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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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日本語って難しい
前回のエントリーに拍手どうもです~
そしてちいとばかり間があいてしまいました・・・新しいおもちゃ、もとい遊び、もとい表現形態を見つけてしまったばかりに忙しくなっていました、というか現在進行形。
(あと検索ワードに「ここで見つかるか!?」というようなキーワードがちらほら見られます。お探しの情報が見つからなかったらすみません。あと聖飢魔II関連キーワードが引っかかり始めましてなんだかこちらもすみません・・・)

今日はいいこともありましたがちょっとばかり低めでしたね、全体的に。
気分がのらないというか、集中力の切れやすさもそうですし、なによりも「何を聴いても気分がぱっとしない、特に何も聴きたいわけじゃない」というのに現れました。

そんな中仕事は比較的苦手な英和翻訳。日本語を書くのはやっぱり苦手なのですが今回の案件は良い薬になってます。分量も巨大ではないですし、内容的にも理解しやすいものですし。
内容は詳しくは言えないですが、今やってる案件はちょっと特殊なような期がします。「ですます調」と「である調」が混在してる(と思う)、というのとあと内容も一部は専門用語を使って他の一部は一般に分かるような言語を使って、というので。
日本語でその区別を付けるのってなかなか難しいんですよね。英語で「一般に分かる様な用語」でないものははっきりそう見えるんですが、日本語だと漢字の字面でなんとなくわかっちゃうから「この言葉で分かってもらえるのかどうか」が曖昧だったり。

あとは例えば病名を「一般に分かる様な言葉で」となると単語でなくてここの部分がこうこうなる病気、とかいう「説明文」になるんですよね。これはもう半分翻訳じゃなくてどっちかというと自分でその専門用語をなんとか一般の人に説明している感覚で。
で、たまに英語における一般に分かる様な単語とか病気とか症状の「呼び名」って日本語に直すと正式な病名になっちゃうことがあって、そうすると元が短いのを考慮してあんまり長くならないようにちゃちゃっと説明するしかなかったり。

なかなかこの「説明」というのが難しい。一応大学卒業した後まで医学を勉強したことはない(厳密に言えば今でもそんなに「勉強した」とか言えるレベルではない)のだけど、病名とか専門用語は理解できるのに、それを医学のバックグラウンドが全くない人に専門用語などを説明する、というのが大変困難に思うのです。英語だったらどうなるのか、まだわからないのですが日本語ではとにかく難しい。
それはまあ、見ようによっちゃあこの仕事を2年前?位に始めたころから知識は大分増えた、ということではあるのですが・・・

「説明」が難しいのは例えばコメントチェックで「ここは現在形ではないでしょうか」とかコメントがあったときに「どうして英語ではここで過去形を使うのか」というのの説明が困難を通り越してほぼ不可能に近いことだったり、このブログ(本文・今日の一曲)で音楽のことを説明するときにいかに音楽理論の専門的なあれを使わずに説明するか(といっても音楽理論をそんなに駆使する方ではないはずです、私はもともと)、そういうことでも日常で(主に後者)いろいろ悩んだり考えたりしているわけです。

でも例えば臨床試験の「同意説明文書」とか薬の「添付文書」とか、一般に(後者は種類によって一般に限らずですが)「説明する書類」を翻訳するのは好きです。自分があたかも読み手に直接説明しているかのような気持ちになるんですよね。自分が最初から文章を起こしているわけではないけれど、言葉はちゃんとわかりやすいように自分で選んでますし、(いつもそうじゃないわけじゃないですが)心がこもるんですよね、文章に。いつもにまして「伝えたい!」と思います。

なんとなく自分の自分に対する印象として割とスノッブというか「象牙の塔にこもる」じゃないですが、特に音楽だったりメンタルヘルスの話に関しては割と専門的な方向に目が向いてて、その中でも特に音楽に関しては玄人相手な考え方だったり話し方をしたり、分かりやすく説明することをかなりめんどくさがる方だと思うのですが・・・
こうやって考えてみると案外自分はそうでもないのかな、もっと広く知ってもらいたい、自分の言葉(または他の表現形態)で分かってもらいたい、そのために努力したいと思ってるんだなあ、と改めて感じます。同時にそれを忘れないでいようと思います。仕事にも音楽にも書き物にも。
(そこで気になるのがメンタルヘルス方面ですね。専門的な方向を向いて研究に興味があるのか、一般に向いて臨床関連をやりたいのか。うーん。)

さて、話は変わりますがジョージ・クラムの「Apparition」の歌詞となっている「When Lilacs Last in the Dooryard Bloom'd」を含むWalt Whitmanの詩集を買ってきました!
前々からちょこちょこWhitmanの詩はいろんなところで見てきたのですがこれでゆっくり楽しめます!(未だにやっぱり紙の本派ですねーやっぱり。安心感がある、というか読みやすい、というか)
さーていつ読む時間ができるかな(汗)読みたい本だけじゃなくて論文も結構溜まってるのでいつか消化できたら。消化と言えばアウトプットもどうなるやら・・・


今日の一曲: Spice Girls 「Naked」



前回もクラシック音楽以外ですが、今日もまたいつもから、そして前回から方向性をがらっと変えて。

Spice Girlsは以前も書きましたが思春期早期(笑)に好きだったグループで、アルバムはこの曲が収録された「Spice」と次の「Spiceworld」を所有、結局Goodbyeのシングルが出るころ(=Geriの脱退時期)くらいまではまってましたね。
で、ここ数年で古いCDを見つけてなんとなくipodに入れて改めてなつかつしさとともに再評価、というか。

もちろん、というかライブのビデオだったり映画もビデオで持ってたこともあるのですが、この「Naked」という曲はライブなど(PVも?)で5人が後ろ向きの背がくびれた椅子にまたがり踊りながら歌い、あたかもヌードであるかのように見える、という演出で有名になったというか話題になった歌です。
10代のころからそういったセクシーなものとか性的な演出他いろんなものには特に抵抗はなく、「なるほどー」
的なリアクションで迎え、まあ芸術的なもので美しいと思えば素直に好きと言いますし。前述演出は好きだと思いましたよ、当時。

でもそのいわゆるショッキングさで音楽的な価値が若干見くびられてる感じはちょっとあるかなーと最近思います。
ジャズコードを駆使して&歌い手の語りによって作られる、曲を通じて流れる暗い中に古いスポットライトが一つともってるような、どこかふしぎで張り詰めた雰囲気だったり。
で、この雰囲気もやっぱり歌い手の声がちゃんとしてないと成り立たないわけなんですよね。

「Naked」というのはなにも身体的な裸に限らず、歌詞にもあるように迷っている中で自分の心をさらけ出す(ただし歌詞にあるように「誰にでもではない」!)、自分の本当の姿を見て欲しいという願望などということもあり、それによる正直な「表現」、ということもあり。
この歌で歌われている「裸」はだから裸体彫刻だったり、美の女神アフロディーテが生まれ出でた姿としての裸だったり、なにかとっても堂々とした美だったり信念があって。
もうちょっと穿ってみるとそれは自分に対する自信(例えばボディイメージであったり、アイデンティティであったり)、または女性としての自由や誇りであったり。
基本Spice Girlsの歌はどれも女の子、というか女性の味方にがっつり立つようなスタンスの歌を中心としていて、Nakedもまたそれを強く反映していると思います。(私もどっちかというとフェミ寄りですしね)

曲の途中でのSporty Spice(=Mel C)のシャウトの部分が特にいいですよね。あたかも楽器のソロのような自由さというか、ハーモニーからの解放(「Any old fool」のとこ、特に!)だったり、それがかなり気持ちいいです。

こうやっていろいろ大人になって(?)改めて考えて気づいてみて思うのは、スキャンダラスな部分ばかり見ずに改めて聴いてみて欲しいと心から思う曲です。
(歌詞はこちら

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新年の抱負・初夢に考えすぎること
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日は練習始め(とともに新しい曲もいくつか始め)だったのですがまだ一応休み、ということで創作に精を出したり外に出て暑さを楽しんだりしていたり。
ブログネタとしてはあんまりないけれどとりあえず新年的なものを。

あんまりこういうのを改まってやることってないんですが、2012年の抱負、みたいなものを今回はちょっとまとめてみます。

1) 州外旅行に行く
まずはここ数ヶ月思ってたこと。日本に行ったときに帰国ビザの取り忘れがかなりストレスになったのでとりあえずの間(=永住権がとれるまで)は国内でどこかにいきたいな、と。今年は旅行らしい旅行は日本に行っただけ、ということなのでどこか一人旅で、と思ってます。15年住んでてオーストラリアで行ったことないところいろいろありますからね~
特にこれ見に行きたい!とかじゃなくて違う街に行ってちょっぴり観光しながらゆったり過ごしたい、というか。なんか別の街の美術館で興味のあるexhibitionとかやってたら最高だな、と。
あとは庭園だったり美味しい食べ物だったりお酒だったり。さすがに一人で飲みに行く、とかはできないと思いますが・・・
(これで店見知りも克服、というのもあります)

2) 自分の調子の変化に臨機応変に対応できるようになる
メンタルヘルス方面での抱負です。年々なんだか新しい方面で不調がでてきて、去年は特にこれまでよりも長く続く軽躁に悩まされもしたのですが、ドクターの連携と新しい薬の使い方、というか対応戦略でなんとかなって。なので今年もなんか新しい問題が起きてもドクターとコンタクトをとりながら、これまで学んだことを駆使して自分の精神の健康をなんとかメンテナンスしていきたいと思いますが。
(抱負として改まる必要はないことではありますが・・・)

3) 炎のエレメントをもっと探索・身につける
これは音楽・ピアノ方面の抱負です。ずいぶんとぼんやりとしているように思えますが・・・
去年はメシアン「火の島I」の再習得やスクリャービンの「炎へ向かって」をはじめとして「炎」というエレメントを今までよりも身近に感じた年でした。(あと上記軽躁との関連もちょっぴりあったり)
なので今年はもっとそれを自分の物として、さらに身近に自分の一部として、もっと自由にパワフルに操れるようになりたいと思ってます。
具体的な曲としては今日弾き始めたプロコフィエフのピアノソナタ第2番第4楽章や、ヴィラ=ロボスのブラジルのバッハ第4番第4楽章や、あとは秋冬にかけて弾く曲ででてくるかな、と。

4) 解釈的にもっとぶっ壊してみる
これも音楽方面です(笑)前々回のエントリーで書きました「自分にとってのその曲の意味」に通じることで、音楽そのものの意図をキープしたままどれだけ自分の想像力を音楽に反映させられるか、どれだけ自分色に染めて、狂わせて、色々な意味できわどい、というかエクストリームな音楽にできるか、ぎりぎりにチャレンジしてみたい。
今一番それを考えてるのは去年友達がリサイタルで弾いたモーツァルトの幻想曲ニ短調。レクイエムと同じ調でほぼ同時期に書かれたあの曲を、レクイエムと似たような精神、強迫観念や恐怖をはらんだ病んだ音楽としての限界を極めてみたかったり。他にもちょびっと考えてます。

5) 遺伝学の勉強をする
これは仕事関係ですね。医薬翻訳の仕事は過去の書類などを翻訳するものからこれから発表されるようなことを記した書類を翻訳するものまでいろいろあって、やはりこの時代だと色んなエリアでちょくちょく遺伝学関係の話はでてきます。(他にも再生医療なども熱いトピックですが、そちらの方は使う用語などは医学全般とそこまで変わりはない、という印象を受けます)
高校でVCEでは生物学をとってなかったため、勉強として遺伝学に触れたのは10年生の科学が最後。なので本当に基本的なことしか習ってないです。タンパク質の合成とか、そこまで行きませんもの(汗)
ということでちょっとハードルは高く感じるながらも今までやってきたように教科書を買って仕事で出会いながらちまちまと勉強をしていきたい・・・とは思ってます。

あとは「別に改まって・・・」つながりでもう一つ話を。
夢は一般的に覚えてたり覚えてなかったりなのですが今年の初夢(1月1日の夜みた夢)はちらほら覚えてることがあり。
誰と誰がが出演した、という話はさておき、内容についてちょっとひっかかることがあり。
そりゃあ所詮夢の話ですし、夢判断みたいのはとりあえず信じてないですし、あんまり考えすぎるのもあれですが、とにかくちょっとひっかかってるのです。

抱きしめられて、弱音を吐いて。しかもそれがものすごく落ち着いてほっとする夢。
それがひっかかるのは、やっぱり自分はちょこちょこ自分だけで抱えこもうとしてしまっているのだろうか、ということで。

いつも元気で明るく、笑顔でいることが美徳だとは思わないですし(そんなこっちゃあ俺にゃ無理だ!と分かっているので(笑))、普段からストレスが溜まる前にも長年の友人なりピアノなり音楽なりちょっと軽く愚痴るつぶやき(自分にはっぱかけるような作用もあり)なりいろいろ対処・発散しているつもりではいるのだけれど。
頼ってるつもりでもやっぱりどこかで頼ってないのかな、自分でなんとかしようとしてるのかな、という思いは去年自分の心の隅にちょっとあったのですが・・・
夢に出てきたから、だけじゃなくてこうやって実際気になる、というのもやっぱり改めて考えてみるべきなのかな、と思ったり。
結構なんでも自分でやらないと気が済まないようなところもありますし、もうちょっと自分が我慢すれば、とかもうちょっと頑張れば、というような感じで無理しちゃったこともたびたびありますし。

所詮は夢、ではありますが一つのきっかけではあるのでもうちょっと気にしてみたいと思います。


今日の一曲: 雅楽 「盤渉調越天楽」(ばんしきちょうえてんらく)

いつもの貼り付けがうまくいかなかったのでテキストリンク。両親が持ってるやつと同じCDです。)

日本で両親の持ってるCDコレクションのなかから何枚もPCにインポートさせてもらって帰ってきたのですが、父の好みのアジア系、例えばインドやタイ、インドネシアの民族音楽のCDが仲間入りした中、日本の伝統音楽も少しばかり聴くようになりました。
その中にあった「越天楽」のCDのからの一曲です。(盤渉調という調でで書かれた越天楽、ということですね)

日本生まれではありますが日本の民族音楽にはとんと疎くて。
でも聴くには大好きですよ。やっぱり他のどこのものでもない、日本が感じられて。
日本の音楽は面白いですね、まず西洋と違うなと思うのはリズムの感覚かな。この越天楽を聴いてると決まった拍子が感じられなくて、不思議な流れがあって。
前々から書いている「日本の音楽は旋律が主体」というのが(少なくともこういう音楽からは)感じられます。

そしてなんといっても笙の音が大好きで!複数の音が吹ける管楽器、というだけですでにエキサイティングなのですが、その調音や音色が生み出す光・色彩がとにかく素晴らしい。
バックグラウンドでドローンをずっと担当していて、その色と光がちらちら見え隠れする様も美しいです。

で、ちょっと調べてみるとwikipediaにいろいろ面白いことが。
1) 越天楽は漢の高祖・劉邦の軍師として有名な張良が作曲したという説がある
2) 松平頼則作曲の「盤渉調越天楽の主題によるピアノと管弦楽のための主題と変奏」という曲をマダム・ロリオが弾いている

雅楽自体も要勉強ですが、こんなところにもフォローアップ項目ができてなんだかわたわたしています(汗)

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明けましておめでとうございます&大晦日の冒険
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!

そして2012年明けましておめでとうございます。
去年は大きく、小さく様々なことがあった年でしたが無事新しい年を迎えることができ、また今年も皆様にとって多くの幸せが訪れるよう、年の初めが楽しいものであるよう願っています。

私の正月は大雑把なくくりだと「寝正月」だったと思います。何もしてないわけじゃないんですが(主に創作関係でいろいろアイディアだしてました)、寝転がって過ごしました。
というのも昨日一日歩き回ったのが腰に響いて・・・(笑)

ここからはそんな昨日の午後11:30に家をでてから夜10:30に帰宅するまでの一人冒険の一日を写真を交えて紹介します。ここに上げるのは一部ですが、アルバムにまとめたものはDropboxのこちらのギャラリーにまとめましたのでどうぞ。

FizroyのRose StreetのGraffiti大晦日で閉まってる店って本来はそんなにないんですが、最初に立ち寄ろうとしていたところ(とプランB)はことごとく閉まってました(笑)本当はロルカでランチして、FitzroyでRose Street Marketを覗いて・・・ということだったのですが。でもRose Streetの通りでこんなGraffitiを見つけました。
メルボルンってのは割とどこでもある程度は落書きがあって、それがアートになってる場所もあるのですがどうも色彩が、とか絵柄のスタイルが、とか(主に前者)で好きになれなかったのですがこれは目をひきましたね。
上の女性はインド神話のカーリですかね?私が知ってるカーリはもっと黒くて、骸骨は頭じゃなくて首飾りとしてあるはずなんですが。

そしてFitzroyでのメインのお目当て、Victorian GothicでアルケミーゴシックのLa Fleur de Baudelaire Chokerを買いました!写真は公式サイトのこちら。アルケミーゴシックのコレクションは3点目、そろそろ専用の収納場所が欲しいところです。結構首回り大きいのですが、これからいろいろ試してみる予定。にしてもやっぱり美しい!

Royal Arcadeその後シティに戻って買い物。Body Shopでピンクグレープフルーツのシャワージェルを買って。
Dymocksと移転したReader's FeastでWalt Whitmanの詩集を探してたのですが、クラムの「Apparition」の歌詞となった詩が入ってないので購入断念。代わりにDymocksで偶然見つけた「オーケストラの楽器カードシリーズ」、弦楽器がそろってたうちビオラとチェロを購入。金管もみつけて両親に贈りたい~
そしてこないだ空になったベルガモットのオイルをPerfect Potionで買って。
さらにRoyal ArcadeからBlock Arcadeを歩いて。街もそうですがアーケードもまだクリスマス飾りが出してありました。(写真はRoyal Arcade)
そこで、Spellboxが全品20%オフセールをやってるのを見てちょっと入ったら素敵なシンプルなガーネットのネックレスがあったので買ってしまいました。48ドルが20%オフ、とこの価格帯でデザインが気に入るガーネットのアクセサリーは今まで見てきてなかなかなかったためタイミング良し、と買いました。

Leafy Sea Dragonそしてペンギンが入って初!メルボルン水族館に行って来ました。
といってもやっぱり日本でいくような水族館とは比べものにならないんですが、それでも楽しかったです。
写真はこれだけアップ。辰年ということでリーフィーシードラゴンです。
辰年抜きでも大好きな生物です♪他にも好きな生物でいったらコウイカ、タツノオトシゴ、フグ・カワハギ各種、エイ、サメ、ウツボ、オウムガイ、マツカサウオ、カエル、タコ、クラゲがいました。
エイは私が両手を広げたよりも大きい、こたつみたいなやつが居て大変可愛かったです。

2011年最後の日の入り夕ご飯はいつも通り、サウスバンクのBlue Trainで。
カクテルメニューがなかったため、最近飲むようになった美味しいサイダー(スウェーデンの?)Rekordeligのアップル&ブラックカラント(スグリの一種)味を飲みながらいつもの生ハム+ほうれん草+パルメザン+セミドライトマトのピッツァをいただくことに。
どこにいっても大晦日はものすごく混んでるものですから、カウンターの端で一人もくもく食べ&飲みました。Rekorderligは500mL瓶なのでたっぷり飲めます・・・が、他の味のほうがよかったなあ。ベリー系統は好きでないんですよ。(色でピンク系統が好きでないのと同じように)

Crown Casino Art Centre Spire 「バレリーナのスカート」そして食べた後はクラウン・カジノまで散歩。8時半過ぎてやっと上の写真のように日が沈み。クラウンカジノは以前も紹介しましたが夜になると毎時ぴったりにファイヤーディスプレイがあるのでそれをちょっと待ってみたり。
長く住んでてもこれはなんだか楽しみになってしまう。冬だとちょっとの間だけ暖もとれます(笑)

今夜は9時半からMCG(メルボルン・クリケット・グラウンド)の方で花火が上がるので子供連れも多く、とにかく人の出が多かった!どこを歩いても賑わってる!あとよくわからないのですがインドの方の少数の行列がサウスバンクを楽器と歌とで練り歩いてたり、他にも店の中から、そして通りの上で様々なスタイルのライブミュージックが聴けて。そこここでイベントの準備とかもやってましたし。
賑やかでもう、一人で歩いてる私もものすごく楽しい気分になってしまいました。
本当に楽しくて、この街に住んでて良かった!メルボルン最高!と心の中で叫んでいました(笑)

花火をちょっとだけ見たらもう帰路につこう、ということでFlinders Street Stationに向かいました。
上の写真ではちょっと見えないかもですが、Arts Centreの「バレリーナのスカート」が黄金色にライトアップ。(新年になるときはこの塔の上で花火が上がったそうで、「燃え上がった」とか今日言われてました)
そしてFederation Squareの方から音楽が聞こえてたり、あと昼説明を読んだ、四季とりどりの花を表したライトが聖ポール大聖堂に反射させられてるのが見えたり。

帰りの電車は花火終わりのRichmond(MCGの最寄りなので)からものすごく混んだ!そして最初にすれ違った対向列車もものすごく混んでた!カウントダウンに向かう組なんでしょうね。
オージーの大晦日はとってもアクティブですなあ~

なかなか「何もしないで休む」ことが苦手なので結構歩いて過ごした大晦日でしたが心置きなく暑い夏の日と活気にあふれた大晦日のメルボルンの街をエンジョイできて、買いたかった物も買えて(笑)ものすごく楽しかったです♪


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「スペイン狂詩曲」より第4楽章「フェリア」



夏、夜、花火、賑やか、魔法のような、といえばこの曲でしょう!
ラヴェル大好きにはたまらない、そしてまだ実際に弾いたことがないのが悔やまれる、早く弾きたい曲でもあります(チェレスタのパートありますからね~)。

ラヴェルが作った音楽って良い意味で「人間くささ」というか「人が作ったもの」という感覚が薄い、本当に魔法のような音楽が多くて。この楽器とこの楽器をこうやってこう足してこんな凄い効果が出るってのどうやって分かるんですかあの人は。
そのなかでもがっつりスペイン風ながらもどこかこの世界を離れたような不思議な世界がこの曲では感じ取れます。
ふわっと浮遊するような感じだったり、ぶわっと沸き起こるような感じだったり(これはハープの働きが本当に大きい!)、ぐるぐる狂おしい感じだったり、まるで激しく燃えさかる炎を自在に操るような、軽やかに踊るような快感は、人間と言うよりは精霊達が踊り狂っているようです。

こんなに鮮やかで、こんなに激しく、こんなに自由な音楽なら全身で味わいたい!
いつかこの音楽に直接ふれ合うことができれば・・・と思ってます。ダフニスとクロエの最後の方もにたような感覚ですが、フェリアの方が「炎」寄りですからね~

あとラヴェルの音楽って湿性というよりは乾性なのでメルボルンの夏の夜にぴったりなのですが、スペインの気候も似たような感じなのかしら。そうだったら親近感湧くなあ。

(リンクはやっぱりデュトワで聴いてみたい!と思ってこれにしましたが、第4楽章は試聴できないかも。あとブーレーズのラヴェルオケ曲集のCDがあるのですがこれも興味深いですね、聴いてみたいです)

拍手[1回]

ピアノを弾くことだったり音楽の表現だったり自分の練習だったり、独り言のような話
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
なんか自分でも最初予期しなかった話の発展しように今でもちょっと戸惑ってます。

今日は一応仕事&練習納めでした。なんといっても休まなきゃいけないので!
気道の過敏もまだ治らないですし、きっとストレスが関連してると思うので・・・
来年の仕事始めをどうしようかとちょっと悩みながらとりあえず今年はおしまい、と自分で決めた次第です。
(練習は明日休んでまたすぐ始めたいですが。新しい曲が待ってますし)

で、仕事おしまい!と喜ぶ暇もなくヤドカリさんが一匹脱皮しているのを見つけ。正確には皮があるだけなのでもしかしたら元の殻に戻ってこもってるのかもしれないのですが、もう2匹脱皮で亡くなってるのでやっぱり気が気でないです。とりあえず水槽を暗くしてそっとしておきながらやきもき。

今日の話はどこかほんのり昨日の続きの話?ともいえるかもしれないですが。
音楽を新しく作ることと、新しい音楽を弾くことと、すでにスタンダードなレパートリーとなってる曲を弾くのにはそれぞれ違うスキルだったり思考回路が要るんですよね。
私は比較的新しい音楽を弾くのが好きですが、実際「録音が存在しない」ほど新しい曲を弾いたのは1回あるかないかくらいで、さっきの3つの中だと2番目と3番目の間の割と広い間を専門としている、みたいな感覚です。
つまりは、すでに少人数そのレパートリーを専門として素晴らしい演奏・録音を残しているながらも、まだまだ弾く人・録音の絶対数が少ないから「この曲はこう」という無言のイメージ、いわば「イデア」のようなものが固まっていない、様々な解釈や弾き方が点在している状態のレパートリーが得意、ということで。
そうするといろいろ解釈や演奏を自分で探索するのにある種の気の楽なのがあるんですよね。

基本的には私が弾く曲を選ぶとき、曲を弾きたくなる思いの底にある基盤は「その曲に自分だけの意味を見つけられるか」というのが一番の基準だと思います。
(別の言葉でいうと「自分色に染められるか」っていうのもありますかね)
すでにイメージがある程度固まってきている音楽から新しい意味を見いだすのはとても難しい。必ずしも新しい意味を見いだす必要を感じずに弾ける人もきっとたくさんいるのだろうけど、そういうレパートリーだったら他の人の演奏を聴いてるだけで十分だ、と思ってしまう気質なのです。
だから作曲されてからの歴史が浅い現代音楽だったり、マイナーな曲に走りがちなところはあります。

他人の目だったり弾き方・解釈に関してはあんまり気にはしないほうではあるのですが、でも周りにそういうものがあふれているのとないのではどうしても心持ちが違うような気がします(自分に影響を及ぼし得る要因の量は完全にコントロールが効かない、というところもあるのでしょうか)。周りの影響が少ないほうがやっぱりのびのびできる。別に誰に急かされているわけでも指示されているわけでもないけど、影響が少ないほうが時間的にも空間的にもいろいろ探索できるような気がするんですよね(せっかちな性格ではありますが)。
特に大学なんかだと課題であるないに関わらず結構みんな曲が大々的にかぶることが多くて、そういう環境だとなかなかスタンダードなレパートリーで自分だけの味が出せるとは思えないんですよね。だからなのか、バッハの平均律第1巻の変ロ短調もプロコフィエフのピアノソナタ第2番も卒業してから初めて手をつけることになった、というか。そういう意味では一人で音楽をやるのはものすごく自由です。

もちろんこの「自分だけの意味を見つけられるか」というのには自分の心境だったり諸々インスピレーションだったり、他の要因によって時が経つ毎に変わってくると思います。今まで意味を見いだしてた曲に意味を失うこともあれば、逆に今まで新しい意味を見いだすことができなかった曲に新しい意味を見つけたり。
意味を見つけるのは音楽だけじゃなくいろんなきっかけがあって、もちろんいろいろ見聞を広げたり想像を広げたり知識を深めることできっかけに出会える機会は増えるけど、ちょっと運任せなところ、というか向こうから来るのを待たなくちゃいけないのもある。そこは確かにもどかしいけど、自分が今生きてる中で創作や音楽に関してトリガーが来ることは最高の楽しみの一つだと思います。

あらゆる表現形態において自分の表現のスキル、というのはかなり拙いもので、自分がイメージしてることが例えばピアノでどれくらいできてるか、というのは本当のところ微々たるものだと思います。
自分の今の練習の仕方もどっちかといえば「レパートリーを広げる」中心で、つまりは「弾けるようになる」プラス「解釈やイメージを固める」はあるんだけれどその2つを合わせた「音楽の解釈やイメージの表現を極める」ところは比較的弱い気がします。
原因としては人前で演奏する予定がないことだったり、そういうエレメントはプログラム組みによっても左右されることがある、というのもあり。
でも何よりも今の自分にとってはやっぱり「レパートリーを広げる」こと、そしてそれによって日常の色々から蓄積される「表現したいこと」をどんどん形にしていく術を広げていく、ということであり。
とどのつまりある曲の音が弾けて、曲の解釈とイメージを固めておけば後ほどもっと大きい形式で形にしたとき(コンサートとか)、そうやって広げたレパートリーのストックから曲を選んで「弾けるようになる」プラス「解釈やイメージを固める」プロセスに専念できる、という思惑が一応あるのです。

ということで今はひたすらストックを増やすぞ、と自分に言い聞かせてます。どこかやっぱり詰めの甘い部分はでてくるけれど、大学の時の経験だと曲を詰めるにはプレッシャーがあった方がやりやすいような気がするので。
ある程度点を打ったら線で繋いで行くのもいいし、その線で繋ぐ過程もまた楽しみにしています。

線で繋ぐ過程、で理想なのは前Piano Landmarksで先生がやってたことかな。
このエントリーにちょっと書いてあるんですが、先生がその時ひいたプログラムは「前奏曲」と名のつく様々な曲(多くはハ長調)をバッハからショパンからリストからラヴェルからプロコフィエフから・・・とまるで脳内でアイディアが流れ翔るように続けて弾いてったもので。
そういう風に一つのアイディアを元にいろいろ展開していくようなプログラムを一つ持ちたいな、と思ってます。
そのために点を増やしてるわけなんですが(笑)
先生に「あれよかったですよね~」と話すことはできても繋ぐべき線が見えるのは私自身だから、これもまた気長に待っています。

さて、なんだか自分に言い聞かせるような話ばかり続けてしましましたが、明日は大晦日。
できれば一日外に出掛けたまま過ごす予定です。たまにはお金をかけることを躊躇わずいろいろ楽しんでみたいのでこれからラフに予定をたてようと思ってたり。
なんたって明日は天気も良いし32℃!一人でも遊ぶにはこんな良い日はない!夕方から夜もきっと暖かいですし!
できれば音楽も聴きたい物を心のままに、で新年を迎えたいですね。

ブログの更新は明日はかなわないと思うので早めのご挨拶を。

今年も一年このブログを訪れて、読んでくださりありがとうございました。
検索で来られる方がやはり多いですが、お探しのもの、そうでないけど心に残るもの、何かが見つかったことを願っています。
また来年も引き続きよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください!
Thank you for a wonderful 2011, and hope to see you next year!


今日の一曲: クロード・ドビュッシー 前奏曲集第1巻 第2番「Voiles」



前回ベタなやつの方選んで楽したので今回はベタじゃない(ペンタトニックの)使い方の方を。

まずはタイトルに言及すべきですね。「Voiles」というのはフランス語の題のままなんですが、この言葉は定冠詞(aとかtheにあたる言葉)が女性形か男性形かによって意味が変わる、という。
男性形だと「帆」、女性形だと「ヴェール」。ドビュッシーはあえて明記しないことで両方のイメージを持たせているとか。

前回のエントリーに書きましたがこの曲の大部分は「全音階」で成っています。
半音はピアノで言うと直接隣り合った2つのキー。半音×2つ=全音。
全音階は半音ずつ上がっていく「半音階」の音を一つずつ飛ばした結果できる音階です。(ド、(ド#を飛ばして)レ、(レ#を飛ばして)ミ、(ファを飛ばして)ファ#・・・)
別の言葉で言うと一オクターブを6等分した、という・・・
・・・ピアノ教えるのやめてからこの手の説明下手になったな。日本語だからってのもあるけど。

まあとにかく全音階というのは20世紀ちょっと前まであまり使われなかった音階です。
それはなぜかというと「普通使われるどの調にも属さない、どの調も示さない」音階で、全音階でハーモニーを作ると不協和音になるだけでなく、ハーモニー進行の方向性を失うからというのもあって。

だからこの曲「Voiles」は最初っからかなり曖昧な方向性と色彩で始まります。
耳に良いとは言えないけれど悪いとも言えないちょうどいいくらい(笑)
それがしばらく続いたあと昨日紹介したペンタトニックのパッセージが入って来るわけです。
ペンタトニックの音階は全音階と真逆ではっきりと特定の調を示し、どの音をとっても不協和音らしい不協和音ができない、という性質があります。それが周りの曖昧な色彩の中をまったく違うはっきりした色で染めていくのです。

ドビュッシーの時代というのはこれまであったハーモニーや調のシステムから違うものを作ろうと色々実験している時代で、この曲も確かにそういう側面があって。
前の時代と同じく音楽においてハーモニーに緊張と解放を与えることで方向性ってでるものだけど、今までと違うルールと素材でいけないものか、という探索の結果の一つがこの曲です。(緊張=全音階、解放=ペンタトニック。ざっくり言っちゃいましたが)。

それにしても全音階が作り出すこの神秘的な雰囲気がものすごく好きです。先ほど書きましたように必然的に不協和音が多くなりますが、弾き手のタッチ(指だったりペダルだったり)がそれを不快ではなく神秘的にする、というのもまた良いです(そういうタッチの探索が弾き手として好きで楽しいです)。

前奏曲集第1巻は「亜麻色の髪の乙女」や「沈める寺」など有名な曲も含め、キャラクターの立った、お国巡り的な、魅力にあふれた曲が収録されています。耳に良いだけでなく時代との関連やドビュッシーの表現方法などから見ても興味深い曲たちで。
有名なものに限らず聴いてみてくださいな♪

拍手[1回]

背を向けられない美しいクリシェ
いきなり聖飢魔IIの歌のタイトルのパロディみたいなタイトルのエントリーですみません(笑)
(念のために元の聖飢魔IIの歌のタイトルは「Save your soul ~美しきクリシェに背を向けて~」です)
といってもトピック自体はこないだ親友としてた話、そして前回のエントリーの「今日の一曲」からふくらんだ話です。

クリシェ=clichéとは常套文句や使い古された言い回しなど、最初はちょっと粋なものだったけど使われすぎて陳腐になったものを指します。
クラシック音楽もその歴史はざっと300年以上ありますので国・時代・スタイルなどが変われども、新しいものを常に求め動き、フレッシュなものをいくら創り出してもどうしても使い古されるものが出てくるわけです。
例えばベートーヴェンは当時の音楽にあった決まりというかクリシェを徹底的にぶちこわそうとした人で。ハーモニーや形式などで当時としてはかなり破天荒といえることをやったのですが(良い例がピアノソナタ第3番 op.2-3ですね、ぶちこわそうという意図まで透けて見えます)、それがもうベートーヴェンが有名になっておおよそ200年経った今の時代では当たり前になってしまっています。(ここんとこ親友と話してた部分です)
ストラヴィンスキーの「春の祭典」もそうですよね。1912年の初演では騒ぎが起こるほど斬新な音楽ですが今では斬新さはまだあるながらも「20世紀の音楽ってこういう感じ」という当たり前感が漂いつつもあります。

こないだちょっと読んだ記事であったのですが、音楽を聞いている間脳はある程度先を予測しようとする、というか常に先を「期待する」(anticipate)そうで、音楽はその期待に望むものを与えるか、またはその予想を裏切ることで聴き手の心を動かす働きがあるそうです(大分おおざっぱな説明だ!)。
だから作曲家側としては期待に望むものを与える方法、そして予想を裏切る方法どちらもマスターしなければならなくて、その中でも予想を裏切るのはやっぱり奇抜なこと、今までなかった斬新なことをやらなくちゃならないわけで。
それでまあ今日下に紹介するようなテクニックを使うのですが、それも何度も使われると聴き手もある程度予想できるようになって、結果クリシェになってしまう、というわけで。

ちょっと偏屈気味でスノッブである、音楽において割と「変わった」ものを好む、いわゆるポピュラーな感じのクラシックを疎む私ですが、意外とクラシック音楽にあるクリシェ的なテクニックに弱かったりもするんです。
英語でいうと「soft spot」というか、どうしてもその使い古されたフレーズなどに意図された反応をしてしまう、そんなクリシェを許してしまう、そういうところがありまして。
今日はそんな「背を向けられない美しいクリシェ」をいくつか紹介していきたいと思います。

1) ピカルディの三度
短調の曲が最後の終止和音だけ長調になることをこういうそうです。バッハがよく使ったテクニックで、私はこれをキリスト教で苦痛から最終的には解き放たれる、救いがあるみたいな意味合いがあるんじゃないかと解釈しています。
音響の物理からしても短和音というのは緊張が生じる、「不自然」な響きで、それが倍音の関係で「自然」である長和音に移行するのは本当に開放感というか、resolveした感覚が強いです。なんというか、いくら使い古されてもいくらたくさん聴いてきてもその根底の感覚は変わらないみたいですね。
先ほど書いた通りこの曲はバッハの音楽で多用されていて、短調の曲もほとんどピカルディの三度で長調になって終わるのですが、例を挙げると以前弾いた平均律第1巻第22番(変ロ短調)は前奏曲もフーガもはっきりとピカルディの三度で終わります。ちょっと変わった使い方としては同じく変ロ短調のショスタコーヴィチの前奏曲とフーガ(第16番)のフーガで、最後のセクションまるまる1分ほどが長調になっているというとっても長いピカルディの三度となっています。効果はものすごいですよー。

2) ナポリの6度
ナポリの6度は毎度おなじみ完全終止(「ちゃんちゃん♪」の和音進行)の前にメインの調の半音上のコードが入る、というハーモニー進行です。音楽理論を抜きにして説明するのは難しいのですが、「メインの調の半音上のコード」というのは普段メインの調で音楽を進めているとまず出てこない、
メインの調と関係ないまさに「青天の霹靂」的なコードで。
さらにナポリの6度に当たる和音は♯のつく調なら♭メインのコード、♭のつく調なら♯メインのコードとして現れることも多いので理論が分からなくともかなり色彩や印象ががらりと変わるため聞き分けることが比較的容易です。
今書いたようにかなりインパクトの強いコード進行ですが、ロマン派の時代にに移行するにつれてハーモニーの変化がもっと自由になり、ナポリの6度の使用頻度だけでなくもっと奇抜なハーモニーの変化も使われ、さらに20世紀になってハーモニーの動きは本当にいろんなところに行ってしまったのでクリシェと化した・・・という経緯でしょうか。
ナポリの6度はポップミュージックも含め様々なところで使われていますが私にとって印象が強いのはチャイコフスキーの作品、特にワルツ曲ですね。最後の方で複数回使われることも(ちょっとくどい使い方ですが)。さりげない使い方としてはショパンの前奏曲第20番かな。割とジャズっぽい和音進行の曲の中に深みをさらに出すナポリの6度(第2フレーズ、そしてその繰り返しの最終フレーズそれぞれの終わりにみられます)。

3) ペンタトニック
ペンタトニックとは五音音階のこと。日本では「四七抜き音階」といって、ハ長調だったらファとシを抜いたド・レ・ミ・ソ・ラでなる音階のことを言います日本では(伝統音楽でもポップでも)よく使われる音階で、よくある「
黒鍵だけで弾ける曲」はペンタトニックで成り立ってますし、日本人に馴染みやすい外国のメロディーもまたペンタトニックから成り立ってることが多かったり。
ペンタトニックは日本だけでなく東洋
全体で基本となっている音階のため、西洋ではエキゾチック・オリエンタル風味を出したいならペンタトニック!と安易に使われる事が多かったり(特にパリ万博以降乏しい知識とイメージから漠然と東洋へのあこがれを抱いた作曲家達)。安易なんだけど確かにすぐ分かるし、やっぱりちょっとエキゾチックな感じとなじみやすさを感じてしまうのですよね(苦笑)
前回の「今日の一曲」のクラムの「A little suite for Christmas」の「東方の三博士の礼拝」が分かりやすい例ですかね(このエントリーのきっかけでした)、すぐ「あっ!」て思うと言う点では(笑)でもペンタトニックを乱用してるといえばドビュッシーでしょう、ダントツで(笑)割とベタな使い方をする中で、ピアノのための前奏曲集から第2番「Voiles」はなかなか粋な使い方をしています。この曲はほとんどが全音階(音階の一つの音から次の音がかならず全音)で成り立っていて、調がものすごく曖昧になってる中にペンタトニックというまるで違う毛色の音階が使われる事でさあっと違う色の風が吹くようなエフェクトになっています。

4) ヘミオーラ
ヘミオーラとは3拍子の曲で(1は常に強い拍→)1 2 3 |1 2 3 とリズムがなってるところが突然1 2 1 |2 1 2と、なんというか小節をまたぐようにリズムが「ずれる」ことを指します。
一番有名な例はバーンスタインの「ウエスト・サイド物語」の「アメリカ」ですかね。あの曲は6拍子ですが、1 2 3 1 2 3 |1 2 1 2 1 2と2種類の区切りが交互に現れるので私の説明よりかはあるいは分かりやすいかもしれないです(ただネットでこの違いを聞いてる例を見てるとそんな簡単にはいかないのかな、と思ったりも・・・)
リズムは明らかにずれますが、変拍子を伴わないですし音楽の流れを大きく妨げたり変えたりはしないのでリズムに変化を与える、聴き手の感覚をゆさぶるのにはかなり容易なリズムテクニックで。
これもまたチャイコフスキーのワルツによく出てくるやつですね!(笑)実際に踊っててヘミオーラが出てきたら貴族の方たちはどれだけ気にするか、そこまではわかりませんが(バレエで使うとき振り付けはヘミオーラ意識してるのかな・・・)それでもやっぱり「おっ」と耳をひくものがあります。耳をひく、以上に「これは凄いな」と思ったヘミオーラの使い方はドヴォルザークの交響曲第7番第3楽章でしょうか。ヘミオーラは珍しいほどの高頻度で出てきますが、1 2 1 2 1 2にスイッチするときの力強さがリズムのアンバランスさを強調してものすごいキャラクターを打ち出してます。

今回紹介した「クリシェ的テクニック」のそれぞれに対してちょっとベタな使い方をしている曲と粋な使い方をしている曲と両方挙げてみましたが、いくら使い古されたものでも使い方と表現者の腕によっては新鮮な魅力を出すことができる、ということで・・・
良い例としてはパロディ的な用法ですかね。クリシェを自虐的に、皮肉的に使ってユーモアと魅力を出す、でもそういうことをうまくやるにはスキルが伴う。

今の時代、クラシック音楽では300年の歴史が積み重なり、他のジャンルでも様々な国の音楽にアクセスできるようになり、音楽が量産化できる時代になり、とにかく「既存の音楽データ」が膨大なものになってきている中、音楽におけるクリシェもまた急速に増え、今現在も音楽界にはクリシェがそこここらにあふれている状態になっているとも言えます。
これは話すと長くなるんで別の機会にとっておきますがポップミュージックでの不協和音の使われなさだったりその他「不快」なものを避けることによって「予想を裏切る」ようなことをしない傾向だったり、とにかく耳の肥えた現代人の耳をひくようなことをしない、クリシェの海に溺れている音楽的な懸念がたくさんあって。(これもまた別の機会用ですが、私にとって良い作曲家の判断基準の一つは「不協和音の使い方が上手い」です)

以前読んだ論文で「音楽によって表現されるネガティブな感情は聴き手にとってネガティブな影響を与えない」というのもあり、それから先ほどベートーヴェンと春の祭典の例を挙げたように「予想を裏切る」ことは聴き手の注意をひき、インパクトを与え記憶に残り、そしてそれが一時的に不快なものだとしてもやがて親しみ慣れていく、ということもあり。(長期的な展望が欠けている、ということなのかな)
そして先ほども書いたようにクリシェを使わないことだけが「予想を裏切る」ことじゃなく、クリシェもまた使いようで。それもさっきのも全部ひっくるめて表現者の「意図」が問題なのかもしれないな、という思いはあります。
ちなみに書く側だけではないですよ。「音楽を選ぶ側」もそうですから。(例えば日本において弾かれている・弾かれていない音楽のおおまかな分布への懸念)

こんなに語るつもりは当初なかったんですが熱くなってしまいました。普段からジョージ・クラムの言葉でいうところの「大量の無関心な音楽にあふれているこの世界で「良い」音楽未満のものを創ることは良いことだとは思わない」、という思いを抱えてて。
・・・皮肉にも元ネタの歌のタイトルに戻ってきましたね。「Save your soul~美しきクリシェに背を向けて」。
このエントリーの内容に沿わせてみると耳ざわりの良い、予想に叶ったものばかり与える音楽のクリシェに背を向けて、予想を裏切られること(それは不快感だったり、別の意味で快感だったり)で魂を救え、と。
予想以上にまとまってしまって困惑しながら今回は結び。


今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」 第1幕より「ワルツ」



タイトル元ネタ曲も、粋な使い方もいいんですけどね、他の機会で余裕で紹介できると思ったので、ヘミオーラとナポリの6度がクリシェ的な感じで聴けるこの曲を。(あと説明短くてすむ)

そもそもチャイコフスキーのワルツ自体がクリシェなんですよね。バレエでも幾度となく使いますし、交響曲でも使いますし(交響曲のはでもクリシェじゃない使い方が多いかも、比較的に)、あと小品でもワルツと名のつくもの、つかないものいろいろ。
そのなかでも何となく典型的、というか「チャイコフスキーのワルツといったら」みたいなところがあるクリシェのなかのクリシェ(笑)

単純に華やかで、優雅で、短調に変わるセクションがあって、最後の方にヘミオーラ+ナポリの6度で盛り上げて・・・というお決まりのコース。でも分かっていても魅力があって、クリシェじゃないところもたくさんあったり。
実際に弾いてるとチェロのパートってそこそこ悪くなかったりしますからね~

とにかくクリシェといえば・・・でなくチャイコフスキーのワルツといえばまずこれを聞いて欲しい、と。バレエのストーリーの流れには直接的には関係ないですし単品でもそれなりに成り立つしっかりした曲でもありますので。

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