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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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夏のピアノレパートリー
今頃気づきました過去エントリーに拍手ありがとうございます。
そんなに更新してない上にそのそんなにのうちでもたまにしか拍手チェックしないしそもそもそれでも把握できていない気が。改めて申し訳ありません(汗)

さて色々新しいCD買ったりもらったり新しい楽譜買ったり曲弾き始めたりこれでは「今日の一曲」でちまちま紹介してたらものすごい時間がかかってしまうことに気づいたので自分で弾いて練習してる曲は一つエントリー立ててこんな曲弾いてるよ、こんなアプローチでいるよ、みたいなことをまとめて話すことにしました。まだ弾き始めですがちゃんとした音楽的な話などカバーできなかった部分はいずれまた今日の一曲で。

・セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第3番
一時帰国前から引き続き弾いてるやつ。単一楽章の短めのソナタだけどプロコフィエフらしいトリッキーさが隅々まで詰まってて必要な労力は複数楽章構成のソナタに負けてない。とにかくほぼ全体がタランテラに支配されてるソナタというところがものすごいツボなのですが、プロコフィエフは自分にとっては「指をしっかりさせたい時に弾く」みたいなところがあって特に一時帰国から戻ってきた後は効いています。でもやっぱりメインにするなら第2番の方が好きだなあ。

・アルベルト・ヒナステラ アルゼンチン舞曲集
前弾いてたクレオール舞曲集よりもさらに小さい曲集ですがより民族音楽風味が強い荒削りさが魅力。とにかく楽しく南米の音楽が弾きたいのが一番ですがスローな第2楽章は単独で弾いてもいいくらい素敵な曲なのでさらっと弾ける懐刀にと企んでます。最終楽章も弾けたら絶対楽しいし盛り上がるのですがすごい難しそうなので今はとりあえず目を合わせないようにしています(笑)

・イサーク・アルベニス 「イベリア」より「エル・アルバイシン」
まだまだ続けてイベリア攻略中。スペインの地理だったり地方ごとの音楽文化だったり独特のハーモニーやピアノ使いに慣れるべくじっくり取り組んでます。4曲目にしてやっとカルチャーショック的な感覚が薄れてきたかな?やっぱり南の方の音楽の和音とかリズムのエキゾチックな感じいいですね。あとピアノだからこそできるスペイン音楽のスタイルってのがあるんだなとなんとなくこの曲集を通じて思うようになってきました(ギターとかをまねるだけではなく)。最終目標はラバピエスですがそこに至る道のりも楽しみたいです。

・フランツ・リスト 「巡礼の年」第3年より「エステ荘の噴水」
「巡礼の年」、ちょっとお休みしてましたが改めて再開、メインディッシュの第3年です。第2年を先に弾いたのが功を奏したか、というとちょっと微妙なところです(少なくとも技巧的には全然別物ですし)。ただ前大学の友人が話してた「内容に対して音が少ない」(第3年全般)というのは薄々感じてます。そういう意味では音をある程度弾けるようになって音楽的なことを考えられるようになるのが楽しみですね。

・モーリス・ラヴェル 「水の戯れ」
ラヴェルの作品の中で自分がなんか苦手としてる珍しい曲なのですが夏はラヴェルが弾きたいし↑とも関係がある曲なのでタイミングがあるなら今しかないと再習得することに。でもピアノにおける水の表現を色々味わい楽しむのにはこの2曲は外せませんね。そしてやっぱりラヴェルの世界とか表現はなんか独特だしラヴェルの技巧を練習するにはラヴェルを弾くしかないなと改めて。

・アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第10番
最大の曲者。というかスクリャービン弾けばいつでもどれでも最大の曲者なのですが。スクリャービンのソナタ第6~10番みたいな楽譜を買って、どれを聞いても良く分からないしそんなに差が無いように思えてとりあえず前書き読んで決めたのですが、でも最終的に自分のなかで確固たる解釈ができて馴染んでものすごく好きになるという確信はあるんですよ。スクリャービンって不思議。その全く分からないカオスの状態とだんだん馴染んで自分の一部になるプロセスを味わいたくて今回また取り組み始めました。あとは技巧的に弾けるようになるかだけ(汗)

ということで今弾いてる曲が短期的に何かにつながるとかそういう雰囲気はほぼないですが色々楽しみながらレパートリーを広げていきたいです。個人的にはヒナステラがお手軽な感じで楽しみですがスクリャービンのじっくりな楽しみにもものすごくわくわくしています。なので今日の一曲はまずスクリャービンから。


今日の一曲: アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第10番



前述の通り後期のスクリャービンって何聞いてもぱっと聴き違いが分からないというかなんかこう変な暗い・・・?とも断言しがたいぐにゃぐにゃなカオスみたいなところがあると数曲弾いてものすごく好きな私でも思うのですが、でもある日突然?じわじわ?分かるようになって、でもそれを言葉や音楽で説明しようとするとできなくて、スクリャービンの音楽と向き合ってる時だけ確信が持てるみたいな不思議な世界。

技巧的にもそうなんですよね。スクリャービンの作品を弾き進めて「なるほどなるほど」って思っても冷静になるとものすごく理不尽な和音・音のつながり・リズムを要求されてることに気づいたり。片手で5拍子×もう片手で3拍子とかほぼ初見でもなんとなくできるようになっちゃうの自分でもおかしいと思う。

後期のピアノソナタもみんなそんな感じなので一つ選ぶために何かとっかかりを、となると先ほど書いた通り前書き頼りで。第10番は作曲家自身によると「太陽のくちづけである」「昆虫のソナタ」だそうで。昆虫題材の曲はあるにはあるのですが何せ少ないので昆虫好きとしてはもう弾かなきゃならない、という経緯で第10番を選びました。

弾き始めて2週間くらいですがさすがにまだ「昆虫」は感じられてません(笑)まだ完全なるカオスの中です。でも何かつかめるだろうなーとは確実に思ってますしそのなんらかの幻影が見られるのが楽しみ。

現代音楽全般に言えるのですが全然分からなくても飛び込んでみる人がもっと増えるといいなと思ってます。分からないことは挑戦しない理由にはならないはず。あと全く分からないってわけじゃないケースも多いと思うんですよね。きっと思いもよらない答えが色んな人の色んなところにあるはず。

スクリャービンの名手というホロヴィッツはどういう考えや思いでこの混沌に向かったんだろう、と思いながらホロヴィッツによるスクリャービンのソナタやら小品やらの詰め合わせをリンク。そして初期から後期まで色々聞き比べてこの作曲家の不思議さを存分に味わってください。ほんと謎しかない。

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