忍者ブログ
~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

バレエと物語と音楽と
最近ちょっとずつバレエ調子良いです。先生曰くもう数週間で一つ上のクラスに移っても大丈夫かもと。ただもう数週間したら日本に3週間行く予定もあるのでタイミング難しいところ。
あと今までの成長は子供のころやってたのの感覚を取り戻した分なのでここから伸び悩む可能性も大ありなので心して続けなければ。

そんなわけでバレエを始めてから音楽、特にバレエ音楽の見方もちょっと変わった気がします。
元々「踊り」の性質がある音楽が好きでバレエでない音楽も体の動きとかをなんとなく意識したりもしてたのですが、最近それがもっとはっきりしてきたような。
踊りや振り付け、衣装やセット、舞台などいろいろな要素が見えてきた感じです。

そういう背景もあって久しぶりにチャイコフスキーの「白鳥の湖」を仕事のときに通して聴いてみました。個々の曲は聴くのですが通しては何年ぶりか。ユースオケ時代に2回もやってるんでそんなにもう積極的に聴かないんですけどね。
でもやっぱ改めて(間をおいて久しぶりに)聴いてみるといい音楽ですね。オーボエのソロなんて全部美しくて好きですし、第2幕のグラン・パ・ドゥ・ドゥのチェロソロももう天国ですし。要所要所での音楽描写の鮮やかさも愛せずには居られない。

ただ思ったのですが第1幕長え!手持ちの録音(ボストン交響楽団、小澤征爾指揮)だと1時間近く第1幕が続くんですよ。しかも第1楽章はまだ白鳥一羽も出てきませんからね!
ただひたすら人間が王子の誕生日を祝って踊ってるだけ。最初のメインのワルツも7分くらいあるようですし、物語の進行としても音楽的な面白さとしてもとにかくだるかった。レディーを待たせるにも程がありますぜ。
(多分ユースでやったときは数曲カットしてるはず)

なかなかそこがバレエを考えるにおいてちょっとforeignなところなんですよね。
物語とは関係ないキャラクターがいっぱい出てきてそこそこの尺を取って踊っていく、というのは純粋に物語という視点から見ると理解しがたいし、聴覚のみ・時間的な媒体である音楽でもなかなか難しい。オペラとも大分感覚違うような気もします。
でもバレエの場合そういうのがなかったら味気なくなっちゃうのかなあ。

「白鳥の湖」はそういう踊りに対する物語・音楽の無駄みたいのを感じちゃうのですが(大体白鳥の湖でいい曲ってほとんど物語がちゃんと進んでるところなんですよね)、例えば「くるみ割り人形」とかプロコフィエフのロミジュリとか、その無駄を感じない作品ももちろんあり。

あとバレエで面白いと想うのがプロダクションによって(比較的物語で重要でない)曲が違うところで使われてたり順番が変わったりしてること。音楽の性格によって振り付けの性質も変わるし、ストーリーやキャラクターの印象もちょっと変わったり。例えば白鳥の湖の場合、第3幕の黒鳥オディールの有名な32回転の音楽は手持ちの録音とユースオケでやったときで違う曲を使ってます(順番が違う)。
前述「無駄が少なく思える作品」ではでもこういうのって少ない印象。各曲のストーリーでの役割が固定しているというか。

それからバレエの振り付けと音楽の性質の関係にも以前より思いを馳せるようになりました。
そもそものきっかけがアドルフ・アダンの「ジゼル」でジゼルの狂乱の踊りの音楽が全然狂乱してないという話で。(ビオラのソロがあるのは嬉しいですが)そういう意味ではくるみ割りや白鳥の湖(ドラマチックな部分)やロミジュリや春の祭典などが聴いてて&見てて満足感がある。
もちろんそこは振り付け師のお仕事にも色々左右されるところなのですが。

そこはまあバレエという芸術の性質がその後の時代で変わったというのもあり、音楽の方の進化もあったのですが。この2つの媒体に限らずですが二つの分野がぴったり合った時の1+1が10にも100にもなる感覚って素晴らしいです。そう考えるとストラヴィンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な音楽とニジンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な振り付けが作りだした「春の祭典」はものすごい化学反応だったんだな。
(決してそれを「奇跡」と言いたくないのはバレエ・リュスそのものがそういう化学反応を起こすような場所としてしっかり存在・機能してたから)

あとバレエに関して興味深いと思うのがシンボルの使い方。
例えばバレエの振り付けの中で特定のジェスチャーが特定の言葉などを意味してたり、音楽でもライトモチーフというか特定の状況やキャラクターを表すフレーズを使ったり(もちろんバレエに限った話ではないですが)、衣装も伝統的に特定の要素を特定のキャラクターなどに使ったり(白鳥たちの頭飾りとか、火の鳥の赤とか、ジゼルのウィリ達の衣装とか、あと主役級と他の人達との違いとか)。
もちろん踊りも美しく見せなくちゃいけないしオリジナリティも出さなきゃいけないけれど、とにかく限られた表現の中で物語や感情、情景を最大に伝えることが大切だからこそのシンボルの使い方で。

そうやって複数の媒体の表現の調和だったりシンボルを使った表現だったり、物語とキャラクターとその他諸々のバランスなどを考え始めるとやっぱり行き着くところはワーグナーの考えてた「総合芸術」の域に入ってくるのだろうかとか、そういうことひっくるめてもっと創作に使えないかとか思考が果てしない旅路に出てしまいそうで今日はここらでストップに。

本当は最近買ったCDの紹介するのにまた聞き直さなきゃいけないのですが、明日は映画「ムーラン・ルージュ」のサントラを通して聴きたいと思います。ミュージカル(映画含む)は今回書いたのとはまた違う音楽とその他要素の相互作用があって考え始めるとそれも面白そう。いかんまた思考が果てしない旅路に。


今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」より第2幕「情景」(Allegro, Moderato Assai Quasi Andante)



むかーし、というか大学のころバロック時代以降の伝統的なオペラだと話すようなスタイルの「レチタティーヴォ」で物語を進行して、主要登場人物の「アリア」で時を止めて人物の心情を歌い上げる、みたいな風に習ったのですがバレエも似たような構成になってます。曲の性質がはっきり分かれてるわけじゃないのですが「情景(Scene)」と題されてるのが物語りを進める役割で、その他のパ・ドゥ・なんとかとかcharacter piecesとかがアリアに相当する役割になってるはず。

白鳥の湖からはここではそのアリアに相当する役割の、キャラが立った曲を紹介してきたので今回は一つ「情景」をチョイスしてみました。白鳥の湖の第2幕の情景というと幕の最初の情景が超有名なのですが、もうちょっと物語を進めて第2幕の(手持ちの録音でいうと)3トラック目に。
ジークフリート王子たちが湖に白鳥を狩りに来たら白鳥たちが人間になってびっくり、さらにその元・人間たちを白鳥に変えた魔法使いまで現れてさらにびっくり。3曲目はその魔法使いを追い払ったところで白鳥娘たちが集まり、その中で王子とオデットが言葉を交わし恋に落ちて呪いを解く誓いをする的な場面。ただしプロダクションによりタイミングは変わります。

曲の最初で白鳥娘たちが集まるところの「集まる感」だったり、高貴な感じのパッセージが軽めのタッチで繰り返されるところといい、繰り返しが幾何学的なテイストがあって面白かったり、ただの情景描写でなく動きがあって表現が細やかで。

でもこの曲のハイライトは後半。ピチカートに乗せられた憂いを帯びたオーボエのソロ、そしてクラリネットのソロからのドラマチックなクライマックス、さらに静かで悲しげなエンディング。
オーボエのソロのまるでバレエのステップや動きを模したような、ため息のようなフレージングがたまらない!世の中にこんなにも繊細な音楽があるのか!と心を鷲掴まれます。

オーボエに関してはほんと白鳥の湖はすごい。白鳥といえばオーボエ、オーボエといえば白鳥といっても過言じゃないです。最初の最初からとにかくソロが多いし、それが本当に美しいソロばかりで。今回のこの曲は比較的小さいソロですが、それでも聴きごたえがあるソロです。
オーボエ=アヒルみたいな音と思ってる人も多いかもしれませんができればバレエ全体を聴いてオーボエの美しい音で無双されちゃってください(笑)最高峰です、本当に。

リンクは手持ち。DVDも欲しいんだけどどこのがいいかなーと悩み中。マシュー・ボーンみたいな変わったやつも面白そうなんだけど。ただそもそもバレエのDVD一つ持つなら白鳥の湖じゃないかもしれない。せっかくジョン・ノイマイヤーまで線が繋がったし。

拍手[1回]

PR
小旅行行って来ました
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

タイトル通り&前回のエントリーで書いた通り週末は友達と小旅行に行って来ました。
メルボルンから南方モーニントン半島の先の方、ソレントに友達の家族が別荘を持ってる(アパートの集合を建てたらしい)とのことでそこに泊まってきました。
普段貸し出したりとかしてなくてほとんど使ってないらしいのがもったいないところ。土曜日は肌寒くも天気が穏やかで夜屋上に上がっても心地よいくらいでした。

ソレントは両側海に挟まれてることもあって冬はいわゆるオフシーズンなので、あんまり海に行って遊んだりとかなく(あと温泉も近いのに今回行き損ねました)、主にだらだらしたりゲームで遊んだり。海に散歩いったりワイナリーでランチ行ったくらいかな。
ワインはでも買ったりなんだりしてたくさん飲みましたし、あとケーキも複数ありました&食べました。そういう旅行でした。

ここからは写真なども。
まずは食べ物の写真まとめてドン。

これらは宿泊したとこで食べたもの。他にもここらで有名なVanilla slice(甘いもの)だったり近くのピザ屋のピザやサラダだったりRed Hill方面のワイナリーParinga Estateでランチしたり。
ちなみにパスタすごくおいしかったので作った友達にレシピ紹介してもらいました。ここの一番下のがそう。フェタチーズや緑豆や松の実、ギリシャヨーグルトなど普段はまず使わない食材ばっかり使う新鮮さ。だから作るのもちょっとだけハードル高いけどいつか試す。

お次はゲーム類。

左は「Women In Science」というゲーム。その名の通り様々なジャンルの女性科学者をカードにして集めるゲーム。ルールとゲームに関しては作者団体によるネガティブなお墨付き(?)があるほどできてないゲームなのですが、通常トランプとしても使えるようになってますし、なかなか面白そうな科学者揃いでちゃんとスポットライトを当ててるのが良いところ。

右は「set」というカードゲーム。形・色・塗り・数が違うカードから『どれかの要素が3枚に共通しているか3枚ばらばらになっている』3枚組を集めるゲーム。わかりにくいかな。要するに2枚だけしか共通してないのはアウトです。私も説明されるの・するのは難しいと思ったのですが遊び始めたらなんとなくわかりました。言語関係なくできる、じっくり面が特に面白いゲームです。

他にも深夜の人狼ゲーム(mafia gameって読んでましたね、人数が少ないので役も少なめで)を観戦したり、あと久しぶりにcryptic crosswordやりました。
Cryptic crosswordはクロスワードのヒントがストレートじゃなく、一部アナグラムになってたり同義語があったり謎解き状になってるクロスワード。友達何人かは日常的にやってて、難易度の違いだけでなく作者によるヒントの出し方の違いなんてものもあるんだと教えてくれました。
今回はでも結構私も答えたくさん出ましたね。自分も普段からやれば良いのに。

そして最後になりましたが景色など。
 
今回散歩に行ったのは「裏」というか外海の方。冬だし風が吹いたり波が荒れてたりとかすると思ったら土曜日はとにかく穏やかでまるで鏡のような海が見れました。
一番右の写真は一応表の海(内海)と裏の海(外海)が同時に写ってるはずなんですが果たしてみえるかどうか。

ということでここの文だと穏やかでゆっくりな旅行にも見えないこともないですが盛り上がり有り爆笑有りの色々面白い&楽しい旅行でした。温泉リベンジ含めまた行きたいです。
そしてまた一人でぶらっと行っても良いと思いました、改めて。もうちょっと暖かくなったら。

今日の一曲はお休みです。


拍手[0回]

「only」という言葉
買ってしまったー!

CD新しく2枚買いました。ストラヴィンスキーの室内楽など小規模でちょっとマイナーな作品の2枚組に、以前「5大フォローアップを怠ってる作曲家」としてあげたシュニトケのピアノ五重奏曲・ピアノ四重奏曲・弦楽三重奏曲。正直シュニトケはもっと冒険してもよかったかなー。普通に自分が好きなシュニトケが手元に加わって嬉しいんだけどもっと「何これ-」と驚くようなものにも出会いたかったかも。頑張らなければ。
ストラヴィンスキーは様々な編成の様々な曲(ストラヴィンスキーって作風も多彩なんですよね)が色々入っててなんだか一回ざっと聴いただけだと情報過多(汗)とりあえずどの曲がどんな楽器編成かから調べなければ・・・

CDを買ったのはもちろんなのがメインの買い物は世界地図。
ちょっと前に見たら日本語(日本で買った?)のも英語(学校で使った)のもユーゴスラビアとか書いてあってこりゃいけないと思って新しくしました。The Timesのリファレンス版です。ちなみに妹が誕生日プレゼントにと払ってくれました。
地図の見やすさはもちろん、地理情報や衛星写真、都市地図など情報が色々入っててオーバーな気もしますがこれで向こう10年使えそう。
インターネットでスクロールしたりズームしたりするのとはまた違うニーズがあるのです。あと地図が好きなのもあります。

さて、タイトルについては今日ちょっと考えてたことで。
うちには父が昔買ったマーチン・ガードナーのパズルの本があるのですが(うちにあるのは英語なのですが日本語の本も日本に置いてあったので好きなんだろうな)、その中にあったパズルをふと思い出して。
ネットでどこかにあるかなーと思ったらこのページの中程しか見つからなかったのですが、要するにこの文のどこにonlyという言葉を入れても文章が成り立つけどどこに入れるかによって文章の意味が変わる、と。

だから仕事でonlyという言葉を使う時は(文章の種類にもよりますが多くはないですが)その位置と使い方には気をつけるようにしています。もちろんonlyに限ったことじゃないのですが、割と一文が長くなるようなフォーマットの文章を書くことも多いので、文章を口の中で読んでみて違う意味になってないようにチェックするのは大事。

ただ自分が「only」という言葉を使うのはピアノの時が多いです。ついでながら「20のまなざし」を弾いてるときはものすごく多いような気がします。
例えば「20のまなざし」の20番とか10番とかとにかく音量がでかいのがほとんどを占める曲で、fとffとfffの部分が色々入り交じってると「fのところはそんなにめいっぱいの音量で弾いちゃいけない」ということになるわけで。そういう時にリマインダとして楽譜にfの前に「only」という言葉を書いておくと「ここはあくまでfだけにとどめておきなさい」というメッセージが自分に伝わる、というシステム。

逆に弱音でpやppやppp、さらにはたまにppppまであるような曲だと(これも20のまなざしにもあります)、pをあんまり弱く弾きすぎるとppとかpppとかが効果が出せなくなる、というかものすごく苦しくなる。ピアノの弱音って限られてますからね。そういう時にpの横にonlyって書いておくとそこそこな音量で弾いてそこから音量を小さくしていける。
(ただ同じ曲で音量の振れ幅がものすごいとそこはそんなに小さくないという「only p」とそこは弱音だよという「only p」が共存しちゃうこともあるのか)

引き続き20のまなざしで「only」を強弱につけて自分でおかしいよなーと思ったのが第20番「愛の教会のまなざし」の最後の方で強弱が「fff」とあるところにonlyをつけたこと。
曲の最後、そして曲集の最後にあたるここはもうメシアンの信仰的な愛が溢れてファイナルの爆発するところなのですが、ずっと音量MAXで弾いてるとしんどいしつまらないので楽譜に書いてあるffとfffとffffを弾き分けなくちゃならない。
そんな中でこの「only fff」というのがffでもなくffffでもなく、両側にマージンを残して(ついでにここまでたどり着くまでにスタミナも調整して)程よい音量で弾けよ、というセルフ無茶ぶり。

ちょうど今大学出てから弾き始めたようなまなざし(大音量の部分が多いやつが多い)でそういう強弱プランニング、曲の中だけじゃなくて20曲全部も視野に入れて必要になってくる時期で。
西洋のクラシック音楽(現代の記譜法)だと楽譜に書いてあるのはあくまでも相対的な、数段階の目安レベルとなってて、作曲家によっても曲によっても周りの音によっても、はたまた奏者によっても演奏のシチュエーションによっても色々変わるもの。

20のまなざしは全体で音量の幅が広くて、強弱の偏りも著しいとなかなかプランニングが大変で、自分は特に体格の関係から大音量方面のリミットも厳しく。
そのなかでどう演奏していくか、これからの課題ですね。

こないだ楽譜買った2曲(ラフマニノフのピアノソナタ第1番とワーグナーの愛の死)もその課題は結構共通してるのでメシアン以外の音楽を久しぶりに初見がてら感覚をリフレッシュさせるのもいいんじゃないかと思いますがまだまだ手元のまなざしで手一杯。
しかも明日から週末旅行なのでまた数日練習休み。とりあえず今週末は楽しんできます。

そういえば昨日CD買ったのに前買ったCD紹介してなかった。ということで今日の一曲で。


今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「ロッシニアーナ」より第2楽章「嘆きの歌」



こないだ買ったCD。ちなみにQ2 Musicのクラウドファンディングで来たCDはなかなかピンとくる曲がないので悩み中。ただMeet the Composersシリーズはすごく楽しんでます。

レスピーギ、私はとってもすきな作曲家なのですが、レスピーギ好きって巷にあんまり居ないんですよね。クラシック好きでない人はまず知らない作曲家で、クラシック好きにとっては深さと聴き応えに欠ける、みたいな印象を持たれてるイメージ。ちょうど間のpitにすとーんと落っこってる。

そんなわけで有名なローマ三部作(特に「ローマの松」)意外の作品となるとなかなか聴く機会がない。ただそういうレスピーギのちょっと知られない作品、小規模作品(三部作もそんなに長くないですが)が多くて、ちょっと幸せになる魅力がある曲も色々あります。「ボッティチェッリの三枚の絵」とか「鳥たち」とか大好き。

今回買った「ロッシニアーナ」は以前紹介した「風変わりな店」と同じく同じイタリア出身の作曲家ロッシーニの作品をアレンジしたもの。「風変わりな店」はバレエ・リュスが演じたそうで。「ロッシニアーナ」はバレエではないのですがバレエにも合う曲ということでバレエに後年仕立てられたそう。

CDを買ってこの曲を初めて聴いた時「これはすごい!(笑)」と思ったのがこの第2楽章。何が笑うほどすごかったかというとそのイタリアの悲しみ&宗教的キャラクターがどーんと現れててこれがイタリアか!と笑っちゃいました。
何に似てるって去年聴いたヴェルディのStabat Materに似てるんですよね。悲しみの表現とか弦の使い方とかハープのアルペジオとか。

独特で面白いなと思ったのが冒頭の銅鑼の使い方。多分遠ーーーーくから聞こえる教会の鐘の音を表現してるんだと思います。レスピーギはイタリアの印象派と思ってますが、こういう描くような楽器の使い方は思わずにやりとしちゃう。というか銅鑼がこんなにたくさん音を出すのってすごく珍しいんじゃないかな。

さらにこの曲集、第4楽章がタランテラになってます。レスピーギもロッシーニもイタリアはイタリアでもタランテラのホームの南イタリアの出身ではないのですが、「純血(Puro Sangue)」とタイトルがつけられてるのが気になるところ。クラシックで聴くタランテラとちょっと感じがちがうけど本場のタランテラってこういうものなのか、はたまた(ジャケットで何やら説明がありましたが)別物なのか。

リンクした手持ちの録音(西ラリアのオケ初めてだった)には他にも「ローマの松」(やっぱり大好き!)、異色の「ブラジルの印象」も収録されてますが、「教会のステンドグラス」がまだ手に入らない!ということでレスピーギの作品を求める旅はまだまだ続く。

拍手[1回]

New Musicなう
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。

最近仕事もあったりで音楽を聴く機会と楽しみが増えてほくほくです。
祖父から来た日本の番組の録画(もうすぐ録画リタイアだそうです)では録音が出たことを聴いて以来聴きたかったジョン・アダムスのサキソフォン協奏曲も聴けましたし、バルトークのバイオリン協奏曲第2番もよかったですし。

そしてなにより今の楽しみは(前回も書きましたが)BBC Proms。
イギリス現地で盛り上がるのはもちろんですが、インターネット上でコンサートの録音が期間限定で聴けるのがとってもうれしい!しかもトラック分けもちゃんとしてますし。

Promsといえば威風堂々の斉唱で盛り上がる最終日のコンサート(Last Night of the Proms)が有名ですが、その他にも色々なコンサートがあります。
去年メル響が参戦したように世界の様々なところから奏者が参加したり、ユースオケの演奏もあったり、ソロの演奏もあり室内楽もあり、そしてバロック以前から現代音楽まで時代も様々、さらにはミュージカルシアターやクラシック以外のジャンルの音楽家との共演もあり、今年はレーザー照明のダンスミュージックコンサートもあり、とにかくクラシック音楽を一夏幅広く楽しめるフェスティバル。

今年もすでに録音をいくつか聴いてそのバラエティの一部を味わってます。
今のところいいなーと思ったのはプーランクのオルガン協奏曲(プーランクは好きな曲とイマイチな曲が分かれるのですがこれはすごかった!)、ストラヴィンスキーの八重奏曲(やっぱ木管強いですねストラヴィンスキー)、ホルストの惑星(いつ聴いても楽しい曲、盛り上がる木星に渋い土星)、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番(プロコピアノ協奏曲全曲演奏だったそうです)、そしてラフマニノフの交響曲第2番(堅実な演奏で素晴らしかった)など。

そして今日聴いて一聴き惚れしてしまったのがこの曲。陳其鋼の「ヴェールを取られたイリス」というソロの女性歌い手3人、中国楽器とオケのための曲です。
陳其鋼は中国出身でフランス国籍だそうですが、1951年生まれで家族が画家で文化大革命に直撃受けてたり(譚盾と同世代になるのかな)、そしてその後なんとメシアンの弟子になった人だそう。

実際曲を聴くとメシアンによく似た和音いっぱい出てきます。メシアンの弟子のくだり読む前からものすごくフランスな雰囲気は出てましたし。あと譚盾に似てる、と思った部分は中国のスタイルってとこでいいのかな。ソロ歌手の一人は京劇のスタイルで歌ってたりそっちの源泉も共通してる。その他にもポストメシアン世代に共通するような細かい打楽器の使い方があったり、そして西洋と東洋の合わせ技は他とは違う独特なスタイル。
諸々のエレメントが自分にストライクで、とにかく美しい曲で好きになりました。また聴きたいですし、陳其鋼の音楽もっと知りたいです。

そういえば歌い手も女性ですしたしか中国楽器の奏者も女性、さらにこのコンサート(乗騎ラフマニノフ2番含む)の指揮者も女性だったはず。さらに惑星のコンサートも別の女性指揮者だった。今年のPromsは女性がものすごく活躍してるのかな。作曲家の方はどうだろう。

現代音楽に関してはこれから聴きたいのが(冥王星を作曲した)Colin Matthewsの弦楽四重奏曲やオーストラリアが誇る作曲家Brett Deanの田園交響曲あたりかな。現代音楽以外でもまだショスタコの7番とかバッハのバイオリンソナタ群とか聴けてない。
これからもまだまだ来ると思うので楽しみです。


今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 第4楽章



今回のBBC PromsでのSergei Babayanの演奏(ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、ロンドン交響楽団)が素晴らしかった一曲。
ものすごーく好きで自分にとって特別な曲で自分の理想の演奏にはなかなか出会えないのですが、いい演奏でした。第4楽章特によかったー。
そして自分にとって特別な曲なので(あとブログ初期に当時のテンションで色々語っちゃってるから)なかなか今日の一曲でも紹介しないのですがこれを機に久しぶりに。

プロコのピアノ協奏曲第2番といえば色々な意味でヘヴィーな曲です。音楽の性質だったり感情の性質だったり和音の重さだったりがっつんがっつん来るのが好き。
好きは別の話として、この重さにはオケの働きも関係しています。編成は交響曲のようなフルオケ編成、金管もホルン4トランペット2トロンボーン3テューバ1とフル参戦、打楽器もそこそこに揃っています。そこからフォルテとか容赦なくどっかんどっかんかましてくるのがこれまた凄い交響曲。(もちろんピアノが1人でそれに立ち向かってるってのも凄いんですよ)

そんなオケが一番暴れるのが多分第4楽章じゃないかな。ものすごいオケ弾いてますよ(頻度というよりは音の数と量の意味で)。
パンドラの箱を開けたらありとあらゆる災いが逃げていったという話を思い出すようなスピーディーな冒頭からちょっと民謡的なところがあるメロディーの第2主題から、アクロバティックだったりミステリアスだったり縦横無尽に活躍します。

中でも途中でちょっとファゴットのソロがあったり、あとソロとまではいかなくともものすごくテューバが出張ってるところがあったり(テューバ奏者はプロコフィエフで活躍するってこういうことなのか)、初聴きでは気づかないかもしれないけど知識があると「これすごいな」と思うポイントが色々あったり。

そしてピアノの話も忘れちゃいけない。そもそもプロコフィエフのピアノ作品ってトリッキーな難しさがあるのですが、それを大きく超えるピアノパート。ピアノだからこそできる広い音域に渡るアクロバティックな分散和音や音の跳躍、流れるような分散和音や跳ねるようなスタッカート、分厚い和音での素早い立ち回り。聴いてて難しいと分かるし恐ろしいですが、同時に曲のスピード感と演奏の素晴らしさで妖しい楽しい魅力があるピアノパートです。

とはいえこの協奏曲だとやっぱり狂乱の長いカデンツァがある第1楽章、規則正しいカオスの第3楽章がお気に入り。録音を選ぶときもこの2つの楽章を重点的に評価しています。第3楽章が重々しい演奏が好きなのですよ。
手持ちの録音は巨人ブロンフマン(彼が弾くとほんとなんでも苦労一つ聞こえない自然な演奏になりますね)と手が小さいんだけどどう弾いてるのかわからないアシュケナージ(自分にとっての王道かな)があるのですが、リンクしたキーシンの演奏も前々から気になってます。重めの第3楽章、そしてスピード感があるけど安定した第4楽章の冒頭。ちなみに一緒に収録されてる第3番もこれぞプロコフィエフ的な素晴らしい曲ですよ。

拍手[1回]

星空の音楽
今年もやってきました、イギリスの夏休みの音楽の祭典、BBC Proms。
今年もコンサートの録音が後から期間限定で聴けるようになっています。こちらから。
仕事のお供に数曲ずつ聴いています。

そのPromsで数日前にホルストの「惑星」の演奏があったり、その前にQ2 MusicのMeet the ComposerシリーズでKaija Saariahoのインタビューを聴いたり、その前には‎ニュー・ホライズンズの冥王星接近があったり、それらの縁で何回かホルストの「惑星」の追加曲として作曲されたコリン・マシューズの「冥王星」や他の4曲の追加曲を聴きました。
作風とか性質は元の「惑星」と大分違った曲で、何かと事前にハードルが上がっちゃうようですがこの5曲はこれでまた面白くて美しく、宇宙的な曲です。

それで思ったのですが自分は太陽の曲も付きの曲も好きながら、「星空の曲」もものすごく好きなんだなと実感しました。そもそも「惑星」が好きになったのも小さい頃の宇宙好きですが、現代音楽全般好きになった今も宇宙・宇宙的なものは自分の「好き」の鍵になってるような。
ということで(キーワードto音楽には仕立てられなかったのですが)星空や宇宙に関する・思わせる(自分にとって)ような曲を10曲チョイスしてみました。偏りはいつもの通りです(苦笑)

(1)グスタフ・ホルスト 組曲「惑星」より「海王星」
そもそもホルストの「惑星」は天文学的でなく占星術的な惑星の描写なのですが、「海王星」に関しては曲の性質がとても宇宙的というか。イギリスの作曲家だけどドビュッシーやその先のメシアン、クラムにも通じる、SF音楽の祖みたいにも思える暗い神秘ときらめきの音楽。

(2)グスタフ・マーラー 交響曲第7番 第2楽章
マーラーの7番は「夜の歌」。第2楽章は魔法が生まれるような夜で、第4楽章はロマンチックな夜というイメージなのですが、どちらの夜も情景を頭の中で描いてみると星が輝いているような、絵本の絵のような感じになります。マーラーの作品は大自然の中の別荘で書かれてるし、自然の美を表す音楽となるとやっぱり空には星が輝いてるはず。

(3)セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第5番 第3楽章
星空・宇宙の描写に関しては星が瞬く様子とか全体的な雰囲気とか色々要素があるのですが、この曲に宇宙を感じたのは果てしなく何もない距離と空間の感覚から。20世紀音楽の一部に特徴的な無機質さ、そして楽器の様々な限界を使う作風、音の余韻や隔たりを使った表現で屋内にいながら無限の孤独と距離が感じられる、そんな音楽の凄さが味わえる曲です。

(4)ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第3楽章
一つ前のプロコフィエフもそうですが、地球の上に居ないような、他の星に立っているような感覚に陥る音楽が20世紀からどんどん増えてる印象を受けます。人間としての小ささと孤独だったり、宇宙の果てしなさだったり、地球の上の音楽では感じられない様々があって。中でもこの曲はそのちょっとロマンティズムに近い感覚から天文学よりもSFに近い音楽なんじゃないかな。

(5)カロル・シマノフスキ 夜想曲とタランテラ
星空の中でも「月がない、でも真っ暗ではなくて星だけが輝く夜」という情景を表すならこの曲かな。そういうイメージは自分だけかしらん。ちょうどピンポイントでその暗さを表してる様に思うんですよね。夜想曲と一言に言っても色々なシチュエーションや情景があって、その夜がどれくらい暗いかってのを音楽でどうやって伝えるのかというのも興味深いです。

(6)オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第17番「沈黙のまなざし」
まなざしで星空といえば第2番「星のまなざし」かと思いきやどうしてもこっち。星空を見上げるのではなく、弾いていて両手の中に瞬く星と深い宇宙があるような感覚を覚える特別な曲。星の光が様々な色で構成されてるように、和音の中にも様々な色があって。前から思ってるんですが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でジョバンニとカンパネルラが途中下車する場所の水のようだと思うのです。

(7)武満 徹 「夢の引用 ―Say sea,take me!―」
題材にしてるのはドビュッシーの「海」ですが、ドビュッシーや前述海王星、メシアンの流れを濃く受け継ぐ宇宙を感じる曲。この曲がすごいのはその宇宙的なものがとても流動的に感じるところ。海のようで、夢のようで、果てしなく広がる。これも天文学的な宇宙というよりは脳内に広がる海とか宇宙に似た何かなのかな。

(8)ジョージ・クラム マクロコスモス第3巻「夏の夜の音楽」より「星屑の音楽」
もう何回も何回もここで話に出してますが自分にとって星空といえばこの曲がダントツなのです。愛しくてたまらない音楽、そして星空。これまで紹介した曲でも星空の描写は弦と打楽器が大事な傾向があるっぽいのですが、この曲の打楽器の描写力はすごいぞー。星の光る様子はcrotaleの鋭いアタックがふさわしい。そしてクラムは他にも宇宙に関する題材で素晴らしい曲をたくさん書いているのですが残念ながら今回はここで割愛。

(9)ジョン・アダムズ City Noir
都会の闇や夜の深さをロマンを含めて描いたこの曲。都会だったら(元ネタの時代でも)なかなか星なんてみえないんじゃないかな、とも思いますが街の灯りが輝く様子も地上の星空とかみたいでいいなじゃないかな、と。何言ってんだと自分でも思いますよ!でもこの曲の街の描写を聴くそういう気分にもなるんです。そういうロマン。

(10)トーマス・アデス Polaris
〆はやっぱりこれで。星空がどーんと主役の音楽です。海のまっただ中にいる船を導く星、海の上でこれまで以上に見渡す限りに広がる星空。人里離れると数え切れないほどたくさんの星が輝くのが(これまた弦楽器と打楽器中心に)直に感じられる、overwhelmingなくらいの星空。録音でもすごいのですが生はもっとすごい曲です。

曲が20世紀に偏るのはいつものことなのですが、今回は実際にじっくり考えてみても星空・宇宙イメージの音楽はほぼ20世紀にしか見つからなかったんです。(例えば月ならもちょっと広く色々あるんですけどね)
一つは楽器の進化がありそう。ピアノにしても打楽器にしても、もっと鋭い音やはっきりした余韻が出せる楽器が出来たり、金属製の打楽器が増えたり進化したり。
あと作風として音の余韻をより効果的に使ったり、使用音域が増えたり楽器同士の音の間を広くとることが増えたり、不協和音のような和音の使い方の幅が広がったり。

それから天文学とか宇宙科学とかがぐんぐん発展したのも20世紀だし、それが直接音楽に与える影響となると限られてきそうですが宇宙の知識や常識、宇宙観が変わることによる宇宙や空の描写の変化ってのもありそう。
そしてそれに平行してSFジャンルの発展もやっぱり影響あるんじゃないかなー。(音楽とSFはなにかと相互に繋がりあるみたいですし)
ここらのジャンルの影響はもっと知りたい。

ということで今日は10曲紹介したので今日の一曲はお休みですがとにかくPolarisと夏の夜の音楽を猛烈にプッシュしたいです。きっと日本の夏の夜にぴったり。
 宇宙好きと音楽好き、そしてSF好きの間に(現代音楽を中心として)もっと接点ができるといいな。もっと宇宙に音楽を(?)

拍手[1回]