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前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
ちょっとお留守にしてしまいました。特別忙しいとかそういうこともなかったのですが、頭の中はだいぶせわしない感じだったかなあ・・・
昨日は珍しく(それも困りものですが)書き物を進めてました。まあ遅いこと!なんとかなりませんかねこれ!
ということで今日はこのブログにおける過疎カテゴリである創作周りの話を少し。
自分で考えて自分で形にして行くものではあるのですが、物語を書き進めていくとどうしても書きにくいところ、書くのが苦になるところって出てきますね。覚悟はしてたんですが。
表現が見つからないとかそういうのでなくて、面倒くさいというのでもなくて、心持ちとしてね、なんか・・・いやだな、と。
でもどんな出来事もストーリーがそれにかかってる、それをベース・原動力にして動くんですから、そこはちゃんと表現する側としてしっかりやらなきゃいけないんですがね。分かってるんだからやればいいのに。
以前ネットでのおつきあいがあったところで自分のストーリーのキャラクター(オリジナルでの)は書き手としての自分にとってどういう関係性か、という話をした記憶がぼんやりあって。
自分の創作物(ストーリーやキャラ)を自分の子供のように思う、という人も居ればそうでない人も居て。
私にとって自分の創作物は自分の子供ではまずないですね。
自分の書くキャラクターの一部は間違いなく自分より立場が上ですしね(汗)あんまり親みたいな顔するといやがられる、疎まれるというか。
あと自分のキャラクターに庇護的な態度で接すると動かしにくい気がするんですよね。キャラクターはある程度固まってくると自分で勝手に行動したり思考したりするんで、それをなんとか「形にさせてもらってます」位の立ち位置で接するとキャラクターが個々「らしく」動いてくれる、というあくまでも一書き手としての感覚。
キャラクターだと、モデルが居たり居なかったり、ちょこっとだけ参考にしたりといろいろなところから構築されるのですが、結構自分の一部を参考にしたりモデルにしたりすることは多いです。
自意識過剰がどこかやっぱりあるのは否めませんが、やっぱり自分をいろいろ分析したり観察したりすることが多かったりで使いやすいのと、あと自分だから心置きなく切り売りできるみたいな(違)
でも自分をモデルにしたケースに限らずですが、キャラクターの構築が進むと(あと時間の経過と共に)勝手に元のモデルから離れていくんですよね。書き手としてあんまりモデルを意識しなくなって、先ほど書きましたように個々「らしく」動いてくれればもう完全に独立した存在、とみなしています。
今のところ確立して何年も親しんできたキャラクターからまだモデルとなった人物の影響が強いキャラクターも居て、いろんなその成長のプロセスが喜ばしいのですが、「モデルとなった人から、書き手としての自分から独立を感じた瞬間」はおそらく一番嬉しい瞬間かもしれません。(そう書くとなんか子育てのようでもありますが)
とにかくいろんなキャラクターが自分の頭の中でそれぞれ所狭しとやいのやいのやってるのが楽しくて。そうやって自由になったところから書き手よりも立場が上になってしまったり、それも面白い。だからなるべく早く自由になって欲しいですし、自分の手を離れて寂しいことはないですね。
今いくつかストーリーを同時進行している中、自分にとってメインとなってるのがOMNIA cycleというシリーズで。ここ数年続けているものですが、亀の歩みよりもさらに遅いペースでぴくしぶの方にもアップしていて。
シリーズと言っても一つの世界で続く複数のストーリーではなく「複数の世界」に関する時の流れを扱うシリーズなのですね。で、人物だけでなくおのおの「世界」もそれぞれ違った程度ですがキャラクターのように使われる、みたいな。
このシリーズに関しては創作物が自分の脳内で創られるものと同時に「あたかもOMNIA cycleの世界が自分の外のどこかにあるかもしれないような」扱いというか認識というか。今の説明わかりにくくてごめんなさい。(ちなみにOMNIA以外のストーリーに関してはこの限りではないです)
それくらいの心構えがこのシリーズのスケール(最終的にいきつくところ)には必要、と考えたわけじゃないですが結果それが自然な認識になったようです。
このシリーズのごく一部のキャラクターが大変私に対して上から目線というかそういう感じなのはそういうストーリーのとらえ方の結果、ともいえるかも。当該キャラクターは私の事を書き手、創造主とは見てません。
(OMNIAに関しては自分の役割は文の書き手とかキャラクターの作り手だけじゃなくて「世界の創造主」みたいな面もあるのでそう扱ってくれるのは荷が軽く感じることはそうなんですがねえ)
自分の中にある物を形にするのが難しくても、書きたくないなーなんて箇所が出てきても、自分の創作のエレメント(キャラクターなど)は基本みんな愛しいですし、ストーリー上行き着くところは色々でも最大限生かしてあげたいな、と思っていますし。
細々とでもちゃんとやっていきたいなあ、と思います。(内外からのキャラクターたちの視線がいつもひしひしと痛いです)
今日の一曲: バーデン・パウエル 「宇宙飛行士」 (O Astronauta)
本当に小さい頃から聴き親しんでた曲なのですが、最近ちょっとヴィラ=ロボスをきっかけとしたブラジルが暑い夏の流れでまた思い出し、愛が再燃した曲。
父は昔からギターをやっていて、ジャンルは今でもよく分からないのですがクラシックのラテン系だったり、ボサノバだったり、ちょこちょこ弾いていて。
以前書いたかな、父は私が生まれる前から海外出張によく行ってて、初期(笑)はわりと中南米に行くことが多かったそうで(初海外は中南米だったとか言ってました)。
そのころからずっと父はブラジルの音楽が好きで、それが私が育っていく課程でごく自然に染みこんでいって・・・あまりにも自然だったんで今頃改めて浮上していたんですが。
ボサノバについては本当に基本的な知識しか知らないのですがとりあえずWikipediaさんはこんな説明をしてくれます。
今回紹介する「宇宙飛行士」のバーデン・パウエルがこの最後の方のボサノバアーティストのリストにのっていますが、彼についてのメイン記事を見てみるとどうも他のジャンルを取り入れたりとかしているみたいですね。その中にバッハがあるのは「宇宙飛行士」を聞いてもなるほど、と思いますし、それがヴィラ=ロボス(自分のブラジル音楽の拠点)となんとなくつながるところがあり。
ボサノバでもジャズでもなんといってもハーモニーが好きで。そしてボサノバはリズムがブラジルなのがこれまたツボ。
ちょっと自分には大人かな、という雰囲気はやっぱりあるものの、「宇宙飛行士」は割ととっつきやすいというかノリも雰囲気もジャストフィットな感じ。
やっぱり夜に楽しみたい音楽ですねー。
うーん、父が持ってた録音が見つからない。バーデン・パウエルのベストアルバムなんですが、この曲とあとSamba Tristeが一緒に入ってて。(後者も良い曲ですよ~)一緒に入ってるアルバムにないんですが・・・とりあえず2枚組のをリンク。1曲だけダウンロードもありですね。
ちょっとお留守にしてしまいました。特別忙しいとかそういうこともなかったのですが、頭の中はだいぶせわしない感じだったかなあ・・・
昨日は珍しく(それも困りものですが)書き物を進めてました。まあ遅いこと!なんとかなりませんかねこれ!
ということで今日はこのブログにおける過疎カテゴリである創作周りの話を少し。
自分で考えて自分で形にして行くものではあるのですが、物語を書き進めていくとどうしても書きにくいところ、書くのが苦になるところって出てきますね。覚悟はしてたんですが。
表現が見つからないとかそういうのでなくて、面倒くさいというのでもなくて、心持ちとしてね、なんか・・・いやだな、と。
でもどんな出来事もストーリーがそれにかかってる、それをベース・原動力にして動くんですから、そこはちゃんと表現する側としてしっかりやらなきゃいけないんですがね。分かってるんだからやればいいのに。
以前ネットでのおつきあいがあったところで自分のストーリーのキャラクター(オリジナルでの)は書き手としての自分にとってどういう関係性か、という話をした記憶がぼんやりあって。
自分の創作物(ストーリーやキャラ)を自分の子供のように思う、という人も居ればそうでない人も居て。
私にとって自分の創作物は自分の子供ではまずないですね。
自分の書くキャラクターの一部は間違いなく自分より立場が上ですしね(汗)あんまり親みたいな顔するといやがられる、疎まれるというか。
あと自分のキャラクターに庇護的な態度で接すると動かしにくい気がするんですよね。キャラクターはある程度固まってくると自分で勝手に行動したり思考したりするんで、それをなんとか「形にさせてもらってます」位の立ち位置で接するとキャラクターが個々「らしく」動いてくれる、というあくまでも一書き手としての感覚。
キャラクターだと、モデルが居たり居なかったり、ちょこっとだけ参考にしたりといろいろなところから構築されるのですが、結構自分の一部を参考にしたりモデルにしたりすることは多いです。
自意識過剰がどこかやっぱりあるのは否めませんが、やっぱり自分をいろいろ分析したり観察したりすることが多かったりで使いやすいのと、あと自分だから心置きなく切り売りできるみたいな(違)
でも自分をモデルにしたケースに限らずですが、キャラクターの構築が進むと(あと時間の経過と共に)勝手に元のモデルから離れていくんですよね。書き手としてあんまりモデルを意識しなくなって、先ほど書きましたように個々「らしく」動いてくれればもう完全に独立した存在、とみなしています。
今のところ確立して何年も親しんできたキャラクターからまだモデルとなった人物の影響が強いキャラクターも居て、いろんなその成長のプロセスが喜ばしいのですが、「モデルとなった人から、書き手としての自分から独立を感じた瞬間」はおそらく一番嬉しい瞬間かもしれません。(そう書くとなんか子育てのようでもありますが)
とにかくいろんなキャラクターが自分の頭の中でそれぞれ所狭しとやいのやいのやってるのが楽しくて。そうやって自由になったところから書き手よりも立場が上になってしまったり、それも面白い。だからなるべく早く自由になって欲しいですし、自分の手を離れて寂しいことはないですね。
今いくつかストーリーを同時進行している中、自分にとってメインとなってるのがOMNIA cycleというシリーズで。ここ数年続けているものですが、亀の歩みよりもさらに遅いペースでぴくしぶの方にもアップしていて。
シリーズと言っても一つの世界で続く複数のストーリーではなく「複数の世界」に関する時の流れを扱うシリーズなのですね。で、人物だけでなくおのおの「世界」もそれぞれ違った程度ですがキャラクターのように使われる、みたいな。
このシリーズに関しては創作物が自分の脳内で創られるものと同時に「あたかもOMNIA cycleの世界が自分の外のどこかにあるかもしれないような」扱いというか認識というか。今の説明わかりにくくてごめんなさい。(ちなみにOMNIA以外のストーリーに関してはこの限りではないです)
それくらいの心構えがこのシリーズのスケール(最終的にいきつくところ)には必要、と考えたわけじゃないですが結果それが自然な認識になったようです。
このシリーズのごく一部のキャラクターが大変私に対して上から目線というかそういう感じなのはそういうストーリーのとらえ方の結果、ともいえるかも。当該キャラクターは私の事を書き手、創造主とは見てません。
(OMNIAに関しては自分の役割は文の書き手とかキャラクターの作り手だけじゃなくて「世界の創造主」みたいな面もあるのでそう扱ってくれるのは荷が軽く感じることはそうなんですがねえ)
自分の中にある物を形にするのが難しくても、書きたくないなーなんて箇所が出てきても、自分の創作のエレメント(キャラクターなど)は基本みんな愛しいですし、ストーリー上行き着くところは色々でも最大限生かしてあげたいな、と思っていますし。
細々とでもちゃんとやっていきたいなあ、と思います。(内外からのキャラクターたちの視線がいつもひしひしと痛いです)
今日の一曲: バーデン・パウエル 「宇宙飛行士」 (O Astronauta)
本当に小さい頃から聴き親しんでた曲なのですが、最近ちょっとヴィラ=ロボスをきっかけとしたブラジルが暑い夏の流れでまた思い出し、愛が再燃した曲。
父は昔からギターをやっていて、ジャンルは今でもよく分からないのですがクラシックのラテン系だったり、ボサノバだったり、ちょこちょこ弾いていて。
以前書いたかな、父は私が生まれる前から海外出張によく行ってて、初期(笑)はわりと中南米に行くことが多かったそうで(初海外は中南米だったとか言ってました)。
そのころからずっと父はブラジルの音楽が好きで、それが私が育っていく課程でごく自然に染みこんでいって・・・あまりにも自然だったんで今頃改めて浮上していたんですが。
ボサノバについては本当に基本的な知識しか知らないのですがとりあえずWikipediaさんはこんな説明をしてくれます。
今回紹介する「宇宙飛行士」のバーデン・パウエルがこの最後の方のボサノバアーティストのリストにのっていますが、彼についてのメイン記事を見てみるとどうも他のジャンルを取り入れたりとかしているみたいですね。その中にバッハがあるのは「宇宙飛行士」を聞いてもなるほど、と思いますし、それがヴィラ=ロボス(自分のブラジル音楽の拠点)となんとなくつながるところがあり。
ボサノバでもジャズでもなんといってもハーモニーが好きで。そしてボサノバはリズムがブラジルなのがこれまたツボ。
ちょっと自分には大人かな、という雰囲気はやっぱりあるものの、「宇宙飛行士」は割ととっつきやすいというかノリも雰囲気もジャストフィットな感じ。
やっぱり夜に楽しみたい音楽ですねー。
うーん、父が持ってた録音が見つからない。バーデン・パウエルのベストアルバムなんですが、この曲とあとSamba Tristeが一緒に入ってて。(後者も良い曲ですよ~)一緒に入ってるアルバムにないんですが・・・とりあえず2枚組のをリンク。1曲だけダウンロードもありですね。
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
最近頭を占めてるのがほとんどピアノと仕事と某本舗(中部地区を中心としたフードバトルのまっただ中)と、あとは突発的に一人でしか盛り上がれないような何か(小ネタにもならない)が来ては去って来ては去って、という状態で。
書き物はもちろんですが小ネタもやりたいし絵も描きたいし、意欲だけがだいぶ空回りしております。
そんな中一昨日の夜、祖父から届いたDVDに入ってた年末の特番「頭脳王」を観てまして。
なかなかハイレベルな問題ぞろいながら妹と共にできるところは一旦DVDを止めたりもしながら妹とちょっと書き出してみたり。(Eで始まる10文字以上の英単語は面白かったですね~2人比べると)
残念ながら妹は天文学はさっぱりなので一等星を書く問題は一人でやりました。後でチェックしたら21個しかないんですよね。10個くらいは書けたかな。
で、リストを見てみるとなかなか南半球の星として親しみふが深いものも多いですね。
みなみじゅうじ座から2つ、その隣にあるケンタウルス座の通称Pointersと呼ばれる2つの星もそうですし、カノープスは全天で2番目に明るい星ですし。
日本では授業とかだと習わない(母談)これらの星をいくつカバーできるか、というのが勝負の分かれどころなのかしら(他の問題、確かローマ皇帝をリストする問題で「教科書で習わない部分をどこまで出せるか」的なことを言ってたので一等星の問題もそうなのかな、と)。
もともと星座のいろいろが北半球で決められたのと、あと天文学でいう南半球には明るい星・星座の数(そして目立つ星座の数も)が少ないのもあってちょっとつまらないなーみたいなところはありますが。
でもエアーズロックに行ったときとかは南十字を始め南の星空を観るツアーもありますしね。
ちなみにメルボルンで見えないな、という星座にはこんなものがあります:(全部じゃないとは思いますが)
こぐま座、おおぐま座、りゅう座、はくちょう座、こと座?、わし座?、カシオペア座・・・くらいかな。
南半球に来て観光対象になる星座といえば南十字星(みなみじゅうじ座)とカノープス(りゅうこつ座)でしょうか。
後者は先ほども書きましたが全天で2番目に明るい星で(日本でも見えますが割と低めの位置で見えて赤っぽく見えるらしいですね)。中国では南極老人といって長寿の星、と言われているらしいです。エアーズロックに行ったとき「見ると寿命が延びる」と聞いたのはそれですかね。今調べたらメルボルンでは沈まないらしいですのでありがたみはそこまではないですが(笑)
みなみじゅうじ座は国旗にものっててサザンクロスという名でも有名です(銀河鉄道の夜!)。メルボルンでは地平線近くまで降りることはあっても確か沈むことはないはず。かならずといっていいほど南の方角にあるのでだいたいで良いときは方角を知るのにも使えます。
ニュージーランドの国旗にもサザンクロスはついていますが、あっちの国旗は星が赤く、星が4つ。メインの「十字」の部分だけが表されています。
オーストラリアの国旗は白い星で「みなみじゅうじ座」全体、つまり十字プラスその間にある少し暗い星で5つの星が記されています。(旗の左側の七つの角を持つ星は天文学的なあれではないようです)
先ほどみなみじゅうじ座には2つ一等星があると書きましたが、オーストラリアの国旗で見ると一番下の星(Acrux/alpha crucis)と向かって左側の星(Bacrux/beta crucis、別名ミモザ)が一等星です。
良くツアーでも話されることですがみなみじゅうじ座の近く(っていうほどでもないかな?)にはああいう十字型に見える星がもう一つあって、それがちょっとまぎらわしかったりするのです。Wikipediaにも記事ができてたり(笑)
確実にみなみじゅうじ座を見つけるにはまずPointersを見つけるべし、ということで。
先ほども書きましたがPointersというのはケンタウルス座の一等星2つ。南の方角に並んでひときわ明るい星が二つ並んでいるのですぐ分かる・・・はず。それが見えればもうみなみじゅうじ座は視界に入る・・・はず。
誰にでも確実に見つかる、とは言いませんが・・・
でもしょっちゅう見て練習してたら数年もしないうちに10秒でサザンクロス見つけられるようになりました(笑)ただし地平線に近いときは無理です。
後はおおむね北半球と同じ星座が見えるはず。
日本で言うところの夏の大三角形(ベガ・デネブ・アルタイル)は見えませんがさそり座とかは見えますし、冬のあのオリオン座とかそっちらへんは同じですし。
ただみんな逆立ちしてますよ~オリオン座が一番わかりやすいですが(あとお月様も逆立ちですしね)。
市街地でも普通に星は見えますけど、やっぱりただっぴろい何にもないところ(オーストラリアの国土の大半)とか田舎で満天の星空を見たいところ。銀河鉄道の夜であった石炭袋も見えるのかな。
エアーズロックは回りになんにもない(笑)ですし空気もきれいですから夜のツアーはものすごくおすすめです。
今住んでるところはちょっとアパートが多かったりしてなかなか星見にはいいロケーションじゃないのですが、ちょっとした目標としてアルファード、レグルス、フォーマルハウト、アルデバランあたり見て分かるようになったらいいなあーとか思ってます。
そしてたまーにははくちょう座のアルビレオとか見てみたいですね。日本に行ったらちょっとは余裕できるかしら。
とにかくメルボルンに来た際はサザンクロスに関しては任せてください!(ほんとかー?)
今日の一曲: エドワード・エルガー 「雪」
(amazonで見つからなかったためHyperionのサイトから。良い曲なのに見つからないよ!)
ちょっとぶりになっちゃったかな?合唱曲から一つ。
私が通ってた学校の合唱部がそれはそれはレベル高かったときに作ったCDに入ってた曲です。(女子校なので女声合唱です)
本当に合唱が強かったんですよ。コンクール出たり、この頃在学してた生徒で今も声楽プロでやってる人も居ますし。当時はオケも強かったなあ、とか思い出したり。
合唱曲・歌曲でピアノやオルガン、オケなどの伴奏の他に楽器が活躍する曲って割とあるんですよね。例えばウォーロックの「シャクシギ」ではフルート+コール・アングレ+弦楽四重奏の伴奏だったり、ブラームスのアルト・ラプソディーではビオラが活躍したり。
このエルガーの「雪」ではバイオリン2人が合唱+ピアノ伴奏に加わります。結構合唱と全く独立した動きをしていることが多くて、ものすごーく不思議なテクスチャになります。まるで合唱団の周りに雪を降らせているような。
2人のバイオリニストの音が絡み合ったり離れたり、奏でる親密なアンサンブルはそれだけ集中して聞いてても最高に美しいです。
エルガーはチェロ協奏曲や弦楽セレナード、エニグマ変奏曲の一部などでホ短調・ト長調の1個シャープ調が得意な印象がありますが、「雪」はこの2つの調を行き来する曲です。どちらもものすごく明るいとかものすごく暗いとか、そういう調ではないのですが、そのさりげない明暗の細やかな変化がなんとも美しいです。
そして雪とはいえどもどちらかというと冬よりは秋の終わりのような空気の温度と感覚、これもまたエルガーの音楽の特性といいますか。
そして今ちょっとこの曲の歌詞を調べてたのですが歌詞を書いたのが「C. Alice Elgar」、つまり(エニグマ変奏曲にも出てくるエルガーの奥さんだったんですね!
彼女が作家であること、そしてエルガーの歌曲の歌詞をいくつか手がけてるのは知ってたんですが。
かかあ天下という話は良く聞きますが、同時に夫婦仲睦まじいとも聞いてますし、こういう夫婦関係も、そういう愛の結晶も良いな~と思いますね。ちょっとうらやましい(笑)
それがなくてもすごーく美しい曲です。「雪」は作品番号がop.26-1、とあって曲集としてどうやら同じ楽器編成でまだ曲があるらしいので機会があったら出会いたいと思います。楽しみ。
最近頭を占めてるのがほとんどピアノと仕事と某本舗(中部地区を中心としたフードバトルのまっただ中)と、あとは突発的に一人でしか盛り上がれないような何か(小ネタにもならない)が来ては去って来ては去って、という状態で。
書き物はもちろんですが小ネタもやりたいし絵も描きたいし、意欲だけがだいぶ空回りしております。
そんな中一昨日の夜、祖父から届いたDVDに入ってた年末の特番「頭脳王」を観てまして。
なかなかハイレベルな問題ぞろいながら妹と共にできるところは一旦DVDを止めたりもしながら妹とちょっと書き出してみたり。(Eで始まる10文字以上の英単語は面白かったですね~2人比べると)
残念ながら妹は天文学はさっぱりなので一等星を書く問題は一人でやりました。後でチェックしたら21個しかないんですよね。10個くらいは書けたかな。
で、リストを見てみるとなかなか南半球の星として親しみふが深いものも多いですね。
みなみじゅうじ座から2つ、その隣にあるケンタウルス座の通称Pointersと呼ばれる2つの星もそうですし、カノープスは全天で2番目に明るい星ですし。
日本では授業とかだと習わない(母談)これらの星をいくつカバーできるか、というのが勝負の分かれどころなのかしら(他の問題、確かローマ皇帝をリストする問題で「教科書で習わない部分をどこまで出せるか」的なことを言ってたので一等星の問題もそうなのかな、と)。
もともと星座のいろいろが北半球で決められたのと、あと天文学でいう南半球には明るい星・星座の数(そして目立つ星座の数も)が少ないのもあってちょっとつまらないなーみたいなところはありますが。
でもエアーズロックに行ったときとかは南十字を始め南の星空を観るツアーもありますしね。
ちなみにメルボルンで見えないな、という星座にはこんなものがあります:(全部じゃないとは思いますが)
こぐま座、おおぐま座、りゅう座、はくちょう座、こと座?、わし座?、カシオペア座・・・くらいかな。
南半球に来て観光対象になる星座といえば南十字星(みなみじゅうじ座)とカノープス(りゅうこつ座)でしょうか。
後者は先ほども書きましたが全天で2番目に明るい星で(日本でも見えますが割と低めの位置で見えて赤っぽく見えるらしいですね)。中国では南極老人といって長寿の星、と言われているらしいです。エアーズロックに行ったとき「見ると寿命が延びる」と聞いたのはそれですかね。今調べたらメルボルンでは沈まないらしいですのでありがたみはそこまではないですが(笑)
みなみじゅうじ座は国旗にものっててサザンクロスという名でも有名です(銀河鉄道の夜!)。メルボルンでは地平線近くまで降りることはあっても確か沈むことはないはず。かならずといっていいほど南の方角にあるのでだいたいで良いときは方角を知るのにも使えます。
ニュージーランドの国旗にもサザンクロスはついていますが、あっちの国旗は星が赤く、星が4つ。メインの「十字」の部分だけが表されています。
オーストラリアの国旗は白い星で「みなみじゅうじ座」全体、つまり十字プラスその間にある少し暗い星で5つの星が記されています。(旗の左側の七つの角を持つ星は天文学的なあれではないようです)
先ほどみなみじゅうじ座には2つ一等星があると書きましたが、オーストラリアの国旗で見ると一番下の星(Acrux/alpha crucis)と向かって左側の星(Bacrux/beta crucis、別名ミモザ)が一等星です。
良くツアーでも話されることですがみなみじゅうじ座の近く(っていうほどでもないかな?)にはああいう十字型に見える星がもう一つあって、それがちょっとまぎらわしかったりするのです。Wikipediaにも記事ができてたり(笑)
確実にみなみじゅうじ座を見つけるにはまずPointersを見つけるべし、ということで。
先ほども書きましたがPointersというのはケンタウルス座の一等星2つ。南の方角に並んでひときわ明るい星が二つ並んでいるのですぐ分かる・・・はず。それが見えればもうみなみじゅうじ座は視界に入る・・・はず。
誰にでも確実に見つかる、とは言いませんが・・・
でもしょっちゅう見て練習してたら数年もしないうちに10秒でサザンクロス見つけられるようになりました(笑)ただし地平線に近いときは無理です。
後はおおむね北半球と同じ星座が見えるはず。
日本で言うところの夏の大三角形(ベガ・デネブ・アルタイル)は見えませんがさそり座とかは見えますし、冬のあのオリオン座とかそっちらへんは同じですし。
ただみんな逆立ちしてますよ~オリオン座が一番わかりやすいですが(あとお月様も逆立ちですしね)。
市街地でも普通に星は見えますけど、やっぱりただっぴろい何にもないところ(オーストラリアの国土の大半)とか田舎で満天の星空を見たいところ。銀河鉄道の夜であった石炭袋も見えるのかな。
エアーズロックは回りになんにもない(笑)ですし空気もきれいですから夜のツアーはものすごくおすすめです。
今住んでるところはちょっとアパートが多かったりしてなかなか星見にはいいロケーションじゃないのですが、ちょっとした目標としてアルファード、レグルス、フォーマルハウト、アルデバランあたり見て分かるようになったらいいなあーとか思ってます。
そしてたまーにははくちょう座のアルビレオとか見てみたいですね。日本に行ったらちょっとは余裕できるかしら。
とにかくメルボルンに来た際はサザンクロスに関しては任せてください!(ほんとかー?)
今日の一曲: エドワード・エルガー 「雪」
(amazonで見つからなかったためHyperionのサイトから。良い曲なのに見つからないよ!)
ちょっとぶりになっちゃったかな?合唱曲から一つ。
私が通ってた学校の合唱部がそれはそれはレベル高かったときに作ったCDに入ってた曲です。(女子校なので女声合唱です)
本当に合唱が強かったんですよ。コンクール出たり、この頃在学してた生徒で今も声楽プロでやってる人も居ますし。当時はオケも強かったなあ、とか思い出したり。
合唱曲・歌曲でピアノやオルガン、オケなどの伴奏の他に楽器が活躍する曲って割とあるんですよね。例えばウォーロックの「シャクシギ」ではフルート+コール・アングレ+弦楽四重奏の伴奏だったり、ブラームスのアルト・ラプソディーではビオラが活躍したり。
このエルガーの「雪」ではバイオリン2人が合唱+ピアノ伴奏に加わります。結構合唱と全く独立した動きをしていることが多くて、ものすごーく不思議なテクスチャになります。まるで合唱団の周りに雪を降らせているような。
2人のバイオリニストの音が絡み合ったり離れたり、奏でる親密なアンサンブルはそれだけ集中して聞いてても最高に美しいです。
エルガーはチェロ協奏曲や弦楽セレナード、エニグマ変奏曲の一部などでホ短調・ト長調の1個シャープ調が得意な印象がありますが、「雪」はこの2つの調を行き来する曲です。どちらもものすごく明るいとかものすごく暗いとか、そういう調ではないのですが、そのさりげない明暗の細やかな変化がなんとも美しいです。
そして雪とはいえどもどちらかというと冬よりは秋の終わりのような空気の温度と感覚、これもまたエルガーの音楽の特性といいますか。
そして今ちょっとこの曲の歌詞を調べてたのですが歌詞を書いたのが「C. Alice Elgar」、つまり(エニグマ変奏曲にも出てくるエルガーの奥さんだったんですね!
彼女が作家であること、そしてエルガーの歌曲の歌詞をいくつか手がけてるのは知ってたんですが。
かかあ天下という話は良く聞きますが、同時に夫婦仲睦まじいとも聞いてますし、こういう夫婦関係も、そういう愛の結晶も良いな~と思いますね。ちょっとうらやましい(笑)
それがなくてもすごーく美しい曲です。「雪」は作品番号がop.26-1、とあって曲集としてどうやら同じ楽器編成でまだ曲があるらしいので機会があったら出会いたいと思います。楽しみ。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
そして前回の更新からちょっとたってしまってた間に訪問ありがとうございました~
検索キーワードを見てまた「ここに来て探してたものに少しでも近いものが見つかったかしら」と心配になったり。
探してたものに限らずここでなにかしらん見つかったらいいなあ・・・と常日頃思っていますが。
昨日は去年友達の誕生日で知り合った年下(まだ大学在学中です)の日本人の男の子とちょっと夜ご飯に行ってきました。諸都合であんまりゆっくりはできなかったのですがチャイナタウンでちょっと日本食を。おいしいところだったので今後また行きたいかも。
まだ知り合ったばっかりでどういう感じでどういう話をしたらいいか、楽しいか、というのはまだ模索中。こちらで日本人の友達ができるのはずいぶん久しぶりで(しかも大学でこっちにきた留学生でなく高校もこちらで行っている、オーストラリア歴が長くて自分と経歴が似ているのでなおさら)。
楽しかったので今度はお酒でも~と誘った私は単なる酒好きです(笑)
なんとか仕事もスケジュール通り行きそうで、だんだん他のことも考えられるようになってきました。
とりあえずはこないだの続きというか、演奏するなら何が弾けるか、何を弾くか、何を表現したいか。
今のところ1st draftととして曲のリストがこんな感じに。
ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律第2巻第8番 嬰ニ短調
または
ヨハン・セバスチャン・バッハ トッカータ ホ短調
アレクサンドル・スクリャービン 炎に向かって
エイトル・ヴィラ=ロボス ブラジルのバッハ 第4番第2楽章
オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より
第5番 「子に注ぐ子のまなざし」
第7番 「十字架のまなざし」
第14番 「天使のまなざし」
第11番 「聖母の最初の聖体拝受」
バッハがですねえ・・・まだ平均律の方を弾いてみないことには分からないかな。トッカータは演奏経験あるのでいざとなったら選べますがとりあえず平均律の方を試してみたい。ヴィジョンができるかどうか、そこにかかってます。
そして全体の順番も固まってないです。メシアンは後半に上記の順番でやることはほぼ決定なんですが。
全部キリスト教だったりそうでなかったり、違う性質の信仰、というかどっちかというと神秘性をはらんだ曲なんですが、わりとそのぼんやりとしたつながりしかなくて。
これをどうやって形作っていくか、どういう世界(時間・空間的どっちも)を表現していくか、それが自分にとって要かな。
(でもそうやって「順番」で形作れる可能性がある、というのがね。その「プログラム全体のデザイン」の力を信じているんです)
ヴィラ=ロボスは第2楽章だけ。全部、または複数楽章やるとブラジル色に染まるか残りのプログラムと比べて浮くか、なので。バッハから「ブラジルのバッハ」へ、というつながりもありますがこのコラール楽章のオープニングがちょっとメシアンの「子に注ぐ~」に似てるところがあるので。これを利用しない手はない、と思いまして。
ここら辺から考えていくと「光」の使い方がプログラム組のヒントになるような感じも。先ほども書きましたがそれは空間的な話じゃなくて、時間的にも考えなくちゃいけないところで。
そんなこんなで色々考えてます。
なるべく早く確信を持って安心したいですからねー。
仕事もまだまだ気は抜けないですが、友達と会ったり遊びに行ったりする約束もつけちゃってますしぼちぼち暮らしていきたいです。結構ストレスに早くに音を上げちゃう方ですのでちょっと我慢も覚えないとですね。
こちらの方も、そして書き物の方もなんとか余裕ができれば。あと本読むのとか。アルケミーゴシックもそろそろ買いに行きたい(そしてネットで新作がでるのが楽しみ)ですし。
あとは願わくはもうちょっと夏らしく夏を過ごさせてくれ!メルボルン天候!
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「くるみ割り人形」より「アラビアの踊り(コーヒー)」
偉大な曲は結構割と派手な音楽、壮大な音楽というイメージがありますが、でも小さいスケールの音楽だって劣っているわけじゃないんですよね。
西洋でいう「ジャパニーズ・ミニチュア」というか、小さくて細部までものすごく精巧にできていて、完璧な働きを見せる、そういう曲の代名詞といえるのがこのチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。
ストーリーも、キャラクターも、感情も、オケもなにもかもこじんまりしている「くるみ割り人形」ですが、取るに足らないなんてことは全然ありません。そのディテールの凝りようを見始めるともう驚くこといっぱい!
この「アラビアの踊り」もシンプルながらものすごい魅力にあふれてて。
まずベースラインのリズム!レガートとスタッカートを組み合わせただけでこんな粋なベースラインができるものか、というさりげないサポートライン。
そしてメロディーを吹く2本のクラリネットの音のベルベットのごときなめらかさ、シルクのごときしなやかさ。
ミュート付きの弦楽器のこれまた暖かくソフトなアンサンブル。
後ほどその上に入って来るオーボエの(ちょっと感情抑えめの)カウンターメロディーの息の長くエキゾチックなこと。
ちょっと聴き気づかないですが、細かいとこまでパーフェクトに設計されてプロデュースされた音なんですよね。
ちなみにバレエではこの踊りは比較的年上のダンサーが3人、1人女性と2人男性(上半身裸)で踊ることが多いような気がしますが実際のところどうなんでしょう、他のフォーマットはあるのかしら。
やっぱり「お菓子」とはいってもコーヒーはまた大人のたしなみ、というのが曲の雰囲気にも踊りにも現れているところも面白いですね。
そして前回の更新からちょっとたってしまってた間に訪問ありがとうございました~
検索キーワードを見てまた「ここに来て探してたものに少しでも近いものが見つかったかしら」と心配になったり。
探してたものに限らずここでなにかしらん見つかったらいいなあ・・・と常日頃思っていますが。
昨日は去年友達の誕生日で知り合った年下(まだ大学在学中です)の日本人の男の子とちょっと夜ご飯に行ってきました。諸都合であんまりゆっくりはできなかったのですがチャイナタウンでちょっと日本食を。おいしいところだったので今後また行きたいかも。
まだ知り合ったばっかりでどういう感じでどういう話をしたらいいか、楽しいか、というのはまだ模索中。こちらで日本人の友達ができるのはずいぶん久しぶりで(しかも大学でこっちにきた留学生でなく高校もこちらで行っている、オーストラリア歴が長くて自分と経歴が似ているのでなおさら)。
楽しかったので今度はお酒でも~と誘った私は単なる酒好きです(笑)
なんとか仕事もスケジュール通り行きそうで、だんだん他のことも考えられるようになってきました。
とりあえずはこないだの続きというか、演奏するなら何が弾けるか、何を弾くか、何を表現したいか。
今のところ1st draftととして曲のリストがこんな感じに。
ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律第2巻第8番 嬰ニ短調
または
ヨハン・セバスチャン・バッハ トッカータ ホ短調
アレクサンドル・スクリャービン 炎に向かって
エイトル・ヴィラ=ロボス ブラジルのバッハ 第4番第2楽章
オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より
第5番 「子に注ぐ子のまなざし」
第7番 「十字架のまなざし」
第14番 「天使のまなざし」
第11番 「聖母の最初の聖体拝受」
バッハがですねえ・・・まだ平均律の方を弾いてみないことには分からないかな。トッカータは演奏経験あるのでいざとなったら選べますがとりあえず平均律の方を試してみたい。ヴィジョンができるかどうか、そこにかかってます。
そして全体の順番も固まってないです。メシアンは後半に上記の順番でやることはほぼ決定なんですが。
全部キリスト教だったりそうでなかったり、違う性質の信仰、というかどっちかというと神秘性をはらんだ曲なんですが、わりとそのぼんやりとしたつながりしかなくて。
これをどうやって形作っていくか、どういう世界(時間・空間的どっちも)を表現していくか、それが自分にとって要かな。
(でもそうやって「順番」で形作れる可能性がある、というのがね。その「プログラム全体のデザイン」の力を信じているんです)
ヴィラ=ロボスは第2楽章だけ。全部、または複数楽章やるとブラジル色に染まるか残りのプログラムと比べて浮くか、なので。バッハから「ブラジルのバッハ」へ、というつながりもありますがこのコラール楽章のオープニングがちょっとメシアンの「子に注ぐ~」に似てるところがあるので。これを利用しない手はない、と思いまして。
ここら辺から考えていくと「光」の使い方がプログラム組のヒントになるような感じも。先ほども書きましたがそれは空間的な話じゃなくて、時間的にも考えなくちゃいけないところで。
そんなこんなで色々考えてます。
なるべく早く確信を持って安心したいですからねー。
仕事もまだまだ気は抜けないですが、友達と会ったり遊びに行ったりする約束もつけちゃってますしぼちぼち暮らしていきたいです。結構ストレスに早くに音を上げちゃう方ですのでちょっと我慢も覚えないとですね。
こちらの方も、そして書き物の方もなんとか余裕ができれば。あと本読むのとか。アルケミーゴシックもそろそろ買いに行きたい(そしてネットで新作がでるのが楽しみ)ですし。
あとは願わくはもうちょっと夏らしく夏を過ごさせてくれ!メルボルン天候!
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「くるみ割り人形」より「アラビアの踊り(コーヒー)」
偉大な曲は結構割と派手な音楽、壮大な音楽というイメージがありますが、でも小さいスケールの音楽だって劣っているわけじゃないんですよね。
西洋でいう「ジャパニーズ・ミニチュア」というか、小さくて細部までものすごく精巧にできていて、完璧な働きを見せる、そういう曲の代名詞といえるのがこのチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。
ストーリーも、キャラクターも、感情も、オケもなにもかもこじんまりしている「くるみ割り人形」ですが、取るに足らないなんてことは全然ありません。そのディテールの凝りようを見始めるともう驚くこといっぱい!
この「アラビアの踊り」もシンプルながらものすごい魅力にあふれてて。
まずベースラインのリズム!レガートとスタッカートを組み合わせただけでこんな粋なベースラインができるものか、というさりげないサポートライン。
そしてメロディーを吹く2本のクラリネットの音のベルベットのごときなめらかさ、シルクのごときしなやかさ。
ミュート付きの弦楽器のこれまた暖かくソフトなアンサンブル。
後ほどその上に入って来るオーボエの(ちょっと感情抑えめの)カウンターメロディーの息の長くエキゾチックなこと。
ちょっと聴き気づかないですが、細かいとこまでパーフェクトに設計されてプロデュースされた音なんですよね。
ちなみにバレエではこの踊りは比較的年上のダンサーが3人、1人女性と2人男性(上半身裸)で踊ることが多いような気がしますが実際のところどうなんでしょう、他のフォーマットはあるのかしら。
やっぱり「お菓子」とはいってもコーヒーはまた大人のたしなみ、というのが曲の雰囲気にも踊りにも現れているところも面白いですね。
いつも訪問、そして拍手ありがとうございます~
また仕事が忙しくなってきたのでちょっと離れ気味です。
ちょうどピアノのことを頭で、そしてピアノに向かって考え始めてきたところでちょっとタイミング悪いなーと思ってるのですがそれはまあしょうがない。とりあえず進めなきゃ。
とにかくなんとかなるとは頭が仕事の心配で占められてしまったのが困ったもの。できるときはピアノもやって、あとは今週・来週と金曜に友達と会う約束があるので気分転換になるといいな。
ということでブログに書くこともあんまり固まってないのが現状。
書き留めて暖めてるトピックはないことはないのですが・・・
なので今日はふと思ったけどちょっとまとまってないことを書くことになります。
一応以前ちょっと書きたかったことなんだけど書かなかったトピックで、平たく言えば「性教育」に関することで。
オーストラリアの学校がみんなそうかどうかはわかりませんが、私がその昔(ってほどじゃないですが)行ってた学校には中学~10年生まで「Life Skills」という授業がありました。
名前もぼんやりながら内容もだいぶぼんやりした感じで。
例えばティーンエイジャーによくある問題(ドラッグ問題、友達とのつながり・サポート、ちょっぴりメンタルヘルスやボディイメージ、セックスや避妊)だったり健康問題(日焼けと皮膚がん、性行為による感染症)だったり、そういうものを学ぶ授業です。
うちの学校はクリスチャン(イギリス国教会)の私立女子校なのですが、お嬢様学校というよりはどちらかというとウーマン・リブみたいな感じで。(他にもっとお嬢様なところはたんとあるようです)
過酷なキャンプ(12日とか22日とか山の中)だったり、英語の授業で選ぶ本(WyrdとかCrucibleとかMandragoraとかプライドと偏見とか強気の女性、自由に振る舞う女性が多い)、全体的な雰囲気とかからそういった校風はいろいろ察することができますが。(でも私がそれに気づいたのは卒業してからです)
Life Skillsという授業もまた校風などに応じて内容がだいぶ変わるものと思われます。
女子校だとやっぱり先ほど挙げた内だとボディイメージ・摂食障害は女性に強く関わりますし(最近ではでも男性患者も増えてきたとのことですからそれも反映されてるのかな)、友達関係の話も女の子の方が難しい、というイメージがありますし。
でもどんな学校でもLife Skillsでカバーしなくちゃいけない重要なトピックといえばやっぱり「性教育」だと思います。
在学中も卒業してからも若干の揶揄と共に話のネタにされますが、結構大事なことを学んだと私は思いますよ-。Life Skillsの授業の様々なトピックに関してそうですが。(摂食障害についてのことが筆頭ですよ)
確か9年生の時に1~2回、10年生の時に1~2回とLife Skillsで性教育を扱ったような。
ビデオを見せられて男性器の勃起を表したサーモグラフィー(しかも妙な効果音付き)にどっと笑いが起こったり、ズッキーニにコンドームをかぶせる授業でコンドームを風船のようにふくらましたりとか、そういうしょうもないものばっかり話のネタには残っちゃうんですけどね・・・(話のネタなんで紹介しました)
そんな中例えば性感染症のリスクについての話もしましたし(避妊方法は性感染症の予防となるものもあるけどそうでないものもある、とかオーラルセックスに関する感染リスクとか)。それから中絶とそのリスクだったり、ちょっと同性の間での行為の話も出ましたし、あとは「基本セックスには使うように作られてない」方の話もありましたし(主に感染リスク上昇の話ですが)。他にもあの時初めて聞いたかどうか定かでないものがいろいろ。
性行為自体もそうですが、タブー(またはそれに似たもの)とされているものも、それに関わるリスクがあるならばちゃんと説明するのは大切だな、と改めて思うのです。
そしてここらへんがやっぱり校風だな、と今振り返って思うのは恋人との関係の中においてのセックス、という見方ですかね。
授業でものすごく強調されたのが「相手がなんといっても自分がやりたくないな、と思ったら拒否する権利があるしやらないほうがいい、やらせないように」ということでしたね。
自分の気持ち、そして自分の体を大事にしなさい、とも強く言われた覚えがありますし、いくら好きでも必ずしもセックスする必要があるわけではない、という話もありましたし(男性側でそういう風に言いくるめようとする場合があるらしくて)。セックスの体験・感覚は女性の場合心持ちに大きく左右されるんだから、とか言われたなあ。
要するに女性としてセックスを拒否する権利があること、自分の心と体を大切にすること、自分の身を守ることが重要、ということを学んだわけです。
フェミニストな方向とは関係なく、割とそういうのを知ることは女性にとって大事じゃないかなあ、と私は思うのですがこういう心構えが教えられている学校ってたくさんあるのかしら。
・・・ということを今日ふと考えてたわけです。
まとまりもなくオチもない話で内容がなんだかあれで申し訳ありませんでした。
またちょっと間があくかもしれませんがこのエントリーを一番上にしておくのもなんだか変な感じなのでなんとか更新したいと思っています(汗)
お口直しに今日の一曲を、と思ったのですがリストはあっても文の中身考えてないんでまた今度。
また更新します~(汗)
また仕事が忙しくなってきたのでちょっと離れ気味です。
ちょうどピアノのことを頭で、そしてピアノに向かって考え始めてきたところでちょっとタイミング悪いなーと思ってるのですがそれはまあしょうがない。とりあえず進めなきゃ。
とにかくなんとかなるとは頭が仕事の心配で占められてしまったのが困ったもの。できるときはピアノもやって、あとは今週・来週と金曜に友達と会う約束があるので気分転換になるといいな。
ということでブログに書くこともあんまり固まってないのが現状。
書き留めて暖めてるトピックはないことはないのですが・・・
なので今日はふと思ったけどちょっとまとまってないことを書くことになります。
一応以前ちょっと書きたかったことなんだけど書かなかったトピックで、平たく言えば「性教育」に関することで。
オーストラリアの学校がみんなそうかどうかはわかりませんが、私がその昔(ってほどじゃないですが)行ってた学校には中学~10年生まで「Life Skills」という授業がありました。
名前もぼんやりながら内容もだいぶぼんやりした感じで。
例えばティーンエイジャーによくある問題(ドラッグ問題、友達とのつながり・サポート、ちょっぴりメンタルヘルスやボディイメージ、セックスや避妊)だったり健康問題(日焼けと皮膚がん、性行為による感染症)だったり、そういうものを学ぶ授業です。
うちの学校はクリスチャン(イギリス国教会)の私立女子校なのですが、お嬢様学校というよりはどちらかというとウーマン・リブみたいな感じで。(他にもっとお嬢様なところはたんとあるようです)
過酷なキャンプ(12日とか22日とか山の中)だったり、英語の授業で選ぶ本(WyrdとかCrucibleとかMandragoraとかプライドと偏見とか強気の女性、自由に振る舞う女性が多い)、全体的な雰囲気とかからそういった校風はいろいろ察することができますが。(でも私がそれに気づいたのは卒業してからです)
Life Skillsという授業もまた校風などに応じて内容がだいぶ変わるものと思われます。
女子校だとやっぱり先ほど挙げた内だとボディイメージ・摂食障害は女性に強く関わりますし(最近ではでも男性患者も増えてきたとのことですからそれも反映されてるのかな)、友達関係の話も女の子の方が難しい、というイメージがありますし。
でもどんな学校でもLife Skillsでカバーしなくちゃいけない重要なトピックといえばやっぱり「性教育」だと思います。
在学中も卒業してからも若干の揶揄と共に話のネタにされますが、結構大事なことを学んだと私は思いますよ-。Life Skillsの授業の様々なトピックに関してそうですが。(摂食障害についてのことが筆頭ですよ)
確か9年生の時に1~2回、10年生の時に1~2回とLife Skillsで性教育を扱ったような。
ビデオを見せられて男性器の勃起を表したサーモグラフィー(しかも妙な効果音付き)にどっと笑いが起こったり、ズッキーニにコンドームをかぶせる授業でコンドームを風船のようにふくらましたりとか、そういうしょうもないものばっかり話のネタには残っちゃうんですけどね・・・(話のネタなんで紹介しました)
そんな中例えば性感染症のリスクについての話もしましたし(避妊方法は性感染症の予防となるものもあるけどそうでないものもある、とかオーラルセックスに関する感染リスクとか)。それから中絶とそのリスクだったり、ちょっと同性の間での行為の話も出ましたし、あとは「基本セックスには使うように作られてない」方の話もありましたし(主に感染リスク上昇の話ですが)。他にもあの時初めて聞いたかどうか定かでないものがいろいろ。
性行為自体もそうですが、タブー(またはそれに似たもの)とされているものも、それに関わるリスクがあるならばちゃんと説明するのは大切だな、と改めて思うのです。
そしてここらへんがやっぱり校風だな、と今振り返って思うのは恋人との関係の中においてのセックス、という見方ですかね。
授業でものすごく強調されたのが「相手がなんといっても自分がやりたくないな、と思ったら拒否する権利があるしやらないほうがいい、やらせないように」ということでしたね。
自分の気持ち、そして自分の体を大事にしなさい、とも強く言われた覚えがありますし、いくら好きでも必ずしもセックスする必要があるわけではない、という話もありましたし(男性側でそういう風に言いくるめようとする場合があるらしくて)。セックスの体験・感覚は女性の場合心持ちに大きく左右されるんだから、とか言われたなあ。
要するに女性としてセックスを拒否する権利があること、自分の心と体を大切にすること、自分の身を守ることが重要、ということを学んだわけです。
フェミニストな方向とは関係なく、割とそういうのを知ることは女性にとって大事じゃないかなあ、と私は思うのですがこういう心構えが教えられている学校ってたくさんあるのかしら。
・・・ということを今日ふと考えてたわけです。
まとまりもなくオチもない話で内容がなんだかあれで申し訳ありませんでした。
またちょっと間があくかもしれませんがこのエントリーを一番上にしておくのもなんだか変な感じなのでなんとか更新したいと思っています(汗)
お口直しに今日の一曲を、と思ったのですがリストはあっても文の中身考えてないんでまた今度。
また更新します~(汗)
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日も引き続きあのことが頭の大部分を占めています。大事なことだからじっくり悩みたい。
練習も増やさなくちゃいけないですし、今まで以上にもっと心と気を入れるようメンタル面も整えなくちゃいけないですし、いろいろやることはたくさん。
もうちょっと自分のなかで決意を固めたい。
もしも演奏をするとしたら、とプログラムを組むことを考えるとやっぱりスクリャービン「炎に向かって」はやりたいと思ってます。でもやっぱりプログラムのコアとなるのはメシアンじゃないと。
自分のホームグラウンドであり、自分の強みであり。
その中でも有力候補として曲集「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」がどっしり存在感を発揮しています。
私が初めて出会い、弾いたメシアンは「20のまなざし」で。それが20歳くらいの時で以来メシアンの音楽の中で(そしておそらく今まで弾いたどんな曲集と比べても)最も長く、濃いつきあいをしてきた曲集です。
今のところノータッチなのは第6,13,20楽章のみ。第10,15楽章もまだまだマスターしたとは到底言いがたい状態なので、実質20の内15つの楽章を弾いてきました。
(そのうちの多くは在学中に授業などで人前で弾いた経験も多く、そういう意味でも鳥カタよりも演奏復帰には向いてます)
大小いろいろなまなざしがあって、弾き手によってだいぶテンポが変わるのですが、とりあえず全曲弾くとCD二枚になるくらいの長さです。「鳥のカタログ」よりは短いですが、それでもなかなかの質量で。
20のまなざしは鳥のカタログと比較するとよりPianisticな印象がありますね。より伝統的なピアノ曲に近い、というか。まあ鳥のカタログは鳥としての表現だから当たり前といっちゃあ当たり前ではありますが・・・
なんだかんだでメシアンの基本、というか一番親しまれているメシアンの作品で、やっぱりメシアンを聴くなら、メシアンの音楽に出会うなら入り口は「20のまなざし」が良いと思います。
比較的聞きやすいですし、美しい音楽いっぱいですし、それからメシアンの世界観というか表現というか、音楽言語や信仰につい割とわかりやすいかな、と思うのですよね。
あと20のまなざしについて面白いのは、プログラムに組むのに柔軟性が高いこと。鳥のカタログだとなかなかちょっと難しいのですよね。
20のまなざしは曲集を通じて共通のテーマを使ったりしてるので、いくつか相性がいい曲を合わせたり、コンセプトでまとめたりしやすいのですよね。(曲の長さで選ぶことも可能ですし)
例えば:
2楽章(星のまなざし)+7楽章(十字架のまなざし)だったら共通テーマつながり+キリストの「誕生」と「死」の象徴、とか。
1楽章(父のまなざし)+5楽章(子に注ぐ子のまなざし)+10楽章(喜びの聖霊のまなざし)で三位一体とか。
4楽章(聖母のまなざし)+9楽章(時のまなざし)+11楽章(聖母の最初の聖体拝受)で聖母マリアつながりとか。
色々メシアンの信仰のに沿ってみたり、あとはピアノ曲としての組み合わせを考えてみたり、自分で解釈してコンセプトを創ってみたり。
私が得意としていた、というか在学時代にこの曲集のライフワークとしていたのは:
第17楽章(沈黙のまなざし)+第18楽章(恐るべき塗油のまなざし)+第19楽章(我眠る、されど我が心は目覚め)の3曲。
がっつり15~20分くらいするかな。(3曲続けてコンサートクラスで弾かせてくれたのはびっくり。)
「20のまなざし」のなかでもかなり抽象的なまなざしの組み合わせで。私は神の神秘・神の破壊・神の愛という「新たな三位一体」と考えてて(神秘・破壊・愛は他の楽章でもテーマとなってますが、この3つの楽章はその中でも抽象的な表現が特徴)。これらだけ切り出すと直接的なキリスト教信仰もかなり神秘主義的な方向になるんですよね。
もともと番号が続いてるのは合わせやすい、というのがあるのと、第18楽章がちょっと対称的なつくりになってたり、あとは3曲ともかなり対照的なスタイルでうまくバランスがとれている、というか。不思議な安定感があって好きなんです。
その3曲を在学中にがっつり弾いて、それからもいくつか新しくまなざしを弾いてきましたが、やっぱりこの「新たな三位一体」に対しての思い入れが強いんですよね。
自分がピアノにおいてやりたい「世界観を作り出す」というのを実現するには本当に向いてると思いますし、弾いててものすごく充実感がありますし(一つずつでも3つでも)。
3つ合わせればソナタを一つ弾くに等しいくらいの質量ですし、他弾く曲を選ぶ際にある程度柔軟性が残ります。
だからやっぱり弾きたいなーと思ってるんですけど数年あいてるしさてどうかなーとか思ったり。
もちょっと最近弾いた、またはもうちょっと小さめのまなざしにしたほうが良いんじゃないかな?とか。(14楽章の天使のまなざしとか7楽章の十字架のまなざしとか結構良い線いってましたし)
新しいコンセプトをくむのもいいんじゃない、とか、はたまた鳥のカタログでプログラムを組んでもおもしろいんじゃないか、とか。
でもこうやって悩めるのはこれまで数年メシアンにおいてレパートリーを広げながら基盤を固めてきたのがあるからで、そしてメシアンの音楽に対して本当に深い愛を持ってるからで。
なんかものすごく贅沢で幸せな悩みを抱えてるな、と思います(笑)
そもそも演奏に戻ることにもまだ迷いがありますが、でもメシアンの音楽はきっと自分の力になってくれる、とう信じています。運命の恋人のようなものですからね。あとは自分の努力と決意ですね。
今日はなんだかちょっとぐだぐだになりましたが(もともと20のまなざしの紹介として機能するとは思ってなかったですが・・・)メシアンの音楽と自分との間にある様々はまた別の日に話したいと思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第9楽章 「時のまなざし」
いやあー20のまなざし、あんまり取り扱わないんですでにどれを扱ったか全く覚えてないんですよね!
でもこれはまだ扱ってないだろう、という確信。なぜならあんまり書くことがないから。
20のまなざしを弾き始めたときは主に5分以下の小さめの楽章を中心に弾いていました。みんながそうするのかといえばそうではないようなんですが、自分はメシアンの音楽に慣れるために小さいところから始めよう、と決めてて(割と早いうちに「いずれは全部弾くんだから急がず行こう、いいのを後でとっておこう」と思ってたのもありますが)。
小さい曲はそれだけで音楽的に成立するのは難しいですし、それだけで弾いてて・聴いてて音楽的に満足するのは難しいですが、それでもこの曲集のキーコンセプトを握っている場合が多いです。
先ほどあった第2,7楽章しかり、この第9楽章しかり。
「時のまなざし」。メシアンはなにかと「時間の動き」を音楽に表すことが多く、そのときには似たようなテクニックを使うことがあります。リズムカノン、というのですが、ちょっと説明が難しいので説明は省きます(汗)
とにかく楽器が数パートに分かれてサイクルっぽく弾いてるのです。
この「時のまなざし」でも最初のセクションとリズムカノンが交互に出てきます。
サイクル、ぐるぐるまわるカノン、というのはメシアンにとってはまさに「永遠の時」の表現で。
リズミックな最初のテーマとリズムカノン、2種類のリズムが表すのはきっと「人間の時間」と「神の時間」。(これはトゥーランガリラなどでも似たような傾向があると思います)
キリストはどちらも司るんですよね、きっと。でも人間の(=聖母マリアの)胎内に生まれ人間となることで人間の時を歩むようになる。(だからさっきの「聖母マリアのくくり」に入れたんですがちょっとわかりにくい・・・)
でもキリストに限らず妊娠している状態ってそういう神秘もありますよね。母体に流れる時間と、胎内の子供に流れる時間。そして母体の住む世界と胎内の子供をつつむ世界。
まるで彫刻のようにかたどられた、抽象的な時間の描写。
先ほどの「新たな三位一体」のくくりであれば間違いなく「神の神秘」に入る楽章で、トゥーランガリラの「トゥーランガリラ」楽章と同じくこのくくりの曲ってちょっと取っつきにくい印象がありますが・・・
でもメシアンの「神秘」の描写、「時」の表現、そして「リズムの作曲家」と自ら称するそのユニークなリズムの世界とふれあって、少しでもわかってもらえたらなあ、と思います。
今日も引き続きあのことが頭の大部分を占めています。大事なことだからじっくり悩みたい。
練習も増やさなくちゃいけないですし、今まで以上にもっと心と気を入れるようメンタル面も整えなくちゃいけないですし、いろいろやることはたくさん。
もうちょっと自分のなかで決意を固めたい。
もしも演奏をするとしたら、とプログラムを組むことを考えるとやっぱりスクリャービン「炎に向かって」はやりたいと思ってます。でもやっぱりプログラムのコアとなるのはメシアンじゃないと。
自分のホームグラウンドであり、自分の強みであり。
その中でも有力候補として曲集「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」がどっしり存在感を発揮しています。
私が初めて出会い、弾いたメシアンは「20のまなざし」で。それが20歳くらいの時で以来メシアンの音楽の中で(そしておそらく今まで弾いたどんな曲集と比べても)最も長く、濃いつきあいをしてきた曲集です。
今のところノータッチなのは第6,13,20楽章のみ。第10,15楽章もまだまだマスターしたとは到底言いがたい状態なので、実質20の内15つの楽章を弾いてきました。
(そのうちの多くは在学中に授業などで人前で弾いた経験も多く、そういう意味でも鳥カタよりも演奏復帰には向いてます)
大小いろいろなまなざしがあって、弾き手によってだいぶテンポが変わるのですが、とりあえず全曲弾くとCD二枚になるくらいの長さです。「鳥のカタログ」よりは短いですが、それでもなかなかの質量で。
20のまなざしは鳥のカタログと比較するとよりPianisticな印象がありますね。より伝統的なピアノ曲に近い、というか。まあ鳥のカタログは鳥としての表現だから当たり前といっちゃあ当たり前ではありますが・・・
なんだかんだでメシアンの基本、というか一番親しまれているメシアンの作品で、やっぱりメシアンを聴くなら、メシアンの音楽に出会うなら入り口は「20のまなざし」が良いと思います。
比較的聞きやすいですし、美しい音楽いっぱいですし、それからメシアンの世界観というか表現というか、音楽言語や信仰につい割とわかりやすいかな、と思うのですよね。
あと20のまなざしについて面白いのは、プログラムに組むのに柔軟性が高いこと。鳥のカタログだとなかなかちょっと難しいのですよね。
20のまなざしは曲集を通じて共通のテーマを使ったりしてるので、いくつか相性がいい曲を合わせたり、コンセプトでまとめたりしやすいのですよね。(曲の長さで選ぶことも可能ですし)
例えば:
2楽章(星のまなざし)+7楽章(十字架のまなざし)だったら共通テーマつながり+キリストの「誕生」と「死」の象徴、とか。
1楽章(父のまなざし)+5楽章(子に注ぐ子のまなざし)+10楽章(喜びの聖霊のまなざし)で三位一体とか。
4楽章(聖母のまなざし)+9楽章(時のまなざし)+11楽章(聖母の最初の聖体拝受)で聖母マリアつながりとか。
色々メシアンの信仰のに沿ってみたり、あとはピアノ曲としての組み合わせを考えてみたり、自分で解釈してコンセプトを創ってみたり。
私が得意としていた、というか在学時代にこの曲集のライフワークとしていたのは:
第17楽章(沈黙のまなざし)+第18楽章(恐るべき塗油のまなざし)+第19楽章(我眠る、されど我が心は目覚め)の3曲。
がっつり15~20分くらいするかな。(3曲続けてコンサートクラスで弾かせてくれたのはびっくり。)
「20のまなざし」のなかでもかなり抽象的なまなざしの組み合わせで。私は神の神秘・神の破壊・神の愛という「新たな三位一体」と考えてて(神秘・破壊・愛は他の楽章でもテーマとなってますが、この3つの楽章はその中でも抽象的な表現が特徴)。これらだけ切り出すと直接的なキリスト教信仰もかなり神秘主義的な方向になるんですよね。
もともと番号が続いてるのは合わせやすい、というのがあるのと、第18楽章がちょっと対称的なつくりになってたり、あとは3曲ともかなり対照的なスタイルでうまくバランスがとれている、というか。不思議な安定感があって好きなんです。
その3曲を在学中にがっつり弾いて、それからもいくつか新しくまなざしを弾いてきましたが、やっぱりこの「新たな三位一体」に対しての思い入れが強いんですよね。
自分がピアノにおいてやりたい「世界観を作り出す」というのを実現するには本当に向いてると思いますし、弾いててものすごく充実感がありますし(一つずつでも3つでも)。
3つ合わせればソナタを一つ弾くに等しいくらいの質量ですし、他弾く曲を選ぶ際にある程度柔軟性が残ります。
だからやっぱり弾きたいなーと思ってるんですけど数年あいてるしさてどうかなーとか思ったり。
もちょっと最近弾いた、またはもうちょっと小さめのまなざしにしたほうが良いんじゃないかな?とか。(14楽章の天使のまなざしとか7楽章の十字架のまなざしとか結構良い線いってましたし)
新しいコンセプトをくむのもいいんじゃない、とか、はたまた鳥のカタログでプログラムを組んでもおもしろいんじゃないか、とか。
でもこうやって悩めるのはこれまで数年メシアンにおいてレパートリーを広げながら基盤を固めてきたのがあるからで、そしてメシアンの音楽に対して本当に深い愛を持ってるからで。
なんかものすごく贅沢で幸せな悩みを抱えてるな、と思います(笑)
そもそも演奏に戻ることにもまだ迷いがありますが、でもメシアンの音楽はきっと自分の力になってくれる、とう信じています。運命の恋人のようなものですからね。あとは自分の努力と決意ですね。
今日はなんだかちょっとぐだぐだになりましたが(もともと20のまなざしの紹介として機能するとは思ってなかったですが・・・)メシアンの音楽と自分との間にある様々はまた別の日に話したいと思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第9楽章 「時のまなざし」
いやあー20のまなざし、あんまり取り扱わないんですでにどれを扱ったか全く覚えてないんですよね!
でもこれはまだ扱ってないだろう、という確信。なぜならあんまり書くことがないから。
20のまなざしを弾き始めたときは主に5分以下の小さめの楽章を中心に弾いていました。みんながそうするのかといえばそうではないようなんですが、自分はメシアンの音楽に慣れるために小さいところから始めよう、と決めてて(割と早いうちに「いずれは全部弾くんだから急がず行こう、いいのを後でとっておこう」と思ってたのもありますが)。
小さい曲はそれだけで音楽的に成立するのは難しいですし、それだけで弾いてて・聴いてて音楽的に満足するのは難しいですが、それでもこの曲集のキーコンセプトを握っている場合が多いです。
先ほどあった第2,7楽章しかり、この第9楽章しかり。
「時のまなざし」。メシアンはなにかと「時間の動き」を音楽に表すことが多く、そのときには似たようなテクニックを使うことがあります。リズムカノン、というのですが、ちょっと説明が難しいので説明は省きます(汗)
とにかく楽器が数パートに分かれてサイクルっぽく弾いてるのです。
この「時のまなざし」でも最初のセクションとリズムカノンが交互に出てきます。
サイクル、ぐるぐるまわるカノン、というのはメシアンにとってはまさに「永遠の時」の表現で。
リズミックな最初のテーマとリズムカノン、2種類のリズムが表すのはきっと「人間の時間」と「神の時間」。(これはトゥーランガリラなどでも似たような傾向があると思います)
キリストはどちらも司るんですよね、きっと。でも人間の(=聖母マリアの)胎内に生まれ人間となることで人間の時を歩むようになる。(だからさっきの「聖母マリアのくくり」に入れたんですがちょっとわかりにくい・・・)
でもキリストに限らず妊娠している状態ってそういう神秘もありますよね。母体に流れる時間と、胎内の子供に流れる時間。そして母体の住む世界と胎内の子供をつつむ世界。
まるで彫刻のようにかたどられた、抽象的な時間の描写。
先ほどの「新たな三位一体」のくくりであれば間違いなく「神の神秘」に入る楽章で、トゥーランガリラの「トゥーランガリラ」楽章と同じくこのくくりの曲ってちょっと取っつきにくい印象がありますが・・・
でもメシアンの「神秘」の描写、「時」の表現、そして「リズムの作曲家」と自ら称するそのユニークなリズムの世界とふれあって、少しでもわかってもらえたらなあ、と思います。
