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前回のエントリーに拍手どうもです!
最初のリハーサルは日曜日、ちょうど今日仕事が終わったので明日は休んで備えないと。
まだまだくたくたのままなので。
ピアニストは基本ステージの上では一人きり、ですがそうでないときもあります。
例えば室内楽だったりオケだったり、のときも複数人数いるなかでピアニストは1人という場合が多いですが、複数のピアニストが一緒に演奏する場合ももちろんあって。
そのくくりでメジャーなのがピアノデュオ・ピアノデュエットです。
以前も書いたと思いますが、ピアノデュエット=一台のピアノで2人で連弾、ピアノデュオ=2台のピアノに1人ずつ奏者、という区別になってます。
デュオの方はやっぱりピアノ(通常グランドピアノ)が2台要るのでリハーサルするにも演奏するにもちょっとハードルが高くなっちゃうところがあります。
デュエットに関しては先生と生徒で連弾、というのは日本でもこちらでもありますが、コンサートの他にちょっとした集まりのなかで家族同士、兄弟、夫婦、友達同士でちょっと、というようなシチュエーションもあったり。
(あとは昔は諸々の事情からオケレパートリーを連弾で聴く、という演奏形態もよくあったそうですよ)
この2つのアンサンブル形態では必要とされるスキルはちょっと違ってきます。難易度で言うとデュオの方が難しいです。ピアノを挟んで向き合って弾くため、距離がありますし、お互いの手の動きが見えないですし、カバーする音ももちろん多い。レパートリーもさらに複雑(オケ曲とかも弾きますしね)。
ただデュエットだとお互いの腕や手が邪魔にならないような工夫をしなくちゃいけないですし、パートがデュオほど独立していなかったりするためある程度親しかったり気を許したり、信頼がないとなかなか難しい対人距離です。
そんなピアノデュエット、ピアノデュオの名曲を3つセレクトして紹介、さらにちょっとあぶれてしまった番外編も紹介します。
<ピアノデュエットの部>
(1) シューベルト 幻想曲 D. 940/op. 103
20世紀音楽好きな私ですが、連弾の名曲、といったら真っ先にこれをあげたいです。いつだって。
私も学校時代のピアノの先生、学校のピアノの先生、そして親友(曲の一部)と一緒に3回弾いています(私はどの場合も第1パート弾いてましたね)。音楽の美しさもそうですが、連弾においてあまり奏者が手を交差したり小難しいことをあまりせずごく自然に弾ける、楽しめるのもいいです。特に速いダンスの部分が「シューベルト!」という感じで好き♪
(2) ラヴェル 「マ・メール・ロワ」
このブログでも何度か話が出ていますこの曲(ちょこちょこっとですがね、毎回・・・)。私は大学時代に弾きました。子供のためにかかれたおとぎ話の曲だからといってなめてはいけませんよ。ガチのラヴェルですからね!(笑)ラヴェルの繊細さと色彩の透明さ、豊かさは一つも妥協されてませんよ。第2楽章での奏者2人の手の近さとかデュエットのタッグを試されるところもあって。あと弾いてて、そして聴いてて無邪気な心を取り戻せる(?)のもいいですよね。大人の技巧と子供の心で弾きたい曲です。
(3) クラム マクロコスモス第4巻 「天体の力学」
この曲も良く話に出ますね。最後の最後で3人目の奏者(ページめくりの人)が入るので番外編、としたほうがよかったのですが押し切りました(笑)やっぱり求められるアンサンブルの正確さ、綿密さではこの曲に敵う物は少ないと思います。結構近代に来るにつれてものすごくフォーマルな(=コンサート用の)連弾曲ってなんだか減ってるような中でこれを「1つのピアノで」表現しようとしたクラムの心は曲をもっと深く分析してみないとなんともいえませんが、レパートリーとして大変貴重だと思います。そしてタイトルが曲をここまで正確に表すか!というほどの天体力学っぷりはいつも心にぐっと来ます。
<ピアノデュオの部>
(1) ラフマニノフ 交響的舞曲
オケ版も好きですが、ピアノデュオ版がやっぱり良い。私にとっての「ピアノデュオ最高峰」の曲ですし、ラフマニノフの後期の作品の中でも最高峰だと思います。やっぱりラフマニノフはピアノのことを知り尽くしている、という感じもありながら、まるでピアノをオーケストラのように色彩豊かに、2台一体としてピアノ以上の存在に高めて使うのがすごいですし。特に第1楽章なんかオケ版では実現できないような、鍵盤だからこそのサウンドが味わえます。
(2) メシアン 「アーメンの幻影」
メシアンが後に妻となるマダム・ロリオと一緒に弾くために書いた、彼の信仰・神への愛の結晶でもあり、音楽における愛の結晶でもあり。7楽章ある中のどれもがメシアンらしく(この曲が書かれたあたりでスタイルが確立しつつあったはず)、そしてピアノが表現できる全てを引き出した音楽です。他のピアノデュオ作品と比べて大きく違うのは、第1パートと第2パートの役割が常にきっぱり分かれていること。(第1は色彩担当、第2は音楽的なテーマなど担当)これはやっぱり元々の目的が濃く現れてるのでしょうね。あと第2楽章などにおける2台ならではのパワフルさは笑っちゃいます(笑)
(3) ラヴェル 「ラ・ヴァルス」
実はラヴェルの作品の中でそんなに好き、というわけでもないのですが、ピアノデュオのレパートリーではかなり強力な一曲なことに変わりはありません。これもオケ版があるのですが、ピアノ2台の方が(弾く人が2人、ということもあり)アンサンブルがタイトで躍動感もありますし、響きがびしっと決まりますね。それでいてラヴェルのあの鮮やかな色彩もピアノでだって遜色ない。今度友達のデュオが弾くそうですが(大学ですでに一回弾いてるらしいです)ものすごい楽しみ。
<番外編>
(1) ブラームス ピアノ五重奏のピアノデュオ編曲
もともとピアノ五重奏ってピアノ+弦楽四重奏という編成で、まさにそこで分かれてるようなところがあって(ピアノvs弦楽四重奏、ってほどじゃないですが)。だからというかなんというか、弦楽四重奏のパートをピアノ1台にまとめて、ブラームス自身ピアノ2台のために編曲したものです。これがまあうまくいきますね。なじみます。同じピアノ同士だから、って以上にうまくいくのはなぜなんだろう。原曲とは別の魅力。
(2) クラム マクロコスモス第3番 「夏の夜の音楽」
これはピアノ2台+打楽器諸々2人という編成なので番外編に。(バルトークが最初に使った楽器編成ですね)
「天体の力学」の方でもちょっとそうですが、クラムのピアノデュオ・デュエットというのはピアノが数人居ることを利用してエコー・繰り返し・ミラーエフェクトを活用するのが特徴的。お互いをまねたり、時間差で同じパッセージを弾いたり、あるようで実はなかなかない複数ピアノの使い方。だからこそこのトピックから完全に外すわけにはいかなかったのですよ~
もちろんピアノが1人の諸々と比べて聴ける機会は比較的少ないですが、今日紹介した曲以外にもピアノデュエット・デュオのレパートリーはたんとありますので触れあう機会があれば是非!聴いてみてください。(もちろん録音もたくさん出てますしね)
私も弾きたいですわ、心許せる相手と一緒に連弾でもデュオでも(デュオ経験はちなみに皆無)。上に書いた曲みんな弾いてみたいですねー♪
そしてまた思い出したのですが「アーメンの幻影」や「夏の夜の音楽」、「天体の力学」についてあんまり話してないので機会を作って語りたいと思います。いつか。きっと。
今日の一曲はお休みです。
最初のリハーサルは日曜日、ちょうど今日仕事が終わったので明日は休んで備えないと。
まだまだくたくたのままなので。
ピアニストは基本ステージの上では一人きり、ですがそうでないときもあります。
例えば室内楽だったりオケだったり、のときも複数人数いるなかでピアニストは1人という場合が多いですが、複数のピアニストが一緒に演奏する場合ももちろんあって。
そのくくりでメジャーなのがピアノデュオ・ピアノデュエットです。
以前も書いたと思いますが、ピアノデュエット=一台のピアノで2人で連弾、ピアノデュオ=2台のピアノに1人ずつ奏者、という区別になってます。
デュオの方はやっぱりピアノ(通常グランドピアノ)が2台要るのでリハーサルするにも演奏するにもちょっとハードルが高くなっちゃうところがあります。
デュエットに関しては先生と生徒で連弾、というのは日本でもこちらでもありますが、コンサートの他にちょっとした集まりのなかで家族同士、兄弟、夫婦、友達同士でちょっと、というようなシチュエーションもあったり。
(あとは昔は諸々の事情からオケレパートリーを連弾で聴く、という演奏形態もよくあったそうですよ)
この2つのアンサンブル形態では必要とされるスキルはちょっと違ってきます。難易度で言うとデュオの方が難しいです。ピアノを挟んで向き合って弾くため、距離がありますし、お互いの手の動きが見えないですし、カバーする音ももちろん多い。レパートリーもさらに複雑(オケ曲とかも弾きますしね)。
ただデュエットだとお互いの腕や手が邪魔にならないような工夫をしなくちゃいけないですし、パートがデュオほど独立していなかったりするためある程度親しかったり気を許したり、信頼がないとなかなか難しい対人距離です。
そんなピアノデュエット、ピアノデュオの名曲を3つセレクトして紹介、さらにちょっとあぶれてしまった番外編も紹介します。
<ピアノデュエットの部>
(1) シューベルト 幻想曲 D. 940/op. 103
20世紀音楽好きな私ですが、連弾の名曲、といったら真っ先にこれをあげたいです。いつだって。
私も学校時代のピアノの先生、学校のピアノの先生、そして親友(曲の一部)と一緒に3回弾いています(私はどの場合も第1パート弾いてましたね)。音楽の美しさもそうですが、連弾においてあまり奏者が手を交差したり小難しいことをあまりせずごく自然に弾ける、楽しめるのもいいです。特に速いダンスの部分が「シューベルト!」という感じで好き♪
(2) ラヴェル 「マ・メール・ロワ」
このブログでも何度か話が出ていますこの曲(ちょこちょこっとですがね、毎回・・・)。私は大学時代に弾きました。子供のためにかかれたおとぎ話の曲だからといってなめてはいけませんよ。ガチのラヴェルですからね!(笑)ラヴェルの繊細さと色彩の透明さ、豊かさは一つも妥協されてませんよ。第2楽章での奏者2人の手の近さとかデュエットのタッグを試されるところもあって。あと弾いてて、そして聴いてて無邪気な心を取り戻せる(?)のもいいですよね。大人の技巧と子供の心で弾きたい曲です。
(3) クラム マクロコスモス第4巻 「天体の力学」
この曲も良く話に出ますね。最後の最後で3人目の奏者(ページめくりの人)が入るので番外編、としたほうがよかったのですが押し切りました(笑)やっぱり求められるアンサンブルの正確さ、綿密さではこの曲に敵う物は少ないと思います。結構近代に来るにつれてものすごくフォーマルな(=コンサート用の)連弾曲ってなんだか減ってるような中でこれを「1つのピアノで」表現しようとしたクラムの心は曲をもっと深く分析してみないとなんともいえませんが、レパートリーとして大変貴重だと思います。そしてタイトルが曲をここまで正確に表すか!というほどの天体力学っぷりはいつも心にぐっと来ます。
<ピアノデュオの部>
(1) ラフマニノフ 交響的舞曲
オケ版も好きですが、ピアノデュオ版がやっぱり良い。私にとっての「ピアノデュオ最高峰」の曲ですし、ラフマニノフの後期の作品の中でも最高峰だと思います。やっぱりラフマニノフはピアノのことを知り尽くしている、という感じもありながら、まるでピアノをオーケストラのように色彩豊かに、2台一体としてピアノ以上の存在に高めて使うのがすごいですし。特に第1楽章なんかオケ版では実現できないような、鍵盤だからこそのサウンドが味わえます。
(2) メシアン 「アーメンの幻影」
メシアンが後に妻となるマダム・ロリオと一緒に弾くために書いた、彼の信仰・神への愛の結晶でもあり、音楽における愛の結晶でもあり。7楽章ある中のどれもがメシアンらしく(この曲が書かれたあたりでスタイルが確立しつつあったはず)、そしてピアノが表現できる全てを引き出した音楽です。他のピアノデュオ作品と比べて大きく違うのは、第1パートと第2パートの役割が常にきっぱり分かれていること。(第1は色彩担当、第2は音楽的なテーマなど担当)これはやっぱり元々の目的が濃く現れてるのでしょうね。あと第2楽章などにおける2台ならではのパワフルさは笑っちゃいます(笑)
(3) ラヴェル 「ラ・ヴァルス」
実はラヴェルの作品の中でそんなに好き、というわけでもないのですが、ピアノデュオのレパートリーではかなり強力な一曲なことに変わりはありません。これもオケ版があるのですが、ピアノ2台の方が(弾く人が2人、ということもあり)アンサンブルがタイトで躍動感もありますし、響きがびしっと決まりますね。それでいてラヴェルのあの鮮やかな色彩もピアノでだって遜色ない。今度友達のデュオが弾くそうですが(大学ですでに一回弾いてるらしいです)ものすごい楽しみ。
<番外編>
(1) ブラームス ピアノ五重奏のピアノデュオ編曲
もともとピアノ五重奏ってピアノ+弦楽四重奏という編成で、まさにそこで分かれてるようなところがあって(ピアノvs弦楽四重奏、ってほどじゃないですが)。だからというかなんというか、弦楽四重奏のパートをピアノ1台にまとめて、ブラームス自身ピアノ2台のために編曲したものです。これがまあうまくいきますね。なじみます。同じピアノ同士だから、って以上にうまくいくのはなぜなんだろう。原曲とは別の魅力。
(2) クラム マクロコスモス第3番 「夏の夜の音楽」
これはピアノ2台+打楽器諸々2人という編成なので番外編に。(バルトークが最初に使った楽器編成ですね)
「天体の力学」の方でもちょっとそうですが、クラムのピアノデュオ・デュエットというのはピアノが数人居ることを利用してエコー・繰り返し・ミラーエフェクトを活用するのが特徴的。お互いをまねたり、時間差で同じパッセージを弾いたり、あるようで実はなかなかない複数ピアノの使い方。だからこそこのトピックから完全に外すわけにはいかなかったのですよ~
もちろんピアノが1人の諸々と比べて聴ける機会は比較的少ないですが、今日紹介した曲以外にもピアノデュエット・デュオのレパートリーはたんとありますので触れあう機会があれば是非!聴いてみてください。(もちろん録音もたくさん出てますしね)
私も弾きたいですわ、心許せる相手と一緒に連弾でもデュオでも(デュオ経験はちなみに皆無)。上に書いた曲みんな弾いてみたいですねー♪
そしてまた思い出したのですが「アーメンの幻影」や「夏の夜の音楽」、「天体の力学」についてあんまり話してないので機会を作って語りたいと思います。いつか。きっと。
今日の一曲はお休みです。
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前回のエントリーに拍手2つもありがとうございます~
今日は2月29日、4年に1度の閏の日でもありますが、1日延びた「暦の上での」夏の終わりでもあります。
なんだかここ数日天気が不安定で、それの影響か自律神経が調子悪い感じで、微熱周りで体温が上がったり下がったり、ほてったり疲れたり。
仕事も結構忙しかったので疲れもあるんでしょうね、何事も今はちょっとゆるめにを心がけています。
そんな中昨日メルボルン・ユース・オーケストラからお呼びがかかりました。
指揮者・マネージャーとも去年から変わって今年はどうかな、と思ってたのですが今年も一緒にお仕事させていただくことになりました。(でもその同じ理由でメンバーはずいぶん替わってるかな-・・・)
今年は1年中様々なゲスト指揮者をお迎えするらしいです。
第1コンサートの詳細はこんな感じ:
メルボルン・ユース・オーケストラ 第1コンサート
2012年4月29日 2:30開演 Iwaki Auditoriumにて
指揮者: Imre Pallo
ツィンバロム: Rob Cossom
<プログラム>
コダーイ 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 「1905年」
私はどちらの曲でもチェレスタを弾きます。去年VCAのチェレスタを修理するって話があったんだけど実現したかな?
そしてコダーイではピアノパートがあってチェレスタと別の奏者が弾く事になってます。トゥーランガリラではピアノとは場所的に「一緒に」弾いてるわけじゃなかったので鍵盤セクションのbuddyが隣に来るのは久しぶり。知ってる人だといいな。
指揮者はハンガリー出身の人だそうで、コダーイは専門としている、というようなことを聞いています。
そしてハーリ・ヤーノシュではハンガリーの民族楽器、ツィンバロム(他の様々な地域に似た楽器はありますが)が使われます。これを演奏するのはなんと、メル響で演奏している打楽器奏者の方です!(大学で教えていて、オケマネージャー時代にお世話になりました)
いやあ、打楽器ってもともと色んな違う楽器があってそれを色々操らなくちゃいけないなかでほとんど専門外ともいえそうなツィンバロムまで弾くなんて、本当に多彩な楽器を弾く事が求められる特異な職業ですねー・・・
今回演奏される2曲は私にとって物凄く親しい、すごく好きな曲です。
ハーリ・ヤーノシュはムソルグスキーの「展覧会の絵」とプロコフィエフの「キージェ中尉」と同じCDに入ってて。これがクラシックにそんなにオタクというほどはまってない時代から物凄く聞きやすい、というか聞いてて楽しい3曲で。ツィンバロムの音色と音楽のスタイルにハンガリーのあの良い意味で土臭い、エキゾチックな風味が満ちていて、ものすごく魅力的。ツィンバロムは第3楽章(ビオラも大活躍)、第5楽章でソリスト的な役割をしています。
あとは「ウィーンの音楽時計」(ここでチェレスタが活躍します♪・・・というかこの楽章だけ弾いてます)も好きです。
そしてショスタコーヴィチの11番は私がユースオケのサマーキャンプで弾いて以来自分の中で物凄く重要な位置を占めている曲です。
全体、でなく一部なら私が初めて弾いた交響曲ですし、オケで弾くってすごいことだなと実感したのもこの曲なら、ショスタコーヴィチの音楽を積極的に愛するようになったのも、ショスタコーヴィチ周りからロシア・ソヴィエトの歴史に興味をもったのもこの曲がきっかけで。
もちろんそれを差し引いてもものすごく素晴らしい曲で、割とショスタコーヴィチの曲のなかでもストレートで、あらすじがあったりして。聞いて+知って欲しいと常々思っています。(今回弾くのをきっかけにもっと前に推したいですねー)
前回弾いた時(もう10年以上経ってるんですね!)はチェロで、今回はチェレスタ、と別の視点ですがまたこの曲を弾くことができて本当に嬉しいです。
・・・といってもこの曲でチェレスタが弾くのは第2楽章の最後の数分だけ(笑)でもものすごーく重要な役目をしています(と私は思う)
ちなみに最初のリハーサルは今週日曜日、そして3月にもう一回リハーサルがあったあとはコンサート1~2週間前までリハーサルなし、というなかなか変則スケジュール。(指揮者さんの都合かな-)
リハーサルがどんなものか、十分なのかどうか、色々分からないですし、実は(知ってる曲とはいえ)パートは最初のリハーサルまで手に入らないのでちょっとなんとも言いがたいですが、根拠はとにかく楽しみです。
ソロのピアノの方も考えることすることだらけで、そちらも大切ですがやっぱりオーケストラで弾かないと。
今年もやっと始動、と実感しています。また機会がもらえて本当に有難いです♪
気合い入れてくぞ~
今日の一曲: コダーイ・ゾルターン 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 第2楽想「ウィーンの音楽時計」
さっそく紹介です。「ハーリ・ヤーノシュ」組曲のなかでも単独で一番知られている楽章ではないでしょうか。
(組曲のもととなったあらすじはまた今度・・・とりあえず処置でwikipediaにリンクしときます。)
他の楽章がハンガリー色が多い中、かなり色彩もスタイルも違った感じのこの曲。
音楽時計、というのはヨーロッパの広場などにある定時になると音楽が鳴ったり人形が動いたりする機械時計の時計のことを指している、という理解でよろしいでしょうか(メルボルンでもありますね、メルボルン・セントラルの)。
少なくとも曲を聴く限りではそうだと思います。
チャイムのようなチェレスタ、ピアノ、鉄琴などの音、おもちゃのようなトランペットやホルン、明るくかわいらしい色彩、もう「くるみ割り人形」の世界ですよね♪(でも色彩はどっちかというとレスピーギ風かな)
こじんまりしたスケールにこの精密さ、正確さ、たまらないです。
ハーリ・ヤーノシュって割とお国巡りみたいなところがあるのですが、この「ウィーンの音楽時計」は普段住んでる人がみた感じではなく、遠くから来てこういう細工というか芸術を初めて見た!すごい!みたいなフレッシュな感動とわくわくが伝わってくるのがいいですね。(ストーリーテラーとして優秀ですね、主人公は。マルコ・ポーロをなんか連想します)
旅行で実際に新しいことを見るのも好きですが、音楽でその驚きを味わうのも大好き。
そんな魅力にあふれたこの曲(とその中でのチェレスタ&ピアノのタッグ)をぜひ聴いてみてください~
自分が持ってる展覧会の絵+ハーリ・ヤーノシュ+キージェ中尉のCDが見つからなかったので火の鳥+ハーリ・ヤーノシュ+キージェ中尉の組み合わせのにしてみました。おとぎ話っぽいつながりで、なかなかこれもいいコンビネーションですね。
今日は2月29日、4年に1度の閏の日でもありますが、1日延びた「暦の上での」夏の終わりでもあります。
なんだかここ数日天気が不安定で、それの影響か自律神経が調子悪い感じで、微熱周りで体温が上がったり下がったり、ほてったり疲れたり。
仕事も結構忙しかったので疲れもあるんでしょうね、何事も今はちょっとゆるめにを心がけています。
そんな中昨日メルボルン・ユース・オーケストラからお呼びがかかりました。
指揮者・マネージャーとも去年から変わって今年はどうかな、と思ってたのですが今年も一緒にお仕事させていただくことになりました。(でもその同じ理由でメンバーはずいぶん替わってるかな-・・・)
今年は1年中様々なゲスト指揮者をお迎えするらしいです。
第1コンサートの詳細はこんな感じ:
メルボルン・ユース・オーケストラ 第1コンサート
2012年4月29日 2:30開演 Iwaki Auditoriumにて
指揮者: Imre Pallo
ツィンバロム: Rob Cossom
<プログラム>
コダーイ 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 「1905年」
私はどちらの曲でもチェレスタを弾きます。去年VCAのチェレスタを修理するって話があったんだけど実現したかな?
そしてコダーイではピアノパートがあってチェレスタと別の奏者が弾く事になってます。トゥーランガリラではピアノとは場所的に「一緒に」弾いてるわけじゃなかったので鍵盤セクションのbuddyが隣に来るのは久しぶり。知ってる人だといいな。
指揮者はハンガリー出身の人だそうで、コダーイは専門としている、というようなことを聞いています。
そしてハーリ・ヤーノシュではハンガリーの民族楽器、ツィンバロム(他の様々な地域に似た楽器はありますが)が使われます。これを演奏するのはなんと、メル響で演奏している打楽器奏者の方です!(大学で教えていて、オケマネージャー時代にお世話になりました)
いやあ、打楽器ってもともと色んな違う楽器があってそれを色々操らなくちゃいけないなかでほとんど専門外ともいえそうなツィンバロムまで弾くなんて、本当に多彩な楽器を弾く事が求められる特異な職業ですねー・・・
今回演奏される2曲は私にとって物凄く親しい、すごく好きな曲です。
ハーリ・ヤーノシュはムソルグスキーの「展覧会の絵」とプロコフィエフの「キージェ中尉」と同じCDに入ってて。これがクラシックにそんなにオタクというほどはまってない時代から物凄く聞きやすい、というか聞いてて楽しい3曲で。ツィンバロムの音色と音楽のスタイルにハンガリーのあの良い意味で土臭い、エキゾチックな風味が満ちていて、ものすごく魅力的。ツィンバロムは第3楽章(ビオラも大活躍)、第5楽章でソリスト的な役割をしています。
あとは「ウィーンの音楽時計」(ここでチェレスタが活躍します♪・・・というかこの楽章だけ弾いてます)も好きです。
そしてショスタコーヴィチの11番は私がユースオケのサマーキャンプで弾いて以来自分の中で物凄く重要な位置を占めている曲です。
全体、でなく一部なら私が初めて弾いた交響曲ですし、オケで弾くってすごいことだなと実感したのもこの曲なら、ショスタコーヴィチの音楽を積極的に愛するようになったのも、ショスタコーヴィチ周りからロシア・ソヴィエトの歴史に興味をもったのもこの曲がきっかけで。
もちろんそれを差し引いてもものすごく素晴らしい曲で、割とショスタコーヴィチの曲のなかでもストレートで、あらすじがあったりして。聞いて+知って欲しいと常々思っています。(今回弾くのをきっかけにもっと前に推したいですねー)
前回弾いた時(もう10年以上経ってるんですね!)はチェロで、今回はチェレスタ、と別の視点ですがまたこの曲を弾くことができて本当に嬉しいです。
・・・といってもこの曲でチェレスタが弾くのは第2楽章の最後の数分だけ(笑)でもものすごーく重要な役目をしています(と私は思う)
ちなみに最初のリハーサルは今週日曜日、そして3月にもう一回リハーサルがあったあとはコンサート1~2週間前までリハーサルなし、というなかなか変則スケジュール。(指揮者さんの都合かな-)
リハーサルがどんなものか、十分なのかどうか、色々分からないですし、実は(知ってる曲とはいえ)パートは最初のリハーサルまで手に入らないのでちょっとなんとも言いがたいですが、根拠はとにかく楽しみです。
ソロのピアノの方も考えることすることだらけで、そちらも大切ですがやっぱりオーケストラで弾かないと。
今年もやっと始動、と実感しています。また機会がもらえて本当に有難いです♪
気合い入れてくぞ~
今日の一曲: コダーイ・ゾルターン 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 第2楽想「ウィーンの音楽時計」
さっそく紹介です。「ハーリ・ヤーノシュ」組曲のなかでも単独で一番知られている楽章ではないでしょうか。
(組曲のもととなったあらすじはまた今度・・・とりあえず処置でwikipediaにリンクしときます。)
他の楽章がハンガリー色が多い中、かなり色彩もスタイルも違った感じのこの曲。
音楽時計、というのはヨーロッパの広場などにある定時になると音楽が鳴ったり人形が動いたりする機械時計の時計のことを指している、という理解でよろしいでしょうか(メルボルンでもありますね、メルボルン・セントラルの)。
少なくとも曲を聴く限りではそうだと思います。
チャイムのようなチェレスタ、ピアノ、鉄琴などの音、おもちゃのようなトランペットやホルン、明るくかわいらしい色彩、もう「くるみ割り人形」の世界ですよね♪(でも色彩はどっちかというとレスピーギ風かな)
こじんまりしたスケールにこの精密さ、正確さ、たまらないです。
ハーリ・ヤーノシュって割とお国巡りみたいなところがあるのですが、この「ウィーンの音楽時計」は普段住んでる人がみた感じではなく、遠くから来てこういう細工というか芸術を初めて見た!すごい!みたいなフレッシュな感動とわくわくが伝わってくるのがいいですね。(ストーリーテラーとして優秀ですね、主人公は。マルコ・ポーロをなんか連想します)
旅行で実際に新しいことを見るのも好きですが、音楽でその驚きを味わうのも大好き。
そんな魅力にあふれたこの曲(とその中でのチェレスタ&ピアノのタッグ)をぜひ聴いてみてください~
自分が持ってる展覧会の絵+ハーリ・ヤーノシュ+キージェ中尉のCDが見つからなかったので火の鳥+ハーリ・ヤーノシュ+キージェ中尉の組み合わせのにしてみました。おとぎ話っぽいつながりで、なかなかこれもいいコンビネーションですね。
ご無沙汰してました~やっと仕事が一段落。
ピアノもやりましたし明日は楽譜をちょっと返しに行かなければ(汗)
そして、こないだの認知行動療法のエントリーに拍手ありがとうございます!
割と勢いで書いた部分があったり(強く思うことは感情で強く感じることを力業で理性に変換してアウトプットするきらいがあります)時間が経てば経つほど「大丈夫かな」と思うところがありますが、訪問&拍手いただくのは本当に有難いです。
今日は雨が降ったり降らなかったり、数日続いた暑い夏の日々からの比較的ゆるやかなクールダウン(いわゆるクールチェンジのようなすがすがしさはないです)。
家の中は遅れて暑いですし、湿気もこもり、仕事疲れでだいぶくたくたなところに両親からの航空小包2つが届きました♪
録画した日本のテレビ番組だったり、おやつだったり、あと両親の住んでる近くの三嶋大社のお守り、それから昔からずっとお世話になっている母方の祖母の家の最寄りの神社(初詣、一時帰国の時のお参りはかならずそこで、あとなんか家系図があそこにあるらしいとか?)からのお守りだったり。
そして日本で頼んでたCDやらDVDやらが届きました!
ものすごく楽しみにしてた、というだけでなく本当に素晴らしいものばかりなので今日ちょっとここで紹介したいと思います。自分の好みの範囲のいろんな角から集まったなんだかまとめてみるとカオスな集まりなのですが(笑)全部すごい好きなもの、大切な物に変わりはないです。
もうね、特にクラシックのCD群については「CDを手に入れるだけでこんなにほっとするもんか!」と思うほど、信頼できるクオリティの演奏です。
ということで早速。
(1) ラフマニノフ 「鐘」、「春」、3つのロシアの歌
演奏はフィラデルフィア管弦楽団、指揮はシャルル・デュトワです。
大学の図書館にあるこの「鐘」の録音は実はポーの英語をロシア語にしたののそれまた英訳を歌詞としててやっぱりなんか違和感があるのでかねてからロシア語で歌ってる録音が欲しいな、と思ってたのですが願いが叶いました♪早速今日ちょっとお目当ての「鐘」だけ聴いてみました。
ただ叶っただけじゃなくてこのオーケストラの鮮やかさ(デュトワと色彩の強いつながりは去年メル響のコンサートで生で味わえましたしね)、音の自然さ!そして特にバリトン歌手の方の声がとっても好みで。
スピーカーにもよるのですが第1楽章でのチェレスタの聞こえ方いいですしね(でも第4楽章はもちょっと聴きたいかな)。前々からこの曲をちょこちょこ進めてますが、数ある演奏の中でもこれは自信を持っておすすめします。
(2) メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」
演奏はベルリン・フィル、指揮はケント・ナガノ、ピアノはピエール・ローラン=エマール、オンド・マルトノはドミニク・キムです。
これは去年の20世紀音楽トップ100カウントダウンでトゥーランガリラがランクイン(何位だったかな、そんなに高くはないですが)したときに放送で流れた演奏だったんです。
去年ユースオケで弾いた、と単純にいうとそんなに難しくなく聞こえますがものすごく難しい曲なんです!メシアンの曲で難しくないものは(とくに複数人数のでは)ないですし。20世紀の音楽全般そうですが、その難しさ故にまだ一流といえる演奏が少ない、ということもあります。(これが積み重なると20世紀音楽も名曲として確立する物が増えますよね)
この録音を聴くと「1流のオケってこんな難しい曲でもこんなにもゆるぎなく安定してるものか!」とびっくりします。物凄く勢いがあるんですが、でもアンサンブルはぴたっと完璧のまま。あんぐりですよ。
かなり建築的というか理系的というか、透明感もクリーンさもピカイチの録音。トゥーランガリラをもっと聴いて欲しい、そしてこの録音でぜひ聴いて欲しい!
(エマールは本当に現代音楽、というか特に私の好きなメシアンとかリゲティとかが秀逸ですがもっと彼のメシアンを聴きたいですね~)
(3) ジョージ・クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」、「Apparition」、「A Little Suite for Christmas, A.D. 1979」
大学にあったのと同じ録音で、この3曲については自分にとってこれが基盤となっています。
なんといってもJan DeGaetaniの歌声で「Apparition」が聴ける、それがこの録音を選ぶべき最大の理由でしょう!
その次に大きい理由といえば「Songs, Drones~」のハープシコードの音の増幅のやり方が素晴らしいですね。以前も書いた覚えがあるんですがこの曲の「Song of the Rider」の部分のハープシコードがどう贔屓目(耳)に聴いても純粋な電気ノイズとしてしか聞こえない、というのはある意味感動的です。(よくぞ古楽器がここまで変容した!みたいな感じを含め)
そしてもちろん「A Little Suite~」も素晴らしい演奏ですよ。繊細さと、クラムの「手のひらサイズ」感が特に。
(4) たま 「パルテノン銀座通り」
以前からこのブログでたまの音楽は小さい頃から知り親しんでいる、と書いていますが実際にファンと自認したのもずいぶん経ってからで、CDを自分で(=親が、ではなく)買い始めたのも割と最近。
なので昔と比べると(いろんなところでちょこちょこ聞いては居ましたが)だいぶサウンドも違いますし、運営というかバンドとしての動き方もちょっと違いがあったりで、でも間違いなくたまの音楽で。(でもまだサウンドと新しく出会った曲には慣れが必要)
ちなみにこのアルバムは吉田戦車 著の漫画「ぷりぷり県」のイメージアルバムということなのですが今現在私は元の漫画を知りません。そのうちいつか。
アルバムのタイトルになってる「パルテノン銀座通り」(滝本さん作詞作曲)が名曲なのはもう今ここでいうよりそのうち今日の一曲で話したいのですが、今日の天気もあって同じく滝本さん作詞作曲の「100mmの雨」のすばらしさがものすごく身にしみましたね。色彩とか、温度とか湿度とか、感触が本当に音楽に濃く存在してて。これもまた雨の多い時期になったら紹介したいです。
(5) 聖飢魔II 「まわりやがれ」
上記4つはCDでしたがこれはDVD。聖飢魔IIものを自分で買うのは(妹の誕生日に、というのを除くと)初めてで。CDとかライブのDVDは妹が優先的に買うであろうとこれまでのパターンから推測して私はそれじゃあもうちょっと違う方向のを、とこれをチョイス。(ライブの一部は入ってますけどね、ライブメドレーとして)
この「まわりやがれ」(元はVHSとして販売)には何が収録されているか、というといくつか歌のPV(聖飢魔IIとしてはちょっと異色なセレクションという印象)、それから今書きましたライブメドレーのトラック、そして・・・コント。CMパロディ的なもの(笑)実はこれ目当てだったのです(笑)
コント等ではデーモン閣下以外の構成員達がフィーチャーされてるのが特徴的、といった感じかしら。
今日そっちだけ(ちょっと歌を受けるには疲れすぎていた)ちょっとチェックしてたら昼ご飯の茶そばとそばつゆ何度か吹きそうになりましたよ。ツッコミどころ満載。こういうところにも秀でてるから聖飢魔IIはやめられないのです・・・
(ロマンスのPVが好きで、あとポンクミンCラストバージョンもお気に入りです♪)
あと本筋とは関係ないところでDVDを通じて思ったのはルーク参謀の着やせがすごい、ということ。戦闘服の時は全然層ではないのにタンクトップ姿になると割とムキムキで(いや、知ってはいたんですが)終始びっくりしていた、という意味のない報告でした。
どれもこれも、新しく知る曲も知ってる曲の新しい録音も、耳に(そして目に)なじむのはまだちょっと時間が必要ですが先ほども書きましたように手元にある、というだけでもだいぶほっとする何かがあって。
次に日本でCDを頼むのは両親がこっちにくる時に持ってきてもらうよう合わせて、になる予定。このブログでもだいぶ流れができてますが、某方向になる予定です。楽しみです。
今回はCD、DVD合わせて5枚も紹介しましたし、実は書きながら白ワイン2杯も飲んでしまって(普段は大丈夫ですが疲れてる体にはだいぶしみます)なので今日の一曲は今日はお休み。でも送ってもらったCDを堪能して紹介レパートリーもまだまだ広げて行きたいですので今後にこうご期待。
ピアノもやりましたし明日は楽譜をちょっと返しに行かなければ(汗)
そして、こないだの認知行動療法のエントリーに拍手ありがとうございます!
割と勢いで書いた部分があったり(強く思うことは感情で強く感じることを力業で理性に変換してアウトプットするきらいがあります)時間が経てば経つほど「大丈夫かな」と思うところがありますが、訪問&拍手いただくのは本当に有難いです。
今日は雨が降ったり降らなかったり、数日続いた暑い夏の日々からの比較的ゆるやかなクールダウン(いわゆるクールチェンジのようなすがすがしさはないです)。
家の中は遅れて暑いですし、湿気もこもり、仕事疲れでだいぶくたくたなところに両親からの航空小包2つが届きました♪
録画した日本のテレビ番組だったり、おやつだったり、あと両親の住んでる近くの三嶋大社のお守り、それから昔からずっとお世話になっている母方の祖母の家の最寄りの神社(初詣、一時帰国の時のお参りはかならずそこで、あとなんか家系図があそこにあるらしいとか?)からのお守りだったり。
そして日本で頼んでたCDやらDVDやらが届きました!
ものすごく楽しみにしてた、というだけでなく本当に素晴らしいものばかりなので今日ちょっとここで紹介したいと思います。自分の好みの範囲のいろんな角から集まったなんだかまとめてみるとカオスな集まりなのですが(笑)全部すごい好きなもの、大切な物に変わりはないです。
もうね、特にクラシックのCD群については「CDを手に入れるだけでこんなにほっとするもんか!」と思うほど、信頼できるクオリティの演奏です。
ということで早速。
(1) ラフマニノフ 「鐘」、「春」、3つのロシアの歌
演奏はフィラデルフィア管弦楽団、指揮はシャルル・デュトワです。
大学の図書館にあるこの「鐘」の録音は実はポーの英語をロシア語にしたののそれまた英訳を歌詞としててやっぱりなんか違和感があるのでかねてからロシア語で歌ってる録音が欲しいな、と思ってたのですが願いが叶いました♪早速今日ちょっとお目当ての「鐘」だけ聴いてみました。
ただ叶っただけじゃなくてこのオーケストラの鮮やかさ(デュトワと色彩の強いつながりは去年メル響のコンサートで生で味わえましたしね)、音の自然さ!そして特にバリトン歌手の方の声がとっても好みで。
スピーカーにもよるのですが第1楽章でのチェレスタの聞こえ方いいですしね(でも第4楽章はもちょっと聴きたいかな)。前々からこの曲をちょこちょこ進めてますが、数ある演奏の中でもこれは自信を持っておすすめします。
(2) メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」
演奏はベルリン・フィル、指揮はケント・ナガノ、ピアノはピエール・ローラン=エマール、オンド・マルトノはドミニク・キムです。
これは去年の20世紀音楽トップ100カウントダウンでトゥーランガリラがランクイン(何位だったかな、そんなに高くはないですが)したときに放送で流れた演奏だったんです。
去年ユースオケで弾いた、と単純にいうとそんなに難しくなく聞こえますがものすごく難しい曲なんです!メシアンの曲で難しくないものは(とくに複数人数のでは)ないですし。20世紀の音楽全般そうですが、その難しさ故にまだ一流といえる演奏が少ない、ということもあります。(これが積み重なると20世紀音楽も名曲として確立する物が増えますよね)
この録音を聴くと「1流のオケってこんな難しい曲でもこんなにもゆるぎなく安定してるものか!」とびっくりします。物凄く勢いがあるんですが、でもアンサンブルはぴたっと完璧のまま。あんぐりですよ。
かなり建築的というか理系的というか、透明感もクリーンさもピカイチの録音。トゥーランガリラをもっと聴いて欲しい、そしてこの録音でぜひ聴いて欲しい!
(エマールは本当に現代音楽、というか特に私の好きなメシアンとかリゲティとかが秀逸ですがもっと彼のメシアンを聴きたいですね~)
(3) ジョージ・クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」、「Apparition」、「A Little Suite for Christmas, A.D. 1979」
大学にあったのと同じ録音で、この3曲については自分にとってこれが基盤となっています。
なんといってもJan DeGaetaniの歌声で「Apparition」が聴ける、それがこの録音を選ぶべき最大の理由でしょう!
その次に大きい理由といえば「Songs, Drones~」のハープシコードの音の増幅のやり方が素晴らしいですね。以前も書いた覚えがあるんですがこの曲の「Song of the Rider」の部分のハープシコードがどう贔屓目(耳)に聴いても純粋な電気ノイズとしてしか聞こえない、というのはある意味感動的です。(よくぞ古楽器がここまで変容した!みたいな感じを含め)
そしてもちろん「A Little Suite~」も素晴らしい演奏ですよ。繊細さと、クラムの「手のひらサイズ」感が特に。
(4) たま 「パルテノン銀座通り」
以前からこのブログでたまの音楽は小さい頃から知り親しんでいる、と書いていますが実際にファンと自認したのもずいぶん経ってからで、CDを自分で(=親が、ではなく)買い始めたのも割と最近。
なので昔と比べると(いろんなところでちょこちょこ聞いては居ましたが)だいぶサウンドも違いますし、運営というかバンドとしての動き方もちょっと違いがあったりで、でも間違いなくたまの音楽で。(でもまだサウンドと新しく出会った曲には慣れが必要)
ちなみにこのアルバムは吉田戦車 著の漫画「ぷりぷり県」のイメージアルバムということなのですが今現在私は元の漫画を知りません。そのうちいつか。
アルバムのタイトルになってる「パルテノン銀座通り」(滝本さん作詞作曲)が名曲なのはもう今ここでいうよりそのうち今日の一曲で話したいのですが、今日の天気もあって同じく滝本さん作詞作曲の「100mmの雨」のすばらしさがものすごく身にしみましたね。色彩とか、温度とか湿度とか、感触が本当に音楽に濃く存在してて。これもまた雨の多い時期になったら紹介したいです。
(5) 聖飢魔II 「まわりやがれ」
上記4つはCDでしたがこれはDVD。聖飢魔IIものを自分で買うのは(妹の誕生日に、というのを除くと)初めてで。CDとかライブのDVDは妹が優先的に買うであろうとこれまでのパターンから推測して私はそれじゃあもうちょっと違う方向のを、とこれをチョイス。(ライブの一部は入ってますけどね、ライブメドレーとして)
この「まわりやがれ」(元はVHSとして販売)には何が収録されているか、というといくつか歌のPV(聖飢魔IIとしてはちょっと異色なセレクションという印象)、それから今書きましたライブメドレーのトラック、そして・・・コント。CMパロディ的なもの(笑)実はこれ目当てだったのです(笑)
コント等ではデーモン閣下以外の構成員達がフィーチャーされてるのが特徴的、といった感じかしら。
今日そっちだけ(ちょっと歌を受けるには疲れすぎていた)ちょっとチェックしてたら昼ご飯の茶そばとそばつゆ何度か吹きそうになりましたよ。ツッコミどころ満載。こういうところにも秀でてるから聖飢魔IIはやめられないのです・・・
(ロマンスのPVが好きで、あとポンクミンCラストバージョンもお気に入りです♪)
あと本筋とは関係ないところでDVDを通じて思ったのはルーク参謀の着やせがすごい、ということ。戦闘服の時は全然層ではないのにタンクトップ姿になると割とムキムキで(いや、知ってはいたんですが)終始びっくりしていた、という意味のない報告でした。
どれもこれも、新しく知る曲も知ってる曲の新しい録音も、耳に(そして目に)なじむのはまだちょっと時間が必要ですが先ほども書きましたように手元にある、というだけでもだいぶほっとする何かがあって。
次に日本でCDを頼むのは両親がこっちにくる時に持ってきてもらうよう合わせて、になる予定。このブログでもだいぶ流れができてますが、某方向になる予定です。楽しみです。
今回はCD、DVD合わせて5枚も紹介しましたし、実は書きながら白ワイン2杯も飲んでしまって(普段は大丈夫ですが疲れてる体にはだいぶしみます)なので今日の一曲は今日はお休み。でも送ってもらったCDを堪能して紹介レパートリーもまだまだ広げて行きたいですので今後にこうご期待。
前回のエントリーに拍手くださった方、訪れ読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
前回も書きましたが人を救おうとかそういうことではなくてただただ居ても立ってもいられなかったので・・・
それもあって表現に拙いところ多々ありますが少しでも伝わったら、気づきのきっかけになったらと思います。
メンタルヘルス関連はちょっと書くのに慎重になるのと、突発的に強く思ったときにしかうまく書けないためこのブログでも比較的エントリー数は少ないですがこれからもちょこちょこなんとか書いていきたいと思います。
今日はfacebookの方で残念な知らせが。
今、毎年恒例、夏の風物詩といえるメル響のSidney Myer無料屋外コンサート(ピクニック可!)ミニシリーズが開催されてるのですが、明日予定されている最後のコンサートでピアソラの「Histoire du Tango」にてソリストをつとめることとなってた、去年「惑星」を指揮した彼が出演キャンセルとなってしまったのです。
なんでも内耳が悪くてめまいがひどいそうで・・・良いお医者さんにかかっているそうなので具合が良くなるようただ祈るのみです。
明日のコンサートは学校からの友達周りから誘われてたのですが、仕事がきつくて行けるかどうかぎりぎり、というところだったのでおそらく行かないことになりそうです。家のこともあるし、もしかしたら夜働かなくちゃいけないかもなので・・・明日は天気も良く暑いですし(37℃!)本当に風物詩なので行けないのは残念ですが。
でも良い知らせも入ってますよ。こっちが今日の本題。
ちょっとまえから今年なにやら私のピアノの先生のバースデーコンサートみたいなものが計画されている、ということはちらっと聞いてたのですが、詳細がどうやら明らかになってきたようです。
5月の終わりにMelbourne Recital Centreでやるそうで、今のところ情報はこんな感じ。
先生自身や彼の生徒達、そして先生にゆかりのある音楽家達が勢揃い。(ただピアノソロに関しては誰がどの曲を弾くかは分からないですねえ・・・先生は何を弾くのかしらん)
私の友達も弾いたり、それからトゥーランガリラの彼が作曲家として出てます。
うちの先生はフランス音楽、特に印象派と呼ばれる作曲家の作品が得意(昔はラヴェルのピアノ曲全部演奏したことも)ですがプログラムを見た限りそっち系統は少ないみたい。
ピアノのスタンダードだったり、20世紀の曲、新しく捧げられる事となる曲、そして気になるのがなぜ「ボギー大佐」がこのプログラムに入ってる!?なんかのジョーク?
色々ツッコミどころはありますが演奏は素晴らしいものになるのがもう見えてますし、なんといっても先生の誕生日を祝える機会とあって(柱:それでも先生の実際の誕生日とか何歳とか全然しらないんですが)今からものすごーく楽しみです。なんとしても行かなきゃ!
以前も先生、そしてその生徒達について書いてますがこの機にもう一度。
私が大学でピアノを習っていた、そして今もレッスンをたまに受けて先生を仰いでいるのがStephen McIntyreというピアニストです。ソロだけでなくて室内楽なども含め今も演奏しています。
ミケランジェリに習ったことがある(フランス音楽専門はそちらからと思われます)、ということを始めいろいろここのプロフィールにも書いてあります。
今は主にメルボルン大学で教えてて、住んでるのもメルボルン大学の寮の一つで。
音楽科ではピアノの先生の中で2番目に偉い2人の先生の1人です。
人柄は、というとちょっと変わったユーモアと口数が少ないのとなんだか謎な雰囲気で知られていますが(何年経っても絡みづらいというかどう接して良いかわからないところが・・・)、本当は優しい人です。よくわからないなあ、とかいいながらみんな先生が好きです。
メルボルン大学では入学の後オリエンテーションの時の軽いオーディションみたいなのがありまして、入学する生徒がどの先生に習うことになるかはそこでピアノの一番偉い先生が弾き方とかその他とか考慮して決めるシステムになっていて。(ちなみに先生が生徒を破門することはできないけれど、生徒は先生を変える権利があります)
私もそうやってスティーヴンに習うことになったのですが、なんかいろいろ正解だったと思います。(ピアノの一番偉い先生は色々良くないこともありますが若いピアニストを見る目はすごいのかも)
習う先生によって生徒の弾き方やピアニストとしてのあり方、人柄とかも変わっていくものだとは思いますが、上記のシステムによって先生に振り分けられる生徒にもある程度の偏り、というか共通点、パターンがあるようで。
私の先生の元で習う生徒達の共通点、というのは以前も書きましたが「ピアノ・音楽の枠を超えて活動する」ことにあると思います。(あとみんなちょっと軽く反体制(笑)みたいな感じもそうかな)
大学時代もdouble degree(大学で複数のコースをやること。音楽と法律とか、科学と経済とか)をやってる人が同門には多かったですし、卒業後も指揮を目指したり、法律関係だったり医療研究関連の仕事をしながらピアノを続けたり、作曲と演奏を両立したり。
私も医薬翻訳をやりながらピアノをやってることだったり、オケ活動もやってたり、と当てはまってます。
あとスティーヴンの生徒たちはわりと20世紀の音楽を弾くことが多かったり、フランス音楽を得意としたり(先生が得意だからそれを学んで、というのもありますがきっと元々の生徒達の素質もあるのではないか、と)。
大学で2番目に偉いもう一人の先生はベートーヴェン専門として知られていて、その人も生徒達ももっと伝統的なレパートリーを得意として、ふるまいというかそういうものももっと「オーソドックスなピアニストらしい」感じなので対照的なんです。
スティーヴンの生徒は同門同士でつるんでる印象がある、と言われたことはあるんですが在学中も別にそんなに一緒にいた、という感じじゃなかった気がします。
でもなんとなくこう、大学とかだと同門の生徒同士って言うとゲームでいうところのギルドみたいな、そういうところがあるんですよね。そこまで濃い感じじゃないですけどね(特にうちの先生のところは先生がゆるーい感じなんで)。
スティーヴンはオーストラリアで演奏したりするだけでなく海外にもいったりするのですが(シューベルトのフェスティバルみたいなのに行ったとか書いてあったです)、なんか上海にもマスタークラスやったりしてコネがある、ということを最近初めて知って。
先生のあの不思議なテンション、ユーモアのセンス、そして割と音楽的に自由に生徒を育てる感じがまじめで技巧フォーカスに偏るアジア各国のピアニストにどう映るのかは物凄く興味津々(笑)
私も先生にはだいぶ自由に育てられました。どっからか分からないところから知らないような曲を引っ張ってきて勝手に自分の好きな方向にレパートリーを広げたりさせてくれましたし、基本私の曲の解釈に口を出すようなことはなくて。技巧と表現のしかたを通じて私の音楽表現を助け広げてくれる、というか。
私は割と得意なレパートリーも先生と近いんですよね。(先生メシアンまでたぶん専門内)
他にもいろいろ優しくしていただいたり、私のことを心配してくれてたり、お酒をおごってくれたり。
レッスン外で一緒に時間を過ごす事ってあんまりなくて、いろんなこと知らないままなんですが(みんな言いますけどね-)、本当に大好きな先生です。
なんだか書いてたら先生に会いたくなってきました。
レッスンも前回からだいぶ間があいてしまって。去年の末に先生が夏休みに入るまでにレッスンのチャンスがつかめなかったのでなんとか近いうちにレッスンを、と思ってるのですが最初に書いたとおり仕事がものすごく忙しいシーズンなので・・・
演奏やろうと思ってる、ってことも言わなくちゃいけないし、実は日本土産も渡してない(汗)
早くなんとかしたいです。
今日の一曲: エリック・サティ Gnossienne 第2番
Move Recordsの録音リンク
今日はもちろん先生の録音です。Move Recordsから出ている「The Impressionist」から。
私のイメージだと先生の一番得意はドビュッシー。そしてラヴェル、でちょっとメシアンも(残念ながら実際に聴いたことはないのですが)
そんな先生の演奏のなかから普段あんまり触れないサティの曲を今日はチョイス。
なぜかというと自分はあんまりサティが好きではないので(汗)
弾くのも聴くのもあんまり好きじゃない曲が多いです。ちょっとテンションというかユーモアについていけない、といいますか・・・(根が真面目だとか、light-heartedなのが苦手だとか周りからも言われますが結局そういうことかな)
青柳いづみこさんの著書「モノ書きピアニストはお尻が痛い」でサティを弾けるのはものすごく優等生か、ものすごく劣等生か、というようなことが書いてあったのですが、なんとなく分かる気がします。自分はどっちでもないので(笑)好みは変でも人としては結構普通のカテゴリに入るので・・・
耳には良いように書かれてるんですよ、サティの音楽って。大学の授業でだったかな、「聞き流すように書かれた音楽」みたいな目的があって。
それに関してはサティの音楽全般ものすごく優秀な「聞き流せる」音楽だと思います。
実際耳を傾けてみると色彩は綺麗ですし、まあそれ以上のものを求めちゃいけないかな、って気はするんですが。
Gnossienneはジムノペディに比べると知名度は低いですがいろんなところで使われていますよ。第1番と第2番が私は割と好きで、第2番のほうがちょっとフランスっぽい雰囲気があるかな(第1番に比べると、ですが・・・第1番はなんとなくギリシャ風味が強いような印象。)
あとGnossienneはいろんな変な指示語が書かれてるのも特徴的。次回また紹介しますね(汗)
この曲に限りませんが、このCDを聴いてると自分のフランス音楽的なタッチ(気づくとベートーヴェンもフランス風なタッチになってたりする!)は先生の影響をものすごーく受けてる気がします。どこが、というと難しいのですが、彼に習って数年、確実にちゃんとこの指の感覚に受け継がれてる・・・と思いたいです。
前回も書きましたが人を救おうとかそういうことではなくてただただ居ても立ってもいられなかったので・・・
それもあって表現に拙いところ多々ありますが少しでも伝わったら、気づきのきっかけになったらと思います。
メンタルヘルス関連はちょっと書くのに慎重になるのと、突発的に強く思ったときにしかうまく書けないためこのブログでも比較的エントリー数は少ないですがこれからもちょこちょこなんとか書いていきたいと思います。
今日はfacebookの方で残念な知らせが。
今、毎年恒例、夏の風物詩といえるメル響のSidney Myer無料屋外コンサート(ピクニック可!)ミニシリーズが開催されてるのですが、明日予定されている最後のコンサートでピアソラの「Histoire du Tango」にてソリストをつとめることとなってた、去年「惑星」を指揮した彼が出演キャンセルとなってしまったのです。
なんでも内耳が悪くてめまいがひどいそうで・・・良いお医者さんにかかっているそうなので具合が良くなるようただ祈るのみです。
明日のコンサートは学校からの友達周りから誘われてたのですが、仕事がきつくて行けるかどうかぎりぎり、というところだったのでおそらく行かないことになりそうです。家のこともあるし、もしかしたら夜働かなくちゃいけないかもなので・・・明日は天気も良く暑いですし(37℃!)本当に風物詩なので行けないのは残念ですが。
でも良い知らせも入ってますよ。こっちが今日の本題。
ちょっとまえから今年なにやら私のピアノの先生のバースデーコンサートみたいなものが計画されている、ということはちらっと聞いてたのですが、詳細がどうやら明らかになってきたようです。
5月の終わりにMelbourne Recital Centreでやるそうで、今のところ情報はこんな感じ。
先生自身や彼の生徒達、そして先生にゆかりのある音楽家達が勢揃い。(ただピアノソロに関しては誰がどの曲を弾くかは分からないですねえ・・・先生は何を弾くのかしらん)
私の友達も弾いたり、それからトゥーランガリラの彼が作曲家として出てます。
うちの先生はフランス音楽、特に印象派と呼ばれる作曲家の作品が得意(昔はラヴェルのピアノ曲全部演奏したことも)ですがプログラムを見た限りそっち系統は少ないみたい。
ピアノのスタンダードだったり、20世紀の曲、新しく捧げられる事となる曲、そして気になるのがなぜ「ボギー大佐」がこのプログラムに入ってる!?なんかのジョーク?
色々ツッコミどころはありますが演奏は素晴らしいものになるのがもう見えてますし、なんといっても先生の誕生日を祝える機会とあって(柱:それでも先生の実際の誕生日とか何歳とか全然しらないんですが)今からものすごーく楽しみです。なんとしても行かなきゃ!
以前も先生、そしてその生徒達について書いてますがこの機にもう一度。
私が大学でピアノを習っていた、そして今もレッスンをたまに受けて先生を仰いでいるのがStephen McIntyreというピアニストです。ソロだけでなくて室内楽なども含め今も演奏しています。
ミケランジェリに習ったことがある(フランス音楽専門はそちらからと思われます)、ということを始めいろいろここのプロフィールにも書いてあります。
今は主にメルボルン大学で教えてて、住んでるのもメルボルン大学の寮の一つで。
音楽科ではピアノの先生の中で2番目に偉い2人の先生の1人です。
人柄は、というとちょっと変わったユーモアと口数が少ないのとなんだか謎な雰囲気で知られていますが(何年経っても絡みづらいというかどう接して良いかわからないところが・・・)、本当は優しい人です。よくわからないなあ、とかいいながらみんな先生が好きです。
メルボルン大学では入学の後オリエンテーションの時の軽いオーディションみたいなのがありまして、入学する生徒がどの先生に習うことになるかはそこでピアノの一番偉い先生が弾き方とかその他とか考慮して決めるシステムになっていて。(ちなみに先生が生徒を破門することはできないけれど、生徒は先生を変える権利があります)
私もそうやってスティーヴンに習うことになったのですが、なんかいろいろ正解だったと思います。(ピアノの一番偉い先生は色々良くないこともありますが若いピアニストを見る目はすごいのかも)
習う先生によって生徒の弾き方やピアニストとしてのあり方、人柄とかも変わっていくものだとは思いますが、上記のシステムによって先生に振り分けられる生徒にもある程度の偏り、というか共通点、パターンがあるようで。
私の先生の元で習う生徒達の共通点、というのは以前も書きましたが「ピアノ・音楽の枠を超えて活動する」ことにあると思います。(あとみんなちょっと軽く反体制(笑)みたいな感じもそうかな)
大学時代もdouble degree(大学で複数のコースをやること。音楽と法律とか、科学と経済とか)をやってる人が同門には多かったですし、卒業後も指揮を目指したり、法律関係だったり医療研究関連の仕事をしながらピアノを続けたり、作曲と演奏を両立したり。
私も医薬翻訳をやりながらピアノをやってることだったり、オケ活動もやってたり、と当てはまってます。
あとスティーヴンの生徒たちはわりと20世紀の音楽を弾くことが多かったり、フランス音楽を得意としたり(先生が得意だからそれを学んで、というのもありますがきっと元々の生徒達の素質もあるのではないか、と)。
大学で2番目に偉いもう一人の先生はベートーヴェン専門として知られていて、その人も生徒達ももっと伝統的なレパートリーを得意として、ふるまいというかそういうものももっと「オーソドックスなピアニストらしい」感じなので対照的なんです。
スティーヴンの生徒は同門同士でつるんでる印象がある、と言われたことはあるんですが在学中も別にそんなに一緒にいた、という感じじゃなかった気がします。
でもなんとなくこう、大学とかだと同門の生徒同士って言うとゲームでいうところのギルドみたいな、そういうところがあるんですよね。そこまで濃い感じじゃないですけどね(特にうちの先生のところは先生がゆるーい感じなんで)。
スティーヴンはオーストラリアで演奏したりするだけでなく海外にもいったりするのですが(シューベルトのフェスティバルみたいなのに行ったとか書いてあったです)、なんか上海にもマスタークラスやったりしてコネがある、ということを最近初めて知って。
先生のあの不思議なテンション、ユーモアのセンス、そして割と音楽的に自由に生徒を育てる感じがまじめで技巧フォーカスに偏るアジア各国のピアニストにどう映るのかは物凄く興味津々(笑)
私も先生にはだいぶ自由に育てられました。どっからか分からないところから知らないような曲を引っ張ってきて勝手に自分の好きな方向にレパートリーを広げたりさせてくれましたし、基本私の曲の解釈に口を出すようなことはなくて。技巧と表現のしかたを通じて私の音楽表現を助け広げてくれる、というか。
私は割と得意なレパートリーも先生と近いんですよね。(先生メシアンまでたぶん専門内)
他にもいろいろ優しくしていただいたり、私のことを心配してくれてたり、お酒をおごってくれたり。
レッスン外で一緒に時間を過ごす事ってあんまりなくて、いろんなこと知らないままなんですが(みんな言いますけどね-)、本当に大好きな先生です。
なんだか書いてたら先生に会いたくなってきました。
レッスンも前回からだいぶ間があいてしまって。去年の末に先生が夏休みに入るまでにレッスンのチャンスがつかめなかったのでなんとか近いうちにレッスンを、と思ってるのですが最初に書いたとおり仕事がものすごく忙しいシーズンなので・・・
演奏やろうと思ってる、ってことも言わなくちゃいけないし、実は日本土産も渡してない(汗)
早くなんとかしたいです。
今日の一曲: エリック・サティ Gnossienne 第2番
Move Recordsの録音リンク
今日はもちろん先生の録音です。Move Recordsから出ている「The Impressionist」から。
私のイメージだと先生の一番得意はドビュッシー。そしてラヴェル、でちょっとメシアンも(残念ながら実際に聴いたことはないのですが)
そんな先生の演奏のなかから普段あんまり触れないサティの曲を今日はチョイス。
なぜかというと自分はあんまりサティが好きではないので(汗)
弾くのも聴くのもあんまり好きじゃない曲が多いです。ちょっとテンションというかユーモアについていけない、といいますか・・・(根が真面目だとか、light-heartedなのが苦手だとか周りからも言われますが結局そういうことかな)
青柳いづみこさんの著書「モノ書きピアニストはお尻が痛い」でサティを弾けるのはものすごく優等生か、ものすごく劣等生か、というようなことが書いてあったのですが、なんとなく分かる気がします。自分はどっちでもないので(笑)好みは変でも人としては結構普通のカテゴリに入るので・・・
耳には良いように書かれてるんですよ、サティの音楽って。大学の授業でだったかな、「聞き流すように書かれた音楽」みたいな目的があって。
それに関してはサティの音楽全般ものすごく優秀な「聞き流せる」音楽だと思います。
実際耳を傾けてみると色彩は綺麗ですし、まあそれ以上のものを求めちゃいけないかな、って気はするんですが。
Gnossienneはジムノペディに比べると知名度は低いですがいろんなところで使われていますよ。第1番と第2番が私は割と好きで、第2番のほうがちょっとフランスっぽい雰囲気があるかな(第1番に比べると、ですが・・・第1番はなんとなくギリシャ風味が強いような印象。)
あとGnossienneはいろんな変な指示語が書かれてるのも特徴的。次回また紹介しますね(汗)
この曲に限りませんが、このCDを聴いてると自分のフランス音楽的なタッチ(気づくとベートーヴェンもフランス風なタッチになってたりする!)は先生の影響をものすごーく受けてる気がします。どこが、というと難しいのですが、彼に習って数年、確実にちゃんとこの指の感覚に受け継がれてる・・・と思いたいです。
いつも訪問そして拍手ありがとうございます~
ここ数日連続更新ですねー・・・なにかと話したいことが出てくるんですよ。書き物とかにもエネルギーを割きたいけれどどうしても書かなくちゃ気が済まなくて。(できればこの後・・・)
つい最近弾き始めて、昨日もちょっと話していたバッハの「平均律クラヴィーア曲集」第2巻の第8番、嬰ニ短調。
そもそもが私は♯を読むのが嫌い、苦手で。以前ショパンの練習曲op.10-4を弾いた時、嬰ハ短調=♯4つにもかかわらず楽譜の読みにくさがネックでギブアップしてたり(汗)
でも今弾いてるこの曲はジョージ・クラムが好きだといった曲で、マクロコスモス第3巻「夏の夜の音楽」の最終楽章にも引用されているのでどこらへんが好きなのか知りたくて弾き始めたのです。
(ちなみに同じく第2巻、から嬰ヘ短調がお気に入りだったのはベートーヴェンだったっけ)
嬰ニ短調ってものすごくレアな調なんですよね。
鍵盤で弾くと全く同じ音になる変ホ短調の方がずっと読みやすい、というのが主な理由で(それだけでないことは後ほどまた)。
なので嬰ニ短調で書かれている曲、というとさきほどのWikipediaのリンクにあるようにバッハの平均律第1巻の第8番(フーガのみ。前奏曲は変ホ短調表記)、同第2巻の第8番(前奏曲+フーガ)、スクリャービンの練習曲op.8-12くらい。
私の印象だと「嬰ニ短調」を特徴付けるのは(24keysvirusでは元ウイルスはバッハと以前書いてますが)後者のスクリャービンが一番だと思います。
嬰ニ短調と変ホ短調、鍵盤上の音は全く一緒ですが、やっぱり弾く側にとって楽譜面からの印象に差はでると思います。シャープとフラット、それぞれから最初に受ける感覚ってのは違うんじゃないかな。
それだけでなく、こうやって♯の多い曲を弾いてるとなんとなく思うのですが、曲の中で転調していくキーも♯基本の調と♭基本の調で違うんじゃないかと。
どちらもより読みやすい、記号が少ない方向に進みやすいはず・・・なんですよね。
で、今回の平均律第2巻の嬰ニ短調。
まずは前奏曲を練習し始め「ここ楽譜の音あってる?」というところがいくつかあって、パソコンでyoutubeからちょっと聴いてたのですが(持ってる録音はバロック時代のチューニングなので半音ほど低く参考にならない・・・)、そのときに妹がふとこんなことを。
「ずいぶん忙しい曲だね。」
この言葉をきっかけにしてこの曲に関するいろいろなことがどんどん明らかになったのです。
この前奏曲、バッハの「前奏曲」によくある典型的な「インヴェンション」形式なんですが、もともと最初聴いたときからちょっとどこか「もろい」ような、それもまた正確じゃないですがそんな感覚があって。
で、弾いてみるとバッハの音楽に感じる精密さというか完璧さみたいのの中になにやらちょっと脆弱性?とまではいわなくてもちょっとしたぎこちなさが見られたり。
バッハでよく見られるあのどっしりした、確固たる信仰みたいなのが見られないんですよねー。
で、この妹の言葉で気づいたのが確かにこの前奏曲は音が忙しいこと。むしろちょっと不自然なくらい。バッハの音楽はアドリブで装飾音をつけたりするんですがその余裕もほとんどない。
改めて感じて考えて見ると、この忙しさは不安定さをなんとか支えようとしてこうなった、というか・・・隙間、スペースを恐れたり不安に感じて詰め込んだ、というかそういう感覚に近いんですよね。興奮、というかものすごい焦り。
それはまずこのキーが先ほどのぎこちなさに見られるように「書きにくかった」こともきっとあるでしょうし。そして何よりもきっと嬰ニ短調というキーが不安定なことに加えて転調する先の調も不安定な、ちょっと躁的な性質を持った調が多い、という事があるんだと思います。
(あくまでも私の見解です。そして「変ホ短調」だとこのとおりではないんですよね。変ホ短調自体暗い落ち着きのある調で、転調する先も安定してる方が多いような。)
フーガの方はまだじっくり弾いてないので分からないのですが、その嬰ニ短調のフーガが引用されている前述クラムの「夏の夜の音楽」でも引用部分は進みながらも落ちてしまう、迷いながら一生懸命進んでいくような性質があったり。どれくらい関連があるかはまだ吟味中。
そして先ほど書きましたようにバッハの平均律で第1巻はフーガのみ嬰ニ短調で書かれてる・・・はずなのですが手持ちの楽譜はわざわざ変ホ短調に書き直してありました。(こういう版けっこうあるらしいですね。余計なお世話だと思います。上記「違い」を認識してからは)
このフーガも弾いたことはないんですが、楽譜面だけ見てみるとこれもまたちょっと音多くないか?という印象。これも後ほど検討。
そしてスクリャービンの練習曲(op.8-12)。スクリャービンはどっちかというと♯贔屓なんですよね(表現したい色彩もそうですし、若干躁気味な感覚もまたふさわしいというか)。
この曲の燃え上がるような興奮した感じはフラットで書いてしまうと印象として感じられないですし、フラットで書いてあるのを弾いても違和感がありそうで。
この曲の性質は変ホ短調よりも、例えば同じ♯短調の「嬰ハ短調」に近いものがある気がします。(24keysvirusでは「竜」。燃えさかる炎と冷酷さが同居する、と形容したと思います)
でも嬰ニ短調の方がずっと激高した感じがあって、落ち着きがなくて、変に明るい印象を受けるような。
自分が双極性障害を持っているのもあると思いますが、頭の中で警鐘が鳴るような、軽躁状態を連想するようななにかがある。
「嬰ニ短調」というこの調を通じてバッハが表現したかったものが何か、そしてそれにクラムが惹かれたのは何か、というのは確信が持てないのですが・・・
私はこの調から強く感じる不安さ、脆さ、切実さ、なんらかの狂気をこれからどう扱って、表現していけばいいのか・・・ということを考え始めてます。
そしてこの強烈な不安定さはいつか演奏するときのプログラムにおいてどう扱えばいいか、というのも改めて課題となりますね。この不安定さがうまく働かないようだったら抜群の安定さのトッカータホ短調が有力になるかなあ。
今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第2巻第8番 嬰ニ短調
さんざん話したのと、まだいろいろ探っている途中なので説明は省きます。
先ほども書きましたがこの曲は前奏曲とフーガからなっていて、クラムがマクロコスモス第3巻「夏の夜の音楽」の第5楽章「星屑の音楽」の前半で引用されているのはこの内のフーガの一部です。
リンクした録音はグレン・グールドのもの。グールドの音楽の解釈はちょっと特殊で、あとたまに鼻歌歌ってるのが入ってたりもするので好みが分かれますが今日ちょろっと聴いた限りではそんなに変だということもなかったので、試聴もありますしこれにしてみました。
ちなみに同じく嬰ニ短調の曲として紹介しましたスクリャービンの練習曲op.8-12もまた名曲です。紹介は別の機会にしますがこちらも強くおすすめしますよ~
ここ数日連続更新ですねー・・・なにかと話したいことが出てくるんですよ。書き物とかにもエネルギーを割きたいけれどどうしても書かなくちゃ気が済まなくて。(できればこの後・・・)
つい最近弾き始めて、昨日もちょっと話していたバッハの「平均律クラヴィーア曲集」第2巻の第8番、嬰ニ短調。
そもそもが私は♯を読むのが嫌い、苦手で。以前ショパンの練習曲op.10-4を弾いた時、嬰ハ短調=♯4つにもかかわらず楽譜の読みにくさがネックでギブアップしてたり(汗)
でも今弾いてるこの曲はジョージ・クラムが好きだといった曲で、マクロコスモス第3巻「夏の夜の音楽」の最終楽章にも引用されているのでどこらへんが好きなのか知りたくて弾き始めたのです。
(ちなみに同じく第2巻、から嬰ヘ短調がお気に入りだったのはベートーヴェンだったっけ)
嬰ニ短調ってものすごくレアな調なんですよね。
鍵盤で弾くと全く同じ音になる変ホ短調の方がずっと読みやすい、というのが主な理由で(それだけでないことは後ほどまた)。
なので嬰ニ短調で書かれている曲、というとさきほどのWikipediaのリンクにあるようにバッハの平均律第1巻の第8番(フーガのみ。前奏曲は変ホ短調表記)、同第2巻の第8番(前奏曲+フーガ)、スクリャービンの練習曲op.8-12くらい。
私の印象だと「嬰ニ短調」を特徴付けるのは(24keysvirusでは元ウイルスはバッハと以前書いてますが)後者のスクリャービンが一番だと思います。
嬰ニ短調と変ホ短調、鍵盤上の音は全く一緒ですが、やっぱり弾く側にとって楽譜面からの印象に差はでると思います。シャープとフラット、それぞれから最初に受ける感覚ってのは違うんじゃないかな。
それだけでなく、こうやって♯の多い曲を弾いてるとなんとなく思うのですが、曲の中で転調していくキーも♯基本の調と♭基本の調で違うんじゃないかと。
どちらもより読みやすい、記号が少ない方向に進みやすいはず・・・なんですよね。
で、今回の平均律第2巻の嬰ニ短調。
まずは前奏曲を練習し始め「ここ楽譜の音あってる?」というところがいくつかあって、パソコンでyoutubeからちょっと聴いてたのですが(持ってる録音はバロック時代のチューニングなので半音ほど低く参考にならない・・・)、そのときに妹がふとこんなことを。
「ずいぶん忙しい曲だね。」
この言葉をきっかけにしてこの曲に関するいろいろなことがどんどん明らかになったのです。
この前奏曲、バッハの「前奏曲」によくある典型的な「インヴェンション」形式なんですが、もともと最初聴いたときからちょっとどこか「もろい」ような、それもまた正確じゃないですがそんな感覚があって。
で、弾いてみるとバッハの音楽に感じる精密さというか完璧さみたいのの中になにやらちょっと脆弱性?とまではいわなくてもちょっとしたぎこちなさが見られたり。
バッハでよく見られるあのどっしりした、確固たる信仰みたいなのが見られないんですよねー。
で、この妹の言葉で気づいたのが確かにこの前奏曲は音が忙しいこと。むしろちょっと不自然なくらい。バッハの音楽はアドリブで装飾音をつけたりするんですがその余裕もほとんどない。
改めて感じて考えて見ると、この忙しさは不安定さをなんとか支えようとしてこうなった、というか・・・隙間、スペースを恐れたり不安に感じて詰め込んだ、というかそういう感覚に近いんですよね。興奮、というかものすごい焦り。
それはまずこのキーが先ほどのぎこちなさに見られるように「書きにくかった」こともきっとあるでしょうし。そして何よりもきっと嬰ニ短調というキーが不安定なことに加えて転調する先の調も不安定な、ちょっと躁的な性質を持った調が多い、という事があるんだと思います。
(あくまでも私の見解です。そして「変ホ短調」だとこのとおりではないんですよね。変ホ短調自体暗い落ち着きのある調で、転調する先も安定してる方が多いような。)
フーガの方はまだじっくり弾いてないので分からないのですが、その嬰ニ短調のフーガが引用されている前述クラムの「夏の夜の音楽」でも引用部分は進みながらも落ちてしまう、迷いながら一生懸命進んでいくような性質があったり。どれくらい関連があるかはまだ吟味中。
そして先ほど書きましたようにバッハの平均律で第1巻はフーガのみ嬰ニ短調で書かれてる・・・はずなのですが手持ちの楽譜はわざわざ変ホ短調に書き直してありました。(こういう版けっこうあるらしいですね。余計なお世話だと思います。上記「違い」を認識してからは)
このフーガも弾いたことはないんですが、楽譜面だけ見てみるとこれもまたちょっと音多くないか?という印象。これも後ほど検討。
そしてスクリャービンの練習曲(op.8-12)。スクリャービンはどっちかというと♯贔屓なんですよね(表現したい色彩もそうですし、若干躁気味な感覚もまたふさわしいというか)。
この曲の燃え上がるような興奮した感じはフラットで書いてしまうと印象として感じられないですし、フラットで書いてあるのを弾いても違和感がありそうで。
この曲の性質は変ホ短調よりも、例えば同じ♯短調の「嬰ハ短調」に近いものがある気がします。(24keysvirusでは「竜」。燃えさかる炎と冷酷さが同居する、と形容したと思います)
でも嬰ニ短調の方がずっと激高した感じがあって、落ち着きがなくて、変に明るい印象を受けるような。
自分が双極性障害を持っているのもあると思いますが、頭の中で警鐘が鳴るような、軽躁状態を連想するようななにかがある。
「嬰ニ短調」というこの調を通じてバッハが表現したかったものが何か、そしてそれにクラムが惹かれたのは何か、というのは確信が持てないのですが・・・
私はこの調から強く感じる不安さ、脆さ、切実さ、なんらかの狂気をこれからどう扱って、表現していけばいいのか・・・ということを考え始めてます。
そしてこの強烈な不安定さはいつか演奏するときのプログラムにおいてどう扱えばいいか、というのも改めて課題となりますね。この不安定さがうまく働かないようだったら抜群の安定さのトッカータホ短調が有力になるかなあ。
今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第2巻第8番 嬰ニ短調
さんざん話したのと、まだいろいろ探っている途中なので説明は省きます。
先ほども書きましたがこの曲は前奏曲とフーガからなっていて、クラムがマクロコスモス第3巻「夏の夜の音楽」の第5楽章「星屑の音楽」の前半で引用されているのはこの内のフーガの一部です。
リンクした録音はグレン・グールドのもの。グールドの音楽の解釈はちょっと特殊で、あとたまに鼻歌歌ってるのが入ってたりもするので好みが分かれますが今日ちょろっと聴いた限りではそんなに変だということもなかったので、試聴もありますしこれにしてみました。
ちなみに同じく嬰ニ短調の曲として紹介しましたスクリャービンの練習曲op.8-12もまた名曲です。紹介は別の機会にしますがこちらも強くおすすめしますよ~