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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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片手に収まる
人生色々予定通りに行かないこと多々あって、特にオーストラリアで海外から物を頼む・送ってもらうとなるとかなりの時間がかかったり。ましてや物理的なものを扱うクラウドファンディング関係だと発送遅れはまあよくあることで。

ということで前紹介してから大分時間が経ちましたがAntsy Labのクラウドファンディング企画、Fidget Cubeがやっと我が家に届きました。
こちら。

 
写真が下手・・・なのは置いといて。
Fidget cubeは手遊び用のプラスチックキューブで、6つの面全てに様々な手遊び用のギミックがついてます。一番左の写真にある袋は付属品、一番右の写真では(黒×黒で見にくいですが)シリコン製のキーホルダー付きカバーPrism(別売)を着せた状態。開発者さんたちが悩んでた通り、こういうのを付けると本来のキューブの手触りとかがちょっと損ねられるのでPrismは普段は袋に住んでます。

押したり回したりぐりぐりしたりなど色々な種類のギミックが搭載されてますがそのどれもが手触りとして不自然ではなく、同時により多くの人が使えるようになっていてそのこだわりはものすごいです。スイッチの軽さだったり抵抗だったり、あと一番右の写真にある5つのボタンは全部感触が違ったり。
キューブ自体の重さもほどよい存在感と重みがあっていい感じ。唯一キューブの大きさは私の手にはちとでかいかなという感じですがそれはまあ私の手が大人としては小さいサイズなので誤差の範囲というか(もっと小さい子供の手だったらこんどは両手で持つのにちょうど良くなるんじゃないかな)。

昨日届いてから色んな面で遊んでみてますが(ちなみにですが私は利き手と反対の左手でキューブを操作します)、フリックするスイッチ、マウスボールを小さくしたみたいなボール、5つのボタンのうち一番かちっとしないやつ、あと3DSでポケモン厳選するときにもお世話になる親指でぐりぐりするパッドが手に馴染みやすい様子。基本的に音がしないやつのほうが好きみたい。

発達障害の人もそうでない人も色々こういうfidgetデバイス(?)を必要としてたり利用してたりするのですが、これみたいな専用デバイス(?)を使ってない人はペンで手遊びしてる人口もかなり多いみたいです。
私も最近買ったLamyのサファリ(透明)の手触りが最近好きで。手持ちの他の万年筆は両端がまるっとした、全体的につるっとしたデザインなのですがサファリはクリップ部分とかキャップと本体のつなぎ目とか、あとちょうど中心あたりにある窓のあたりとか触ってると落ち着きます。ちょっとおすすめ。
ちょっと気になるのはサファリはプラスチックですがアルミのAl-Starは手遊びにはどうなんだろう。重みがちょっとあるのはよさげなんだけど。

さらにまた別ジャンルですがクラウドファンディング企画といえば次はドラゴン図鑑絵本の物理的特典のお知らせが来ました。こちらもちょっと先になりそうですがわくわく。
ファンタジー、神話、ドラゴン好きとしても楽しみですが、万年筆経由インク好きとしても色々そそられるところがある絵です。

あとはこちらのアニメーション映画企画も応援検討中。Twitterでのフォロー先さんから紹介があった同監督の精神疾患をテーマにした映画「Rocks In My Pockets」が面白かったので今回の女性と結婚を題材とした「My Love Affair With Marriage」の企画も期待値高いです。こちらは完成がまだまだ先ですが気長に待って応援したい。


今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第6楽章「Gargoyles」



意外になかなかドラゴンってクラシック音楽でみつからないんですよね。ワーグナーの指輪サイクルは出てくるか。他にもなんとなくドラゴンが棲んでそうな感じの世界観の曲ってのはあるんですが(ブラームスの狂詩曲とかマーラーの7番あたりとか)。

(想像上の)生物としていうとガーゴイルはドラゴンにそんなに近くないかもですが、この曲の爪爪した(clawyな)感じはかなりドラゴンに近い感じがします。そういうふうに聞こえるというよりは弾いてると自分の手がかぎ爪みたいな感じがするというか。特に最後の方でピアノの中の弦をがざっとスクラッチするとこ。

あとは聴覚における「奇っ怪さ」がこの短い楽章の中でたくさん詰まってるのも特徴的。重めの装飾音、5拍子の行進曲、不協和音、素早い5連打×5回、びっこをひくようなリズムなどなど。
Black Angelsとかでもそうなのですがクラムはこういう奇っ怪エレメントを執拗に、一貫した感じで繰り返してくれるから分かりやすいのかも。

耳と手が慣れるまではかなり不協和音が強い曲ですが、その言語とリズムが分かるとかなり楽しい曲です。さらにマクロコスモス第2巻としてはここから次の楽章、そしてその次の楽章と激しく破壊的なクライマックスに向かってくという意味でも楽しいです。あーまた弾きたい。2巻全部弾きたい。

マクロコスモス、特に第2巻は自分にとっての宇宙、世界観がものすごく通じるところがあって。それが神話的というか、色んな文化といろんな世界観に根っこの方で繋がってる共通の何かがあるんだろうなーと。
音楽の作風がどうというよりはそこんとこが伝わるとクラムの音楽って伝わるんではないかと思うんです。自分がそこで何もできないでいるのがちょっともどかしい。でもいつか。


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備えあれば、とは言いますが
昨日更新したばかりですが時事的な要素もあるしメンタル関係の話は自分が書きたいと思ったフレッシュなうちにという方針なので今日も。

先週の金曜日、私は夕方に親友他何人かとシティで夕ご飯してその後私は親友のとこで泊まってから次の日に一緒に空港に、という予定でした。
その金曜日の昼過ぎにシティで車の暴走事件があって、私は家に居たので特に影響はなかったのですがシティの一部が閉鎖されたのと安全を考えて夕飯はシティからちょっと離れたところになって。
次の日シティを通って空港に行く時もトラムが一部止まってたり土曜の朝にしてもかなり静かでした。

そのご飯一緒にした数人の友人も一人その場にいて避難することになったのですが、facebookでは別の友人が現場の騒ぎに巻き込まれてショックを受け、急性ストレス障害になったとのことで。
その子は事件前ももう何年も精神障害を患ってたのでそういった事態になって悪影響を受けやすい体質ということもあるのですが、話を断片的に聞くだけでも自分も他人事じゃないなーと。

私の場合は双極性障害というのもあり病気の症状に波があるので、メンタルの健康維持としてはその変化を止めるというよりもある程度の波は許容して振れ幅をコントロールするというか、外的なストレスで波が大きくならないよう日常をしっかり土台にするというか、だんだん自分でも分からなくなってきたぞ。

そうやって日常の諸々のメンテナンスを通じて(特に鬱方面に関しては)そんなに外的なstressorに動じない、そこそこ柔軟で頑丈な精神環境を整えてきたつもりなんですが(何年もかかってますがそれなりに運営できるようになってきました)、それでももちろんそのシステムに限界はあるわけで。
先週の事件なんかが正にその想定外の限界超えに十分なり得る事態。自分がその場にいたらどんな風にどれだけ影響を受けてたか、というのはなかなか想像がつかないです。

ということをちょっと旅の間も考えたりして、帰ってきて落ち着いたところで一つ「緊急用メモ」的な物を自分向けに書いてみました。
上記の通り緊急事態の自分の状態はわからないのでとりあえずver. 1、そしてあくまでも自分向けのメモ(なので日本語と英語が混在)。
まずは深呼吸すること、そして最初に連絡する相手として主治医と母(父は仕事もあるし今地球の裏側で時差があるのでファーストコンタクトには向いてない)、それから他にも何人か。
一応他にもそういう状態になったのは誰のせいでもないことをちょろっと書いたり、ドクターには緊急であることをちゃんと伝えるように書いたり、細部にもちょっと配慮してみたり。

実際こういうメモがどれくらい実用的かはあんまり自信ないのですが、冷静でない状態にちょっとでもブレーキがかかったらなーと。少しでも自分のメンタルの被害を食い止めることができればいいんだけど。
あとはとりあえずのver. 1なので今後色々考えて改訂したらいいと思ったらどんどん改訂したいと思います。改訂できるくらいなんか思いつくといいんだけど。

あとはこのメモはまずその場でとる対応に特化してるので他にも例えば:
・メンタルが平気でも体にストレスの影響が出てないか
・飲酒には気をつける
・なるべく人とコンタクトを保つ
・薬を忘れず飲む
などの中~長期的な対応も一応考えておいたほうがいいのかも。

まずはその限界を知ること、もしもの時が有り得ること、そして何らかの対応をいくつか考えておくこと、は本当に大事だと今回の件で思いました。
もちろん普段からお医者さんと相談しておくことも大事。今は安定してますがドクターが「なんかあったらいつでも連絡して」と言ってますし実際なんかあったら遠慮無く相談したいと思います。


今日の一曲: ピーター・スカルソープ 「Pastorale」



タスマニアでお土産屋さんをのぞいてたらタスマニア出身の有名人が描かれたエプロンかなにかにSculthorpeが載ってておーっとなりました。
オーストラリアのクラシック音楽の父って言っていいですよね?今のオーストラリアの音楽があるのは彼のおかげ。

Sculthorpeはオーストラリア独自の音楽の声としてアジアからの影響を探った人です。最近パプアニューギニアが舞台のメシアンの「火の島II」を弾いてますが特に近かったり先住民が共通してたりするパプア・インドネシアあたりはオーストラリアの原住民文化とかにも影響が濃いそうな印象。

ただこの曲に限って言うとかなりイギリス由来の要素が大きい。弦楽器中心でのハーモニーの運びかとかもそうですが、なんともいえないノスタルジーともの悲しさがほんとイギリス以外あり得ない感じ。なんだかんだで自分もイギリス文化圏の音楽どっぷりで育ってるのでこういう感情と儚さの曲にはとことん弱い。
・・・でもやっぱり聴いてるとイギリス音楽にはない何かもある気がするんだよなあ。言葉にはできないけど確かに何かが。オーストラリアの今の音楽ってそういう「まだ言葉に至るまでは固形化してない何か」があちらこちらにある気がする。

前述タスマニア出身の話ももちろんありますが、昨日オーストラリアデーというのもあり、そして今回セルフケアの話も出たんでオーストラリアの作曲家の美しく穏やかなところが詰まったHush FoundationのThe Magic Islandというアルバムから選びました。
素敵な音楽という意味でもオーストラリアの名だたる作曲家が名を連ねるという意味でも定期的に広く紹介しておすすめしたいCDです。

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年末年始のメンタルヘルス話
夏がクリスマスに間に合った!
オーストラリアではクリスマスは夏ですがメルボルンでは必ずしも暑いとは限りません。
ただ今年は絵に描いたような(?)夏のクリスマス。明日が29℃予報でそこから30℃超えの日が来週水曜日まで続くそう。
楽しみは楽しみですがリチウム飲んでる身としては脱水症状にいつもの数倍気をつけなければいけないですね。(ついでにじゃないですが庭の植物の脱水にも気をつけなきゃ・・・)

全部が全部じっくり読んでるわけではないのですがこちらの(主にメルボルン周りの)メンタルヘルス支援団体のメルマガに登録してるのですが年末年始は全体的にメール配信がちょっとだけ増えますね。普通の企業と何ら変わりなく年末年始はお休みのとこもありますしスタッフが減ってるとこもありますし、そういう意味での業務連絡ももちろんあり、そして声かけの意味もあり。

それに加えて年末年始ならではのストレスだったり問題だったりもあります。特に摂食障害に関しては色んな人と一緒に食事をする機会が増える年末年始は普段と違うレベルで大変なこともあるそうです。
そうでなくても忙しくなったり、普段日常を共にしてる人でない人に色々会ったり、日常外の場所に行ったり旅行の諸々があったりで、健康な人でもストレスに感じることは多い時期。

私自身は毎年比較的ゆっくりな年末年始を過ごせてるのですがそれでも気をつけなくちゃいけないことは色々あります。なのでこれを機にちょっとまとめてみようかと。

まず一番大事なのがお医者さんと薬。ドクターのお休み期間だったり時間外の連絡先や代わりのドクターの連絡先もあれば確認、もしものときのために緊急の場合の連絡手順なんかもチェックしておいた方が良いかも(旅行に行く場合は旅行先のも合わせて)。
同じく薬に関しても薬屋さんが閉まってる時間や期間、処方箋が年末年始ちょっと長めに見積もって足りるかどうかも要確認。旅行に行く際には薬が足りるかだけじゃなく生活リズムが毎日忘れずに飲む工夫も考えておかないと(←忘れやすい人)

生活リズムも大事ですね。多少崩れるのはしょうがないにしても日夜逆転とか大きな変化は避けたいところ。なんたって生活のリズムを元に戻すことくらい大変なことはそうそうないですからね。ついでにいえば適度な運動もそこにちょっと加えておきたい。

そして前述の「普段と違う人達(多め)に会うこと」関連も色々。
私も結構苦手な分野ですが「人の話をさらっとかわす」ためのちょっとした準備とスキルってのは大事だそうです。そんなに頻繁に会うような人じゃないのなら難しく考えず適当に繕うのが一番・・・とはどこでも読むけど実際は難しいよなあ。

家族の集まりとかだと大人として色々動き回ったり会話をしたりすることも多くなって、ついつい無理をしてしまうこともあるかと思いますがそういう時はメンタルの事情をある程度知ってる親しい人(シチュエーションによっては友人)にあらかじめ言っておいてちょっとだけ気をつけてもらって無理をしてるように見えたら声かけしてもらう、みたいなことも有効かも。

さらに基本的なことですが人がそうやってたくさん居る場ではちょこちょこ息抜きというか自分だけの時間と空間を確保するのほんと大事です。誰だってそう(一見平気でも後で燃え尽き気味だったりってことも結構ありそうです)。
そういう人が集まる場に行った時はしんどくなる前にそういうレスキュー場を見つけておくのが吉ですね。

年末年始に限りませんがなんでも「しんどくなる前に考えておく」は一番大事なことだと思います。事前に手を打つことによる確実さもそうですが準備してあるということで気持ちがちょっと楽になるはずなので。
あと旅行とか年末年始のついでにちょっと一歩自分のゾーンから出てみるというか、旅行で知らないとこに行ってみたり新しい何かを初めて見たり、ちょっとキャパを広げてみるいい機会でもあると思います。新年の抱負は、とかいう話になるかもしれませんがそこまでなくてもちょっとずつ始めたり伸ばしたりしてみるのはどうでしょう。

ということで良くも悪くも年末年始、できるとこはストレスをなるべく軽減して、味方につけて楽しむ方向にもっていきたいですね。
(というとなんか今年〆な感じに聞こえてきましたがまだ今年が終わるまでに1回は更新したいですよーまだ2016年終わらないよー)


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「夜のガスパール」より「オンディーヌ」



前回もラヴェルだったけど気にしない。あれは別枠。
自分にとって日常で諸々の小さなひずみ(というかclutterという言葉を使いたい)を結晶の形に直してくれる、PCでいうと断片化を解消して最適化してくれるのがラヴェルの音楽です。聴いてもそうですが、弾くほうがじっくり向き合えて良い。

あと夏になると弾きたくなるんですよね、ラヴェルは。特に水モチーフのこの曲は乾燥したメルボルンの夏に猛烈に欲してしまう音楽。
ちょっと前まで夏を欲してこの曲の水の感じを欲して、その結果かポケモンでシズクモを捕まえた際にニックネームに悩んで「Ondine」と名付けてしまいました。オニシズクモになってこの曲とは真逆な重火力アタッカーに成長するとは思いもせず・・・(笑)

ラヴェルの音楽って技巧的に難しいのはもちろんですが、聴いてる側としてはものすごく透明にクリアで明確である種のシンプルさがあって、つまりは弾いてるときにごちゃごちゃしちゃいけないのも難しさだったりします。
また別趣味での例えになりますが最近割と高級な万年筆の写真を色々見てるとその洗練された美しさというかシンプルなラインのデザインのすごさが見えるようになってきて、同時にこの曲で求められるのも似たようなものなんだなーと気づき。まだ弾くのは先が長いなあと思いました。
(ただこの目が慣れるプロセス、音楽で耳が慣れるプロセスと同じでものすごく好きです)

難しいからごちゃごちゃ考えちゃうし弾くにもごちゃごちゃなっちゃうけど、本当はシンプルでストレートで。そのシンプルなところに落とし込むプロセスが弾き手・聞き手として思考のどこかにあって、だから自分にとってラヴェルは最適化な作曲家なのかなー。多分そういうことなんだと思います。

リンクしたのは私の先生の先生の録音。(これはもってないですが手持ちには先生の録音もあります)ちょっと気むずかしめな感じが手持ちのどれとも違うのでちょっと欲しくなる。
聞いた話によると限られたレパートリーしか弾かなかった人らしいので(ちょっと親近感を感じます)アルバムに収録されてる曲も作曲家がバラバラだったりすることも多い様子。いい感じの曲の組み合わせで録音入手したいです。

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Fidget cube & RUOK関連で
なんとか金曜日までたどり着きました。
調子はちょっと落ち着いた感じなのでこの状態を明日(コンサート本番)も維持できれば一段落といったところ。
昨日は(リハーサル前でお酒飲めないので飲まなかったけど)Bar Ampereに夕食に行って挟まってるスローサラダがおいしいバーガーとアイスクリームサンドイッチ(2回目)を頂いたのもよかったかも。美味しいご飯を食べるのは心を整えるなにかが有るようで(食欲が変わらずだからこそかな)。

最近kickstarterでクラウドファンディング企画を色々見て回ってたらちょっと面白いものがありました。Fidget cubeという手遊び用のキューブで、期限まで40日もあるにも関わらず目標額を2桁(!)超えてるという快挙。
こういうfidget toysの類いは発達障害とか不安症とか軽躁とかでじっとしてられない、そしてそれによって焦燥などの状態が起こったり悪化したりするのを和らげる助けになるものらしく。(なかなかこの分野は日本語でどう表現してるか分からないので日本語が変になってしまった)
fidget toysで探すと他にもストレスボールとか種類があるみたい。

この数週間の焦燥状態を考えるとこういうものが有ったほうがいいなーと思って出資しちゃいました。確かに(特に送料を含めると)ちょっとお高いなあという感じはあるのですが(ペンとか身の回りのものでいいやーという人も多いみたい)、携帯とか無駄に弄るよりはこういうの試したいかなー。
私はそうではないのですが髪の毛抜いたりとか体の一部に影響がある癖だったり物を壊すことにつながるような癖がある人にはいいのかも?
とりあえず既に出資済+目標額達成済みなので届くのを待つのみですね。

メンタルヘルス関連の話でも一つ、こちらでは昨日(9月8日)に「R U OK? Day」というのがありまして。
ここ数年間で新しく出来たメンタルヘルスキャンペーンで、周りの人に「Are you okay?」など声がけを通して自殺予防をするというもの。この文だとシンプル過ぎて誤解がおきそうなので自分なりに「RUOK」に思うことをこの機会に書きたいと思います。

「RUOK」の声がけってのは結構幅広くカバーしてると思います。
文面通り解釈するならメンタルヘルス関連で問題を抱えてる人に対して「大丈夫?」と聴くことで会話につなげるか適切なケアに導く、みたいなところかな。ただ色々な要素があってこういうコースに導けるケースは少ないと思ったほうがいいのかも。

実際に重要になってくるのはその周辺のもっと効果が感じにくいぼんやりしたエリアかな。例えば「大丈夫?」と聴くことでメンタルの問題を隠さなくていい、助け(もちろんその人自身でなくても)を求めてもいい環境を作ることとか。声をかけることで心配してる人がいるということを伝えて人のつながりを思い出してもらう、とか。そこまで行かなくても声をかけることで悩んでたり苦しんでたりする人の中で完結してぐるぐるしてる思考を断ち切る、とはいかなくても一瞬だけでも目を反らせる、くらいのことも含まれるんじゃないかな。さらには悩んでる人に対して自分の状態などを形にするためのきっかけとか、適切なケアのみつけかたとか。

ただアプローチの仕方とか声かけの仕方とかどこまで&どうやって干渉するかとかは完全にケースバイケースで、親しい間柄でもなかなか「R U OK?」ほどシンプルにはいかないことも多いとは思います。それを改めて目を向けて考えて、なるべく気負わない形で壁を崩すのがこのシンプルなコンセプトの目的なんじゃないのかなー・・・とは思ってるのですが。

ただ私だけじゃないと思うのですが「大丈夫?」と聞かれると自分の状態とかをまとめる&説明するのが面倒で半分反射的に「大丈夫」と言っちゃうのですが、それもまあしょうがないかなあとは思います。日常的にそこを努力してトレーニングしなきゃとは思うのですが、特に軽躁だとうまくできないとイライラがひどいので。

ということで軽躁状態が若干和らいだ&R U OKキャンペーンついでに書いてみました。
とりあえずこのまま明日まで。緊張もあるだろうからそれでも軽躁につながらないように。


今日の一曲: Graeme Koehne 「A Closed World of Fine Feelings and Grand Design」



ちょっと気分がon edgeの時どういう音楽が聴きたいか・・・ということにはなかなか答えがでませんね。そこ(分析・記憶)まで頭が回らないから当たり前っちゃあ当たり前なんですけど。
とりあえずテンポはゆっくりめ(≦呼吸の速さ)、音域+強弱の幅ひかえめ、比較的小編成、とかだいたいの傾向はありますが。

多分この曲はそういう意味でいいとこ来るんじゃないかな。元の曲はギターソロで手持ちの録音もそうなのですが他にもピアノ・合唱版もあるみたいです。多分今回の趣旨にはギター版が一番かな。アコースティックギターの指の腹で弾く音はメンタルの調子が悪くてもやさしく響きます。
あとはゆっくりなテンポとかフレーズが長い余韻で終わるのとか、そういう要素もメンタルの不調に向いてるかも。

前も書いたと思いますがオーストラリアの作曲家(Koehneはラリア人です)の音楽って平べったい大地の上に青い空が同じく平べったく、果てしなく広がってる感がものすごく好きで。他の国の音楽には(少なくともクラシックで有名なヨーロッパ辺りには)ちょっと珍しいかなーと思います。だからといってそれがラリアの音楽のセールスポイントにはなかなかしにくいか。

リンクした録音(手持ちの)はオーストラリアのギター音楽(編曲含め)を集めたCDです。
ギターの魅力のみならずオーストラリアの音楽独特の魅力もちょっと味わえるアルバム。もっと広くオーストラリアの音楽が知られるといいな。

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そんな季節らしく。
前回更新時にスパムコメントが山のように来てたのですが単一ソースだったらしく簡単に止まりました。少なくとも今はこれで大丈夫かな。

オケ周りの話をしようと思ってたんですけどね。メンタル関係の話はしたいと思ったときに書いとかないとぐだぐだになるので。
特に軽躁周りは自分にとってもよく分からないことが多いので記録しておきたいという面もあり。

季節の変わり目というか春が来たというか、ここ1週間~2週間くらい軽躁に悩まされてました。
例によっていわゆる「ハイ」とは違う、焦燥とか怒りの方向に気持ちが高ぶるDysphoricな軽躁です。感情が少しでも動けば軽躁にアクセルが急激に入るし、ありとあらゆることに腹が立ち(→軽躁にアクセル)、頭の中がぐちゃぐちゃに動いてるのにそれでも頭を動かさなければ気が済まない。
朝起きた瞬間から焦燥状態だったり、あと言動に慎重さが欠けて自分でもよく分からないことしたり(もしかして軽躁・躁状態だと一般的に外傷も増えるのかな?)それで自分をいちいち責めたり腹立てたり、反対に頭の中がぐるぐるしすぎて言葉が出てこなくなったり。

前書いたと思うんですが元々は「鬱」で「双極性障害(2型)」と診断されてからも数年は軽躁は目立たなかったのがここ数年で実際に不便・苦しみを感じるように。目立つようになってから程度がひどくなってるか、と聞かれるとなかなか分からないんですよね。のど元過ぎれば、じゃないですけど覚えてるのが難しいですし後から冷静に分析しようとするとわからない。

特に双極性障害でも2型は1型みたいな激しい躁ではないので、軽躁は気分が上がって楽しいもの、良いものみたいな誤ったイメージ(スティグマ)が根強くあるようで。Euphoricな方の軽躁は経験したことないので違うとはっきり言えないのですがDysphoricにしてもEuphoricにしても軽躁に苦しんでる人は多いようです。

それがもっと伝わればいいなあと思いつつ今回軽躁を経験してからそれはかなり難しいことなんじゃないかと思い始めました。
軽躁をリアルタイム(またはちょっと回復した状態)で説明しようとするとどうしても面白おかしく・・・とまではいかなくてもたいしたことないように話してしまう。元々(Dysphoricな軽躁でも)症状とか現象自体の説明だけだと鬱ほどは苦しく聞こえないのに、患者自身が苦しさをナチュラルにぼかしちゃったらダメだよなあと。
別に強がったりしてるわけじゃないし、自分の症状のつらさもちゃんと見えてるはずなんですけど。あんまり大げさな風になっても信じてもらえないよなあ、とか信じてもらっても心配かけたくないよなあ、みたいな思いはあるのかもしれない。

そうやって不正確に伝えるのは結局のところ自分(と軽躁で苦しんでる患者さん全体)の首を絞めることにつながるからやめた方がいい、それだったら今のところは自分は黙ってたほうが良いかもしれないという結論に至ったわけです(あと何より軽躁の「とにかく自分に腹が立つ」が増えるので)。

今はある程度落ち着いたので(まだきっかけがあると焦燥スイッチがONになる)色々考えてみてるんですけど難しいです。自分の中で自分の状態を誰かに伝えるのをシミュレーションしてあーでもないこーでもないと考え中。もしかしたらこういうプロセスがセルフケアに繋がるかもしれないのですが正直よくわかりません。
軽躁周りの状態だとそんな難しいことは分からない、というのもありますが先ほど書いたように軽躁との付き合い方はまだまだ分からないことが多いので。勝手が分かるだけ鬱の方がいいなあ、といつも思います。

ということで気持ちを高ぶらせないように気をつけながら、自分でもよくまだまとまってないことを頭がちょっととっちらかってる状態で書いたのでしっちゃかめっちゃかになりましたがまだまだwork in progressということで。もうちょっと自分でも分かりたいです。


今日の一曲はお休み。そこまでの余裕はちょっとなかった。

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