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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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「コミュニティにおいての音楽の役割~社会的・治療的な活動の可能性~」レクチャー感想
本題に入る前に一つ。
この数週間このブログで扱った被災地・非被災地の方々へ向けたエントリーのまとめです。
音楽ができること:http://j.mp/fcBZHY 
自分をケアする:http://j.mp/hmpIjh 
音楽とともに送るメッセージ:http://j.mp/errg97
(Twitterで投稿したため短縮URLとなっています。)

そして、前回の音楽&メッセージのエントリーに拍手ありがとうございます!
キーワードto音楽、次回は近いうちに秋の季語でやりますのでそちらもよろしくお願いいたします。


3月31日、メルボルン大学でAustralian Music Psycology Association主催のレクチャーに行ってきました。
「コミュニティにおいての音楽の役割~社会的・治療的な活動の可能性~」というトピックで、ノルウェーのBergenで音楽療法に関する研究をしているBrynjulf Stigeさんによるレクチャーでした。

音楽療法、というのは音楽を病気などの治療に用いることです。その研究にはもちろん音楽的な側面、医学的な側面があって、それを合わせて考えることが必要になります。
しかし、今回のレクチャーでの焦点は従来の音楽療法の枠をぐっと広げる試みについてでした。
音楽療法の責任範囲としてもっと広義に「音楽と健康を繋げる」こと、つまり音楽が個人に与える影響だけでなく、音楽が社会においてどうやって影響するか、社会においてどういった目的で音楽を使うことができるか・・・そして音楽を通じてどうやって人が社会に参加するか、というようなことを含んだ「社会的な音楽の役割」を考える、ということがフォーカスでした。

人の健康、というのはただ単に病気や怪我がないことのみならず、個人の健全な状態にもとどまらず、社会的な生き物である人間が、コミュニティに健全な形で関わっている、ということが含まれる,といいます。
さらに社会の一部であることは人権の大事な一部でもある、という見方もあります。
それなら音楽療法も個人の健康だけでなく、社会の健康、そして社会における個人の健康をカバーすることが必要になります。
そこで音楽は社会にどういう影響をもたらすか、さらに社会において音楽をどういう風に用いることができるか。
さらに音楽により人の行動、そしてコミュニケーションを「可能にする」ということがキーになるわけです。

音楽というのはもともと生き物の社会においてお互いと通じ合うこと、そしてお互いをいたわることにおいて生まれたものであり、人間の文化としては(以前別のレクチャーでありましたが、子供が比較的未熟な状態で生まれ、より強い母子の繋がりを必要とするため)特別な存在であり、独自の文化として進化しています。

音楽にもいろいろな形がありますが、何よりも能動的な音楽活動、コミュニティの内から生じる音楽が大切になります。
「内から生じる音楽」は社会において人と人をつなぎ、コミュニティ内での問題を解決するのを助け、さらにコミュニティを変える働きを持つポテンシャルがあります。
ただそれには社会の中の個人が積極的に音楽に参加していることが大事です。
個人のアイデンティティが個人の中、そして社会の中の個人として存在するように、そして先ほどの「健康」が個人の健康、そして社会の中の個人としての健康があるように、「学び」もまた認知的な学びと社会参加的な学びもまたあり、それも大切です。

ケーススタディとしてお年寄りの合唱団が挙げられていました。周りの人が亡くなっていく中社会的な繋がりは減り、新しい友を見つけるのは難しい。もちろん 価値観の合わない人もたくさんいて。でも合唱団で共に歌い、共に励むことで、音楽を直接的に・間接的に通じて繋がりと和が生まれる、という例でした。
似たような現象は私もオケのメンバー、マネージャーとしての経験を通じてよく知っています。

さらに、お年寄りに限らず「音楽から離れている」、積極的に関わらない人もいます。信仰の理由であるスタイルの音楽が駄目だったり、身体的に音楽の活動をすることに障害があったり、音楽に積極的に参加することにためらいを感じる(楽器が 弾けない、歌えないと思う)、音楽のためのリソースがない。こういった人達に働きかけるのがコミュニティ音楽療法である、という話もありました。

ただし、ただ単に音楽を使えばいい、という話でもありません。
同時に、この音楽はこの音楽より優れている、という全般的なgeneralizationも良くありません。(この事に関してモーツァルト効果の話がちょろっとでました。そういう効果はない、とどこのレクチャーでも聞きます)

コミュニティで音楽を用いる際にはその場所の性質、誰がいるか(年齢、国籍などの背景)、どんな目的や形で音楽を使うか、どんなツールが使えるかを把握・分析してその時その場にあった音楽のスタイル、かたちを見いださなければなりません。
(ここら辺は自分の「音楽を勧める」エリアの勉強にもなりました。自分でもちょっと勉強して自分用にまとめ直したいですね)
このことに関して興味深かったことは、こうやって分析する必要がある理由の一つとして「音楽は人をつなぐ力があるけれど、同時に人を分かつ力も同じくらい持ち合わせてる」ということ。歴史的な例とか、どっちのケースも追っかけてみたいです。

こうやって音楽療法を超えたコミュニティでの音楽療法を行う人は従来の音楽療法よりもさらに広いコミュニケーション、フレキシブルな対応が求められます。コミュニティの一員として中から、他の人達と音楽と力を合わせて働きかけていくことが大事だそうで。
もともと従来の音楽療法は自分にとってちょっと違うな、と思ってる部分があって(なので大学でもそっちの道に進まなかった)、今回のレクチャーの内容にちょっと重なるものを感じたのですが、オケでの経験からその「コミュニティにおいてのコミュニケーション」の難しさは身を以て知ってます。だからこれもまた自分にとっての「かたち」ではないような気がしますがなんとか道を見つけたいと思います。

あと質問タイムの時に聴衆側の音楽教育者さんから国連の「子供の権利」に関する条文を読んでいくと音楽の教育でまかなえる部分がかなりたくさんあるらしい、という話がありました。先ほど社会に参加することは人権の一つだ、という話をちょろっとしましたが、ならばそれを可能にする音楽もまた権利ではないか、という話になり。

そこで自分の心はやっぱり日本に向きました。「コミュニティに参加する権利」だったり(自宅待避関連)、「音楽から離れている人達」の話だったり。多くの人が集まる避難所、そして別の場所に避難した人達にとっての新しいコミュニティで「音楽に能動的に参加」する試みがあったらとっても良いことじゃないか、と思うんです。
(ちょっとここからTwitterコピペが格段と多くなります)
実際被災地に向けて歌を書いたり、贈ったり、ライブをしたり、動画などを通じてみれるようにしてる人はたくさんいますが受け取る側の受け取る際の状態って どうなってるのかな、と。例えば被災地で一人で音楽を聞くのとみんなで聞くのは違いますし、聴くのと声を合わせて歌うのではまた違いますし。

レクチャーでいた聞いたばっかり、聞いただけですけど、改めて被災地などでの「どんな性質の場所で」「どんな人達がいて」「どんな活動・時間の過ごし方・気持 ちでいて」「どんな方法で音楽にふれあえて」というのを把握してコミュニティの内側からの音楽を促すのはなにか助けにならないか、と思うのです。
今こそコミュニティ音楽療法が(研究途中ですがなんらかの形で!)功を奏すのではないか、と。
そんなことを思ってました。

今回のレクチャー感想はこれで終わりです。レクチャーラッシュはまだ終わってなくて、4月5日に摂食障害のレクチャーがあります。4月になったから他に何やってるか調べないと。こんなにレクチャー行けるのは今だけの贅沢なのかさてはて。


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「マ・メール・ロワ」より第4楽章「美女と野獣の対話」(オーケストラ版)



これも意外や意外、一楽章も使ってなかった!ということで今日はちょっぴりIce breaker。

マ・メール・ロワ=おとぎ話。ラヴェルがおとぎ話を集めて、曲を書いた曲集です。
わりと今知られてるのとは形が違ってたり、聞いたこともないものもあります。
そんななかこの楽章はディズニーで、というかもともと童話でよく知られている「美女と野獣」と流れは一緒です。
というかものすごーく分かりやすく物語を音楽にトレースしててびっくりしますね。

クラリネットが表す美女のテーマ、そしてコントラファゴットが野獣。ワルツのリズムにのって二人の対話は進みます。淡い恋、そしてためらいだったり。
ストーリー通り美女が野獣の愛を拒否して逃げる場面、そして求婚に答えて野獣が人間に戻る場面・・・

その魔法が解ける場面の美しさはベタだってわかってても夢がありますね。
ハープのグリッサンド、というこれもベタなテクニックだけどベタさを感じない。

マ・メール・ロワはもともとラヴェルが知り合いの可愛い&ピアノが上手い子供達のために、ピアノ連弾として書いた曲(そのことについてはまた別の楽章のときに・・・)。
で、それを自分でオーケストラのために編集、バレエにしました。
ラヴェルのオーケストレーションにおけるセンスと能力はピカイチですし、ムソルグスキーの「展覧会の絵」をオケ編曲したことは有名ですが、自分の曲を編曲することが本当に多くて。
(気に入ってる曲をオケ編曲してるのでは?ともいわれてます)

マ・メール・ロワに関して言えばこの第4楽章は断然オケ版の方が優秀です♪さきほどの一見ベタなようで、でも良くできてる、そして夢がある感じはオケでないと!
逆にピアノの方がいい、という楽章もありますがそれは後ほど。

最後になりますが、「野獣」役のコントラファゴット、今回はたくさん活躍してますがオケが小編成で音楽としてもこじんまりしてミニサイズ、さらにフランス音楽独特の繊細さがあるためマーラー7番の時みたいにコントラフォルテで代用しちゃいけない例の一つです。
かすれた、少し控えめな音色をお楽しみ下さい。

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