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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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創作周りでぐるぐると
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
ちょっとお留守にしてしまいました。特別忙しいとかそういうこともなかったのですが、頭の中はだいぶせわしない感じだったかなあ・・・
昨日は珍しく(それも困りものですが)書き物を進めてました。まあ遅いこと!なんとかなりませんかねこれ!
ということで今日はこのブログにおける過疎カテゴリである創作周りの話を少し。

自分で考えて自分で形にして行くものではあるのですが、物語を書き進めていくとどうしても書きにくいところ、書くのが苦になるところって出てきますね。覚悟はしてたんですが。
表現が見つからないとかそういうのでなくて、面倒くさいというのでもなくて、心持ちとしてね、なんか・・・いやだな、と。
でもどんな出来事もストーリーがそれにかかってる、それをベース・原動力にして動くんですから、そこはちゃんと表現する側としてしっかりやらなきゃいけないんですがね。分かってるんだからやればいいのに。

以前ネットでのおつきあいがあったところで自分のストーリーのキャラクター(オリジナルでの)は書き手としての自分にとってどういう関係性か、という話をした記憶がぼんやりあって。
自分の創作物(ストーリーやキャラ)を自分の子供のように思う、という人も居ればそうでない人も居て。

私にとって自分の創作物は自分の子供ではまずないですね。
自分の書くキャラクターの一部は間違いなく自分より立場が上ですしね(汗)あんまり親みたいな顔するといやがられる、疎まれるというか。
あと自分のキャラクターに庇護的な態度で接すると動かしにくい気がするんですよね。キャラクターはある程度固まってくると自分で勝手に行動したり思考したりするんで、それをなんとか「形にさせてもらってます」位の立ち位置で接するとキャラクターが個々「らしく」動いてくれる、というあくまでも一書き手としての感覚。

キャラクターだと、モデルが居たり居なかったり、ちょこっとだけ参考にしたりといろいろなところから構築されるのですが、結構自分の一部を参考にしたりモデルにしたりすることは多いです。
自意識過剰がどこかやっぱりあるのは否めませんが、やっぱり自分をいろいろ分析したり観察したりすることが多かったりで使いやすいのと、あと自分だから心置きなく切り売りできるみたいな(違)

でも自分をモデルにしたケースに限らずですが、キャラクターの構築が進むと(あと時間の経過と共に)勝手に元のモデルから離れていくんですよね。書き手としてあんまりモデルを意識しなくなって、先ほど書きましたように個々「らしく」動いてくれればもう完全に独立した存在、とみなしています。
今のところ確立して何年も親しんできたキャラクターからまだモデルとなった人物の影響が強いキャラクターも居て、いろんなその成長のプロセスが喜ばしいのですが、「モデルとなった人から、書き手としての自分から独立を感じた瞬間」はおそらく一番嬉しい瞬間かもしれません。(そう書くとなんか子育てのようでもありますが)
とにかくいろんなキャラクターが自分の頭の中でそれぞれ所狭しとやいのやいのやってるのが楽しくて。そうやって自由になったところから書き手よりも立場が上になってしまったり、それも面白い。だからなるべく早く自由になって欲しいですし、自分の手を離れて寂しいことはないですね。

今いくつかストーリーを同時進行している中、自分にとってメインとなってるのがOMNIA cycleというシリーズで。ここ数年続けているものですが、亀の歩みよりもさらに遅いペースでぴくしぶの方にもアップしていて。
シリーズと言っても一つの世界で続く複数のストーリーではなく「複数の世界」に関する時の流れを扱うシリーズなのですね。で、人物だけでなくおのおの「世界」もそれぞれ違った程度ですがキャラクターのように使われる、みたいな。
このシリーズに関しては創作物が自分の脳内で創られるものと同時に「あたかもOMNIA cycleの世界が自分の外のどこかにあるかもしれないような」扱いというか認識というか。今の説明わかりにくくてごめんなさい。(ちなみにOMNIA以外のストーリーに関してはこの限りではないです)
それくらいの心構えがこのシリーズのスケール(最終的にいきつくところ)には必要、と考えたわけじゃないですが結果それが自然な認識になったようです。

このシリーズのごく一部のキャラクターが大変私に対して上から目線というかそういう感じなのはそういうストーリーのとらえ方の結果、ともいえるかも。当該キャラクターは私の事を書き手、創造主とは見てません。
(OMNIAに関しては自分の役割は文の書き手とかキャラクターの作り手だけじゃなくて「世界の創造主」みたいな面もあるのでそう扱ってくれるのは荷が軽く感じることはそうなんですがねえ)

自分の中にある物を形にするのが難しくても、書きたくないなーなんて箇所が出てきても、自分の創作のエレメント(キャラクターなど)は基本みんな愛しいですし、ストーリー上行き着くところは色々でも最大限生かしてあげたいな、と思っていますし。
細々とでもちゃんとやっていきたいなあ、と思います。(内外からのキャラクターたちの視線がいつもひしひしと痛いです)


今日の一曲: バーデン・パウエル 「宇宙飛行士」 (O Astronauta)



本当に小さい頃から聴き親しんでた曲なのですが、最近ちょっとヴィラ=ロボスをきっかけとしたブラジルが暑い夏の流れでまた思い出し、愛が再燃した曲。

父は昔からギターをやっていて、ジャンルは今でもよく分からないのですがクラシックのラテン系だったり、ボサノバだったり、ちょこちょこ弾いていて。
以前書いたかな、父は私が生まれる前から海外出張によく行ってて、初期(笑)はわりと中南米に行くことが多かったそうで(初海外は中南米だったとか言ってました)。
そのころからずっと父はブラジルの音楽が好きで、それが私が育っていく課程でごく自然に染みこんでいって・・・あまりにも自然だったんで今頃改めて浮上していたんですが。

ボサノバについては本当に基本的な知識しか知らないのですがとりあえずWikipediaさんはこんな説明をしてくれます。
今回紹介する「宇宙飛行士」のバーデン・パウエルがこの最後の方のボサノバアーティストのリストにのっていますが、彼についてのメイン記事を見てみるとどうも他のジャンルを取り入れたりとかしているみたいですね。その中にバッハがあるのは「宇宙飛行士」を聞いてもなるほど、と思いますし、それがヴィラ=ロボス(自分のブラジル音楽の拠点)となんとなくつながるところがあり。

ボサノバでもジャズでもなんといってもハーモニーが好きで。そしてボサノバはリズムがブラジルなのがこれまたツボ。
ちょっと自分には大人かな、という雰囲気はやっぱりあるものの、「宇宙飛行士」は割ととっつきやすいというかノリも雰囲気もジャストフィットな感じ。
やっぱり夜に楽しみたい音楽ですねー。

うーん、父が持ってた録音が見つからない。バーデン・パウエルのベストアルバムなんですが、この曲とあとSamba Tristeが一緒に入ってて。(後者も良い曲ですよ~)一緒に入ってるアルバムにないんですが・・・とりあえず2枚組のをリンク。1曲だけダウンロードもありですね。

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