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日本も朝昼夜の寒暖差が結構ありましたがメルボルンも結構あることを身にしみながら行って来たコンサートの感想です。(でも自分で編んだショールを首回りに巻くだけでかなり違いました。やっぱりショールはもっと編みたい)
メルボルンに戻ってからすぐだったけど行かないわけにはいかなかったメル響のコンサート、プログラムはこんな感じでした。
Piers Lane Plays Beethoven
指揮者:Sir Andrew Davis
Ed Frazier Davis 「Fire of the Spirit」
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:Piers Lane)
(休憩)
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第5番
久しぶりのPiers Lane生演奏を聴けるコンサート。前回はベートーヴェンの4番だったかな。1番は録音だと聞くけどコンサートで聴くのはあんまりない気が(3,4,5番がやっぱ圧倒的ですよね)。ベートーヴェンのユーモアのある面とあとコンサートピアニストとしての面が主に光る協奏曲で、半音階的な和音進行の使い方は「もうこんなことやってたんかい!」とツッコミを入れたくなる(?)きっと当時ではかなり斬新だったであろう色彩。面白いけどそんなにそういう技巧を詰め込まんでくれーと言いたくなるあたり私はダメピアノ弾き。
ちなみに第1曲目の作曲家Ed Frazier Davisはなんと指揮者のサー・アンドリュー・デイヴィスの息子さんだそうで。(前も彼の曲演奏されたよね、と調べてみたらPlexusのコンサートで。そうかあの時飲みにきたのは息子の作品を聴きにきたんだ、と納得)
時間的には短めながらそこそこのサイズのオケでしっかり聴ける面白い合唱曲でした。なかなかうまいこと説明できないのですがオーストラリアやアメリカの音楽に特徴的な「前向き」な響きがある曲で。楽器と合唱をパズルみたいに組み合わせてるような印象のとこもちょっとあり。なにより現代において再評価されている(おそらく最古の)女性作曲家Hildegard von Bingenの作品を曲でなく歌詞を取り上げたというのも面白かったです。色んなルートで色々広がれ-。
ただ今回の一番の目当てはヴォーン=ウィリアムズの5番でした。このブログでも書いてると思うんですが意外と交響曲が演奏されない珍しい作曲家。私も大学のオケが弾いて以来生ではこの曲に出会えてませんでした。
しかもBBC Promsに続きサー・アンドリューがちょっとマイナーめのイギリス音楽を振るというのはものすごく期待大で。まあ間違いないですよ。ちょっと第1楽章がもっとlaid backなくらいの方が好きかなーと思ったくらいでとにかく至福の時でした。もっとやろうよヴォーン=ウィリアムズ。
そのサー・アンドリュー・デイヴィスも今年末でメル響の首席指揮者としての契約は終わり。まだマーラーサイクルでやってなかった「千人の交響曲」を振りに来年ゲストとして戻ってくるそうですが首席指揮者が変わったらレパートリーの傾向も変わるだろうし、寂しくはありますが新しくなることにわくわくもしています。(来年のプログラムはもう出ていますがざっとしかまだ見てない)
さて、さっきやっとこさもらった&買ったCDのインポートが済んで旅前に買った分と合わせて紹介する曲が急速に溜まってますが今回のコンサートから一つ。
今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第5番 第3楽章「ロマンス」
自分の心に近しい交響曲ですしぼんやりと知ってはいたものの今回コンサートの神のプログラムを読んで改めて「ああなるほど」と思うことがいくつかありました。
一つはこの曲が第2次世界大戦中に書かれていること。つまりはこの曲の懐かしい美しさ、時には狂おしいほど繊細なそれは現実世界のものというよりは「失われた物」だったんだな、と(だから色んなフィルターがかかってあんなに幻想的で美しい景色になるんだろうな)。
二つ目はこの交響曲の4つの楽章全てが「だいたいニ長調のようだけどふんわりした調性」で書かれていて、さらに弱音で始まって弱音で終わる構成になってること。交響曲にしろソナタにしろ複数楽章で書かれてる作品で全楽章が同じ調ってなかなか珍しいですよね。とはいえこの曲も各楽章それぞれちょっと違うフレーバーのふんわりした調性ですし他にも色々相違点がたくさんあるので似たようには聞こえないのですが。
ロシアとかドイツとかそっち方面の交響曲に比べるとそもそも音楽が軽め(airyと言いたい)で内容も薄めみたいな感じは全体的にあるのですが、それに↑の2点が加わってさらに非現実的な、終わってみるとまるで幻だったみたいな印象になるんだろうな、と今回生で聴いて思いました。
その中でも一番夢みたいだったのが第3楽章でしたね。イギリス音楽的な美しさで割と聴いてて難解なところは一つもないのにずっと外国語で話している映画やサイレント映画を観ているような、聴いてる自分からなにか一つ隔てた世界を見ているような感覚もあり。
でもなんか言葉とは違う何かで通じ合えるような気がするんですよね。ヴォーン=ウィリアムズもそうですし今日弾き始めたスクリャービンなんかも。暗黙の、というか音楽の世界の中でだけ成り立つ何かがあるような。他の作曲家でももちろんありますけど。
リンク先の録音はサー・アンドリュー・デイヴィスの指揮で。カップリング曲は繊細&儚いを怒濤の如く推したかったのですが(タリス幻想曲とか揚げひばりとか3番とか)それとは真逆ともいえる交響曲第4番。でも吹奏楽に強いヴォーン=ウィリアムズが楽しめるのはこういう作品なのでこちらも是非。
メルボルンに戻ってからすぐだったけど行かないわけにはいかなかったメル響のコンサート、プログラムはこんな感じでした。
Piers Lane Plays Beethoven
指揮者:Sir Andrew Davis
Ed Frazier Davis 「Fire of the Spirit」
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:Piers Lane)
(休憩)
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第5番
久しぶりのPiers Lane生演奏を聴けるコンサート。前回はベートーヴェンの4番だったかな。1番は録音だと聞くけどコンサートで聴くのはあんまりない気が(3,4,5番がやっぱ圧倒的ですよね)。ベートーヴェンのユーモアのある面とあとコンサートピアニストとしての面が主に光る協奏曲で、半音階的な和音進行の使い方は「もうこんなことやってたんかい!」とツッコミを入れたくなる(?)きっと当時ではかなり斬新だったであろう色彩。面白いけどそんなにそういう技巧を詰め込まんでくれーと言いたくなるあたり私はダメピアノ弾き。
ちなみに第1曲目の作曲家Ed Frazier Davisはなんと指揮者のサー・アンドリュー・デイヴィスの息子さんだそうで。(前も彼の曲演奏されたよね、と調べてみたらPlexusのコンサートで。そうかあの時飲みにきたのは息子の作品を聴きにきたんだ、と納得)
時間的には短めながらそこそこのサイズのオケでしっかり聴ける面白い合唱曲でした。なかなかうまいこと説明できないのですがオーストラリアやアメリカの音楽に特徴的な「前向き」な響きがある曲で。楽器と合唱をパズルみたいに組み合わせてるような印象のとこもちょっとあり。なにより現代において再評価されている(おそらく最古の)女性作曲家Hildegard von Bingenの作品を曲でなく歌詞を取り上げたというのも面白かったです。色んなルートで色々広がれ-。
ただ今回の一番の目当てはヴォーン=ウィリアムズの5番でした。このブログでも書いてると思うんですが意外と交響曲が演奏されない珍しい作曲家。私も大学のオケが弾いて以来生ではこの曲に出会えてませんでした。
しかもBBC Promsに続きサー・アンドリューがちょっとマイナーめのイギリス音楽を振るというのはものすごく期待大で。まあ間違いないですよ。ちょっと第1楽章がもっとlaid backなくらいの方が好きかなーと思ったくらいでとにかく至福の時でした。もっとやろうよヴォーン=ウィリアムズ。
そのサー・アンドリュー・デイヴィスも今年末でメル響の首席指揮者としての契約は終わり。まだマーラーサイクルでやってなかった「千人の交響曲」を振りに来年ゲストとして戻ってくるそうですが首席指揮者が変わったらレパートリーの傾向も変わるだろうし、寂しくはありますが新しくなることにわくわくもしています。(来年のプログラムはもう出ていますがざっとしかまだ見てない)
さて、さっきやっとこさもらった&買ったCDのインポートが済んで旅前に買った分と合わせて紹介する曲が急速に溜まってますが今回のコンサートから一つ。
今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第5番 第3楽章「ロマンス」
自分の心に近しい交響曲ですしぼんやりと知ってはいたものの今回コンサートの神のプログラムを読んで改めて「ああなるほど」と思うことがいくつかありました。
一つはこの曲が第2次世界大戦中に書かれていること。つまりはこの曲の懐かしい美しさ、時には狂おしいほど繊細なそれは現実世界のものというよりは「失われた物」だったんだな、と(だから色んなフィルターがかかってあんなに幻想的で美しい景色になるんだろうな)。
二つ目はこの交響曲の4つの楽章全てが「だいたいニ長調のようだけどふんわりした調性」で書かれていて、さらに弱音で始まって弱音で終わる構成になってること。交響曲にしろソナタにしろ複数楽章で書かれてる作品で全楽章が同じ調ってなかなか珍しいですよね。とはいえこの曲も各楽章それぞれちょっと違うフレーバーのふんわりした調性ですし他にも色々相違点がたくさんあるので似たようには聞こえないのですが。
ロシアとかドイツとかそっち方面の交響曲に比べるとそもそも音楽が軽め(airyと言いたい)で内容も薄めみたいな感じは全体的にあるのですが、それに↑の2点が加わってさらに非現実的な、終わってみるとまるで幻だったみたいな印象になるんだろうな、と今回生で聴いて思いました。
その中でも一番夢みたいだったのが第3楽章でしたね。イギリス音楽的な美しさで割と聴いてて難解なところは一つもないのにずっと外国語で話している映画やサイレント映画を観ているような、聴いてる自分からなにか一つ隔てた世界を見ているような感覚もあり。
でもなんか言葉とは違う何かで通じ合えるような気がするんですよね。ヴォーン=ウィリアムズもそうですし今日弾き始めたスクリャービンなんかも。暗黙の、というか音楽の世界の中でだけ成り立つ何かがあるような。他の作曲家でももちろんありますけど。
リンク先の録音はサー・アンドリュー・デイヴィスの指揮で。カップリング曲は繊細&儚いを怒濤の如く推したかったのですが(タリス幻想曲とか揚げひばりとか3番とか)それとは真逆ともいえる交響曲第4番。でも吹奏楽に強いヴォーン=ウィリアムズが楽しめるのはこういう作品なのでこちらも是非。
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