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自分がまず今現在本当に感謝したいニュース!
NHKグローバルメディアサービスより抜粋:「オーストラリアの外務貿易省は7日、東日本大震災からの復興を何らかの形で支援したいという機運がオーストラリア国内で高まっていることに応えて、被災者へ義援金を送る方法などの情報を集めたウェブサイトを、立ち上げました。」
ここです!http://australiahelps.gov.au/japan/ (英語)
詳しいかといったらちょっと違いますがなにができるか、何をしない方がいいかについて分かりやすく書いてあります。これから自分はここにお世話になりそうです。
そして遅くなりました!4月5日のレクチャーの感想です!
レクチャーはEating Disorders Victoria主催、スピーカーはそこのEducation OfficerであるDr Naomi Crafti。
タイトルは「自分の体を好きになれないときどうするか?」という、摂食障害そのものというよりもそれに関連するボディイメージの問題についてのレクチャーでした。
摂食障害は主にティーンエイジャーが罹患する疾患とあり、さらに家庭や親子関係が関わってくるということもあり、ティーンエイジャーの子供を持つ親へ向けたレクチャーとなっていました。
やはりそれくらいの母親と思われる方々が聴衆には多かったです。確かに子供とのコミュニケーションは母親の方が多いですし、このレクチャーで親側が気をつけることなどについては母親に当てはまる事が多かったですが父親が来ちゃいけないことはないですし、知っておいて損はないですし、子育ての姿勢としても父親がこういう場にいるのは望ましいんじゃないかな―とふと思ったり。
(ちなみに摂食障害についてこのブログで心血を注いだエントリーがこちらにあります。そちらもどうか参照お願いします。)
摂食障害の根本にある問題として自分の身体を好きになれない、そのままで受け入れられないことによる自分の身体の認識の歪みだったり、身体の外見に関して非現実的な理想を持つ、などの問題があります。
これをひっくるめてボディイメージの問題と扱います。
実際ティーンエイジャーという自己・外の世界の認識に多くの不安がある時期でなくとも自分の外見には何かとコンプレックスを持ったり、良いところよりも悪いことが目立ってしまうものらしく。
で、やはり(前述ブログエントリーでも触れましたが)昨今のメディアでの外見重視・瘦せ型重視(マガジンなどでのモデル、俳優などなど)、そしてオーストラリアやアメリカなど肥満大国と呼ばれる国での肥満恐怖・風当たりの強さはネガティブなボディイメージに拍車をかけているらしく。
そして化粧品やダイエット食品などを始め外見を変える類の商品を売る場合の宣伝・広告テクというのは基本「あなたの外見に問題がありますよ」というところを強調することで商品を売るので。
各種メディアが自分のボディイメージを肯定することを妨げ、同時にとても非現実的なボディイメージを理想として打ち出しているということは本当に大きいです。
(よく知られている例としてもしもバービー人形が人間だったら体型的にはとても立てることどころか生命を維持できないであろうということが上げられますね。結構良く聞くたとえ話。)
こういったボディイメージの問題は若い女性のみならず、最近はもっと影響するpopulationの幅が広がっているそうです。もちろん実際太っているのみならず健康に何ら問題のない体型の人も。
年齢的に言えば思春期を迎える前の子供でも以前よりお洒落や化粧に興味を持つ子が増え、自分の外見をもとよりもっと良くしよう、という意志がより高くみられるようです。
そして摂食障害の患者さんの年齢は下限だけでなく上限も広がっているとの話も。
さらに男性も(より大きく、より小さくどちらでも)自分の身体に不満を持つ人が増え、摂食障害の男性患者さんも増えているとのことです。
(10年前私が入院しているときの仲間にも主疾患ではなかったそうですが摂食障害的なものを抱えた男の子がいました。今はだからもっと増えているのでしょうか。病院での摂食障害専門のお医者さんは女性でしたが男性の専門家も需要がますます増えますね)
今回のレクチャーさんのスピーカーさん曰く、外見や体重、体型についてからかったりいじめたりすることはどこでも珍しいことではないのですがそれは例えば人種や障害、性別などについて差別することと同じように捉えるべきである、ということで。
今の社会においては同じくらい深刻な問題である、ということでもあります。
痩せてるか太ってるか、と外見で判断するのでなく健康(的)であるかどうか、というところに重要点をもってかなきゃいかない、と。
特に友達とそういう外見の話になることはティーンは多いと思われるので、家庭では少なくともそうでないものの大切さなどにフォーカスをシフトしていくことを大切にしないと、という話がありました。
家の中で子供におって親が良き模範になることが大切だって事が強調されていて。
以前他のところでも聞いたのですが差別というのは家庭の中の環境、親の影響により生まれることが多いらしいです。
ただやはりティーンエイジャーとなるとちょうど家族よりも友達の繋がりを大切にし始める時期なのでそこのところ本当に難しいですが・・・
あとはダイエットの悪影響について。
ダイエットは体重を減らすどころか逆効果になる、(あと運動することと体重を減らすことを繋げちゃいけない、という話だったり)それだけでなく、ダイエットにより起きるDisordered eating = 不健康な食習慣は摂食障害のリスクになる、という。
Disordered eatingには食事を抜かしたり、食物の種類を抜かしたり偏らせたり、大量に食べたりそれを吐いたりなど些細と思われる、誰でも経験があるようなことから明らかにいけないぞ、と分かることまでいろいろあります。
Disordered eatingはそれが習慣化することによっていろんな影響を人に及ぼします。
食事を抜かすことによる血糖値の急降下、その反動として大量に食べることによる急上昇だったり、栄養の偏りだったり。さらには食により自分の身体に栄養を与え養う、ケアする感覚を失い、摂食障害に関するリスクを作り兼ねない、ということらしいです。
(ちなみに最近ではOrtholexia Nervosaという、健康に食べることに過度に神経質になるという現象もあるそうです)
摂食障害のサインを子供に認めたとき、親としてはどうしたらいいか、というのがおそらくこのレクチャーで聴衆が最も興味あるポイントだったのではないかと思います。
そういった自己破壊的な行動を止める際、権力を振りかざしたり批判したり、うまいことだまそうとしたりせず、外見のことや食べることについて追求するのではなく健康について心配している、とかに焦点をシフトしないとぶつかるばかりだ、という話がありました。
摂食障害を防ぐ、食い止めるために育て養う考え方や感覚はたくさんあります。
まずは友達、家族と繋がっている、愛のある繋がりを持つこと。他人に大切にされていると感じることは自分を大切にすること、自分を愛することに繋がります。
(ここでちょっと自分が思ったことなのですが恋人と心で愛し合うだけでなく身体でも愛し合うこともこれに繋がるんじゃないかなあ、と思います。恋人に身体を好きだと言われたり表現されたり、また他人の身体を愛しその愛を表現することはボディイメージに大きな意味を持つと思うんですよ。)
さらに自分の良いところと悪いところ、できることできないことを理解して受け入れること(そして同時に現実的な理想像を持つこと)、そしてそれにより自分に自信を持って、自己意識を高め。プラス自分の存在・人生には意味があるんだと実感できる、例えば何か打ち込めるものを見つける、など。
そして他の差別と同様、体型に関しても「違い」を愛し、好きになり、寛容な視点を持つことも大切です。
幸せはどんな体型の人にもやってくる、痩せる=幸せになる、ということではないと。
あとは「食」を大切にすること。食事の時間を大事にし、食事が自分の心と体を養うことを実感すること。(料理することもまた良いそうです)
そして摂食障害の性格的なリスク要因として完璧主義的な傾向があげられますが、間違いをおかすことを許し、間違いから学べるようすることで困難に耐えられる力をつけることも大切だそうです(今の時代、ミスを犯すことに関して本当に厳しい世界ですからね)。
忘れてはならないのがメディアリテラシー。メディアにおける「理想像」が非現実的なものと気づくこと、商品広告は商品を売ろうとしている目的があることを考慮すること、などなど・・・
最後に、今回のレクチャーは主に西洋文化、ことにアメリカやオーストラリアに関しての話でした。
日本では若干事情が違うとは思います。
ここからは私のあくまでも今の、あまり事情をしらない上での印象なのですが・・・
日本ではもともと太りにくい人種ではありますし、肥満は豪・米ほど大きい問題とはされていません。
すらっとした人がもてはやされ(日本では男性も「細マッチョ」が人気とされてたりしますね)、太った人がそれでからかわれることはもちろんあります。(ただ日本の太ってるといわれる人ってそれほどでもないんですよね・・・そういうところは確かに問題。)
ただそのモデル細すぎるぞ!という声がなかなか上がらないのは問題意識が薄いのか、それとも比較的極端な傾向ではないからか、そこがわからないのですが・・・
ただ性格的・環境的要員に限って言えば完璧主義的、母子の繋がりが親密ではない場合が多い、人(友達など)の目を気にする、間違いをおかすことがタブーとされている・・・などの面で日本人は摂食障害のリスクが高いのではないかと思います。
なかなかこっちにいると日本のこういう事情って分からないのですが・・・わりと自分の中でのイメージとギャップを感じたり、疑問を感じたりしたので。
やっぱりこのエリアは本当に自分にとってキーだな、と思うので・・・レクチャーでプリントももらったりしたのでこれから勉強を続けなくちゃ!
今日の一曲: リヒャルト・ワーグナー 「ジークフリート牧歌」
昨日ちょっとTwitterでワーグナーの話をしていたので。
やる気がでるかといえばでないワーグナーです(笑)(とあるTV番組で言ってたらしいので。でもワーグナーの音楽でやる気が出るのは本当に有名なうちの一握りだと思います。)
何回も書いてますが自分はワーグナーの人柄・音楽が基本嫌いですがこれはまあまあ・・・かな。
(創作家としてはこの上なく尊敬していますが)
ちなみに同年代の周りの音楽家達もワーグナーはなあ・・・と苦い反応が多いのですが(ワーグナーといえばナチスをイメージする人も結構。まあ確かにそうなんですがね、強く)、「でもジークフリート牧歌だけはいい」という声も実は多かったり。
ジークフリート牧歌はワーグナーのわりとプライベートな作品、というか。
妻コジマ(リストの娘なんです)と子供達、特に生まれたばかり(ばかり、という感じではないか)の息子ジークフリートのために書かれました。
(ジークフリートは当時書いてたニーベルングの指環の登場人物からつけてるのかしら。あとイゾルデという娘もいるんですよね)
だからオペラなどではばかでかい編成のオケを使うワーグナーですがこの曲に関しては弦楽器中心の町アンサンブルを使用。
そしてロマン主義を過熟させた張本人と言われるほど感情やハーモニーを本当にいきつくところまでもってっちゃった彼ですがこの曲は本当にシンプルで、そのまま「牧歌的」で。
ドイツ音楽においてベートーヴェンの継承者は誰だ、という論争が昔も今もありますが、自分で立候補したワーグナーを当然(?)私は良く思わないんですが(ブラームス派なんです、断然)、でもこの曲を聴くと「ああなるほどな」と思います。
なんと言いますか、自然と繋がってる感じが本当にベートーヴェンに似てて。
前述「ニーベルングの指環」という巨大な楽劇(全部で15時間!)の中の「ジークフリート」という楽劇とこの曲は共通の音楽エレメントを使ってるのですが、この楽劇の物語の(ただの森でなく)神秘的な森、みたいなイメージもまた共通してる感じがします。
ニーベルングの指環は別ものでものすごく面白いので先ほどリンクしましたWikipediaの記事を見てみるのをお勧めします。
リラックスしたいとき、本当にお勧めの特別な曲です♪
(ただワーグナーらしいワーグナーではないのでワーグナーを知りたい方は別の曲の方がいいです)
NHKグローバルメディアサービスより抜粋:「オーストラリアの外務貿易省は7日、東日本大震災からの復興を何らかの形で支援したいという機運がオーストラリア国内で高まっていることに応えて、被災者へ義援金を送る方法などの情報を集めたウェブサイトを、立ち上げました。」
ここです!http://australiahelps.gov.au/japan/ (英語)
詳しいかといったらちょっと違いますがなにができるか、何をしない方がいいかについて分かりやすく書いてあります。これから自分はここにお世話になりそうです。
そして遅くなりました!4月5日のレクチャーの感想です!
レクチャーはEating Disorders Victoria主催、スピーカーはそこのEducation OfficerであるDr Naomi Crafti。
タイトルは「自分の体を好きになれないときどうするか?」という、摂食障害そのものというよりもそれに関連するボディイメージの問題についてのレクチャーでした。
摂食障害は主にティーンエイジャーが罹患する疾患とあり、さらに家庭や親子関係が関わってくるということもあり、ティーンエイジャーの子供を持つ親へ向けたレクチャーとなっていました。
やはりそれくらいの母親と思われる方々が聴衆には多かったです。確かに子供とのコミュニケーションは母親の方が多いですし、このレクチャーで親側が気をつけることなどについては母親に当てはまる事が多かったですが父親が来ちゃいけないことはないですし、知っておいて損はないですし、子育ての姿勢としても父親がこういう場にいるのは望ましいんじゃないかな―とふと思ったり。
(ちなみに摂食障害についてこのブログで心血を注いだエントリーがこちらにあります。そちらもどうか参照お願いします。)
摂食障害の根本にある問題として自分の身体を好きになれない、そのままで受け入れられないことによる自分の身体の認識の歪みだったり、身体の外見に関して非現実的な理想を持つ、などの問題があります。
これをひっくるめてボディイメージの問題と扱います。
実際ティーンエイジャーという自己・外の世界の認識に多くの不安がある時期でなくとも自分の外見には何かとコンプレックスを持ったり、良いところよりも悪いことが目立ってしまうものらしく。
で、やはり(前述ブログエントリーでも触れましたが)昨今のメディアでの外見重視・瘦せ型重視(マガジンなどでのモデル、俳優などなど)、そしてオーストラリアやアメリカなど肥満大国と呼ばれる国での肥満恐怖・風当たりの強さはネガティブなボディイメージに拍車をかけているらしく。
そして化粧品やダイエット食品などを始め外見を変える類の商品を売る場合の宣伝・広告テクというのは基本「あなたの外見に問題がありますよ」というところを強調することで商品を売るので。
各種メディアが自分のボディイメージを肯定することを妨げ、同時にとても非現実的なボディイメージを理想として打ち出しているということは本当に大きいです。
(よく知られている例としてもしもバービー人形が人間だったら体型的にはとても立てることどころか生命を維持できないであろうということが上げられますね。結構良く聞くたとえ話。)
こういったボディイメージの問題は若い女性のみならず、最近はもっと影響するpopulationの幅が広がっているそうです。もちろん実際太っているのみならず健康に何ら問題のない体型の人も。
年齢的に言えば思春期を迎える前の子供でも以前よりお洒落や化粧に興味を持つ子が増え、自分の外見をもとよりもっと良くしよう、という意志がより高くみられるようです。
そして摂食障害の患者さんの年齢は下限だけでなく上限も広がっているとの話も。
さらに男性も(より大きく、より小さくどちらでも)自分の身体に不満を持つ人が増え、摂食障害の男性患者さんも増えているとのことです。
(10年前私が入院しているときの仲間にも主疾患ではなかったそうですが摂食障害的なものを抱えた男の子がいました。今はだからもっと増えているのでしょうか。病院での摂食障害専門のお医者さんは女性でしたが男性の専門家も需要がますます増えますね)
今回のレクチャーさんのスピーカーさん曰く、外見や体重、体型についてからかったりいじめたりすることはどこでも珍しいことではないのですがそれは例えば人種や障害、性別などについて差別することと同じように捉えるべきである、ということで。
今の社会においては同じくらい深刻な問題である、ということでもあります。
痩せてるか太ってるか、と外見で判断するのでなく健康(的)であるかどうか、というところに重要点をもってかなきゃいかない、と。
特に友達とそういう外見の話になることはティーンは多いと思われるので、家庭では少なくともそうでないものの大切さなどにフォーカスをシフトしていくことを大切にしないと、という話がありました。
家の中で子供におって親が良き模範になることが大切だって事が強調されていて。
以前他のところでも聞いたのですが差別というのは家庭の中の環境、親の影響により生まれることが多いらしいです。
ただやはりティーンエイジャーとなるとちょうど家族よりも友達の繋がりを大切にし始める時期なのでそこのところ本当に難しいですが・・・
あとはダイエットの悪影響について。
ダイエットは体重を減らすどころか逆効果になる、(あと運動することと体重を減らすことを繋げちゃいけない、という話だったり)それだけでなく、ダイエットにより起きるDisordered eating = 不健康な食習慣は摂食障害のリスクになる、という。
Disordered eatingには食事を抜かしたり、食物の種類を抜かしたり偏らせたり、大量に食べたりそれを吐いたりなど些細と思われる、誰でも経験があるようなことから明らかにいけないぞ、と分かることまでいろいろあります。
Disordered eatingはそれが習慣化することによっていろんな影響を人に及ぼします。
食事を抜かすことによる血糖値の急降下、その反動として大量に食べることによる急上昇だったり、栄養の偏りだったり。さらには食により自分の身体に栄養を与え養う、ケアする感覚を失い、摂食障害に関するリスクを作り兼ねない、ということらしいです。
(ちなみに最近ではOrtholexia Nervosaという、健康に食べることに過度に神経質になるという現象もあるそうです)
摂食障害のサインを子供に認めたとき、親としてはどうしたらいいか、というのがおそらくこのレクチャーで聴衆が最も興味あるポイントだったのではないかと思います。
そういった自己破壊的な行動を止める際、権力を振りかざしたり批判したり、うまいことだまそうとしたりせず、外見のことや食べることについて追求するのではなく健康について心配している、とかに焦点をシフトしないとぶつかるばかりだ、という話がありました。
摂食障害を防ぐ、食い止めるために育て養う考え方や感覚はたくさんあります。
まずは友達、家族と繋がっている、愛のある繋がりを持つこと。他人に大切にされていると感じることは自分を大切にすること、自分を愛することに繋がります。
(ここでちょっと自分が思ったことなのですが恋人と心で愛し合うだけでなく身体でも愛し合うこともこれに繋がるんじゃないかなあ、と思います。恋人に身体を好きだと言われたり表現されたり、また他人の身体を愛しその愛を表現することはボディイメージに大きな意味を持つと思うんですよ。)
さらに自分の良いところと悪いところ、できることできないことを理解して受け入れること(そして同時に現実的な理想像を持つこと)、そしてそれにより自分に自信を持って、自己意識を高め。プラス自分の存在・人生には意味があるんだと実感できる、例えば何か打ち込めるものを見つける、など。
そして他の差別と同様、体型に関しても「違い」を愛し、好きになり、寛容な視点を持つことも大切です。
幸せはどんな体型の人にもやってくる、痩せる=幸せになる、ということではないと。
あとは「食」を大切にすること。食事の時間を大事にし、食事が自分の心と体を養うことを実感すること。(料理することもまた良いそうです)
そして摂食障害の性格的なリスク要因として完璧主義的な傾向があげられますが、間違いをおかすことを許し、間違いから学べるようすることで困難に耐えられる力をつけることも大切だそうです(今の時代、ミスを犯すことに関して本当に厳しい世界ですからね)。
忘れてはならないのがメディアリテラシー。メディアにおける「理想像」が非現実的なものと気づくこと、商品広告は商品を売ろうとしている目的があることを考慮すること、などなど・・・
最後に、今回のレクチャーは主に西洋文化、ことにアメリカやオーストラリアに関しての話でした。
日本では若干事情が違うとは思います。
ここからは私のあくまでも今の、あまり事情をしらない上での印象なのですが・・・
日本ではもともと太りにくい人種ではありますし、肥満は豪・米ほど大きい問題とはされていません。
すらっとした人がもてはやされ(日本では男性も「細マッチョ」が人気とされてたりしますね)、太った人がそれでからかわれることはもちろんあります。(ただ日本の太ってるといわれる人ってそれほどでもないんですよね・・・そういうところは確かに問題。)
ただそのモデル細すぎるぞ!という声がなかなか上がらないのは問題意識が薄いのか、それとも比較的極端な傾向ではないからか、そこがわからないのですが・・・
ただ性格的・環境的要員に限って言えば完璧主義的、母子の繋がりが親密ではない場合が多い、人(友達など)の目を気にする、間違いをおかすことがタブーとされている・・・などの面で日本人は摂食障害のリスクが高いのではないかと思います。
なかなかこっちにいると日本のこういう事情って分からないのですが・・・わりと自分の中でのイメージとギャップを感じたり、疑問を感じたりしたので。
やっぱりこのエリアは本当に自分にとってキーだな、と思うので・・・レクチャーでプリントももらったりしたのでこれから勉強を続けなくちゃ!
今日の一曲: リヒャルト・ワーグナー 「ジークフリート牧歌」
昨日ちょっとTwitterでワーグナーの話をしていたので。
やる気がでるかといえばでないワーグナーです(笑)(とあるTV番組で言ってたらしいので。でもワーグナーの音楽でやる気が出るのは本当に有名なうちの一握りだと思います。)
何回も書いてますが自分はワーグナーの人柄・音楽が基本嫌いですがこれはまあまあ・・・かな。
(創作家としてはこの上なく尊敬していますが)
ちなみに同年代の周りの音楽家達もワーグナーはなあ・・・と苦い反応が多いのですが(ワーグナーといえばナチスをイメージする人も結構。まあ確かにそうなんですがね、強く)、「でもジークフリート牧歌だけはいい」という声も実は多かったり。
ジークフリート牧歌はワーグナーのわりとプライベートな作品、というか。
妻コジマ(リストの娘なんです)と子供達、特に生まれたばかり(ばかり、という感じではないか)の息子ジークフリートのために書かれました。
(ジークフリートは当時書いてたニーベルングの指環の登場人物からつけてるのかしら。あとイゾルデという娘もいるんですよね)
だからオペラなどではばかでかい編成のオケを使うワーグナーですがこの曲に関しては弦楽器中心の町アンサンブルを使用。
そしてロマン主義を過熟させた張本人と言われるほど感情やハーモニーを本当にいきつくところまでもってっちゃった彼ですがこの曲は本当にシンプルで、そのまま「牧歌的」で。
ドイツ音楽においてベートーヴェンの継承者は誰だ、という論争が昔も今もありますが、自分で立候補したワーグナーを当然(?)私は良く思わないんですが(ブラームス派なんです、断然)、でもこの曲を聴くと「ああなるほどな」と思います。
なんと言いますか、自然と繋がってる感じが本当にベートーヴェンに似てて。
前述「ニーベルングの指環」という巨大な楽劇(全部で15時間!)の中の「ジークフリート」という楽劇とこの曲は共通の音楽エレメントを使ってるのですが、この楽劇の物語の(ただの森でなく)神秘的な森、みたいなイメージもまた共通してる感じがします。
ニーベルングの指環は別ものでものすごく面白いので先ほどリンクしましたWikipediaの記事を見てみるのをお勧めします。
リラックスしたいとき、本当にお勧めの特別な曲です♪
(ただワーグナーらしいワーグナーではないのでワーグナーを知りたい方は別の曲の方がいいです)
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