結構こぞって応募している、色んな人が参加したがってるんで今までよりオケピアノ&チェレスタも競争が厳しくなるかなあ、とちょっとひやひやしています。
今のところ音楽を人前で弾く機会、というのがオケしかない、というのもありますがそうでなくともオーケストラで弾くのがめちゃめちゃ大好きで。
しかも今回このレパートリーときたらもう弾くしかない!という感が強いです。
マーラー6番はチェレスタが初めて交響曲に使われた曲で、割と大きいパートで、ちゃんと聞こえるパートもありますし、曲の中で本当にこの楽器が大事なんだ、というのが痛感されるようなパートでもあります。
バルトークの中国の不思議な役人はかなり難しい曲で、ピアノのパートもなかなかひやひやもんだと聞いてますがなんてったってバルトークですしものすごい好きな曲なんでひやひやしてみたい!というのもあり。
私にとってはどちらも一生の内に一度は弾いてみたい曲のリストの上位に入ってるのです。
ということで指揮者さんからのある程度の信頼はあることは分かってるのですが、その全体的な対象の広がりみたいなものと、あと曲とオケとあの人のバトンで弾くことに対する思いの強さでちょっと自信は少なめでいます。先ほど書きましたが履歴書と応募のメールはもう出したので、あとは願うだけですね。
あ、あとブリテンでハープシコードのパートがあるということで今大学ではハープシコードを専攻しているというトゥーランガリラの彼が弾いたらいいのにな、と人のことまで気にしてたり(笑)これとは別でもまた一緒のステージに立ちたいですよ、彼とは。
(ちなみに今日はあの子はコンサートだったんですが多忙で行けなくてものすごく申し訳ない・・・今度こそ聴きに行く!はもちろんですが早く会ってまた一緒に心地良い時間を過ごしたいものです)
ということで多少はやきもきしながらも来年何らかの形では楽しみにできるものができたので。
今後の続報を楽しみにしててくださいね~
今日の一曲: フェデリコ・モンポウ 「内なる印象」 第1楽章
TOPの曲はまた今度においといて、昨日のエントリーから「シンプルなピアノ」代表として選んだ曲です。
モンポウはいわゆる「ミニマル・ミュージック」とは違うけれどどちらかというとシンプルで、(あらゆる意味で)小規模な曲をたくさんピアノのために残している作曲家です。
一応スペイン生まれ、でも生まれ育ちはバルセロナのあるカタルーニャ地方なので(今でも独立願望があるように)割と主流と思われるスペイン文化・・・例えば闘牛とか、情熱とか、そういうものとは少し違う文化と感覚に基づいている音楽なんですね。
様々な曲集がある中で「内なる印象」はなんとなく「モンポウの表現したいものってこういうものなのかな」と思わせるような何かがありますね。タイトルがまずそう、というか。
ものすごく繊細で、心の中の片隅にあって、とっても小さくて柔らかくて大事なもの。
それをピアノという大きな楽器の繊細な響きで大切に大切に表現する感じ。
私がモンポウの音楽に出会ったのは「歌と踊り」の方を通じてでしたが、「弾きたい」と思ったのは正にこの「内なる印象」の第1楽章がきっかけだったと思います。
元からこういう小さい大切な、そっと両手に抱えたくなるような音楽が好き、というのもあって。
そしてこの「音はシンプルだけど表現するものはそうシンプルじゃない」奥深さも気に入りました。
まるでため息みたいな、何か心にあるものを言おうとしている、でもうまく言えないでためらっている、そういう息づかいだったり、その「ためらい」「迷い」の表現だったり。ものすごく愛しい。
音楽を通して心に触れられるのならこの曲はすごく素敵な、貴重な触れさせ方をさせてくれます。
あれを書いてから舌の根(?)の乾かぬうちにすでにまた「曲をばんばん紹介する」タイプのエントリーのネタ詰めしてまして、今度もまた良い曲揃いになる予定なのでこうご期待♪
実はもう曲は上がってるのですが、ただ「曲をばんばん紹介する」タイプのエントリーはなるべく連続しないようにポリシーとして一応やってるので、その前に今回は・・・
オーケストラプロジェクトが帰ってきた!
・・・という話を。
The Orchestra Project(略称TOP)は数年前にメルボルンで活動していたオーケストラのプロジェクト。
ユースオーケストラとプロオケの間をつなぐようなオケを目指したTOPは若い人(主に大学世代)とプロの奏者から成り立つオーケストラで。ユースオケもかなりがっつりのレパートリーなのですがそれよりさらに上のレベルのレパートリーを集中型スケジュールでリハーサルして演奏する、というようなオケです。
しばらく活動していた後ちょうど3年前に一旦活動休止となり、今回また不死鳥のごとく(?)再開した、という経歴です。
TOPの主催をしているのはこのブログでもう何度も名前がでてきている指揮者さん、Fabian Russell。主催しながら今シーズンでもほとんどのコンサートで指揮者となっています。
とりあえず再開のミーティングみたいのが14日にあったみたいで、Facebookにお知らせが昨日載って。
弾きたい人はその旨を履歴書と共に送付、とあったのでシステムとしてはそういうことらしいです。最初の24時間で60通以上入隊(?)希望があったらしく。私もちょっと今日は慌ただしかったのですがメールを送りました。弾きたいですねえ(下記参照)。でも弾けなくても絶対聴きに行きたい。
で、とりあえずメディアリリース&通知が英語でfacebookに載ったのでまずはリンク。(permalinkだけど見れるかな)
でもキー情報が見つけにくいので自分のメモも兼ねてここにまとめます。
TOP 2012シーズンは国立音楽アカデミー(ANAM)で開催されます。
コンサートスケジュールは以下の通り:
3月4日: マーラー 交響曲第6番
Easter Sunday(日付は要確認): モーツァルト 大ミサ曲ハ短調 (Consort of Melbourneと共に)
9月2日: ブラームス 交響曲第3番、ブリテン「パイドラ(Phaedra)」、バルトーク「中国の不思議な役人」 (このコンサートは指揮者: Kristian Winther)
10月16日: プロコフィエフ ピアノ協奏曲第5番 (ピアノ: Daniel de Borah)、ショスタコーヴィチ 交響曲第8番
このうち私が弾けるパートがあるのはマーラー6番(チェレスタ)、そしてバルトーク「中国の不思議な役人」(ピアノ)です。ブリテンのパイドラはハープシコードパートがある様子。
モーツァルトの大ミサ曲は元々が未完成の曲で、いくつか補完版が書かれ演奏される中、来年は新しい補完版(誰のか、ということは書いてない)の世界初演になるそうです。
去年はユースオケとかで呼んでもらえて割と良い感じだったんですがTOPの場合(オケ全体で)ユース世代だけでなくプロ世代も対象になりますし、他の楽器でも結構こぞって応募している、色んな人が参加したがってるんで今までよりオケピアノ&チェレスタも競争が厳しくなるかなあ、とちょっとひやひやしています。
今のところ音楽を人前で弾く機会、というのがオケしかない、というのもありますがそうでなくともオーケストラで弾くのがめちゃめちゃ大好きで。
しかも今回このレパートリーときたらもう弾くしかない!という感が強いです。
マーラー6番はチェレスタが初めて交響曲に使われた曲で、割と大きいパートで、ちゃんと聞こえるパートもありますし、曲の中で本当にこの楽器が大事なんだ、というのが痛感されるようなパートでもあります。
バルトークの中国の不思議な役人はかなり難しい曲で、ピアノのパートもなかなかひやひやもんだと聞いてますがなんてったってバルトークですしものすごい好きな曲なんでひやひやしてみたい!というのもあり。
私にとってはどちらも一生の内に一度は弾いてみたい曲のリストの上位に入ってるのです。
ということで指揮者さんからのある程度の信頼はあることは分かってるのですが、その全体的な対象の広がりみたいなものと、あと曲とオケとあの人のバトンで弾くことに対する思いの強さでちょっと自信は少なめでいます。先ほど書きましたが履歴書と応募のメールはもう出したので、あとは願うだけですね。
あ、あとブリテンでハープシコードのパートがあるということで今大学ではハープシコードを専攻しているというトゥーランガリラの彼が弾いたらいいのにな、と人のことまで気にしてたり(笑)これとは別でもまた一緒のステージに立ちたいですよ、彼とは。
(ちなみに今日はあの子はコンサートだったんですが多忙で行けなくてものすごく申し訳ない・・・今度こそ聴きに行く!はもちろんですが早く会ってまた一緒に心地良い時間を過ごしたいものです)
ということで多少はやきもきしながらも来年何らかの形では楽しみにできるものができたので。
今後の続報を楽しみにしててくださいね~
今日の一曲: フェデリコ・モンポウ 「内なる印象」 第1楽章
TOPの曲はまた今度においといて、昨日のエントリーから「シンプルなピアノ」代表として選んだ曲です。
モンポウはいわゆる「ミニマル・ミュージック」とは違うけれどどちらかというとシンプルで、(あらゆる意味で)小規模な曲をたくさんピアノのために残している作曲家です。
一応スペイン生まれ、でも生まれ育ちはバルセロナのあるカタルーニャ地方なので(今でも独立願望があるように)割と主流と思われるスペイン文化・・・例えば闘牛とか、情熱とか、そういうものとは少し違う文化と感覚に基づいている音楽なんですね。
様々な曲集がある中で「内なる印象」はなんとなく「モンポウの表現したいものってこういうものなのかな」と思わせるような何かがありますね。タイトルがまずそう、というか。
ものすごく繊細で、心の中の片隅にあって、とっても小さくて柔らかくて大事なもの。
それをピアノという大きな楽器の繊細な響きで大切に大切に表現する感じ。
私がモンポウの音楽に出会ったのは「歌と踊り」の方を通じてでしたが、「弾きたい」と思ったのは正にこの「内なる印象」の第1楽章がきっかけだったと思います。
元からこういう小さい大切な、そっと両手に抱えたくなるような音楽が好き、というのもあって。
そしてこの「音はシンプルだけど表現するものはそうシンプルじゃない」奥深さも気に入りました。
まるでため息みたいな、何か心にあるものを言おうとしている、でもうまく言えないでためらっている、そういう息づかいだったり、その「ためらい」「迷い」の表現だったり。ものすごく愛しい。
音楽を通して心に触れられるのならこの曲はすごく素敵な、貴重な触れさせ方をさせてくれます。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
最近こういう事にちょっとアクティブな探索をしてて、クリエイティブな方向にわりとテンションが高いのですがどうやら軽躁ではないようです。気をつけていろいろ探っていきたいと思います。
ということで今日のエントリーもそれにつながってるような方向性で。
アイディアのきっかけはデーモン閣下の昔(1990年)のソロアルバム「好色萬声男(こうしょくよろずごえおとこ)」について読んでたことで。(ちなみに名義は小暮伝衛門、だそう)
いつも通りWikipediaが詳しいし分かりやすいのですが、様々なジャンルの音楽を歌う、だけでなく、そういういう話をちょっと超えて伝統音楽だったり、漢詩だったり、他の形でも取り入れたりの表現の一環として閣下が歌い上げていく、というアルバムで。Girls Rock(これはこれでまた面白い)は妹が2枚持ってるんですけど、「好色萬声男」もものすごく聴いてみたい!
で、そこで思ったのは「声でそれだけの表現の幅を追求するならピアノでももっとやってみるべきだよな」、ということで。
ピアノは一度に弾ける音の数も多いですし、音域も広く、スタミナの制限も一部の楽器ほど厳しくはなく、一人で完全に成り立つ楽器であり、とにかく「表現の幅が広い」ということが当たり前になっている楽器で。それをちょっと弾き手も聴き手も(ただし最近の作曲家はこの通りではない!)当たり前に思いすぎてるところがあるような気がして。
それなら、自分がピアノの「本当の」キャパシティ、魅力、ピアノができることを知ってもらいたい、と思うならどのような曲を選ぶか、というのを考えてみました。とりあえず「選ぶ」方で。他のことについてはまた後ほど。
例によって選んでたら20世紀ばっかりになったので20世紀に絞りました(実質的に「絞って」はいないですが)。あとなるべくピアノ独奏曲を選びました。
もちろんここでいくつか曲を選んだだけではピアノの表現の幅の全ては網羅できないのですが、まずはとっかかり、的な勢いで。
1) ラフマニノフ 前奏曲ニ長調
「歌うピアノ」としてセレクト。声と違ってピアノはそのメカニズムから鍵を弾いたあとは音量は下がるばかり、つまり音を同音量で伸ばしたりクレッシェンドをかけたりすることができないのですが、この曲でのメロディーはあたかも歌われているような豊かな伸びようを見せます。
2) リゲティ 練習曲第9番「めまい」
この曲の特徴は「液体的なピアノ」。ハンマーで弦を叩く楽器にもかかわらずまるで液体のように流れるような下降音形。なかなかこういう曲はないんですよね。書く方もそうなんですが、弾く方のタッチもこのエフェクトを極めるにはめちゃくちゃ難しいんですよ、いわずもがなですが。
3) グラナドス 「ゴイェスカス」より「愛と死」
ピアノは他の楽器から「機械的な楽器」と言われることもありますがこれでもか、というほど人の感情を繊細に、ダイナミックに反映できるんだ!という「感情的なピアノ」。愛の炎、焦り、死別の悲しみ、絶望、孤独、などなど、十も百も移り変わる人の心模様をしっかり隅々まで表現します。
4) プロコフィエフ トッカータ
上記の「機械的なピアノ」だったらきっとこの曲かな。感情を挟む余地がない、ものすごく冷徹な感じで音の動きは容赦なく、ひたすら続いていく。人の指で奏でる、というよりは本当に打つ・叩く感覚がすごいのです。「人間が弾くにはちとトリッキーじゃないか」とも思われるパッセージも機械のようにきびきびと。
5) ラヴェル 「鏡」より「蛾」
この曲を選んだキーワードは「気まぐれなピアノ」。繊細さ、という感覚の種類もいろいろありますが、どんなに気持ちが変わろうともその気持ちにぴったり添って、変化する気持ちをすぐに正確に捉える、という意味での「繊細な表現」が比較的に容易にできるのがピアノという楽器。飛んだり止まったり、夢見がちだったり。
6) カバレフスキー 前奏曲第16番
ピアノは聴き手から見えるところはほとんど木でできていますが、その中の弦やフレームなどかなり大きな部分は金属製。ソヴィエトの作曲家はその歴史文化によるものかこの「金属のピアノ」のサウンドを得意としています。例えばロマン派のピアノのぬくもりとは全く別の処にある重くて冷たく硬い音。
7) モンポウ 「内なる印象」 第1楽章
ピアノにおいて「技巧」を披露するとなると一般的に音は多くなりますが、そういう華麗さ、派手さ、音の数をがっつり削っても、それでもピアノの美しさは残っている、「シンプルなピアノ」を表す一曲。短い、小さい曲ですが、そこには本当にpreciousなものが秘められている。
8) バルトーク ピアノ協奏曲第1番 第3楽章
20世紀になると(オケでの活躍も増えたからか)割とピアノを「打楽器」として用いる傾向が強まった気がします。メシアンにしろ、クラムにしろ、ショスタコにしろ。でもその源はやっぱりバルトーク、ということで実際オケと、打楽器と並べてその「打楽器としてのピアノ」のサウンドの役割を味わってもらいたいとこの曲を。
9) シマノフスキ 「メトープ」より「セイレーンの島」
ピアノはその機動力、音域、メカニズムやタッチからたまに本当に音に羽根が生えたような、人間の手をちょっと離れたような動きと音をする事が可能で。自由に、軽やかに、そしておおらかに空を賭けたり、空中でホバリングしたり、静かに舞い降りたり・・・「翼を持ったピアノ」になれるんだなあ、とこの曲を以前弾いて思いました。
10) スクリャービン 練習曲 op.42-5
平凡な曲ではないけれど、特に抜きん出てるようなこともない・・・と思われる曲ですが、本当は「複雑なピアノ」という特徴を反映してると思います。翔けながらうねりながら溺れ沈み、エクスタシーと究極の苦痛を同時に表し、強くも脆く、ものすごく奥深い世界がこの短い曲には現れてて、そういうところが本当に好き。
11) Vine バガテル第5番 「Threnody for all the innocent victims」
ピアノという楽器は図体がでかいです(笑)が、本当に繊細な表現も可能です。それこそ触ったら壊れてしまいそうな「はかないピアノ」。この曲を弾いたときはキーを押すのではなく撫でるようなタッチで弾いて、ペダルをの響きも使って。表現の幅はこの時代にこっち方向にもさらに広がっています。
12) メシアン 「アーメンの幻影」より第1楽章「創造のアーメン」
音域の広さと豊かな余韻(音が持続しない、というのはポイントだと思う)で創り出す「宇宙的なピアノ」のサウンド。今回はピアノ2台の曲ですが、その2つのピアノで無限の時間、無限の空間とその中に宇宙が生まれる、そのエネルギーができる、というのはやっぱすごいと思いますよ。
・・・そして「表現の幅」といえばちょっと分類に困った13曲目の言及が必要だと思うんですよ。クラムのマクロコスモス第2巻の第10楽章「Voices from Corona Borealis」。曲のスケールとしては小さいですが、特殊奏法を駆使して(それしか使わない。あと口笛)ピアノ1台で創り上げてるとは思えない不思議な世界、孤独の空間を表現するのがユニークで、ピアノによる表現という意味ではものすごく特別な位置にあると思います。
ということで出してみました。
結構自分で弾いた曲なんかも出てきて、今後また弾いた時にこういうところを目指すべきなんだな、という開眼もあり。で、やってみると先ほど書いたようにいろいろ網羅できてないんでこれからパート2以降でまた試みてみたいと思います。
「ピアノの表現の幅にチャレンジする」というコンセプトは演奏のプログラムを組む際にも参考にしたいと思ってます。弾くときはなるべく曲集単位で選びたいですしもうちょっと一貫性や共通エレメントがないとまとまりがなくなりますが・・・
今回曲を選ぶに当たって「表現がユニークな曲を選んでコンセプトをくっつける」か「表現のカテゴリを選んでそこから代表曲を選ぶか」というのはものすごく悩んだところで、次回曲を選ぶにしても、将来このコンセプトで演奏プログラムを組むにしてもいろいろ検討しなくちゃいけないところだとなあ、と。
表現の幅にチャレンジするような曲は(「ピアノらしい」ピアノのレパートリーよりも)好きな傾向にあると思います。例えばここでは選びませんでしたが「鳥のカタログ」なんかも「ピアノでピアノ以外の物をリアルに表現する」音楽ですしね。やっぱり「幅を広げる」、ピアノでどれだけのことができるか、というのは自分がもっと追求すべきことだと思いますし、だからこそ「ピアノらしいサウンド」を外れた曲をこれからもがんがん弾いていきたいです。
自分の中にある世界をもっともっと広げながら、表現する方法も広げて。少なくともいまそういうことに目が向いてるんでとことん追求していきたいと思います。
今日の一曲はお休みです。うまく紹介にはなってないのですがこんなに曲をお勧めしてしまったので。
最近こういう事にちょっとアクティブな探索をしてて、クリエイティブな方向にわりとテンションが高いのですがどうやら軽躁ではないようです。気をつけていろいろ探っていきたいと思います。
ということで今日のエントリーもそれにつながってるような方向性で。
アイディアのきっかけはデーモン閣下の昔(1990年)のソロアルバム「好色萬声男(こうしょくよろずごえおとこ)」について読んでたことで。(ちなみに名義は小暮伝衛門、だそう)
いつも通りWikipediaが詳しいし分かりやすいのですが、様々なジャンルの音楽を歌う、だけでなく、そういういう話をちょっと超えて伝統音楽だったり、漢詩だったり、他の形でも取り入れたりの表現の一環として閣下が歌い上げていく、というアルバムで。Girls Rock(これはこれでまた面白い)は妹が2枚持ってるんですけど、「好色萬声男」もものすごく聴いてみたい!
で、そこで思ったのは「声でそれだけの表現の幅を追求するならピアノでももっとやってみるべきだよな」、ということで。
ピアノは一度に弾ける音の数も多いですし、音域も広く、スタミナの制限も一部の楽器ほど厳しくはなく、一人で完全に成り立つ楽器であり、とにかく「表現の幅が広い」ということが当たり前になっている楽器で。それをちょっと弾き手も聴き手も(ただし最近の作曲家はこの通りではない!)当たり前に思いすぎてるところがあるような気がして。
それなら、自分がピアノの「本当の」キャパシティ、魅力、ピアノができることを知ってもらいたい、と思うならどのような曲を選ぶか、というのを考えてみました。とりあえず「選ぶ」方で。他のことについてはまた後ほど。
例によって選んでたら20世紀ばっかりになったので20世紀に絞りました(実質的に「絞って」はいないですが)。あとなるべくピアノ独奏曲を選びました。
もちろんここでいくつか曲を選んだだけではピアノの表現の幅の全ては網羅できないのですが、まずはとっかかり、的な勢いで。
1) ラフマニノフ 前奏曲ニ長調
「歌うピアノ」としてセレクト。声と違ってピアノはそのメカニズムから鍵を弾いたあとは音量は下がるばかり、つまり音を同音量で伸ばしたりクレッシェンドをかけたりすることができないのですが、この曲でのメロディーはあたかも歌われているような豊かな伸びようを見せます。
2) リゲティ 練習曲第9番「めまい」
この曲の特徴は「液体的なピアノ」。ハンマーで弦を叩く楽器にもかかわらずまるで液体のように流れるような下降音形。なかなかこういう曲はないんですよね。書く方もそうなんですが、弾く方のタッチもこのエフェクトを極めるにはめちゃくちゃ難しいんですよ、いわずもがなですが。
3) グラナドス 「ゴイェスカス」より「愛と死」
ピアノは他の楽器から「機械的な楽器」と言われることもありますがこれでもか、というほど人の感情を繊細に、ダイナミックに反映できるんだ!という「感情的なピアノ」。愛の炎、焦り、死別の悲しみ、絶望、孤独、などなど、十も百も移り変わる人の心模様をしっかり隅々まで表現します。
4) プロコフィエフ トッカータ
上記の「機械的なピアノ」だったらきっとこの曲かな。感情を挟む余地がない、ものすごく冷徹な感じで音の動きは容赦なく、ひたすら続いていく。人の指で奏でる、というよりは本当に打つ・叩く感覚がすごいのです。「人間が弾くにはちとトリッキーじゃないか」とも思われるパッセージも機械のようにきびきびと。
5) ラヴェル 「鏡」より「蛾」
この曲を選んだキーワードは「気まぐれなピアノ」。繊細さ、という感覚の種類もいろいろありますが、どんなに気持ちが変わろうともその気持ちにぴったり添って、変化する気持ちをすぐに正確に捉える、という意味での「繊細な表現」が比較的に容易にできるのがピアノという楽器。飛んだり止まったり、夢見がちだったり。
6) カバレフスキー 前奏曲第16番
ピアノは聴き手から見えるところはほとんど木でできていますが、その中の弦やフレームなどかなり大きな部分は金属製。ソヴィエトの作曲家はその歴史文化によるものかこの「金属のピアノ」のサウンドを得意としています。例えばロマン派のピアノのぬくもりとは全く別の処にある重くて冷たく硬い音。
7) モンポウ 「内なる印象」 第1楽章
ピアノにおいて「技巧」を披露するとなると一般的に音は多くなりますが、そういう華麗さ、派手さ、音の数をがっつり削っても、それでもピアノの美しさは残っている、「シンプルなピアノ」を表す一曲。短い、小さい曲ですが、そこには本当にpreciousなものが秘められている。
8) バルトーク ピアノ協奏曲第1番 第3楽章
20世紀になると(オケでの活躍も増えたからか)割とピアノを「打楽器」として用いる傾向が強まった気がします。メシアンにしろ、クラムにしろ、ショスタコにしろ。でもその源はやっぱりバルトーク、ということで実際オケと、打楽器と並べてその「打楽器としてのピアノ」のサウンドの役割を味わってもらいたいとこの曲を。
9) シマノフスキ 「メトープ」より「セイレーンの島」
ピアノはその機動力、音域、メカニズムやタッチからたまに本当に音に羽根が生えたような、人間の手をちょっと離れたような動きと音をする事が可能で。自由に、軽やかに、そしておおらかに空を賭けたり、空中でホバリングしたり、静かに舞い降りたり・・・「翼を持ったピアノ」になれるんだなあ、とこの曲を以前弾いて思いました。
10) スクリャービン 練習曲 op.42-5
平凡な曲ではないけれど、特に抜きん出てるようなこともない・・・と思われる曲ですが、本当は「複雑なピアノ」という特徴を反映してると思います。翔けながらうねりながら溺れ沈み、エクスタシーと究極の苦痛を同時に表し、強くも脆く、ものすごく奥深い世界がこの短い曲には現れてて、そういうところが本当に好き。
11) Vine バガテル第5番 「Threnody for all the innocent victims」
ピアノという楽器は図体がでかいです(笑)が、本当に繊細な表現も可能です。それこそ触ったら壊れてしまいそうな「はかないピアノ」。この曲を弾いたときはキーを押すのではなく撫でるようなタッチで弾いて、ペダルをの響きも使って。表現の幅はこの時代にこっち方向にもさらに広がっています。
12) メシアン 「アーメンの幻影」より第1楽章「創造のアーメン」
音域の広さと豊かな余韻(音が持続しない、というのはポイントだと思う)で創り出す「宇宙的なピアノ」のサウンド。今回はピアノ2台の曲ですが、その2つのピアノで無限の時間、無限の空間とその中に宇宙が生まれる、そのエネルギーができる、というのはやっぱすごいと思いますよ。
・・・そして「表現の幅」といえばちょっと分類に困った13曲目の言及が必要だと思うんですよ。クラムのマクロコスモス第2巻の第10楽章「Voices from Corona Borealis」。曲のスケールとしては小さいですが、特殊奏法を駆使して(それしか使わない。あと口笛)ピアノ1台で創り上げてるとは思えない不思議な世界、孤独の空間を表現するのがユニークで、ピアノによる表現という意味ではものすごく特別な位置にあると思います。
ということで出してみました。
結構自分で弾いた曲なんかも出てきて、今後また弾いた時にこういうところを目指すべきなんだな、という開眼もあり。で、やってみると先ほど書いたようにいろいろ網羅できてないんでこれからパート2以降でまた試みてみたいと思います。
「ピアノの表現の幅にチャレンジする」というコンセプトは演奏のプログラムを組む際にも参考にしたいと思ってます。弾くときはなるべく曲集単位で選びたいですしもうちょっと一貫性や共通エレメントがないとまとまりがなくなりますが・・・
今回曲を選ぶに当たって「表現がユニークな曲を選んでコンセプトをくっつける」か「表現のカテゴリを選んでそこから代表曲を選ぶか」というのはものすごく悩んだところで、次回曲を選ぶにしても、将来このコンセプトで演奏プログラムを組むにしてもいろいろ検討しなくちゃいけないところだとなあ、と。
表現の幅にチャレンジするような曲は(「ピアノらしい」ピアノのレパートリーよりも)好きな傾向にあると思います。例えばここでは選びませんでしたが「鳥のカタログ」なんかも「ピアノでピアノ以外の物をリアルに表現する」音楽ですしね。やっぱり「幅を広げる」、ピアノでどれだけのことができるか、というのは自分がもっと追求すべきことだと思いますし、だからこそ「ピアノらしいサウンド」を外れた曲をこれからもがんがん弾いていきたいです。
自分の中にある世界をもっともっと広げながら、表現する方法も広げて。少なくともいまそういうことに目が向いてるんでとことん追求していきたいと思います。
今日の一曲はお休みです。うまく紹介にはなってないのですがこんなに曲をお勧めしてしまったので。
前のエントリーに拍手どうもです~
仕事に練習に大分忙しいです。あとちょこちょこ身の回りのこともやったりで。今日は3時半くらいの時点で疲労時計がすでに7時半くらいをさしてましたねえ・・・
そんなこんなで少しずつブログのネタもメモってはいるのですが考えが詰められずで事実上のネタ切れとなっております。
こないだ「現在のレパートリー」エントリーを書きましたが、なんとかバルトークからプーランクに移行。
プーランクは15の即興曲から5つ選んで弾くことに。なるべくキャラクターが違うやつを選んでます。一つはシューベルト献呈の華やかなワルツだったり、一つはエディット・ピアフ献呈のシャンソン風の(頭一つ抜きん出て)美しい一曲、それからこれまたちょっとシャンソン風&フルートソナタのスロー楽章風のだったり、それからあとちょっとひねた鋭さを持ち合わせたの2つ。
プーランクのひねくれというかいじらしさは良く思うのですがたまの知久さんの音楽に見られるものにものすごく似てて。「きみしかいない」とか「電車かもしれない」とか、歌詞だったり息づかいだったり(楽器パートを含む)、あとハーモニーもちょっと似てるかな。なんとか参考にして取り入れたりしてみたいですね。
今は自分の弾いてる曲に他ジャンル(主に音楽で、ですが音楽に限らず)で感じたこと学んだことを積極的に取り入れたい傾向があって。たまだったりクレズマーだったり聖飢魔IIだったり。はっきりとは言葉で表現するのは難しいんですが、ちょこちょこいろいろ意識して実験してます。
自分の表現の幅を広げたい、というのももちろんありますが、基本手に入れたら使いたいタイプなのもあり。
最近思ったんですが自分は五感でも、それ以外の感覚でもとにかく「体感する」ことが何よりも喜ばしく感じて(それが自分の中に入ってくる感覚でも表現して出て行く感覚でも)。
そして色んな感覚をおもちゃとか宝のように自分の中に大切に、いつでも感じられるように、そして表現に使えるように収集するのが常で。
もちろん感覚にジャンルは関係ないですし(感覚の種類間でも無意識に・意識的に翻訳がありますしね)、だから本当に今ありとあらゆるものを自分の中に取り入れて感じたい、(音楽などを通じて)表現したいお年頃なんです。
ちょうど今日仕事ではちょっと骨の折れる英和翻訳を終わらせたところで。
時間かかるんですよね~英語の文を読むのは日本語を読むよりも若干遅いですし、日本語の文を書くのはちょっと苦労しますし。
そういえば前回一時帰国したときに翻訳が速い、というお言葉をにコーディネーターさんからいただいたのですが、それ以来自分が翻訳するときにどういうプロセスが働いているのか意識的に考えてみたのですが・・・
簡単にいうと音楽を演奏するときとプロセス自体はそう変わらないと思います。
目の前にある文を読んで自分の中に取り込んで、「自分の物として」から、(あたかも自分のオリジナルとして発しているように)もう一つの言語でアウトプットする。
言語→言語だと割とそれが速くできる。(もともと読むのは速いですし)自分の中で読むだけで意味はすぐ分かるのですぐ「自分のものになる」。
音楽だともうちょっと時間がかかる。言葉でないからですが(笑)
でもそうやって音楽に時間をかけるのはやっぱり大好きです。
作曲家や曲の意図を分かろうとして、音楽からなにを感じるか、何を連想するか、そこからどんな音楽を、世界を創るか、自分の中のコレクションから何を使うか、どう繋げるか、音をどう動かすか、とにかく何をどうしようかと考えたり実験したり、感覚を探ったりするのが本当に楽しくて。
だからこないだから弾いてるあのプロコフィエフの「分からない、なじまない」プロセスも今ものすごく楽しいです(笑)
今日久しぶりに「音楽と心」のノートブックにちょろっとメモしたんですが、音楽は作曲家・演奏家の見解を演奏家・聴き手に押しつけるものでなく、発信する側が受信する側の中に感覚を「沸き起こす」ものなんですよね。
割と私は普段からちと押しつけがましい傾向があるので自分への戒めとしても書いたんですが(汗)
でもそういう「感覚が沸き起こる」のが好きで、自分が聴き手に「沸き起こす」ができたらすごいな、と思うし。もっとこれからいろいろ考えていきたいな、と考えてます。
(そういえば新神話主義の色々もこの「沸き起こる」プロセスだったり、沸き起こすものについていろいろ関連した見解があるな、と思ってこんどまた復習せねばと思っています。)
音楽に携わるにあたって「ピアノを弾く」とか「音を弾く」ということに捕らわれることなく音楽の表現、ジャンルを超えた音楽、音楽を超えた世界の表現を考えたり探索できることは素晴らしいと思います。環境によっては私の場合そこまで考えられる余裕がなくなるだろうな、というのも分かってるので今は家で一人でピアノ弾いてるだけですがのびのびこうやって色々できるのは幸せなんだろうな、と思います。少なくとも一部は。
大学みたいに他の音楽家の影響が少ない環境ですがいろいろ刺激と影響と工夫とアイディアと表現を飽きなく求め続けたいです。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第2楽章
この交響曲、どの楽章をすでに扱ったか思い出せないのですが、Brett Deanの曲はさすがに一回聴いたあとこんなに時間がたっちゃあ紹介できないのでなんとかこの曲に。
第2楽章もこのシンフォニーでのハイライトではないんですが、だからこそちょっとフォローしとかないと、と思いまして。
とにかくまず強調したいのは:ショスタコの5番は各楽章も全体としても素晴らしい曲で、時代を表す音楽(前のエントリー参照)としても、純粋に音楽としてもものすごく魅力的で、個々の楽器もオケとしての音もいいですし、是非是非全曲、そして一度だけでなく何度もよく聴いて欲しい曲だと思っています。
さて第2楽章。3拍子の舞踏、大体ワルツのようなリズムの比較的短い曲です。
ワルツというのは優雅なイメージですが、この曲は冒頭の低音弦のエントリーからものすごく足踏みが重い!ここからすでにショスタコの強烈な皮肉毒舌キャラクターが始まってるわけですね。
とにかくGrandなところは大げさに、そして品がない、ぶしつけなワルツなんです。
この曲の魅力というのがやっぱりその品のない、ぶしつけで、卑しいところだと思うんです。さらにはそれがいわゆるカリカチュアとして、その対象となっている人物だったり(人物とは限りませんが)に悪意を持っておもいっきりこきおろしていることがはっきりと分かる、その対象がものっそ嫌なやつなんだな、というのが分かって一緒に嘲笑できる、そういうところだと思います。
(この場合はおそらくソヴィエト政府のお偉いさん方がその対象なんでしょうね)
言葉での皮肉を伴った冗談、というのもたまに上手く伝わらないときがありますが、それをより分かりやすく、効果的に音楽でやってしまう、それが伝わってしまう(少なくとも伝えたくない人以外には(笑))のはやっぱりショスタコの表現力のすごさですね。
実際のところどうやって(楽器使い)そうやって皮肉なテイストをだしているかについて一部を書くことはできるのですが、今回はなるべくそういうところにはフォーカスせず、聴いて全体的に感じ取ってもらいたいと思います。理屈で分からなくともちょっとにやりとしてしまう、そんなところが数々ありますので。
でも活躍している楽器についてこれは言っておかないと気が済まない。中間部~後半でファゴット(2本)+コントラファゴットだけでしばらく弾いてるところがあるのですが、ファゴットもコントラファゴットも普段はあんまり目立たないため是非この大活躍に耳を傾けて欲しいです。メル響の演奏だとコントラファゴットの代わりにコントラフォルテを使うので生演奏でホールの後ろに座っても最低音がくっきり聞こえるのですが、ステレオで聴く場合はちょっと音量を上げていただけるとこれらの楽器の頑張りが聞こえると思います。
頑張れファゴット!頑張れコントラファゴット!
リンクした演奏は実際に私が持っているCDで、本場ソヴィエトの演奏&ショスタコと親交のが深く彼の作品を多く振ったムラヴィンスキーの指揮によるもので。作品の真髄をある意味がっちりとらえてるな、と思う演奏です。第1楽章から第4楽章までなによりも「らしい」演奏、という印象。ちょっとトランペットのスタイルが「?」となるところもありますが素晴らしい録音なのでお勧めですよ~
仕事に練習に大分忙しいです。あとちょこちょこ身の回りのこともやったりで。今日は3時半くらいの時点で疲労時計がすでに7時半くらいをさしてましたねえ・・・
そんなこんなで少しずつブログのネタもメモってはいるのですが考えが詰められずで事実上のネタ切れとなっております。
こないだ「現在のレパートリー」エントリーを書きましたが、なんとかバルトークからプーランクに移行。
プーランクは15の即興曲から5つ選んで弾くことに。なるべくキャラクターが違うやつを選んでます。一つはシューベルト献呈の華やかなワルツだったり、一つはエディット・ピアフ献呈のシャンソン風の(頭一つ抜きん出て)美しい一曲、それからこれまたちょっとシャンソン風&フルートソナタのスロー楽章風のだったり、それからあとちょっとひねた鋭さを持ち合わせたの2つ。
プーランクのひねくれというかいじらしさは良く思うのですがたまの知久さんの音楽に見られるものにものすごく似てて。「きみしかいない」とか「電車かもしれない」とか、歌詞だったり息づかいだったり(楽器パートを含む)、あとハーモニーもちょっと似てるかな。なんとか参考にして取り入れたりしてみたいですね。
今は自分の弾いてる曲に他ジャンル(主に音楽で、ですが音楽に限らず)で感じたこと学んだことを積極的に取り入れたい傾向があって。たまだったりクレズマーだったり聖飢魔IIだったり。はっきりとは言葉で表現するのは難しいんですが、ちょこちょこいろいろ意識して実験してます。
自分の表現の幅を広げたい、というのももちろんありますが、基本手に入れたら使いたいタイプなのもあり。
最近思ったんですが自分は五感でも、それ以外の感覚でもとにかく「体感する」ことが何よりも喜ばしく感じて(それが自分の中に入ってくる感覚でも表現して出て行く感覚でも)。
そして色んな感覚をおもちゃとか宝のように自分の中に大切に、いつでも感じられるように、そして表現に使えるように収集するのが常で。
もちろん感覚にジャンルは関係ないですし(感覚の種類間でも無意識に・意識的に翻訳がありますしね)、だから本当に今ありとあらゆるものを自分の中に取り入れて感じたい、(音楽などを通じて)表現したいお年頃なんです。
ちょうど今日仕事ではちょっと骨の折れる英和翻訳を終わらせたところで。
時間かかるんですよね~英語の文を読むのは日本語を読むよりも若干遅いですし、日本語の文を書くのはちょっと苦労しますし。
そういえば前回一時帰国したときに翻訳が速い、というお言葉をにコーディネーターさんからいただいたのですが、それ以来自分が翻訳するときにどういうプロセスが働いているのか意識的に考えてみたのですが・・・
簡単にいうと音楽を演奏するときとプロセス自体はそう変わらないと思います。
目の前にある文を読んで自分の中に取り込んで、「自分の物として」から、(あたかも自分のオリジナルとして発しているように)もう一つの言語でアウトプットする。
言語→言語だと割とそれが速くできる。(もともと読むのは速いですし)自分の中で読むだけで意味はすぐ分かるのですぐ「自分のものになる」。
音楽だともうちょっと時間がかかる。言葉でないからですが(笑)
でもそうやって音楽に時間をかけるのはやっぱり大好きです。
作曲家や曲の意図を分かろうとして、音楽からなにを感じるか、何を連想するか、そこからどんな音楽を、世界を創るか、自分の中のコレクションから何を使うか、どう繋げるか、音をどう動かすか、とにかく何をどうしようかと考えたり実験したり、感覚を探ったりするのが本当に楽しくて。
だからこないだから弾いてるあのプロコフィエフの「分からない、なじまない」プロセスも今ものすごく楽しいです(笑)
今日久しぶりに「音楽と心」のノートブックにちょろっとメモしたんですが、音楽は作曲家・演奏家の見解を演奏家・聴き手に押しつけるものでなく、発信する側が受信する側の中に感覚を「沸き起こす」ものなんですよね。
割と私は普段からちと押しつけがましい傾向があるので自分への戒めとしても書いたんですが(汗)
でもそういう「感覚が沸き起こる」のが好きで、自分が聴き手に「沸き起こす」ができたらすごいな、と思うし。もっとこれからいろいろ考えていきたいな、と考えてます。
(そういえば新神話主義の色々もこの「沸き起こる」プロセスだったり、沸き起こすものについていろいろ関連した見解があるな、と思ってこんどまた復習せねばと思っています。)
音楽に携わるにあたって「ピアノを弾く」とか「音を弾く」ということに捕らわれることなく音楽の表現、ジャンルを超えた音楽、音楽を超えた世界の表現を考えたり探索できることは素晴らしいと思います。環境によっては私の場合そこまで考えられる余裕がなくなるだろうな、というのも分かってるので今は家で一人でピアノ弾いてるだけですがのびのびこうやって色々できるのは幸せなんだろうな、と思います。少なくとも一部は。
大学みたいに他の音楽家の影響が少ない環境ですがいろいろ刺激と影響と工夫とアイディアと表現を飽きなく求め続けたいです。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第2楽章
この交響曲、どの楽章をすでに扱ったか思い出せないのですが、Brett Deanの曲はさすがに一回聴いたあとこんなに時間がたっちゃあ紹介できないのでなんとかこの曲に。
第2楽章もこのシンフォニーでのハイライトではないんですが、だからこそちょっとフォローしとかないと、と思いまして。
とにかくまず強調したいのは:ショスタコの5番は各楽章も全体としても素晴らしい曲で、時代を表す音楽(前のエントリー参照)としても、純粋に音楽としてもものすごく魅力的で、個々の楽器もオケとしての音もいいですし、是非是非全曲、そして一度だけでなく何度もよく聴いて欲しい曲だと思っています。
さて第2楽章。3拍子の舞踏、大体ワルツのようなリズムの比較的短い曲です。
ワルツというのは優雅なイメージですが、この曲は冒頭の低音弦のエントリーからものすごく足踏みが重い!ここからすでにショスタコの強烈な皮肉毒舌キャラクターが始まってるわけですね。
とにかくGrandなところは大げさに、そして品がない、ぶしつけなワルツなんです。
この曲の魅力というのがやっぱりその品のない、ぶしつけで、卑しいところだと思うんです。さらにはそれがいわゆるカリカチュアとして、その対象となっている人物だったり(人物とは限りませんが)に悪意を持っておもいっきりこきおろしていることがはっきりと分かる、その対象がものっそ嫌なやつなんだな、というのが分かって一緒に嘲笑できる、そういうところだと思います。
(この場合はおそらくソヴィエト政府のお偉いさん方がその対象なんでしょうね)
言葉での皮肉を伴った冗談、というのもたまに上手く伝わらないときがありますが、それをより分かりやすく、効果的に音楽でやってしまう、それが伝わってしまう(少なくとも伝えたくない人以外には(笑))のはやっぱりショスタコの表現力のすごさですね。
実際のところどうやって(楽器使い)そうやって皮肉なテイストをだしているかについて一部を書くことはできるのですが、今回はなるべくそういうところにはフォーカスせず、聴いて全体的に感じ取ってもらいたいと思います。理屈で分からなくともちょっとにやりとしてしまう、そんなところが数々ありますので。
でも活躍している楽器についてこれは言っておかないと気が済まない。中間部~後半でファゴット(2本)+コントラファゴットだけでしばらく弾いてるところがあるのですが、ファゴットもコントラファゴットも普段はあんまり目立たないため是非この大活躍に耳を傾けて欲しいです。メル響の演奏だとコントラファゴットの代わりにコントラフォルテを使うので生演奏でホールの後ろに座っても最低音がくっきり聞こえるのですが、ステレオで聴く場合はちょっと音量を上げていただけるとこれらの楽器の頑張りが聞こえると思います。
頑張れファゴット!頑張れコントラファゴット!
リンクした演奏は実際に私が持っているCDで、本場ソヴィエトの演奏&ショスタコと親交のが深く彼の作品を多く振ったムラヴィンスキーの指揮によるもので。作品の真髄をある意味がっちりとらえてるな、と思う演奏です。第1楽章から第4楽章までなによりも「らしい」演奏、という印象。ちょっとトランペットのスタイルが「?」となるところもありますが素晴らしい録音なのでお勧めですよ~
一つ前のエントリーに拍手ありがとうございます♪
クリスマス絵、大晦日ストーリーの作業が終わり、月曜朝納品の仕事も終わり。
今はピクニックに持ってくものに悩みながら、Kris Kringleのプレゼントに悩んでいます。
私がプレゼントをあげることになってる子は友達の友達で、今まで何回か会ってます(こないだの金曜日も合わせて)。運動障害を持ってる子なのでどんな物だったら使ってもらえるかな、と悩んでます。
Kris Klingleは以前も書きましたが匿名なので日本ぽいものとかルピシアのお茶とかは選べないんですよね~
さて、こないだの木曜日のコンサートの感想へ。
プログラムはこんな感じでした:
指揮者:Jonathan Nott
Brett Dean 「The Lost Art of Letter Writing」(バイオリン:Frank Peter Zimmermann)
(休憩)
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
最初の曲は今年生誕50周年をオーストラリア中で祝われている作曲家Brett Deanの作品。今回コンサートに来てステージ上で曲の解説もしました。
「The Lost Art of Letter Writing」はバイオリン協奏曲の形式をとっていて、4つの楽章それぞれが19世紀後半に著名人、主に芸術家によってしたためられた手紙をモチーフとしています。
楽章と関連する著名人はこんな感じ:
1. ハンブルク、1854年(ヨハネス・ブラームス)
2. ハーグ、1882(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)
3. ウィーン、1886(フーゴ・ヴォルフ)
4. ジェリルデリーの手紙、1879(ネッド・ケリー)
作曲者によるとソロのバイオリンは手紙の送り主と受け取り主の間を行ったり来たりしながら、音楽はその手紙に込められた思いや思考などを表現する、ということらしいです。
ブラームスの恩師の妻であるクララ・シューマンに対する秘めた思いだったり、ゴッホやヴォルフの内なる狂気の徴候に対する自覚の告白のようなものだったり、オーストラリア代表ネッド・ケリーの自分や仲間・家族の潔白を主張する強い思い、そういうものが強烈にあふれた音楽でした。
今年はBrett Deanの様々な作品に出会う機会があったのですが、この曲も他の作品に負けず劣らずの複雑さで、一回聴いただけでなんとも言えない感じはあるのですが、好きな曲であることは確かです。バイオリン協奏曲というジャンルの中で(一回聴いただけでも)すでに自分の中のランキングのなかで上位に食い込んでますし、もっと知りたい、もっと聴きたい!という思いが強いです。
印象としては例えばベルクのような「現代のバイオリン協奏曲」という色が強いですね。美しいメロディーと技巧中心、というよりはメインはソロバイオリンながらも「音楽全体」としての世界の表現が主、といいますか。
楽器編成ですぐ目立ったのはマリンバが3台あること!そのマリンバの奏者達が他の打楽器もいくつか担当していたり、かなり複雑かつ充実した打楽器パートでした。
そしてBrett Deanの作品で好きな低音木管!バスクラもコントラフォルテも大活躍、ぶいぶい言ってましたよ~(笑)
第1楽章で突然ブラームス風の音楽がぶわっと沸き起こった箇所のインパクトもすごかったですが、なんといっても私が心惹かれたのは第3楽章と第4楽章。第3楽章で打楽器やフルートが創り出す不思議な空間と色彩だったり、第4楽章でのオケ、そしてソロバイオリンの強烈さだったり。第4楽章はリズムがなんというかオージーだと思いました。リズムのパターンが、というよりはリズムの強さが、といえばいいのでしょうか。
今回コンサート会場には上記の手紙のうちヴォルフの物を除く3つのファクシミリが展示されていました。
この 「The Lost Art of Letter Writing」という題は「失われた「手紙を書くこと」の芸術」と訳することができますが、手紙を自分の手で書くことで思いを伝えることの「芸術」が今の世で失われつつあることへの懸念だったり、残念に思うことを表現した曲で。
結局見て読めるのはネッド・ケリーの手紙なのですが、こうやって昔の人が残した手紙を見るとそれが芸術であり、なにか本当に大事な思いが込められていることが分かります。ブラームスの流れるような筆跡と行間を広くとる傾向だったり、ゴッホの細かい字でびっしり書かれている、挿絵入りの手紙だったり。
ネッド・ケリーの手紙は本当にびっくりしました。オーストラリアではものすごく有名な、盗賊だったり義賊だったりした、無法者でブッシュレンジャーという人物なのですが、ものすごーくきれいな字を書くんですよ。経歴を調べてみると良いところの家を出てるわけじゃなくて(そもそもそれで権力にたてついたりしてたのですが)、だからこそこんなに綺麗な字でしっかりした文で自分の思いをしたためる、というのはものすごく心に来る物がありました。もっとネッド・ケリーについて知らなきゃ、と(汗)とりあえず基礎知識はこちらのwikipediaで。
後半のショスタコーヴィチ 交響曲第5番は逆にものすごく馴染みのある曲です。小さい頃から、おそらく生まれる前から聞いている曲。
今回こうやって生で聞いて(そこまで珍しい機会ではないのですが)改めて両親がこういう素晴らしい音楽で、玄人にも愛されるすごい音楽で育ててくれたことに感謝の思いを強く抱きました。この曲が本当に愛しいですし、何度でも聴きたい・弾きたいと思いますし、いつでも自分にとって一番のホームグラウンドであることが本当によかった、と思えて。
曲についてちょっと簡単に。ショスタコーヴィチはソヴィエト時代、しかもスターリンの時代を生きた作曲家なのですが作曲家人生のある時期に政府から作風などについて批判を受けて、ものすごい窮地に陥ったことがあります。それはもう自分だったり周りの人だったりが監視だったり命の危険にさらされたり、かなり厳しい状況にあって。そんな時に政府への「返答」として書いたのがこの交響曲第5番なんです。政府好みの前衛的でない、聴きやすい音楽に仕立てながら、音楽に全く疎い役人達に分からないように皮肉もたっぷり盛り込んで、しかもそういう背景抜きでもがっつり音楽としてのクオリティが高い作品を書いた、というわけです。
ショスタコーヴィチは理不尽な権力への反抗の象徴みたいなところもありますし、そういう「芸術を見る目がないお役人には分からない」ような繊細な、ただし強烈な「本音の表現」を見事にやってのけるすばらしい表現者で。音楽スタイルが好き、曲が好き、時代背景も好き、という以外にそういうところでも本当に尊敬している作曲家です。
そんな強烈な曲だから、演奏も平凡なものではすませられません。今回のメル響の演奏はやっぱりパワフルで、本当に聴いていて満足でした。
(ちなみに創作のオケいくつかに弾かせてる曲で、割と「あ、あの人が弾いてるとこ」とか言って脳内忙しくなるのですが、それでもこの曲そのままを自分として楽しむ余裕もあって、なんだかそんな自分にほっとしました)
今回やっぱりメル響の弦セクションの強さが光りましたね。バイオリンからコントラバスまでエネルギッシュ!コントラバスは本当にかっこよかったですよー。第1楽章とか、あと第3楽章(第3楽章はチェロやオーボエもすごかった。もともととってもpreciousな音楽ですが、演奏も今回なんだか貴重でしたね)。
第2楽章は本当に皮肉の色が強くて、「ショスタコこれじゃ政府にばれるんじゃないか、怒られるんじゃないか」と思われるほど痛烈で、痛快なキャラクターでした。そしてこの楽章はファゴット+コントラフォルテ隊がめっちゃ活躍してましたね~
ショスタコお得意(というかソヴィエト音楽お得意)の木琴の音もものすごく印象強かったです。そしてトランペットの格好良さ、ホルンセクションの頼りがい・安定といったら気持ちいいのなんのって(笑)
そういえば第4楽章の最後でティンパニが2つずつ同じ音に調音してあることに初めて気づきました。(ラ・ラ・レ・レ、と調音して音をダブルで叩く、という)道理でパワフルなわけだ!そして改めて見ると格好いい!メル響はティンパニは女性奏者だから余計に!
(そういえば第4楽章ってかなりテンポ変化あるんですが、意外なテンポのチョイスがいくつかあって、決して「違うなあ」と思わず「こういうのもアリかな」と思えたのが面白かったです)
ということでDeanでは新しい世界を見つけ、ショスタコではがっつり自分の軸をとりもどした、という本当に充実なコンサートでした。もう一回聴きたくなる演奏・プログラムでしたね~
今年のメル響シーズン(自分にとっては)最後のコンサートとしては本当にこれ以上の物はない!という。
すっかり長くなってしまったので今日の一曲は今回もお休みにして、次回このコンサートのプログラムから選んで紹介しようかな、と思ってます。
クリスマス絵、大晦日ストーリーの作業が終わり、月曜朝納品の仕事も終わり。
今はピクニックに持ってくものに悩みながら、Kris Kringleのプレゼントに悩んでいます。
私がプレゼントをあげることになってる子は友達の友達で、今まで何回か会ってます(こないだの金曜日も合わせて)。運動障害を持ってる子なのでどんな物だったら使ってもらえるかな、と悩んでます。
Kris Klingleは以前も書きましたが匿名なので日本ぽいものとかルピシアのお茶とかは選べないんですよね~
さて、こないだの木曜日のコンサートの感想へ。
プログラムはこんな感じでした:
指揮者:Jonathan Nott
Brett Dean 「The Lost Art of Letter Writing」(バイオリン:Frank Peter Zimmermann)
(休憩)
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
最初の曲は今年生誕50周年をオーストラリア中で祝われている作曲家Brett Deanの作品。今回コンサートに来てステージ上で曲の解説もしました。
「The Lost Art of Letter Writing」はバイオリン協奏曲の形式をとっていて、4つの楽章それぞれが19世紀後半に著名人、主に芸術家によってしたためられた手紙をモチーフとしています。
楽章と関連する著名人はこんな感じ:
1. ハンブルク、1854年(ヨハネス・ブラームス)
2. ハーグ、1882(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)
3. ウィーン、1886(フーゴ・ヴォルフ)
4. ジェリルデリーの手紙、1879(ネッド・ケリー)
作曲者によるとソロのバイオリンは手紙の送り主と受け取り主の間を行ったり来たりしながら、音楽はその手紙に込められた思いや思考などを表現する、ということらしいです。
ブラームスの恩師の妻であるクララ・シューマンに対する秘めた思いだったり、ゴッホやヴォルフの内なる狂気の徴候に対する自覚の告白のようなものだったり、オーストラリア代表ネッド・ケリーの自分や仲間・家族の潔白を主張する強い思い、そういうものが強烈にあふれた音楽でした。
今年はBrett Deanの様々な作品に出会う機会があったのですが、この曲も他の作品に負けず劣らずの複雑さで、一回聴いただけでなんとも言えない感じはあるのですが、好きな曲であることは確かです。バイオリン協奏曲というジャンルの中で(一回聴いただけでも)すでに自分の中のランキングのなかで上位に食い込んでますし、もっと知りたい、もっと聴きたい!という思いが強いです。
印象としては例えばベルクのような「現代のバイオリン協奏曲」という色が強いですね。美しいメロディーと技巧中心、というよりはメインはソロバイオリンながらも「音楽全体」としての世界の表現が主、といいますか。
楽器編成ですぐ目立ったのはマリンバが3台あること!そのマリンバの奏者達が他の打楽器もいくつか担当していたり、かなり複雑かつ充実した打楽器パートでした。
そしてBrett Deanの作品で好きな低音木管!バスクラもコントラフォルテも大活躍、ぶいぶい言ってましたよ~(笑)
第1楽章で突然ブラームス風の音楽がぶわっと沸き起こった箇所のインパクトもすごかったですが、なんといっても私が心惹かれたのは第3楽章と第4楽章。第3楽章で打楽器やフルートが創り出す不思議な空間と色彩だったり、第4楽章でのオケ、そしてソロバイオリンの強烈さだったり。第4楽章はリズムがなんというかオージーだと思いました。リズムのパターンが、というよりはリズムの強さが、といえばいいのでしょうか。
今回コンサート会場には上記の手紙のうちヴォルフの物を除く3つのファクシミリが展示されていました。
この 「The Lost Art of Letter Writing」という題は「失われた「手紙を書くこと」の芸術」と訳することができますが、手紙を自分の手で書くことで思いを伝えることの「芸術」が今の世で失われつつあることへの懸念だったり、残念に思うことを表現した曲で。
結局見て読めるのはネッド・ケリーの手紙なのですが、こうやって昔の人が残した手紙を見るとそれが芸術であり、なにか本当に大事な思いが込められていることが分かります。ブラームスの流れるような筆跡と行間を広くとる傾向だったり、ゴッホの細かい字でびっしり書かれている、挿絵入りの手紙だったり。
ネッド・ケリーの手紙は本当にびっくりしました。オーストラリアではものすごく有名な、盗賊だったり義賊だったりした、無法者でブッシュレンジャーという人物なのですが、ものすごーくきれいな字を書くんですよ。経歴を調べてみると良いところの家を出てるわけじゃなくて(そもそもそれで権力にたてついたりしてたのですが)、だからこそこんなに綺麗な字でしっかりした文で自分の思いをしたためる、というのはものすごく心に来る物がありました。もっとネッド・ケリーについて知らなきゃ、と(汗)とりあえず基礎知識はこちらのwikipediaで。
後半のショスタコーヴィチ 交響曲第5番は逆にものすごく馴染みのある曲です。小さい頃から、おそらく生まれる前から聞いている曲。
今回こうやって生で聞いて(そこまで珍しい機会ではないのですが)改めて両親がこういう素晴らしい音楽で、玄人にも愛されるすごい音楽で育ててくれたことに感謝の思いを強く抱きました。この曲が本当に愛しいですし、何度でも聴きたい・弾きたいと思いますし、いつでも自分にとって一番のホームグラウンドであることが本当によかった、と思えて。
曲についてちょっと簡単に。ショスタコーヴィチはソヴィエト時代、しかもスターリンの時代を生きた作曲家なのですが作曲家人生のある時期に政府から作風などについて批判を受けて、ものすごい窮地に陥ったことがあります。それはもう自分だったり周りの人だったりが監視だったり命の危険にさらされたり、かなり厳しい状況にあって。そんな時に政府への「返答」として書いたのがこの交響曲第5番なんです。政府好みの前衛的でない、聴きやすい音楽に仕立てながら、音楽に全く疎い役人達に分からないように皮肉もたっぷり盛り込んで、しかもそういう背景抜きでもがっつり音楽としてのクオリティが高い作品を書いた、というわけです。
ショスタコーヴィチは理不尽な権力への反抗の象徴みたいなところもありますし、そういう「芸術を見る目がないお役人には分からない」ような繊細な、ただし強烈な「本音の表現」を見事にやってのけるすばらしい表現者で。音楽スタイルが好き、曲が好き、時代背景も好き、という以外にそういうところでも本当に尊敬している作曲家です。
そんな強烈な曲だから、演奏も平凡なものではすませられません。今回のメル響の演奏はやっぱりパワフルで、本当に聴いていて満足でした。
(ちなみに創作のオケいくつかに弾かせてる曲で、割と「あ、あの人が弾いてるとこ」とか言って脳内忙しくなるのですが、それでもこの曲そのままを自分として楽しむ余裕もあって、なんだかそんな自分にほっとしました)
今回やっぱりメル響の弦セクションの強さが光りましたね。バイオリンからコントラバスまでエネルギッシュ!コントラバスは本当にかっこよかったですよー。第1楽章とか、あと第3楽章(第3楽章はチェロやオーボエもすごかった。もともととってもpreciousな音楽ですが、演奏も今回なんだか貴重でしたね)。
第2楽章は本当に皮肉の色が強くて、「ショスタコこれじゃ政府にばれるんじゃないか、怒られるんじゃないか」と思われるほど痛烈で、痛快なキャラクターでした。そしてこの楽章はファゴット+コントラフォルテ隊がめっちゃ活躍してましたね~
ショスタコお得意(というかソヴィエト音楽お得意)の木琴の音もものすごく印象強かったです。そしてトランペットの格好良さ、ホルンセクションの頼りがい・安定といったら気持ちいいのなんのって(笑)
そういえば第4楽章の最後でティンパニが2つずつ同じ音に調音してあることに初めて気づきました。(ラ・ラ・レ・レ、と調音して音をダブルで叩く、という)道理でパワフルなわけだ!そして改めて見ると格好いい!メル響はティンパニは女性奏者だから余計に!
(そういえば第4楽章ってかなりテンポ変化あるんですが、意外なテンポのチョイスがいくつかあって、決して「違うなあ」と思わず「こういうのもアリかな」と思えたのが面白かったです)
ということでDeanでは新しい世界を見つけ、ショスタコではがっつり自分の軸をとりもどした、という本当に充実なコンサートでした。もう一回聴きたくなる演奏・プログラムでしたね~
今年のメル響シーズン(自分にとっては)最後のコンサートとしては本当にこれ以上の物はない!という。
すっかり長くなってしまったので今日の一曲は今回もお休みにして、次回このコンサートのプログラムから選んで紹介しようかな、と思ってます。
