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えーっと、最近「楽器」+「性格」の検索キーワードでこのブログにいらっしゃっている方がちょこちょこ増えていて誠に嬉しい限りなのですが・・・もうちょっと時間を下さい!(汗)
頭の中には事細かくあるのですが、それをなんとか文にまとめるのが大変で・・・あとチェロあたりは特に長いのと、あとインサイダーなんで誹謗中傷にならないか心配で・・・慎重になっちゃってます。
なんとかいつかまとめようと思います。面白い話のネタ兼興味深い考察なんで。
ただあくまでもオーストラリアメルボルンにおいてのデータ、考察なことを気が早いようですがお詫びしておきます。
冗談半分でネタとしてお捉え下さい。
さて、今日の本題ですが、こちらもちょっと慎重になってたトピックでして・・・
でも最近精神関係カテゴリで書いてなかったのと、いい加減「今現在自分が知っていること」を精一杯伝えようとしてみようか、と重い腰を上げました。
このエリアに関しては正しい情報と経験者の声のの少なさ、そして間違った情報と偏見の蔓延が本当に懸念すべき問題なので・・・
ECT = Electroconvulsive Therapy。
日本語で言うと電気けいれん療法。精神疾患に対して行われる治療オプションの一つです。
その名の通り脳に電気を通してけいれん発作を人為的に起こして、実はよく解明されていない仕組みで鬱をはじめとする精神疾患を改善する、という療法で。
さて、これだけの情報だと実際怖いもののような気がしますが先ほども行ったとおり正しい情報が少ないのが問題。どうか読み続けて下さい。
もともとは「てんかんと統合失調症(昔で言う精神分裂病)に同時に罹らないのはどうしてなのか」を追求したことが始まりの治療なのですが・・・
電気けいれん療法で多くの人が最初に思い浮かべるのは映画「カッコーの巣の上で」の某シーンだと思います。
でもあれはもう何十年前のこと。精神疾患に関しての倫理、ECT技術、全てが大きく変わっています。
実際私は2008年の今頃精神病院に入院していたときECT治療を受けています。
長い間心理療法、認知行動療法、投薬療法などを試していて、それなら一回受けてみる?変わるかもしれないよ?と精神医に勧められて踏み切りました。
一応ショートストーリーぽい形で体験の情報は残してあるので、なんとかまとめてみます。
とりあえず最初は入院。リチウムはなんでも電気けいれん療法との併用は後に話します副作用の可能性が上がるらしく、あと抗痙攣薬(実は鬱などの治療にも用いられるんです)はもちろん人為的にけいれんを起こす治療ですのでこれらの薬はちょっと時間をかけて減薬。自分と先生のモニタリングも必須なので病院という環境は望ましいのですね。
で、施術の前の夜12時から断食・断水(断飲?)。これは治療が全身麻酔下で行われるため。
それで次の朝まずナースさんが血圧を測って手首に付けるバンドをつけるのにやってきて。その後治療に行きます。
私のケースは入院でしたが、治療の後半で割とモニタリングが要らないメンテナンス治療だったりするときは、私の病院はオーストラリアで唯一外来のECT治療もやってまして。
ECTは月・水・金の朝に行われるのですが、外来優先なので入院組は朝の遅くまで空腹で待つときもあります。
人によって週に1回から3回、精神医が治療の頻度の判断をします。治療を何週間受けるか、というのも様子をみながら精神医が判断します。
自分の治療の番になると施術のベッドに仰向けに寝転がって。
ECT担当の精神医1人(私の精神医もその一人)、ECT担当のナース1人(ちなみに歌のセッションも担当してる面白いおじさんでした)、そして麻酔医がいます。
心電図に繋がれて、電極を付けられて、あとは麻酔の注射&吸入(酸素吸入もありました)。注射には筋肉弛緩剤が入ってて、これで実際のてんかんの発作のように身体が激しく動いて怪我をしないようになっているのです。
で、すぐ麻酔が効いて、次起きたらリカバリールームのベッドの上。施術自体は30分ほどしかかからないです。
で、目をさましてしばらくするとナースさんが車いすで「昼ご飯持ってくけどなにがいい?」と聞きながら押して入院セクションに戻ります。
さて、麻酔と筋肉弛緩剤なのですが、注射する量は患者さんの体重を元に計算されて少し多めに用いるので、最初の治療セッションの後はその副作用でひどい頭痛、首痛がする場合があります。
すごい痛いですが、でも最初の2回ほどだけです。
ECT治療自体の副作用は今の最新の治療ではほぼ1つしかないと言われています。
それは「短期間記憶の喪失」です。
仰々しく聞こえますが、あくまでも短期間記憶だけです。例えば治療の朝のことを忘れることがありますが、普段の生活に関すること、知識、思い出などはまず消えない、ということです。
私の病院で行っている「Ultrabrief」というECTの種類は最新のもので、従来の方法に比べてその副作用は少なくなっているとの話です。
私も入院の時期の思い出っていうのはそう多くないです・・・実は入院しているあいだに大学の卒業式があったのですがぼんやりで。
音楽や創作、思い出、知識などに問題は見られていません。
ただ私はそうでしたが、一緒に入院していた患者さんはその短期間記憶の喪失を強めに経験したのか、辛がっていた人もいました。
効き目は、というと。
個人差はあるもののまあなかなか、といった所でしょうか。
ただいくつかのことを考慮しなければいけません。
1)病院の専門家によると薬物投与で何百とある薬の中である薬が効くのは60%ほどの確率である。
2)ECT治療は一通り他の治療を試したあとのオプションとして使われることが多い。
3)ECT治療は長期間入院、全身麻酔などを伴うので金銭的な問題が絡む
4)ただECT治療は薬物投与で改善しなかった病状を改善したケースがかなりある、との話も。
以上の要素からECTに賛成するお医者さんや患者さんもいれば、反対する人達もいます。
まだまだある意味発展途上ではあると思います。もっと周りの人を巻き込むこととか、全体的な治療の「一部」として連続性を持たせるとか・・・
私自身としても自分にとってECTがどれだけ有益だったかはわかりにくいのですが、自分に対してネガティブな効果があったとは思いません。有益さに関してはもっと後になったらもしかしたらわかるのかも・・・?
・・・なので経験者として本当に言いたいのはECT治療の話が持ち上がったとき治療をうけるかどうかは患者さん、お医者さん、病院の設備と治療内容、金銭的事情に本当によりけりなのですが、ECTについて偏見にとらわれず賛成・反対意見ならびに事実をひととおり知って欲しい、ということなのです。
薬物治療と同じ、もしかしたらもっと慎重に、治療の必要性について綿密に検証することも必要です。
さらに結果に関して早い段階で判断を下すのはいけないと思います。長期的な効果に関してはネガティブもポジティブにも情報がまだ無いので、もしかしたら振り返って結果良かったかも、ということも十分あり得ると個人的に思いますので。
オーストラリアでもまだ若い人へECT治療を行うことについて「ひどい!」と言う人がいますが。
とりあえず効果の程度の不確かさはしょうがないのですが、今の施術は安全に行われている、ということが少しでも伝わって・・・
同時にもっと研究が進んでより副作用が少ない治療になるよう、仕組みが明らかになるようになること(きっと、どちらにももっと多くの治療例が必要要素の一つですね)を願っています。
今日の一曲:カロル・シマノフスキ 「メトープ」より「カリュプソー」
今日から弾き始めた私のレパートリーのニューフェイスを。
ここ数年シマノフスキの音楽が大好きで。
ポーランドの音楽というとショパンが有名ですが、20世紀以降のミニマル・ミュージックの名作曲家もポーランド生まれですし、ルトスワフスキもまた巨人ですし、このシマノフスキもまたポーランドならではといった音楽を書く人です。
フランスとロシアの音楽に似たところがあり、ラヴェルのような繊細さを持ち。さらに私の好みのグレートーンの微妙な色彩を操るところが本当に好きで。
その繊細さたるや尋常じゃないです!細いしなやかな線がセクシーです(笑)
(おことわり:ここで形容したシマノフスキの音楽スタイルは主にピアノ曲、バイオリン曲に関してです。大編成はこの限りではないようです。残念ながら)
「メトープ」はピアノのための曲集で、その全3楽章はホメロスのオデュッセイアに出てくる女性キャラクターのタイトルが付いています。
そのうちカリュプソーは今のマルタのゴゾ島(といわれている)に住んでいたニンペ(妖精)で、漂流中のオデュッセイアをねんごろにもてなし、そのまま惚れ込んで7年も滞在させて、挙げ句の果てには「永遠の若さと寿命を与えるからずっと一緒に居て」なーんて言ったのですが、結局オデュッセウスは彼の妻と家族がいる故郷に向けて旅立っていった、という。
シマノフスキは私の手がちょうどちょっと届かない9度をハーモニーに多用するのと、独特のハーモニーで動いているので弾くのにちょっと慣れるまではやっかいなところも。
でも聴くには弾くのよりもずっとアプローチしやすいです。ラヴェルがオッケーならシマノフスキもオッケーだと思いますよ。
曲全体やっぱり女性的なセクシーさが強いですね。
グレートーン同士他の楽章とどうやって区別するか、と考えたところ漫画「イリヤッド」でゴゾ島の名産は蜂蜜だった、という話を思い出しまして。
確かに他の楽章の「セイレーン」や「ナウシカア-」にはない「甘さ」「弱さ」がカリュプソーにはありそう。
まだまだ音も満足に弾けていないのですが、その路線でいこうかしら、と思ってます。
7年生の時に社会の先生が学校の神父さんだったのですが、授業で「オデュッセイア」の簡易版を読んでくれて。
その不思議な縁でこの曲にはなんとなく親しみを感じます。
なのでこの曲を聴くときは「オデュッセイア」のあらすじだけでもお供にお奨めです♪
頭の中には事細かくあるのですが、それをなんとか文にまとめるのが大変で・・・あとチェロあたりは特に長いのと、あとインサイダーなんで誹謗中傷にならないか心配で・・・慎重になっちゃってます。
なんとかいつかまとめようと思います。面白い話のネタ兼興味深い考察なんで。
ただあくまでもオーストラリアメルボルンにおいてのデータ、考察なことを気が早いようですがお詫びしておきます。
冗談半分でネタとしてお捉え下さい。
さて、今日の本題ですが、こちらもちょっと慎重になってたトピックでして・・・
でも最近精神関係カテゴリで書いてなかったのと、いい加減「今現在自分が知っていること」を精一杯伝えようとしてみようか、と重い腰を上げました。
このエリアに関しては正しい情報と経験者の声のの少なさ、そして間違った情報と偏見の蔓延が本当に懸念すべき問題なので・・・
ECT = Electroconvulsive Therapy。
日本語で言うと電気けいれん療法。精神疾患に対して行われる治療オプションの一つです。
その名の通り脳に電気を通してけいれん発作を人為的に起こして、実はよく解明されていない仕組みで鬱をはじめとする精神疾患を改善する、という療法で。
さて、これだけの情報だと実際怖いもののような気がしますが先ほども行ったとおり正しい情報が少ないのが問題。どうか読み続けて下さい。
もともとは「てんかんと統合失調症(昔で言う精神分裂病)に同時に罹らないのはどうしてなのか」を追求したことが始まりの治療なのですが・・・
電気けいれん療法で多くの人が最初に思い浮かべるのは映画「カッコーの巣の上で」の某シーンだと思います。
でもあれはもう何十年前のこと。精神疾患に関しての倫理、ECT技術、全てが大きく変わっています。
実際私は2008年の今頃精神病院に入院していたときECT治療を受けています。
長い間心理療法、認知行動療法、投薬療法などを試していて、それなら一回受けてみる?変わるかもしれないよ?と精神医に勧められて踏み切りました。
一応ショートストーリーぽい形で体験の情報は残してあるので、なんとかまとめてみます。
とりあえず最初は入院。リチウムはなんでも電気けいれん療法との併用は後に話します副作用の可能性が上がるらしく、あと抗痙攣薬(実は鬱などの治療にも用いられるんです)はもちろん人為的にけいれんを起こす治療ですのでこれらの薬はちょっと時間をかけて減薬。自分と先生のモニタリングも必須なので病院という環境は望ましいのですね。
で、施術の前の夜12時から断食・断水(断飲?)。これは治療が全身麻酔下で行われるため。
それで次の朝まずナースさんが血圧を測って手首に付けるバンドをつけるのにやってきて。その後治療に行きます。
私のケースは入院でしたが、治療の後半で割とモニタリングが要らないメンテナンス治療だったりするときは、私の病院はオーストラリアで唯一外来のECT治療もやってまして。
ECTは月・水・金の朝に行われるのですが、外来優先なので入院組は朝の遅くまで空腹で待つときもあります。
人によって週に1回から3回、精神医が治療の頻度の判断をします。治療を何週間受けるか、というのも様子をみながら精神医が判断します。
自分の治療の番になると施術のベッドに仰向けに寝転がって。
ECT担当の精神医1人(私の精神医もその一人)、ECT担当のナース1人(ちなみに歌のセッションも担当してる面白いおじさんでした)、そして麻酔医がいます。
心電図に繋がれて、電極を付けられて、あとは麻酔の注射&吸入(酸素吸入もありました)。注射には筋肉弛緩剤が入ってて、これで実際のてんかんの発作のように身体が激しく動いて怪我をしないようになっているのです。
で、すぐ麻酔が効いて、次起きたらリカバリールームのベッドの上。施術自体は30分ほどしかかからないです。
で、目をさましてしばらくするとナースさんが車いすで「昼ご飯持ってくけどなにがいい?」と聞きながら押して入院セクションに戻ります。
さて、麻酔と筋肉弛緩剤なのですが、注射する量は患者さんの体重を元に計算されて少し多めに用いるので、最初の治療セッションの後はその副作用でひどい頭痛、首痛がする場合があります。
すごい痛いですが、でも最初の2回ほどだけです。
ECT治療自体の副作用は今の最新の治療ではほぼ1つしかないと言われています。
それは「短期間記憶の喪失」です。
仰々しく聞こえますが、あくまでも短期間記憶だけです。例えば治療の朝のことを忘れることがありますが、普段の生活に関すること、知識、思い出などはまず消えない、ということです。
私の病院で行っている「Ultrabrief」というECTの種類は最新のもので、従来の方法に比べてその副作用は少なくなっているとの話です。
私も入院の時期の思い出っていうのはそう多くないです・・・実は入院しているあいだに大学の卒業式があったのですがぼんやりで。
音楽や創作、思い出、知識などに問題は見られていません。
ただ私はそうでしたが、一緒に入院していた患者さんはその短期間記憶の喪失を強めに経験したのか、辛がっていた人もいました。
効き目は、というと。
個人差はあるもののまあなかなか、といった所でしょうか。
ただいくつかのことを考慮しなければいけません。
1)病院の専門家によると薬物投与で何百とある薬の中である薬が効くのは60%ほどの確率である。
2)ECT治療は一通り他の治療を試したあとのオプションとして使われることが多い。
3)ECT治療は長期間入院、全身麻酔などを伴うので金銭的な問題が絡む
4)ただECT治療は薬物投与で改善しなかった病状を改善したケースがかなりある、との話も。
以上の要素からECTに賛成するお医者さんや患者さんもいれば、反対する人達もいます。
まだまだある意味発展途上ではあると思います。もっと周りの人を巻き込むこととか、全体的な治療の「一部」として連続性を持たせるとか・・・
私自身としても自分にとってECTがどれだけ有益だったかはわかりにくいのですが、自分に対してネガティブな効果があったとは思いません。有益さに関してはもっと後になったらもしかしたらわかるのかも・・・?
・・・なので経験者として本当に言いたいのはECT治療の話が持ち上がったとき治療をうけるかどうかは患者さん、お医者さん、病院の設備と治療内容、金銭的事情に本当によりけりなのですが、ECTについて偏見にとらわれず賛成・反対意見ならびに事実をひととおり知って欲しい、ということなのです。
薬物治療と同じ、もしかしたらもっと慎重に、治療の必要性について綿密に検証することも必要です。
さらに結果に関して早い段階で判断を下すのはいけないと思います。長期的な効果に関してはネガティブもポジティブにも情報がまだ無いので、もしかしたら振り返って結果良かったかも、ということも十分あり得ると個人的に思いますので。
オーストラリアでもまだ若い人へECT治療を行うことについて「ひどい!」と言う人がいますが。
とりあえず効果の程度の不確かさはしょうがないのですが、今の施術は安全に行われている、ということが少しでも伝わって・・・
同時にもっと研究が進んでより副作用が少ない治療になるよう、仕組みが明らかになるようになること(きっと、どちらにももっと多くの治療例が必要要素の一つですね)を願っています。
今日の一曲:カロル・シマノフスキ 「メトープ」より「カリュプソー」
今日から弾き始めた私のレパートリーのニューフェイスを。
ここ数年シマノフスキの音楽が大好きで。
ポーランドの音楽というとショパンが有名ですが、20世紀以降のミニマル・ミュージックの名作曲家もポーランド生まれですし、ルトスワフスキもまた巨人ですし、このシマノフスキもまたポーランドならではといった音楽を書く人です。
フランスとロシアの音楽に似たところがあり、ラヴェルのような繊細さを持ち。さらに私の好みのグレートーンの微妙な色彩を操るところが本当に好きで。
その繊細さたるや尋常じゃないです!細いしなやかな線がセクシーです(笑)
(おことわり:ここで形容したシマノフスキの音楽スタイルは主にピアノ曲、バイオリン曲に関してです。大編成はこの限りではないようです。残念ながら)
「メトープ」はピアノのための曲集で、その全3楽章はホメロスのオデュッセイアに出てくる女性キャラクターのタイトルが付いています。
そのうちカリュプソーは今のマルタのゴゾ島(といわれている)に住んでいたニンペ(妖精)で、漂流中のオデュッセイアをねんごろにもてなし、そのまま惚れ込んで7年も滞在させて、挙げ句の果てには「永遠の若さと寿命を与えるからずっと一緒に居て」なーんて言ったのですが、結局オデュッセウスは彼の妻と家族がいる故郷に向けて旅立っていった、という。
シマノフスキは私の手がちょうどちょっと届かない9度をハーモニーに多用するのと、独特のハーモニーで動いているので弾くのにちょっと慣れるまではやっかいなところも。
でも聴くには弾くのよりもずっとアプローチしやすいです。ラヴェルがオッケーならシマノフスキもオッケーだと思いますよ。
曲全体やっぱり女性的なセクシーさが強いですね。
グレートーン同士他の楽章とどうやって区別するか、と考えたところ漫画「イリヤッド」でゴゾ島の名産は蜂蜜だった、という話を思い出しまして。
確かに他の楽章の「セイレーン」や「ナウシカア-」にはない「甘さ」「弱さ」がカリュプソーにはありそう。
まだまだ音も満足に弾けていないのですが、その路線でいこうかしら、と思ってます。
7年生の時に社会の先生が学校の神父さんだったのですが、授業で「オデュッセイア」の簡易版を読んでくれて。
その不思議な縁でこの曲にはなんとなく親しみを感じます。
なのでこの曲を聴くときは「オデュッセイア」のあらすじだけでもお供にお奨めです♪
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