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数字でも体感でも確実に春になっているメルボルン。今年はエルニーニョがくるとかいう話も聞いているので例年通りカップデーの休日までに暑い日がくるかなあ。
こないだの日曜日は前から妹とプリンターなど買いに行く約束だったのですがサッカーの具合だったりメンタル&フィジカルの具合があったりついでに妹も結構がんばって買い物する用事があったので一日Chadstoneで買い物三昧になってしまいました。
英語圏では買い物でストレスを発散したりすることをRetail Therapyといいますが正にそれでした。買い物である程度すっきりするのはお財布には痛いですが(こないだ日本でも買い物したりしたし・・・)労力的には安上がりというか楽な気もします。金額的には色々安くすんだんでなおさらよし。ただあんまり頼りすぎないようにしよう。
服だったりプリンターだったり色々買って古い物を捨てて衣替えもして、というのもストレス解消になりますね。ただいつものことですがメルボルンではいっぺんに衣替えができるような天候じゃないので(まだニットとかタンスに残してある)衣替えでそんなにすっきりはできませんが。ほんと12月くらいまで油断ならない。
そして日本に行って文具関係の物欲がおさまったと思ったら今度は日本滞在中に編んでたショールが編み終わり近くて毛糸のオンラインサイトばっかり見てます。今回編んだパターンが良かったのかもしれないけどショール編むのが楽しくて一種のロスになりそうなので次に編むショール(パターンは選んである)のための「嵐の海みたいな緑とか青寄りのグレー」を探してます。
ただその前に今編み終わりそうなショールも色々することが。ショールとかは編み終わりの後アイロンかけたり水に浸けて広げて固定したりして形を整えたりレース穴を広げたりする作業が必要で。今編んでるやつは後者のやり方なので(物欲とは全く別に必要だから)固定するためのピンやらワイヤーやらマット(子供が遊ぶ用の安いやつで済ませた)やらを購入。これで今後もはりきってショールが編めるというものです。
とりあえず編み終わったら&全部の工程が終わったら比較も兼ねて写真載せたいですね。夏にもいい色の毛糸ですし薄い作りなので夏に向けても使うのが楽しみです。ついでに以前書いたかわかりませんがショールを止めるピンも色々あったり、あとかんざしで止めるなんてこともできるらしい?のでそこまで含めて楽しみです。楽しみを増やすためにもっとショールを編(後略)
今日の一曲: ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ 「クラヴサン曲集」第1巻より「スキタイ人の行進」
ちょっと時間が経っちゃいましたが今年の英国夏の音楽の祭典BBC Promsを録音で聴いて印象に残った曲から。他にもヴォーン=ウィリアムズのDona Nobis Pacemだったりバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」なんかも好きになりましたねー。録音の物欲もまたふつふつと。
この曲が演奏されたのはJean Rondeauというハープシコード奏者の(他のPromsのコンサートよりちょっと短めの)リサイタルで。やっぱりハープシコードというとこの曲も含めバロック時代周りの作品が多いですが現代曲もやったりして面白かったです。
ロワイエはその時まで聞いたことがなかったのですがちょこちょこ調べてみるとハープシコードのために素晴らしい曲を書く作曲家としてその筋には有名らしく。色々録音も探すと出てくるのですがやっぱりこの「スキタイ人の行進」がインパクトとしては圧倒的。
なんたってまず技巧の華やかさ。ピアノと違って鍵が軽いハープシコードはピアノよりも速く&軽い音で細かい音を弾けます。さらにハープシコード独特の「爪弾く」音色でこういう派手な音階とか和音とかを弾かせるとざかざかいうのが気持ち良い。音量こそピアノには敵わないけどパワフルだよなー。
ところで「スキタイ人」といえばプロコフィエフの「スキタイ組曲」にもありますが音楽においては「※あくまでもイメージです」案件なんですね。なかなかこの曲だけだとどういう民族をイメージしていいか難しいですが中国に対する匈奴みたいなある種の恐怖対象だったのかな、といことはかろうじて。遊牧騎馬民族すごいな。
録音はさすがというかたくさんありますね。でもやっぱり一瞬で惚れたJean Rondeauの演奏を。試聴ないけどここは間違いないと私を信じていただきたい。
そしてスカルラッティ弾いてるアルバムもあるみたいでこちらも聴いてみたい。スカルラッティは演奏だけでなく曲のチョイスも楽しみ所(ソナタとにかくたくさんあるので)です。
こないだの日曜日は前から妹とプリンターなど買いに行く約束だったのですがサッカーの具合だったりメンタル&フィジカルの具合があったりついでに妹も結構がんばって買い物する用事があったので一日Chadstoneで買い物三昧になってしまいました。
英語圏では買い物でストレスを発散したりすることをRetail Therapyといいますが正にそれでした。買い物である程度すっきりするのはお財布には痛いですが(こないだ日本でも買い物したりしたし・・・)労力的には安上がりというか楽な気もします。金額的には色々安くすんだんでなおさらよし。ただあんまり頼りすぎないようにしよう。
服だったりプリンターだったり色々買って古い物を捨てて衣替えもして、というのもストレス解消になりますね。ただいつものことですがメルボルンではいっぺんに衣替えができるような天候じゃないので(まだニットとかタンスに残してある)衣替えでそんなにすっきりはできませんが。ほんと12月くらいまで油断ならない。
そして日本に行って文具関係の物欲がおさまったと思ったら今度は日本滞在中に編んでたショールが編み終わり近くて毛糸のオンラインサイトばっかり見てます。今回編んだパターンが良かったのかもしれないけどショール編むのが楽しくて一種のロスになりそうなので次に編むショール(パターンは選んである)のための「嵐の海みたいな緑とか青寄りのグレー」を探してます。
ただその前に今編み終わりそうなショールも色々することが。ショールとかは編み終わりの後アイロンかけたり水に浸けて広げて固定したりして形を整えたりレース穴を広げたりする作業が必要で。今編んでるやつは後者のやり方なので(物欲とは全く別に必要だから)固定するためのピンやらワイヤーやらマット(子供が遊ぶ用の安いやつで済ませた)やらを購入。これで今後もはりきってショールが編めるというものです。
とりあえず編み終わったら&全部の工程が終わったら比較も兼ねて写真載せたいですね。夏にもいい色の毛糸ですし薄い作りなので夏に向けても使うのが楽しみです。ついでに以前書いたかわかりませんがショールを止めるピンも色々あったり、あとかんざしで止めるなんてこともできるらしい?のでそこまで含めて楽しみです。楽しみを増やすためにもっとショールを編(後略)
今日の一曲: ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ 「クラヴサン曲集」第1巻より「スキタイ人の行進」
ちょっと時間が経っちゃいましたが今年の英国夏の音楽の祭典BBC Promsを録音で聴いて印象に残った曲から。他にもヴォーン=ウィリアムズのDona Nobis Pacemだったりバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」なんかも好きになりましたねー。録音の物欲もまたふつふつと。
この曲が演奏されたのはJean Rondeauというハープシコード奏者の(他のPromsのコンサートよりちょっと短めの)リサイタルで。やっぱりハープシコードというとこの曲も含めバロック時代周りの作品が多いですが現代曲もやったりして面白かったです。
ロワイエはその時まで聞いたことがなかったのですがちょこちょこ調べてみるとハープシコードのために素晴らしい曲を書く作曲家としてその筋には有名らしく。色々録音も探すと出てくるのですがやっぱりこの「スキタイ人の行進」がインパクトとしては圧倒的。
なんたってまず技巧の華やかさ。ピアノと違って鍵が軽いハープシコードはピアノよりも速く&軽い音で細かい音を弾けます。さらにハープシコード独特の「爪弾く」音色でこういう派手な音階とか和音とかを弾かせるとざかざかいうのが気持ち良い。音量こそピアノには敵わないけどパワフルだよなー。
ところで「スキタイ人」といえばプロコフィエフの「スキタイ組曲」にもありますが音楽においては「※あくまでもイメージです」案件なんですね。なかなかこの曲だけだとどういう民族をイメージしていいか難しいですが中国に対する匈奴みたいなある種の恐怖対象だったのかな、といことはかろうじて。遊牧騎馬民族すごいな。
録音はさすがというかたくさんありますね。でもやっぱり一瞬で惚れたJean Rondeauの演奏を。試聴ないけどここは間違いないと私を信じていただきたい。
そしてスカルラッティ弾いてるアルバムもあるみたいでこちらも聴いてみたい。スカルラッティは演奏だけでなく曲のチョイスも楽しみ所(ソナタとにかくたくさんあるので)です。
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突然の2日連続更新です。しかも久しぶりのメンタル系エントリー。
というのも久しぶりにドクターのとこに行ってきて色々思うことがあったというわけで。
ドクター(ちなみにここ数年で休みにちょくちょく日本に行くようになってすっかり日本好きのアジア系オージーになったようです)とのアポが年2になって、大体内容も日常諸々送れてるか+血液検査とか薬とかの話+その他双極性障害周りに直接関係しない参考情報でさくっと30分しないくらいな流れになって数年経ち。薬もこの先止めていく方向になるか、みたいな話も2回くらい出てます(1回目は前回のアポで秋冬を前にしてちょい自信ないなーみたいなことは言いましたが)。
今日は特にこれまでを振り返って、とまではいかないもの(さくっと30分しなかったはずなので)これまでに積み上げてきたものに言及することがあり、それで後からノスタルジーというか色々思うことがあり。
今のドクターに変わってからもう10年ちょい?くらいになるのかな。薬で状態を底上げして(というか双極性障害なので上も下も安定化、が正しいかな)、結局どれだけ効いたか評価は難しいながらもECT(電気けいれん療法)も受けて。
それに加えての自分の趣味を軸にした認知行動療法を続けてその中で生活指導にも多分かかる生活などでの諸々のルーティンの確立だったり自分の状態を評価する手はずだったり諸々のイレギュラーに対する解決策や予防策なんかを練ってきたりしたわけです。
10年くらいかけて色々学んだり試したり構築してきたものが実を結んで、天気や気候の変化だったり生活リズムの変化(旅行含む)だったり趣味を増やしてみた結果だったり、そういう外的要因にメンタルがゆらぐことはほとんど無くなった気がします。例えば前回のエントリーで書いた「旅前に(=ルーティンを壊すことに)不安を感じなくなった」なんかが良い例ですね。前はもっと融通が利かなかったというかルーティンにしがみついてた感が。今では強固かつフレキシブルなシステムがしっかり確立された実感があります。
だから最近もっと旅に出てみたくなったり試合毎に一喜一憂したりたまに夜更かししたりがある趣味であるサッカーに没頭してみたり、そういうのもいけると自信がついた気がしますね(もちろんこれからも気をつけなきゃいけませんが)。なるほどそういう経緯でこう感じられるようになったのか、と腑に落ちながらちょっと誇りに思ってます。
前のエントリーにも書きましたが「自分にとって機能するシステムを構築する」というのはものすごい楽しいというか満足感があるというか、自分にとって力になりますね。機能するだけにとどまらずそのシステムを超えて自由がきくって上等も上等じゃないですか。よくやったよ自分。
ということでお祝いとまではいかないし(高い万年筆をこないだ買った手前)自分にご褒美という気分でもないのですがとりあえず一つmilestoneの記録としてここに書きたいと思いました。あ、でも薬を完全に止めることになったらそのときにはお祝いかな。まあそれはその時に。
今日の一曲: パブロ・カザルス 「鳥の歌」
前回のスペイン音楽の続きの話にちょっとなるのかな。この曲は全く別件で聴いてた曲ですが。
帰りの飛行機はクラシック音楽結構面白いのがあったのでSlava Grigoryanのアルバムを聴いてみたりハープ音楽を聴いてみたり、そしてリンクしたチェロ+ギターのアルバムがあったので聴いてみたり。楽器の組み合わせも好きながらこの曲を始め曲の取り合わせもなかなか面白く、でも結局寝て過ごしてしまったので今度購入して聴かなければ(汗)
さてこの「鳥の歌」は作曲家が偉大なチェリスト、パブロ・カザルスとなっていることが多いですが元々はスペインのカタルーニャの民謡です。前回のエントリーでスペイン各地方の音楽の特色としてカタルーニャはメロディーが強いと書きましたがこの曲は良い例です。シンプルだけどパワフル。歌うのもそうですがチェロで弾くのもまたいい。さらにその上に歴史的政治的な背景を乗っけるとさらに強烈です。(それなしでも美しいですけどね!)
このアルバムもチェロのメロディーで泣かせる曲結構入ってますね-。ラヴェルのカディッシュとかもう大好き。ちゃんとは聴いてないですがシューベルトの歌曲とかジョン・ラターの歌曲とかも食指動きまくり。同じスペインだとアランフェスがまたメロディーの名曲ですがファリャの「ホタ」がちょっと違う路線で面白い(リズムが強い方のスペイン)。オーストラリアからKats-Cherninの有名なのが入ってるのも嬉しい。あとはバッハ以前の声楽曲とかももっと聴いてみたいしいやあこのアルバムほんといつか入手せねば。そしてチェロの編曲に対する強さ半端ないですね。ありきたりな曲でないところでこんなにバラエティがあるアルバムもなかなかないし(半分くらいしか聴いてないけど)オススメしたいです。
というのも久しぶりにドクターのとこに行ってきて色々思うことがあったというわけで。
ドクター(ちなみにここ数年で休みにちょくちょく日本に行くようになってすっかり日本好きのアジア系オージーになったようです)とのアポが年2になって、大体内容も日常諸々送れてるか+血液検査とか薬とかの話+その他双極性障害周りに直接関係しない参考情報でさくっと30分しないくらいな流れになって数年経ち。薬もこの先止めていく方向になるか、みたいな話も2回くらい出てます(1回目は前回のアポで秋冬を前にしてちょい自信ないなーみたいなことは言いましたが)。
今日は特にこれまでを振り返って、とまではいかないもの(さくっと30分しなかったはずなので)これまでに積み上げてきたものに言及することがあり、それで後からノスタルジーというか色々思うことがあり。
今のドクターに変わってからもう10年ちょい?くらいになるのかな。薬で状態を底上げして(というか双極性障害なので上も下も安定化、が正しいかな)、結局どれだけ効いたか評価は難しいながらもECT(電気けいれん療法)も受けて。
それに加えての自分の趣味を軸にした認知行動療法を続けてその中で生活指導にも多分かかる生活などでの諸々のルーティンの確立だったり自分の状態を評価する手はずだったり諸々のイレギュラーに対する解決策や予防策なんかを練ってきたりしたわけです。
10年くらいかけて色々学んだり試したり構築してきたものが実を結んで、天気や気候の変化だったり生活リズムの変化(旅行含む)だったり趣味を増やしてみた結果だったり、そういう外的要因にメンタルがゆらぐことはほとんど無くなった気がします。例えば前回のエントリーで書いた「旅前に(=ルーティンを壊すことに)不安を感じなくなった」なんかが良い例ですね。前はもっと融通が利かなかったというかルーティンにしがみついてた感が。今では強固かつフレキシブルなシステムがしっかり確立された実感があります。
だから最近もっと旅に出てみたくなったり試合毎に一喜一憂したりたまに夜更かししたりがある趣味であるサッカーに没頭してみたり、そういうのもいけると自信がついた気がしますね(もちろんこれからも気をつけなきゃいけませんが)。なるほどそういう経緯でこう感じられるようになったのか、と腑に落ちながらちょっと誇りに思ってます。
前のエントリーにも書きましたが「自分にとって機能するシステムを構築する」というのはものすごい楽しいというか満足感があるというか、自分にとって力になりますね。機能するだけにとどまらずそのシステムを超えて自由がきくって上等も上等じゃないですか。よくやったよ自分。
ということでお祝いとまではいかないし(高い万年筆をこないだ買った手前)自分にご褒美という気分でもないのですがとりあえず一つmilestoneの記録としてここに書きたいと思いました。あ、でも薬を完全に止めることになったらそのときにはお祝いかな。まあそれはその時に。
今日の一曲: パブロ・カザルス 「鳥の歌」
前回のスペイン音楽の続きの話にちょっとなるのかな。この曲は全く別件で聴いてた曲ですが。
帰りの飛行機はクラシック音楽結構面白いのがあったのでSlava Grigoryanのアルバムを聴いてみたりハープ音楽を聴いてみたり、そしてリンクしたチェロ+ギターのアルバムがあったので聴いてみたり。楽器の組み合わせも好きながらこの曲を始め曲の取り合わせもなかなか面白く、でも結局寝て過ごしてしまったので今度購入して聴かなければ(汗)
さてこの「鳥の歌」は作曲家が偉大なチェリスト、パブロ・カザルスとなっていることが多いですが元々はスペインのカタルーニャの民謡です。前回のエントリーでスペイン各地方の音楽の特色としてカタルーニャはメロディーが強いと書きましたがこの曲は良い例です。シンプルだけどパワフル。歌うのもそうですがチェロで弾くのもまたいい。さらにその上に歴史的政治的な背景を乗っけるとさらに強烈です。(それなしでも美しいですけどね!)
このアルバムもチェロのメロディーで泣かせる曲結構入ってますね-。ラヴェルのカディッシュとかもう大好き。ちゃんとは聴いてないですがシューベルトの歌曲とかジョン・ラターの歌曲とかも食指動きまくり。同じスペインだとアランフェスがまたメロディーの名曲ですがファリャの「ホタ」がちょっと違う路線で面白い(リズムが強い方のスペイン)。オーストラリアからKats-Cherninの有名なのが入ってるのも嬉しい。あとはバッハ以前の声楽曲とかももっと聴いてみたいしいやあこのアルバムほんといつか入手せねば。そしてチェロの編曲に対する強さ半端ないですね。ありきたりな曲でないところでこんなにバラエティがあるアルバムもなかなかないし(半分くらいしか聴いてないけど)オススメしたいです。
結局旅先では更新せずでしたー。
ということで戻ってきましたメルボルン。日本は台風を2回かわしたものの天候に恵まれたとは言わない日も多く、総じてほんと湿気がすごかったなあという感じでした。
それでも旅したりだらだらしたりサッカーの結果に一喜一憂したり楽しく過ごしました。
大分旅慣れした感(=不安なく動けるようになった)もありましたし今後に向けて改善する諸々もできましたし。(発着空港のチョイスとか両親とまた落ち合うこととか、あと結局服買うことになるならもっと荷物少なく行こうとか)
多分日本+あと1回遠出するとメンタル的なフットワーク軽めに保てるんじゃないかなあ。
あんまり急に新しいことしたり慣れないことしたりはストレスに感じるのですが何か拠点としてちょっとでも使える事柄をうまく使って広げていくと新しいことにチャレンジしていく(その中でも主に自分にとってうまくいくシステムを構築する)のも楽しいです。動き続けられるように色々頑張らないと。
例年通り行ったとこ見たものだけじゃなく「買った物」も面白いのですがどこかで書く機会はあるかなあ。一つ言えることは(これは多分書きますが)しばらくこれ以上軸を買わないぞーと思える万年筆を買いました。あと「オーストラリアの生活でも着る機会がある和服」の一つの正解も。解決策が見つかるって爽快ですなあ。
そしてピアノも心機一転新しいレパートリーに。3週間も休んでたから諸々鈍ってるのはもちろんですがしばらくほっといた曲がそれ以上に大変なことになってたり。メシアンは放っておいても大丈夫なのにラヴェルはなんでこんなに難しいかな・・・・(ぶつぶつ)
あと諸事情でスペイン音楽やリストにさらなる挑戦があったりほんの気まぐれで色々足してみたり引いてみたり季節の変わり目を考慮してもかなりがらっと変わったレパートリーになりそうです。諸々の事情はまた今日の一曲で少し。
ということでまだがんがん仕事もピアノも遊びもいくぞー、と言える状態ではないですが徐々に調子上げてこうと思います。ついでに土曜日のバレエ再開も楽しみー。
今日の一曲: イサーク・アルベニス 組曲「イベリア」より「ラバピエス」
突然の話から入りますがゲームではあんまり私は「縛りプレイ」というものはあんまりしないです。ポケモン(メイン)のみ長くシリーズで遊んでるので「前使ったポケモンは極力採用しない」くらいの配慮(?)はしますが。
ピアノでも基本好きなもんを好きな時に弾く感じで、強いていえばショスタコの前奏曲とフーガやるときはバッハの平均律からも一曲選んでペアにする、とかくらいのもので。
それがスペインサッカーにはまった結果単純にスペインの曲を弾くだけでなくバルセロナとレアル・マドリーの「エル・クラシコ」=伝統の一戦なる試合になぞらえてバルセロナとマドリードの曲を弾こう、なんて思いついちゃったところから一時帰国中ずっと頭を悩ませる課題になってしまいました。
バルセロナは生まれも育ちもバルセロナ、カタルーニャの民族音楽を使った「歌と踊り」を書いてるモンポウで即決。ただこれまで弾いた「歌と踊り」5番と6番は創作要素がほとんどなので別の番号を選び。
マドリードの曲を選ぶのがとにかく難しかった。まずアルベニスの息子がレアル・マドリーで選手だったこともあり、ピアノ作品数もかなり多いので何かしらんあるだろうと思ったらこの「イベリア」を筆頭に地方(特に南方)の曲が大多数で。そもそも首都マドリードは様々なスペインの地方&時代の文化が入り交じってる場所でもあるから何をもってマドリードと考えるべきか、そこらへん全くの初心者にはなかなかさじ加減難しいところで。
で、アルベニスの晩年の作品にしてスペインのピアノ音楽の集大成的な性質があるこの組曲「イベリア」にも1曲だけマドリード題材の曲があって、それがこの「ラバピエス」で。なんとこの楽章、「イベリア」全体をメシアンが称賛してる中で特に高く評価していた楽章らしく。ただし同時にこの楽章は組曲最難というとんでもない落とし穴があり。12曲もある組曲を一番難しいやつから始めちゃいかんよなあ(ガクブル)という結論に。
ということで今回はまず同じアルベニスでも別の曲(マドリードというかカスティーリャを冠してるのでまあいいか)から始めてイベリアも(もちろん私も大好きな組曲なので)じわじわ攻めて長期プロジェクトにしていこうかともくろんでいます。これはこれで面白いし長く楽しめる。
(ただ反面バルセロナ方面はなかなか大きい・難しい曲がないのでこれからも「歌と踊り」からちょこちょこ拾って、という方向になるのかなあ)
昨日いろいろさらってみてすでにカタルーニャvsその他のスペインの地方いくつかの音楽の類似点や違うところが見れて面白いです。特にカタルーニャ音楽においてのメロディーの大きさ、それに比べて他地方でのリズムの強さのコントラスト。この「ラバピエス」もピアノ的な技巧に加えてリズムのトリッキーさが怖い、でも惹かれる。いつか弾いてやる。
スペインのサッカーの諸々をちょこちょこ学んでると地方同士のいろいろはケンミン的な話じゃなくて戦国に近いなにかもあるような感じもするのですがそれに絡めて音楽でもいろんな地方色を学べるのは一石二鳥以上の楽しみがあります。いつか「イベリア」を弾いてここで紹介文を書くときはそういうところも語れるようになってるといいなあ。
実際の曲以外のことで長くなったのでとりあえず試聴に任せますよ、と録音をリンク。アリシア・デ・ラローチャはスペインのピアニストなので専門分野ですし、手が小さいピアニストということで聴いてて私もチャレンジする勇気がわきます。
あ、結局今回マドリード代表として弾くことにした曲も入ってますねこの録音(セギディーリャは別題カスティーリャなのです)。
ということで戻ってきましたメルボルン。日本は台風を2回かわしたものの天候に恵まれたとは言わない日も多く、総じてほんと湿気がすごかったなあという感じでした。
それでも旅したりだらだらしたりサッカーの結果に一喜一憂したり楽しく過ごしました。
大分旅慣れした感(=不安なく動けるようになった)もありましたし今後に向けて改善する諸々もできましたし。(発着空港のチョイスとか両親とまた落ち合うこととか、あと結局服買うことになるならもっと荷物少なく行こうとか)
多分日本+あと1回遠出するとメンタル的なフットワーク軽めに保てるんじゃないかなあ。
あんまり急に新しいことしたり慣れないことしたりはストレスに感じるのですが何か拠点としてちょっとでも使える事柄をうまく使って広げていくと新しいことにチャレンジしていく(その中でも主に自分にとってうまくいくシステムを構築する)のも楽しいです。動き続けられるように色々頑張らないと。
例年通り行ったとこ見たものだけじゃなく「買った物」も面白いのですがどこかで書く機会はあるかなあ。一つ言えることは(これは多分書きますが)しばらくこれ以上軸を買わないぞーと思える万年筆を買いました。あと「オーストラリアの生活でも着る機会がある和服」の一つの正解も。解決策が見つかるって爽快ですなあ。
そしてピアノも心機一転新しいレパートリーに。3週間も休んでたから諸々鈍ってるのはもちろんですがしばらくほっといた曲がそれ以上に大変なことになってたり。メシアンは放っておいても大丈夫なのにラヴェルはなんでこんなに難しいかな・・・・(ぶつぶつ)
あと諸事情でスペイン音楽やリストにさらなる挑戦があったりほんの気まぐれで色々足してみたり引いてみたり季節の変わり目を考慮してもかなりがらっと変わったレパートリーになりそうです。諸々の事情はまた今日の一曲で少し。
ということでまだがんがん仕事もピアノも遊びもいくぞー、と言える状態ではないですが徐々に調子上げてこうと思います。ついでに土曜日のバレエ再開も楽しみー。
今日の一曲: イサーク・アルベニス 組曲「イベリア」より「ラバピエス」
突然の話から入りますがゲームではあんまり私は「縛りプレイ」というものはあんまりしないです。ポケモン(メイン)のみ長くシリーズで遊んでるので「前使ったポケモンは極力採用しない」くらいの配慮(?)はしますが。
ピアノでも基本好きなもんを好きな時に弾く感じで、強いていえばショスタコの前奏曲とフーガやるときはバッハの平均律からも一曲選んでペアにする、とかくらいのもので。
それがスペインサッカーにはまった結果単純にスペインの曲を弾くだけでなくバルセロナとレアル・マドリーの「エル・クラシコ」=伝統の一戦なる試合になぞらえてバルセロナとマドリードの曲を弾こう、なんて思いついちゃったところから一時帰国中ずっと頭を悩ませる課題になってしまいました。
バルセロナは生まれも育ちもバルセロナ、カタルーニャの民族音楽を使った「歌と踊り」を書いてるモンポウで即決。ただこれまで弾いた「歌と踊り」5番と6番は創作要素がほとんどなので別の番号を選び。
マドリードの曲を選ぶのがとにかく難しかった。まずアルベニスの息子がレアル・マドリーで選手だったこともあり、ピアノ作品数もかなり多いので何かしらんあるだろうと思ったらこの「イベリア」を筆頭に地方(特に南方)の曲が大多数で。そもそも首都マドリードは様々なスペインの地方&時代の文化が入り交じってる場所でもあるから何をもってマドリードと考えるべきか、そこらへん全くの初心者にはなかなかさじ加減難しいところで。
で、アルベニスの晩年の作品にしてスペインのピアノ音楽の集大成的な性質があるこの組曲「イベリア」にも1曲だけマドリード題材の曲があって、それがこの「ラバピエス」で。なんとこの楽章、「イベリア」全体をメシアンが称賛してる中で特に高く評価していた楽章らしく。ただし同時にこの楽章は組曲最難というとんでもない落とし穴があり。12曲もある組曲を一番難しいやつから始めちゃいかんよなあ(ガクブル)という結論に。
ということで今回はまず同じアルベニスでも別の曲(マドリードというかカスティーリャを冠してるのでまあいいか)から始めてイベリアも(もちろん私も大好きな組曲なので)じわじわ攻めて長期プロジェクトにしていこうかともくろんでいます。これはこれで面白いし長く楽しめる。
(ただ反面バルセロナ方面はなかなか大きい・難しい曲がないのでこれからも「歌と踊り」からちょこちょこ拾って、という方向になるのかなあ)
昨日いろいろさらってみてすでにカタルーニャvsその他のスペインの地方いくつかの音楽の類似点や違うところが見れて面白いです。特にカタルーニャ音楽においてのメロディーの大きさ、それに比べて他地方でのリズムの強さのコントラスト。この「ラバピエス」もピアノ的な技巧に加えてリズムのトリッキーさが怖い、でも惹かれる。いつか弾いてやる。
スペインのサッカーの諸々をちょこちょこ学んでると地方同士のいろいろはケンミン的な話じゃなくて戦国に近いなにかもあるような感じもするのですがそれに絡めて音楽でもいろんな地方色を学べるのは一石二鳥以上の楽しみがあります。いつか「イベリア」を弾いてここで紹介文を書くときはそういうところも語れるようになってるといいなあ。
実際の曲以外のことで長くなったのでとりあえず試聴に任せますよ、と録音をリンク。アリシア・デ・ラローチャはスペインのピアニストなので専門分野ですし、手が小さいピアニストということで聴いてて私もチャレンジする勇気がわきます。
あ、結局今回マドリード代表として弾くことにした曲も入ってますねこの録音(セギディーリャは別題カスティーリャなのです)。
本番行ってきましたー!・・・ということで今日はそちらの話を。
Zelman Symphony Orchestraコンサート
「From the Old World to the New」
場所:Xavier College、日時:9月1日午後8時開演
指揮者:Rick Prakhoff
アントニン・ドヴォルザーク 組曲「アメリカ」
サミュエル・バーバー 弦楽のためのアダージョ
サミュエル・バーバー オーボエと弦楽のためのカンツォネッタ(オーボエ:Thomas Hutchinson)
ボフスラフ・マルティヌー オーボエ協奏曲(オーボエ:Thomas Hutchinson)
Chris Pickering 「The Straightened Arrow」
アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第8番
プログラムの集客力が影響したのかいつもよりもお客さん少なめでした。勿体ないけどしょうがない。
面白いけど不思議なプログラムでしたね。普通新しい曲(=若い作曲家さんの曲)は最初の方で弾くから舞台に行ってマルティヌー弾き始めたときしばらく実感が湧きませんでした。そして管楽器のコンチェルトなのであっという間に終わってしまう。
オーボエのソリストはリハーサルの時から思ってましたがものすごく音が美しくて。でもマルティヌーくらいの量のピアノパートだと弾いてる間は完全に戦闘モードで音の美しさを味わってる余裕全然ないんですよね。なので舞台ONする前に裏でバーバーちょっと聴いておきました。またメル響でもソリストとしてもどこかで聴く機会があるといいなあ。
Pickeringの初演の曲についてはこれまであんまり話さないでおいたのですが演奏したので感想を。作曲家の背景がクラシック系じゃないとオケ使いってこうなるかーという感じでしたね。チェレスタパートをほとんどピアノに変えたのは正解だったけどオケの機能しかたについてはもっと勉強していただきたいかな。でも光る瞬間も結構ありましたしスタイルはある程度確立してたり意志もしっかりあって、今後どういう方向に進んでいくかちょっと楽しみでもあります。
かなり最近までこの曲は全貌が見えてこない、定着しない感じだったのですがコンサートが終わって以来ちょこちょこ口ずさむようになったので自分にとってはそこそこ愛着もありmemorableな曲、ということですかね。
そうそう、今回のコンサートのプログラムに多分来年コンサートが来るであろう日にちとレパートリーに関することがこっそり載ってました。まだ確定してないことも多いそうですが合唱曲、それからバイオリン協奏曲が2つあるとか。バイオリン協奏曲だったら私がパートがあるのはバルトーク2番(超難しいオケパートなのでやらないと思う)くらいですが合唱曲は意外と面白いパートがあったりするので具体例を考えないで指をクロスして待ちに入ることにします。
そして今年の最後のコンサートはこちら。晩年フォーカスなプログラム。曲数は少なくなりましたがそれでも序曲の代わりにハイドンの交響曲なのでボリューム的にはちょっと大きめになるのかな。私が出番があるのはシュトラウスの「最後の四つの歌」。チェレスタがあるはずなんだけどそんなに大きいパートではなさそう。でも大好きな曲なので弾くのがものすごく楽しみ。
ということでもうすぐ日本に出発です。それまでに書く時間はあっても書く事はあるのだろうか。日本に行ったら更新するのか。ということで次はいつになることやらということにしておきます。
今日の一曲: ボフスラフ・マルティヌー オーボエ協奏曲 第2楽章
しっかり身についた曲ですし弾いてて(難しいながらも)楽しかったですが最後まで変な曲だったなあこれ。そもそもマルティヌーが変な作風ということはわかっててもずっと首をかしげ続ける。和音の繋がり方が多分一番わからないんだろうなあ。
先ほどバイオリン協奏曲についても書きましたがそもそも他の楽器がソロ弾いてるコンチェルトでピアノとかが出てくることはごくごく珍しいケースです。特にピアノは音量と音の存在感(もっといえばビジュアルでの存在感も)が圧倒的なのでよっぽどのことがないと協奏曲でオケにいることはないはず。
そのよっぽどのことがこの曲ってのも不思議な話なんですよね。しかもずっと弾いてる。音の数ではソリストより多いんじゃないかというくらい。でも存在感としてはちょうどいいしサブソリストとしてのポジションにいい感じで納まる。そして意味なくピアノがいるわけじゃなくちゃんとピアノである意味がある。そこまで含めて不思議。
特にこの第2楽章ではピアノのパートは(1)弦楽器の和音に輪郭つける(2)オーボエソロのカデンツァをトレモロ和音で伴奏する、に大別されます。よりによってソリストの一番の見せ場で二人っきり(今回は指揮者さんも振らなかったし多分それが普通)。二人と話してたのですがなんか新古典派のハープシコードみたいだったりジャズの伴奏みたいだったり妙かつ絶妙なパートなんですよね。というか私がこの曲を「新古典派のハープシコード」って思った元ネタはおそらくファリャじゃないかな。となるとハープシコードばかりかスパニッシュギターにもつながってる&似てるってことになる不思議。
そのオーボエのカデンツァパートででてくる音階的なパッセージも東欧的というかジプシー的な流れがあってそれもスペインにつながったり。なんか考えると頭痛くなってくる(汗)
でもこの第2楽章すごい好きです。自分のパートの独特さもそうですがマルティヌーの独特な和音の連なりの色彩が静かな弦の音で活きて、オーボエのカデンツァはもうオーボエの一番いいとこがめいっぱい楽しめますし。またどこかで出会うことはあるのかな(そもそもこの曲でなくマルティヌーの音楽全般)。また機会があったら弾きたいです。
残念なのは録音をリンクするときにこの楽章だとオーボエが弾いてない部分ばっかりになっちゃうこと。とりあえずマルティヌーがどんな音楽書いてるか、だけでもなんとか・・・
プログラムの集客力が影響したのかいつもよりもお客さん少なめでした。勿体ないけどしょうがない。
面白いけど不思議なプログラムでしたね。普通新しい曲(=若い作曲家さんの曲)は最初の方で弾くから舞台に行ってマルティヌー弾き始めたときしばらく実感が湧きませんでした。そして管楽器のコンチェルトなのであっという間に終わってしまう。
オーボエのソリストはリハーサルの時から思ってましたがものすごく音が美しくて。でもマルティヌーくらいの量のピアノパートだと弾いてる間は完全に戦闘モードで音の美しさを味わってる余裕全然ないんですよね。なので舞台ONする前に裏でバーバーちょっと聴いておきました。またメル響でもソリストとしてもどこかで聴く機会があるといいなあ。
Pickeringの初演の曲についてはこれまであんまり話さないでおいたのですが演奏したので感想を。作曲家の背景がクラシック系じゃないとオケ使いってこうなるかーという感じでしたね。チェレスタパートをほとんどピアノに変えたのは正解だったけどオケの機能しかたについてはもっと勉強していただきたいかな。でも光る瞬間も結構ありましたしスタイルはある程度確立してたり意志もしっかりあって、今後どういう方向に進んでいくかちょっと楽しみでもあります。
かなり最近までこの曲は全貌が見えてこない、定着しない感じだったのですがコンサートが終わって以来ちょこちょこ口ずさむようになったので自分にとってはそこそこ愛着もありmemorableな曲、ということですかね。
そうそう、今回のコンサートのプログラムに多分来年コンサートが来るであろう日にちとレパートリーに関することがこっそり載ってました。まだ確定してないことも多いそうですが合唱曲、それからバイオリン協奏曲が2つあるとか。バイオリン協奏曲だったら私がパートがあるのはバルトーク2番(超難しいオケパートなのでやらないと思う)くらいですが合唱曲は意外と面白いパートがあったりするので具体例を考えないで指をクロスして待ちに入ることにします。
そして今年の最後のコンサートはこちら。晩年フォーカスなプログラム。曲数は少なくなりましたがそれでも序曲の代わりにハイドンの交響曲なのでボリューム的にはちょっと大きめになるのかな。私が出番があるのはシュトラウスの「最後の四つの歌」。チェレスタがあるはずなんだけどそんなに大きいパートではなさそう。でも大好きな曲なので弾くのがものすごく楽しみ。
ということでもうすぐ日本に出発です。それまでに書く時間はあっても書く事はあるのだろうか。日本に行ったら更新するのか。ということで次はいつになることやらということにしておきます。
今日の一曲: ボフスラフ・マルティヌー オーボエ協奏曲 第2楽章
しっかり身についた曲ですし弾いてて(難しいながらも)楽しかったですが最後まで変な曲だったなあこれ。そもそもマルティヌーが変な作風ということはわかっててもずっと首をかしげ続ける。和音の繋がり方が多分一番わからないんだろうなあ。
先ほどバイオリン協奏曲についても書きましたがそもそも他の楽器がソロ弾いてるコンチェルトでピアノとかが出てくることはごくごく珍しいケースです。特にピアノは音量と音の存在感(もっといえばビジュアルでの存在感も)が圧倒的なのでよっぽどのことがないと協奏曲でオケにいることはないはず。
そのよっぽどのことがこの曲ってのも不思議な話なんですよね。しかもずっと弾いてる。音の数ではソリストより多いんじゃないかというくらい。でも存在感としてはちょうどいいしサブソリストとしてのポジションにいい感じで納まる。そして意味なくピアノがいるわけじゃなくちゃんとピアノである意味がある。そこまで含めて不思議。
特にこの第2楽章ではピアノのパートは(1)弦楽器の和音に輪郭つける(2)オーボエソロのカデンツァをトレモロ和音で伴奏する、に大別されます。よりによってソリストの一番の見せ場で二人っきり(今回は指揮者さんも振らなかったし多分それが普通)。二人と話してたのですがなんか新古典派のハープシコードみたいだったりジャズの伴奏みたいだったり妙かつ絶妙なパートなんですよね。というか私がこの曲を「新古典派のハープシコード」って思った元ネタはおそらくファリャじゃないかな。となるとハープシコードばかりかスパニッシュギターにもつながってる&似てるってことになる不思議。
そのオーボエのカデンツァパートででてくる音階的なパッセージも東欧的というかジプシー的な流れがあってそれもスペインにつながったり。なんか考えると頭痛くなってくる(汗)
でもこの第2楽章すごい好きです。自分のパートの独特さもそうですがマルティヌーの独特な和音の連なりの色彩が静かな弦の音で活きて、オーボエのカデンツァはもうオーボエの一番いいとこがめいっぱい楽しめますし。またどこかで出会うことはあるのかな(そもそもこの曲でなくマルティヌーの音楽全般)。また機会があったら弾きたいです。
残念なのは録音をリンクするときにこの楽章だとオーボエが弾いてない部分ばっかりになっちゃうこと。とりあえずマルティヌーがどんな音楽書いてるか、だけでもなんとか・・・
色々とばたばたしてて月曜日にコンサート行ったのに感想書いてなかった!
でもその前に自分の本番が明日なのでお知らせから。
でもその前に自分の本番が明日なのでお知らせから。
Zelman Symphony Orchestraコンサート
「From the Old World to the New」
場所:Xavier College、日時:9月1日午後8時開演
指揮者:Rick Prakhoff
アントニン・ドヴォルザーク 組曲「アメリカ」
サミュエル・バーバー 弦楽のためのアダージョ
サミュエル・バーバー オーボエと弦楽のためのカンツォネッタ(オーボエ:Thomas Hutchinson)
ボフスラフ・マルティヌー オーボエ協奏曲(オーボエ:Thomas Hutchinson)
Chris Pickering 「The Straightened Arrow」
アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第8番
そこそこの時間&回数リハーサル行ってるし結構音の数弾いてるはずなのにこれまでで一番本番前の緊張がない。念のため言い聞かせるけど明日は早起きですよ。
でも新しい曲は最後のリハーサルで急に馴染んできた(あくまでも個人レベルでオケの他のみんなはわからない)。ただ今回いつもよりも音のバランスを気にする度合いが多めな気がするので最後のサウンドチェックも万全の体制で臨まねば。
さて月曜日に入ってきたのはこちらのコンサートでした。
A Shostakovich Celebration
Melbourne Recital Centre, Salon
ピアノ:Kristian Chong
バイオリン:Sophie Rowell、Matthew Tomkins
ビオラ:Christopher Moore
チェロ:Rachel Tobin
ドミトリ・ショスタコーヴィチ ビオラソナタ
ドミトリ・ショスタコーヴィチ ピアノ五重奏曲
1時間ちょいのコンサートでしたがまあ濃いのなんのって。三途の川(仮)の向こう側の住人のビオラソナタと比べるとピアノ五重奏曲は確かにbleakではないけど現実世界で色んなアングルから殴ってくるから聴いてても(そしておそらく弾いてても)大変なプログラム。
ビオラソナタはやっぱり弾いてて難しいんだろうなあ(第2楽章だけ私も伴奏経験ありますが)。たまにおやっと思う箇所がちらほらあったのですが素晴らしい演奏でした。Salonはかなり親密な感じの演奏場所ですが「ビオラ近っ!!」と思うほどパワフルに迫る音で(逆にピアノは終始politeな音量だったかなという気がします。アンサンブルで飛出過ぎない音量というか)。
そしてSalonが小さく感じる弦の音はビオラ以外もそうで。ピアノ五重奏曲でも室内楽とはなんとやら、にだいぶ近くなる力強い弦の音。第1楽章でのクライマックスとか第3楽章の暴力的なスケルツォとかかっこよかった。ちょっと惚れ惚れしますね。ショスタコの曲としてもピアノ五重奏曲としても上には上がある曲ですがこんなにconvincingな演奏聴いてしまうともちょっと推したくなる(ただショスタコの曲を推すにはもうそろそろいっぱいいっぱいになっている)
このコンサート前後にもバレエ「ニジンスキー」のDVDが来てショスタコビオラソナタ+11番だったりこないだのコンサートでシュトラウスのメタモルフォーゼンを聴いたりiPodで回ってきてついついブリテンの「ラクリメ」とかフルで聴いちゃったりどシリアスな曲に触れてしまいがちな最近ですが明日は楽しいマルティヌーと仲間達。曲調が軽いからといって軽いノリでさよならできるというわけでもないのです。マルティヌーとは次いつ会えるかな(前回から今回までは14年)。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ ピアノ四重奏曲 第2楽章「フーガ」
フーガといえば特にピアノ弾きは前奏曲とセットで出会うことが多いですが(ショスタコも24セット書いてますしね)、こういう複数楽章編成の曲の中に突然あるフーガってちょっと独特の立ち位置なイメージがあります。とりあえず今思い浮かぶのはラヴェルの「クープランの墓」のフーガ。あれも第2楽章で辺りの雰囲気を静かにさせるような感じのフーガ。というか主題もラヴェルのフーガの逆さみたいになっているような気が。
そしてフーガっていうとどうしても偉大な音楽の父バッハと比べてしまうことが多く。特にショスタコの24つはバッハの48つと対応してることもありフーガの出来がちょっとな、なんて弾いたり聴いたりしながら思ってしまったり。でも20世紀のフーガはそもそも存在意義が違うはずなんですよね(というかそういう変化はベートーヴェンくらいから始まってはいたんですが)。
前も書いたと思うんですけど付加価値というかキャラクターで勝負というかフーガという形式をベースにして何かをするというか、そういうのがショスタコとかラヴェルとかのフーガで楽しいです。このピアノ五重奏曲のフーガも静寂を弦の音で層重ねていくような主題から紡いでいく景色の寒さに思わず身震いしてしまう(そして第4楽章でさらにまた寒くなる!)。
そして同じピアノ+弦のアンサンブルでも音の厚みとか楽器の使い方って結構変わるんですよ、という比較も含めショスタコのピアノ三重奏曲+ピアノ五重奏曲のアルバムをリンク。どっちも色んな意味でショスタコが爆発してる作品ですが方向性がちょっと違ったりするのも面白いです。
そこそこの時間&回数リハーサル行ってるし結構音の数弾いてるはずなのにこれまでで一番本番前の緊張がない。念のため言い聞かせるけど明日は早起きですよ。
でも新しい曲は最後のリハーサルで急に馴染んできた(あくまでも個人レベルでオケの他のみんなはわからない)。ただ今回いつもよりも音のバランスを気にする度合いが多めな気がするので最後のサウンドチェックも万全の体制で臨まねば。
さて月曜日に入ってきたのはこちらのコンサートでした。
A Shostakovich Celebration
Melbourne Recital Centre, Salon
ピアノ:Kristian Chong
バイオリン:Sophie Rowell、Matthew Tomkins
ビオラ:Christopher Moore
チェロ:Rachel Tobin
ドミトリ・ショスタコーヴィチ ビオラソナタ
ドミトリ・ショスタコーヴィチ ピアノ五重奏曲
1時間ちょいのコンサートでしたがまあ濃いのなんのって。三途の川(仮)の向こう側の住人のビオラソナタと比べるとピアノ五重奏曲は確かにbleakではないけど現実世界で色んなアングルから殴ってくるから聴いてても(そしておそらく弾いてても)大変なプログラム。
ビオラソナタはやっぱり弾いてて難しいんだろうなあ(第2楽章だけ私も伴奏経験ありますが)。たまにおやっと思う箇所がちらほらあったのですが素晴らしい演奏でした。Salonはかなり親密な感じの演奏場所ですが「ビオラ近っ!!」と思うほどパワフルに迫る音で(逆にピアノは終始politeな音量だったかなという気がします。アンサンブルで飛出過ぎない音量というか)。
そしてSalonが小さく感じる弦の音はビオラ以外もそうで。ピアノ五重奏曲でも室内楽とはなんとやら、にだいぶ近くなる力強い弦の音。第1楽章でのクライマックスとか第3楽章の暴力的なスケルツォとかかっこよかった。ちょっと惚れ惚れしますね。ショスタコの曲としてもピアノ五重奏曲としても上には上がある曲ですがこんなにconvincingな演奏聴いてしまうともちょっと推したくなる(ただショスタコの曲を推すにはもうそろそろいっぱいいっぱいになっている)
このコンサート前後にもバレエ「ニジンスキー」のDVDが来てショスタコビオラソナタ+11番だったりこないだのコンサートでシュトラウスのメタモルフォーゼンを聴いたりiPodで回ってきてついついブリテンの「ラクリメ」とかフルで聴いちゃったりどシリアスな曲に触れてしまいがちな最近ですが明日は楽しいマルティヌーと仲間達。曲調が軽いからといって軽いノリでさよならできるというわけでもないのです。マルティヌーとは次いつ会えるかな(前回から今回までは14年)。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ ピアノ四重奏曲 第2楽章「フーガ」
フーガといえば特にピアノ弾きは前奏曲とセットで出会うことが多いですが(ショスタコも24セット書いてますしね)、こういう複数楽章編成の曲の中に突然あるフーガってちょっと独特の立ち位置なイメージがあります。とりあえず今思い浮かぶのはラヴェルの「クープランの墓」のフーガ。あれも第2楽章で辺りの雰囲気を静かにさせるような感じのフーガ。というか主題もラヴェルのフーガの逆さみたいになっているような気が。
そしてフーガっていうとどうしても偉大な音楽の父バッハと比べてしまうことが多く。特にショスタコの24つはバッハの48つと対応してることもありフーガの出来がちょっとな、なんて弾いたり聴いたりしながら思ってしまったり。でも20世紀のフーガはそもそも存在意義が違うはずなんですよね(というかそういう変化はベートーヴェンくらいから始まってはいたんですが)。
前も書いたと思うんですけど付加価値というかキャラクターで勝負というかフーガという形式をベースにして何かをするというか、そういうのがショスタコとかラヴェルとかのフーガで楽しいです。このピアノ五重奏曲のフーガも静寂を弦の音で層重ねていくような主題から紡いでいく景色の寒さに思わず身震いしてしまう(そして第4楽章でさらにまた寒くなる!)。
そして同じピアノ+弦のアンサンブルでも音の厚みとか楽器の使い方って結構変わるんですよ、という比較も含めショスタコのピアノ三重奏曲+ピアノ五重奏曲のアルバムをリンク。どっちも色んな意味でショスタコが爆発してる作品ですが方向性がちょっと違ったりするのも面白いです。