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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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To destroy and create
前回のエントリーに拍手ありがとうございます-。

昨日書いたピアノの諸々懸念により今日は新しい曲を練習し始めてみました。
フォーレの前奏曲と、ラフマニノフの練習曲op.39から第7番。前者はできれば9曲中5つ選びたい。今のところ6曲まで絞ってます。後者は初めてな上に想定レパートリーの中だと一番難しいと思われるので早めにある程度こなしておきたい。
万が一大きなコードが無理だったときのためにも(万が一、ですが)。
ただ弾くことよりも今は一番時間の管理とプランニングが難しい。それから曲のチョイスも。

新しく曲を始めたり、昨日書いたゲームの諸々の理解だったり、創作の設定やキャラクターを考えたり、色々やってると自分は(せっかちな割には)熟考タイプというかスロースターターというか、とにかくじっくり腰を据えて考えることが必要だな、ということに気づいてきて。
全部が全部がゆっくりなのも困るなあ、と思うのですがよくよく考えて見ると何をするにしても基本のプロセスは一緒なような気がします。

ピアノで曲が弾けるようになって自分の演奏になっていく過程も、ゲームの世界観や設定を理解してゲームプレイに応用するのも、創作でキャラクターを作ったり世界を創ったりするのも、全部まず「破壊して」それから「作り上げる」プロセスから成ってるな、と思います。
破壊する、というのは字面ちょっとあれかな。要するに対象物(曲だったりキャラの全体的な印象だったり、または自分の見るもの聞くもの全般)をまず細かい部分に粉々に消化する、という意味で使ってるのですが。
作り上げる、はそのまま。破壊されたピースを集めて、それだけれなく自分が持ってるリソースなどもピースとして持ち寄って集めてそれも合わせて作る。もちろん破壊した前のものとは同じものにならない。

曲だったら習得する過程で一旦曲の全体像よりも個々の音、強弱、ハーモニーなど細かい部分にフォーカスして、そこから作曲家の意図を汲んだり自分の解釈などを加えて、自分のできることを踏まえて自分の演奏を作っていく、とか。
ゲームだったらクリーチャーの種類や特性、使える魔法とか個々に把握して、それをゲームの運びに応じて使っていく、とか。
創作だったら、例えばキャラクターの全体像がぼんやりあって、そこから虫眼鏡でみるみたいに詳細を一つずつ詰めていって完全な一人のキャラクターに仕立て上げていく、とか(この場合一次創作よりも二次創作のほうがこのプロセスに忠実かな。目の前にあるキャラクターを一旦自分の中で性格とか行動パターンとか癖とか思考回路を細分化してまた作り上げるみたいな。そういう意味ではもしかしたら物真似もそういうプロセスになるかも)。

ゼロから作り上げる場合でも「破壊する」プロセスは存在すると思うんです。自分の中にすでにある諸々、そして日々インプットされて糧となる、見聞きする諸々が何かを創る際には(部分的にでも、そして無意識でも)破壊されると。
自分にとってはこの「まず破壊する」プロセスがものすごく大事で、かなり意識してかみ砕くことが必要で時間もかかるものなのですが、逆にそれが労力を費やさずにできる人もいるんだろうなあ。
所謂典型的な「天才」のイメージはまるで魔法のように一見なにも無いところから創りあげるイメージがあるため、「作り上げる」プロセスが比較的楽である、だけじゃなくて「破壊する」プロセスも速く、ほぼ無意識にできる人間なんだろうな、と思います。

とにかく破壊する方も作り上げる方も時間がかかる私ですが、メシアンの音楽に限っては作り上げるプロセスが他の分野に比べて、そして破壊するプロセスに比べて若干楽なところがあるような気がしないでもなかったり。
もちろん最初のころは苦労したと思いますし、楽ならそれはそれで迷うこともちょこちょこありますが、一旦音楽言語だったり曲のコンセプトや音自体などを把握すると(それはちょっとやっぱり時間がかかる)大分楽になるような覚えはあります。
細かいところが難しくて全体像を創るのがそれほど、といえばラヴェルもそんな印象が。

ただ音楽に限らずですが破壊に費やす労力と作り上げる労力のバランスは創作するという経験の印象をものすごく左右しますね。
例えば上記「破壊するプロセスが難しいけれど作り上げるのが比較的楽」となると満足感を得られない人もいるんじゃないかな、と。
私はその逆の「破壊するプロセスが簡単で作り上げるのが難しい」ケースは音楽だったら「相性がよくないな」と思うような気がしますし、創作だったら完成させるのが難しくて没になり設定だけ残る(そして後で使い回す)ような。

そのバランスで言うと破壊して消化したまま作り上げが不十分、というのもやっぱり納得いかないものがあるような。
例えばゲームで設定とかキャラクターとかクリーチャーとか諸々周知して、それでそれをゲームプレイに生かしただけじゃ「作り上げる」プロセスとして不十分なところがあるみたいで。
だから昨日書いたとおり下手の横好きで好きなゲームについて語りたいと思いますし、ゲーム関係の二次創作で文を書きたくなるのもそういうところがあるのかな、と。

・・・ということをちょっと突発的に考えていたので今日書いてみた次第です。
「作り上げる」プロセスも大事だけれど「破壊する」プロセスも創作やその他諸々で大事にするべきだな、と思います。
(そして今振り返ってみるとこの2つのステップの構図はなにか新神話的なフレーバーがありますね。再生神話を連想させるプロセス、ということだけではなく、新神話主義の話でたびたび出てくる周りの世界を分析的に捉えて記号的に表現するプロセスに関連するところがあるのかも)

そして突発的に書いたため今日の一曲は選んでありませんでした。また次回。


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