忍者ブログ
~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

3つの論文感想
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

日本のことで書きたいこともあるのですがまずは一時帰国中に読んだ論文3つがどれも面白かったので今回紹介&感想を書きたいと思います。
英語の2つは大学の電子データベース経由なのでパブリックでは見つけてないのですが日本語の1つはCiNiiのオープンアクセスであったので是非読んでみてください♪「水のイメージ」でCiNiiを検索すると結構面白いもの出てきますね(どんなキーワードで検索しても面白い物見つかりますが)

1) 「水のイメージについて」 (千野 美和子)(日本語)
「水」に関する創世神話や神話的象徴、そしてユングの心理分析における「水」のイメージについての論文。地球の歴史なんかにも言及がありますし、実際に存在する水のイメージ、そして心の中に存在するイメージどちらも探っていく感じで。
自分に一番近い(と思う)エレメントとして、心が自然に求めてやまないエレメントとして、そしてなによりもクラムのマクロコスモスにつなげるアイディアを求めてこの論文を見つけたのですが、自分が求めてるようなアイディアがそろってましたね。
そういえば新神話主義の話でもユングのことはたくさん出てきましたし、心理学周りを勉強するにもユングは避けて通れませんし、いろいろ読んでると音楽にも通じること多々あるような気がしますし、ユングの著書はいろいろ改めて原文で読んでみたいものです。

2) "Quotation and Framing: Re-contextualization and Intertextuality as Newness in George Crumb's Black Angels" (Nils Holger Petersen)(英語)
長いタイトルですがクラムの弦楽四重奏曲「Black Angels」の構成要素や引用を通じてこの曲の時代や空間などにおける立ち位置みたいなものを探る論文です(・・・でいいのかな?うまく説明できてない)。
クラムの音楽についての論文は大抵以前紹介しました新神話主義の本(Victoria Adamenko)やクラムのインタビュー記録を参考文献として用いていますが、だから大体論議されてるところは似てるんですよね。もう何回も読んだようなことが書いてあるのは確かなんですが、でもBlack Angelsにフォーカスして時代(ベトナム戦争やグローバル化のさきがけなど)を語るケーススタディみたいになってるのはやっぱりありがたい。
Black Angelsは使いやすいんですよね。13の楽章の構築され方だったり、数字の使い方だったり、時代、宗教、神話に関する引用だったり。
それから文中に引用されているシュトックハウゼンの作曲に関する文が何よりも面白かったです。作曲家は自分の音楽を作り出しているようで実はもっと大きな音楽の「流れ」をくみ取って形にして奏者にそれをまた繋げている、本当に作曲がうまくいくときは「自分」は音楽に存在しない、というような話でした。(これも新神話主義に書いてあったユングの「芸術家」の話にも似てますね-)心にぐっと来ましたね。

3) "Literature Review: Cognitive-Behavioural Therapy and Psychodynamic Psychotherapy: Techniques, Efficacy and Indications" (Falk Leichsenring, Woflgang Hiller, Michael Weissberg, Eric Leibing)(英語)
認知行動療法と力動的心理療法に関する説明、比較、それからそれらの治療を用いた研究の文献レビュー。
普通の論文は一つのトピックにフォーカスするた比較はある程度あっても分野のうちの一つの側面しか見れないことが多いのですが文献レビューだと最初にトピック全体のまとめをやってくれるので基本的な情報がまとめて読めますし(今回もそれぞれの治療のテクニックの種類が表でまとめられてわかりやすかったり)、全体を見渡すような情報が得られるのもまた良いです。(たとえばこれらの療法がどんな精神疾患、そして身体の疾患に対して効果が得られるかどんな研究がされてるか、など)

結局のところこれらの治療に関してはまだ研究が不十分、研究のやり方がイマイチ、治療のやり方、バリエーションなどを研究においてコントロールすることがまだまだ、研究と臨床の条件が必ずしもお互いに当てはまるとは限らない、とかざっくり言えばネガティブな結果がでるんですが、それも知って良かった、と思います。
患者さん一人一人違う病気の現れ方でちょっとずつ違う治療を行う精神医学において医学・薬学における研究と同じスタンダードを当てはめるのは難しい、ということだったり、研究・臨床どっちにおいてもまだまだ改善すべき事はたくさんある、という事は知って良かったな、と本当に思っています。
どちらの治療法も今使われている疾患に対してより良く深く、そしてさらにまだ応用されていないエリアにも広く用いられることを願っています。

3つとも自分の求める物が得られる、興味深い読み物でした。ちょうど音楽・創作関連、音楽(クラム)関連、そしてメンタルヘルスと興味のいろんな分野をカバーしてますがこれからも色々探して読んで想像・勉強、そして自分の心の糧としていきたいです。


今日の一曲: たま「健さん」



日本でAmazonで頼んでおいてピックアップして持ち帰ってきたCDのうちの一つにたまの「いなくていい人」がありまして。(ちょくちょく買ってもっとそろえたい!)
それを今日改めて最初から最後まで聴いてちょっとツボったこの曲をチョイス。
石川さんの歌だと「学校に間に合わない」とか「かにばる」とか、ちょっとダークなエレメントがぐっとくる曲が好きなんですがこの「健さん」のシュールながらもほほえましい情景にやられました(笑)

おおまかなあらすじとしては鳶職の「健さん」が男性なのに妊娠してしまった、という話で。ディテールや悩みや情景がどこかリアルで、不思議な繊細さがあって。
石川さんの歌は聴いたとたん「打楽器の人だなー」と分かる何か独特な雰囲気があるのも面白いですね。どこがどう、とは言わないのですがきっとリズムのキャラクターみたいなものなのかなあ、と。


他にもクラムのCDも買ってますし、妹から聖飢魔IIのCDだったり父からボサノバ、金管、アジアの民族音楽関連もかりたりしてるのでこれからもさらに守備範囲を広げていろいろ紹介していきたいです~

拍手[1回]

PR
「The Brain that Changes itself」感想
仕事の案件が難しいです!ただ明日金曜日があることを忘れてたので(もう明日から週末だと思ってた)なんとかいけそうです。あんまり焦らないでよかった~週末はピアノができそうです。

さて、結構時間をかけてしまいましたが、親友から借りていたNorman Doige著「The Brain that Changes itself」を読み終わりました!



日本語版は茂木健一郎さんが解説書いてるんですね~(amazon参照)
実はこの本Bordersの心理学セクションにいっぱい並んでて、推薦文を「Musicophilia」(感想はこちら)の著者Oliver Sacksが書いている、そして似たようなフォーマットで書かれている、ということで手に取った本。その当時は「ちょっと待ってみよう」と思って買わなかったのですが、親友が持ってたので借りて読みました。

「Musicophilia」と同じフォーマットといいますが、それぞれの章でケーススタディを中心に脳の特性のトピック話を広げていく、というのが大まかなフォーマット。
「Musicophilia」は音楽と脳についての話でしたが、この「The Brain that Changes Itself」は脳の可塑性についての話で・・・
脳の可塑性、神経可塑性(neuroplasticity)というのは生き物の脳が外的刺激を受けてその構造を変えていく現象。私たちが普通に暮らしている間もそれは起こっていますが、この本で取り上げられているのは神経可塑性の表れ方でもとっても極端な、これは奇跡だろうと思うような劇的な脳の変化です。

例を挙げると脳の左半分が生まれつき無い女性だったり、脳梗塞により体・言葉の自由がきかなくなった人などの話もあり、そして神経可塑性と痛覚、心理療法、性的嗜好の関係性などについてもいろいろ書かれています。
私が面白いと思ったのは「想像すること」が脳に与える影響、さきほどの痛覚や心理療法の話、そしてなんといっても捕捉の章にあった人間の文化と神経可塑性の話ですかね。

そしてこの本を通じて昔は「脳は決まった部分に決まった機能を司っている」という考えが主流だったこと、神経可塑性の考えが抵抗を受けながらも今広まってきていることの経緯も大きく扱っています。
さらに、それぞれの章でフィーチャーされる神経可塑性の研究者の人柄だったり、その研究に至った経緯や思いなどにも記述があったり。
(うちの精神医に通うようになってからの経験なんですけど、様々なお医者さんが仕事をする部屋にどういう者を置いているか、空間作りってものすごく興味深いです。特に精神医に関しては患者さんが安心しなければいけない空間ですし。)

この本を貸してくれた親友がこの本と出会ったブックサークルではこの本の「文体があんまり気に入らない」という意見が多かったそうです。
それについては私も分かる気がします。徐々に慣れましたが、ちょっと粋なこと言おうとしている感みたいのもありますし(ただ確かに的を射たシンプルで刺さるフレーズが実際でるんですからあんまり悪いことはいえませんが)、ちょっとカジュアルすぎるかな?という感もありますし。

あと個人的にですが一箇所ちょっと刺激が強かった内容もありました。(性的嗜好の章で)
一応ありますよ、ということで。

全体的にはやっぱり「Musicophilia」の方が好きでした。文体の堅さだとか、フォーカスの仕方とか、内容とか・・・はもちろんそちらは音楽関連なので当たり前なのですが。

実はもう1冊類似の本を購入してまして、そちらも近いうちに手が回ると良いな、と思っています。

Musicophiliaもオススメなのでリンク。いつの間にか日本語版が出て、レビューもついているので・・・
(ただ英語版の方が表紙は可愛いです♪)




今日の一曲: カミーユ・サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」 第2楽章



かなり有名な交響曲ですね!最終楽章のメロディーは映画「Babe」を始めテレビなど多くの場所で使われています。
そして「オルガンが入ってる交響曲(またはオケの曲)」としても有名です。
あの最終楽章での巨大なオルガンのエントリーがとっても印象的!

・・・でも実はあれがこの交響曲におけるオルガンの最初のエントリーではないんですよ。
「動」の第4楽章のまえに「静」の第2楽章でその魅力を大いに発揮しているんです。

第2楽章の始めに暖かい音でコラールにも似たパートを奏でながらなんとも心が落ち着く雰囲気を作り出してくれるオルガン。バロックの頃から続く弦楽器とオルガンの相性のよさ!
サン=サーンスの曲の中でもトップの音楽だと思います。本当に、本当に美しい。
なかなか評価されない楽章ですが、この楽章を、そしてこの交響曲全体としてもっと知って欲しいと思っています。
(交響曲は全楽章合わせて一つの世界!この交響曲もそうですが、複数の楽章(特に最初と最後)で共通するモチーフなどがあって作曲家が意図的につなぎ合わせているので・・・)

完全に余談ですが、この交響曲にはオルガンだけでなくピアノ(それも連弾!)も参戦しています。
第3楽章、そして第4楽章の最初の方で聞こえますのでぜひそちらにも耳を傾けて見てください♪

拍手[0回]

「モノ書きピアニストはお尻が痛い」 感想

やっと読みました!母推薦で譲り受けましたこの本。
ピアノ弾きだったり、モノ書きとピアノの両立だったり、様々な作曲家(特にフランス)の音楽だったり、ピアニストだったりについてのエッセイが集められた本です。
音楽についてしょっちゅう文書いてはいるんですが、いざ音楽についての本を読むとなるとどうしてもあんまり気乗りがしない、要するにひねくれた私ですが読み始めるとさくさく楽しんで読めました。

著者の青柳いづみこさんはピアニストであり文筆家、両方の分野で活躍なさっています。
母もモノ書きが趣味で、ピアノと別の分野と成り立たせようとしている私との共通点、さらにフランス音楽専門という共通点から薦めてくれたんじゃないかなーと。

いろいろ共感するところはありましたね。演奏の際の心持ちとか、シューマンやサティの特殊性とか、フランス音楽のエスプリの話。ピアニストという生き物、の話。
ただ「ん~違うな」と思ったところも。例えば音楽や作曲家との向かい合い方だったり、自分の表現の曲への介入だったり(作曲家と音楽をパーフェクトなものとしてとらえるのではなく、私は不完全さも認めて愛して伝えたい方面です。そして音楽の「醜悪の美」も信じて愛してます)。
あとは(母もそうなのですが)ドビュッシーとラヴェルだとそもそもがラヴェル派なのでそれぞれの音楽に対する印象だったり、元々の考え方も違って当然かな、と。

なんといっても著者が専門(研究・演奏ともに)としているドビュッシーの音楽の魅力が伝わってきて。
やっぱり文がいいので愛が伝わってきますよ。「ペレアスとメリザンド」とか「アッシャー家の崩壊」とか知りたいことがたくさん。
フランス音楽を知るには時代や文学も合わせてもっともっと勉強しなきゃ、と思わせられました。
そして一通り勉強したら音楽や文学に現れる場所を訪れにフランスに行きたい!

ピアニストについての話だと自分と同じく手が小さいアリシア・デ・ラローチャの話だったり(手のストレッチは見習わなきゃ)、あと先生の先生にあたるミケランジェリの話だったり。ミケランジェリはドビュッシーよりもラヴェル、だとかドビュッシーだったら「前奏曲集」よりも「映像」だという話を読むと思わず「一緒だ―」と思って嬉しくなってしまったり。彼のちょっと?エキセントリックなピアニストとしての存在もなんだか読んでてすごいなあ、と素直に思っちゃいました。

日本の音楽文化(演奏、批評と演奏など)をちょっと斬ったりする部分も面白かったです。日本の音楽文化はわりと自分にとって「ガイコク」なもので。そういう感じなのかーと首をかしげたりも。
それに関した話でピアノを超えた音楽の表現だったり理解だったりの話がありましたが、私の友達(マイケルの生徒のいつもの彼です)がマイケルのことを「ピアニストというよりも音楽家」と評していたことを思い出しました。私も目指しているのは(まだまだぼんやりしていますが)そういうことなので・・・
音楽と別分野の「二刀流」もそうですが、ピアノだけでない幅広い視点を持って表現していくことに気が引き締まる思いです。
「二刀流」に関してはその棲み分けだったり苦労だったりについても語られていて、特にあとがきでぽろっと(?)出てきたようなお話がまた楽しかったです。

文の方もプロですからね、表現が伝わって共感しやすいですし。
特にああでもないこうでもないと軽くぐるぐるしているところが読んでいて楽しかったです。

さあ次に音楽について本を読むのはいつになるかしら(汗)
でもフランス音楽について共感できてよかったなあ、と思ったので・・・もっと読むべきですよね、気軽に。
なるべくそこはひねくれないようにしたいです。


今日の一曲: クロード・ドビュッシー 「映像」第2集より「廃寺にかかる月」



今私が弾いているドビュッシー。「映像」は第1集・第2集どっちも好きですがもしかしたらこの曲が全6曲で一番好きかも知れません。

「月」を音で表すのは不思議なものです。大抵4度ベースの和音をぽんとシンプルに置いてあるんですが、聴いたらすぐ月だと分かる。
この曲のオープニングがメシアンの「モリヒバリ」の月の部分ににているのも好きになった要因だったり・・・するのかな。

タイトルには「廃寺」とありますが、どこのどんなお寺かははっきりしていません。
ヨーロッパにアジアの文化が大々的に入って来たのは1888年のパリ万博で、外国好きのフランス人はやはりエキゾチックな東洋文化に飛びついた、という傾向も少なからずあって。
そんな中ドビュッシーも自身の音楽に東洋をよく取り入れました。彼のオケ曲「海」のスコアの表紙には北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」から「神奈川沖浪裏」が使われているそうです。

で、脱線しましたが彼らのあこがれの対象がぼんやりとした「エキゾチックなアジア」的なものなのでこの曲の「寺」は特にどこのどんな寺を意識しているわけではなさそうです。(その証拠となるかはわかりませんが、ガムラン的な音がこの曲では使われています・・・ガムランはインドネシアの音楽ですが、インドネシアはイスラム教の国なので寺でなくモスクですね)
お寺にもいろいろありますがね。日本にも、韓国にも、中国にも、タイにもお寺はありますがみんな違うもの。どれをイメージするかは弾き手の私はまだ決めていません(汗)
でも夜で「廃寺」ならタイのお寺でもいけないことはないんじゃないか・・・とも思いますよ。

「映像」全6曲の中でも長さ的には短い方で(第1集の「動き」を除く?)、音の数はおそらく一番少ないこの曲。
「水の反映」などのように単独で使われるほど強い曲でもありませんが・・・
でもそのシンプルさだったり、ドビュッシーが言うところの「音楽は音と音の間の空間だ」ということを表すような曲の性格が本当に愛しくて。
音と次の音との空間、右手の音と左手の音の間の空間・・・
その間にある響きだったり、間だったり、色彩だったり。そういうものが本当に好きです。

月がきれいな静かな夜にそっとかけてみればきっとその魅力が見える・・・でなくて聞こえると思います。
是非満月の夜に。

拍手[0回]

メル響コンサートwithデュトワ 感想!
昨日はメル響のコンサートに行ってきました!
コンサート前の夕飯からなんだか結果ちょっぴり贅沢続きで、久しぶりの外は刺激が強かったですが充実しすぎるほど充実しました。

ピッツァ&カクテル夕飯はほとんど恒例になりつつある?サウスバンクのBlue Trainで。
金曜日の夕方とあって結構待ちリストが長くなってましたがお一人様なのですぐ席に着けて。
生ハム、ほうれん草、ブラックオリーブ、パルメザンなどが乗ってるピッツァ。
今日はカクテルもつけてみました。カイピロスカ(ウォッカ+ライム+シュガーシロップ)なんですが、ここはライチ(缶詰)などを入れてくれるそうで。ライチ好きです~もともとのカイピロスカの材料のいい仲介者。

11月のメルボルン、午後7時カイピロスカは「割る」材料がないのでよくよく考えてみれば強めのカクテル。
少し視力が弱くなりながらサウスバンクを散策。(ただここで少し酔っていたのは1時間後のコンサートまでにはすっかり醒めていました。スピリッツは早い!)
今はメルボルン・コンサートホールの周りが工事中なのでちょっと違う道を通ったりして。
11月ともなると午後7時過ぎでも昼のように明るいです。
どこのレストランも外の席が満員。

そしてその後メルボルン・タウン・ホールへコンサートに。
シャルル・デュトワ指揮ということで本当に楽しみにしていたコンサート♪
プログラムはラヴェルの「スペイン狂詩曲」、ベルリオーズの「夏の夜」、そしてリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」でした。色っぽい曲揃い!

座った席はバルコニーの最後列のわりと端っこの方で、器楽に関しては文句ない音響なのですがベルリオーズでの歌手の言葉がわりと聞き取りづらくてそこはちょっと残念。
コントラフォルテ(コントラファゴットの改良版)の音量がその席からも「あら、こんなに大きい音でラヴェルには大丈夫かな」というほどだったのですが・・・

ラヴェル、なんだか魔法でした。
第1楽章のテンポの流れの心地よさとか、色彩のきらきらとか。
第 2楽章ではちょっとアンサンブル危ういところもありましたが、コントラフォルテがすごかったのもここ。ベース的な楽器がコントラファゴットのパートしかないところで他の楽器を支えるにはコントラファゴットの音量と音質だとちょっと頼りない、だからコントラフォルテのしっかりさが輝いていました。
第4楽章のフェリア、ものすごく好きな楽章なんですがものすごく見事にまとまっててものすごくエキサイティングでした♪全体的に夜の雰囲気があるこの曲のなかで夜のお祭りのように華やかで楽しくて。もともと短めの曲なのですがあっというまだった!

ベルリオーズは他の2曲と比べるとあまり親しくない曲なのですが、久しぶりに聴けて良かったです。
もともとベルリオーズって音楽の感情が(本人の感情も割と、なんですが)ころころ変わったり、2つも3つもの感情を同時に表現しちゃったりするのである意味ちょっと難しい作曲家ではありますが、メゾ・ソプラノのChristianne Stotijnの歌声はそんな変わり者ベルリオーズの心の世界を豊かに表現していました。メゾならではのリッチさというか、幅の広い暖かさというか。
第1楽章は上記席の位置の関係かちょっと「ん?」という感じだったのですが第2楽章「薔薇の精」なんか歌声もオケも音と感情の色彩にあふれてて。第3楽章の深みもかみしめちゃいました。
オケに限って言えば最終楽章「未知の島」が良かったです。指揮者の感性ももちろんそうなんですが、奏者の感性もなかなかだなーと思いました。

そしてメインディッシュのシェヘラザード。
みんなにとって見せ場のある、そして楽しい曲ですがシェヘラザードの主役はコンサートマスター。私にとってはコンマス名曲ナンバーワンです。
ただメル響の場合は女性なので厳密に言えば「コンサートミストレス」。フィジー出身の女性で、私の友達の先生だったりもします。まさに「賢姫」で色っぽいシェヘラザードという姫君の物語を紡ぐ姿を芯の通った美しい音で表現してくれました。
やっぱりシェヘラザードのソロは女性の演奏が一番いいなあ♪

なんといってもこの曲は終始贅沢でしたね!
まずデュトワの曲の解釈と表現がいちいちセンスが素晴らしくて。ちょっとあっさりめなのですが、全然物足りないことはなくちょうど良い感じで、すみずみにわたってさりげない気配りとロマン、色気にあふれてました。
そして奏者も・・・先ほどのコンマスもそうですし、打楽器セクションのかっこよさだったり・・・あとクラリネット奏者が素晴らしかった!
でも一番は大学時代に隣で弾いたこともあるハープ奏者の音。力強さ、繊細さ・・・やっぱり私の憧れの音です。
あとバイオリンセクションが頑張ってた!なんだかものすごく嬉しかったです。

45 分ほどの曲全体を通じてどこで誰をみればいいか分かるくらい何回も聴いて(あと1回弾いて)ものすごくよく知ってる曲なのですが、「聴き終わりたくない!」と思わず念じてしまうほどの演奏は初めてでした。第4楽章で「船沈むな船沈むな」とずーっと願ってしまった(笑)(船が沈むと曲ももう終わりに近づくので)

心から楽しみましたし、心の洗濯というか、良いことかき混ぜて普段外気に触れてない心の部分も新鮮な空気に触れられた気分です。
メル響は私はこれで最後のコンサート鑑賞ですが、2011年シーズンもまた楽しみにしています。
メル響は感性があって、元気で、いいオケなので。
昨日のプログラムみたいな曲だと特にそうなのですが、おとなしすぎるよりは元気すぎるほうが全然良いですね!過ぎたるは及ばざるがごとしなんて言葉がありますがそれよりもToo much is better than too littleだと思います、音楽の演奏は。

そして別にオケ関係で考えることもあったりで。それはまた後の話になるのですが・・・
いろんな意味で元気がつきました。もっとこれからもいい音楽に触れあわなきゃ。触れあいたい。


今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ シェヘラザード 第1楽章



普段シェヘラザードの各楽章をバラで聴くときたいてい抜かしてしまうこの楽章。
シェヘラザードの語りであるバイオリンのソロが一番贅沢に聴ける楽章ではあるんですが、他の楽章が魅力的すぎる、というのもありますしこの楽章の材料の多くが他の楽章に引用されてるので・・・
かなりこの曲全体何回も聴いてきてるんでどうしても、ね・・・

スルタンのテーマと思われる序奏の後に、シェヘラザードが「昔々・・・」と語り始めるのはシンドバッドの航海の物語。
波がうねるような音のモチーフだったり、帆に吹き付ける風のような音のモチーフだったり。ちょっとオーバーでロマンチックなところがおとぎ話風。海原の大きさもシンドバッドの志もふくらみます。

バイオリンソロの妖艶さももちろん聞き所ですが、私のちょっとしたお気に入りは波のモチーフをチェロのソロ一人で担うところ。チェロの音と音域の豊かさが嬉しくて。あと映画で言うとカメラをアップにしたみたいな効果がなんだかびっくり。

リムスキー=コルサコフはとにかく楽器使いが上手い!
オケを一体として世界を創りだしながら、奏者にとっても見せ所を作ったり。
音楽的にも、演奏的にもものすごく充実した音楽を書きます。
スコアを読むだけでもそのメカニズムが感じ取れますのでスコアを読みながら聴くのもオススメです。

シェヘラザードは・・・とにかくいいですよ。ロマンがあります。良いオケで聴くとなんだかちょっと贅沢な気分になりますね。
そしてやっぱり何よりもコンサートマスターの名曲ナンバーワン(私調べ)。バイオリンの真髄をすみずみまで味わってみてください♪

拍手[0回]

Neuroscience Mini-Symposium感想
今日は雨も降り春のはずなのに恐ろしく寒い中メルボルン大学の医学科であった神経科学のミニシンポジウムに行ってきました。
ミニシンポジウム、ということで6つほど研究のプレゼンがあって、神経科学の色んなエリアからの研究についての話を聞きました。こういう研究があるんだな、ということだったりこういう風に神経科学のデータをとるんだなあ、ということだったり面白かったです。

なんと言っても最初のプレゼンが「Blindsight」の話だったことでものすごく安心しました。
大学でちょっと聞いた話じゃん!と(笑)
Blindsightというのは目が見えない人があたかも目が見えるかのように何かの位置を指さすことができたり、障害物をよけたりすることができる現象のことで。
視覚情報は主に網膜→外側膝状体→一次視覚野をたどって処理されるのですが、一次視覚野に損傷があって意識的に視覚情報が感じられない状態でも何らかの別の経路により無意識に視覚情報が処理される、というメカニズムらしいです。
脳の様々な部分の繋がり、というのを示すのにわりかしシンプルで分かりやすい例なので大学1年の心理学でとりあげられてたのです。

2つめのプレゼンも脳の様々な部分の繋がりについてでした。
人間が何かをしたときに脳のどこが活動しているか、というのはfMRI画像で見ることができませんが、その活動しているエリア同士の繋がりだったり関係性などはわからないので、それを脳内にある様々なネットワークを比較したり分析したりすることによって脳の活動を解明していく、というような話でした。
結構一回聞いただけでは理解できないところもありました。なんというかそういうmapping、分析方法などにそう強くないので・・・(汗)こういうのは基礎からちゃんと理解しないとなあ・・・

3つめのプレゼンは結構私のツボにはまった、前頭前皮質→視床の結合核→海馬のコネクション。
まだ未発表の研究結果が主だというプレゼンで。
海馬は記憶を司る脳の部分として知られていますが、実は背部と腹部では機能が違うということにびっくり!
記憶を司るのは背部の方で、腹部では不安を中心とした感情を司っている、ということだそうです。
(でも例えば不安障害だったり、それ以外での恐怖と記憶の結びつきだったりを考えるとなるほど!と思いますねー)
で、前述3つの部分は人間や動物で「忍耐」だったり「衝動的な行動の制御」を司り、それらの間のコネクションはまだまだ分からないところも多いのですが・・・
こういった部分の損傷は統合失調症で見られたりして、行動の影響だったり薬物がどういう風にどこに効くか、ということに関する研究につながるそうです。

4つめのプレゼンは統合失調症に関連する遺伝的要素で、遺伝子を特定することに関する研究でした。(これも未発表の研究結果が主だったはず)
未だに遺伝学は好きなのですが全然話が分からなく(汗)でも最初の統合失調症の症状のカテゴリーの話だったり、抗精神病薬が実際に効いているのは精神病症状のところだけなんだ、という話だったり・・・
あとは精神病症状と陰性症状は関連がある、という話も面白かったです。
統合失調症は知っているようでほとんど知らない病気なのですが遺伝的だったり症状だったりアクティブに研究も行われている、患者さんも多い病気なので改めて勉強しなければ・・・

5つめのプレゼンは人間の判断能力について。
何かを見せたときに与えられたカテゴリーから「これだ」と認識し分類する能力、見せられた情報が判断を下すのに不十分だったときに当てずっぽうで推量する能力、そして視覚情報からカテゴリーなしで「○○だ」と認識する能力。
いまいち自分の中でまだ内容がこなれてないのですが、人間には与えられた情報が判断を下すのに不十分だったときに無意識に当てずっぽうで推量するメカニズムが備わってて、その当てずっぽうでの推量と似たようなメカニズムがカテゴリーなしのフリー認識&判断と似ている、というような話でした。

最後のプレゼンは蝸牛移植の歴史と現状、その未来について。
最近耳鼻咽喉科はちょっぴり勉強したので割とすっと入ってくる話でした。
まだまだ人工蝸牛では(補聴器とは違って)音の高さがうまく処理されなかったり、周りの騒音により聞こえにくかったりすることがあって、まだまだユーザー側の満足度がそう高くないとのこと。
やはり耳がある程度聞こえなくなってもなるべく自分の耳を使って生かすことが今は大切になるそうですが・・・
人間の耳の構造の繊細さ、そして緻密さには本当に驚くばかりです。

自分の何に役立つとか勉強になるとは今はちょっと実感しがたいのですが、こういう研究があって、こういう試験方法があって、もしかしたら将来自分も大学に戻って心理学をやる際にこういうことをするのかもしれない、と思うとなんだかわくわくしますし(臨床だったりメンタルヘルスの応用も心惹かれますが、研究もいいかも、とか思っちゃいますもん)、未発表の研究結果とかにもふれあえて今心理学、精神医学、神経科学などの分野でどういう課題があって、どういう研究がされているのかということも知れましたし。これから勉強しないとなあ、と思うこともこれから目指したいこともたくさん。
そういうこと一切抜いても面白い話が聞けてよかったと思います(笑)論文で読むのとはまたちょっと勝手が違って。
本当に旅行の前に行けて良かったです。

さて、明日の早朝からYarrawonga-Mulwalaに2泊3日の旅行です。
仕事の都合もあるのでホテルはネット接続があるところにしましたので主にtwitterの方に出没していることかと思います。
天気も寒いですがどうやら向こうはおおむね晴れるような事が書いてあるので暖かくして楽しみたいと思います。
マッサージ、クルーズ、ちょっぴりショッピング、食事、自転車・・・楽しみです。
写真もなるべく撮りたいですね。

帰ったら旅行の感想に引き続きメンタルヘルスでメモしたことについて書きたいです!
そしてあれだ、楽器と性格の話は順番的にトランペットあたりですしね。
帰ったら帰ったで(このブログ以外にも)いろいろありますが少しはこの週末羽根をのばせるといいな。


今日の一曲: ロベルト・シューマン 「おとぎの絵本」 第3楽章



今日の帰りのまあ寒いまあ風が横から殴り吹き付ける天気の中ipodで回ってきて「ああぴったりじゃん」としっくり来すぎて思わずがっくりきちゃったという訳の分からない経緯でチョイスしましたが・・・結構普段から思い入れの強い曲です。

「おとぎの絵本」はビオラとピアノのための曲集。
シューマンもまたよくいる「比較的晩年になぜかヴィオラを重用する作曲家」だったみたい・・・
あんまりシューマンとビオラっていうのが知っている曲のラインアップからも、音楽のスタイルからもあんまり繋がらなくて(むしろ弟子のブラームスの専門範囲だなあ・・・)。

でも「おとぎの」とか子供のイメージがある曲、というのはがっつり得意なんですよね、シューマンって。
シューマンの作曲した曲のリストにものすごくたくさん子供にまつわる曲の名前があってかなりびっくりします。
わりとビオラもイメージとしては素直で無垢なイメージがあるので名配役ではないでしょうか。

第3楽章は嵐のような暗い曲。
まるで突風が吹くような上下するアルペジオだったり、木々が揺れるようなトレモロ的パッセージだったり、ピアノもビオラも技巧とパワーを駆使して「絵本」の絵をビビッドに描写。
ビオラがこんなにパワーと機動力で魅せることができるんだ!というのがなんだかビオラ好きとしてはちょっぴり嬉しいです(笑)
もちろん暗さとか激しさとか、嵐を思わせるような音楽の独特の雰囲気もものすごく好きなのですが、ついつい「ビオラ頑張れ」と思ってしまうのですよ(笑)

私のもってる録音はビオラ友達のイチオシ!のTabea Zimmermannの演奏。(リンクしたのとは別のもの)
彼女の演奏をあんまりなーと書いてる本も見ましたが、聞いてなぜビオラ弾きがお奨めしたのかものすごく分かりました。
ハスキーでそれがセクシーなアルトボイスのような音の渋さ!
なんでしょう、バイオリンやチェロでは絶対聞けない音色と・・・なんというか、弾きっぷり。
シューマンは外向的な印象が強い音楽を書く作曲家ですが、ドイツ音楽に備わっているどっしりした堅実な感じがこの音でかなり表れてるみたいで、ビオラだったりシューマンだったりドイツだったりおとぎだったりそういったたくさんのものをうまくまとめて仲裁・仲介している気がして。

やっぱりビオラは音が渋い録音が一番だと思います。
先ほども言いましたがバイオリンにもない、チェロにもないビオラだけが持っている良いところを引き出すには派手で明るい音色よりも渋い方がいいのです。
その渋さなのかしら、いろんな作曲家が晩年になってからやっとビオラの良さを前に出した音楽を書くようになったのは。

最後に、ビオラという楽器はマイノリティで、レパートリーもかなり小さいのですが・・・
なかなかビオラ音楽でハズレって言うのには出会いません。(様々な理由でこの曲とカップリングされてることが多いブラームスのビオラソナタも良い曲ですしね~)
きっとビオラの音と曲は他のどんな楽器でも埋められないちょっとしたさりげない隙間を埋めてくれるんじゃないかなーと思います。なくても生きられるけど、あるとちょっぴり幸せになるみたいな。

ビオラの楽器と性格の話、書くのが楽しみだな~♪


拍手[0回]