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今日は外は28℃で晴れ、暖かく心地良い春の日でした。
私は一日仕事だったので窓を開けて仕事。音楽を聴いたりしながら鳥のさえずりに耳を傾け。
今日は昨日のサイエンス&ミュージックのつながりでもう一つ音楽と物理について投下したかったんですが8時間仕事のあとはまったくだめですねー。
物理がもともと苦手なのですが主に「倍音」について話したくて、でも頭がすっかり疲れると苦手分野は問題外になるようです。
今夜はステンドグラスデザインの清書3度目を終わらせて(あと2楽章!)スキャンできるようにしたいので余力を残しとかなきゃ。
まだまだ最近こんなに忙しく働くようになったので(といってもまだフルタイムには届きませんが)家事やピアノとの両立、ペース配分と休憩などとうまくバランスだったり折り合いがついてないような気がします。
このブログでも口癖の様に言うことですが、なにかと無理する性格で。
遺伝的な要素も元々あると言われるのですが、よくうつを引き起こしやすいとされている「無理する性格」に当てはまってるから気をつけなよ、あたりのことを言われますし自分でも言い聞かせてるのに。
ちゃんとした判断ができなくなっている状態にあるわけでもないのに、自分で無理していると分かっているのに無理しちゃう・・・それには正当なとは言いませんがそれなりの理由があるみたいです。
これは特に大学の時なんですが、周りの私に対しての主なイメージは「小さい」というもので、なにかと庇護欲混じりでちょっぴり小さい扱いされてたので・・・
だから少なくとも対等に扱われたい気持ちがあったのか割と普段から背伸びしてた感はあります。
すでに小さいからこれ以上小さくなりたくないんですよねー。甘えるのもたまには良いんですがやっぱり・・・ねえ。多少不本意な部分もなくもなかったです。割と負けず嫌いなところもあるので。
あと楽すると自分が伸びないような気もするんですよね。
英語で言うとPushing the boundary、というのですが自分のリミットを内側から押さなきゃ「出来る範囲」は広がらない、みたいなことがあって。
油断しちゃうとこう、甘えて後退しちゃうような気がします。
これはうつに関しても言えるんですけどある程度調子が上向きになると出来ること+もうちょびっと、というのが基本ですから・・・
性格的には何かになんらかのとっかかりを見つければ際限なくのめり込むタイプでもあります。
さして好きじゃないジャンルのことでも作業を始めると集中力がどんどん芽生えてきて熱中し、だんだんおもしろさがわかってきて愛着心が芽生えさらにのめりこむ、という・・・
それに分からないことがあったり困難があったりすると余計に燃える、というか躍起になるというか(汗)
この傾向は特にピアノで強いですね。自分の弾けるレベルより若干難しいと練習がはかどりますし楽しいです。特に自分の好きな曲だと難しくても弾けるようになりたい思いが強すぎて少しばかりムキになります。
あとそうやって自分にとってちょっとしんどいことをしたりして自分を追い詰めるのがだんだん楽しくなってしまって。自分を追い詰めるのも楽しいですし、追い詰められるのも一種の快感で。
仕事にしてもピアノ弾きにしても、ステンドグラスデザインにしても楽しているとやってる実感がなくて、動力もなかなか回らなくて。(ただ物書きだったりアイディアプラン作業だったりはものすごーくのんびり)
大学でピアノを8時間練習してた頃も疲労が現れはじめる6~7時間目くらいが音楽的・表現的に良いか悪いかはまた別かもしれませんが面白くなってくる(笑)
精神的にある程度極限状態になって初めて感じられるもの、得られる物はあると信じてます。
普通の状態だとそれは難しいですが、ピアノを弾いているときとか独特の精神状態になることはありますね。
ランナーズハイに近いものなのかな?(私はランナーズハイになったことがないのでちょっと近いかわからないんですが・・・)
特に暗く激しい、または苦痛に満ちた曲を弾いてる時ほど音楽と繋がって、苦しみが解き放たれて快感が大きくなる傾向が。
(ちなみにピアノを弾いているときの精神状態についての論文もプリントアウトしてあるんですよねー。早く読みたい♪)
そうやってなんらかの形で精神的に追い詰められてる時に自然と弾きたくなる曲ってやっぱりあるんですよね。
私だとプロコフィエフのアルマンドだったり、スクリャービンの練習曲op.42-5だったり。
で、そういう状態だともはや曲が弾けようがちゃんと弾けまいがかまわなくなるのでプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番の第1楽章カデンツァという死ぬほど難しい曲にまで手をだすこともあります。当然結果アウトプットはめちゃくちゃですが。
疲労もそうですし、うつ状態でもそうなのですが、ある程度心の調子が悪くなってくるとその気持ちを音楽と同化して発散・表現したい欲が急上昇してしまって。
(その「ある程度」を超えると身体も動かなくなってしまうのですが)
その状態でしか感じられないもの、表現できないものってやっぱりあるので発散・表現・破壊欲が強まるとやっぱりこれもまた絶好の機会だ、と歪んだ思考のどこかで言ってて・・・で、歪んだ思考だとは分かっててもやっぱりそこで表現だったり発散しないとどうしても勿体ない!と思ってしまって・・・
でも一応そこで弱ってるところにエネルギーをがんがん使って、それでも回復の目処が立っているときや長期的に影響がでないと自分なりに判断したときだけにそういった無理はとどめてます。一応。
調子が悪い時は本来は無理は禁物ですから。ちゃんとある程度分かっています。
ここまで書いてきてやっぱり主な要素は苦しい状態でも得られる独特のものがあって(そしてなんだか楽しい部分もある)大事な経験なのでそれも大切にして使用したりしないと勿体ないなあ、と思っていることにより多少無理をついついしちゃう、ということでしょうか。
あともう一つ、何かやってて疲労しかけてるところに別のなにか楽しいことがあると疲労レベルが一見リセットされること。それで仕事だピアノだ家事だ趣味だといろいろ抱えて無理するのかもなー。(楽しいことばかりだから切り捨てたり諦めたりあとでにしたりとかしたくなくなるんですよね)
ということで一通り自己分析となってしまいましたが、週末もみっちり仕事(そして少しピアノ)。
休息の大事さをちゃんと言い聞かせながら、頭に余裕が維持できるようがんばっていきたいと思います。
今日の一曲: アルヴォ・ペルト 「Spiegel im Spiegel」
メルボルンの春は7時でもまだ明るいけれど少し夕方の雰囲気。
一日働いて疲れていたところにそんな雰囲気にぴったりなこの曲が疲労をちょっぴり和らげ心と頭を静かにしてくれました。
Spiegel im Spiegel=鏡の中の鏡。
鏡というよりは私にとっては「鏡のように静かな水」に近いイメージ。
バイオリンの静かでシンプルなパートとピアノのゆっくりなアルペジオのみで構成されたシンプル・ビューティー。
ペルトの音楽はミニマル・ミュージックの王道。
特に弦のアンサンブルのサウンドは本当に美しく、そのビブラートを使わないピュアでフラットな音が魅力的です。
バイオリン一本でもそのすらっとした線は心にすっと入って来ますね。
うっとりと心を静め潤すピアノの音もこんなに音が少なくてこんなに美しいものができるんだ!と一つ一つの音をありがたく思います。
あとはヘ長調という調もまたそのリラックス効果をサポートしていると思います。
もともと牧歌などによく使われる調で、聞いていて落ち着く調では私にとってナンバーワン。
この曲、弾く事でもっともっと深く感じたいと思いますが・・・単純だからこその難しさ。
この曲の「鏡のような」静けさと、一つ一つの音の丸い透明な美しさ・・・
考えただけもどんなものになるかわくわくしますし興味津々ですね。
(ペルトの音楽弾いたことないもので。是非この手に欲しい感覚です)
ペルトの音楽ってどの曲でも本当に美しい音が楽しめますし、わりとイージーリスニングで。
落ち着いたスローな音楽が多く気持ちがなんとも落ち着きますしね。
どの曲もおすすめです♪ここでももっと紹介できるといいな。
私は一日仕事だったので窓を開けて仕事。音楽を聴いたりしながら鳥のさえずりに耳を傾け。
今日は昨日のサイエンス&ミュージックのつながりでもう一つ音楽と物理について投下したかったんですが8時間仕事のあとはまったくだめですねー。
物理がもともと苦手なのですが主に「倍音」について話したくて、でも頭がすっかり疲れると苦手分野は問題外になるようです。
今夜はステンドグラスデザインの清書3度目を終わらせて(あと2楽章!)スキャンできるようにしたいので余力を残しとかなきゃ。
まだまだ最近こんなに忙しく働くようになったので(といってもまだフルタイムには届きませんが)家事やピアノとの両立、ペース配分と休憩などとうまくバランスだったり折り合いがついてないような気がします。
このブログでも口癖の様に言うことですが、なにかと無理する性格で。
遺伝的な要素も元々あると言われるのですが、よくうつを引き起こしやすいとされている「無理する性格」に当てはまってるから気をつけなよ、あたりのことを言われますし自分でも言い聞かせてるのに。
ちゃんとした判断ができなくなっている状態にあるわけでもないのに、自分で無理していると分かっているのに無理しちゃう・・・それには正当なとは言いませんがそれなりの理由があるみたいです。
これは特に大学の時なんですが、周りの私に対しての主なイメージは「小さい」というもので、なにかと庇護欲混じりでちょっぴり小さい扱いされてたので・・・
だから少なくとも対等に扱われたい気持ちがあったのか割と普段から背伸びしてた感はあります。
すでに小さいからこれ以上小さくなりたくないんですよねー。甘えるのもたまには良いんですがやっぱり・・・ねえ。多少不本意な部分もなくもなかったです。割と負けず嫌いなところもあるので。
あと楽すると自分が伸びないような気もするんですよね。
英語で言うとPushing the boundary、というのですが自分のリミットを内側から押さなきゃ「出来る範囲」は広がらない、みたいなことがあって。
油断しちゃうとこう、甘えて後退しちゃうような気がします。
これはうつに関しても言えるんですけどある程度調子が上向きになると出来ること+もうちょびっと、というのが基本ですから・・・
性格的には何かになんらかのとっかかりを見つければ際限なくのめり込むタイプでもあります。
さして好きじゃないジャンルのことでも作業を始めると集中力がどんどん芽生えてきて熱中し、だんだんおもしろさがわかってきて愛着心が芽生えさらにのめりこむ、という・・・
それに分からないことがあったり困難があったりすると余計に燃える、というか躍起になるというか(汗)
この傾向は特にピアノで強いですね。自分の弾けるレベルより若干難しいと練習がはかどりますし楽しいです。特に自分の好きな曲だと難しくても弾けるようになりたい思いが強すぎて少しばかりムキになります。
あとそうやって自分にとってちょっとしんどいことをしたりして自分を追い詰めるのがだんだん楽しくなってしまって。自分を追い詰めるのも楽しいですし、追い詰められるのも一種の快感で。
仕事にしてもピアノ弾きにしても、ステンドグラスデザインにしても楽しているとやってる実感がなくて、動力もなかなか回らなくて。(ただ物書きだったりアイディアプラン作業だったりはものすごーくのんびり)
大学でピアノを8時間練習してた頃も疲労が現れはじめる6~7時間目くらいが音楽的・表現的に良いか悪いかはまた別かもしれませんが面白くなってくる(笑)
精神的にある程度極限状態になって初めて感じられるもの、得られる物はあると信じてます。
普通の状態だとそれは難しいですが、ピアノを弾いているときとか独特の精神状態になることはありますね。
ランナーズハイに近いものなのかな?(私はランナーズハイになったことがないのでちょっと近いかわからないんですが・・・)
特に暗く激しい、または苦痛に満ちた曲を弾いてる時ほど音楽と繋がって、苦しみが解き放たれて快感が大きくなる傾向が。
(ちなみにピアノを弾いているときの精神状態についての論文もプリントアウトしてあるんですよねー。早く読みたい♪)
そうやってなんらかの形で精神的に追い詰められてる時に自然と弾きたくなる曲ってやっぱりあるんですよね。
私だとプロコフィエフのアルマンドだったり、スクリャービンの練習曲op.42-5だったり。
で、そういう状態だともはや曲が弾けようがちゃんと弾けまいがかまわなくなるのでプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番の第1楽章カデンツァという死ぬほど難しい曲にまで手をだすこともあります。当然結果アウトプットはめちゃくちゃですが。
疲労もそうですし、うつ状態でもそうなのですが、ある程度心の調子が悪くなってくるとその気持ちを音楽と同化して発散・表現したい欲が急上昇してしまって。
(その「ある程度」を超えると身体も動かなくなってしまうのですが)
その状態でしか感じられないもの、表現できないものってやっぱりあるので発散・表現・破壊欲が強まるとやっぱりこれもまた絶好の機会だ、と歪んだ思考のどこかで言ってて・・・で、歪んだ思考だとは分かっててもやっぱりそこで表現だったり発散しないとどうしても勿体ない!と思ってしまって・・・
でも一応そこで弱ってるところにエネルギーをがんがん使って、それでも回復の目処が立っているときや長期的に影響がでないと自分なりに判断したときだけにそういった無理はとどめてます。一応。
調子が悪い時は本来は無理は禁物ですから。ちゃんとある程度分かっています。
ここまで書いてきてやっぱり主な要素は苦しい状態でも得られる独特のものがあって(そしてなんだか楽しい部分もある)大事な経験なのでそれも大切にして使用したりしないと勿体ないなあ、と思っていることにより多少無理をついついしちゃう、ということでしょうか。
あともう一つ、何かやってて疲労しかけてるところに別のなにか楽しいことがあると疲労レベルが一見リセットされること。それで仕事だピアノだ家事だ趣味だといろいろ抱えて無理するのかもなー。(楽しいことばかりだから切り捨てたり諦めたりあとでにしたりとかしたくなくなるんですよね)
ということで一通り自己分析となってしまいましたが、週末もみっちり仕事(そして少しピアノ)。
休息の大事さをちゃんと言い聞かせながら、頭に余裕が維持できるようがんばっていきたいと思います。
今日の一曲: アルヴォ・ペルト 「Spiegel im Spiegel」
メルボルンの春は7時でもまだ明るいけれど少し夕方の雰囲気。
一日働いて疲れていたところにそんな雰囲気にぴったりなこの曲が疲労をちょっぴり和らげ心と頭を静かにしてくれました。
Spiegel im Spiegel=鏡の中の鏡。
鏡というよりは私にとっては「鏡のように静かな水」に近いイメージ。
バイオリンの静かでシンプルなパートとピアノのゆっくりなアルペジオのみで構成されたシンプル・ビューティー。
ペルトの音楽はミニマル・ミュージックの王道。
特に弦のアンサンブルのサウンドは本当に美しく、そのビブラートを使わないピュアでフラットな音が魅力的です。
バイオリン一本でもそのすらっとした線は心にすっと入って来ますね。
うっとりと心を静め潤すピアノの音もこんなに音が少なくてこんなに美しいものができるんだ!と一つ一つの音をありがたく思います。
あとはヘ長調という調もまたそのリラックス効果をサポートしていると思います。
もともと牧歌などによく使われる調で、聞いていて落ち着く調では私にとってナンバーワン。
この曲、弾く事でもっともっと深く感じたいと思いますが・・・単純だからこその難しさ。
この曲の「鏡のような」静けさと、一つ一つの音の丸い透明な美しさ・・・
考えただけもどんなものになるかわくわくしますし興味津々ですね。
(ペルトの音楽弾いたことないもので。是非この手に欲しい感覚です)
ペルトの音楽ってどの曲でも本当に美しい音が楽しめますし、わりとイージーリスニングで。
落ち着いたスローな音楽が多く気持ちがなんとも落ち着きますしね。
どの曲もおすすめです♪ここでももっと紹介できるといいな。
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