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今オーストラリアの首相ジュリア・ギラードが東アジア訪問の一環として日本を訪れています。
今日は天皇皇后両陛下と会見、そして南三陸を訪れたり、菅首相に会ったり、Fundraising Dinnerに出席したりするそうです。
日本人としても(ほぼ)オージーとしてもとても嬉しいです。両国の関係が良い物になり、長く続くよう願っています。
今日はなかなか面白いニュース記事がありましたね。
まずはWirevisionの「疲労や「死の意識」で脳が「保守化」:研究結果」という記事。保守化というのは「現状を変えない選択をする確率が上がる」ということだそうで。震災の影響がメディアで報道され多くの人が命について、そして死について考える機会が起こることでこういった変化が日本の多くの人に起きているのかしら、と考えさせられました。
そして背景事情はよく分からないのですがYahooニュース経由TopNewsの「ヴァージン会長の罰ゲームフライト、5月1日決行 スッチーのコスプレでおもてなし」という記事。なんだか物凄く笑いました(笑)ここんところで一番明るい記事かも・・・こういう賭けも罰ゲームももっと世界のあらゆるところで行われたら面白いのに、そして元気になるのに!
そしてこちらの新聞The Ageには明日からイースターということでメルボルンの美味なHot Cross Buns特集の記事が。普通のレーズン&オレンジピール入りだったり、多くのパン屋で扱ってるチョコチップのChoc Cross Buns、そしてこの記事の写真にあるのはSourdoughのものだそう。今年は(シーズンになってからは)買ってない・・・買おうかな。
最近自分の中でじわじわとWorld Musicブームが来ている様です。
詳細はこんな感じ:
(最近)ロルカの詩集(2冊目無事来ました!)+モンポウ録音→スペイン諸民族音楽
(最近)ヴィラ=ロボスの音楽→ボサノバ
(長期)ショスタコーヴィチの音楽→クレズマー
(長期)ロルカの詩集+クレズマーなどなど→ロマ
(最近)父とのモンゴル語の話→モンゴル、西アジアの音楽
(最近)Peace song+ラグビーでのハカ→ニュージーランドの音楽
(最近)Sacrificeの音楽→ガムラン
あとはオーストラリア、インド、アフリカ(テレビしか出会ったことないんですよね)、アイルランド、いろいろ。
父が結構いろんなところに出張行くんですが、もともといろんな国の文化が好きなようで、民族音楽とかも知ってたりCD持ってたり。ボサノバとかガムランとかは探してもらうよう頼みました(笑)
あとは大学の1年目でWorld music関係の科目が一つ必須のやつがあって。
専門分野を選ぶときにEthnomusicology(民族音楽)もあって割とそっちに進む人が多いのもあって一年生でちょっとやらせとこう、という魂胆が見えます(笑)
実際在学中はあんまり民族音楽には興味がなかったのですが・・・
大学にはガムランアンサンブルもあったんですがねえ・・・
大学で習うとどうも面白くない、というのは残念ながらちょこちょこありますが(以前現代音楽に関して書いた覚えが)、でもたとえばインドのデシ・ターラの理論とかは本当に面白かったですし。
インドの音楽ってものすごく複雑で、神秘的で。難しいけど面白い。
さきほどゲーム「Sacrifice」の音楽からガムランに興味を持ったと書きましたが・・・なんだか遅かったな、自分!と思っています。
父がその素晴らしさをずっと話してたこと、大学にガムランアンサンブルがあったことだけじゃなくて、以前自分が授業の課題で作曲した曲もミニマルミュージックの課題だったのもあってガムランと似たようなエレメントがあって。
それに加えてフラクタルだったり、新神話主義の「完全な円」のコンセプトにも通じるところもあり・・・なんでしょうね、もっと前に出会いたかったなあと。
ちなみに数年前に日本に行った時に浜松の楽器博物館でガムランオーケストラの展示がありました。サウンドもたしかあったはず。
オーストラリアはアイルランド移民が多くアイリッシュパブもあるのですがアイルランドの音楽に出会ったのは最初の何年かに一度アイリッシュハープをどこかのshowだったかフェスティバルで聴いた限り。
いつか欲しいぞアイリッシュハープ(あと中東・ハンガリーのツィンバロム族の楽器も欲しい~)
オーストラリアの民族楽器と言えばDidjerirooですが、楽器自体はシティのストリートパフォーマンスでよく見ます。最近は以前Klezmaniaのコンサートでもあったようなスライド付きのバージョンもあるとかで。
何回か書いてると思いますがこの楽器はピッチがほとんど無くリズム+ベース(Drone)担当で、オーストラリアの民族音楽、さらにクラシック音楽は割とリズムが強く、ぱっと聴き印象そのリズムの大切さとリズムの性質がアフリカの音楽に似てます。この仮説を自分の中で固めるためにもっとアフリカの音楽を知らないとなーと思ってるのですが・・・なかなか手が回らず。
割と多文化な環境で、大学のカリキュラムでも色んな音楽に触れあうチャンスがあって。
それでもまだ聞いたこともない音楽がいっぱい。
音楽って本当にその国を表すというか文化を反映するというか、時によってはその地を訪れずともその国をビビッドに味わえるもので。
難しいこと抜きでとにかく面白い!
ちなみに以前見たぷっすまで様々な民族楽器の音を出すというのがありましたがあれはトライしたい!
きっと基本のカテゴリーはクラシックの音楽と一緒のものが多いのですが細かいテクニックはもちろん個別の楽器で違いますからね。初めまして(少なくとも弾くには)のはい弾いてといわれていかに弾くか。楽しそう。
自分の生きている間に世界の全ての音楽に出会うことは到底不可能ながら、なるべく多く(できるならば生きた形で)広く出会って楽しめるよう、ちょっとだけ自分にプレッシャーをかけておきます(笑)
手始めに父のCDです、楽しみ楽しみ。
今日の一曲: Dorothy Buchanan 「Peace Song」
(録音リンクなしです~)
中学だったか高校だったかの時に学校で(合唱団?それとも学校全員の?)歌ったこの曲。手元に楽譜はありながら他にどこでも聞いたことなかったんです。
それを最近思い出して、調べてびっくり。この曲、ニュージーランドの作曲家によって書かれた曲だったんです。
クラシックでも(オーストラリアに居ても)ニュージーランドの音楽って出会ったことなくて。
確かにでもこの曲を聴くとどこの国の音楽か分からない。主に英語ながらイギリスぽくもなくオーストラリアぽくもなく、次に歌詞で多いのはフランス語でもフランス音楽とは全然違う。
でもこうやって知ってみると確かにニュージーランドで納得いきます。
歌詞はざっくり言えば自分の周り、友達や恋人などから心の中に真実としてある平和を広げていこう、というような意味なのですが、サビのところが本当に印象的。
「Peace, shalom, Pax, aroha, La paix, la joie, l'amour」とあるのですが前半は英語、ヘブライ語、ラテン語、ハワイ語で「平和」、それからフランス語で「平和、喜び、愛」という言葉。
前半にそのいわゆる主流言語を持ってこないで、というところがなかなか興味深いですね。
そしてメッセージ性だけでなくメロディーだったりハーモニー、総じて曲自体も良い曲です。
もっと知られてもいいのにやっぱりニュージーランドの曲はここら(豪+NZ)の外を出ないのかなーと思うと残念です。知名度アップ祈願。
今日は天皇皇后両陛下と会見、そして南三陸を訪れたり、菅首相に会ったり、Fundraising Dinnerに出席したりするそうです。
日本人としても(ほぼ)オージーとしてもとても嬉しいです。両国の関係が良い物になり、長く続くよう願っています。
今日はなかなか面白いニュース記事がありましたね。
まずはWirevisionの「疲労や「死の意識」で脳が「保守化」:研究結果」という記事。保守化というのは「現状を変えない選択をする確率が上がる」ということだそうで。震災の影響がメディアで報道され多くの人が命について、そして死について考える機会が起こることでこういった変化が日本の多くの人に起きているのかしら、と考えさせられました。
そして背景事情はよく分からないのですがYahooニュース経由TopNewsの「ヴァージン会長の罰ゲームフライト、5月1日決行 スッチーのコスプレでおもてなし」という記事。なんだか物凄く笑いました(笑)ここんところで一番明るい記事かも・・・こういう賭けも罰ゲームももっと世界のあらゆるところで行われたら面白いのに、そして元気になるのに!
そしてこちらの新聞The Ageには明日からイースターということでメルボルンの美味なHot Cross Buns特集の記事が。普通のレーズン&オレンジピール入りだったり、多くのパン屋で扱ってるチョコチップのChoc Cross Buns、そしてこの記事の写真にあるのはSourdoughのものだそう。今年は(シーズンになってからは)買ってない・・・買おうかな。
最近自分の中でじわじわとWorld Musicブームが来ている様です。
詳細はこんな感じ:
(最近)ロルカの詩集(2冊目無事来ました!)+モンポウ録音→スペイン諸民族音楽
(最近)ヴィラ=ロボスの音楽→ボサノバ
(長期)ショスタコーヴィチの音楽→クレズマー
(長期)ロルカの詩集+クレズマーなどなど→ロマ
(最近)父とのモンゴル語の話→モンゴル、西アジアの音楽
(最近)Peace song+ラグビーでのハカ→ニュージーランドの音楽
(最近)Sacrificeの音楽→ガムラン
あとはオーストラリア、インド、アフリカ(テレビしか出会ったことないんですよね)、アイルランド、いろいろ。
父が結構いろんなところに出張行くんですが、もともといろんな国の文化が好きなようで、民族音楽とかも知ってたりCD持ってたり。ボサノバとかガムランとかは探してもらうよう頼みました(笑)
あとは大学の1年目でWorld music関係の科目が一つ必須のやつがあって。
専門分野を選ぶときにEthnomusicology(民族音楽)もあって割とそっちに進む人が多いのもあって一年生でちょっとやらせとこう、という魂胆が見えます(笑)
実際在学中はあんまり民族音楽には興味がなかったのですが・・・
大学にはガムランアンサンブルもあったんですがねえ・・・
大学で習うとどうも面白くない、というのは残念ながらちょこちょこありますが(以前現代音楽に関して書いた覚えが)、でもたとえばインドのデシ・ターラの理論とかは本当に面白かったですし。
インドの音楽ってものすごく複雑で、神秘的で。難しいけど面白い。
さきほどゲーム「Sacrifice」の音楽からガムランに興味を持ったと書きましたが・・・なんだか遅かったな、自分!と思っています。
父がその素晴らしさをずっと話してたこと、大学にガムランアンサンブルがあったことだけじゃなくて、以前自分が授業の課題で作曲した曲もミニマルミュージックの課題だったのもあってガムランと似たようなエレメントがあって。
それに加えてフラクタルだったり、新神話主義の「完全な円」のコンセプトにも通じるところもあり・・・なんでしょうね、もっと前に出会いたかったなあと。
ちなみに数年前に日本に行った時に浜松の楽器博物館でガムランオーケストラの展示がありました。サウンドもたしかあったはず。
オーストラリアはアイルランド移民が多くアイリッシュパブもあるのですがアイルランドの音楽に出会ったのは最初の何年かに一度アイリッシュハープをどこかのshowだったかフェスティバルで聴いた限り。
いつか欲しいぞアイリッシュハープ(あと中東・ハンガリーのツィンバロム族の楽器も欲しい~)
オーストラリアの民族楽器と言えばDidjerirooですが、楽器自体はシティのストリートパフォーマンスでよく見ます。最近は以前Klezmaniaのコンサートでもあったようなスライド付きのバージョンもあるとかで。
何回か書いてると思いますがこの楽器はピッチがほとんど無くリズム+ベース(Drone)担当で、オーストラリアの民族音楽、さらにクラシック音楽は割とリズムが強く、ぱっと聴き印象そのリズムの大切さとリズムの性質がアフリカの音楽に似てます。この仮説を自分の中で固めるためにもっとアフリカの音楽を知らないとなーと思ってるのですが・・・なかなか手が回らず。
割と多文化な環境で、大学のカリキュラムでも色んな音楽に触れあうチャンスがあって。
それでもまだ聞いたこともない音楽がいっぱい。
音楽って本当にその国を表すというか文化を反映するというか、時によってはその地を訪れずともその国をビビッドに味わえるもので。
難しいこと抜きでとにかく面白い!
ちなみに以前見たぷっすまで様々な民族楽器の音を出すというのがありましたがあれはトライしたい!
きっと基本のカテゴリーはクラシックの音楽と一緒のものが多いのですが細かいテクニックはもちろん個別の楽器で違いますからね。初めまして(少なくとも弾くには)のはい弾いてといわれていかに弾くか。楽しそう。
自分の生きている間に世界の全ての音楽に出会うことは到底不可能ながら、なるべく多く(できるならば生きた形で)広く出会って楽しめるよう、ちょっとだけ自分にプレッシャーをかけておきます(笑)
手始めに父のCDです、楽しみ楽しみ。
今日の一曲: Dorothy Buchanan 「Peace Song」
(録音リンクなしです~)
中学だったか高校だったかの時に学校で(合唱団?それとも学校全員の?)歌ったこの曲。手元に楽譜はありながら他にどこでも聞いたことなかったんです。
それを最近思い出して、調べてびっくり。この曲、ニュージーランドの作曲家によって書かれた曲だったんです。
クラシックでも(オーストラリアに居ても)ニュージーランドの音楽って出会ったことなくて。
確かにでもこの曲を聴くとどこの国の音楽か分からない。主に英語ながらイギリスぽくもなくオーストラリアぽくもなく、次に歌詞で多いのはフランス語でもフランス音楽とは全然違う。
でもこうやって知ってみると確かにニュージーランドで納得いきます。
歌詞はざっくり言えば自分の周り、友達や恋人などから心の中に真実としてある平和を広げていこう、というような意味なのですが、サビのところが本当に印象的。
「Peace, shalom, Pax, aroha, La paix, la joie, l'amour」とあるのですが前半は英語、ヘブライ語、ラテン語、ハワイ語で「平和」、それからフランス語で「平和、喜び、愛」という言葉。
前半にそのいわゆる主流言語を持ってこないで、というところがなかなか興味深いですね。
そしてメッセージ性だけでなくメロディーだったりハーモニー、総じて曲自体も良い曲です。
もっと知られてもいいのにやっぱりニュージーランドの曲はここら(豪+NZ)の外を出ないのかなーと思うと残念です。知名度アップ祈願。
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こないだ着いたロルカの詩集、噛みしめております(笑)
本を読む時っていつもがーっと最初は速くよんでからあとで反芻するように何回も何回も(×many)読む癖があるのですが、ロルカは最初速く読むとぱっぱっとキーワードが飛び出してくるのですがその独特の世界観と色彩、温度を味わうにはゆっくりゆっくり読むのが必要です。
もう1冊ロルカの詩集を注文したのですが明後日からイースターで連休なのでなるべく明日届くといいな・・・
今日は久しぶりの楽器と性格シリーズ。順番からいってフルートですね。
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
フルートの友達は何人かいますが、あんまりフルートコミュニティと付き合いがあるわけでなく・・・
・・・待てよ、まずフルートコミュニティって存在するのか、という疑問から始まりです。
フルート同士で固まって集まってという光景をあんまりみないような・・・いや、きっと集まってはいます。でも他の木管と一緒だったりするのが一つと、あとフルート同士の集まりはやはりホルンの仲良しグループ的な集まりだったり、はたまた打楽器のビジネスライクだけどチームワークがっちりの集まりとは大分性質が違うような気がします。
割とドライ、というかグループよりは個人の集まりというか。
実際フルートってオケでもフルート同士のアンサンブルで演奏、という感じじゃないんですよね。ソロかデュエットか。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の有名な「葦笛の踊り」を聞いててなんだかちょっとだけ腑に落ちないものがあったり。唯一フルートがアンサンブルでがっちり組んでて凄い!と思うのはホルストの「惑星」の「土星」と「海王星」ですね。
例えばチェロだけのアンサンブル、ホルンだけのアンサンブルなどありますけどフルートだけのアンサンブルはあくまでも個人的な印象ですがあんまり強くないです。
フルートは生粋の高音楽器だと私は思ってます。柔らかい低音、そして力強く、つんざくような音も出る高音部。
オーケストラには弟分の全域つんざくピッコロ、そして稀にアルトフルートやバスフルートなど音量は全然ですが柔らかく不思議な音色を持つ兄弟も出てきます。
バイオリンと似たようなパートを受け持つことが多いこともありその機動力はお墨付き。ただバイオリンが情熱を込める楽器ならばフルートはクールに振る舞うことの多い楽器です。
フルート奏者もまたクールで知的で飄々としているイメージが。
そして木管で唯一銀でできている、というユニークさ、そして高級さ。そして最高の音のため、そしてやっぱりヴィジュアルな面もあってか銀にこだわりたいという傾向も少なからずあったり。
プライドとこだわりのレベルは高いですが、でもちゃんと引き際を知っているというか。理想は高く、でもリアリストなイメージがあります。(ちょうど飄々のクラリネットとこだわりのオーボエの間に位置しているという感じ・・・)
そしてフルートは女性的な印象があるかとお見ますが、確かに体育会系、ゴリマッチョ系は見たこと無いです。
感情豊かではありますが(感受性豊か、そして感情の表現も豊か。音もありますがそこがまた女性的、というのもあるかな)その表現はあくまでもintellectualな感じ?
ふるまいもスマート。苦労して楽器を運ぶチェロやコントラバスなどとは違ってなんと楽器をケースにいれた状態で鞄に入ってしまうというのがこのイメージには関連してると思われます。
ちなみに一度読んだ事があるのですがフルートにはフランス人の名手が多いそうで。
唇が薄い方が有利、と言われているのですがやはりフルートはフランスの作曲家の音楽において活躍(ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」が良い例ですね)しているので音楽の感じ、エスプリが自然に感じやすいということもあり。フランスの感性にまたフルートの楽器としての性質も合うのかな、と思います。
美しく柔らかな音のフルートですが同時に鋭く力強い面があることもまたフルートの一面で。
フルートは構えたとき楽器が地面に水平になるように、音の出口が右に向くように持つためフルート(そして何よりもピッコロ)の右側に立ったり座ったりすると時によっては耳を本当に痛めかねません。
ということでどんな人でもそうですが、色んな意味でも「フルート奏者のwrong sideに立たないように」、との注意を。・・・失礼しました(汗)
今日はあくまでも比較的ですが馴染みの深くない楽器ということでちょっと短めに。
あまりこううかつなことは言えないかな、と。
次回はやっと弦楽器、コントラバスからですね。こんどはゆっくり構えたいと思います。
今日の一曲: フランソワ・プーランク フルートとピアノのためのソナタ 第2楽章
ちょっぴり悩みました。ものすごく好きでとっておきたい曲、一応活躍してるけどここでわざわざ・・・な曲、そして活躍してるけどあんまり詳しくはない曲(主にソロレパートリー)が総じて多いなかこれならいける!と。
活躍はいわずもがな、実際に伴奏の授業で弾いた事がありさらにフルートの魅力(さらにはプーランクの魅力)を存分に味わえる曲、ということで。
プーランクは私にとって「エスプリの塊」みたいな作曲家です。
気まぐれさ、独特のセンス、軽さ、流れとリズム、どれをとってもフランスらしく、粋で。
ただプーランクはちょこちょここう、曲の良さにムラがあるんですよね(汗)ピアノ曲でもたまにありゃ?となるものがあるのですがなんといってもバレエ「牝鹿」(なんだかんだで2回弾いてる・・・)はちょっとなんだか、うーん。
ただプーランクは多作で、良い曲もたくさん残しています。
木管楽器が入ってる室内楽曲、そしてソナタ類はクオリティ高いです!このフルートソナタもまたその1つ。
ピアノもいきいき、フルートものびのび。フランス音楽の粋さと楽しさが親しみやすいです。
第2楽章はCantilenaと名がついています。
Cantabile, Canto, Cantataなどと同じく「歌」関係の言葉で。
同じ語源から生じたフランス語のChanson=歌・シャンソンとも関わりがあります。
実際伴奏の授業でこの第2楽章はシャンソンに似た感じ、という話があり。フルートのクールでなめらかかつ表現豊かな透明な音色で歌い上げます。
そして先ほどちょろっと話が合った気まぐれさ。
フランス音楽の気まぐれさ、プーランクの気まぐれさ、エスプリの気まぐれさだけではなくフルートに見られる女性的なきまぐれさもあるのかな、と思い。
豹変する、というほどではないけど突然感情・表情が変わるのはこの曲の魅力の一つですね。
もちろんこのソナタの他の楽章も素晴らしいですし、オーボエ、クラリネットのソナタ、トリオ(オーボエ、ファゴット、ピアノ)、さらには六重奏(ピアノ+木管五重奏)も名曲。
木管の魅力、そしてフランス音楽の気さくなおしゃれさとそれ以上の深さを味わうのには本当にプーランクの木管音楽はお勧めです♪
本を読む時っていつもがーっと最初は速くよんでからあとで反芻するように何回も何回も(×many)読む癖があるのですが、ロルカは最初速く読むとぱっぱっとキーワードが飛び出してくるのですがその独特の世界観と色彩、温度を味わうにはゆっくりゆっくり読むのが必要です。
もう1冊ロルカの詩集を注文したのですが明後日からイースターで連休なのでなるべく明日届くといいな・・・
今日は久しぶりの楽器と性格シリーズ。順番からいってフルートですね。
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
フルートの友達は何人かいますが、あんまりフルートコミュニティと付き合いがあるわけでなく・・・
・・・待てよ、まずフルートコミュニティって存在するのか、という疑問から始まりです。
フルート同士で固まって集まってという光景をあんまりみないような・・・いや、きっと集まってはいます。でも他の木管と一緒だったりするのが一つと、あとフルート同士の集まりはやはりホルンの仲良しグループ的な集まりだったり、はたまた打楽器のビジネスライクだけどチームワークがっちりの集まりとは大分性質が違うような気がします。
割とドライ、というかグループよりは個人の集まりというか。
実際フルートってオケでもフルート同士のアンサンブルで演奏、という感じじゃないんですよね。ソロかデュエットか。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の有名な「葦笛の踊り」を聞いててなんだかちょっとだけ腑に落ちないものがあったり。唯一フルートがアンサンブルでがっちり組んでて凄い!と思うのはホルストの「惑星」の「土星」と「海王星」ですね。
例えばチェロだけのアンサンブル、ホルンだけのアンサンブルなどありますけどフルートだけのアンサンブルはあくまでも個人的な印象ですがあんまり強くないです。
フルートは生粋の高音楽器だと私は思ってます。柔らかい低音、そして力強く、つんざくような音も出る高音部。
オーケストラには弟分の全域つんざくピッコロ、そして稀にアルトフルートやバスフルートなど音量は全然ですが柔らかく不思議な音色を持つ兄弟も出てきます。
バイオリンと似たようなパートを受け持つことが多いこともありその機動力はお墨付き。ただバイオリンが情熱を込める楽器ならばフルートはクールに振る舞うことの多い楽器です。
フルート奏者もまたクールで知的で飄々としているイメージが。
そして木管で唯一銀でできている、というユニークさ、そして高級さ。そして最高の音のため、そしてやっぱりヴィジュアルな面もあってか銀にこだわりたいという傾向も少なからずあったり。
プライドとこだわりのレベルは高いですが、でもちゃんと引き際を知っているというか。理想は高く、でもリアリストなイメージがあります。(ちょうど飄々のクラリネットとこだわりのオーボエの間に位置しているという感じ・・・)
そしてフルートは女性的な印象があるかとお見ますが、確かに体育会系、ゴリマッチョ系は見たこと無いです。
感情豊かではありますが(感受性豊か、そして感情の表現も豊か。音もありますがそこがまた女性的、というのもあるかな)その表現はあくまでもintellectualな感じ?
ふるまいもスマート。苦労して楽器を運ぶチェロやコントラバスなどとは違ってなんと楽器をケースにいれた状態で鞄に入ってしまうというのがこのイメージには関連してると思われます。
ちなみに一度読んだ事があるのですがフルートにはフランス人の名手が多いそうで。
唇が薄い方が有利、と言われているのですがやはりフルートはフランスの作曲家の音楽において活躍(ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」が良い例ですね)しているので音楽の感じ、エスプリが自然に感じやすいということもあり。フランスの感性にまたフルートの楽器としての性質も合うのかな、と思います。
美しく柔らかな音のフルートですが同時に鋭く力強い面があることもまたフルートの一面で。
フルートは構えたとき楽器が地面に水平になるように、音の出口が右に向くように持つためフルート(そして何よりもピッコロ)の右側に立ったり座ったりすると時によっては耳を本当に痛めかねません。
ということでどんな人でもそうですが、色んな意味でも「フルート奏者のwrong sideに立たないように」、との注意を。・・・失礼しました(汗)
今日はあくまでも比較的ですが馴染みの深くない楽器ということでちょっと短めに。
あまりこううかつなことは言えないかな、と。
次回はやっと弦楽器、コントラバスからですね。こんどはゆっくり構えたいと思います。
今日の一曲: フランソワ・プーランク フルートとピアノのためのソナタ 第2楽章
ちょっぴり悩みました。ものすごく好きでとっておきたい曲、一応活躍してるけどここでわざわざ・・・な曲、そして活躍してるけどあんまり詳しくはない曲(主にソロレパートリー)が総じて多いなかこれならいける!と。
活躍はいわずもがな、実際に伴奏の授業で弾いた事がありさらにフルートの魅力(さらにはプーランクの魅力)を存分に味わえる曲、ということで。
プーランクは私にとって「エスプリの塊」みたいな作曲家です。
気まぐれさ、独特のセンス、軽さ、流れとリズム、どれをとってもフランスらしく、粋で。
ただプーランクはちょこちょここう、曲の良さにムラがあるんですよね(汗)ピアノ曲でもたまにありゃ?となるものがあるのですがなんといってもバレエ「牝鹿」(なんだかんだで2回弾いてる・・・)はちょっとなんだか、うーん。
ただプーランクは多作で、良い曲もたくさん残しています。
木管楽器が入ってる室内楽曲、そしてソナタ類はクオリティ高いです!このフルートソナタもまたその1つ。
ピアノもいきいき、フルートものびのび。フランス音楽の粋さと楽しさが親しみやすいです。
第2楽章はCantilenaと名がついています。
Cantabile, Canto, Cantataなどと同じく「歌」関係の言葉で。
同じ語源から生じたフランス語のChanson=歌・シャンソンとも関わりがあります。
実際伴奏の授業でこの第2楽章はシャンソンに似た感じ、という話があり。フルートのクールでなめらかかつ表現豊かな透明な音色で歌い上げます。
そして先ほどちょろっと話が合った気まぐれさ。
フランス音楽の気まぐれさ、プーランクの気まぐれさ、エスプリの気まぐれさだけではなくフルートに見られる女性的なきまぐれさもあるのかな、と思い。
豹変する、というほどではないけど突然感情・表情が変わるのはこの曲の魅力の一つですね。
もちろんこのソナタの他の楽章も素晴らしいですし、オーボエ、クラリネットのソナタ、トリオ(オーボエ、ファゴット、ピアノ)、さらには六重奏(ピアノ+木管五重奏)も名曲。
木管の魅力、そしてフランス音楽の気さくなおしゃれさとそれ以上の深さを味わうのには本当にプーランクの木管音楽はお勧めです♪
昨日のエントリーに拍手ありがとうございました!
自分の演奏のテンポの焦りについてここ一日以上ぐるぐるしていましたが拍手やフィードバックいただけると本当に嬉しいです。
テンポの焦りについてはこの冬がっつり&気長にwork on したいと思います。すでに今日の練習でいろいろ見えてきたり変わりつつあることもあるので。
こないだ摂食障害のレクチャーで自分の体型について完璧主義的というか高すぎる理想を抱くのがいけない、という話があったのですが、自分と自分の演奏の関係ってともすればそうなりかねないなあ、と少し反省しています。
音楽が好きで、自分で弾こうと思う曲って本当に思い入れが深いから特に「こう弾きたい!」というのが強くて・・・
向上心はそのまま自分にもちょっと寛大になったほうがいいのかな、と思ったり。
(メンタルヘルスとか心理学の知識が思わぬところでちょこちょこ役立つ良い例です)
今日はブログ何書こうかな~といろいろ(一年ほどぶりに肉じゃがを作りながら)考えを巡らせてたのですがどうもこう・・・説教じみた話になってしまって。
一つ考えてたことの一部なんですが音楽の感じ方についてちょっと。
(音楽に限らず芸術全般、芸術に限らずいろいろなことについても当てはまると思うのですが、言葉や具体的な絵がない抽象美術・器楽音楽が一番考慮しやすいかも・・・?)
例えば音楽を聞いたとき、聴き手が感じるものは聴く曲によって、その曲を演奏する時や場所や楽器、人やその状態によって、そして聴き手とその心の状態によって無限に変わります。
音楽と聴き手、というざっくりした関係性では説明できないいろいろがあるんだ・・・というようなことをなんとかいろいろまとめられないかなーと思ってました。
これは以前行った「コミュニティにおいての音楽の役割」についてのレクチャーで説明があったことを自分なりに探ってるプロセスですが、まだどうも自分の中でもまとまってない感じで。
そろそろ自分の中でのフォーカスである「音楽と心の繋がり」あたりのことをノートにまとめようかなあ・・・なんて思ったり。でもまだ何もできず。(メンタルヘルス関係の基本ノートも大分滞ったまま・・・)
自分にとってノートって性質が両極端なんですよね。
レクチャーでメモをとってるときのような本当に走り書きのものと、あと自分の気に入ってる言葉や詩を書き留めるQuotebookやクラムの音楽を分析・解釈するクラムノートみたいに「保存版」のノート。
その中間、みたいなのはどうしてもできない。そして保存版のノートを作ってもどっかしらん直したいところを見つけて全部やりなおしたくなったり。
あとちょっとでもいいノートだと使うのが勿体なかったり(笑)せっかく誕生日にMoleskinもらったり、日本でスイングロジカルノート(ナカバヤシ)買ったりしたのに使い道に迷い中。
クラムノートはこんな感じ。
英語も日本語も五線譜も使ってまとめてます。
解釈だったりインスピレーションを広げる部分は多少関係がないと思われることやこじつけのように思われることもとりあえず書き留めたり。
あとで参照できるように参考文献のリストもなるべく(もしかしたらすでに抜けてるかも!)キープしています。
学校の頃使ってた聖書とかもひっぱり出してきたり、意外なものが役立つこともあります。
さすがにこういうのは楽譜に直接書き込むわけにもいきませんし(スコアも少しお値段しますし、楽譜に色ペンはもちろんペン全般使えませんからねえ・・・)、かといって頭の中にしまっとくのも心配。
もちろん曲の解釈は時と共に、弾き手の知識や感覚などとともに変わっていくものですが、それでもこう・・・そのベースをいろいろ記録しとくといいかな、と。
実際にやって実感したんですがかなりいろいろなところから参考ひっぱってきてるんで確かに記録しといてよかった、と思ってます。
今日はここらで。なんだか結局まとまらなかったです。
今日の一曲: Spice Girls 「Viva Forever」
クラシック一辺倒に友達には見られることが多いですが、わりとジャンル隔てなく好きな曲はちらほらあります。
Spice Girlsは全盛期に大分はまっててダンスの振り付けなんかも踊れたときがあります。今でもStopは覚えてます。(あれは散々聴きましたから)
そんななか今でも好きな曲がいくつかありますが、やっぱりダントツはこのViva Foreverでしょうか。
もともとセカンドアルバムに入ってたのですが後にシングルカットされました(カップリング曲なんだっけ・・・?)。本当にシングルカットされるにふさわしい曲だと思います。
自分がこの歌を好きになった要素は本当にいっぱいあって。
まずは調が変ホ短調で。メロディーも良くて音域も低め(なので比較的歌いやすい)。
あとギターのパートがスペイン風というかラテン風というかで、弾き手も良い感じで。
あとこのアルバム聴きながらKen Duncanのエアーズロックのジグソーパズルやってた思い出が強いのであの夕日の光の感じを思い出したり。
そしてこの歌詞の感覚がつい最近「新神話主義」的な性質があってそういうのも好きなんだな―というのもあり。(夕日のイメージもそうなんですが、日が昇って沈んで時がめぐっていく感じがあります)
バラードっていったらこの曲だな、と思います。
テンポ的にもそうですが、ノスタルジックなキャラクターがそのゆったりさに拍車をかけて。
あとPVの映像、というかその映像の光の使い方が素晴らしく懐かしく。
ああやっぱりイギリスのお国柄みたいなものなのかな・・・と。
あとなんだかんだであの頃のSpice Girlsの歌とか声って好きですね~今でも。
あのころの懐かしさ、だけでは説明できない音楽的な良さがちゃんとあります。
ちなみにサードアルバムは結局買ってないのですがファーストと比べるとこのセカンドアルバムSpiceworldの方が良い歌入ってる様な気がします。
自分の演奏のテンポの焦りについてここ一日以上ぐるぐるしていましたが拍手やフィードバックいただけると本当に嬉しいです。
テンポの焦りについてはこの冬がっつり&気長にwork on したいと思います。すでに今日の練習でいろいろ見えてきたり変わりつつあることもあるので。
こないだ摂食障害のレクチャーで自分の体型について完璧主義的というか高すぎる理想を抱くのがいけない、という話があったのですが、自分と自分の演奏の関係ってともすればそうなりかねないなあ、と少し反省しています。
音楽が好きで、自分で弾こうと思う曲って本当に思い入れが深いから特に「こう弾きたい!」というのが強くて・・・
向上心はそのまま自分にもちょっと寛大になったほうがいいのかな、と思ったり。
(メンタルヘルスとか心理学の知識が思わぬところでちょこちょこ役立つ良い例です)
今日はブログ何書こうかな~といろいろ(一年ほどぶりに肉じゃがを作りながら)考えを巡らせてたのですがどうもこう・・・説教じみた話になってしまって。
一つ考えてたことの一部なんですが音楽の感じ方についてちょっと。
(音楽に限らず芸術全般、芸術に限らずいろいろなことについても当てはまると思うのですが、言葉や具体的な絵がない抽象美術・器楽音楽が一番考慮しやすいかも・・・?)
例えば音楽を聞いたとき、聴き手が感じるものは聴く曲によって、その曲を演奏する時や場所や楽器、人やその状態によって、そして聴き手とその心の状態によって無限に変わります。
音楽と聴き手、というざっくりした関係性では説明できないいろいろがあるんだ・・・というようなことをなんとかいろいろまとめられないかなーと思ってました。
これは以前行った「コミュニティにおいての音楽の役割」についてのレクチャーで説明があったことを自分なりに探ってるプロセスですが、まだどうも自分の中でもまとまってない感じで。
そろそろ自分の中でのフォーカスである「音楽と心の繋がり」あたりのことをノートにまとめようかなあ・・・なんて思ったり。でもまだ何もできず。(メンタルヘルス関係の基本ノートも大分滞ったまま・・・)
自分にとってノートって性質が両極端なんですよね。
レクチャーでメモをとってるときのような本当に走り書きのものと、あと自分の気に入ってる言葉や詩を書き留めるQuotebookやクラムの音楽を分析・解釈するクラムノートみたいに「保存版」のノート。
その中間、みたいなのはどうしてもできない。そして保存版のノートを作ってもどっかしらん直したいところを見つけて全部やりなおしたくなったり。
あとちょっとでもいいノートだと使うのが勿体なかったり(笑)せっかく誕生日にMoleskinもらったり、日本でスイングロジカルノート(ナカバヤシ)買ったりしたのに使い道に迷い中。
英語も日本語も五線譜も使ってまとめてます。
解釈だったりインスピレーションを広げる部分は多少関係がないと思われることやこじつけのように思われることもとりあえず書き留めたり。
あとで参照できるように参考文献のリストもなるべく(もしかしたらすでに抜けてるかも!)キープしています。
学校の頃使ってた聖書とかもひっぱり出してきたり、意外なものが役立つこともあります。
さすがにこういうのは楽譜に直接書き込むわけにもいきませんし(スコアも少しお値段しますし、楽譜に色ペンはもちろんペン全般使えませんからねえ・・・)、かといって頭の中にしまっとくのも心配。
もちろん曲の解釈は時と共に、弾き手の知識や感覚などとともに変わっていくものですが、それでもこう・・・そのベースをいろいろ記録しとくといいかな、と。
実際にやって実感したんですがかなりいろいろなところから参考ひっぱってきてるんで確かに記録しといてよかった、と思ってます。
今日はここらで。なんだか結局まとまらなかったです。
今日の一曲: Spice Girls 「Viva Forever」
クラシック一辺倒に友達には見られることが多いですが、わりとジャンル隔てなく好きな曲はちらほらあります。
Spice Girlsは全盛期に大分はまっててダンスの振り付けなんかも踊れたときがあります。今でもStopは覚えてます。(あれは散々聴きましたから)
そんななか今でも好きな曲がいくつかありますが、やっぱりダントツはこのViva Foreverでしょうか。
もともとセカンドアルバムに入ってたのですが後にシングルカットされました(カップリング曲なんだっけ・・・?)。本当にシングルカットされるにふさわしい曲だと思います。
自分がこの歌を好きになった要素は本当にいっぱいあって。
まずは調が変ホ短調で。メロディーも良くて音域も低め(なので比較的歌いやすい)。
あとギターのパートがスペイン風というかラテン風というかで、弾き手も良い感じで。
あとこのアルバム聴きながらKen Duncanのエアーズロックのジグソーパズルやってた思い出が強いのであの夕日の光の感じを思い出したり。
そしてこの歌詞の感覚がつい最近「新神話主義」的な性質があってそういうのも好きなんだな―というのもあり。(夕日のイメージもそうなんですが、日が昇って沈んで時がめぐっていく感じがあります)
バラードっていったらこの曲だな、と思います。
テンポ的にもそうですが、ノスタルジックなキャラクターがそのゆったりさに拍車をかけて。
あとPVの映像、というかその映像の光の使い方が素晴らしく懐かしく。
ああやっぱりイギリスのお国柄みたいなものなのかな・・・と。
あとなんだかんだであの頃のSpice Girlsの歌とか声って好きですね~今でも。
あのころの懐かしさ、だけでは説明できない音楽的な良さがちゃんとあります。
ちなみにサードアルバムは結局買ってないのですがファーストと比べるとこのセカンドアルバムSpiceworldの方が良い歌入ってる様な気がします。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
日本料理パーティーは誕生日のちょっと早め、ということになると思いますがまた実行のちブログで報告したいと思います~
昨日はなんとなく日常関連のブログ書いてる間に間違って消してしまいました(汗)
摂食障害について以前レクチャーの感想として西洋と東洋の社会文化的違いはどうなのかな~と思っていて日本の論文がないと探してたのですがいくつか見つかりました。CiNiiはやっぱり優秀&Usefulですね!お世話になっています(といっても論文読むのはちょっと久しぶりですが・・・ストックもたくさんあるんで消化してかなきゃ)。
今日はキーワードto音楽、いい加減秋バージョン。
季語の秋は旧暦なので7~9月なんですよね(汗)もっと早くにやっておけばよかった・・・
冬は10~12月なんだ・・・と思うとあまりなんというか晩秋らしい感じの曲も使えず。結構難しかったです、今回(もちょっと早くやるだけで大分解決したとは思いますが・・・)
それでは早速GO♪ (今日も何だか10曲でなくて11曲になったようです)
めであい月: マーラー 交響曲第7番 第4楽章
牽牛と織女が愛し合う月、ということで7月の別称だそうです。でもやっぱりこう、夜でも暖かくて夕べに愛を奏で囁き合う、というイメージからどうしてもやっぱり最近縁が深いマーラー7番。マーラーは7月生まれなんですよね、ちなみに(私と1日違い)。
二星(じせい): クラム マクロコスモス第4巻「天体の力学」 第2楽章「はくちょう座β」
これも織姫(こと座のベガ)と彦星(わし座のアルタイル)のことを指す言葉ですが、でも私にとってはどうしてもはくちょう座のアルビレオの二重星なのです!青と黄色の双子星♪
(奇しくもはくちょう座は夏の大三角形なのですが三角形に入ってるのはアルビレオじゃなくてデネブです。星座の反対側)
精霊流し: ベートーヴェン 交響曲第7番 第2楽章
ベートーヴェンのお葬式に演奏された、という話とこの曲の「見送る」「受け入れる」感じが。
案外お盆にあってるんじゃないかと思います。あのろうそくを川に流す情景に不思議とぴったりなんですよね。
月今宵(つきこよい): ドビュッシー 「映像」第2巻 「廃寺にかかる月」
やっぱりこれですね~以前拙い録音をアップしてしまいましたが・・・名月といったら断然これだと思います。
日本の「荒城の月」にとっても近いイメージ。(マイナス桜)山の中の古いお寺と綺麗な月と、しんみりしたお酒。
とてもひんやりとした秋の夜の風景です。
薄(すすき): ラヴェル 死せる王女のためのパヴァーヌ
すすき自体というよりもすすき野(北海道のあそこじゃなく!)の雰囲気です。あのさらさらさら、という音と涼しげに渡る風がこの曲の不思議な雰囲気にぴったりなんですよね。どの花よりも、どの風よりも。
心を空にして味わいたいです。
色なき風: アデズ Traced Overhead
透明、透明・・・うーん・・・と悩んでここに。透明度ならどんな水晶にも負けない、そして果てしない軽さがあって!結局秋かどうか、というのはまた難しいのですが・・・でも秋の空って昼も夜も夕方も上へ上へ、というイメージがあるのでそういう意味ではこの曲はぴったりです。
物の音澄む(もののねすむ): ペルト Summa
秋ってFallとアメリカ英語で言いますが木の葉だけでなくもっと見えない物がいろいろゆっくり落ちていくような季節だと思います。なのでガーシュインの「ポーギーとベス」の「Summertime」から派生した曲ではありますがこの曲をチョイス。音が澄む、ということに関してはペルトは本当に専門家ですしね。
金木犀: バルトーク ピアノ協奏曲第3番 第1楽章
全体的な雰囲気だと春ととれないこともないんですがでも色彩の黄金、どこか甘い感じ、そして女性的な感じ。いろんな感覚への訴えかけがこの花を思わせます。(ちなみにバルトークは死ぬ前にこの曲を妻に向けて書いたそうで、普段みたいな荒々しさとか複雑さを取り除いた、本当に優しさにあふれた曲なのです)
色葉散る: ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲第2番 第2楽章
ひらりひらりと落ちる紅と黄色、そして落葉とともに感じる涼しさ~肌寒さ、そして不思議な切なさと寂しさ。
ちょうど私がこの曲に出会ったのも秋でした。チェロとビオラの音色が特に切なさを誘う、チェコらしく秋らしく美しい一曲。
秋の名残: エルガー 弦楽セレナード 第1楽章
私にとって「秋」といったらさっきのドヴォルザークか、またはもちょっと秋の更けた感じでこの曲です。先の冬が透けて見える秋、というか。落葉はもうそろそろ熊手でかき集めた方がいいかなあ・・・という時期。
ブランケットとミルクティー・・・というイメージがあります。
冬近し: シューベルト 交響曲第7番 第2楽章
空が静かで、夕方は寒く心をきゅっと切なく締め付けて。もう冬なのか、と思い。そろそろ火を入れたり雪に備えたり・・・と秋は恋しく冬もなんか楽しみ、みたいな。ほんの少しの空気のぬくもりがほんとうにいとおしく。でも消して冬の曲ではなく秋の音楽なんですよね。
旧暦の秋だとロシア系の音楽はまだ顔を見せませんね。冬の季語に期待。
そして冬で一周してしまいますね、Seasonalキーワードto音楽シリーズ。来年はどうしようかな・・・また考えておきます。
そして今回も今日の一曲はお休みです。
しいていえば(日本が春なのは重々承知の上ですが)やっぱりドヴォルザーク、シューベルトあたりが一番おすすめ。そして日本ではイギリス音楽・ミニマル音楽がヨーロッパやオーストラリアでほどメジャーじゃないためエルガー、ペルトもプッシュプッシュ♪
日本料理パーティーは誕生日のちょっと早め、ということになると思いますがまた実行のちブログで報告したいと思います~
昨日はなんとなく日常関連のブログ書いてる間に間違って消してしまいました(汗)
摂食障害について以前レクチャーの感想として西洋と東洋の社会文化的違いはどうなのかな~と思っていて日本の論文がないと探してたのですがいくつか見つかりました。CiNiiはやっぱり優秀&Usefulですね!お世話になっています(といっても論文読むのはちょっと久しぶりですが・・・ストックもたくさんあるんで消化してかなきゃ)。
今日はキーワードto音楽、いい加減秋バージョン。
季語の秋は旧暦なので7~9月なんですよね(汗)もっと早くにやっておけばよかった・・・
冬は10~12月なんだ・・・と思うとあまりなんというか晩秋らしい感じの曲も使えず。結構難しかったです、今回(もちょっと早くやるだけで大分解決したとは思いますが・・・)
それでは早速GO♪ (今日も何だか10曲でなくて11曲になったようです)
めであい月: マーラー 交響曲第7番 第4楽章
牽牛と織女が愛し合う月、ということで7月の別称だそうです。でもやっぱりこう、夜でも暖かくて夕べに愛を奏で囁き合う、というイメージからどうしてもやっぱり最近縁が深いマーラー7番。マーラーは7月生まれなんですよね、ちなみに(私と1日違い)。
二星(じせい): クラム マクロコスモス第4巻「天体の力学」 第2楽章「はくちょう座β」
これも織姫(こと座のベガ)と彦星(わし座のアルタイル)のことを指す言葉ですが、でも私にとってはどうしてもはくちょう座のアルビレオの二重星なのです!青と黄色の双子星♪
(奇しくもはくちょう座は夏の大三角形なのですが三角形に入ってるのはアルビレオじゃなくてデネブです。星座の反対側)
精霊流し: ベートーヴェン 交響曲第7番 第2楽章
ベートーヴェンのお葬式に演奏された、という話とこの曲の「見送る」「受け入れる」感じが。
案外お盆にあってるんじゃないかと思います。あのろうそくを川に流す情景に不思議とぴったりなんですよね。
月今宵(つきこよい): ドビュッシー 「映像」第2巻 「廃寺にかかる月」
やっぱりこれですね~以前拙い録音をアップしてしまいましたが・・・名月といったら断然これだと思います。
日本の「荒城の月」にとっても近いイメージ。(マイナス桜)山の中の古いお寺と綺麗な月と、しんみりしたお酒。
とてもひんやりとした秋の夜の風景です。
薄(すすき): ラヴェル 死せる王女のためのパヴァーヌ
すすき自体というよりもすすき野(北海道のあそこじゃなく!)の雰囲気です。あのさらさらさら、という音と涼しげに渡る風がこの曲の不思議な雰囲気にぴったりなんですよね。どの花よりも、どの風よりも。
心を空にして味わいたいです。
色なき風: アデズ Traced Overhead
透明、透明・・・うーん・・・と悩んでここに。透明度ならどんな水晶にも負けない、そして果てしない軽さがあって!結局秋かどうか、というのはまた難しいのですが・・・でも秋の空って昼も夜も夕方も上へ上へ、というイメージがあるのでそういう意味ではこの曲はぴったりです。
物の音澄む(もののねすむ): ペルト Summa
秋ってFallとアメリカ英語で言いますが木の葉だけでなくもっと見えない物がいろいろゆっくり落ちていくような季節だと思います。なのでガーシュインの「ポーギーとベス」の「Summertime」から派生した曲ではありますがこの曲をチョイス。音が澄む、ということに関してはペルトは本当に専門家ですしね。
金木犀: バルトーク ピアノ協奏曲第3番 第1楽章
全体的な雰囲気だと春ととれないこともないんですがでも色彩の黄金、どこか甘い感じ、そして女性的な感じ。いろんな感覚への訴えかけがこの花を思わせます。(ちなみにバルトークは死ぬ前にこの曲を妻に向けて書いたそうで、普段みたいな荒々しさとか複雑さを取り除いた、本当に優しさにあふれた曲なのです)
色葉散る: ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲第2番 第2楽章
ひらりひらりと落ちる紅と黄色、そして落葉とともに感じる涼しさ~肌寒さ、そして不思議な切なさと寂しさ。
ちょうど私がこの曲に出会ったのも秋でした。チェロとビオラの音色が特に切なさを誘う、チェコらしく秋らしく美しい一曲。
秋の名残: エルガー 弦楽セレナード 第1楽章
私にとって「秋」といったらさっきのドヴォルザークか、またはもちょっと秋の更けた感じでこの曲です。先の冬が透けて見える秋、というか。落葉はもうそろそろ熊手でかき集めた方がいいかなあ・・・という時期。
ブランケットとミルクティー・・・というイメージがあります。
冬近し: シューベルト 交響曲第7番 第2楽章
空が静かで、夕方は寒く心をきゅっと切なく締め付けて。もう冬なのか、と思い。そろそろ火を入れたり雪に備えたり・・・と秋は恋しく冬もなんか楽しみ、みたいな。ほんの少しの空気のぬくもりがほんとうにいとおしく。でも消して冬の曲ではなく秋の音楽なんですよね。
旧暦の秋だとロシア系の音楽はまだ顔を見せませんね。冬の季語に期待。
そして冬で一周してしまいますね、Seasonalキーワードto音楽シリーズ。来年はどうしようかな・・・また考えておきます。
そして今回も今日の一曲はお休みです。
しいていえば(日本が春なのは重々承知の上ですが)やっぱりドヴォルザーク、シューベルトあたりが一番おすすめ。そして日本ではイギリス音楽・ミニマル音楽がヨーロッパやオーストラリアでほどメジャーじゃないためエルガー、ペルトもプッシュプッシュ♪
今日は一日仕事休み。
朝はだらだら、昼過ぎからコンサートへ。
South Melbourneの国立音楽アカデミーででした。でもアカデミーではなくMelbourne Youth Orchestraのコンサート。私も数年お世話になったオーケストラですが今日は2重の意味で来なきゃ!というコンサートで。
まずはプログラム:
Melbourne Youth Orchestra (指揮:Fabian Russell)
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 (ソリスト:Stefan Cassamenos)
マーラー 交響曲5番
1つめの理由。ソリストが同門の友達であり先輩。
Stefanが在学中にプロコフィエフピアノソナタ第6番を弾くのを聴いてて、本当に彼の演奏が好きで(その曲に限ったことではないですが)。このコンサートのことを聞いて「ぴったりだ!」と思って。
彼は本当に「若きマエストロ」だと思います。
ちなみに私たちの先生は今日ダブルブッキングして来れなかったそうです(爆)
そして2つめの理由。
10年前、このユースオケで私はマーラー5番を弾いてるのです。
ちょうどこれくらい(もちょっと後?)の季節に。
なんとなく縁よりも因縁みたいなものを感じて(注:曲はものすごく好きです)。
10年前は本当に鬱の状態がひどく、こうやって10年後にマーラー5番を聴けるとは思ってなかったです。
あのときはこんな先のことは到底考えられなかったので・・・不思議な気分です。
言葉では表現できないことをいっぱい感じました。
演奏はなかなかでした。
弦が強い&元気あるとやっぱり引き締まります。
ホールの音響がちょっとプロコフィエフには向いてなかったですね。なによりもドライさと歯切れのよさ、メリハリが必要なのにかなりほわっとした音で。ちょっと勿体なかったなあ。
そしてマーラーも見事でした。ティンパニのテンションの高さ(とがめるわけでなく、もちょっとオケの他のメンバーが上げてくのが理想だったかも)とか、あと第2楽章の冒頭の低音の爆発!びっくりしましたね!
マーラー5番は(他の彼の交響曲もそうですが)それ1つだけでコンサートが成り立つスケールの曲で、プロコフィエフのあのコンチェルトと組み合わせるとそうとうリハーサルも演奏もオケ側はしんどいんじゃないかとおもいますが、若さですね(笑)
一緒に聴いた友達はマーラーで第5楽章がコンパクトにまとまりすぎ、と言ってましたがこの最終楽章を勝利ではなくContentな感じとして解釈したということは私はいいんじゃないかと思います。この交響曲を自分の思いと重ね合わせてるので私はそのContentな性質の方がいいかな~と思いました。
第3楽章、ホルンももちろんですがみんなあの難しい曲を頑張って弾きこなしたな、という感想です。なんかやっぱりすごいな、と。
マーラー5番は心理学で言う「悲嘆の5段階」にちょっと構成が似てるかなあーと。
(あと思ったんですがクラムのBlack Angelsにも似てるかも、と。)
「失う」「死別」=葬送行進曲から始まって、第1楽章と第2楽章で悲しみ、怒りを覚えて、第3楽章で大々的に迷走したのち第4楽章で愛と許し、ぬくもりを見つけ、第5楽章で希望を見つけ、前を見ていろいろ受け入れていく、という。
10年前この曲に出会い、弾いてた頃は第1楽章と第2楽章に本当に共感して(今でも一番好きな楽章です)いたのですが・・・
今の自分の状態をこの交響曲の楽章で表すと、10年経った今でも第4,5楽章とはまだほど遠いな、と。まだまだ第3楽章の迷路にいると思います。そしてずっとこんな感じなんだと思います、これからも。
コンサート後に知ってる人がほとんどいないのにソリスト友達にくっついて打ち上げに行きました。
人見知りの自分に珍しく知らない人と絡みました!たんと!
ユースオケメンバーが座ってるところに混じって若いチェリストたちと話したり。楽しかったですね~
私がマーラー5番をユースオケでやったのは10年前と言いましたが当時かなり若いほうだったのとユースオケの年齢上限は25才(?)なのでメンバーには大学生も多く。
でもなんかこう、「自分年取ったな~」という感じがしますよ(笑)
で、「昔はチェリストだったのよ」と話したらそのチェリストが「一旦チェリストになったら一生チェリストだよ」と言ってくれて。なんだか物凄く嬉しかったです!
ユースオケや大学で仲良かったチェリストもみんなずっと私をチェリスト集団の一員として扱ってくれるのですが、こうやって言葉にしてもらったのは初めてで。
打楽器のチームワークはビジネスライク、ホルンの仲良しは友達のような家族のような・・・とこのブログでもちょっと語りましたがチェリストの集団は「個々の集まり」でお互いライバル同士なのを忘れないちょっと厳しくもある世界なのですが、なれ合いではなく「義」によって結ばれてるんだなあ、と・・・
チェリストで良かった!大事にしたい!と本当に思いました。
そしてStefanは案の定忙しく。
ずっと可愛がってもらってるのでちょっと寂しいですがこんどコーヒーでも、ということに。
前回そういっといてメールの返事しなかったんで釘を刺しときました。明日メールします。
もっと彼と話したいですね~
そして7月になんとユースオケはメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」をやると言うことで(ピアノパートはソリスト扱いでもう決まってるので)これまでたびたびオケピアニストとしての力を買っていただいて、いろんなオケ弾き仕事をいただいてる、ユースオケのマネージャーである友達にチェレスタパートを弾かせてもらえるようお願いしてきました。
コンサート終わったばかりであれですし、大分ずるしてるとも見えますが・・・でも本当に弾きたい!ということで。メシアンを弾きたい、そしてFabianのあの的確で論理的でドライな指揮でまた弾きたい!という思いが強く。
(Fabianはピアノ・チェレスタ・マネージャーとして大学時代にとてもお世話になってるのです)
本気で指クロスしてます。ことごとく。
音楽家の集まりに加わえてもらって本当に楽しかったです。
やっぱりいいなあと思います。音楽家でよかった。チェリストで良かった。ピアニストで良かった。
そしてこれからもこのコミュニティの一部でいたいです。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 第3楽章
紹介したことないのにいきなり最終楽章から、と無謀なチャレンジ。
なぜかというとやはりこの楽章が今日印象強かったから、というのと大学のコンサートクラスで別の友達がこの楽章を弾いた時、Stefanが伴奏パートを弾いて私が譜めくりした、という経験もあって実はこの協奏曲でこの楽章が一番なじみ深かったりするのです。
(以前このブログで書いてますが、譜めくりすると曲のいろんなところが見えて、演奏も見えて間近で客観的かつ共感して曲を聴くことができる、ということで譜めくりは曲を知る・好きになるのに効果有りと私は思っています)
今日のコンサートで一緒に聴いてた友達が「この楽章はManic」だね、といってたのですが、私自身はプロコフィエフの音楽全般に「強迫性障害」=Obsessive-compulsiveな性質があると思ってます。
とてもきっちりしていて、がっつりのめり込んで他の事に目が行かない感じで、なにかに取り付かれているような、気持ちの高揚ではなく不安とか止められないとか・・・強迫観念に少し通じるものがあると思います。
プロコフィエフの音楽の(あくまで印象ですが)あの一点を見つめている、ロックオンしている感じは独特です。
似たようなスタイルのショスタコーヴィチの音楽はこちらを見つめてくる感じが怖いのですが、プロコフィエフは別の怖さがあって。
例えばこの曲の暗いところも暗いのが怖いんでなく、本当に現実を離れてその世界にどっぷり入っている怖さが・・・
そして明るいところは明るいところでどっぷりと病んでいて。
散々膨れあがって盛り上がって、その最後のハ長調のコードがモーツァルトやベートーヴェンなどに代表される「普通のハ長調」のようなに明るく聞こえないこの不思議さ!
ものすごい圧迫感があります、空間的にも心的にも。
でもこの狂ったような、取り付かれたような中でものすごく「秩序」があって、音自体は本当に論理的で。
ピアノのパートの音のクールさ(冷たさ、でもありますね)もまた内に情熱のような、違うものを秘めていて。
プロコフィエフの音楽はそこが魅力ですね。
最初は舞曲にも似ているところがあるのですが、だんだん速く狂おしくなっていくうちにどこからかそれも消え去って。
不思議な曲ですがまるで苦いお酒のような、不快と酔いと深みのある味のコンビで虜にされてしまいます。
(実は2番、3番以外はプロコフィエフの協奏曲はあんまり知らなくて、それも今持ってる録音以外にもいっぱい聞き比べたいまま何もできずいます。なのでいつか手に入れる!という願いも込めてキーシンの録音を。リヒテルとかプロコフィエフ自身とか、名前は忘れましたが今日お勧めいただいたピアニストとか・・・あとアシュケナージの全5曲セットもほしいなあ!)
朝はだらだら、昼過ぎからコンサートへ。
South Melbourneの国立音楽アカデミーででした。でもアカデミーではなくMelbourne Youth Orchestraのコンサート。私も数年お世話になったオーケストラですが今日は2重の意味で来なきゃ!というコンサートで。
まずはプログラム:
Melbourne Youth Orchestra (指揮:Fabian Russell)
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 (ソリスト:Stefan Cassamenos)
マーラー 交響曲5番
1つめの理由。ソリストが同門の友達であり先輩。
Stefanが在学中にプロコフィエフピアノソナタ第6番を弾くのを聴いてて、本当に彼の演奏が好きで(その曲に限ったことではないですが)。このコンサートのことを聞いて「ぴったりだ!」と思って。
彼は本当に「若きマエストロ」だと思います。
ちなみに私たちの先生は今日ダブルブッキングして来れなかったそうです(爆)
そして2つめの理由。
10年前、このユースオケで私はマーラー5番を弾いてるのです。
ちょうどこれくらい(もちょっと後?)の季節に。
なんとなく縁よりも因縁みたいなものを感じて(注:曲はものすごく好きです)。
10年前は本当に鬱の状態がひどく、こうやって10年後にマーラー5番を聴けるとは思ってなかったです。
あのときはこんな先のことは到底考えられなかったので・・・不思議な気分です。
言葉では表現できないことをいっぱい感じました。
演奏はなかなかでした。
弦が強い&元気あるとやっぱり引き締まります。
ホールの音響がちょっとプロコフィエフには向いてなかったですね。なによりもドライさと歯切れのよさ、メリハリが必要なのにかなりほわっとした音で。ちょっと勿体なかったなあ。
そしてマーラーも見事でした。ティンパニのテンションの高さ(とがめるわけでなく、もちょっとオケの他のメンバーが上げてくのが理想だったかも)とか、あと第2楽章の冒頭の低音の爆発!びっくりしましたね!
マーラー5番は(他の彼の交響曲もそうですが)それ1つだけでコンサートが成り立つスケールの曲で、プロコフィエフのあのコンチェルトと組み合わせるとそうとうリハーサルも演奏もオケ側はしんどいんじゃないかとおもいますが、若さですね(笑)
一緒に聴いた友達はマーラーで第5楽章がコンパクトにまとまりすぎ、と言ってましたがこの最終楽章を勝利ではなくContentな感じとして解釈したということは私はいいんじゃないかと思います。この交響曲を自分の思いと重ね合わせてるので私はそのContentな性質の方がいいかな~と思いました。
第3楽章、ホルンももちろんですがみんなあの難しい曲を頑張って弾きこなしたな、という感想です。なんかやっぱりすごいな、と。
マーラー5番は心理学で言う「悲嘆の5段階」にちょっと構成が似てるかなあーと。
(あと思ったんですがクラムのBlack Angelsにも似てるかも、と。)
「失う」「死別」=葬送行進曲から始まって、第1楽章と第2楽章で悲しみ、怒りを覚えて、第3楽章で大々的に迷走したのち第4楽章で愛と許し、ぬくもりを見つけ、第5楽章で希望を見つけ、前を見ていろいろ受け入れていく、という。
10年前この曲に出会い、弾いてた頃は第1楽章と第2楽章に本当に共感して(今でも一番好きな楽章です)いたのですが・・・
今の自分の状態をこの交響曲の楽章で表すと、10年経った今でも第4,5楽章とはまだほど遠いな、と。まだまだ第3楽章の迷路にいると思います。そしてずっとこんな感じなんだと思います、これからも。
コンサート後に知ってる人がほとんどいないのにソリスト友達にくっついて打ち上げに行きました。
人見知りの自分に珍しく知らない人と絡みました!たんと!
ユースオケメンバーが座ってるところに混じって若いチェリストたちと話したり。楽しかったですね~
私がマーラー5番をユースオケでやったのは10年前と言いましたが当時かなり若いほうだったのとユースオケの年齢上限は25才(?)なのでメンバーには大学生も多く。
でもなんかこう、「自分年取ったな~」という感じがしますよ(笑)
で、「昔はチェリストだったのよ」と話したらそのチェリストが「一旦チェリストになったら一生チェリストだよ」と言ってくれて。なんだか物凄く嬉しかったです!
ユースオケや大学で仲良かったチェリストもみんなずっと私をチェリスト集団の一員として扱ってくれるのですが、こうやって言葉にしてもらったのは初めてで。
打楽器のチームワークはビジネスライク、ホルンの仲良しは友達のような家族のような・・・とこのブログでもちょっと語りましたがチェリストの集団は「個々の集まり」でお互いライバル同士なのを忘れないちょっと厳しくもある世界なのですが、なれ合いではなく「義」によって結ばれてるんだなあ、と・・・
チェリストで良かった!大事にしたい!と本当に思いました。
そしてStefanは案の定忙しく。
ずっと可愛がってもらってるのでちょっと寂しいですがこんどコーヒーでも、ということに。
前回そういっといてメールの返事しなかったんで釘を刺しときました。明日メールします。
もっと彼と話したいですね~
そして7月になんとユースオケはメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」をやると言うことで(ピアノパートはソリスト扱いでもう決まってるので)これまでたびたびオケピアニストとしての力を買っていただいて、いろんなオケ弾き仕事をいただいてる、ユースオケのマネージャーである友達にチェレスタパートを弾かせてもらえるようお願いしてきました。
コンサート終わったばかりであれですし、大分ずるしてるとも見えますが・・・でも本当に弾きたい!ということで。メシアンを弾きたい、そしてFabianのあの的確で論理的でドライな指揮でまた弾きたい!という思いが強く。
(Fabianはピアノ・チェレスタ・マネージャーとして大学時代にとてもお世話になってるのです)
本気で指クロスしてます。ことごとく。
音楽家の集まりに加わえてもらって本当に楽しかったです。
やっぱりいいなあと思います。音楽家でよかった。チェリストで良かった。ピアニストで良かった。
そしてこれからもこのコミュニティの一部でいたいです。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 第3楽章
紹介したことないのにいきなり最終楽章から、と無謀なチャレンジ。
なぜかというとやはりこの楽章が今日印象強かったから、というのと大学のコンサートクラスで別の友達がこの楽章を弾いた時、Stefanが伴奏パートを弾いて私が譜めくりした、という経験もあって実はこの協奏曲でこの楽章が一番なじみ深かったりするのです。
(以前このブログで書いてますが、譜めくりすると曲のいろんなところが見えて、演奏も見えて間近で客観的かつ共感して曲を聴くことができる、ということで譜めくりは曲を知る・好きになるのに効果有りと私は思っています)
今日のコンサートで一緒に聴いてた友達が「この楽章はManic」だね、といってたのですが、私自身はプロコフィエフの音楽全般に「強迫性障害」=Obsessive-compulsiveな性質があると思ってます。
とてもきっちりしていて、がっつりのめり込んで他の事に目が行かない感じで、なにかに取り付かれているような、気持ちの高揚ではなく不安とか止められないとか・・・強迫観念に少し通じるものがあると思います。
プロコフィエフの音楽の(あくまで印象ですが)あの一点を見つめている、ロックオンしている感じは独特です。
似たようなスタイルのショスタコーヴィチの音楽はこちらを見つめてくる感じが怖いのですが、プロコフィエフは別の怖さがあって。
例えばこの曲の暗いところも暗いのが怖いんでなく、本当に現実を離れてその世界にどっぷり入っている怖さが・・・
そして明るいところは明るいところでどっぷりと病んでいて。
散々膨れあがって盛り上がって、その最後のハ長調のコードがモーツァルトやベートーヴェンなどに代表される「普通のハ長調」のようなに明るく聞こえないこの不思議さ!
ものすごい圧迫感があります、空間的にも心的にも。
でもこの狂ったような、取り付かれたような中でものすごく「秩序」があって、音自体は本当に論理的で。
ピアノのパートの音のクールさ(冷たさ、でもありますね)もまた内に情熱のような、違うものを秘めていて。
プロコフィエフの音楽はそこが魅力ですね。
最初は舞曲にも似ているところがあるのですが、だんだん速く狂おしくなっていくうちにどこからかそれも消え去って。
不思議な曲ですがまるで苦いお酒のような、不快と酔いと深みのある味のコンビで虜にされてしまいます。
(実は2番、3番以外はプロコフィエフの協奏曲はあんまり知らなくて、それも今持ってる録音以外にもいっぱい聞き比べたいまま何もできずいます。なのでいつか手に入れる!という願いも込めてキーシンの録音を。リヒテルとかプロコフィエフ自身とか、名前は忘れましたが今日お勧めいただいたピアニストとか・・・あとアシュケナージの全5曲セットもほしいなあ!)
