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雨が降ったり降らなかったり、風が吹いたり吹かなかったり、どの日に出かけても何かしらんの意味でハズレを引くような気がしないでもない中それなりに天気など気にかけて外に出たりしています。
そんななか今週の月曜日は結構天気が良くて外に出るのにちょうど良い日でした。
サッカーも練習始まったみたいだし散歩がてらシティに出てついでに美術館で見たかったものみにいくつもりだったのですが散歩部分にもいい天気でした。あと練習やってました(通り過ぎるだけにしましたが)。
今回見に行ったのはNGV Internationalの特別展「Terracotta Warriors & Cai Guo-Qiang」でした。
秦の始皇帝のお墓から出てきた兵馬俑など出土品の展示をメインに中国出身の芸術家、蔡國強の作品を交えて。今回も入るのには並びましたが中はそこそこゆったり見れました。
ちなみに日本で兵馬俑の展示があったときに大阪に見に行ったのは2、3年前くらいだったかな?
今回は博物館で美術展示、しかも現代作品との共同展示かー・・・うーんとは思ったものの行って見ればそういう趣旨もそれはそれで楽しいものですね。周辺時代のものの展示とかも色々ありましたし、日用品とか祭祀関連のものとか自分のツボに合うものいっぱい。
欲を言えば博物館展示だったらもっと時代背景とかがっつり説明とか読むのも楽しいかなと思ったのですが結構知ってるし知ってる上で英語でじっくり読むかといったら多分読まないので(笑)
兵馬俑自体の数は多くなかったのですが合わせ鏡による展示法で元の雰囲気を作り出したり、あとちゃんと色んな種類(文官とか武官とか跪いているのとか馬とか)が揃っててeducationalな展示でした。それ以外にも副葬品としての動物の像とかもあったり。軍事ものはそんなにはなかったかな。剣とかはありましたが。想像上の生物が描かれたものとかにも小躍りしました。
ちょっと先になるのですが一時帰国の時に九州で三国志展を見に行く予定で、時代はもちろん違うながら(春秋戦国時代から漢までが主だったはず)これはそっちにもつながるんじゃないかな、な展示品もちらほらあって改めて楽しみになりました。
蔡國強の作品では火薬で描いた絵が印象に残ってます。部屋一つ壁一面にぐるっと描かれた花の絵もよかった(贅沢に一人で楽しめたらもっとゆっくり見てたやつ!)ですが黄河北の山々を描いた作品は真・三國無双8で見たそのあたりの景色を思い出してすごい好きになりました。雰囲気が独特の山ってすごいよなあ、と改めて山が少ない国に住んでると思います。
そしてせっかく来たので無料で歩き回れる常設展も、とアジアコレクションをうろうろしてたら伊万里焼の展示やってたのでそれも見てきました。存在感というか形からしてなかなか見ないやつ、みたいなのもあれば一見普通の食器セットだけどよく見ると龍とか鳳凰が描いてあったり。
そしてそのまま歩き続けてたらベネチアングラスの展示もやってたんでそっちも見に行きました。ガラスはやっぱりいい。細工の見事さももちろんですが透き通ってるのを見ているだけで楽しい。
で、そこから出ようとして常設展の19世紀末あたりな感じのセクションとか宗教画一杯のセクションとかをさまようことに。迷いながらだとちゃんと見れないんですよね。各部屋しっかり見て次の部屋にって回りたいので自分がどこにいるか分からないとどうも調子が狂ってしまう。
そのうちまたゆっくり回れるといいなあ。
三国志展の方ですが今東京でやってる分のツイートを検索したりして事前対策メモとってます。
このために一時帰国前乗り(家族と比べて)するくらい奮起してますしなにより着いてほぼすぐ遠征となればすべて事前に手を打っておかないと。さてさてどうなりますか。楽しみです。
今日の一曲: ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ クラヴサン曲集第1巻より「Le Vertigo」
引き続きこないだ買ったアルバム続き。前回?(もっと前?)のBBC Promsで聴いて好きになった曲ですが今年ももうすぐpromsの季節ですよー。新しい出会いがあるといいなあ。
ロワイエの作品を好きになったときはこの曲集の最後の「スキタイ人の行進」を今日の一曲で紹介したと思うので今回はこちら「Le Vertigo」を。スローですが音の密度が濃く書かれて、ハープシコード独特のあのざかざかした音を存分に味わえる曲。
同じキーボードとはいえこういう曲を聴くと聴くとやっぱ違う楽器だなあと実感します。この曲の連続和音だったり「スキタイ人の行進」のものすごく速いパッセージは鍵が軽いからできることでピアノでやろうとしたら不可能かテンポを落とすしかなかったり。
あと特にこのLe Vertigoではハープシコードのメカニズムの音(キュッとか)が聞こえるのも結構ツボです。ピアノだとそういう音に相当する音は特殊奏法のときに聞こえるくらいなので。
弾いたらタッチにそういう中の動きも感じられるのかな、一度弾いてみたい。
リンクしたのは入手した録音、つまりBBC Promsで聴いたJean Rondeauの演奏。すごくクリーンでストレートな音がモダンっぽい感性です。もっと音が少なめの作品でもきらっと光る。でもやっぱりでも一番の聴きどころはスキタイ人じゃないかなー。こんなにハープシコードで盛り上がれるのは珍しいですし楽しいです。
サッカーも練習始まったみたいだし散歩がてらシティに出てついでに美術館で見たかったものみにいくつもりだったのですが散歩部分にもいい天気でした。あと練習やってました(通り過ぎるだけにしましたが)。
今回見に行ったのはNGV Internationalの特別展「Terracotta Warriors & Cai Guo-Qiang」でした。
秦の始皇帝のお墓から出てきた兵馬俑など出土品の展示をメインに中国出身の芸術家、蔡國強の作品を交えて。今回も入るのには並びましたが中はそこそこゆったり見れました。
ちなみに日本で兵馬俑の展示があったときに大阪に見に行ったのは2、3年前くらいだったかな?
今回は博物館で美術展示、しかも現代作品との共同展示かー・・・うーんとは思ったものの行って見ればそういう趣旨もそれはそれで楽しいものですね。周辺時代のものの展示とかも色々ありましたし、日用品とか祭祀関連のものとか自分のツボに合うものいっぱい。
欲を言えば博物館展示だったらもっと時代背景とかがっつり説明とか読むのも楽しいかなと思ったのですが結構知ってるし知ってる上で英語でじっくり読むかといったら多分読まないので(笑)
兵馬俑自体の数は多くなかったのですが合わせ鏡による展示法で元の雰囲気を作り出したり、あとちゃんと色んな種類(文官とか武官とか跪いているのとか馬とか)が揃っててeducationalな展示でした。それ以外にも副葬品としての動物の像とかもあったり。軍事ものはそんなにはなかったかな。剣とかはありましたが。想像上の生物が描かれたものとかにも小躍りしました。
ちょっと先になるのですが一時帰国の時に九州で三国志展を見に行く予定で、時代はもちろん違うながら(春秋戦国時代から漢までが主だったはず)これはそっちにもつながるんじゃないかな、な展示品もちらほらあって改めて楽しみになりました。
蔡國強の作品では火薬で描いた絵が印象に残ってます。部屋一つ壁一面にぐるっと描かれた花の絵もよかった(贅沢に一人で楽しめたらもっとゆっくり見てたやつ!)ですが黄河北の山々を描いた作品は真・三國無双8で見たそのあたりの景色を思い出してすごい好きになりました。雰囲気が独特の山ってすごいよなあ、と改めて山が少ない国に住んでると思います。
そしてせっかく来たので無料で歩き回れる常設展も、とアジアコレクションをうろうろしてたら伊万里焼の展示やってたのでそれも見てきました。存在感というか形からしてなかなか見ないやつ、みたいなのもあれば一見普通の食器セットだけどよく見ると龍とか鳳凰が描いてあったり。
そしてそのまま歩き続けてたらベネチアングラスの展示もやってたんでそっちも見に行きました。ガラスはやっぱりいい。細工の見事さももちろんですが透き通ってるのを見ているだけで楽しい。
で、そこから出ようとして常設展の19世紀末あたりな感じのセクションとか宗教画一杯のセクションとかをさまようことに。迷いながらだとちゃんと見れないんですよね。各部屋しっかり見て次の部屋にって回りたいので自分がどこにいるか分からないとどうも調子が狂ってしまう。
そのうちまたゆっくり回れるといいなあ。
三国志展の方ですが今東京でやってる分のツイートを検索したりして事前対策メモとってます。
このために一時帰国前乗り(家族と比べて)するくらい奮起してますしなにより着いてほぼすぐ遠征となればすべて事前に手を打っておかないと。さてさてどうなりますか。楽しみです。
今日の一曲: ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ クラヴサン曲集第1巻より「Le Vertigo」
引き続きこないだ買ったアルバム続き。前回?(もっと前?)のBBC Promsで聴いて好きになった曲ですが今年ももうすぐpromsの季節ですよー。新しい出会いがあるといいなあ。
ロワイエの作品を好きになったときはこの曲集の最後の「スキタイ人の行進」を今日の一曲で紹介したと思うので今回はこちら「Le Vertigo」を。スローですが音の密度が濃く書かれて、ハープシコード独特のあのざかざかした音を存分に味わえる曲。
同じキーボードとはいえこういう曲を聴くと聴くとやっぱ違う楽器だなあと実感します。この曲の連続和音だったり「スキタイ人の行進」のものすごく速いパッセージは鍵が軽いからできることでピアノでやろうとしたら不可能かテンポを落とすしかなかったり。
あと特にこのLe Vertigoではハープシコードのメカニズムの音(キュッとか)が聞こえるのも結構ツボです。ピアノだとそういう音に相当する音は特殊奏法のときに聞こえるくらいなので。
弾いたらタッチにそういう中の動きも感じられるのかな、一度弾いてみたい。
リンクしたのは入手した録音、つまりBBC Promsで聴いたJean Rondeauの演奏。すごくクリーンでストレートな音がモダンっぽい感性です。もっと音が少なめの作品でもきらっと光る。でもやっぱりでも一番の聴きどころはスキタイ人じゃないかなー。こんなにハープシコードで盛り上がれるのは珍しいですし楽しいです。
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前々回のエントリーに拍手ありがとうございます。
プロコフィエフのパート難しいですねー(笑)弾けない!難しい!って感じじゃなくて地味にちょこちょこ難しい。そして地味に難しいところで決まって目立つ。ロミジュリでもそうだったなー懐かしい。
決して華やかだったりピアノの技巧を披露できるパートではなく、つまりはソロのピアノとは全然性質が違うピアノのパートですが私にとってはもう満足なパートです。オケの一部であり、交響曲の一部であることを強く感じます。
一方新しい作曲家の曲はそれと比べるとどうしても首をかしげる事が多い。そりゃあ元々ピアノ弾きじゃない人ですしピアノのパートって書くの難しいでしょうしそもそもプロコフィエフとか偉大な作曲家と比べちゃあいけないかなという気はしますが、これまで色々若い作曲家の作品でありがたくパートをいただいて弾いてきた経験でなんとなく似たような首のかしげ方を何回かしてきたので。
それじゃあ「オケにおける良いピアノパート」って何なんだろう?ということをオケピアノ人生20年目になって改めて考え始めてみました。
ピアノという楽器の特徴をいくつか考えてみると速く弾ける、和音が弾ける(しかも大きな・音が多い和音が弾ける)、はっきりしたアタックがある、音量の幅がある、ペダルで独特の響きがでる、とかかな。
速く弾けるから木管楽器(高音)と一緒のパートも結構多いですし和音が弾けることで金管楽器と一緒に弾いたりポピュラー寄りジャンルでのコード伴奏みたいなのもある。はっきりしたアタックで打楽器の役割を担うこともありますし音量の幅により主役も背景も器用にこなす。などなど。
奏者としてじゃなくて聴衆として聞いてみるとオケでピアノのパートがいいな、と思う一つの要素はピアノの音というか音色が聞こえてきてかっこいいとき・・・かも。ショスタコの1番とか5番とかが良い例ですね。やっぱりあの金属的で硬い音が聞こえてくると「これはピアノしかできない」みたいな気持ちになるので。(これは他の楽器だとベルリオーズの幻想交響曲の第2楽章のハープのパートの存在感にも似てるかも)
もちろん「良いパート」というのはそういう存在感のある主役部分以外も評価対象で。いかにオケを支える方面で意味ある、上手な仕事をさせるか。多分ここで首かしげることが多いんじゃないかな。ちょこちょこ目にする、私が言うところの「謎分散和音」なピアノパートはこういうところで機能に苦しんでいるのかも。
かならずしもピアノパートを特別に、他の楽器と独立させる必要はないんですよね。ただ音量と音質の関係で他の楽器とも上手く組み合わせないと悪目立ちするリスクもあり。
でも同時に音量があるからこそ他の楽器と共鳴して引き立たせるように使う事も可能。きっとプロコ5番もそういう使いかたしている。
色々まだ考え途中を話してるので所々端折った感じになってますかね?自分でもどれくらい理解できる文章で書いてるか分からないのですが(汗)
こうやって書いてみるとピアノのパートもオケの他の楽器と変わらないはずなんですけどね。でもやっぱりピアノパートを書くのは他より難しいみたいなんだよなー・・・
それじゃあ奏者としてこれはいいピアノパートだ!と思った曲は何だろう、と思ったのでとりあえず10曲リストしてみました。
(1) ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
(2) プロコフィエフ 交響曲第5番
(3) オルフ カルミナ・ブラーナ
(4) ラフマニノフ 交響的舞曲
(5) レスピーギ ローマの松
(6) マルティヌー オーボエ協奏曲
(7) ショスタコーヴィチ 交響曲第1番
(8) プロコフィエフ ロミオとジュリエット
(9) バルトーク 不思議な中国の役人
(10) バーンスタイン ウェストサイド・ストーリー
自分で弾いた曲が多くなりましたが(なので思い出せてない曲もあるかも)自分では弾いてない曲も入ってますね。そしてもちろんですがチェレスタパートは除外してます。あとペトルーシュカとかソロパートに近いやつも入れてません。
こうやってみると色々だなー(笑)そしてマルティヌーはその中でもちょっとやっぱり異質かも。
でも主役としても脇役としてもどっちも楽しい曲揃いですしそれぞれに色んな他の楽器との絡みもある。これからも色んな作品のピアノパートを経験したいですし若い作曲家たちもどんどんオケにピアノパートを入れることに挑戦して欲しいです。首をかしげることになってもパートをもらえて弾けることはとても光栄ですし感謝しているので。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第5番第1楽章
交響曲ってのはオーケストラにおいてスケール・演奏時間・メジャーさ全てで最大のジャンルではないかと思われます。そんな交響曲というジャンルでピアノが弾くようになったのはショスタコーヴィチの1番以来。チェレスタよりも後の参戦です。もちろん楽器自体はよく知られてますがまだまだルーキーです。
そして交響曲というジャンルはそれだけ大きいジャンルにもかかわらず多くの場合特定の題材や物語や言葉がない純粋な器楽で抽象的な音楽。他のジャンルの音楽から来ると取っつきづらく感じるのかなあ。
・・・ということをこのプロコフィエフの5番、特に第1楽章を聞くと思ってしまいます。
特に不協和音が多いとか聞きにくいとかそういうことじゃないんですけどね、曲を知っててこういう音楽に耳が慣れてる自分でも特定のイメージを想像しにくい性質の音楽。
第2楽章とか第3楽章はキャラの塊みたいな感じなんですけどね。
でも頭の中に景色を描くような風に聞いてないからこそオケの楽器の働きに注目(耳)がいくというところはあるかな。最初のテーマが金管楽器で繰り返し出てくるとことか気持ちいいですし、プロコフィエフならではみたいなラインの重なり方とか動き方というか不思議な建築を見ているようで。
リハーサルではどれくらい各楽章に時間を割くか分かりませんが(どれも難しいけど第4楽章が一番難しいかなー)オケの中で弾く事で第1楽章にも愛着が湧くといいなと思ってます。
どういう録音でオススメしたらいいかなーと思ったのですが同じプロコフィエフでいうと意外とロミジュリあたりが一部ちょっと感覚的に似てるかなあと思うこともあったので(特に第2,4楽章)ロミジュリの組曲とのカップリングを探そうとしたのですが意外と無かったです(汗)ということでてんこもりの録音をリンク。
プロコフィエフのパート難しいですねー(笑)弾けない!難しい!って感じじゃなくて地味にちょこちょこ難しい。そして地味に難しいところで決まって目立つ。ロミジュリでもそうだったなー懐かしい。
決して華やかだったりピアノの技巧を披露できるパートではなく、つまりはソロのピアノとは全然性質が違うピアノのパートですが私にとってはもう満足なパートです。オケの一部であり、交響曲の一部であることを強く感じます。
一方新しい作曲家の曲はそれと比べるとどうしても首をかしげる事が多い。そりゃあ元々ピアノ弾きじゃない人ですしピアノのパートって書くの難しいでしょうしそもそもプロコフィエフとか偉大な作曲家と比べちゃあいけないかなという気はしますが、これまで色々若い作曲家の作品でありがたくパートをいただいて弾いてきた経験でなんとなく似たような首のかしげ方を何回かしてきたので。
それじゃあ「オケにおける良いピアノパート」って何なんだろう?ということをオケピアノ人生20年目になって改めて考え始めてみました。
ピアノという楽器の特徴をいくつか考えてみると速く弾ける、和音が弾ける(しかも大きな・音が多い和音が弾ける)、はっきりしたアタックがある、音量の幅がある、ペダルで独特の響きがでる、とかかな。
速く弾けるから木管楽器(高音)と一緒のパートも結構多いですし和音が弾けることで金管楽器と一緒に弾いたりポピュラー寄りジャンルでのコード伴奏みたいなのもある。はっきりしたアタックで打楽器の役割を担うこともありますし音量の幅により主役も背景も器用にこなす。などなど。
奏者としてじゃなくて聴衆として聞いてみるとオケでピアノのパートがいいな、と思う一つの要素はピアノの音というか音色が聞こえてきてかっこいいとき・・・かも。ショスタコの1番とか5番とかが良い例ですね。やっぱりあの金属的で硬い音が聞こえてくると「これはピアノしかできない」みたいな気持ちになるので。(これは他の楽器だとベルリオーズの幻想交響曲の第2楽章のハープのパートの存在感にも似てるかも)
もちろん「良いパート」というのはそういう存在感のある主役部分以外も評価対象で。いかにオケを支える方面で意味ある、上手な仕事をさせるか。多分ここで首かしげることが多いんじゃないかな。ちょこちょこ目にする、私が言うところの「謎分散和音」なピアノパートはこういうところで機能に苦しんでいるのかも。
かならずしもピアノパートを特別に、他の楽器と独立させる必要はないんですよね。ただ音量と音質の関係で他の楽器とも上手く組み合わせないと悪目立ちするリスクもあり。
でも同時に音量があるからこそ他の楽器と共鳴して引き立たせるように使う事も可能。きっとプロコ5番もそういう使いかたしている。
色々まだ考え途中を話してるので所々端折った感じになってますかね?自分でもどれくらい理解できる文章で書いてるか分からないのですが(汗)
こうやって書いてみるとピアノのパートもオケの他の楽器と変わらないはずなんですけどね。でもやっぱりピアノパートを書くのは他より難しいみたいなんだよなー・・・
それじゃあ奏者としてこれはいいピアノパートだ!と思った曲は何だろう、と思ったのでとりあえず10曲リストしてみました。
(1) ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
(2) プロコフィエフ 交響曲第5番
(3) オルフ カルミナ・ブラーナ
(4) ラフマニノフ 交響的舞曲
(5) レスピーギ ローマの松
(6) マルティヌー オーボエ協奏曲
(7) ショスタコーヴィチ 交響曲第1番
(8) プロコフィエフ ロミオとジュリエット
(9) バルトーク 不思議な中国の役人
(10) バーンスタイン ウェストサイド・ストーリー
自分で弾いた曲が多くなりましたが(なので思い出せてない曲もあるかも)自分では弾いてない曲も入ってますね。そしてもちろんですがチェレスタパートは除外してます。あとペトルーシュカとかソロパートに近いやつも入れてません。
こうやってみると色々だなー(笑)そしてマルティヌーはその中でもちょっとやっぱり異質かも。
でも主役としても脇役としてもどっちも楽しい曲揃いですしそれぞれに色んな他の楽器との絡みもある。これからも色んな作品のピアノパートを経験したいですし若い作曲家たちもどんどんオケにピアノパートを入れることに挑戦して欲しいです。首をかしげることになってもパートをもらえて弾けることはとても光栄ですし感謝しているので。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第5番第1楽章
交響曲ってのはオーケストラにおいてスケール・演奏時間・メジャーさ全てで最大のジャンルではないかと思われます。そんな交響曲というジャンルでピアノが弾くようになったのはショスタコーヴィチの1番以来。チェレスタよりも後の参戦です。もちろん楽器自体はよく知られてますがまだまだルーキーです。
そして交響曲というジャンルはそれだけ大きいジャンルにもかかわらず多くの場合特定の題材や物語や言葉がない純粋な器楽で抽象的な音楽。他のジャンルの音楽から来ると取っつきづらく感じるのかなあ。
・・・ということをこのプロコフィエフの5番、特に第1楽章を聞くと思ってしまいます。
特に不協和音が多いとか聞きにくいとかそういうことじゃないんですけどね、曲を知っててこういう音楽に耳が慣れてる自分でも特定のイメージを想像しにくい性質の音楽。
第2楽章とか第3楽章はキャラの塊みたいな感じなんですけどね。
でも頭の中に景色を描くような風に聞いてないからこそオケの楽器の働きに注目(耳)がいくというところはあるかな。最初のテーマが金管楽器で繰り返し出てくるとことか気持ちいいですし、プロコフィエフならではみたいなラインの重なり方とか動き方というか不思議な建築を見ているようで。
リハーサルではどれくらい各楽章に時間を割くか分かりませんが(どれも難しいけど第4楽章が一番難しいかなー)オケの中で弾く事で第1楽章にも愛着が湧くといいなと思ってます。
どういう録音でオススメしたらいいかなーと思ったのですが同じプロコフィエフでいうと意外とロミジュリあたりが一部ちょっと感覚的に似てるかなあと思うこともあったので(特に第2,4楽章)ロミジュリの組曲とのカップリングを探そうとしたのですが意外と無かったです(汗)ということでてんこもりの録音をリンク。
昨日誕生日でしたー。34歳になりました。
特に何をするということもなく・・・というと嘘になりますね。万年筆は買いましたしちょこちょこ奮発した食事みたいなこともありましたしアブサンも家で飲みましたし。
そしてたまたま近くの映画館でやってたバレエ、マシュー・ボーンの白鳥の湖を見に行きました。
最近日本での公演が近づいてると聞いて友人にあらすじを説明するためにググったら偶然Classic Cinemaで上映するという情報が出てきてしかも誕生日に上映となれば見に行かなきゃということで。行ってきました。ちょうど暖かくて天気の良い日でさらによかったー。
本作は「男性ダンサーが白鳥を演じる変則的な白鳥の湖」として有名ですがストーリー自体も現代版にアレンジされています。しかも時代と共に演出を変えているそうで、今回上映されたのは最新のバージョン。動画サイトにちょこちょこプレビュー動画が上がってるのと比べてみたのですが分かる限りではユーモア部分にさらに磨きがかかっている印象。確かに今回見ててお茶目なところはお茶目、風刺が効いてるとこは鋭く、シリアスな部分はがっつりで色気のある部分はどきっとするような演出のバラエティとコントラストがすごく面白かったと思いました。
自分にとって一番ツボに入ったのは振り付けが(もちろん原作の白鳥の湖のままの)音楽のリズムやテンポなんかをうまいこと使っていること、そして振り付けだけでなく演出やキャラ付けにも音楽や文化背景や第1幕の長すぎがちな長さとかいろんな要素を利用して活用して生かしているところ。ディテールばっかり見てしまう。そして一回じゃ色々把握しきれてない気がする。
振り付けはなんか見てて難しかったです。普通バレエを見てるとある程度ステップに分けて考えられるのですが今回はそれがなかなかできなくて。モダンだからなんですよね、単純に。ただモダンだから表現の幅がとにかく面白い。こんなのもバレエでやっちゃうんだ、とかこれだけやってもやっぱりバレエだな、とかバレエという踊りの一ジャンルの中でできることの多さと広さにわくわくでした。
でも振り付けを振り付けとして細分化して分析できなかった部分も多いので普段のバレエに生かすのは難しいかもなあ(汗)とりあえず腕の動きとそれから頭の向きの大切さは最低限押さえておきたい。あと男性ダンサーの踊り好きなんで動きをもっと見て参考にしたかった。これはこの版のDVDが出たら買いかな。手元に同性愛要素があるバレエ作品ばっかり増えていく・・・
随分テクニカルというかそういう方面の話になりましたが感情方面の表現にも色々思うことたくさんありました。雄々しいは雄々しいなんですけどすごく繊細な表現盛りだくさんですよ。第3幕の人間関係超説交錯な部分でほんと色んな感情が爆発して(白鳥がほぼ出ないシーンながら)一番強烈だったかも。あと衣装が凝ってるのも第3幕。
今回映画館で観たのでプログラムとかが手に入らない点がちょっと残念でしたね。衣装とかの写真も見たかったんだけど・・・特に第3幕(やっぱりDVD入手するかな)。ただ生の舞台よりも登場人物の顔の表情とか指の先とか衣装の細部とか靴のかかと(バレエシューズ・トウシューズじゃない衣装が多かったので)がはっきり見えるのは大変嬉しい。ただ生で観る機会があったらそちらも味わいたいです。
振り付けが難しいとか言いましたがそれでもなんかやっぱり感化されちゃったのか昨日は夜家で踊り回っちゃいました。アブサン飲むからその前に、とかいいながら飲んでからもちょこちょこバレエのステップが入ったり(汗)怪我とかしたくないので飲んだら踊るな、踊るなら飲むなですよ自分。くれぐれも気をつけます。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」より第2幕のパ・ドゥ・ドゥ
本文の方で白鳥ダンサーの方々の話を一つもしなかったのでこちらで。第4幕の白鳥たちはかなり怖かったです。というのも第2幕ではそこまで怖くなかったので若干自分は油断してた節があり(汗)
原作と同じくたくさんの白鳥たち+王子が一緒に踊ることが多い第2幕。原作ではもちろん白鳥はみんな女の子で王子だけ男子、とビジュアル的にも振り付けもはっきり違いがあります。本作品のこの部分では白鳥たちと王子が全く一緒の振り付けで踊る部分も結構あるのですが白鳥の方々がすっかり白鳥になってるので王子だけが「人間」の踊り。どこがどう違うのか説明しにくいのですがスクリーン上でみるとはっきり「おおう人間がいる・・・」となります。
白鳥が男性、とか設定が現代、みたいなシンプルでわかりやすい変化だけでなくてこの作品では人間関係がものすごく複雑化しているのもまた見所で。例えばかなり早くから見て取れる王子とその母である女王の関係性、そして第2幕・第3幕・第4幕と描かれる王子と白鳥(第3幕は黒鳥ですが)の関係性。原作では第2幕のパ・ドゥ・ドゥはすでに一目惚れで恋に落ちてロマンチックな愛の踊りですがこっちではつついたり蹴ったりもありですからね。なかなか懐かなかったりでも一緒に踊ったりで色々と解釈の余地があります。
オケでいうとコンマスとチェロのソロがこのパ・ドゥ・ドゥのハイライト。最高に美しい音楽です。ただコンマスに関してですが第3幕の黒鳥のほうでのソロが途中からだんだん崩れててそのまま映像になっちゃってご愁傷様というかなんというか(汗)生の演奏で踊るとこういうこともあるよね、という例ですね。
リンクしたのはマシュー・ボーンの白鳥の湖のDVD。2012年発売って書いてあるので今回観たのとは演出が違いますが大筋は一緒なはず。今回のも出るかな。とりあえず手帳にメモして待機中です。
特に何をするということもなく・・・というと嘘になりますね。万年筆は買いましたしちょこちょこ奮発した食事みたいなこともありましたしアブサンも家で飲みましたし。
そしてたまたま近くの映画館でやってたバレエ、マシュー・ボーンの白鳥の湖を見に行きました。
最近日本での公演が近づいてると聞いて友人にあらすじを説明するためにググったら偶然Classic Cinemaで上映するという情報が出てきてしかも誕生日に上映となれば見に行かなきゃということで。行ってきました。ちょうど暖かくて天気の良い日でさらによかったー。
本作は「男性ダンサーが白鳥を演じる変則的な白鳥の湖」として有名ですがストーリー自体も現代版にアレンジされています。しかも時代と共に演出を変えているそうで、今回上映されたのは最新のバージョン。動画サイトにちょこちょこプレビュー動画が上がってるのと比べてみたのですが分かる限りではユーモア部分にさらに磨きがかかっている印象。確かに今回見ててお茶目なところはお茶目、風刺が効いてるとこは鋭く、シリアスな部分はがっつりで色気のある部分はどきっとするような演出のバラエティとコントラストがすごく面白かったと思いました。
自分にとって一番ツボに入ったのは振り付けが(もちろん原作の白鳥の湖のままの)音楽のリズムやテンポなんかをうまいこと使っていること、そして振り付けだけでなく演出やキャラ付けにも音楽や文化背景や第1幕の長すぎがちな長さとかいろんな要素を利用して活用して生かしているところ。ディテールばっかり見てしまう。そして一回じゃ色々把握しきれてない気がする。
振り付けはなんか見てて難しかったです。普通バレエを見てるとある程度ステップに分けて考えられるのですが今回はそれがなかなかできなくて。モダンだからなんですよね、単純に。ただモダンだから表現の幅がとにかく面白い。こんなのもバレエでやっちゃうんだ、とかこれだけやってもやっぱりバレエだな、とかバレエという踊りの一ジャンルの中でできることの多さと広さにわくわくでした。
でも振り付けを振り付けとして細分化して分析できなかった部分も多いので普段のバレエに生かすのは難しいかもなあ(汗)とりあえず腕の動きとそれから頭の向きの大切さは最低限押さえておきたい。あと男性ダンサーの踊り好きなんで動きをもっと見て参考にしたかった。これはこの版のDVDが出たら買いかな。手元に同性愛要素があるバレエ作品ばっかり増えていく・・・
随分テクニカルというかそういう方面の話になりましたが感情方面の表現にも色々思うことたくさんありました。雄々しいは雄々しいなんですけどすごく繊細な表現盛りだくさんですよ。第3幕の人間関係超説交錯な部分でほんと色んな感情が爆発して(白鳥がほぼ出ないシーンながら)一番強烈だったかも。あと衣装が凝ってるのも第3幕。
今回映画館で観たのでプログラムとかが手に入らない点がちょっと残念でしたね。衣装とかの写真も見たかったんだけど・・・特に第3幕(やっぱりDVD入手するかな)。ただ生の舞台よりも登場人物の顔の表情とか指の先とか衣装の細部とか靴のかかと(バレエシューズ・トウシューズじゃない衣装が多かったので)がはっきり見えるのは大変嬉しい。ただ生で観る機会があったらそちらも味わいたいです。
振り付けが難しいとか言いましたがそれでもなんかやっぱり感化されちゃったのか昨日は夜家で踊り回っちゃいました。アブサン飲むからその前に、とかいいながら飲んでからもちょこちょこバレエのステップが入ったり(汗)怪我とかしたくないので飲んだら踊るな、踊るなら飲むなですよ自分。くれぐれも気をつけます。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」より第2幕のパ・ドゥ・ドゥ
本文の方で白鳥ダンサーの方々の話を一つもしなかったのでこちらで。第4幕の白鳥たちはかなり怖かったです。というのも第2幕ではそこまで怖くなかったので若干自分は油断してた節があり(汗)
原作と同じくたくさんの白鳥たち+王子が一緒に踊ることが多い第2幕。原作ではもちろん白鳥はみんな女の子で王子だけ男子、とビジュアル的にも振り付けもはっきり違いがあります。本作品のこの部分では白鳥たちと王子が全く一緒の振り付けで踊る部分も結構あるのですが白鳥の方々がすっかり白鳥になってるので王子だけが「人間」の踊り。どこがどう違うのか説明しにくいのですがスクリーン上でみるとはっきり「おおう人間がいる・・・」となります。
白鳥が男性、とか設定が現代、みたいなシンプルでわかりやすい変化だけでなくてこの作品では人間関係がものすごく複雑化しているのもまた見所で。例えばかなり早くから見て取れる王子とその母である女王の関係性、そして第2幕・第3幕・第4幕と描かれる王子と白鳥(第3幕は黒鳥ですが)の関係性。原作では第2幕のパ・ドゥ・ドゥはすでに一目惚れで恋に落ちてロマンチックな愛の踊りですがこっちではつついたり蹴ったりもありですからね。なかなか懐かなかったりでも一緒に踊ったりで色々と解釈の余地があります。
オケでいうとコンマスとチェロのソロがこのパ・ドゥ・ドゥのハイライト。最高に美しい音楽です。ただコンマスに関してですが第3幕の黒鳥のほうでのソロが途中からだんだん崩れててそのまま映像になっちゃってご愁傷様というかなんというか(汗)生の演奏で踊るとこういうこともあるよね、という例ですね。
リンクしたのはマシュー・ボーンの白鳥の湖のDVD。2012年発売って書いてあるので今回観たのとは演出が違いますが大筋は一緒なはず。今回のも出るかな。とりあえず手帳にメモして待機中です。
2019年も7月に突入。寒い中オケのパート譜を取りに行ってきたので改めてお知らせ。
Stonnington Symphony Orchestra
Sunday Series 2
2019年8月11日14:30開演
Malvern Town Hall
指揮:Rick Prakhoff
Matan Franco 「Only the Potential」(世界初演)
サミュエル・バーバー「ノックスヴィル、1915年の夏」(ソプラノ:Rebecca Rashleigh)
(休憩)
セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第5番
プログラム変更はなかったみたいでした。なんだったんだろう。
とにかく私はFrancoとプロコフィエフでピアノを弾く役目があります。ピアノなのでステージの上で一人色んな風が吹いて寒い中リハーサルやら本番やらなので防寒対策ちゃんとせねば。
前も書いたと思いますが2019年のオケ仕事はこれ1回。(一時帰国に重なるのがありまして・・・)
でもプロコ5番を弾かせてもらえるのはプログラムが発表されたときからものすごく楽しみにしてましたし実際呼ばれて本当にありがたいです。私が弾くパートに関してはまた。練習は始めましたが。
プロじゃなくても家でピアノの練習ができてこうやってちょこちょこオケで弾かせてもらえる環境にいる幸せをちょっとこないだかみしめていまして。高校の時にこっちに残るという選択をして、そして両親も私の自由にさせてくれて&できるだけのことをしてくれて本当にありがたい限りです。
もちろんこちらに残りたいという理由には音楽だけじゃなくメンタルヘルス事情とか友人とかもあったのですがやっぱり音楽は大事だったなあ、と改めて。
そんな私も最初のうちはホームシックだったこともあるのがいつ頃からメルボルンがhomeになったんだろうなあ、ということも考えてました。これは多分いくら考えても答えは出なさそうなだあ。多分こっちにも音楽(ユースオケとか)が絡んでる可能性は十分あるんだろうけど。
Stonnington Symphony Orchestra
Sunday Series 2
2019年8月11日14:30開演
Malvern Town Hall
指揮:Rick Prakhoff
Matan Franco 「Only the Potential」(世界初演)
サミュエル・バーバー「ノックスヴィル、1915年の夏」(ソプラノ:Rebecca Rashleigh)
(休憩)
セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第5番
プログラム変更はなかったみたいでした。なんだったんだろう。
とにかく私はFrancoとプロコフィエフでピアノを弾く役目があります。ピアノなのでステージの上で一人色んな風が吹いて寒い中リハーサルやら本番やらなので防寒対策ちゃんとせねば。
前も書いたと思いますが2019年のオケ仕事はこれ1回。(一時帰国に重なるのがありまして・・・)
でもプロコ5番を弾かせてもらえるのはプログラムが発表されたときからものすごく楽しみにしてましたし実際呼ばれて本当にありがたいです。私が弾くパートに関してはまた。練習は始めましたが。
プロじゃなくても家でピアノの練習ができてこうやってちょこちょこオケで弾かせてもらえる環境にいる幸せをちょっとこないだかみしめていまして。高校の時にこっちに残るという選択をして、そして両親も私の自由にさせてくれて&できるだけのことをしてくれて本当にありがたい限りです。
もちろんこちらに残りたいという理由には音楽だけじゃなくメンタルヘルス事情とか友人とかもあったのですがやっぱり音楽は大事だったなあ、と改めて。
そんな私も最初のうちはホームシックだったこともあるのがいつ頃からメルボルンがhomeになったんだろうなあ、ということも考えてました。これは多分いくら考えても答えは出なさそうなだあ。多分こっちにも音楽(ユースオケとか)が絡んでる可能性は十分あるんだろうけど。
だからといいますか知り合いでもサッカー選手でも誰でもメルボルンに来てくれて楽しんでくれたという話を聞くととにかく嬉しいです。どういうところがツボに入ったという詳細の話はさらに楽しい。どこから来るにしても遠いとこだし決して観光向きじゃない街ではあるのですがだからこそ来てくれてありがたい、さらに観光だけでなく生活を楽しんでもらえるともっともっと嬉しくて。
サッカー方面だと色々ちょっと弱気になる部分もあり「もっと海外から来てもらえるにはどうしたらいいんだろう」とか「国内外の選手でチームやこの街自体にもっと定着してもらえるにはなにか手立てはないのかなあ」とかいう方向にも最近ぐるぐるしてますが。
サッカーの話でいうと最初は選手が好きな部分の方が多かったはずなんだけどメルボルン・ヴィクトリーをいつのまにかしっかりクラブとして応援しているなとこれまた最近気づいて。実績とかそういう面もあるんだろうけど何より「地元のクラブ」だからメルボルンという街に対するhome感の投影みたいな側面も少なからずあるんだろうなーこれ。
とはいっても生活のほとんどを自宅ですごしているので偉いことはいえないんですけどね(汗)
最近外食欲がなんだか高まってますがそれ以外でももっとメルボルンを楽しみたいです。
こないだパート譜取りに行ったときも初めて行くエリアで寒いながらもなんだかわくわくして楽しかったのでやっぱり外には何かと理由をつけて出るべき。
サッカーの試合も始まったら見に行きたいですよ。ただその前に色々ちゃんとしていただかないと。ということで引き続き自宅待機です。各方面のモチベーションよ早くこい。
今日の一曲: Emilie Autumn 「Girls Just Wanna Have Fun」
先月iTunes storeで久しぶりに音源を50ドル分くらいまとめて買いました。ちょこちょこ買うんじゃなくてこういう買い方になっちゃうんですよね、どうしてだろう。その中に以前アルバムを買ったEmilie Autumnのカバーミニアルバムがあったので今日はそこから一つ。
Girls Just Wanna Have Funのオリジナルはシンディ・ローパーが歌ってます。もちろん有名な曲ですが自分にとっては学校の思い出が強いです。12年生=高校3年生で卒業していく生徒たちのことを英語でvaledictoryと形容して、valedictory day(12年生最後の日)とかvaledictory dinner(12年生とその家族と先生のディナーイベント)やら、うちの学校なんかはvaledictory jumper(他の生徒はセーターが紺なところを12年生だけ赤いセーターを着る)とかvaledictory verse(学校の校歌というか賛美歌に12年生だけで歌う箇所がある)なんかも。
そんなValedictory dayの仮装したりなんだりして騒ぐ中でこの歌(というかオリジナルの方)が流れるのが恒例になってました。これはでもうちに限らず女子校だったらどこでもそうなんじゃないかな。
なので自分にとっては楽しく、ちょーーーっとだけ切なさというか懐かしさもある歌です。
いやああの頃からはちょっと想像できないくらい楽しい大人になったもんだ(しみじみ)。
Emilie Autumnのバージョンはとにかくハープシコードが楽しい。このアルバムにはいくつあkこの歌のバージョンが収録されてるのですがHarpsichord Rendezvous versionとある方はさらに無双です。ただ最初のバージョンのシンプルさとチェロとのアンサンブルが好きでこっちを聴く方が多いです。オリジナルの歌がちょっとレトロに感じる中、ハープシコードを使ってもモダンな洗練さみたいのが出てくるのがまた面白い。
そしてボヘミアン・ラプソディーもまたオリジナルとは違くて楽しいですしEmilie Autumnの世界になってます。もっと色んなカバーを聴いてみたい。もちろんオリジナル作品もいい曲があるのでそちらはOpheliacあたりでどうぞ。
サッカー方面だと色々ちょっと弱気になる部分もあり「もっと海外から来てもらえるにはどうしたらいいんだろう」とか「国内外の選手でチームやこの街自体にもっと定着してもらえるにはなにか手立てはないのかなあ」とかいう方向にも最近ぐるぐるしてますが。
サッカーの話でいうと最初は選手が好きな部分の方が多かったはずなんだけどメルボルン・ヴィクトリーをいつのまにかしっかりクラブとして応援しているなとこれまた最近気づいて。実績とかそういう面もあるんだろうけど何より「地元のクラブ」だからメルボルンという街に対するhome感の投影みたいな側面も少なからずあるんだろうなーこれ。
とはいっても生活のほとんどを自宅ですごしているので偉いことはいえないんですけどね(汗)
最近外食欲がなんだか高まってますがそれ以外でももっとメルボルンを楽しみたいです。
こないだパート譜取りに行ったときも初めて行くエリアで寒いながらもなんだかわくわくして楽しかったのでやっぱり外には何かと理由をつけて出るべき。
サッカーの試合も始まったら見に行きたいですよ。ただその前に色々ちゃんとしていただかないと。ということで引き続き自宅待機です。各方面のモチベーションよ早くこい。
今日の一曲: Emilie Autumn 「Girls Just Wanna Have Fun」
先月iTunes storeで久しぶりに音源を50ドル分くらいまとめて買いました。ちょこちょこ買うんじゃなくてこういう買い方になっちゃうんですよね、どうしてだろう。その中に以前アルバムを買ったEmilie Autumnのカバーミニアルバムがあったので今日はそこから一つ。
Girls Just Wanna Have Funのオリジナルはシンディ・ローパーが歌ってます。もちろん有名な曲ですが自分にとっては学校の思い出が強いです。12年生=高校3年生で卒業していく生徒たちのことを英語でvaledictoryと形容して、valedictory day(12年生最後の日)とかvaledictory dinner(12年生とその家族と先生のディナーイベント)やら、うちの学校なんかはvaledictory jumper(他の生徒はセーターが紺なところを12年生だけ赤いセーターを着る)とかvaledictory verse(学校の校歌というか賛美歌に12年生だけで歌う箇所がある)なんかも。
そんなValedictory dayの仮装したりなんだりして騒ぐ中でこの歌(というかオリジナルの方)が流れるのが恒例になってました。これはでもうちに限らず女子校だったらどこでもそうなんじゃないかな。
なので自分にとっては楽しく、ちょーーーっとだけ切なさというか懐かしさもある歌です。
いやああの頃からはちょっと想像できないくらい楽しい大人になったもんだ(しみじみ)。
Emilie Autumnのバージョンはとにかくハープシコードが楽しい。このアルバムにはいくつあkこの歌のバージョンが収録されてるのですがHarpsichord Rendezvous versionとある方はさらに無双です。ただ最初のバージョンのシンプルさとチェロとのアンサンブルが好きでこっちを聴く方が多いです。オリジナルの歌がちょっとレトロに感じる中、ハープシコードを使ってもモダンな洗練さみたいのが出てくるのがまた面白い。
そしてボヘミアン・ラプソディーもまたオリジナルとは違くて楽しいですしEmilie Autumnの世界になってます。もっと色んなカバーを聴いてみたい。もちろんオリジナル作品もいい曲があるのでそちらはOpheliacあたりでどうぞ。
やっぱり先週言った通りというか先週と同じ感じになりました。やっとこさ月曜日のコンサートの感想です。
まずはプログラムから。
Plexus「Psalmodic」
バイオリン:Monica Curro、クラリネット:Philip Arkinstall、ピアノ:Stefan Cassomenos
Leanne Bear「Nôtre Gothique」
Galina Ustvolskaya 三重奏曲
ドミトリ・ショスタコーヴィチ ジャズ組曲より3曲(編曲:Stefan Cassomenos)
(休憩)
Scott Mcintyre「TEETH!」
イーゴリ・ストラヴィンスキー 「詩篇交響曲」(合唱:Vox Plexus、編曲:Stefan Cassomenos)
世界初演は前半後半それぞれの最初の曲だけとものすごく新しい音楽はちょっと少なめの今回。
それぞれの曲でピアノ・バイオリン・クラリネットという3つの楽器のコンビネーションをどう使うかというのを考えさせられるようなところがありました。
例えば最初のNôtre Gothiqueなんかは3人で世界がものすごく完成している、その中で役割のバラエティがあったりして広がりがあったり。
ストラヴィンスキーは完璧とも言える編曲だったしそんな完璧な編曲をした友人には申し訳ないのですがやっぱり頭数が欲しくなってしまう。音の層というか重なりがあるといいなと思うのです。特に合唱と合わせたとき。ただ合唱のパートを考えると確かに室内楽でバランスをとるって良いことのような気もしますが。
逆にショスタコは原曲版のあの音色のバラエティが愛しく思えるながらも三重奏バージョンいいじゃん、こぢんまりしてて本来のアンサンブルよりも雰囲気がでるじゃんと思いました。あと楽章のチョイスとバランスも。このバージョンは積極的に広めていくべき。
ショスタコといえば今回初めましてだった作曲家Ustvolskayaはショスタコの弟子だそうで。ショスタコが逆に影響を受けたのはこっちだとか言ったらしいですがそれがものすごくよくわかる作風でした。ショスタコよりも少ない音で重く語る、この楽器編成をかなりシンプルに使った作品。晩年のショスタコの作風に影響が、とか言われたら信憑性ありますよ。しかも今回のこの作品は初期の作品らしく後からどう変わったのか変わらなかったのかものすごく気になります。ついでにいえばショスタコと違ってソヴィエト崩壊後も生きた作曲家なのでそこらへんも。
この手のコンサートだとクラリネット奏者の友人はEs管だったりバスクラだったり持ち替えが結構あるのですが今回は編曲が多かったこともあり物理的に楽器を換えるだけでなく色んな他の楽器を演じるようなパートがあって面白かったですけど大変そうでした(あとメル響ではモーツァルトのレクイエムだったのでバセットホルンも吹いてたそうで・・・)。
特にEs管メインのTEETH!ではきっと吹いてる自分も高音で耳が痛かったに違いない(それがでも「歯」のあの独特な痛い感覚をうまく連想させたとは思うのですが)。
Ustvolskayaもそうですがこの楽器編成で面白い20世紀くらいのレパートリーってまだまだ埋もれてるんじゃないかという印象を受けます。初演・編曲いろいろ混ぜて演奏してるみたいですがそういうどちらにも当てはまらない曲にも出会えるのがこれからも楽しみです。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 詩篇交響曲 第3楽章
よく西洋美術だとピカソが時期によって色んなスタイルで絵を描いたことが有名ですがストラヴィンスキーも後期ロマン派ぽいところからミニマルミュージックやら原始主義やらそういう名前をつけるのもちょっと違うような作風で色々な曲を書いていて。(ちなみにこの2人は交流があったそうです)
それでいてそのどれも完成度が高い作品なのがまたすごい。
そして既成の形式を使うも変えるも無視するも自由にできるのもまたストラヴィンスキーのすごいところ。もちろんだいたい同世代の作曲家なら色々実験したりなんだりやってることではありますがストラヴィンスキーの手腕は安定してハイレベルだと思います。
「詩篇交響曲」っていうタイトルを見て何を期待すればいいかちょっとわからないのですが宗教音楽としても一種の交響曲としても成り立つ不思議なポジションにある音楽。
いわゆる伝統的なクラシック音楽を聞き慣れていたり初期のストラヴィンスキー(三大バレエとか)に親しんでるとちょっと奇妙に聞こえるかもしれませんがとにかくこの第3楽章の最初の「Alleluia」の美しさにはため息が出る人結構いるんじゃないかな。個人的にベストオブAlleluiaです。こんな美しい和音で響くAlleluiaがあるだろうか、くらいの。
あと私もまた初期のストラヴィンスキーで育ってきたこともあってあんまりストラヴィンスキーに合唱のイメージはなかったのですが上手いですね合唱。ラフマニノフも同じように合唱うまいじゃんってなるのですがロシア正教会周りの影響があるのかしらん。ロシアの宗教音楽ってそもそも貴重だし一流の作曲家がそちら方面で素晴らしい作品を残してくれててなんだかありがたいです。
今リンクする録音を探してたらLili Boulangerの作品とカップリングされた録音がありました。詩篇つながりみたいですが珍しい。珍しいのでリンク。
まずはプログラムから。
Plexus「Psalmodic」
バイオリン:Monica Curro、クラリネット:Philip Arkinstall、ピアノ:Stefan Cassomenos
Leanne Bear「Nôtre Gothique」
Galina Ustvolskaya 三重奏曲
ドミトリ・ショスタコーヴィチ ジャズ組曲より3曲(編曲:Stefan Cassomenos)
(休憩)
Scott Mcintyre「TEETH!」
イーゴリ・ストラヴィンスキー 「詩篇交響曲」(合唱:Vox Plexus、編曲:Stefan Cassomenos)
世界初演は前半後半それぞれの最初の曲だけとものすごく新しい音楽はちょっと少なめの今回。
それぞれの曲でピアノ・バイオリン・クラリネットという3つの楽器のコンビネーションをどう使うかというのを考えさせられるようなところがありました。
例えば最初のNôtre Gothiqueなんかは3人で世界がものすごく完成している、その中で役割のバラエティがあったりして広がりがあったり。
ストラヴィンスキーは完璧とも言える編曲だったしそんな完璧な編曲をした友人には申し訳ないのですがやっぱり頭数が欲しくなってしまう。音の層というか重なりがあるといいなと思うのです。特に合唱と合わせたとき。ただ合唱のパートを考えると確かに室内楽でバランスをとるって良いことのような気もしますが。
逆にショスタコは原曲版のあの音色のバラエティが愛しく思えるながらも三重奏バージョンいいじゃん、こぢんまりしてて本来のアンサンブルよりも雰囲気がでるじゃんと思いました。あと楽章のチョイスとバランスも。このバージョンは積極的に広めていくべき。
ショスタコといえば今回初めましてだった作曲家Ustvolskayaはショスタコの弟子だそうで。ショスタコが逆に影響を受けたのはこっちだとか言ったらしいですがそれがものすごくよくわかる作風でした。ショスタコよりも少ない音で重く語る、この楽器編成をかなりシンプルに使った作品。晩年のショスタコの作風に影響が、とか言われたら信憑性ありますよ。しかも今回のこの作品は初期の作品らしく後からどう変わったのか変わらなかったのかものすごく気になります。ついでにいえばショスタコと違ってソヴィエト崩壊後も生きた作曲家なのでそこらへんも。
この手のコンサートだとクラリネット奏者の友人はEs管だったりバスクラだったり持ち替えが結構あるのですが今回は編曲が多かったこともあり物理的に楽器を換えるだけでなく色んな他の楽器を演じるようなパートがあって面白かったですけど大変そうでした(あとメル響ではモーツァルトのレクイエムだったのでバセットホルンも吹いてたそうで・・・)。
特にEs管メインのTEETH!ではきっと吹いてる自分も高音で耳が痛かったに違いない(それがでも「歯」のあの独特な痛い感覚をうまく連想させたとは思うのですが)。
Ustvolskayaもそうですがこの楽器編成で面白い20世紀くらいのレパートリーってまだまだ埋もれてるんじゃないかという印象を受けます。初演・編曲いろいろ混ぜて演奏してるみたいですがそういうどちらにも当てはまらない曲にも出会えるのがこれからも楽しみです。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 詩篇交響曲 第3楽章
よく西洋美術だとピカソが時期によって色んなスタイルで絵を描いたことが有名ですがストラヴィンスキーも後期ロマン派ぽいところからミニマルミュージックやら原始主義やらそういう名前をつけるのもちょっと違うような作風で色々な曲を書いていて。(ちなみにこの2人は交流があったそうです)
それでいてそのどれも完成度が高い作品なのがまたすごい。
そして既成の形式を使うも変えるも無視するも自由にできるのもまたストラヴィンスキーのすごいところ。もちろんだいたい同世代の作曲家なら色々実験したりなんだりやってることではありますがストラヴィンスキーの手腕は安定してハイレベルだと思います。
「詩篇交響曲」っていうタイトルを見て何を期待すればいいかちょっとわからないのですが宗教音楽としても一種の交響曲としても成り立つ不思議なポジションにある音楽。
いわゆる伝統的なクラシック音楽を聞き慣れていたり初期のストラヴィンスキー(三大バレエとか)に親しんでるとちょっと奇妙に聞こえるかもしれませんがとにかくこの第3楽章の最初の「Alleluia」の美しさにはため息が出る人結構いるんじゃないかな。個人的にベストオブAlleluiaです。こんな美しい和音で響くAlleluiaがあるだろうか、くらいの。
あと私もまた初期のストラヴィンスキーで育ってきたこともあってあんまりストラヴィンスキーに合唱のイメージはなかったのですが上手いですね合唱。ラフマニノフも同じように合唱うまいじゃんってなるのですがロシア正教会周りの影響があるのかしらん。ロシアの宗教音楽ってそもそも貴重だし一流の作曲家がそちら方面で素晴らしい作品を残してくれててなんだかありがたいです。
今リンクする録音を探してたらLili Boulangerの作品とカップリングされた録音がありました。詩篇つながりみたいですが珍しい。珍しいのでリンク。