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前のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日は昨日よりも大幅にぐるぐるするエントリーです。
ああ音楽の事が書きたいけれどネタが浮かばない・・・
でも一応ちょっと昨日の話とか昨日の一曲の話につながってるような。
以前「楽器と性格」シリーズできっと触れたと思うのですが、私が思う「チェロ気質」の特徴の一つとして「興味の幅・視野は基本広いが、本当に好きなものはかなり狭く濃く、のめり込んだらひたすらはまる」というのがありまして。
昨日の話に関連するキーワードでいうと専門志向、スノッブ的な、象牙の塔など、まあそういう(自分が思うところの)深みにはまってしまって周りが見えなくなる可能性がある、そんな性質が自分にあることを自覚していて。
あと一般的に「好きなものは多い方が楽しい」との信念(?)もありなるべく好きなもの、興味の幅を普段から広げようと一応努力はしています。
例えば音楽であればクラシック音楽のなかの玄人好みのもの、特に現代音楽の一部に対してものすごい愛と執着心があって、他を疎む・軽んじる可能性があるのは重々承知なので、クラシック音楽の他の時代の音楽や他のジャンルの音楽も聴いたり、なるべくオープンな態度を心がけています。
もちろん自分の、いわゆる専門の音楽(特にクラム)に限らずですが音楽だけじゃなくていろんな方面に広い知識と想像力、インスピレーションの種になるものが求められますし。それはもちろん音楽だけじゃなくて創作もそうですし、普段普通に暮らしていてもきっとそうですね。
そうやって好きなものを広げていくと、「普通に好き」なものが広がるだけじゃなく、「ものすごく集中して好きなもの」も増えてきて。今それで贅沢な悩みに大いに悩んでるところです。
たまーに(オーストラリアで頼むと時間がかかったり、ということもあり)日本でamazonでCDやらDVDを頼もうとしているのですが、絞るのが本当に難しい!
クラシック系統でこっちのお店で手に入らないやつはもちろん(何よりもクラム優先)、たまのアルバムもゆっくり集めてますし、今回聖飢魔IIのDVDでおそらく妹とは優先順位が違うと思われるものも入手したいですし。
この「購入する」行為と「ものすごく集中して好きなもの」が悩みになったことは実は過去にもあって(笑)藤崎竜「封神演義」の完全版が出たとき、一時帰国中にセットで(全18巻)買ったことがあって、それをおそらく3分の2近くスーツケースに入れて持って帰って、さらに残りを他の荷物と送ってもらったり。
持ち前のせっかちさもあり「好き」という気持ちと「もっと知りたい」という思いに行動を追いつかせようとすると大変になるのです。
封神演義、たま、聖飢魔IIなどでそうですが、結構「遅れてきたファン」になることが多いんですよね。すでに情報がかなりそろっている、だからそれを見て焦る、というのがあるような気がする。昨日の一曲のSpice Girlsなんかはものすごくリアルタイムにはまってたのでその都度その都度、だったわけですが。
そういうところを意識して、ちょっと困惑ににた思いを抱くのはやっぱりクラシック音楽と違うかな。クラシックだと(説明しにくいのですが)常にちょっとリアルタイムなところもあり、そうでないままずっと続いている部分もあり。
あとは昨日のSpice Girlsつながりで考えてたことは自分は当時Spice Girlsの「ファン」だったのかな、という事で。まあローティーンなりにそうだったのかな、と思います。シングルこそ一枚も買ってませんが、アルバム2枚、ライブのビデオも何回も見ましたし、映画は確か最初は映画館で見たような気もしますし。まああとは歌ったり踊ったりも、ね(若かったなあ!)
この「ファン」という感覚もものすごく自分にとって掴みにくい、というか。
(好きだったら好きでそれでいいじゃないか、と思えないところがまた自分の考えすぎる癖で、いいところでもあり悪いところでもあるのですが・・・)
少なくとも自分にとって一番心を注いでいるのは弾くにしても聴くにしても勉強するにしても(ざっくりくくれば)クラシック音楽で、なかなかそれと同じような気持ちってのはないのですよね。それは自分が「弾いているから」というだけでも差がでますが・・・
だから他のジャンル(というかジャンルで好きにならずにピンポイントで好きになる傾向なのですが)に対してはどうしても「自分はファンと言えるほどこれが好きか、これのことを知っていてそれだけ労力を注いでるか」ということに自信が持てなくなってしまう。
あとクラシック音楽において「ファン」のコンセプトがちょっと気持ち違うような気もするのですね。少なくとも私にとっては。
作曲家のファン、というのはあまりきかないですし、既に亡くなっている奏者のファン、というのもあまり聴かないですし。まあ単に「ファン」という言葉自体のイメージもあるのですが・・・
(でも私が以前クラム弾きの先輩がしたみたいにジョージ・クラムにメール書いたらファンレターになるんじゃないかな。あとマイケルには毎回CD買ったらサインしてもらってますしね(笑))
それからクラシックに明るい人はどっちかというと好きなエリアよりも嫌いなエリアの方が具体的な印象もありますし。
あとは弾き手としての専門分野、とかもちょっと「ファン」とは違いますしね。以前書いたかもしれませんが面白いのは「メシアンが好き」というメシアン弾きの人はほんとうにメシアンにぞっこんで彼の作品をアクティブに、集中的に弾く傾向がある、ということで。なんとなくこれは「ファン」に近いものがあるかな。(リストもそういう傾向がありますが、ただ彼の場合は存命中に今でいうのと同じ意味の「ファン」がいましたからね。元祖スターですよ。)
人によっては弾いている、または好きな音楽・作曲家をどちらかというと神を崇拝するに近い感じで好きな人もいますが、それは他のジャンルにも一部いることですよね。
うーん、実際のところどれくらい感覚が違うんだろう。少なくとも私にとっては自分の専門分野としてのクラシック音楽と、他に集中的に好きなものを比較すると、「好き」の量はまあ比較するべきじゃないけど質(善し悪しではなく)についてはやっぱり違うような気がするんですよね。
だからクラシックの方を好きだという感覚で他を捉えようとして困惑する。
それから情報量の差ももちろんありますね。クラシック音楽については(全体と比べるとわずかですが)自分の中にある程度評価材料だったり語りの材料だったりにもなり得るデータがある。たまについてもある程度はある(少なくとも自分が安定する程度には)。
それが欠乏していると今現在感じるのが聖飢魔IIですね。バンドが積み重ねて来たものの量に対して自分が好きでいた時間の長さが極端に短いですから。ここで「知らないといけない」(あくまでも自分が思う)という気持ちと好奇心とせっかちさが相乗効果を起こして「知りたい」と思う気持ちが跳ね上がるわけです(笑)
聖飢魔IIの(元)構成員様達も今は他のユニットでご活躍していて、ちらほらながらもそっちの音楽も耳に入る機会があり。でもファンと言うにも好きというにももっと知らなくちゃ、と思ってしまう私の心理に悩まされているところです(笑)ただ聖飢魔IIのCDとかDVDとかもあんまりそろってないのに・・・!という(笑)
例えば元・エース長官=現・ACEさんが今活動してらっしゃるface to aceの音楽をちらっと聞いて好きだなーと思いながら今いろいろなんとかやりくりしようとしていながらなにもできず・・・(苦笑)
(聖飢魔IIでもエース長官寄りなんですよね、と書こうとしたところでまたもや「それを判断するには情報が足りてない」と脳が言ってしまう。嗚呼考えすぎ気質。あと偏らずに広く全員好きでいたい、という前述のような性質もきっと一枚噛んでる)
音楽に限らずですがきっと私の人生は気持ちが先走ってそれを思考がブレーキかけてなんとかまとめようとしながら行動がそのうちに必死に追いつこうとする、の繰り返しなんでしょうなあ。
なんか他人が読んで面白いかまったく分からない変なぐるぐるしたエントリーでしたがまたなんかちゃんとしたことを次回は書こうと思ってます。すみませんでした。
今日の一曲: フランシス・プーランク 即興曲第12番
最近始めたこの曲。正直言ってたいそうな曲ではないのですが、それでも(だからこそ?)魅力にあふれた一曲です。
ワルツ風に書かれたこの曲は「シューベルトを讃えて」書かれた曲です。関係があるかどうか分かりませんがシューベルトもまた即興曲(4つセットが2つ)が有名な作曲家ですね。
ワルツといえば以前紹介したロシアのバレエにおけるワルツとか、ウィーンの社交場で踊られたウィンナー・ワルツとか、交響曲の一部だったり組曲の一部だったり、いろんなスタイルがあります。シューベルトはウィーンっ子なのですがこの曲だとあんまりウィンナー・ワルツみたいにリズムを崩す(2拍目を早く、3拍目を遅く)のも違うなあ・・・と思いながら練習でさりげなくちょっと取り入れてみたり実験したりしているこの頃です。
出来が楽しみです(笑)
プーランクが楽譜に「1拍目を強く」というようなことを書いてるのですが、これ意識してやると結構腰が入りますね!軽やかに、優雅に、でもしっかりと、エネルギッシュに。
時代もそうなのかもしれませんがこのワルツの華やかさはなんだか既に足一本分くらい過去のものとなっているような、そんな空気もあります。何か知らないけど懐かしさがある、というか「here now」という感覚とは違う存在感がある、というか。
もともとワルツというのは19世紀において「流行」みたいな側面もありましたしね。
本当に明るくて華やかで、ちょっとパロディー的なユーモアもあって。本当に素直な目で見える分しかこの曲にはないような気もしますが、ひねくれた私でも全15曲からいくつか選ぶと決めた際「あ、これ弾きたいな」と思わせる何かがあって。
まだ音も十分にさらえてないながらも心のどこかでその「何か」を感じて、なんだか弾いててものすごく楽しんでます。
今日は昨日よりも大幅にぐるぐるするエントリーです。
ああ音楽の事が書きたいけれどネタが浮かばない・・・
でも一応ちょっと昨日の話とか昨日の一曲の話につながってるような。
以前「楽器と性格」シリーズできっと触れたと思うのですが、私が思う「チェロ気質」の特徴の一つとして「興味の幅・視野は基本広いが、本当に好きなものはかなり狭く濃く、のめり込んだらひたすらはまる」というのがありまして。
昨日の話に関連するキーワードでいうと専門志向、スノッブ的な、象牙の塔など、まあそういう(自分が思うところの)深みにはまってしまって周りが見えなくなる可能性がある、そんな性質が自分にあることを自覚していて。
あと一般的に「好きなものは多い方が楽しい」との信念(?)もありなるべく好きなもの、興味の幅を普段から広げようと一応努力はしています。
例えば音楽であればクラシック音楽のなかの玄人好みのもの、特に現代音楽の一部に対してものすごい愛と執着心があって、他を疎む・軽んじる可能性があるのは重々承知なので、クラシック音楽の他の時代の音楽や他のジャンルの音楽も聴いたり、なるべくオープンな態度を心がけています。
もちろん自分の、いわゆる専門の音楽(特にクラム)に限らずですが音楽だけじゃなくていろんな方面に広い知識と想像力、インスピレーションの種になるものが求められますし。それはもちろん音楽だけじゃなくて創作もそうですし、普段普通に暮らしていてもきっとそうですね。
そうやって好きなものを広げていくと、「普通に好き」なものが広がるだけじゃなく、「ものすごく集中して好きなもの」も増えてきて。今それで贅沢な悩みに大いに悩んでるところです。
たまーに(オーストラリアで頼むと時間がかかったり、ということもあり)日本でamazonでCDやらDVDを頼もうとしているのですが、絞るのが本当に難しい!
クラシック系統でこっちのお店で手に入らないやつはもちろん(何よりもクラム優先)、たまのアルバムもゆっくり集めてますし、今回聖飢魔IIのDVDでおそらく妹とは優先順位が違うと思われるものも入手したいですし。
この「購入する」行為と「ものすごく集中して好きなもの」が悩みになったことは実は過去にもあって(笑)藤崎竜「封神演義」の完全版が出たとき、一時帰国中にセットで(全18巻)買ったことがあって、それをおそらく3分の2近くスーツケースに入れて持って帰って、さらに残りを他の荷物と送ってもらったり。
持ち前のせっかちさもあり「好き」という気持ちと「もっと知りたい」という思いに行動を追いつかせようとすると大変になるのです。
封神演義、たま、聖飢魔IIなどでそうですが、結構「遅れてきたファン」になることが多いんですよね。すでに情報がかなりそろっている、だからそれを見て焦る、というのがあるような気がする。昨日の一曲のSpice Girlsなんかはものすごくリアルタイムにはまってたのでその都度その都度、だったわけですが。
そういうところを意識して、ちょっと困惑ににた思いを抱くのはやっぱりクラシック音楽と違うかな。クラシックだと(説明しにくいのですが)常にちょっとリアルタイムなところもあり、そうでないままずっと続いている部分もあり。
あとは昨日のSpice Girlsつながりで考えてたことは自分は当時Spice Girlsの「ファン」だったのかな、という事で。まあローティーンなりにそうだったのかな、と思います。シングルこそ一枚も買ってませんが、アルバム2枚、ライブのビデオも何回も見ましたし、映画は確か最初は映画館で見たような気もしますし。まああとは歌ったり踊ったりも、ね(若かったなあ!)
この「ファン」という感覚もものすごく自分にとって掴みにくい、というか。
(好きだったら好きでそれでいいじゃないか、と思えないところがまた自分の考えすぎる癖で、いいところでもあり悪いところでもあるのですが・・・)
少なくとも自分にとって一番心を注いでいるのは弾くにしても聴くにしても勉強するにしても(ざっくりくくれば)クラシック音楽で、なかなかそれと同じような気持ちってのはないのですよね。それは自分が「弾いているから」というだけでも差がでますが・・・
だから他のジャンル(というかジャンルで好きにならずにピンポイントで好きになる傾向なのですが)に対してはどうしても「自分はファンと言えるほどこれが好きか、これのことを知っていてそれだけ労力を注いでるか」ということに自信が持てなくなってしまう。
あとクラシック音楽において「ファン」のコンセプトがちょっと気持ち違うような気もするのですね。少なくとも私にとっては。
作曲家のファン、というのはあまりきかないですし、既に亡くなっている奏者のファン、というのもあまり聴かないですし。まあ単に「ファン」という言葉自体のイメージもあるのですが・・・
(でも私が以前クラム弾きの先輩がしたみたいにジョージ・クラムにメール書いたらファンレターになるんじゃないかな。あとマイケルには毎回CD買ったらサインしてもらってますしね(笑))
それからクラシックに明るい人はどっちかというと好きなエリアよりも嫌いなエリアの方が具体的な印象もありますし。
あとは弾き手としての専門分野、とかもちょっと「ファン」とは違いますしね。以前書いたかもしれませんが面白いのは「メシアンが好き」というメシアン弾きの人はほんとうにメシアンにぞっこんで彼の作品をアクティブに、集中的に弾く傾向がある、ということで。なんとなくこれは「ファン」に近いものがあるかな。(リストもそういう傾向がありますが、ただ彼の場合は存命中に今でいうのと同じ意味の「ファン」がいましたからね。元祖スターですよ。)
人によっては弾いている、または好きな音楽・作曲家をどちらかというと神を崇拝するに近い感じで好きな人もいますが、それは他のジャンルにも一部いることですよね。
うーん、実際のところどれくらい感覚が違うんだろう。少なくとも私にとっては自分の専門分野としてのクラシック音楽と、他に集中的に好きなものを比較すると、「好き」の量はまあ比較するべきじゃないけど質(善し悪しではなく)についてはやっぱり違うような気がするんですよね。
だからクラシックの方を好きだという感覚で他を捉えようとして困惑する。
それから情報量の差ももちろんありますね。クラシック音楽については(全体と比べるとわずかですが)自分の中にある程度評価材料だったり語りの材料だったりにもなり得るデータがある。たまについてもある程度はある(少なくとも自分が安定する程度には)。
それが欠乏していると今現在感じるのが聖飢魔IIですね。バンドが積み重ねて来たものの量に対して自分が好きでいた時間の長さが極端に短いですから。ここで「知らないといけない」(あくまでも自分が思う)という気持ちと好奇心とせっかちさが相乗効果を起こして「知りたい」と思う気持ちが跳ね上がるわけです(笑)
聖飢魔IIの(元)構成員様達も今は他のユニットでご活躍していて、ちらほらながらもそっちの音楽も耳に入る機会があり。でもファンと言うにも好きというにももっと知らなくちゃ、と思ってしまう私の心理に悩まされているところです(笑)ただ聖飢魔IIのCDとかDVDとかもあんまりそろってないのに・・・!という(笑)
例えば元・エース長官=現・ACEさんが今活動してらっしゃるface to aceの音楽をちらっと聞いて好きだなーと思いながら今いろいろなんとかやりくりしようとしていながらなにもできず・・・(苦笑)
(聖飢魔IIでもエース長官寄りなんですよね、と書こうとしたところでまたもや「それを判断するには情報が足りてない」と脳が言ってしまう。嗚呼考えすぎ気質。あと偏らずに広く全員好きでいたい、という前述のような性質もきっと一枚噛んでる)
音楽に限らずですがきっと私の人生は気持ちが先走ってそれを思考がブレーキかけてなんとかまとめようとしながら行動がそのうちに必死に追いつこうとする、の繰り返しなんでしょうなあ。
なんか他人が読んで面白いかまったく分からない変なぐるぐるしたエントリーでしたがまたなんかちゃんとしたことを次回は書こうと思ってます。すみませんでした。
今日の一曲: フランシス・プーランク 即興曲第12番
最近始めたこの曲。正直言ってたいそうな曲ではないのですが、それでも(だからこそ?)魅力にあふれた一曲です。
ワルツ風に書かれたこの曲は「シューベルトを讃えて」書かれた曲です。関係があるかどうか分かりませんがシューベルトもまた即興曲(4つセットが2つ)が有名な作曲家ですね。
ワルツといえば以前紹介したロシアのバレエにおけるワルツとか、ウィーンの社交場で踊られたウィンナー・ワルツとか、交響曲の一部だったり組曲の一部だったり、いろんなスタイルがあります。シューベルトはウィーンっ子なのですがこの曲だとあんまりウィンナー・ワルツみたいにリズムを崩す(2拍目を早く、3拍目を遅く)のも違うなあ・・・と思いながら練習でさりげなくちょっと取り入れてみたり実験したりしているこの頃です。
出来が楽しみです(笑)
プーランクが楽譜に「1拍目を強く」というようなことを書いてるのですが、これ意識してやると結構腰が入りますね!軽やかに、優雅に、でもしっかりと、エネルギッシュに。
時代もそうなのかもしれませんがこのワルツの華やかさはなんだか既に足一本分くらい過去のものとなっているような、そんな空気もあります。何か知らないけど懐かしさがある、というか「here now」という感覚とは違う存在感がある、というか。
もともとワルツというのは19世紀において「流行」みたいな側面もありましたしね。
本当に明るくて華やかで、ちょっとパロディー的なユーモアもあって。本当に素直な目で見える分しかこの曲にはないような気もしますが、ひねくれた私でも全15曲からいくつか選ぶと決めた際「あ、これ弾きたいな」と思わせる何かがあって。
まだ音も十分にさらえてないながらも心のどこかでその「何か」を感じて、なんだか弾いててものすごく楽しんでます。
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