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明日からメルボルンにつかの間の春の第一歩が来るようです♪
ここ1週間ほどの精神の調子からもみて、実際の春が来るのもそう遠くないような気がします・・・
最近勉強と趣味を兼ねて自分の大学時代の、親友から借りた、さらにインターネット上にある論文的なものを読んでいます。
日本語と英語、そして医学関係、精神関係、芸術関係、その他の4つのカテゴリーにわけて。
読んだものはなるべく(でもあんまり実現してない)ノートに詳細をまとめて、抄訳を写し&翻訳して(練習です!)。
その中でも昨日は今の自分とこれからのことになにかちょっと勉強になりそうな、興味深い論文を読んでいました。
本文は有料なのですが、ここに抄訳があります。(英語)
Kreutzらによる「音楽により感情を引き起こす:音楽の好みと熱中度の影響」(自分の訳下手ですみません)、という論文で。
なんでも西洋クラシック音楽の器楽曲レパートリーから抜粋を「楽しい」「悲しい」「怒り」「恐怖」「安心」の5つの「意図される感情」の基本カテゴリーから選び、99人の成人参加者に5つの感情のうちどれを感じたか、感じた感情の強さ、心地よさと興奮の度合いを答えてもらう、というもので。
参加者については音楽的背景とAbsorption(感情移入の度合い・・・あ、感情移入でよかったんだ!)も調査して。
結果は意図される感情はほとんどの場合聴き手に同じ物が感じられ(ただ怒り・恐怖と悲しい・安心の間に類似が見られ)、音楽によて感情を引き起こせることがわかり、さらに音楽の感情を強く感じる程度は音楽をプロでやっていてもアマチュアでも全くでも有意な違いはないのですが、クラシック音楽を好きな人はよりその音楽を強く感じる、という傾向が見られたらしいです。
で、これを読んで思ったのは・・・
まず一つはとりあえずクラシックを気負わず聴いて欲しいな、ということ。好きになるまではわからないので、とりあえず聴いてみて、好きな曲に一つでも出会って・・・そこから音楽にこめられた思いをより深く感じるとっかかりになったらいいな、と。
そしてもう一つは結果でそれぞれの曲の感情ごとのスコアを見ているとこうやって曲を数値化・パラメータ化してみると面白いな-、と。同時に音楽の「意図された」感情を考慮してリサイタルプログラムを組んで、演奏の聴衆に対する効果を増してみるのも面白いなあ・・・とか。
実際どかーんと突き落としてあとで暖かく癒すのはブリテンの戦争レクイエムのLibera Me~Let us sleep nowとか、メシアンの20のまなざしの18~19番でも見られる効果ですし。
いろいろしたいこと、応用したいことについては明日のエントリーでの話になるのですが・・・
とにかく音楽に関して、人の心理に関しての一部について勉強になった気がします。
(論文は一つのトピックについて深く学べますが、広い範囲は望めません・・・)
で、論文の付録として実験で使った25曲のリストが載ってて、それも興味深かったです。
いくつか候補があるなかから、研究者全員が一つの感情カテゴリーに賛同したものを選んだそうで、器楽曲の中でかなり時代・作曲家の出身国など結構バランスが取れていて・・・
なんといってもヴァレーズとかメシアンを繰り出してきたところがすごい!とちょっと思いました。
なので私も5曲×5カテゴリー、25曲選んでみました。
一人で選ぶと言うことでより融通が利くと言うことでよりバランスに重視をおいてみました。
クラシック音楽といっても色々なものがあるので、より普遍的なサンプルを、と言いますか・・・
テンポ、楽器編成、時代、知名度、作曲家の出身国になるべくばらつきを心がけた結果こうなりました。
「楽しい」
ロス・エドワーズ バイオリン協奏曲「Maninyas」 第3楽章
シャブリエ 「スペイン」
ドビュッシー 前奏曲第1巻より第5番 「アナカプリの丘」
ブラームス ホルン三重奏曲 第4楽章
ドボルザーク 弦楽四重奏第12番「アメリカ」 第4楽章
「悲しい」
チャイコフスキー 「白鳥の湖」第4幕から「小さな白鳥たちの踊り」
グリーク 「ホルベアの時代から」より「アリア」
ショスタコーヴィチ ピアノ五重奏曲 第1楽章
ブリテン ロシアの葬送
バッハ 「甘き死よ、来たれ」
「怒り」
バルトーク 「不思議な中国の役人」より「幕が上がる」
ブラームス ピアノ四重奏曲第1番 第4楽章
ブリテン 「ピーター・グライムズ」より「嵐」
リゲティ 練習曲集第2巻より第14番「永遠の柱」
ヴィヴァルディ 「四季」より「夏」 第3楽章
「恐怖」
ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏第15番 第2楽章
アデズ 「Living Toys」より「Battle」
プロコフィエフ 交響曲第3番 第3楽章
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 作品39の6
バルトーク ディヴェルティメント 第2楽章
「安心」
シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
グレインジャー デリー地方のアイルランド民謡
ラヴェル 「クープランの墓」より「メヌエット」
武満 「夢の引用」
イベール 3つの小品 第2楽章
・・・明らかに恐怖だけ20世紀偏りなのはしょうがないのかしら。そして古典前半が見事に抜けてしまった(汗)
こうやって分析的に曲を見てみるのも本当に面白いです!
こんなに曲をリストしてしまったんで、今日の一曲はここから。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第3番 第3楽章
プロコフィエフはいつだったか(正確な言葉は分からないのですが)不協和音はスパイスのようなもので、使いすぎると料理がみんな胡椒の味しかしないようになってしまう、というような言葉を残しています。
実際そういう風に悟ったのが新古典派方面に転向したからなのかはわからないのですが、ただその転向するまえは彼もかなりとんがってましたよー。なんたってモダニズムの寵児。
けっこうつっぱった難解な音楽を書く人でした。
彼の書いた「炎の天使」というオペラもそういった感じの作品で。そのオペラが不成功に終わる前なのか後なのか、オペラから派生するという形で生まれたのがこの交響曲。
あらすじ、というのが一応ありまして・・・主人公の若い女性は「炎の天使」(実は悪魔)をヴィジョンとして長い間見てきて、彼を愛してしまっていた。そんな彼女に惚れた騎士はその「天使」の化身である人物を彼女と一緒に探す。だがその化身と思われた伯爵は彼女と付き合うも彼女の元を去り、彼女は神にその身を捧げるために修道院に入るが、炎の天使がらみで彼女につきまとう魑魅魍魎が修道院の面々にらんちき騒ぎを起こし、主人公は魔女として逮捕される・・・というような話でした。
こうやって下手な説明だとあれなんですが、私にとっては結構初めましてのころからなんだか興味をそそられるストーリーです。
第3楽章は二人がとある洞窟に魔術師を訪ねていった場面で(曲の途中で重々しい扉のノックが聞こえますね)。
曲としてもあらすじとしても最初からいろいろねじれて曲がっているのがこの楽章に表れていると思います。
なんといっても私がこの曲を中学生で最初に聴いたときにすごい!と思ったのが冒頭から少し後。
洞窟の中を飛び回る得体の知れない霊やら魔物やらエネルギー体やらを表すランダムな弦楽器のパッセージ。
これは実は弦楽器全体が13のパートに分かれていて、わりとみんなが違うときに演奏してる、というわけです。なので空間的に色んな所からひゅん、という音が聞こえて来るように感じるというわけです。
プロコフィエフやストラヴィンスキーってたまに「これ人間が書いた/思いついた!?」と思うようなパッセージがあるんですよ。
ショスタコーヴィチの音楽が劣ってるわけではないのですが、こういう末恐ろしく感じる、人間離れした表現をすることはまずありません。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番とか、ストラヴィンスキーの春の祭典など・・・どうしたらこんな音を考えついて、それをこんなにも鮮やかに表現することができるのか。
この第3楽章の先ほどのパートはその人間が思いついて書いたとは到底思えないような感性をヴィヴィッドに表しています。
かなりがっつりモダンですが、あらゆる意味で非日常で超常現象的な体験をさせてくれる、強烈過ぎる一曲です。
ここ1週間ほどの精神の調子からもみて、実際の春が来るのもそう遠くないような気がします・・・
最近勉強と趣味を兼ねて自分の大学時代の、親友から借りた、さらにインターネット上にある論文的なものを読んでいます。
日本語と英語、そして医学関係、精神関係、芸術関係、その他の4つのカテゴリーにわけて。
読んだものはなるべく(でもあんまり実現してない)ノートに詳細をまとめて、抄訳を写し&翻訳して(練習です!)。
その中でも昨日は今の自分とこれからのことになにかちょっと勉強になりそうな、興味深い論文を読んでいました。
本文は有料なのですが、ここに抄訳があります。(英語)
Kreutzらによる「音楽により感情を引き起こす:音楽の好みと熱中度の影響」(自分の訳下手ですみません)、という論文で。
なんでも西洋クラシック音楽の器楽曲レパートリーから抜粋を「楽しい」「悲しい」「怒り」「恐怖」「安心」の5つの「意図される感情」の基本カテゴリーから選び、99人の成人参加者に5つの感情のうちどれを感じたか、感じた感情の強さ、心地よさと興奮の度合いを答えてもらう、というもので。
参加者については音楽的背景とAbsorption(感情移入の度合い・・・あ、感情移入でよかったんだ!)も調査して。
結果は意図される感情はほとんどの場合聴き手に同じ物が感じられ(ただ怒り・恐怖と悲しい・安心の間に類似が見られ)、音楽によて感情を引き起こせることがわかり、さらに音楽の感情を強く感じる程度は音楽をプロでやっていてもアマチュアでも全くでも有意な違いはないのですが、クラシック音楽を好きな人はよりその音楽を強く感じる、という傾向が見られたらしいです。
で、これを読んで思ったのは・・・
まず一つはとりあえずクラシックを気負わず聴いて欲しいな、ということ。好きになるまではわからないので、とりあえず聴いてみて、好きな曲に一つでも出会って・・・そこから音楽にこめられた思いをより深く感じるとっかかりになったらいいな、と。
そしてもう一つは結果でそれぞれの曲の感情ごとのスコアを見ているとこうやって曲を数値化・パラメータ化してみると面白いな-、と。同時に音楽の「意図された」感情を考慮してリサイタルプログラムを組んで、演奏の聴衆に対する効果を増してみるのも面白いなあ・・・とか。
実際どかーんと突き落としてあとで暖かく癒すのはブリテンの戦争レクイエムのLibera Me~Let us sleep nowとか、メシアンの20のまなざしの18~19番でも見られる効果ですし。
いろいろしたいこと、応用したいことについては明日のエントリーでの話になるのですが・・・
とにかく音楽に関して、人の心理に関しての一部について勉強になった気がします。
(論文は一つのトピックについて深く学べますが、広い範囲は望めません・・・)
で、論文の付録として実験で使った25曲のリストが載ってて、それも興味深かったです。
いくつか候補があるなかから、研究者全員が一つの感情カテゴリーに賛同したものを選んだそうで、器楽曲の中でかなり時代・作曲家の出身国など結構バランスが取れていて・・・
なんといってもヴァレーズとかメシアンを繰り出してきたところがすごい!とちょっと思いました。
なので私も5曲×5カテゴリー、25曲選んでみました。
一人で選ぶと言うことでより融通が利くと言うことでよりバランスに重視をおいてみました。
クラシック音楽といっても色々なものがあるので、より普遍的なサンプルを、と言いますか・・・
テンポ、楽器編成、時代、知名度、作曲家の出身国になるべくばらつきを心がけた結果こうなりました。
「楽しい」
ロス・エドワーズ バイオリン協奏曲「Maninyas」 第3楽章
シャブリエ 「スペイン」
ドビュッシー 前奏曲第1巻より第5番 「アナカプリの丘」
ブラームス ホルン三重奏曲 第4楽章
ドボルザーク 弦楽四重奏第12番「アメリカ」 第4楽章
「悲しい」
チャイコフスキー 「白鳥の湖」第4幕から「小さな白鳥たちの踊り」
グリーク 「ホルベアの時代から」より「アリア」
ショスタコーヴィチ ピアノ五重奏曲 第1楽章
ブリテン ロシアの葬送
バッハ 「甘き死よ、来たれ」
「怒り」
バルトーク 「不思議な中国の役人」より「幕が上がる」
ブラームス ピアノ四重奏曲第1番 第4楽章
ブリテン 「ピーター・グライムズ」より「嵐」
リゲティ 練習曲集第2巻より第14番「永遠の柱」
ヴィヴァルディ 「四季」より「夏」 第3楽章
「恐怖」
ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏第15番 第2楽章
アデズ 「Living Toys」より「Battle」
プロコフィエフ 交響曲第3番 第3楽章
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 作品39の6
バルトーク ディヴェルティメント 第2楽章
「安心」
シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
グレインジャー デリー地方のアイルランド民謡
ラヴェル 「クープランの墓」より「メヌエット」
武満 「夢の引用」
イベール 3つの小品 第2楽章
・・・明らかに恐怖だけ20世紀偏りなのはしょうがないのかしら。そして古典前半が見事に抜けてしまった(汗)
こうやって分析的に曲を見てみるのも本当に面白いです!
こんなに曲をリストしてしまったんで、今日の一曲はここから。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第3番 第3楽章
プロコフィエフはいつだったか(正確な言葉は分からないのですが)不協和音はスパイスのようなもので、使いすぎると料理がみんな胡椒の味しかしないようになってしまう、というような言葉を残しています。
実際そういう風に悟ったのが新古典派方面に転向したからなのかはわからないのですが、ただその転向するまえは彼もかなりとんがってましたよー。なんたってモダニズムの寵児。
けっこうつっぱった難解な音楽を書く人でした。
彼の書いた「炎の天使」というオペラもそういった感じの作品で。そのオペラが不成功に終わる前なのか後なのか、オペラから派生するという形で生まれたのがこの交響曲。
あらすじ、というのが一応ありまして・・・主人公の若い女性は「炎の天使」(実は悪魔)をヴィジョンとして長い間見てきて、彼を愛してしまっていた。そんな彼女に惚れた騎士はその「天使」の化身である人物を彼女と一緒に探す。だがその化身と思われた伯爵は彼女と付き合うも彼女の元を去り、彼女は神にその身を捧げるために修道院に入るが、炎の天使がらみで彼女につきまとう魑魅魍魎が修道院の面々にらんちき騒ぎを起こし、主人公は魔女として逮捕される・・・というような話でした。
こうやって下手な説明だとあれなんですが、私にとっては結構初めましてのころからなんだか興味をそそられるストーリーです。
第3楽章は二人がとある洞窟に魔術師を訪ねていった場面で(曲の途中で重々しい扉のノックが聞こえますね)。
曲としてもあらすじとしても最初からいろいろねじれて曲がっているのがこの楽章に表れていると思います。
なんといっても私がこの曲を中学生で最初に聴いたときにすごい!と思ったのが冒頭から少し後。
洞窟の中を飛び回る得体の知れない霊やら魔物やらエネルギー体やらを表すランダムな弦楽器のパッセージ。
これは実は弦楽器全体が13のパートに分かれていて、わりとみんなが違うときに演奏してる、というわけです。なので空間的に色んな所からひゅん、という音が聞こえて来るように感じるというわけです。
プロコフィエフやストラヴィンスキーってたまに「これ人間が書いた/思いついた!?」と思うようなパッセージがあるんですよ。
ショスタコーヴィチの音楽が劣ってるわけではないのですが、こういう末恐ろしく感じる、人間離れした表現をすることはまずありません。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番とか、ストラヴィンスキーの春の祭典など・・・どうしたらこんな音を考えついて、それをこんなにも鮮やかに表現することができるのか。
この第3楽章の先ほどのパートはその人間が思いついて書いたとは到底思えないような感性をヴィヴィッドに表しています。
かなりがっつりモダンですが、あらゆる意味で非日常で超常現象的な体験をさせてくれる、強烈過ぎる一曲です。
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