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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Reflection
2018年明けましておめでとうございます。
今年もちょこちょここちらに顔を出す予定ですのでまたよろしくお願いいたします。

今回クリスマスも大晦日もお正月も家で過ごして穏やかなことこの上ないfestive seasonでした。
大晦日は伝説ポケモンを捕まえたり漢詩(杜甫・王維あたり)を書き写したり短歌を書き写したりエミリー・ディキンソンの詩を読んだり奥飛騨のウォッカを飲んだり10年くらい前のQさまのスピード漢字バトルを観たり(これは観るときには自分も紙とペンと出して挑戦するのがしきたりになってます)。万年筆ライフ楽しみすぎ。(ポケモンでもメモ取りしてますしね)

家にいるからかもしれないですが花火の音が近い方から遠い方からすごかったです。メルボルンだとDocklandのが有名ですが他にもどこかでやってたのかな。もちろんシドニーとかみたいな規模ではないですがまあそれなりに。それがメルボルン。

そして家にいるかもしれないですがあんまり新年という気がしないです。
それだけでなく去年の色んなタイミングからちょっと自分の中で懸案中の案件がいくつかありましてそれをそれなりに労力と時間をかけて引き続き考えているのもあり。
詳細は(まだ?)書かないんですけど、もう今頃になって「自分探し」みたいなことはあれながら30年あまり当たり前に思ってきたことを改めて考え直すのは生半可なことじゃならないようで。去年から引き続き(外から見ても全然ですが)自分の中で色々変化がある時期を迎えてるようです。

そうやってぐるぐるしてると「もうこれもっと若いうちに少しでも気づけば・知っとけばよかった!」みたいなことはちょくちょく出くわします。そこはまあ今そう思ってもしょうがないのですが、でもそもそも最近まで生活やメンタルのことで「落ち着いた」と感じられるまでは行ってなかったなと。例えば10代のうちに今考えてるようなことに気づいたとして、今みたいにじっくりゆっくり構えて考えるようなことは性格的にも心の余裕的にも絶対無理だったと思います。

10代~20代のころはほんとに鬱とそれに付随する諸々が自分のキャパの多くを占めたなあ、と振り返って思います。それがある程度落ち着いてどれだけ楽になったか、というとその鬱の部分があるだけでどんだけ人に対して負担がかかるんだろう、ということに思いを馳せています。
そういう意味でも例えば薬による治療でまずある程度なんとか負担を減らすってのは大切なんですね。それなしには次の何にもつながりにくいというか。治療に限らず。

表立って何か目立つことをしているというわけではないですし急ぎのことでもないですが変化だったり新しい事だったりは怖い、というほどのものでなくても難しいものですね。
その反面新しいことを知ることは(上記の漢詩とかと同じように)楽しいようで、その心持ちがあればまあ大丈夫かーと気楽に構えられるようになったのは多分成長のあかし・・・なのかな?
少なくとも思い詰めないで考えられるようになって多分色んなことが楽になってるはず。

ということで私が何の事を話してるのか詳細を一切伏せたままずっと書いてしまいましたが実際のところについてはいつかなんか文章にできるくらいまとまってから&書きたい気分になってから書くかも知れないし書かないかもしれない、ということで。もしかしたら、いずれ。

なにはともあれ新年。気持ちを新たに、とはなかなかいかないようですが引き続きのんびりと日常もこちらも続けていきたいと思います。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第1番第1楽章



今日は元日なんでなんらかの「第1番第1楽章」を今日の一曲で書きたいなと思ってました。ただ最近も書いたように私は基本晩年の作曲フェチなのでこういう作品番号が超若い作品にぴんと来にくいこともあり。
そんななかでショスタコは特別です。作曲家としても特別ですしこの交響曲は2回弾いてますからね。

この交響曲はショスタコが(まだハリポタの面影が強い)二十歳前に作曲された作品なのですがこれを聞いて「すげえもうショスタコのスタイルが完成してる!」って驚くのと同時に「これベートーヴェンとかモーツァルトにすっごい似てる!」と驚く自分が居ます。説明するのは難しいのですが時代・作風の違いだったり交響曲という共通の形式を差し引いて残った何かがすごい似てると思うんです。
ショスタコは20世紀においてベートーヴェンに一番近い作曲家、というのが自説なのですがこの交響曲はその要素が特に強い作品だとなんとなく思います。

そしてこの交響曲第1番は交響曲という形式にピアノが初登場した作品・・・なのですが残念ながら第1楽章では未登場。第2楽章では大活躍です。
でもこのシンプルでオケの音が楽しめる第1楽章ではピアノの出番はそもそもないと思います。皮肉は痛烈だけど特に第2主題のワルツでは楽器の音の柔らかさが素敵で、室内楽にも似た近さから暗い方向に爆発する広がりとかミクロ単位のメリハリとか、完成はしてないながらもショスタコの魅力がちゃんと存在してる第1楽章です。

そしてショスタコはこの第1番と最後の第15番を対比してみるとすっごい面白いと思うのでリンク先録音もその組み合わせにしてみました。指揮は昔(私が大学生の頃)メル響で振ってたOleg Caetani。20代vs60代の作品、年を重ねて変わったことも多々ありますが変わらないこともあり、はたまた一周回って戻ってきたこともあり。音楽と作曲家の人生の繋がり、そしてショスタコの音楽にまた一つ親しみを持ってもらえればと思います。

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