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しばらくチェックしてなかったのですが過去のエントリーに拍手ありがとうございます。
あんまり昔のだとやっぱ恥ずかしいには恥ずかしいのですがまあそれも仕方がないし拍手いただけるのは嬉しいです。
さてまたしばらく書くことに詰まってたので一時帰国でまたじっくり書けなくなる前に暖めてたネタを昨日詰めてみました。
音楽というのはその字の通り「音」を楽しむものですが、音がない部分もものすごく大切だと常日頃思っています。自分はリズムや和音にフェチな面がありますが、よくよく考えてみると無音の部分に対しても同じくらい思い入れがあるかも。
ということで今回は無音が音と同じくらい、時には音よりも強く語り響く曲を紹介して音がない部分にちょっと焦点を当ててみたいと思います。
(ちなみに今回直前に弾かれた音の余韻が続くところやかすかな音が続いてる部分とかを除いて曲を選ぶのが意外と大変でした。全くの無音ってほんと特別でちゃんとそれ特有のエフェクトと意味があるんですね)
(1)ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン ピアノソナタ第3番 op. 2-3 第1楽章
この曲に限らずなのですがベートーヴェンのピアノソナタにおける休符・無音の部分って聴衆をサスペンスな状態にするというよりは意表を突いた諸々に対するリアクションをチェックするというか。そこから転じて聴衆と無言のやりとり、様々なコミュニケーションがあるような、曲に限らない意味がある気がします。特にこのソナタの第1楽章はあの手この手で聴衆を驚かせたりしてくる、ちょっと漫才的なエレメントがあるかも。
(2)ジョージ・クラム 「鯨の声」より「海のノクターン(時の終わりのための)」
「鯨の声」の最後の楽章ですが、この最後の最後で同じフレーズを繰り返しだんだん遠くかすかになっていくのですが、最後の繰り返しはなんと奏者は音を出さずに繰り返す、みたいなことになっていて。究極のマニュアルフェードアウト。この場合物理的には無音なのですが、音楽はしっかり確かに存在している不思議。言葉で表現するのもなんだかもったいない1小節です。
(3)ヘンリー・パーセル 「メアリー女王の葬送ための音楽」
タイトルでこの曲が葬送音楽だと分かるからってのもありますし、相当緊張するドラムソロだってのもありますが、それ以上にこの最初のドラムのソロの音の間の静寂の緊張とか重さがすごい。厳粛。物々しい。普通に居てもしゃべったり音立てたりしちゃ絶対いけないやつってすぐ分かる。それだけこの曲のドラムの音と無音の部分だけで周りの空気ができあがってるってことかな。
(4)セルゲイ・プロコフィエフ 「ロミオとジュリエット」より「ロミオがマキューシオの敵を討つ」の場面
この場面がチェロとコントラバスの不穏なアルペジオで始まるその正に一瞬前の静寂。管楽器はもちろんですが弦楽器はじめ息で音を出さない楽器もこういうスタートの時は揃って息を吸うものです(そういう息使いで奏者同士コミュニケーションすることがアンサンブルでは大事)。その息を吸う一瞬、空気がぎゅっと凝縮するのがたまらない。他にわかりやすい例はシベリウスの「フィンランディア」とか。
(5)フランツ・リスト ピアノソナタ
演奏される音も言葉にできない多くを語りますが、ところどころに現れる静寂もまた深くを語り。また曲の冒頭の話になりますが、このソナタがロ短調であるのに最初の音が(そのロ短調のメインの和音には入ってない)「ソ」の音だけを短く、ぽつぽつと奏でるのがたまらない。ここから何が語られるのか全く想像も付かないオープニング。そこから後も特徴的なパッセージの前の意味深な無音が音の深さを際立たせるようで。やっぱり聴くなら休符を大事にする演奏がいいよなあ。
(6)バルトーク・ベーラ 管弦楽のための協奏曲 第3楽章「悲歌」
バルトークのスローな楽章全般での休符や静寂ってただ深く暗いだけじゃなくて何が出てくるかわからない不気味さが大好きです。周りの音の余韻みたいなものがそうしてるんだろうな。音と休符で作る絶妙のアンビエント。そして静寂のあとにとんでもない化け物的な音楽が出てきて驚かされるのも好き。この第3楽章のビオラのセクションソロなんてその素晴らしい例だと思います。
(7)トーマス・アデス 「Arcadiana」 第5楽章「L’Embarquement」
楽器の音の性質とか響きの長さとかがそれぞれ違う関係で休符の使い方っても楽器によって違ってくるんですよね。この「Arcadiana」の第5楽章でのまるで繊維を編むような繊細な音の交差のその間に同じく編み込まれる線の細い休符の綾の美しさは弦楽四重奏ならでは。音と無音、どちらも存在して成り立つ模様です。実際休符にフォーカスして聴いてみると面白いです。ちょっと難しいですけど。
(8)オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19番「我眠る、されど我が魂は目覚め」
自分で弾いていてほんと休符の大切さを感じる曲です。とにかくフレーズの間に無音の部分が多く、まるで意識が眠り深くに潜ってしまったようでもあり、はたまた愛の深さに言葉が消えるような。休符の長さが変わることでニュアンスも表現も変わる、正に無音部分の表現が求められる曲です。音にも愛を込めたいですが休符にも同じくらい愛を込めたい。
(9)グスタフ・マーラー 交響曲第7番 第3楽章
一つ前のメシアンでも休符の長さが(ほとんどの場合)拍数でちゃんと決めてあってその長さが大事なのですがこのマーラーでもそう。スコア見てみるとわかるのですがかなりきっちり決まってる(なので前も書いたのですがあんまり速く弾くと休符の長さにも影響が)。このスケルツォでも無音でのサスペンスが大事なのですが、その緊張の度合いがこの曲を形作ってるようなところもあり。静寂部分をとことんまで楽しむにもってこいの曲です。
(10)ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第11楽章「結び」
ショスタコの晩期の音楽がとにかく好きなのですが、その頃のショスタコの無音の使い方もまた特別なものがあると思います。話をしていてふと言葉が途切れてどこか意識が別のところに行くような休符もあり(ビオラソナタとか)、ごく少ない楽器を使いながら挟む休符とか、色々あるのですが共通しているのがその音がなくなったときの「無」の感覚。全くの虚空のようで、例えば前述バルトークとは違った怖さもあり、透明な清々しさもあり。特にこの第11楽章のように乾いた打楽器の音の向こうの静寂はもう何もない感がすごいです。
ということで無音・休符・静寂に絞って10曲選んでみました。
聴くときにそこに改めて耳を傾けてみるのも新鮮で色々テンションがあがりますが、なにより自分がせっかちな奏者なので弾くときももっと大事にしていかないとと思います。
そして毎回ながら20世紀以降の音楽での静寂の使い方って面白いものがいっぱいあるようなのでこれから色々聴き広げてくうちで素晴らしい音だけじゃなく素晴らしい静寂にも出会えるのが楽しみです。
今日の一曲はお休み。
あんまり昔のだとやっぱ恥ずかしいには恥ずかしいのですがまあそれも仕方がないし拍手いただけるのは嬉しいです。
さてまたしばらく書くことに詰まってたので一時帰国でまたじっくり書けなくなる前に暖めてたネタを昨日詰めてみました。
音楽というのはその字の通り「音」を楽しむものですが、音がない部分もものすごく大切だと常日頃思っています。自分はリズムや和音にフェチな面がありますが、よくよく考えてみると無音の部分に対しても同じくらい思い入れがあるかも。
ということで今回は無音が音と同じくらい、時には音よりも強く語り響く曲を紹介して音がない部分にちょっと焦点を当ててみたいと思います。
(ちなみに今回直前に弾かれた音の余韻が続くところやかすかな音が続いてる部分とかを除いて曲を選ぶのが意外と大変でした。全くの無音ってほんと特別でちゃんとそれ特有のエフェクトと意味があるんですね)
(1)ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン ピアノソナタ第3番 op. 2-3 第1楽章
この曲に限らずなのですがベートーヴェンのピアノソナタにおける休符・無音の部分って聴衆をサスペンスな状態にするというよりは意表を突いた諸々に対するリアクションをチェックするというか。そこから転じて聴衆と無言のやりとり、様々なコミュニケーションがあるような、曲に限らない意味がある気がします。特にこのソナタの第1楽章はあの手この手で聴衆を驚かせたりしてくる、ちょっと漫才的なエレメントがあるかも。
(2)ジョージ・クラム 「鯨の声」より「海のノクターン(時の終わりのための)」
「鯨の声」の最後の楽章ですが、この最後の最後で同じフレーズを繰り返しだんだん遠くかすかになっていくのですが、最後の繰り返しはなんと奏者は音を出さずに繰り返す、みたいなことになっていて。究極のマニュアルフェードアウト。この場合物理的には無音なのですが、音楽はしっかり確かに存在している不思議。言葉で表現するのもなんだかもったいない1小節です。
(3)ヘンリー・パーセル 「メアリー女王の葬送ための音楽」
タイトルでこの曲が葬送音楽だと分かるからってのもありますし、相当緊張するドラムソロだってのもありますが、それ以上にこの最初のドラムのソロの音の間の静寂の緊張とか重さがすごい。厳粛。物々しい。普通に居てもしゃべったり音立てたりしちゃ絶対いけないやつってすぐ分かる。それだけこの曲のドラムの音と無音の部分だけで周りの空気ができあがってるってことかな。
(4)セルゲイ・プロコフィエフ 「ロミオとジュリエット」より「ロミオがマキューシオの敵を討つ」の場面
この場面がチェロとコントラバスの不穏なアルペジオで始まるその正に一瞬前の静寂。管楽器はもちろんですが弦楽器はじめ息で音を出さない楽器もこういうスタートの時は揃って息を吸うものです(そういう息使いで奏者同士コミュニケーションすることがアンサンブルでは大事)。その息を吸う一瞬、空気がぎゅっと凝縮するのがたまらない。他にわかりやすい例はシベリウスの「フィンランディア」とか。
(5)フランツ・リスト ピアノソナタ
演奏される音も言葉にできない多くを語りますが、ところどころに現れる静寂もまた深くを語り。また曲の冒頭の話になりますが、このソナタがロ短調であるのに最初の音が(そのロ短調のメインの和音には入ってない)「ソ」の音だけを短く、ぽつぽつと奏でるのがたまらない。ここから何が語られるのか全く想像も付かないオープニング。そこから後も特徴的なパッセージの前の意味深な無音が音の深さを際立たせるようで。やっぱり聴くなら休符を大事にする演奏がいいよなあ。
(6)バルトーク・ベーラ 管弦楽のための協奏曲 第3楽章「悲歌」
バルトークのスローな楽章全般での休符や静寂ってただ深く暗いだけじゃなくて何が出てくるかわからない不気味さが大好きです。周りの音の余韻みたいなものがそうしてるんだろうな。音と休符で作る絶妙のアンビエント。そして静寂のあとにとんでもない化け物的な音楽が出てきて驚かされるのも好き。この第3楽章のビオラのセクションソロなんてその素晴らしい例だと思います。
(7)トーマス・アデス 「Arcadiana」 第5楽章「L’Embarquement」
楽器の音の性質とか響きの長さとかがそれぞれ違う関係で休符の使い方っても楽器によって違ってくるんですよね。この「Arcadiana」の第5楽章でのまるで繊維を編むような繊細な音の交差のその間に同じく編み込まれる線の細い休符の綾の美しさは弦楽四重奏ならでは。音と無音、どちらも存在して成り立つ模様です。実際休符にフォーカスして聴いてみると面白いです。ちょっと難しいですけど。
(8)オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19番「我眠る、されど我が魂は目覚め」
自分で弾いていてほんと休符の大切さを感じる曲です。とにかくフレーズの間に無音の部分が多く、まるで意識が眠り深くに潜ってしまったようでもあり、はたまた愛の深さに言葉が消えるような。休符の長さが変わることでニュアンスも表現も変わる、正に無音部分の表現が求められる曲です。音にも愛を込めたいですが休符にも同じくらい愛を込めたい。
(9)グスタフ・マーラー 交響曲第7番 第3楽章
一つ前のメシアンでも休符の長さが(ほとんどの場合)拍数でちゃんと決めてあってその長さが大事なのですがこのマーラーでもそう。スコア見てみるとわかるのですがかなりきっちり決まってる(なので前も書いたのですがあんまり速く弾くと休符の長さにも影響が)。このスケルツォでも無音でのサスペンスが大事なのですが、その緊張の度合いがこの曲を形作ってるようなところもあり。静寂部分をとことんまで楽しむにもってこいの曲です。
(10)ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第11楽章「結び」
ショスタコの晩期の音楽がとにかく好きなのですが、その頃のショスタコの無音の使い方もまた特別なものがあると思います。話をしていてふと言葉が途切れてどこか意識が別のところに行くような休符もあり(ビオラソナタとか)、ごく少ない楽器を使いながら挟む休符とか、色々あるのですが共通しているのがその音がなくなったときの「無」の感覚。全くの虚空のようで、例えば前述バルトークとは違った怖さもあり、透明な清々しさもあり。特にこの第11楽章のように乾いた打楽器の音の向こうの静寂はもう何もない感がすごいです。
ということで無音・休符・静寂に絞って10曲選んでみました。
聴くときにそこに改めて耳を傾けてみるのも新鮮で色々テンションがあがりますが、なにより自分がせっかちな奏者なので弾くときももっと大事にしていかないとと思います。
そして毎回ながら20世紀以降の音楽での静寂の使い方って面白いものがいっぱいあるようなのでこれから色々聴き広げてくうちで素晴らしい音だけじゃなく素晴らしい静寂にも出会えるのが楽しみです。
今日の一曲はお休み。
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行って来ましたArts Centreで一日芸術三昧。
NGV Internationalでメル響打楽器奏者によるパーカッションパフォーマンス→State TheatreでThe Australian Balletの20:21→NGVでエルミタージュ展のコースでした。
まずはパーカッション。NGV Internationalはメインのロビーに展示があることが多いのですが今回そのメインロビーに(高い天井から)シンバルがいくつも吊されていて、それをメル響の奏者2人が即興で演奏するというものでした。もちろんいつものシンバル奏者さんも弾いてましたよ。
しばらくそのプロならではの演奏で楽器の様々な音(ほんと幅が広い!)を楽しんだあとは子供たちが参加。思い思いにシンバルを叩いていました。
面白いのは小さい子供でも自然に音に音で答えること。一人の子がシンバルを叩いたらそれを見て傍に居る別の子も同じように叩いたり。ちょっと大きめの子だとシンバルで色んな叩き方をして違う音を出してみたり。シンバルって音を出すのも簡単だし初心者でも結構いろんな音が出せるからなあ。(でもプロとして極めるにはかなり難しい楽器でもあるようで、そこの難易度曲線がどうなってるか不思議です。オーボエなんかは特に最初が難しいんですよね)
State Theatreはメルボルンのシンボルでもある「バレリーナのスカート」がある建物で、これまでゴーストツアーで裏に行ったことはあるのですが(White Nightのイベントでした)前から劇場に入るのは初めて。なんかちょっと暗めで丸く曲がってる廊下がマジ迷宮な感じで未だにどうなってるのかちょっと分からない。
The Australian Balletは今回観に行った20:21の次の公演が「眠れる森の王女」なので過去の「眠れる森の王女」の衣装やスケッチなどが展示されてました。魔女の衣装すごかったなー。おどろおどろしさに力が入ってて。
20:21はモダン中心のスタイルで作られた3人の振り付け師による3つの作品集でした。
最初の「Symphony in Three Movements」はちょっとイマイチだったかな。主に振り付けと音楽の兼ね合いという意味で。
曲はストラヴィンスキー(三楽章の交響曲)のいわゆる新古典なスタイルで書かれてはいるのですが、シンプルさもある中にダイナミックさと複雑さがあるので振り付けがちょっと平面的に感じてしまったというか。
2番目の「Filigree and Shadow」は素晴らしかったです。振り付けをはじめ全体的にモダンというか現代のダンスもがんがん取り入れててかっこよかったのですが、なんといってもステージの使い方が際立ってました。セットアップはシンプルなのですが照明でステージの広さの感覚や雰囲気を変えたり、あと横の仕切りと後ろの凹壁でダンサーの動線に動きを持たせたり。ダンスにもそういうところにも驚きっぱなしでした。
3番目の「In the Upper Room」(音楽はフィリップ・グラス)もよかった。グラスの音楽のシンプルさが振り付けやフォーメーションと相性が良くて。モダン・クラシックのバランスでは3作品のうちでは真ん中かな。
ただテンポが(踊るには)速くて、細かいステップのところとか大変そうでした。元々バレエのために書かれた音楽とは思えないくらい。でもそれでもいいバレエになってるんだもんなあ。
そしてNGV Internationalに戻り、閉館前1時間くらいでエルミタージュ展を見てきました。
ロシアのエルミタージュ美術館の作品とエカテリーナ女帝をテーマにした展覧会で、絵画もかなりの数来てたのですが私にとっては建物の見取り図や家具・装飾品が面白かったです。
これまでの色々見てきたので中国からの品は結構親しみを感じるようになったのですがその他ヨーロッパ系の食器とかももうちょっとゆっくり見たかった。
今回行き来したNGV InternationalとState Theatreは徒歩数分の距離で、さらにHamer HallやMelbourne Recital Centre、Federation SquareにあるNGV Australiaなんかももうちょっと歩くだけで行ける、気軽に芸術が楽しめるArts Centre界隈。Flinders Street駅にも近いのでメルボルンに旅行の際はArts Centre界隈のイベントや展示をちょっと調べて(大体いつでもなにかしらやってます。無料のイベントもあり)散歩がてら行ってみるのがオススメです。特に秋冬は天気がちょこちょこ悪かったり寒かったりするのでインドアでも楽しめるのはいいですね。
そしてThe Australian Balletは次の「眠れる森の王女」で今年はおしまいで、まだ来年シーズンが発表されてませんが(クラシック音楽界隈とはちょっとタイミングが違うのかな)来年もモダン見にいきたいです。もちろん友人がちびっこ連れてきてクラシックバレエ一緒に見に行きたいっていったらそっちも一緒に見に行きますが。
あとバレエ関係の展示(衣装とか)ももっと見てみたいのでアンテナちゃんと伸ばしとかないとですね。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 交響曲第3番 第4楽章
こないだのコンサートから紹介したかったブラームス。
第3楽章のひたすら美しいメロディー(チェロ!ホルン!)、哀愁と花開くような慎み深い明るさの間を優しく揺れ動く音楽からの第4楽章はちょっと厳しさを感じるけれど秘めた情熱と人間らしさがものすごく魅力的。
ブラームスの最終楽章というと自分にとっては「まとめるの苦労してるなー」的なイメージが強いのですが(交響曲第1番のフィナーレだったりピアノ協奏曲第1番のフィナーレだったり)、実際それがマジョリティなのかはわからない。少なくともこの曲は(交響曲全体が短めなのもあるのか)きちんとコンパクトにまとまっています。気持ちいいエンド。
コンパクトではあるのですが前述厳しさとか情熱とかブラームスのいいとこがちゃんと詰まってて、ものすごく盛り上がる曲です。
8分半?くらいの楽章で展開が色々あって、それに合わせて結構転調もあり(しかも効果的なキーチェンジ)、最期は第1楽章の再現もありながら落ち着くところに落ち着く満足さと美しさ。
先ほど第3楽章はメロディーが美しいと書きましたが第4楽章はリズムが結構効いてる気がします。諸々の展開のセクションそれぞれに特徴的なリズムがあって、繰り返しがすぐ分かるようになってるのもそうですがそのリズムが音楽の性質にものすごくふさわしくて。第2主題の三連符で青空を翔るようなメロディーとリズムの組み合わせも心躍るし最後の最後でコラール風のゆっくりな音楽に持って行くのもうまい。ブラームスのリズムの使い方ってもっとちゃんと見たほうが良いのかも。
さて手持ちの録音はシカゴ交響楽団でショルティ指揮。(リンク先は交響曲全集ですが手持ちのは3と4とハンガリー舞曲のセットです)
これはあっさりめの演奏なのかなどうなんだろう。もうちょっと濃い演奏なんかもあるのかな。
ただこれもいい演奏ですし、他のブラームスの交響曲と3番が違うとこってのは軽めな方がわかりやすいかな。うーんどうなんだろう。普段当たり前のように聴いてしまってわからない。
ただリンクは他のブラームスも一緒に楽しんじゃってください~ということで交響曲全集にしてみました。どれも名曲ですよ。
NGV Internationalでメル響打楽器奏者によるパーカッションパフォーマンス→State TheatreでThe Australian Balletの20:21→NGVでエルミタージュ展のコースでした。
まずはパーカッション。NGV Internationalはメインのロビーに展示があることが多いのですが今回そのメインロビーに(高い天井から)シンバルがいくつも吊されていて、それをメル響の奏者2人が即興で演奏するというものでした。もちろんいつものシンバル奏者さんも弾いてましたよ。
しばらくそのプロならではの演奏で楽器の様々な音(ほんと幅が広い!)を楽しんだあとは子供たちが参加。思い思いにシンバルを叩いていました。
面白いのは小さい子供でも自然に音に音で答えること。一人の子がシンバルを叩いたらそれを見て傍に居る別の子も同じように叩いたり。ちょっと大きめの子だとシンバルで色んな叩き方をして違う音を出してみたり。シンバルって音を出すのも簡単だし初心者でも結構いろんな音が出せるからなあ。(でもプロとして極めるにはかなり難しい楽器でもあるようで、そこの難易度曲線がどうなってるか不思議です。オーボエなんかは特に最初が難しいんですよね)
State Theatreはメルボルンのシンボルでもある「バレリーナのスカート」がある建物で、これまでゴーストツアーで裏に行ったことはあるのですが(White Nightのイベントでした)前から劇場に入るのは初めて。なんかちょっと暗めで丸く曲がってる廊下がマジ迷宮な感じで未だにどうなってるのかちょっと分からない。
The Australian Balletは今回観に行った20:21の次の公演が「眠れる森の王女」なので過去の「眠れる森の王女」の衣装やスケッチなどが展示されてました。魔女の衣装すごかったなー。おどろおどろしさに力が入ってて。
20:21はモダン中心のスタイルで作られた3人の振り付け師による3つの作品集でした。
最初の「Symphony in Three Movements」はちょっとイマイチだったかな。主に振り付けと音楽の兼ね合いという意味で。
曲はストラヴィンスキー(三楽章の交響曲)のいわゆる新古典なスタイルで書かれてはいるのですが、シンプルさもある中にダイナミックさと複雑さがあるので振り付けがちょっと平面的に感じてしまったというか。
2番目の「Filigree and Shadow」は素晴らしかったです。振り付けをはじめ全体的にモダンというか現代のダンスもがんがん取り入れててかっこよかったのですが、なんといってもステージの使い方が際立ってました。セットアップはシンプルなのですが照明でステージの広さの感覚や雰囲気を変えたり、あと横の仕切りと後ろの凹壁でダンサーの動線に動きを持たせたり。ダンスにもそういうところにも驚きっぱなしでした。
3番目の「In the Upper Room」(音楽はフィリップ・グラス)もよかった。グラスの音楽のシンプルさが振り付けやフォーメーションと相性が良くて。モダン・クラシックのバランスでは3作品のうちでは真ん中かな。
ただテンポが(踊るには)速くて、細かいステップのところとか大変そうでした。元々バレエのために書かれた音楽とは思えないくらい。でもそれでもいいバレエになってるんだもんなあ。
そしてNGV Internationalに戻り、閉館前1時間くらいでエルミタージュ展を見てきました。
ロシアのエルミタージュ美術館の作品とエカテリーナ女帝をテーマにした展覧会で、絵画もかなりの数来てたのですが私にとっては建物の見取り図や家具・装飾品が面白かったです。
これまでの色々見てきたので中国からの品は結構親しみを感じるようになったのですがその他ヨーロッパ系の食器とかももうちょっとゆっくり見たかった。
今回行き来したNGV InternationalとState Theatreは徒歩数分の距離で、さらにHamer HallやMelbourne Recital Centre、Federation SquareにあるNGV Australiaなんかももうちょっと歩くだけで行ける、気軽に芸術が楽しめるArts Centre界隈。Flinders Street駅にも近いのでメルボルンに旅行の際はArts Centre界隈のイベントや展示をちょっと調べて(大体いつでもなにかしらやってます。無料のイベントもあり)散歩がてら行ってみるのがオススメです。特に秋冬は天気がちょこちょこ悪かったり寒かったりするのでインドアでも楽しめるのはいいですね。
そしてThe Australian Balletは次の「眠れる森の王女」で今年はおしまいで、まだ来年シーズンが発表されてませんが(クラシック音楽界隈とはちょっとタイミングが違うのかな)来年もモダン見にいきたいです。もちろん友人がちびっこ連れてきてクラシックバレエ一緒に見に行きたいっていったらそっちも一緒に見に行きますが。
あとバレエ関係の展示(衣装とか)ももっと見てみたいのでアンテナちゃんと伸ばしとかないとですね。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 交響曲第3番 第4楽章
こないだのコンサートから紹介したかったブラームス。
第3楽章のひたすら美しいメロディー(チェロ!ホルン!)、哀愁と花開くような慎み深い明るさの間を優しく揺れ動く音楽からの第4楽章はちょっと厳しさを感じるけれど秘めた情熱と人間らしさがものすごく魅力的。
ブラームスの最終楽章というと自分にとっては「まとめるの苦労してるなー」的なイメージが強いのですが(交響曲第1番のフィナーレだったりピアノ協奏曲第1番のフィナーレだったり)、実際それがマジョリティなのかはわからない。少なくともこの曲は(交響曲全体が短めなのもあるのか)きちんとコンパクトにまとまっています。気持ちいいエンド。
コンパクトではあるのですが前述厳しさとか情熱とかブラームスのいいとこがちゃんと詰まってて、ものすごく盛り上がる曲です。
8分半?くらいの楽章で展開が色々あって、それに合わせて結構転調もあり(しかも効果的なキーチェンジ)、最期は第1楽章の再現もありながら落ち着くところに落ち着く満足さと美しさ。
先ほど第3楽章はメロディーが美しいと書きましたが第4楽章はリズムが結構効いてる気がします。諸々の展開のセクションそれぞれに特徴的なリズムがあって、繰り返しがすぐ分かるようになってるのもそうですがそのリズムが音楽の性質にものすごくふさわしくて。第2主題の三連符で青空を翔るようなメロディーとリズムの組み合わせも心躍るし最後の最後でコラール風のゆっくりな音楽に持って行くのもうまい。ブラームスのリズムの使い方ってもっとちゃんと見たほうが良いのかも。
さて手持ちの録音はシカゴ交響楽団でショルティ指揮。(リンク先は交響曲全集ですが手持ちのは3と4とハンガリー舞曲のセットです)
これはあっさりめの演奏なのかなどうなんだろう。もうちょっと濃い演奏なんかもあるのかな。
ただこれもいい演奏ですし、他のブラームスの交響曲と3番が違うとこってのは軽めな方がわかりやすいかな。うーんどうなんだろう。普段当たり前のように聴いてしまってわからない。
ただリンクは他のブラームスも一緒に楽しんじゃってください~ということで交響曲全集にしてみました。どれも名曲ですよ。
相変わらずあたふたしながら過ごしている流 星姫ですこんばんは。
ちゃんと余裕をもって仕事を受けてるし実際余裕もあるはずだしピアノもほぼ毎日できてるけど頭の中が忙しい。
一時帰国の準備もしなきゃ(何回目だ)。
そんな中暇さえあれば「孔明のヨメ。」を読み返したり適時無双ブラストを回したり夜には三国志11英雄集結シナリオを進めたり、結構三国志タイムがくつろぎ時間を占めてる。
すっかり三国志好き取り戻したなー。でも今回の一時帰国では三国志関連旅は出来なさそう。いつかきっと。
無双ブラスト、通常ステージ(激闘編)の難しい方までなんとか安定して遊べるようになって、通常入手可能な武将で持ってないのも残り2人(馬良と馬騰、どっちも好きなので早く会いたいです)。
今はイベント期間で限定アイテムをゲットするべくそっちにかかりっきり。なんか初のイベント専用ランキングシステムの導入で目当てのアイテムがもらえるボーダーラインぎりぎりでやきもき。まったり自分のペース遊ぶのが性に合ってるので相対的な諸々は苦手・・・
ブラストでSR(スーパーレア)武将を入手するのは運任せのガチャ(登用)の他に登用ポイントを貯める方法もあるのですが、ただ今ちょっと時間をかけてSR馬超貯金しています。馬超は激闘編の専用ストーリーが好きで、馬超がもともと好きなわけじゃないけど描写と物語がよかった。
ブラストの列伝ストーリーは結構好きなのが多いです。本家(7猛将伝)が割と広くgenericな感じで進んでたのと対照的にいろんなキャラクターに視点をあててじっくり迫る感じかな。以前ちょろっと書いたのですが本家のストーリーを補完するようになってたり、はたまた同じ時代枠を違う主人公で違うストーリーとして描いたり(呂布伝と貂蝉伝とか)。
晋のストーリーを天才・鍾会の目線で追う鍾会伝や、呉のストーリーを結構大胆にアレンジした大喬伝、他の物語とはちょっとちがう呂布像を描く貂蝉伝がお気に入りです。
(あと三国志自体ではマイナーもマイナーな樊玉鳳が主人公の列伝もあって、ストーリーがどう描かれてるかものすごーく気になる!)
そしてブラストはさっきも書きましたがまったり一人で遊ぶのが好きで。短期的・中期的な目標を設定してもくもくと毎日遂行していく遊び方。たまに運がやってきてガチャでSR武将が出てきて列伝やったり、イベントになったらまた遊び方を工夫したり。日常にルーチンがあると落ち着く自分にとっては向いてるゲームみたいです。
あと番外編的な話としては張苞の得意武器、連刃刺が実際どういう武器かブラストでのモーションを見るまで全貌が分からなかった。あれは短い本体とそこから伸びる棘付きワイヤーみたいな長い部分とでできてて特定の攻撃でワイヤーが伸びる(しかもリーチがすごい長い)というものなんですね。本家だと振りが早めなのと画面に映るものが多くてあの細いワイヤーは見えにくい。本家では長短の使い分けも分かるようになったし「転身」もあってなかなか使いいいです。
三國志11はなんか最初に遊び始めたときから苦手なことが変わってない気がします。
このゲームは中国全土が一枚マップなのですが、攻めるのに苦手な都市、守るのに苦手な都市が毎回同じだったり、あと戦後の捕虜処理とか内政回復とか、一つ都市を落としてから次に準備を素早く整えたり、効率良く資源を輸送したり。全体的にもたついてるなあ、と我ながら思います。でもそこんとこのやりくりが無双エンパではない楽しい悩みでもあり。
前も書いたか分からないですが三國志シリーズは全武将プレイ作品はやったことないので13が出るのは楽しみです。エンパでしばらく在野のままぶらぶらしたり交流があったりなんだり、謀反したり、一つのゲームプレイで視点やプレイスタイルが変わるのも面白いので。(ただエンパはやっぱりコマンドや方針の自由度から君主プレイが楽ではあるかな)
そして今三國志13の公式サイト見てたら初回特典の追加シナリオ「英雄十三傑」なんてものがあってびっくり。クイズ番組でも正解の数が明確になってる多答問題は(DVD一時停止して)全部答えたくなってしまう性ゆえ英傑13人が誰かものすごーく気になります。英傑=君主、ということであれば曹操・孫堅・劉備・袁紹・呂布・董卓・公孫瓚・劉表あたりは確定かな。あとは司馬懿・孟獲・劉焉・袁術・・・あれ、すぐ大半が埋まっちゃったぞ。これだと今11でプレイしてる「英雄集結」シナリオとそんなに変わらないんじゃ(汗)覆る意外さを期待。
さて、明日は一人でシティに遊びにいく休みなので諸々の感想を次回に。
今日の一曲: 聖飢魔II 「モーニングティーを二人で」
これも妹購入の聖飢魔IIリマスターアルバム「PONK!!」から。
各大教典(アルバム)にそれぞれの特色がある的なことは前回も書きましたが「PONK!!」は中でも変わってるというか、聖飢魔IIのイメージ、ヘビメタ&ハードロックのイメージとはかなり離れたとこにある楽曲揃い。聖飢魔IIのポップスってことでいいのかな。
(あと前ちらと聴いたことのあるデーモン閣下のソロアルバムにもスタイル似てるとこある。ただこっちも閣下作曲楽曲多いけど)
そんなわけで前紹介した「恐怖のレストラン」のおどろおどろしさとは対極的な、明るくてとにかくテンションが上がる曲と素直な美しさのバラードが収録されてます。「モーニングティーを二人で」は前者。
テンションもあがるし音楽として完成度もすごく高く、なんかロックとしての明るさが突き抜けてるというか。あと音の密度も濃い。(基本的に背景に色んな音がある複雑な感じが好きなのです)
朝からがんがん聴ける爽やかさもありながらちゃんと聖飢魔IIで、すっかりヘビロテラインアップに入ってしまってます。
「PONK!!」大教典自体がそんな朝から聖飢魔IIにオススメな曲揃いで。「ふたりのWHITE NIGHTS」はシンプルさが素晴らしいバラードだし「ロマンス」も長年お気に入り。
とにかく聖飢魔IIの音楽の幅の広さにびっくりして欲しいアルバムです。試聴ものすごく推奨。
・・・ところでジャケットの後ろの構成員担当パートにある「roast beef 1 pound a day」とは(汗)
ちゃんと余裕をもって仕事を受けてるし実際余裕もあるはずだしピアノもほぼ毎日できてるけど頭の中が忙しい。
一時帰国の準備もしなきゃ(何回目だ)。
そんな中暇さえあれば「孔明のヨメ。」を読み返したり適時無双ブラストを回したり夜には三国志11英雄集結シナリオを進めたり、結構三国志タイムがくつろぎ時間を占めてる。
すっかり三国志好き取り戻したなー。でも今回の一時帰国では三国志関連旅は出来なさそう。いつかきっと。
無双ブラスト、通常ステージ(激闘編)の難しい方までなんとか安定して遊べるようになって、通常入手可能な武将で持ってないのも残り2人(馬良と馬騰、どっちも好きなので早く会いたいです)。
今はイベント期間で限定アイテムをゲットするべくそっちにかかりっきり。なんか初のイベント専用ランキングシステムの導入で目当てのアイテムがもらえるボーダーラインぎりぎりでやきもき。まったり自分のペース遊ぶのが性に合ってるので相対的な諸々は苦手・・・
ブラストでSR(スーパーレア)武将を入手するのは運任せのガチャ(登用)の他に登用ポイントを貯める方法もあるのですが、ただ今ちょっと時間をかけてSR馬超貯金しています。馬超は激闘編の専用ストーリーが好きで、馬超がもともと好きなわけじゃないけど描写と物語がよかった。
ブラストの列伝ストーリーは結構好きなのが多いです。本家(7猛将伝)が割と広くgenericな感じで進んでたのと対照的にいろんなキャラクターに視点をあててじっくり迫る感じかな。以前ちょろっと書いたのですが本家のストーリーを補完するようになってたり、はたまた同じ時代枠を違う主人公で違うストーリーとして描いたり(呂布伝と貂蝉伝とか)。
晋のストーリーを天才・鍾会の目線で追う鍾会伝や、呉のストーリーを結構大胆にアレンジした大喬伝、他の物語とはちょっとちがう呂布像を描く貂蝉伝がお気に入りです。
(あと三国志自体ではマイナーもマイナーな樊玉鳳が主人公の列伝もあって、ストーリーがどう描かれてるかものすごーく気になる!)
そしてブラストはさっきも書きましたがまったり一人で遊ぶのが好きで。短期的・中期的な目標を設定してもくもくと毎日遂行していく遊び方。たまに運がやってきてガチャでSR武将が出てきて列伝やったり、イベントになったらまた遊び方を工夫したり。日常にルーチンがあると落ち着く自分にとっては向いてるゲームみたいです。
あと番外編的な話としては張苞の得意武器、連刃刺が実際どういう武器かブラストでのモーションを見るまで全貌が分からなかった。あれは短い本体とそこから伸びる棘付きワイヤーみたいな長い部分とでできてて特定の攻撃でワイヤーが伸びる(しかもリーチがすごい長い)というものなんですね。本家だと振りが早めなのと画面に映るものが多くてあの細いワイヤーは見えにくい。本家では長短の使い分けも分かるようになったし「転身」もあってなかなか使いいいです。
三國志11はなんか最初に遊び始めたときから苦手なことが変わってない気がします。
このゲームは中国全土が一枚マップなのですが、攻めるのに苦手な都市、守るのに苦手な都市が毎回同じだったり、あと戦後の捕虜処理とか内政回復とか、一つ都市を落としてから次に準備を素早く整えたり、効率良く資源を輸送したり。全体的にもたついてるなあ、と我ながら思います。でもそこんとこのやりくりが無双エンパではない楽しい悩みでもあり。
前も書いたか分からないですが三國志シリーズは全武将プレイ作品はやったことないので13が出るのは楽しみです。エンパでしばらく在野のままぶらぶらしたり交流があったりなんだり、謀反したり、一つのゲームプレイで視点やプレイスタイルが変わるのも面白いので。(ただエンパはやっぱりコマンドや方針の自由度から君主プレイが楽ではあるかな)
そして今三國志13の公式サイト見てたら初回特典の追加シナリオ「英雄十三傑」なんてものがあってびっくり。クイズ番組でも正解の数が明確になってる多答問題は(DVD一時停止して)全部答えたくなってしまう性ゆえ英傑13人が誰かものすごーく気になります。英傑=君主、ということであれば曹操・孫堅・劉備・袁紹・呂布・董卓・公孫瓚・劉表あたりは確定かな。あとは司馬懿・孟獲・劉焉・袁術・・・あれ、すぐ大半が埋まっちゃったぞ。これだと今11でプレイしてる「英雄集結」シナリオとそんなに変わらないんじゃ(汗)覆る意外さを期待。
さて、明日は一人でシティに遊びにいく休みなので諸々の感想を次回に。
今日の一曲: 聖飢魔II 「モーニングティーを二人で」
これも妹購入の聖飢魔IIリマスターアルバム「PONK!!」から。
各大教典(アルバム)にそれぞれの特色がある的なことは前回も書きましたが「PONK!!」は中でも変わってるというか、聖飢魔IIのイメージ、ヘビメタ&ハードロックのイメージとはかなり離れたとこにある楽曲揃い。聖飢魔IIのポップスってことでいいのかな。
(あと前ちらと聴いたことのあるデーモン閣下のソロアルバムにもスタイル似てるとこある。ただこっちも閣下作曲楽曲多いけど)
そんなわけで前紹介した「恐怖のレストラン」のおどろおどろしさとは対極的な、明るくてとにかくテンションが上がる曲と素直な美しさのバラードが収録されてます。「モーニングティーを二人で」は前者。
テンションもあがるし音楽として完成度もすごく高く、なんかロックとしての明るさが突き抜けてるというか。あと音の密度も濃い。(基本的に背景に色んな音がある複雑な感じが好きなのです)
朝からがんがん聴ける爽やかさもありながらちゃんと聖飢魔IIで、すっかりヘビロテラインアップに入ってしまってます。
「PONK!!」大教典自体がそんな朝から聖飢魔IIにオススメな曲揃いで。「ふたりのWHITE NIGHTS」はシンプルさが素晴らしいバラードだし「ロマンス」も長年お気に入り。
とにかく聖飢魔IIの音楽の幅の広さにびっくりして欲しいアルバムです。試聴ものすごく推奨。
・・・ところでジャケットの後ろの構成員担当パートにある「roast beef 1 pound a day」とは(汗)
20000アクセスありがとうございます!
(スパムアクセスも多いようですが)訪問回数の伸びとたどり着くキーワードの多彩さに感謝感謝です。
そして前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
ここ数日妹が風邪引いて、例によって妹の風邪はかなりひどくなるし私はそこまでではないけど数日満足に動けなくて(バレエは行きましたが)、まだ調子が戻ってません。
昨日はTwitterで神経学者Oliver Sacksの訃報が入ってきました。
彼の著者は「Musicophilia」と「Hallucinations」の2冊(ここでも紹介してます)だけしか読んでないのですが片頭痛や手話など広いエリアで著書を残しています。脳の働きや病気だけでなくその体験、人間としての存在への影響など、脳に関する様々な要素を人間そのものに関連付けて語るのが特徴的。
なんといっても色んな面白い症例をたくさん知ってたり見つけたり、何年後に後日談の手紙が来たり、それから特に「Hallucinations」では様々な人から幻覚についての体験の話を引き出したり。
これから新しく著作が出ることはなくなるけれど、まだまだ読みたいこと知りたいことたくさん。まだまだ読みます、これからも。
去年に続いて今年もちょっとばかりこちらのメンタルヘルス等団体に寄付をしました。
去年と同じところにも入れましたが他にもいくつか見直して予算に合うよう絞って。
一口にメンタルヘルス団体といっても色々で、例えばBeyondblueは鬱を中心に手広くカバーしていたりEating Disorders Victoriaはその名の通り摂食障害を専門にしていたり、若い人を主にケアする団体や、移民などtransculturalな団体もあったり、ケアする人のケアを専門とする団体もあり。
そしてその活動も色々。最近は男性のメンタルヘルスについての宣伝をよく見かけますね。
オーストラリアの男性のステレオタイプとして男らしく振る舞うことが求められるみたいなところがあるのですが、そういう男性像が原因で男性がメンタルヘルスに問題をきたした場合でも助けを求めないことが問題になっているらしく。(もちろんオーストラリアに限った話ではないですが)
こういう価値観を変えるキャンペーンは根強くこつこつと進める必要があると思いますが、少しずつでも変わっていくといいなあ。
それから最近LGBT関連のトピック(同性結婚についてなど)でメンタルヘルス団体が声を上げることも多いですね。LGBTの、特に若い人においてメンタルヘルスのリスクが高いことは前々から言われていましたが、そういった人々のメンタルヘルスの実態やケアもだんだん充実してきているのかな。
他にも「RUOK」という声かけ活動だったり、「自分の意志とは別に脳が感じたり動いたりことがある」という精神疾患の特徴を脳のキャラクターを使って表現したシリーズだったり。
fact sheetも色々工夫を凝らしたものがあるようです。
Beyondblueとか総合的なメンタルヘルス団体では男性のメンタルヘルスや高齢者のメンタルヘルスなど分けてあったり。
英語以外のケアに関する情報やアクセス情報とかも探したらあるのかな。
うーむ見てるうちにまた色々読んで勉強したくなった。
もちろん今は全くそんな余裕はないのですがいつかまた。
今日の一曲: アルフレット・シュニトケ ピアノ五重奏曲
シュニトケ、宣言通りCD一枚買ってみたのですがやっぱり好きなんだけどわからないしなかなか身につかなくて歯がゆい!でも好き!
こないだ買ったのはリンクしたピアノ四重奏曲・弦楽三重奏曲・ピアノ五重奏曲のセットなのですが、むしろ合唱曲とか全然知らないジャンルから選べばよかったかなー・・・
とはいえやっぱり好きな音楽(三回目)。
シュニトケの音楽独特の闇があって、この曲もまたそれがあって。ピアノも暗くて弦も暗い。言葉で表すのは難しいのですがどっぷり深く浸かれる闇が気持ちいいと思います。
シュニトケの音楽って現代音楽は現代音楽なんですが、所々ロマン派以前のスタイルも入ってくることもあります。それがシュニトケの音楽をとっつきやすくしている・・・とは一概には言えないかなあ。その現れ方がなんか逆にちょっと気持ち悪いかも。その気持ち悪さがまた良いと思うのですが。(全て個人の感想です)
ピアノ五重奏曲はピアノ+弦楽四重奏曲という編成で割とスタンダードな方なのですが、作品数はそんなに多くないです。主な作曲家はシューマン、ブラームス、ドヴォルザーク、ショスタコーヴィチ(誰も忘れてないよね)、そしてこのシュニトケも大事なレパートリーだそうで。
ちなみに今回買ったCDの室内楽作品はスタンダードな編成のもの揃いですが、シュニトケは他にもスタンダードだったり珍しかったり様々な楽器編成で曲を残しています。Wikipediaで見てみるとちょっと面白いですよ。
ということでまだまだシュニトケの世界の冒険は続く。というかまだまだ始まったばかり。
(スパムアクセスも多いようですが)訪問回数の伸びとたどり着くキーワードの多彩さに感謝感謝です。
そして前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
ここ数日妹が風邪引いて、例によって妹の風邪はかなりひどくなるし私はそこまでではないけど数日満足に動けなくて(バレエは行きましたが)、まだ調子が戻ってません。
昨日はTwitterで神経学者Oliver Sacksの訃報が入ってきました。
彼の著者は「Musicophilia」と「Hallucinations」の2冊(ここでも紹介してます)だけしか読んでないのですが片頭痛や手話など広いエリアで著書を残しています。脳の働きや病気だけでなくその体験、人間としての存在への影響など、脳に関する様々な要素を人間そのものに関連付けて語るのが特徴的。
なんといっても色んな面白い症例をたくさん知ってたり見つけたり、何年後に後日談の手紙が来たり、それから特に「Hallucinations」では様々な人から幻覚についての体験の話を引き出したり。
これから新しく著作が出ることはなくなるけれど、まだまだ読みたいこと知りたいことたくさん。まだまだ読みます、これからも。
去年に続いて今年もちょっとばかりこちらのメンタルヘルス等団体に寄付をしました。
去年と同じところにも入れましたが他にもいくつか見直して予算に合うよう絞って。
一口にメンタルヘルス団体といっても色々で、例えばBeyondblueは鬱を中心に手広くカバーしていたりEating Disorders Victoriaはその名の通り摂食障害を専門にしていたり、若い人を主にケアする団体や、移民などtransculturalな団体もあったり、ケアする人のケアを専門とする団体もあり。
そしてその活動も色々。最近は男性のメンタルヘルスについての宣伝をよく見かけますね。
オーストラリアの男性のステレオタイプとして男らしく振る舞うことが求められるみたいなところがあるのですが、そういう男性像が原因で男性がメンタルヘルスに問題をきたした場合でも助けを求めないことが問題になっているらしく。(もちろんオーストラリアに限った話ではないですが)
こういう価値観を変えるキャンペーンは根強くこつこつと進める必要があると思いますが、少しずつでも変わっていくといいなあ。
それから最近LGBT関連のトピック(同性結婚についてなど)でメンタルヘルス団体が声を上げることも多いですね。LGBTの、特に若い人においてメンタルヘルスのリスクが高いことは前々から言われていましたが、そういった人々のメンタルヘルスの実態やケアもだんだん充実してきているのかな。
他にも「RUOK」という声かけ活動だったり、「自分の意志とは別に脳が感じたり動いたりことがある」という精神疾患の特徴を脳のキャラクターを使って表現したシリーズだったり。
fact sheetも色々工夫を凝らしたものがあるようです。
Beyondblueとか総合的なメンタルヘルス団体では男性のメンタルヘルスや高齢者のメンタルヘルスなど分けてあったり。
英語以外のケアに関する情報やアクセス情報とかも探したらあるのかな。
うーむ見てるうちにまた色々読んで勉強したくなった。
もちろん今は全くそんな余裕はないのですがいつかまた。
今日の一曲: アルフレット・シュニトケ ピアノ五重奏曲
シュニトケ、宣言通りCD一枚買ってみたのですがやっぱり好きなんだけどわからないしなかなか身につかなくて歯がゆい!でも好き!
こないだ買ったのはリンクしたピアノ四重奏曲・弦楽三重奏曲・ピアノ五重奏曲のセットなのですが、むしろ合唱曲とか全然知らないジャンルから選べばよかったかなー・・・
とはいえやっぱり好きな音楽(三回目)。
シュニトケの音楽独特の闇があって、この曲もまたそれがあって。ピアノも暗くて弦も暗い。言葉で表すのは難しいのですがどっぷり深く浸かれる闇が気持ちいいと思います。
シュニトケの音楽って現代音楽は現代音楽なんですが、所々ロマン派以前のスタイルも入ってくることもあります。それがシュニトケの音楽をとっつきやすくしている・・・とは一概には言えないかなあ。その現れ方がなんか逆にちょっと気持ち悪いかも。その気持ち悪さがまた良いと思うのですが。(全て個人の感想です)
ピアノ五重奏曲はピアノ+弦楽四重奏曲という編成で割とスタンダードな方なのですが、作品数はそんなに多くないです。主な作曲家はシューマン、ブラームス、ドヴォルザーク、ショスタコーヴィチ(誰も忘れてないよね)、そしてこのシュニトケも大事なレパートリーだそうで。
ちなみに今回買ったCDの室内楽作品はスタンダードな編成のもの揃いですが、シュニトケは他にもスタンダードだったり珍しかったり様々な楽器編成で曲を残しています。Wikipediaで見てみるとちょっと面白いですよ。
ということでまだまだシュニトケの世界の冒険は続く。というかまだまだ始まったばかり。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
なんだかスケジュールとしてはそんなに忙しくないはずなのにめまぐるしい。
今日も一日休みという名目だったのですが動き回ってたのが大半だったような・・・
ただコンサートは行きました。メル響でメシアンやるとなっちゃ聴きにいかずにはいられない。
ただ土曜の昼のコンサートに行くのは久しぶり。(もう一つが月曜の夜でバレエのレッスンの時間だったため)夜のコンサートの方がなんか緊張というかムードがあるというか、一日の終わりをコンサートでしめれるのが好きなのかもしれません。ただメシアンは昼が似合う(取り出し)。
さてコンサートのプログラムはこんな感じ。
メルボルン交響楽団「Mozart's Piano Concerto No. 17」
指揮:Sir Andrew Davis
ジョアキーノ・ロッシーニ 「泥棒カササギ」序曲
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ピアノ協奏曲第17番(ピアノ:Jean-Efflam Bavouzet)
(休憩)
オリヴィエ・メシアン 「異国の鳥たち」(ピアノ:Jean-Efflam Bavouzet)
ヨハネス・ブラームス 交響曲第3番
最後の交響曲も含めこじんまりした曲揃い。ブラームスの3番についてはSir Davisのコンサート間トークによるとコンサートの〆にふさわしい華やかさがないと巷で言われてるそうですが、例えばこういう控えめな曲ばっかり揃えるプログラムもそれはそれで面白いし効果的。
「泥棒カササギ」序曲、部分部分が有名な曲ですがこんなにスネアドラムがかっこいい曲だとは知らなかったです。ステージの後ろの右と左に2人、多分スネア部分の設定を変えてあるのかちょっと違う音の太鼓コンボ。かっこよかった。
そして母が常日頃(昔ホルン吹いてたときに)よく「豆のような」細かい音を出すことがあった(そしてあんまり面白くなかった)という話をするのですがロッシーニもモーツァルトも正に豆でしたね。
モーツァルト・・・は正直ぼんやりだったなあ。そもそもモーツァルトに関してはレクイエム>交響曲・ピアノ以外協奏曲>ピアノソナタ>ピアノ協奏曲みたいなところがあって(数曲例外はありますが)、この曲に特別愛着はなかったなあ。
そして(自分にとって)メインのメシアン。「異国の鳥たち」はちゃんとした音質の録音も持ってないので聴けてよかったー。木管が異様に多く弦がなく金管も最小限で打楽器は4人くらい?にソロのピアノというかなり変則的な編成(ステージのレイアウトも結構変わってます)で奏でるヨーロッパ以外の様々な地域の鳥たちの共演。演奏時間16分ですが47種類もいるそうですよ。
まずはソロ。モーツァルトで「なんかちょっと走りやすい演奏だな(そして自分もそういうところあるんだよな)」と思ってたのがメシアンでしっくり来た。確かにああいう弾き方は鳥の声のパッセージにふさわしいというか。いろんなピアニストのメシアンちょこちょこ聴いてますがみんなある種の神経質さがあるような印象で、これもそんな感じでした。とはいえ鳥としてものすごく安定しててリズムもキレがあって聴いてて楽しいピアノソロでした。
そしてメシアンといえば打楽器もすごい。鍵盤状の木琴鉄琴の様々な(テクニカルな感じの)鳥の鳴き声を奏でる縦横無尽の活躍もすごかったですし、その後ろで要所要所に出てくる銅鑼群(大きいオーケストラ銅鑼と小さくて調音してある銅鑼いくつか)もかっこよかった。銅鑼って普段は大きい編成のオケでいろんな音が交錯してるときに演奏することが多いのですが今回は銅鑼だけ聴くことも多く、その響きの豊かさにびっくりしました。もっと銅鑼が聴きたくなる。
ブラームスの交響曲のなかでちょっとこじんまりしている第3番。なんか無駄がなくて、でも最初から最後まで充実している(トッポか)。
今回一つ前がメシアンだった影響もあったのか色彩豊かなブラームスでした。こないだ今日の一曲のチャイコの5番で書いた「交響曲のリズム」が特に第4楽章で生きる曲だと思うのですがちょっとリズムはにぶめだった印象。
ブラームスの3番といえば元チェロ弾きにとっては第3楽章の冒頭のソロがやっぱり印象強いですね。あとでホルンやオーボエも弾いてるメロディーですがここはザ・チェロ。元々重みのあるメヌエット・スケルツォ相当の楽章が好きなのですがこの曲のしっとりさとチェロの美しさは特別。毎回メロメロです(笑)
そんなわけで後半のメシアンではご機嫌&若干ハイになってからのしっとり堅実ブラームスで落ち着くという2コースでなんかものすごく満足なコンサート終わりでした。やっぱり華やかさとは別の楽しみもいいですね。
あとは今回ブラームスやモーツァルトを目当てにコンサートに来た人がメシアンの音楽にちょっとでも興味をもってくれたことを願うのみ。「異国の鳥たち」はそんなにとっつきやすい曲ではないですがそんなにとっつきにくい曲でもないはずなので、たとえほんの数人でも何かとっかかりを覚えてくれたらな。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「異国の鳥たち」
やっぱこれでしょ今回は。さっきは一応内容全部書かないでおいたんですよ。(ブラームスも紹介したいのですがそれはまた今度録音聴いてゆっくり紹介します~)
コンサート間トークでSir Davisがメシアン(と奥さん)に会ったという話をしていて、やっぱり現在活躍中の音楽家でメシアンにお目にかかれた人って結構いるんだなーうらやましいなーと思いました。ニアミスとまでは言えませんがかなり近い時代のすれちがいだからやっぱり惜しい。
ちなみにSir Davisは元オルガン奏者で(びっくり!)、なのでメシアンの音楽には深く縁があるそう。なんでもメシアンはバッハ、フランクと並んでオルガン音楽の三大作曲家だとか。
同じくメシアンが書いた「鳥のカタログ」はフランスの様々な鳥をその生息環境とともに描いた作品ですが、この「異国の鳥たち」はちょっと勝手が違います。
「異国の鳥たち」はヨーロッパ以外(アジア、南北アメリカなど)の様々な地域の鳥たちをコラボさせるというか一同に集めて共演させるといった趣旨の曲。なので生物学的(鳥類学的)よりも音楽的、ファンタジー的(そして総称的なエキゾチック)な作品になっています。
この曲に限らず異国的・エキゾチックってなんだろう、と考えると熱帯的な色彩ってのはやっぱ大きいかなーと思います。Cardinalの鮮やかな赤をはじめ日常的にあまり見ない色が鳥の歌声に乗せてありとあらゆるところに極彩色。
そして音楽においてエキゾチックな演出としてはリズムもよく使われますね。普段周りにいる鳥とは違う鳴き声リズムに加え銅鑼の音やギリシャ・インドのリズムを使うことでエキゾチックを演出します。
とはいえ最初のピアノのソロはIndian Minah、オーストラリアやマレーシアなどではスズメ並みによくいる鳥だったり(汗)でもやつら普段聴いててもものすごく鳴き声の要素のレパートリーがかなり豊富なんですよ。普通にいるからってなめちゃいけない。
プログラムに書いてあったのですがメシアンは自分の作品を弾く前に鳥の声を聴いて欲しいと言ったそうです。インターネットで世界中の実に様々な鳥の鳴き声が聞ける時代ですが(下手すりゃ数時間楽しめる)、まずは身近な鳥の声にも忘れず耳を傾けることから始めるべきなのかなと思います。鳥の声とその環境、2つともメシアンの音楽の大事なパーツ。
リンクしたのはエサ=ペッカ・サロネンの演奏の録音。「峡谷から星たちへ」がカップリング曲で入ってるのがおいしいです(北米つながりですね)。他にももちろんマダム・ロリオの演奏のもありますし、岩城宏之さんが指揮してるアンサンブル金沢の演奏も。
ちなみにメル響が前回初めてこの曲を弾いたのも岩城さんの指揮でだそうで、レア曲ながら意外に初演から年数経ってないうちに弾いてたのに驚きました。メル響たまにそういうとこあるから面白い。
なんだかスケジュールとしてはそんなに忙しくないはずなのにめまぐるしい。
今日も一日休みという名目だったのですが動き回ってたのが大半だったような・・・
ただコンサートは行きました。メル響でメシアンやるとなっちゃ聴きにいかずにはいられない。
ただ土曜の昼のコンサートに行くのは久しぶり。(もう一つが月曜の夜でバレエのレッスンの時間だったため)夜のコンサートの方がなんか緊張というかムードがあるというか、一日の終わりをコンサートでしめれるのが好きなのかもしれません。ただメシアンは昼が似合う(取り出し)。
さてコンサートのプログラムはこんな感じ。
メルボルン交響楽団「Mozart's Piano Concerto No. 17」
指揮:Sir Andrew Davis
ジョアキーノ・ロッシーニ 「泥棒カササギ」序曲
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ピアノ協奏曲第17番(ピアノ:Jean-Efflam Bavouzet)
(休憩)
オリヴィエ・メシアン 「異国の鳥たち」(ピアノ:Jean-Efflam Bavouzet)
ヨハネス・ブラームス 交響曲第3番
最後の交響曲も含めこじんまりした曲揃い。ブラームスの3番についてはSir Davisのコンサート間トークによるとコンサートの〆にふさわしい華やかさがないと巷で言われてるそうですが、例えばこういう控えめな曲ばっかり揃えるプログラムもそれはそれで面白いし効果的。
「泥棒カササギ」序曲、部分部分が有名な曲ですがこんなにスネアドラムがかっこいい曲だとは知らなかったです。ステージの後ろの右と左に2人、多分スネア部分の設定を変えてあるのかちょっと違う音の太鼓コンボ。かっこよかった。
そして母が常日頃(昔ホルン吹いてたときに)よく「豆のような」細かい音を出すことがあった(そしてあんまり面白くなかった)という話をするのですがロッシーニもモーツァルトも正に豆でしたね。
モーツァルト・・・は正直ぼんやりだったなあ。そもそもモーツァルトに関してはレクイエム>交響曲・ピアノ以外協奏曲>ピアノソナタ>ピアノ協奏曲みたいなところがあって(数曲例外はありますが)、この曲に特別愛着はなかったなあ。
そして(自分にとって)メインのメシアン。「異国の鳥たち」はちゃんとした音質の録音も持ってないので聴けてよかったー。木管が異様に多く弦がなく金管も最小限で打楽器は4人くらい?にソロのピアノというかなり変則的な編成(ステージのレイアウトも結構変わってます)で奏でるヨーロッパ以外の様々な地域の鳥たちの共演。演奏時間16分ですが47種類もいるそうですよ。
まずはソロ。モーツァルトで「なんかちょっと走りやすい演奏だな(そして自分もそういうところあるんだよな)」と思ってたのがメシアンでしっくり来た。確かにああいう弾き方は鳥の声のパッセージにふさわしいというか。いろんなピアニストのメシアンちょこちょこ聴いてますがみんなある種の神経質さがあるような印象で、これもそんな感じでした。とはいえ鳥としてものすごく安定しててリズムもキレがあって聴いてて楽しいピアノソロでした。
そしてメシアンといえば打楽器もすごい。鍵盤状の木琴鉄琴の様々な(テクニカルな感じの)鳥の鳴き声を奏でる縦横無尽の活躍もすごかったですし、その後ろで要所要所に出てくる銅鑼群(大きいオーケストラ銅鑼と小さくて調音してある銅鑼いくつか)もかっこよかった。銅鑼って普段は大きい編成のオケでいろんな音が交錯してるときに演奏することが多いのですが今回は銅鑼だけ聴くことも多く、その響きの豊かさにびっくりしました。もっと銅鑼が聴きたくなる。
ブラームスの交響曲のなかでちょっとこじんまりしている第3番。なんか無駄がなくて、でも最初から最後まで充実している(トッポか)。
今回一つ前がメシアンだった影響もあったのか色彩豊かなブラームスでした。こないだ今日の一曲のチャイコの5番で書いた「交響曲のリズム」が特に第4楽章で生きる曲だと思うのですがちょっとリズムはにぶめだった印象。
ブラームスの3番といえば元チェロ弾きにとっては第3楽章の冒頭のソロがやっぱり印象強いですね。あとでホルンやオーボエも弾いてるメロディーですがここはザ・チェロ。元々重みのあるメヌエット・スケルツォ相当の楽章が好きなのですがこの曲のしっとりさとチェロの美しさは特別。毎回メロメロです(笑)
そんなわけで後半のメシアンではご機嫌&若干ハイになってからのしっとり堅実ブラームスで落ち着くという2コースでなんかものすごく満足なコンサート終わりでした。やっぱり華やかさとは別の楽しみもいいですね。
あとは今回ブラームスやモーツァルトを目当てにコンサートに来た人がメシアンの音楽にちょっとでも興味をもってくれたことを願うのみ。「異国の鳥たち」はそんなにとっつきやすい曲ではないですがそんなにとっつきにくい曲でもないはずなので、たとえほんの数人でも何かとっかかりを覚えてくれたらな。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「異国の鳥たち」
やっぱこれでしょ今回は。さっきは一応内容全部書かないでおいたんですよ。(ブラームスも紹介したいのですがそれはまた今度録音聴いてゆっくり紹介します~)
コンサート間トークでSir Davisがメシアン(と奥さん)に会ったという話をしていて、やっぱり現在活躍中の音楽家でメシアンにお目にかかれた人って結構いるんだなーうらやましいなーと思いました。ニアミスとまでは言えませんがかなり近い時代のすれちがいだからやっぱり惜しい。
ちなみにSir Davisは元オルガン奏者で(びっくり!)、なのでメシアンの音楽には深く縁があるそう。なんでもメシアンはバッハ、フランクと並んでオルガン音楽の三大作曲家だとか。
同じくメシアンが書いた「鳥のカタログ」はフランスの様々な鳥をその生息環境とともに描いた作品ですが、この「異国の鳥たち」はちょっと勝手が違います。
「異国の鳥たち」はヨーロッパ以外(アジア、南北アメリカなど)の様々な地域の鳥たちをコラボさせるというか一同に集めて共演させるといった趣旨の曲。なので生物学的(鳥類学的)よりも音楽的、ファンタジー的(そして総称的なエキゾチック)な作品になっています。
この曲に限らず異国的・エキゾチックってなんだろう、と考えると熱帯的な色彩ってのはやっぱ大きいかなーと思います。Cardinalの鮮やかな赤をはじめ日常的にあまり見ない色が鳥の歌声に乗せてありとあらゆるところに極彩色。
そして音楽においてエキゾチックな演出としてはリズムもよく使われますね。普段周りにいる鳥とは違う鳴き声リズムに加え銅鑼の音やギリシャ・インドのリズムを使うことでエキゾチックを演出します。
とはいえ最初のピアノのソロはIndian Minah、オーストラリアやマレーシアなどではスズメ並みによくいる鳥だったり(汗)でもやつら普段聴いててもものすごく鳴き声の要素のレパートリーがかなり豊富なんですよ。普通にいるからってなめちゃいけない。
プログラムに書いてあったのですがメシアンは自分の作品を弾く前に鳥の声を聴いて欲しいと言ったそうです。インターネットで世界中の実に様々な鳥の鳴き声が聞ける時代ですが(下手すりゃ数時間楽しめる)、まずは身近な鳥の声にも忘れず耳を傾けることから始めるべきなのかなと思います。鳥の声とその環境、2つともメシアンの音楽の大事なパーツ。
リンクしたのはエサ=ペッカ・サロネンの演奏の録音。「峡谷から星たちへ」がカップリング曲で入ってるのがおいしいです(北米つながりですね)。他にももちろんマダム・ロリオの演奏のもありますし、岩城宏之さんが指揮してるアンサンブル金沢の演奏も。
ちなみにメル響が前回初めてこの曲を弾いたのも岩城さんの指揮でだそうで、レア曲ながら意外に初演から年数経ってないうちに弾いてたのに驚きました。メル響たまにそういうとこあるから面白い。