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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Busy-ness
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
なんとか感覚も行動も感情も普段通りかな。諸々楽しめるのはいいですね、食べ物とかテレビとかゲームとか。

ということで改めていろいろ楽しみたいものはあるのですがただいま絶賛仕事が忙しい。案件がいっぱいくるのではなく一つのががっつりで精一杯。
それでピアノもまだ懸念ポイントがたくさんあって練習を休みたくなかったり。

そもそも仕事が今の状態で落ち着いてから仕事についてのエントリーを書いていなかったなあ、とここしばらく考えてました。(仕事カテゴリに4つもエントリーがあることにちょっと驚いたり。どれもだいぶ前ですがねー)

職業は「医薬翻訳家」としています。
つまりは医学とか薬学とか薬とかについての文書を翻訳しています。
でも実際はもっとカバー分野広いですね。医療に関する文章、薬に関する文章、薬の製造に関する文書、医療機器に関する文書、化粧品に関する文書、化学物質に関する文書、薬とか関係の会社のビジネス関連文書、などなど。
あと音楽関係のお仕事も入ってきたことあります。レアケースではありますが。

言語に関しては最近はほぼ100%日→英になりましたね。忙しい時期に英日が入ってきてすでに忙しいので断らなくちゃいけなかったりしたかな。年に1,2回くらい。
なかなか技術的な文書で日本語を書くのは難しいです。そして何より原稿は日本を読む方が早く頭に入ってきますし、英語の方がタイプするのも文章を書くのも速いので日英翻訳の方がいいです。

文書のスタイルも本当にいろいろで。
比較的堅い文書だと薬を開発する際の報告書とか計画書とか質疑の文書とかがあったり、機器のマニュアルもまたちょっと違った堅さがあったり。あと化学物質の安全性についての文書だったり。
堅くない文書だと商品紹介とか商品プレゼン、一般向けの手順的なものだったり。
で、その間に臨床試験(開発中の薬を人間で試す試験)の同意文書だったり、ニュースレターだったり、通信文書だったり。
一つの案件から次の案件に移ったときにそのスタイルのギャップみたいなものは感じますが、でもそもそもそれより新しい文書に移ったときの「文書見知り」の方が目立ちますが(汗)

その中だと紹介文とか「ナチュラルな英語」を求められる柔らかい文章の方がちょっと苦手だったりします。特に広告関連に近づいている時とかで造語というか普段使わないひねったフレーズを使ってあったりするとそれをなんとか変じゃない英語にすること、あとそれ以前にというかその独特のフレーズのニュアンスを読み取ったりするのが難しいです。

なので比較的堅い文書、人間らしさといえばいいのか書き手の個性?があんまり入ってこない文書のほうが好きで楽ですね。
(前も書いてると思いますが元々日本語という言語がちょっと文学的というかやわらかったり曖昧だったりふんわりしているところがあるので、堅い文書のほうが意図・意味がはっきりわかりやすく英語にする際に諸々調整しなくて済むようなところも)
工場関係の手順書とか薬の申請資料とか、一見文書に人間的要素が入ってないように見えるところで、その向こうで実験をしたり校正をしたり文書を使う人のこと、実際の風景を感じ取ろうとしたり・・・みたいな文書を通じての対人距離が一番かな。
そしてこういう「冷たい」ように思える文書が(たとえば化学物質の安全な取り扱いとか工場の衛生管理とか機器の取り扱い手順とか)ものすごく対象とする文書を使う人に対してものすごーく丁寧に緻密に書いてあるのでそういう意味での人間的要素は濃いかも。

そういうつながりだと臨床試験の同意説明文書はものすごく面白いですね。
同意説明文書は一般の方に向けてのものなので書くときももちろんそうだと思いますが翻訳するときもとにかくわかりやすく心がけて翻訳しています。
これから試験に参加するかどうかを決めてもらう文書なのでわかりやすく、だけじゃなくて相手が構えてしまわないよう、とか誘導しないようというのも大事なんだろうなあ、と文書から伝わってくるのでそれも大切にしています。

今翻訳してるのはさっき書いたのとどれとも違うあれで、初めての試みでちょっと模索しながらのところもあったりします。
きっちり専門用語は使うとこは使わなくちゃいけないけれど全体的な文章のスタイルはものすごく堅かったり難しかったりはしないほうが良いし、でも適宜指しているところははっきり正確じゃなけりゃいけないし。
そんなですが文書の中身は高校でほとんど生物学をとらなかった自分にはものすごーく基礎の勉強になります。ただやっぱり専門用語の頻度は普通翻訳する文書と比べて必然的にものすごく濃縮されてるので調べ物の量半端ない。Chromeのタブ12個くらい同時に開けてたりしました。
割と今回wikipediaでページの言語を変更するのが有用で。何かの「名前」を翻訳するときはいいですね。

ということで引き続き明日も仕事。腕の痛みが来たり来なかったりするのでストレッチをまた始めないと(汗)
そして暑い日続きなのでドクターとのアポの日に外を楽しんできたいと思います。


今日の一曲: ジョージ・クラム アメリカ歌曲集第2集「A Journey Beyond Time」より「Sometimes I feel like a motherless child」



こないだ注文したクラムのCDが来ないよー来ないよー(じたばたじたばた)という思いを込めて。
好きな曲で、だからこそあんまり聞かない曲なのですが今日ちょっとぶりに聞きました。やっぱり夕方~夜の間がベストな曲です。

アメリカ歌曲集はその名の通りアメリカという国(原住民や移民も併せて)に伝わるメロディーをベースにして書かれています。この「Sometimes I feel like a motherless child」は有名・・・なのかな?(私は聞いたことがあります。それからウィンストン・マルサリスがトランペットで吹いてるのも持ってます)
第2集は全曲アメリカの中でも奴隷としてアメリカに来た黒人(Afro-American)のスピリチュアル(霊歌)を題材にしていて。元々の歌はその厳しい境遇を哀愁のある美しいメロディーに乗せて歌い上げるのですが、クラムはその境遇や心境の厳しさをがっつりはっきり表現して、容赦なくつきつけてきて。この曲だったり「Steal Away」だったり「Nobody knows the trouble I see」だったり、すっごく暗くてすっごく辛い。

この曲が表すのはそんな故郷を離れて奴隷として働いている人の果てしない孤独ととてつもない絶望と、それでも心の中に残っている故郷への思い、わずかな希望。
遠くに聞こえる木琴による鳥の声、そこからの2番の「時々鳥になって飛んでいきたいと~」の歌詞とともに本当に空を翔るような音楽の仕立て方、そしてそこから溶けるように現実の絶望に戻る切なさ。元の歌の根底に隠していた厳しい思いをものすごく増幅させて前に出すクラムはほんと容赦ないながらも美しい音楽を書きますね。

で、皿洗いとか料理とかするときにこの曲を聴くときはたいてい一緒に歌うのですがこれが難しい。途中で(というかフレーズの途中で)キーが変わったりしますし、3番でメロディーの途中で「mm」を挟んだり。真剣な演奏の場合の表現力とかも加算するとかなり難易度高い歌曲なんだろうなあ。

曲も好きですが持ってる録音も大好きです。作曲サイドだけじゃなくて演奏サイドも繊細ながらその隠れたものをぐいぐい前に持って来る表現が強烈です。
試聴では歌部分が入ってないのが残念ですが、クラムの作品、特にアメリカ歌曲集を通じて大活躍する打楽器のこれまた独特ですごい表現がちょろっとだけ聞けますよ。「世界」を作りますね、彼の打楽器使いは。途中で「こわんこわんこわんこわん」と聞こえるのがちなみにMusical sawというのこぎり楽器ですよ。
クラムの打楽器(そして他のいろんな楽器・声)の作る世界、もっとたくさんの人に愛されるようになってほしいと心から思います。

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