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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Table-talking
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。

真・三國無双7with猛将伝、無印のストーリーモード始めました。呉です。史実ルートなので武将がばったばった死にます。生存フラグ拾う数は一番多いんじゃないかな。これはIFルートが大変だ。
それにしても呂布伝では陳宮が郭嘉に意地悪され、呉ストーリーでは孫策の命がかかってるステージで(孫策の死を予見してた)郭嘉がこっちに向かってくるわ(ちょっとだけパニクった)でずっと郭嘉に向かってチャージしてる気がします。魏ストーリーでは大事にするよ。

そして本題に入るまえにもう一つ。豪ABCのニュースでオーストラリアの御年100歳のダンサー・振り付け師(&衣装も作るらしい)についての記事がよかったので英語ですがこちらにもリンクしておきます。
プロ寿命が短いイメージのあるダンスで(しかも24歳と遅めのスタート)長く続けていること、そして片目の視力を失ったりしてもそれに合った新しいスタイルを見つけたり、年下の同業者に対する姿勢だったり。ダンスのみに限ったことじゃないけど、ダンスならではの体と創造性の関係性。
100歳になってこうなれたらすごいなあ。

さて、相変わらず昼は仕事に忙しくピアノをやる体力・精神力もなく、もちろん遊びに行ったりもできてないのですが、せっかくMunchkinの拡張も買ったしお酒もあるし、Munchkinでも囲碁でも500でもなんか軽く勝負がしたい気分にもなります。

多分これまでのアナログゲーム系統のエントリーで分かると思いますが私が友達とゲームをやるときはそんなにがっつりじっくりシリアスには遊びません。
(ただし親友の家族とScrabbleとかBananagramsとかボキャブラリー系ゲームをやると本気で挑まなきゃあっという間についていけなくなりますが)
特にここ数ヶ月は遊び方を覚えながら・教えながら遊ぶものが多いので自分やお互いの手札などを直接教えないながらも手札や進行に関してそれなりにしゃべる、いわゆるTable-talkingはよくやります。

その「ゲームを学ぶ過程のTable-talkingの大切さ」みたいなものをこないだのパブで囲碁の件で久しぶりに味わったような気がします。久しぶり、というのは500を高校の時に最初に覚えたときも大事だった覚えが。
特に囲碁はより経験がある人に見えることだとか考え方だとか、そういうのを盤を前にして繰り返し練習して吸収していくのが一番身につきやすいのかなー。(練習してませんが)

Munchkinでのtable-talkはまたちょっと違った性質で。カードの解釈を進行中に話し合うこともありますし、あとお互いを牽制するようなtable-talkもあったり。「それ使ったらこっちも考えるよ」的な明らかな脅しも出ました(笑)それでも全然オーケーなプレイスタイル。
(ゲームの進行を止めたりしない限りは大体オーケーなんですよね)

反対にtable-talkingをしないようにしてるゲームもすでにいくつか。
例えばDixitは些細なtable-talk(独り言含む)でも正解に導きやすいのでtable-talkingにはちょっと厳しめ。
500もみんな長いこと遊んでるのでちょっとしたtable-talkingでも手札とか思惑が読めちゃったりしてこちらもちょっとだけ厳しくしている感じ。(あと学校以来の友達で500では比較的table-talkingに厳しい子がいたのも影響してるかな)

私はtable-talkingがちょっとうまくないなと思います。ポーカーフェイスならいくらでも、でも囲碁の時みたいにうまくゲームを進めるためにうまいことtable-talkingをするスキルが低い、といいますか。(そもそもコミュニケーション全般に難があるのが一つの要因かと思いますが)。
500でも自分の手札の傾向をちらとにおわせて挑発したりできたら面白いかなーと思うのですが。
一番近い、というか自分の手札の傾向をにおわせたのがこないだ500やったときに手札が9とか10とかばっかりで終始「え゛-」とやさぐれながらプレイしたのですが、あれはやさぐれるしかなかったからなー。あんなに凡庸な手札は稀にしか見ない。

あとTable-talkingとはちょっと違うのですが友達同士でゲームするとゲーム終了後に(Dixit、500では1ラウンド後)に色々分析するのですが、ゲームプレイ自体と同じくらいこの後検タイム(読み:あとけんたいむ 出典:ぷっすま)が好きです。後ろ向きに分析してディスカッションして学ぶことは多いです。あと自分は物事をリアルタイムでなく後からじっくり考える方が好きなので(エピメテウス?)きっと必要な後検タイム。

ということで結論としてはやっぱりお酒を飲みながら友達とゲームがやりたい!ということです。いつになるやら。

そうそう、明日はイギリスから帰ってきてる(博士号こっちでとるそうで)ピアノ友達のコンサートに行く予定です。今年初コンサート。
大学の音楽仲間とはお酒をお供に色々話したいな。どうしてもご無沙汰になってしまうので。
ということで次回は今年初のコンサート感想エントリーの予定です。楽しみ。


今日の一曲: ヴィトルト・ルトスワフスキ 「葬送音楽」



そんなに曲数も人物も知らないし、手元に録音があっても聴く機会がそんなになく、でもものすごーく好きな作曲家、ヴィストルト・ルトスワフスキ。
できたらピアノ曲も弾いてみたいなあと思いながらなかなか手が出ず、手持ちのCD2枚くらいで増やさず数年経ってなんだか大変申し訳ない。

ルトスワフスキといえば「管弦楽のための協奏曲」とかピアノ協奏曲が一番のツボなのですがこの弦楽オーケストラのための「葬送音楽」も捨てがたい。
弦楽器だけだからこその世界、弓と弦の摩擦がたまらない音楽です。

ルトスワフスキの音楽ってものすごく黒いんですよね。闇というか黒。ショスタコとかアデス以上に黒い。なんというかブラックホールみたいに密度の高い黒。
この「葬送音楽」も最初から最後まで限りなく黒いのがなによりの魅力。たくさん音を重ねた不協和音で作る黒色にやみつきです。

あとルトスワフスキは十二音技法の音列を使ったり、シンメトリーを使ったりで数学・図形的な印象があったり。確かに難しいけどどっか掴むところがあるってのは現代音楽で大事。
あえて言えばバルトークと類似点がかなりあるのでバルトーク経由でルトスワフスキに入ってみるといいのかも。今調べたらこの曲自体はバルトーク追悼のために書かれた曲だそうです。

リンクしたのは手持ちの録音。色々入ってますがとりあえず「管弦楽のための協奏曲」と「葬送音楽」からがお勧めです。「舞踏前奏曲」もいいですし、「オーボエ、ハープと室内オーケストラのための協奏曲」もなかなかの曲者。好きです。

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