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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
書こう書こうとは思ってなかったのですが今週の日曜日、去年と同じSt. Mark's Spotswoodという教会(シティの西向こう側)で10分ほど弾いてあと伴奏も一つしてきます。
大学時代の知り合いのつてで、自分にとっては知らない人ばかりの聴衆だったのですがものすごく暖かく迎えられて今回も弾くことに。シューベルトの「水の上で歌う」(リスト編曲)とメシアンの前奏曲第8番「風の反映」を演奏予定です。
3日前となるとさすがに緊張感は追いついてきましたがなんか「未知の領域」的な感じがぬぐえない。弾き始めてから緊張がくるのは分かってるのですがそれがどうくるかどういう影響があるかどんなくらい緊張するのか全然分からない。たまにしか人前で弾かないと感覚が鈍くなるんだよなー。
前回(まなざし15番)は楽譜ありで弾いたのですが今回は2曲とも暗譜です。そのこと自体に関してはそんなに心配はしてない・・・かなあ。どっちの曲も繰り返すパッセージがちょろっとあるので迷子にならなければなんとか。
そして人前で弾くにもやっぱりメシアンが一番安定しますね。「これは自分の強み!」という暗示に近いものもありますがやっぱりメシアンの音楽が一番自分に馴染むし力になってくれる。今回のシューベルトだって自分にかなり合う(&演奏可レパートリーに加えたい)曲だと思うんですが格がどうしても違うみたいで。
「風の反映」はメシアンにはちょっと珍しく曲調がParty pieceといって良いほどかっこいい&盛り上がる曲なので聴衆ウケ狙ってます。メシアンを好きな人がまた増えますように。
さらに日曜日に弾きはしないのですがその2曲と同等に扱ってきたラヴェルの夜のガスパール「絞首台」も演奏の2曲と同じタイミングで終わりにするつもりでいます。これも自分に合う良い曲だった。多分今でも間違って読んでる音あると思うのですが(汗)それはまた次回出会ったときに。色々良い意味で「気持ち悪い」曲(特にラヴェルとしては珍しい)ですごく好きだったのでその気持ち悪さが何より恋しいです。なんか他に気持ち悪いとこある曲あるかなあ。
ちょっと早めではあるのですが演奏後のレパートリーも結構考え始めています。
夏が来てるのもあったり復習したい曲も色々あるので心持ち的に新しい曲はがっつり一新したい。
まず決まってるのは鳥カタの新しいやつ。一応候補はあります。もちろんあの27分の長いやつ以外ですが、それでも難しいのが残ってます。
あとは全く新しいor自分には珍しい作曲家を選んでみようかと。前者は手持ちにある楽譜だとグラナドスとか(他は探してこないと?)、後者だとスカルラッティとかハイドンとか。Darknesse Visibleから繋がってバロック以前でなんかさがすのもいいかも?あとリストの編曲で他に面白い物があるかな(ほんと色々編曲してるもんなああの人)。
あとはちょっと規模大きめとしてはラヴェルの「鏡」(5曲だっけ)をさらい直したり、あとシューベルトのハ短調ソナタに挑んでみるつもりでいます。あのソナタは前「これものすごい勢いで色んな調使ってるじゃん」という発見があってから一度ちゃんとこの手で触れて向き合ってみようと思ってたので。規模も難易度もちょっと自分に釣り合ってないとは思いますがとりあえずチャレンジあるのみ。
ということであとは明日、明後日(ちょいと)練習して日曜日の現地でのリハーサルしてなんとかなるといいなあ。それなりに弾けるといいな、くらいに思っておきます。
そういえば本番で着る服も用意しとかないと。オケもソロも本番はずっと寒めの日が多かったのですが日曜日は右肩上がりの28度だそうで。そこもちょっと楽しみです。
今日の一曲は・・・例の2曲+1曲が比較的最近紹介しててあんまり新しく言うことがなかったので他の曲に、と思ったら他の曲のことをそんなに考えてなかったのでお休み。
書こう書こうとは思ってなかったのですが今週の日曜日、去年と同じSt. Mark's Spotswoodという教会(シティの西向こう側)で10分ほど弾いてあと伴奏も一つしてきます。
大学時代の知り合いのつてで、自分にとっては知らない人ばかりの聴衆だったのですがものすごく暖かく迎えられて今回も弾くことに。シューベルトの「水の上で歌う」(リスト編曲)とメシアンの前奏曲第8番「風の反映」を演奏予定です。
3日前となるとさすがに緊張感は追いついてきましたがなんか「未知の領域」的な感じがぬぐえない。弾き始めてから緊張がくるのは分かってるのですがそれがどうくるかどういう影響があるかどんなくらい緊張するのか全然分からない。たまにしか人前で弾かないと感覚が鈍くなるんだよなー。
前回(まなざし15番)は楽譜ありで弾いたのですが今回は2曲とも暗譜です。そのこと自体に関してはそんなに心配はしてない・・・かなあ。どっちの曲も繰り返すパッセージがちょろっとあるので迷子にならなければなんとか。
そして人前で弾くにもやっぱりメシアンが一番安定しますね。「これは自分の強み!」という暗示に近いものもありますがやっぱりメシアンの音楽が一番自分に馴染むし力になってくれる。今回のシューベルトだって自分にかなり合う(&演奏可レパートリーに加えたい)曲だと思うんですが格がどうしても違うみたいで。
「風の反映」はメシアンにはちょっと珍しく曲調がParty pieceといって良いほどかっこいい&盛り上がる曲なので聴衆ウケ狙ってます。メシアンを好きな人がまた増えますように。
さらに日曜日に弾きはしないのですがその2曲と同等に扱ってきたラヴェルの夜のガスパール「絞首台」も演奏の2曲と同じタイミングで終わりにするつもりでいます。これも自分に合う良い曲だった。多分今でも間違って読んでる音あると思うのですが(汗)それはまた次回出会ったときに。色々良い意味で「気持ち悪い」曲(特にラヴェルとしては珍しい)ですごく好きだったのでその気持ち悪さが何より恋しいです。なんか他に気持ち悪いとこある曲あるかなあ。
ちょっと早めではあるのですが演奏後のレパートリーも結構考え始めています。
夏が来てるのもあったり復習したい曲も色々あるので心持ち的に新しい曲はがっつり一新したい。
まず決まってるのは鳥カタの新しいやつ。一応候補はあります。もちろんあの27分の長いやつ以外ですが、それでも難しいのが残ってます。
あとは全く新しいor自分には珍しい作曲家を選んでみようかと。前者は手持ちにある楽譜だとグラナドスとか(他は探してこないと?)、後者だとスカルラッティとかハイドンとか。Darknesse Visibleから繋がってバロック以前でなんかさがすのもいいかも?あとリストの編曲で他に面白い物があるかな(ほんと色々編曲してるもんなああの人)。
あとはちょっと規模大きめとしてはラヴェルの「鏡」(5曲だっけ)をさらい直したり、あとシューベルトのハ短調ソナタに挑んでみるつもりでいます。あのソナタは前「これものすごい勢いで色んな調使ってるじゃん」という発見があってから一度ちゃんとこの手で触れて向き合ってみようと思ってたので。規模も難易度もちょっと自分に釣り合ってないとは思いますがとりあえずチャレンジあるのみ。
ということであとは明日、明後日(ちょいと)練習して日曜日の現地でのリハーサルしてなんとかなるといいなあ。それなりに弾けるといいな、くらいに思っておきます。
そういえば本番で着る服も用意しとかないと。オケもソロも本番はずっと寒めの日が多かったのですが日曜日は右肩上がりの28度だそうで。そこもちょっと楽しみです。
今日の一曲は・・・例の2曲+1曲が比較的最近紹介しててあんまり新しく言うことがなかったので他の曲に、と思ったら他の曲のことをそんなに考えてなかったのでお休み。
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前回のエントリーに拍手どうもです~
今はあれほどではないものの未だに調子の悪さは続いています。
休むことができないスケジュールは果たして吉になってるのか凶になってるのか。
そんななかで昨日は一日休みの日でした。暑い日は外に出ないとですよ。
友人と海の近く(久々のSt. Kilda!)でランチしてから新しい万年筆・文具関連の店とかなんか大幅に品数が増えてるダイソーとかでちょっと買い物を済ませたり。
そこから夕方は久しぶりのコンサートに行って来ました。例のPlexusです。
Plexus: Prophecy
Stefan Cassomenos(ピアノ)、Monica Curro(バイオリン)、Philip Arkinstall(クラリネット)
Christian O'Brien「Newid Gwyntoedd」
Christine McCombe「finding what's there」
Bright Sheng「Tibetan Dance」
(休憩)
Brenton Broadstock「This Everlasting Silence」
リヒャルト・シュトラウス「四つの最後の歌」(ソプラノ:Deborah Cheetham、チェロ:Michelle Wood、コントラバス:Damien Eckersley)
例によってバラエティに富んで複数世界初演ありの1時間ちょいでしたがシュトラウスが最後に来るとその前にどんな素晴らしい現代作品が来てもふっとんでしまう的なところがあるんですよねもう!ある程度そこは意識して注意して聞いてたんですが、それでも不可避だったようで(そして私だけじゃないようで)。
3曲目のチベットの踊り(not初演)は第3楽章が実際のチベットの踊りをベースに書かれてるらしく(なんでも作曲家のShengさんが若いとき住んでたとか)、そちらの方面の音楽に出会うのが面白かったです。三国志関連から「中国の文化とは」みたいなことを考えることがよくあるのですがなんとなく自分の中の「中国周りの文化」の絵にピースが1つ増えた気がします。この場合キーはリズムですね。
そしてBroadstockの作品は今回初演だったのですが、最近亡くなった元弟子の作曲家(前私も追悼行った人です)と息子さんに向けて書かれた哀歌だったそうで。Broadstockさん演奏終わりに泣いてました。それだけ渾身というか、逆に言えばその喪失がどれだけ作曲に重く影響を与えたか。そして改めてクラシック音楽が今の形になってから楽器ソロでも歌曲でもオケでもなく「室内楽」というジャンルが作曲家のパーソナルな側面と表現において重要な役割をずっと担っているなんだなということを実感。
ところでシュトラウスですが前のマーラー「亡き子を偲ぶ歌」と同じくオケ歌曲をピアノ友人が編曲してソプラノ・ピアノ・バイオリン・クラリネット・チェロ・コントラバスの編成でした。(風の便りに作曲とかも忙しそうなことを聞くけど編曲までやって大変だよなー)
室内楽ならではのこぢんまりした感じがあってよかったと思うのですが弾く方はかなり「密」かつ「多」だったようで。そりゃあシュトラウスのオケ曲の編曲だもんなあ。色んな意味で「マーラーの大地の歌も聴きたい」なんて口が裂けても言えませんわ。
もうお気づきかもしれませんがPlexusのMelbourne Recital CentreでのコンサートはPで始まる題が付いてるのですが、来年は(すでに来年のスケジュールが決まってるらしいです)6月と12月に2階あるコンサートのタイトルがそれぞれParallel(平行)とPerpendicular(垂直)でちょっとくすっと笑いました。でも2回しかないということをちょいと心配せにゃならぬところですよここは(今年は3回あったはず)。
来年は女性作曲家の割合もちょっと増えてるみたいでそこ含めてどんな音楽に会えるか楽しみです。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「四つの最後の歌」より「夕映えの中で」
以前も書いたと思いますが私はクラシック音楽ではほぼどんな作曲家も「晩年の作品フェチ」みたいなところがありまして、それは意識しなくても晩年の音楽を好いてしまうということもあれば晩年の音楽を追い求めてしまうところもあり。
ただシュトラウスの晩年の曲ってなにかすごく特別なものがある気がします。昨日のコンサート終わりで「シュトラウスみたいに変調できる作曲家は他にいない!」って感嘆してた人がいました晩年のその成熟した色彩扱いは見事というしかない。
4つの歌全部が「死」を扱う歌詞なのですが、色んな作曲家が晩年において死をどう見てるかってのはじっくり触れて比べてみると面白いです。マーラーだったりショスタコだったりシューベルトだったり、みんな何かこうたどり着いているところがあって。
特にシュトラウスは戦後のメタモルフォーゼンの存在を考えると面白い。なんか今回このlast of lastである「夕映えの中で」を聞いて「国破れて山河あり」という言葉が頭をよぎりました。諸々あったけどこの曲のオケ(器楽)部分にこれまでの作品より何より山と自然に見守られているのを感じます。山に戻ってきて、ここにたどり着いて本当によかったなあという思いでいっぱいになる音楽ですね。
さて不勉強につきここらへんの歌曲って誰の演奏がいいのかちょっとわからなくてAmazonでリンクする録音を探してみたんですけどシュワルツコップさんの演奏が多いながら録音が古いのがちょっと自分には聞きにくいので新しめの録音にしてみました。
またオケ版も聞ける機会が来るといいなー
今はあれほどではないものの未だに調子の悪さは続いています。
休むことができないスケジュールは果たして吉になってるのか凶になってるのか。
そんななかで昨日は一日休みの日でした。暑い日は外に出ないとですよ。
友人と海の近く(久々のSt. Kilda!)でランチしてから新しい万年筆・文具関連の店とかなんか大幅に品数が増えてるダイソーとかでちょっと買い物を済ませたり。
そこから夕方は久しぶりのコンサートに行って来ました。例のPlexusです。
Plexus: Prophecy
Stefan Cassomenos(ピアノ)、Monica Curro(バイオリン)、Philip Arkinstall(クラリネット)
Christian O'Brien「Newid Gwyntoedd」
Christine McCombe「finding what's there」
Bright Sheng「Tibetan Dance」
(休憩)
Brenton Broadstock「This Everlasting Silence」
リヒャルト・シュトラウス「四つの最後の歌」(ソプラノ:Deborah Cheetham、チェロ:Michelle Wood、コントラバス:Damien Eckersley)
例によってバラエティに富んで複数世界初演ありの1時間ちょいでしたがシュトラウスが最後に来るとその前にどんな素晴らしい現代作品が来てもふっとんでしまう的なところがあるんですよねもう!ある程度そこは意識して注意して聞いてたんですが、それでも不可避だったようで(そして私だけじゃないようで)。
3曲目のチベットの踊り(not初演)は第3楽章が実際のチベットの踊りをベースに書かれてるらしく(なんでも作曲家のShengさんが若いとき住んでたとか)、そちらの方面の音楽に出会うのが面白かったです。三国志関連から「中国の文化とは」みたいなことを考えることがよくあるのですがなんとなく自分の中の「中国周りの文化」の絵にピースが1つ増えた気がします。この場合キーはリズムですね。
そしてBroadstockの作品は今回初演だったのですが、最近亡くなった元弟子の作曲家(前私も追悼行った人です)と息子さんに向けて書かれた哀歌だったそうで。Broadstockさん演奏終わりに泣いてました。それだけ渾身というか、逆に言えばその喪失がどれだけ作曲に重く影響を与えたか。そして改めてクラシック音楽が今の形になってから楽器ソロでも歌曲でもオケでもなく「室内楽」というジャンルが作曲家のパーソナルな側面と表現において重要な役割をずっと担っているなんだなということを実感。
ところでシュトラウスですが前のマーラー「亡き子を偲ぶ歌」と同じくオケ歌曲をピアノ友人が編曲してソプラノ・ピアノ・バイオリン・クラリネット・チェロ・コントラバスの編成でした。(風の便りに作曲とかも忙しそうなことを聞くけど編曲までやって大変だよなー)
室内楽ならではのこぢんまりした感じがあってよかったと思うのですが弾く方はかなり「密」かつ「多」だったようで。そりゃあシュトラウスのオケ曲の編曲だもんなあ。色んな意味で「マーラーの大地の歌も聴きたい」なんて口が裂けても言えませんわ。
もうお気づきかもしれませんがPlexusのMelbourne Recital CentreでのコンサートはPで始まる題が付いてるのですが、来年は(すでに来年のスケジュールが決まってるらしいです)6月と12月に2階あるコンサートのタイトルがそれぞれParallel(平行)とPerpendicular(垂直)でちょっとくすっと笑いました。でも2回しかないということをちょいと心配せにゃならぬところですよここは(今年は3回あったはず)。
来年は女性作曲家の割合もちょっと増えてるみたいでそこ含めてどんな音楽に会えるか楽しみです。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「四つの最後の歌」より「夕映えの中で」
以前も書いたと思いますが私はクラシック音楽ではほぼどんな作曲家も「晩年の作品フェチ」みたいなところがありまして、それは意識しなくても晩年の音楽を好いてしまうということもあれば晩年の音楽を追い求めてしまうところもあり。
ただシュトラウスの晩年の曲ってなにかすごく特別なものがある気がします。昨日のコンサート終わりで「シュトラウスみたいに変調できる作曲家は他にいない!」って感嘆してた人がいました晩年のその成熟した色彩扱いは見事というしかない。
4つの歌全部が「死」を扱う歌詞なのですが、色んな作曲家が晩年において死をどう見てるかってのはじっくり触れて比べてみると面白いです。マーラーだったりショスタコだったりシューベルトだったり、みんな何かこうたどり着いているところがあって。
特にシュトラウスは戦後のメタモルフォーゼンの存在を考えると面白い。なんか今回このlast of lastである「夕映えの中で」を聞いて「国破れて山河あり」という言葉が頭をよぎりました。諸々あったけどこの曲のオケ(器楽)部分にこれまでの作品より何より山と自然に見守られているのを感じます。山に戻ってきて、ここにたどり着いて本当によかったなあという思いでいっぱいになる音楽ですね。
さて不勉強につきここらへんの歌曲って誰の演奏がいいのかちょっとわからなくてAmazonでリンクする録音を探してみたんですけどシュワルツコップさんの演奏が多いながら録音が古いのがちょっと自分には聞きにくいので新しめの録音にしてみました。
またオケ版も聞ける機会が来るといいなー
前回「地味に効いてる」とか書きましたが今シーズンも春の軽躁がひどいです。
なんでしょうね、鬱はまずその辛さを忘れたり低く見積もったりするようなことはなかったのですが、軽躁はここ数年「こんなにしんどいとは思ってなかった」みたいな印象が続いてます。
これは純粋に記憶の問題というのもあるのですが、それだけでなく軽躁の体験を言語化するとどうしてもそのつらさが伝わらないような気がします。
自分にさえ伝わりにくいんだから他人に軽躁がどういうものか伝えるのって相当大変なんだろうな、と。結構それで苦しんでる人いるんじゃないかな。
2017年の流さんの軽躁は相も変わらずdysphoric hypomania(=ハッピーにならない軽躁)で、焦燥というよりは何か常に落ち着かない+しばしば痒い→ちょっとしたストレスでがーっと焦燥・不安が爆発するのが特徴的。とにかく何もしないでいることができないので仕事が来なかったりすると(今来てない)うろうろしたりなんだり。
あと朝起きた瞬間から軽躁、という状態も今年から出てきました。一番しんどいのは夜ですがそれが引きずられてるのかなんなのか。
ほんと「行動」が今回キーですね。軽躁状態でどうなるかというと書き物したり万年筆で漢詩とか和歌とかがりがり書き写したりがーっとネットで調べ物したり庭仕事したり今日はクッキー焼いたり。
これ字面で見ると生活充実してて色々楽しんでるように見えますがほんとしんどいです。クッキー焼いたってひとつも楽しくない。というのも気持ちが全く入らなくてとにかく表面上動いとかないと気が済まないみたいなことで。一人暮らしだからいいものの同居人が居たら調子良いように誤解されるだろうな、とか思ったり。
あと言葉の難が今年ちょっと目立ってます。言語化のプロセスを思考をつかまえて言葉にするという風に描写するなら軽躁状態だと思考がものすごいスピードでするりと抜けていくか、はたまた一度に大量の思考がやってきて渋滞するかのどっちかで思考が言葉にならないでストップする状態。頭の中に思考が流れてるのが見えてるから余計にもどかしい。
あと言語化できたとしてもそれを頭が同時に推敲してくれないというか、自分で話してて自分の行ってることが正しいことか自分が思ってることとあってるか確認できない、ということに気づきました。そこから逆に思考を言語化するプロセスってそういう過程も含んでるんだなーと。興味深いけど興味をちゃんともてないのが悔しい。
鬱状態で好きとか興味とかが変わるのはよく知られてますが躁もまたそこら辺に影響があるようで。さっき「興味をちゃんともてない」と書きましたが「ちゃんと」ってとこがミソなんですよね。つるーっと気持ちが滑っていってしまうというか、漢詩を読むにしても内容はとりあえず頭の中に入ってきてもそれに対する気持ちの反応とか好き嫌いとかそこまで到達してくれなくて。
ここまで書いてさっきの「クッキー焼いてもひとつも楽しくない」の部分と若干かぶってることに気づいたのですがまあいいや。
こんな状態だと前回のドクターとのアポで薬減量するとかいう話が出たのも現実的には思えないなあ・・・と思ったり。ちょうど軽躁の季節がアポの間の期間だしアポとるにも特にできることはないだろうし・・・でもしんどいんだよなあ、ということは自分でもっと分かっておきたいしそのしんどさをもうちょっと伝わるようにしなきゃ、というのもあるし。
考えは動かせば動かすほどカオスになるらしく既に自分が書いてることもよくわからなくなりかけてるので今回はここで。次はもうちょっと楽しいエントリーが書きたいです。
今日の一曲: Queen 「Bohemian Rhapsody」
まあそういう状態で暮らしてるわけですが一日一筆は11月から復帰してます。毎日手書きできることがあってそのための調べ物も(あまり根詰めなければ)できるのはある程度助かってます。
まあ負担にならない程度に、ですね。
それで今日のお題が「Escape」だったので選んだのがこの歌の冒頭。もう書いてあるの見るだけでも&書くだけでもメロディーが頭の中でついてしまう、普通に読めない言葉の連なり。Queenの歌ってこれに限らず(でもこれが一番かな)知名度だけでなく言葉と音楽それぞれの&組み合わせたときのインパクトがすごくてそうなっちゃうイメージがあります。
あとQueenの歌って色々人をつなぐような体験が多々あり。大学時代夏に海に泊まりで遊びに行って夜の砂浜を歩きながらだれかがBohemian Rhapsodyを歌い始めたらみんなで最後までうたっちゃったり、日本で最初にお仕事にご挨拶いったとき当時お世話になってたコーディネーターさんとQueenの歌のことで話が盛り上がったり、今日の一日一筆でもこれを書いたら別の人が別の歌をコメントで(手書きではないですが)返してきたり。みんな好きだよねー盛り上がるよねーと嬉しくなります。
リンクしたのは手持ちのGreatest Hitsですが、私が個人的に思い入れが深いのはMnozil Brassのバージョン。録音にはなってないかなあ。DVDでもないかなあ。Mnozilの歌唱力・合唱力・演奏のすごさだけでなく振り付けが色々面白かったり大笑いしながらしんみりするとこはちゃんとしんみりして、また生で体験したい演奏です。
なんでしょうね、鬱はまずその辛さを忘れたり低く見積もったりするようなことはなかったのですが、軽躁はここ数年「こんなにしんどいとは思ってなかった」みたいな印象が続いてます。
これは純粋に記憶の問題というのもあるのですが、それだけでなく軽躁の体験を言語化するとどうしてもそのつらさが伝わらないような気がします。
自分にさえ伝わりにくいんだから他人に軽躁がどういうものか伝えるのって相当大変なんだろうな、と。結構それで苦しんでる人いるんじゃないかな。
2017年の流さんの軽躁は相も変わらずdysphoric hypomania(=ハッピーにならない軽躁)で、焦燥というよりは何か常に落ち着かない+しばしば痒い→ちょっとしたストレスでがーっと焦燥・不安が爆発するのが特徴的。とにかく何もしないでいることができないので仕事が来なかったりすると(今来てない)うろうろしたりなんだり。
あと朝起きた瞬間から軽躁、という状態も今年から出てきました。一番しんどいのは夜ですがそれが引きずられてるのかなんなのか。
ほんと「行動」が今回キーですね。軽躁状態でどうなるかというと書き物したり万年筆で漢詩とか和歌とかがりがり書き写したりがーっとネットで調べ物したり庭仕事したり今日はクッキー焼いたり。
これ字面で見ると生活充実してて色々楽しんでるように見えますがほんとしんどいです。クッキー焼いたってひとつも楽しくない。というのも気持ちが全く入らなくてとにかく表面上動いとかないと気が済まないみたいなことで。一人暮らしだからいいものの同居人が居たら調子良いように誤解されるだろうな、とか思ったり。
あと言葉の難が今年ちょっと目立ってます。言語化のプロセスを思考をつかまえて言葉にするという風に描写するなら軽躁状態だと思考がものすごいスピードでするりと抜けていくか、はたまた一度に大量の思考がやってきて渋滞するかのどっちかで思考が言葉にならないでストップする状態。頭の中に思考が流れてるのが見えてるから余計にもどかしい。
あと言語化できたとしてもそれを頭が同時に推敲してくれないというか、自分で話してて自分の行ってることが正しいことか自分が思ってることとあってるか確認できない、ということに気づきました。そこから逆に思考を言語化するプロセスってそういう過程も含んでるんだなーと。興味深いけど興味をちゃんともてないのが悔しい。
鬱状態で好きとか興味とかが変わるのはよく知られてますが躁もまたそこら辺に影響があるようで。さっき「興味をちゃんともてない」と書きましたが「ちゃんと」ってとこがミソなんですよね。つるーっと気持ちが滑っていってしまうというか、漢詩を読むにしても内容はとりあえず頭の中に入ってきてもそれに対する気持ちの反応とか好き嫌いとかそこまで到達してくれなくて。
ここまで書いてさっきの「クッキー焼いてもひとつも楽しくない」の部分と若干かぶってることに気づいたのですがまあいいや。
こんな状態だと前回のドクターとのアポで薬減量するとかいう話が出たのも現実的には思えないなあ・・・と思ったり。ちょうど軽躁の季節がアポの間の期間だしアポとるにも特にできることはないだろうし・・・でもしんどいんだよなあ、ということは自分でもっと分かっておきたいしそのしんどさをもうちょっと伝わるようにしなきゃ、というのもあるし。
考えは動かせば動かすほどカオスになるらしく既に自分が書いてることもよくわからなくなりかけてるので今回はここで。次はもうちょっと楽しいエントリーが書きたいです。
今日の一曲: Queen 「Bohemian Rhapsody」
まあそういう状態で暮らしてるわけですが一日一筆は11月から復帰してます。毎日手書きできることがあってそのための調べ物も(あまり根詰めなければ)できるのはある程度助かってます。
まあ負担にならない程度に、ですね。
それで今日のお題が「Escape」だったので選んだのがこの歌の冒頭。もう書いてあるの見るだけでも&書くだけでもメロディーが頭の中でついてしまう、普通に読めない言葉の連なり。Queenの歌ってこれに限らず(でもこれが一番かな)知名度だけでなく言葉と音楽それぞれの&組み合わせたときのインパクトがすごくてそうなっちゃうイメージがあります。
あとQueenの歌って色々人をつなぐような体験が多々あり。大学時代夏に海に泊まりで遊びに行って夜の砂浜を歩きながらだれかがBohemian Rhapsodyを歌い始めたらみんなで最後までうたっちゃったり、日本で最初にお仕事にご挨拶いったとき当時お世話になってたコーディネーターさんとQueenの歌のことで話が盛り上がったり、今日の一日一筆でもこれを書いたら別の人が別の歌をコメントで(手書きではないですが)返してきたり。みんな好きだよねー盛り上がるよねーと嬉しくなります。
リンクしたのは手持ちのGreatest Hitsですが、私が個人的に思い入れが深いのはMnozil Brassのバージョン。録音にはなってないかなあ。DVDでもないかなあ。Mnozilの歌唱力・合唱力・演奏のすごさだけでなく振り付けが色々面白かったり大笑いしながらしんみりするとこはちゃんとしんみりして、また生で体験したい演奏です。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
日本に行ってる間はすっかり忘れてましたがクラウドファンディングやら注文したやらで色々待っているものがあるのを最近ちょっと整理しました。
ブツを待つだけのものもあり、まだ住所も聞かれてないものもあり、基本ゆっくり待ちの姿勢ですが忘れないようにしなければ。
今はいいですがあんまり遅れると12月はクリスマスで郵便他カオスになるのでできるだけそれまでに届いて欲しいところ。
郵送でゆっくり待ちもいいですが今月17日発売のポケモン新作・ウルトラムーンは店頭ピックアップにしました。過去に郵送側の諸々で家に届くのが遅れたりしたのと、あと引っ越してからバス一本でさっと拾いに行けるようになったので。
ただその週末はピアノ弾きの本番があるのでどのみちプレイ開始はそれが終わってからになりそう。ネタバレも注意しとかなきゃ。
今回・・・どうしましょうねえ。やっぱりモクローがダントツで可愛いし好きなのですが前作となるべく違う手持ちメンバーで行きたい・・・序盤の出現ポケモンがどれだけ(前世代以前のポケモンとか)違ってくるかですね。毎回そうですが最終的に納得いくチームにしたいです。
あとこれも前書いたと思いますがXYでやった12匹ストーリー中育成とかなるべく繰り返さないように。とはいえ最近どどどっと入ってきた情報で他の地方のボス's勢揃いとかおそらくストーリー攻略後の諸々もあるみたいなのでちょっと手広くカバーしておきたい気持ち。さてどうなるかな。
そして同じくどどどっと入ってきた量も内容も動揺するような情報の中にレンタルポケモンでのバトル施設についての情報も。厳選して努力値も振ってじっくりポケモンを育成するのも好きなのですがレンタルポケモンを使うのも完全に別腹として楽しいです。また頭の使い方が別だし時の運みたいな要素もあってわくわくします。
(サン・ムーンでもバトルツリーとかで他人のチームをQRコードを介してレンタルできる機能もあったみたいですが全然使ってなかった。バトルツリーもそのうち復帰できるかしらん)
ポケモンはもう発売まで2週間ということで情報が大量に流れてくるのですが真・三國無双8は2月に発売が決まって通常運転なペースで情報が公開されてます。
こちらは大きく分けると「新武将」「既出武将の8での姿」「平服姿」「システム」と情報に種類があってちょこちょこテンションがあがる感じです。
システムについてはここしばらくオープンワールド関係というかアクション以外の部分でのゲームの充実についての情報が多いので個人的に地味にすごくわくわくしてることが多かったり。平服もそうですが交流要素だとか最近発表された隠れ家のロケーション(景色)とか中国の地理が反映されてたりとかただただ探索できるポテンシャルとか。無双でほのぼのできる日が来るとはちょっと思ってなかったので最終的にどうなるか楽しみです。
待つのもいいですが&お金があんまり使えないですが&物が来るのは分かってるのですが外に行って色々見て回りたいなあ。家で作りたいごはんもあるけど外食もしたい。そこ含めてChange of scenery大事。
最近やっぱりちょっと軽躁が地味に聞いてるのであんまり無理はしたくないですし刺激もなるべく避けたいですが。それでももちょっと動いて好きな物を追っかけたいです。
あ、あとピアノ弾いてくるやつのお知らせもそのうちしなきゃですね。自分でもちょっと緊張感が足りてないかもなのでそういう意味も含めて。
今日の一曲: フェデリコ・モンポウ 歌と踊り第6番
最近だいたい一日に一つくらいのペースでカタルーニャの独立を巡る色々からニュースが入ってきてそれについて友人とちょっとディスカッションしたりなんだりして。
思えば好きなスペインの芸術家はちょこちょこカタルーニャの出身なんですよね。ダリとかガウディとか偉大なるカザルスとか。そして一番身近なのが(弾いてますから)このモンポウ。
スペインってひとくくりでステレオタイプな感じに描写されますが実は日本の県民性と同じく地方色があって、特に独立心が強いカタルーニャはその民族性を強く維持してる感じで。
上記の芸術家だとダリはダリ、ガウディはガウディで個人の芸術スタイルが強烈だからちょっとぴんとこないかもしれませんがカザルスはカタルーニャ民謡「鳥の歌」を演奏したりしてますし、あとなによりモンポウの音楽はその典型的な「スペイン音楽」とは違うってことがはっきり分かるんじゃないかと思います。
(ただクラシック音楽においてスペイン題材の楽曲はそもそもフランスなど他の国の作曲家が書いているものも多かったり)
モンポウの歌と踊りはどれも民族音楽のフレーバーがある程度あって、スペインっぽいけどスペインじゃない雰囲気があるのが面白いと思います。弾くにもそんなに難しくなくて魅力的な曲がたくさんなのでもっと気軽に弾いて触れてみる人が増えると良いのになあ。さらっとした曲調だからか聞くよりも実際に手で触れて動かした方が身にしみやすいと思うのです。
私がお気に入りなのは5番と6番、次点で7番と9番。6番のあのスペイン音楽やアルゼンチン音楽にも共通するような暗さがたまらない。その暗さが歌の部分の美しさ、そして踊りの部分の情熱にどっちも転ぶのがいいんですよ。あと踊りの部分のリズムとか和音の土臭さも素敵。最初に聞いたときから一聴き惚れの5番6番でしたが今も変わらず好きでいれる素直な魅力がある曲です。
リンクしたのはスペインといえば、そしてこの曲といえばで(手持ちと同じの)ラローチャの演奏を。スペイン音楽てんこもりなCDです。ラローチャは手が小さいそうなのでちょっと参考にしたりもします(レパートリーとか)。
あとモンポウはこの歌と踊りに限らず「小品の王様」といえるほどたくさんシンプルで短い局を残してるので色々気軽に聴いてみてくださいな~
日本に行ってる間はすっかり忘れてましたがクラウドファンディングやら注文したやらで色々待っているものがあるのを最近ちょっと整理しました。
ブツを待つだけのものもあり、まだ住所も聞かれてないものもあり、基本ゆっくり待ちの姿勢ですが忘れないようにしなければ。
今はいいですがあんまり遅れると12月はクリスマスで郵便他カオスになるのでできるだけそれまでに届いて欲しいところ。
郵送でゆっくり待ちもいいですが今月17日発売のポケモン新作・ウルトラムーンは店頭ピックアップにしました。過去に郵送側の諸々で家に届くのが遅れたりしたのと、あと引っ越してからバス一本でさっと拾いに行けるようになったので。
ただその週末はピアノ弾きの本番があるのでどのみちプレイ開始はそれが終わってからになりそう。ネタバレも注意しとかなきゃ。
今回・・・どうしましょうねえ。やっぱりモクローがダントツで可愛いし好きなのですが前作となるべく違う手持ちメンバーで行きたい・・・序盤の出現ポケモンがどれだけ(前世代以前のポケモンとか)違ってくるかですね。毎回そうですが最終的に納得いくチームにしたいです。
あとこれも前書いたと思いますがXYでやった12匹ストーリー中育成とかなるべく繰り返さないように。とはいえ最近どどどっと入ってきた情報で他の地方のボス's勢揃いとかおそらくストーリー攻略後の諸々もあるみたいなのでちょっと手広くカバーしておきたい気持ち。さてどうなるかな。
そして同じくどどどっと入ってきた量も内容も動揺するような情報の中にレンタルポケモンでのバトル施設についての情報も。厳選して努力値も振ってじっくりポケモンを育成するのも好きなのですがレンタルポケモンを使うのも完全に別腹として楽しいです。また頭の使い方が別だし時の運みたいな要素もあってわくわくします。
(サン・ムーンでもバトルツリーとかで他人のチームをQRコードを介してレンタルできる機能もあったみたいですが全然使ってなかった。バトルツリーもそのうち復帰できるかしらん)
ポケモンはもう発売まで2週間ということで情報が大量に流れてくるのですが真・三國無双8は2月に発売が決まって通常運転なペースで情報が公開されてます。
こちらは大きく分けると「新武将」「既出武将の8での姿」「平服姿」「システム」と情報に種類があってちょこちょこテンションがあがる感じです。
システムについてはここしばらくオープンワールド関係というかアクション以外の部分でのゲームの充実についての情報が多いので個人的に地味にすごくわくわくしてることが多かったり。平服もそうですが交流要素だとか最近発表された隠れ家のロケーション(景色)とか中国の地理が反映されてたりとかただただ探索できるポテンシャルとか。無双でほのぼのできる日が来るとはちょっと思ってなかったので最終的にどうなるか楽しみです。
待つのもいいですが&お金があんまり使えないですが&物が来るのは分かってるのですが外に行って色々見て回りたいなあ。家で作りたいごはんもあるけど外食もしたい。そこ含めてChange of scenery大事。
最近やっぱりちょっと軽躁が地味に聞いてるのであんまり無理はしたくないですし刺激もなるべく避けたいですが。それでももちょっと動いて好きな物を追っかけたいです。
あ、あとピアノ弾いてくるやつのお知らせもそのうちしなきゃですね。自分でもちょっと緊張感が足りてないかもなのでそういう意味も含めて。
今日の一曲: フェデリコ・モンポウ 歌と踊り第6番
最近だいたい一日に一つくらいのペースでカタルーニャの独立を巡る色々からニュースが入ってきてそれについて友人とちょっとディスカッションしたりなんだりして。
思えば好きなスペインの芸術家はちょこちょこカタルーニャの出身なんですよね。ダリとかガウディとか偉大なるカザルスとか。そして一番身近なのが(弾いてますから)このモンポウ。
スペインってひとくくりでステレオタイプな感じに描写されますが実は日本の県民性と同じく地方色があって、特に独立心が強いカタルーニャはその民族性を強く維持してる感じで。
上記の芸術家だとダリはダリ、ガウディはガウディで個人の芸術スタイルが強烈だからちょっとぴんとこないかもしれませんがカザルスはカタルーニャ民謡「鳥の歌」を演奏したりしてますし、あとなによりモンポウの音楽はその典型的な「スペイン音楽」とは違うってことがはっきり分かるんじゃないかと思います。
(ただクラシック音楽においてスペイン題材の楽曲はそもそもフランスなど他の国の作曲家が書いているものも多かったり)
モンポウの歌と踊りはどれも民族音楽のフレーバーがある程度あって、スペインっぽいけどスペインじゃない雰囲気があるのが面白いと思います。弾くにもそんなに難しくなくて魅力的な曲がたくさんなのでもっと気軽に弾いて触れてみる人が増えると良いのになあ。さらっとした曲調だからか聞くよりも実際に手で触れて動かした方が身にしみやすいと思うのです。
私がお気に入りなのは5番と6番、次点で7番と9番。6番のあのスペイン音楽やアルゼンチン音楽にも共通するような暗さがたまらない。その暗さが歌の部分の美しさ、そして踊りの部分の情熱にどっちも転ぶのがいいんですよ。あと踊りの部分のリズムとか和音の土臭さも素敵。最初に聞いたときから一聴き惚れの5番6番でしたが今も変わらず好きでいれる素直な魅力がある曲です。
リンクしたのはスペインといえば、そしてこの曲といえばで(手持ちと同じの)ラローチャの演奏を。スペイン音楽てんこもりなCDです。ラローチャは手が小さいそうなのでちょっと参考にしたりもします(レパートリーとか)。
あとモンポウはこの歌と踊りに限らず「小品の王様」といえるほどたくさんシンプルで短い局を残してるので色々気軽に聴いてみてくださいな~
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
タイトルではああ書きましたが今日は夕飯作るにあたってご飯を炊くのを忘れてしまいました。
(戻ってきてから初の米炊きでした)
ただ他はいたって日常通常運転です。バレエも再開しましたしちょこちょこっと外に出たり(身の回り&シティ)もしましたし。
ということでこの写真からも・・・
蒼天のボトルとカクノを頼んだ友達に渡してきました。
ついでに新しく買った&サンプルでもらったインクもちょこちょこっとおすそわけ。彼女はColor-o-Ringというカードリングで手持ちのインクの色見本を作ってるので(Swatchしてる、といいます)お裾分けだけでなく「私の手持ちもswatchお願いしますー」的な意味合いもあり。少なくとも私にとっては便利なシステム。
一日一筆が10月の上旬から途切れてるのもあってちょっと書きたい欲が溜まってきてるけど何を手書きしたいかわからないでぐるぐるしている日々。新しく買った2本もまだまだ慣らせてないのでしっかりまとまった文章を探してくるのもいいかなあ。
漢詩とかもちょっとゆっくり読んで書き写したい。
左の写真がその新入り2本です。日本橋高島屋の一部界隈で有名なセーラー担当ntさんのとこで購入。緑の方はセーラーのプロギア限定モデル、カクテルシリーズのアプレスキー。右の写真で見るとおりアブサンの色にそっくり!(アプレスキーにもペルノーが入ってます)というのとRobert Osterの桜色インクのおうちを探してたので予約のお知らせが奇跡的なタイミングで来たときはかなり念を込めて予約しました。
・・・で、こういうちょっと特殊な軸を買うとどうしてももっと汎用的なのも欲しくなってしまって。それがもう一本のプロギアスリムです。持ったときの感じとしてはスリムのほうがしっかり持ってる感が強くてベストフィットはこれかな?という気がなんとなく。これから慣らしていくのが楽しみ。
ちなみに入れてみたインクは三光堂で新しく買った鶴舞ブルー。奇しくもラリアの桜と夫婦みたいな優しくて淡い色同士。これはペアで使わなくちゃいけなくなるじゃないか。
それで蒼天も小ボトル化・相対的にコストアップになったので(手持ちのボトルはまだ残ってますが)手帳のメインのペンは今年は別にしようかと思ってるんですがほんと悩みます。難易度でいうと比較的手に入りやすい色彩雫シリーズやモンブランはちょっと高かったり、Robert Osterのはっきりした色は(特にほぼ日だと)乾きの遅さ・こすれて色移りする可能性を考えると難しい。逆にセーラーは定番も限定もこちらだと入手しにくい。うーんどうしよう。
ちなみに来月11月にはMelbourne Planner Market(12日)、そしてMelbourne Pen Show(26日)とメルボルンでは文具系イベントが集中してたり、さらには元・オンラインショップNotemakerの実店舗Miligram(オンラインの方も改名)がMelbourne Centralにできるとか、開店がいつになるかは未発表ですが色々文具的(万年筆的)にオイシイ&てんやわんやな月間になるようです。
とはいえ散財するようなお金はないので見て回る&市場調査がメインになりそう。
ただおとなしくしてはいるもののちょこっと軽躁的、というかout-of-contextでout-of-normalな落ち着きのなさを自覚することも。天気がめまぐるしく変わる春、メンタルの調子的にも浮かれすぎないようにしたいですね。
今日の一曲: エドワード・エルガー チェロ協奏曲 第1楽章
楽器を小さい頃から習ってるとだいたい中学高校時代で音楽に対する自我みたいなものが芽生えてきて、自分の楽器のレパートリーでどこあたりが「神」で短期的には何をマスターしたいか、みたいなことが見えてくる・・・と思うんですよ。
例えばチェロだとこっちのAMEBのグレードで7,8くらいになると有名どころの曲が入ってきて、AMusとかLMusでコアでガチのレパートリーまで視野に入ってくる、みたいな傾向があり。高校生的にはエルガーの協奏曲が「本格的」な感じで、誰もが目指し通る道だったような印象です。私もむかしむかしは弾きました。似たようなポジションの曲ってバイオリンだとブルッフあたりじゃないかなあ。
そういう「高校くらいの時に目指してた」レパートリーって大学に入ると一旦ちょっと侮る段階があって、そこからまた再評価するようになったり。
ただ自分にとってエルガーはきっとチェロのレパートリーのなかでもA級にはならないだろうなあ、そもそもあんまり好みの曲じゃないし、あのお涙頂戴的な曲調がJacqueline du Preの映画とかと組み合わさっていろいろセンチメンタルな人気を(主にイギリス文化圏で)得ているんだろうなー・・・と普段思うのですが。
ただ実際この第1楽章を耳で聞いてみるとやっぱすごい曲だしすっごいチェロ味だしチェロのいいとこ出してるし、なんだかんだで好きだし偉大な曲だと思うに至るわけです。
あと自分は比較的エルガーに惹かれないとか言いますがそれでもイギリス音楽にものすごいsoft spotがあります。そういう文化背景といか教育のなかで育っちゃいましたから。
かっこいいよなあエルガー。涙しながらも力強いよなああのメロディー。たまらん。
リンクした録音はdu Preでなく現代の女性チェリストのスターSol Gabetta。
今ブログに検索かけてみましたが私はまだこの人の演奏を生では聴いてないみたいです。録音も持ってない。でもラジオとかオンデマンドとかの形式では聴いているはず。
昔と比べてだいぶ多くなったものの女性チェリストってまだまだ少ないイメージ、というか男性ばかりの世界に乗り込んできた的な風に映ることが多いですね。
そういうのもあるからか女性チェリストの演奏って一層格好良さがあるような気がします。先入観のバイアスかな?それは実際に聴いて確かめてみてください。
タイトルではああ書きましたが今日は夕飯作るにあたってご飯を炊くのを忘れてしまいました。
(戻ってきてから初の米炊きでした)
ただ他はいたって日常通常運転です。バレエも再開しましたしちょこちょこっと外に出たり(身の回り&シティ)もしましたし。
ということでこの写真からも・・・
蒼天のボトルとカクノを頼んだ友達に渡してきました。
ついでに新しく買った&サンプルでもらったインクもちょこちょこっとおすそわけ。彼女はColor-o-Ringというカードリングで手持ちのインクの色見本を作ってるので(Swatchしてる、といいます)お裾分けだけでなく「私の手持ちもswatchお願いしますー」的な意味合いもあり。少なくとも私にとっては便利なシステム。
一日一筆が10月の上旬から途切れてるのもあってちょっと書きたい欲が溜まってきてるけど何を手書きしたいかわからないでぐるぐるしている日々。新しく買った2本もまだまだ慣らせてないのでしっかりまとまった文章を探してくるのもいいかなあ。
漢詩とかもちょっとゆっくり読んで書き写したい。
左の写真がその新入り2本です。日本橋高島屋の一部界隈で有名なセーラー担当ntさんのとこで購入。緑の方はセーラーのプロギア限定モデル、カクテルシリーズのアプレスキー。右の写真で見るとおりアブサンの色にそっくり!(アプレスキーにもペルノーが入ってます)というのとRobert Osterの桜色インクのおうちを探してたので予約のお知らせが奇跡的なタイミングで来たときはかなり念を込めて予約しました。
・・・で、こういうちょっと特殊な軸を買うとどうしてももっと汎用的なのも欲しくなってしまって。それがもう一本のプロギアスリムです。持ったときの感じとしてはスリムのほうがしっかり持ってる感が強くてベストフィットはこれかな?という気がなんとなく。これから慣らしていくのが楽しみ。
ちなみに入れてみたインクは三光堂で新しく買った鶴舞ブルー。奇しくもラリアの桜と夫婦みたいな優しくて淡い色同士。これはペアで使わなくちゃいけなくなるじゃないか。
それで蒼天も小ボトル化・相対的にコストアップになったので(手持ちのボトルはまだ残ってますが)手帳のメインのペンは今年は別にしようかと思ってるんですがほんと悩みます。難易度でいうと比較的手に入りやすい色彩雫シリーズやモンブランはちょっと高かったり、Robert Osterのはっきりした色は(特にほぼ日だと)乾きの遅さ・こすれて色移りする可能性を考えると難しい。逆にセーラーは定番も限定もこちらだと入手しにくい。うーんどうしよう。
ちなみに来月11月にはMelbourne Planner Market(12日)、そしてMelbourne Pen Show(26日)とメルボルンでは文具系イベントが集中してたり、さらには元・オンラインショップNotemakerの実店舗Miligram(オンラインの方も改名)がMelbourne Centralにできるとか、開店がいつになるかは未発表ですが色々文具的(万年筆的)にオイシイ&てんやわんやな月間になるようです。
とはいえ散財するようなお金はないので見て回る&市場調査がメインになりそう。
ただおとなしくしてはいるもののちょこっと軽躁的、というかout-of-contextでout-of-normalな落ち着きのなさを自覚することも。天気がめまぐるしく変わる春、メンタルの調子的にも浮かれすぎないようにしたいですね。
今日の一曲: エドワード・エルガー チェロ協奏曲 第1楽章
楽器を小さい頃から習ってるとだいたい中学高校時代で音楽に対する自我みたいなものが芽生えてきて、自分の楽器のレパートリーでどこあたりが「神」で短期的には何をマスターしたいか、みたいなことが見えてくる・・・と思うんですよ。
例えばチェロだとこっちのAMEBのグレードで7,8くらいになると有名どころの曲が入ってきて、AMusとかLMusでコアでガチのレパートリーまで視野に入ってくる、みたいな傾向があり。高校生的にはエルガーの協奏曲が「本格的」な感じで、誰もが目指し通る道だったような印象です。私もむかしむかしは弾きました。似たようなポジションの曲ってバイオリンだとブルッフあたりじゃないかなあ。
そういう「高校くらいの時に目指してた」レパートリーって大学に入ると一旦ちょっと侮る段階があって、そこからまた再評価するようになったり。
ただ自分にとってエルガーはきっとチェロのレパートリーのなかでもA級にはならないだろうなあ、そもそもあんまり好みの曲じゃないし、あのお涙頂戴的な曲調がJacqueline du Preの映画とかと組み合わさっていろいろセンチメンタルな人気を(主にイギリス文化圏で)得ているんだろうなー・・・と普段思うのですが。
ただ実際この第1楽章を耳で聞いてみるとやっぱすごい曲だしすっごいチェロ味だしチェロのいいとこ出してるし、なんだかんだで好きだし偉大な曲だと思うに至るわけです。
あと自分は比較的エルガーに惹かれないとか言いますがそれでもイギリス音楽にものすごいsoft spotがあります。そういう文化背景といか教育のなかで育っちゃいましたから。
かっこいいよなあエルガー。涙しながらも力強いよなああのメロディー。たまらん。
リンクした録音はdu Preでなく現代の女性チェリストのスターSol Gabetta。
今ブログに検索かけてみましたが私はまだこの人の演奏を生では聴いてないみたいです。録音も持ってない。でもラジオとかオンデマンドとかの形式では聴いているはず。
昔と比べてだいぶ多くなったものの女性チェリストってまだまだ少ないイメージ、というか男性ばかりの世界に乗り込んできた的な風に映ることが多いですね。
そういうのもあるからか女性チェリストの演奏って一層格好良さがあるような気がします。先入観のバイアスかな?それは実際に聴いて確かめてみてください。