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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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クラムの「アメリカ歌曲集」シリーズ
前回のエントリーに拍手どうもです~
昨日の夜にface to aceのアルバム2つ、「風と貝がら」と「peaks」を日本で注文して今日発送されたばかり(こちらに来るのは両親がこっちに来るときかな)なのにすでに浮かれております。自分という生き物は常に単純きわまりないです。いやあ楽しみ。両親がこっちにいる間いろいろ観光行くので車移動で聴けるじゃないか!

そしていまあるCDももっと聞き込まなければ。
特にクラムはまだまだじっくりなじませないといけないですねえ。結構弱音部分が多いので外でだと聞きにくいですし。
新しく買った曲でスコアがあるものは借りないと耳だけでいろいろキャッチできてない部分もあるので。

こないだ買ったのはクラムの「アメリカ歌曲集」シリーズから2作が収録されてるCDで。
そのときも書きましたがすでに「アメリカ歌曲集」は一つ持ってたのです。
アメリカ歌曲集の構成はこんな感じ(持ってる曲は*で):
1) The River of Life (2003)
2) A Journey Beyond Time (2003)*
3) Unto the Hills (2001)
4) Winds of Destiny (2004)*
5) Voices from a Forgotten World (2007)*
6) Voices from the Morning of the Earth (2008)
7) Voices from the Heartland (2010)
元は4部作だったらしいですが一昨年の時点で7作。8番目が書かれてるという話もどこかで見たような。それにしても2001年~だから全曲21世紀の音楽ですね、完全に。最近だなあ。

この「アメリカ歌曲集」は南北戦争の際に歌われた歌や民謡、古い大陸から歌い継がれた歌、黒人霊歌(Afro-American Spirituals。第2集は全部これです)、原住民の歌などのメロディーと歌詞をアレンジしたり、はたまた必要とした場合は歌詞だけとってオリジナルのメロディーに乗せたり、あと完全オリジナルの曲もあります(後述)。
この中には民謡として知られているもの、フォークミュージックのアーティストによりカバーされてるものなど結構聴いたことのあるメロディーもありますが、クラムは全く新しいセッティングでこれらのメロディーを音楽に仕立てています。
(プラス第2集、第4集は楽器のみの間奏もあって、特殊な形の楽譜になってたりするそうです)

元々これはクラムの娘さんの提案により実現したサイクルみたいです。
娘さんは歌手で、先ほどのうちの第1集、第3集の初演を手がけています(もちろん録音は出てます)し、それから第4集の第8楽章のオリジナル「民謡」の歌詞を書いています。
いいなあそういうの。憧れます、誰かのミューズになるの。もうちょっとできた人間にならなきゃですが(汗)

このアメリカ歌曲集は歌手(1人or後の方の曲集では複数)+ピアノ+打楽器4人という編成で書かれています。
(同じく最近書かれ始めた「スペイン歌曲集」(2009年に第1集「Ghosts of Alhambra」、こちらはロルカの詩を音楽に乗せて)はピアノでなくてギターがフィーチャーされます)
で、この打楽器がすごいらしいです。なんと『各曲集』100種類以上の打楽器、しかも5つの大陸の様々な国からの打楽器が使われてます。(ここですよ、スコアでチェックしないといけないの!)
民族音楽でしか聴いたことない楽器や全く聴いたことのない楽器もちょこちょこ聞こえますし、耳なじみある楽器もクラムの手にかかると聴いたことのないような使い方をされたり。
以前からクラシック音楽で打楽器が音楽のキャラクターだったりお国柄を表すのにものすごく重要だと書いてますが、こうやってマルチカルチュアルな打楽器の集まりでそれぞれのお国柄を主張するかと思えばそうでもないんですよね。クラムの使い方がいいのもありますがなんというか、案外溶けあうんですよ。
メロディーはアメリカの歴史の中で生まれた歌ですが、音楽全体としてはどこか多国籍であり同時に無国籍である、そんな感覚に迫っているところがあります。

アメリカ歌曲集の面白いのはクラムの思い、特に彼が何を嫌っているかとかネガティブな感情がものすごく伝わってくるところです。
例えば第4集第1楽章「Mine Eyes Have Seen the Glory」では(歌から察するに神の名においての)戦いの後に広がる廃墟と破壊の跡と屍の山と、というのがまざまざと見えます。クラムはそういう(アメリカという国とよく関連される)「正義」の名においての暴挙をものすごく嫌ってるんだな、というのが他のいろんな作品においても、そしてこの曲でものすごく感じられます。それはマーラー1番の第3楽章のパロディが入ってる第4集第2楽章「When Johnn Comes Marching Home」の皮肉の辛辣さにも見えることです。
他には過酷な状況下において一縷の希望に弱った手でしがみつく奴隷の図(第2集第9楽章「Sometimes I feel like a Motherless Child」、第4集第6楽章「All My Trials (Death's Lullaby)」)とかもありますし。
もはや絶望を通り越したあきらめ(第5集第3楽章「House of the Rising Sun」)とかも本当にひしひしと。
それがまた全て美しいのですが。

今持ってる曲集のうち特に気に入ってるのを挙げると(順不同):
1) 第5集第9楽章 「Firefly Song (Ojibwa)」
2) 第5集第10楽章 「The Demon Lover」
3) 第2集第8楽章 「Go Down Moses」
4) 第5集第8楽章 「Beautiful Dreamer」
5) 第4集第1楽章 「Mine Eyes Have Seen the Glory」
他にもあるんですが絞れない。ちょこちょこ今日の一曲でも追々。

5)はさっき書いた通り。あまりにも強烈な恐怖のイメージが怖い、怖いけれどだからこそ好きなんですよ。あとフクロウの鳴き真似とかオーストラリア原住民の楽器とか、歌い手の距離感とかいろいろピンポイントにツボるところが多い。
1)はもう最初聴いたときから揺るぎない第1位ですね。元々はアメリカの原住民のうちの民族の歌だそうですが、五音音階で成ってるのをクラムは上手く使ってるな、と。木琴とか木でできた打楽器の音がすてき。
2)はアメリカというよりは古い言語や船乗りとかイギリスっぽい雰囲気なんですよね。全体的に生と死の間の闇の空間を表しているようなビブラフォーンが絶妙だと思うのですよ。
3)についてもほぼ一目惚れ。元のメロディーの最初の4音がグレゴリア聖歌のDies iraeと同じということを利用してつなげたアイディアと、あとピアノとidiophone族(木琴とか鉄琴とか調音してある打楽器)のタッグが素晴らしい。弾いてて絶対気持ち良いよピアノパート!
4)が面白いのはメロディーが口笛により担当されてて、歌詞が歌い手の囁きによって担当されていること。口に指をたてて「しーっ」てしているようなものすごく繊細な音楽。これはじわじわと最近来てます。(ちなみに原曲はフォスターの有名なメロディー「夢路より」です)

全体的に見るとこのシリーズには4つの曲集に収まらなかったクラムのアメリカという国の根本のところに対する愛(白人以外も含めたアメリカの歴史、地理、文化など全部ひっくるめて)があると思います。その愛が深いからこそ前述のようなアメリカに関連する性質を嫌うところがあるんだと思います。
そして同時にアメリカの音楽を通してもっと広く世界を全体としてカバーするような音楽を書くこともしてるのかな、と。Lux Aeternaで西と東の音楽をつなぐようなところもありましたし、クラムの音楽のスタイルって特定の文化をはっきり指し示さないようなところがあったりするので。それに加えて上述打楽器の使い方だったり。

あんまりアメリカの歴史はこっちの学校でもそんなに習わないですし、文化全般もそうですが音楽に関してもあんまりアメリカのものってクラムの音楽に出会うまでは魅力を覚える事って本当に少なかったです。
でもクラムの音楽、特に「アメリカ歌曲集」を聞き始めてなんとなくそれが変わってきているようで。クラムが多角的にその文化や歴史を捉える(都合の良いように、ではなく!)のも手伝ってちょっとずつ奥深さを感じるようになってきたと思います。
そして(まず原住民の音楽や一部spiritualのように表記する文化がない音楽をなんらかの方法で残すのもそうですが)、民族音楽をまた別のやり方で作り替える、歴史や文化を表現するためにオリジナルのセッティングから新しい意味を創り上げる、というプロセスが本当に面白くて。(オーストラリアだとまだまだこういうのは無理かなあ、歴史と文化の深さ、長さからして)
これからもっとクラムのそういった音楽に出会うのが楽しみです。早く他のも手に入れたいですね!


今日の一曲: ジョージ・クラム アメリカ歌曲集「A Journey Beyond Time」より第8楽章「Go Down, Moses」



今日言及してないのも含めて迷った結果これに。
やっぱり初印象からかなり強烈な印象があったんですよ、この曲は。もうDies Iraeを聞き取ってしまう、そしてそのメロディーから死や最後の審判をほぼ自動的に連想してしまうのはクラシック音楽家の性だと思います。

先ほど第2集「A Journey Beyond Time」は全て黒人霊歌を題材にしていると書きましたが、これもまたモーゼがヘブライ人をエジプトから解放した聖書のくだりを自分たちの民族になぞらえて自由を求める気持ち、モーゼのように解き放つ人物を願う気持ちを歌った歌・・・という解釈でいいんでしょうか。

同じくクラムの「Apparition」でもあるのですが、クラムはたまに歌のパートの中で「死」にあたる言葉を強調することがあるんですよね。実際楽譜でどうなってるか分かりませんが(要チェック)。この曲でも「Or I will smite your first-born dead」(さもなければ貴方方の長子が死ぬことになる」という歌詞の「Dead」の部分だけ歌うのではなく「言う」=宣告する(テンションとしては「呪う」に近いんですよね、モーゼですが)ように差別化してあるんですよね。これもまた初めて聴くと、そして何回聴いても突き刺さる。

楽器のパートも面白い。先ほど言及があったDies Iraeの引用だけでなく、フラクタルみたいに速さを2倍、4倍にしたりカノンのようにメロディーのはじめをずらしたりしながら弾かせるidiophoneたち。最高のタッグです。
ピアノの存在がまた良いですね。歌い手にしっかりしたピッチを提供するのはもちろん、idiophoneに属する楽器は低音が強くないので(打楽器ファミリーでは大きいドラムとかが担当する部分です)、ベースラインを担当する、という役割もあり。
そして4度のハーモニーが独特の響きと緊張を醸し出して、例えばベルリオーズの「幻想交響曲」の鐘の音(Dies Iraeがここでもありますね)みたいなultimatum感がある鐘の音を奏でるのも良いです。

アメリカ歌曲集に入ってる曲って先ほども書きましたがネガティブな面、辛い面、必ずしも対面して心地良いものではない感情や側面を突きつける曲が結構ありますが、この曲もまたその向き合いづらい部分も合わせて良い音楽だな、美しいなと思える、そして愛せるのが凄いですね。リアリティも感じますし、音楽に込められたものの大切さもしかと受け止めなければいけないと感じます。
全部ひっくるめて、クラムの音楽がやっぱり大好きです。

拍手[1回]

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500th エントリー!
前のエントリー拍手、ならびにコメントありがとうございます!
ブログを見て見たくなった、聴きたくなったというのはメインの方でも目指しているところですが、なんせそういう風に伝えるのが難しくて(なので若干びっくりしております)・・・せめてここでお話した曲とか脳裏に残ってくれれば・・・とは思ってますがそれもまた難しい。
どのエリアでもいつでもリアクション、質問その他諸々大歓迎です。

さて、本ブログ今回で500エントリーです!
(もしかしたらどっかで投稿ミスで番号が違ってるかもしれませんがアドレスは/500のはず)
いつも訪れていただいている皆様、本当にありがとうございます。
最初のころから変わらずの文の長さ、ちょっとだけマニアックな内容、いろいろありますが読んでいただいているということは本当に嬉しいです。
これからも長らくよろしくお願いいたします!

500エントリー目はちょっとこれまでのいろいろを振り返ってみようと前から思ってました。といっても500エントリー全部読み通すのは無理なんで過去エントリーのリストのタイトルをざっと見たりなんだりして紹介します。

反響が一番大きかったのは最近の「認知のゆがみ」についてのエントリーですね、ダントツで。twitterのほうで放射線科医のPKA先生にRTしていただいたのがきっかけで(ありがとうございます!)。
メンタルヘルスカテゴリーはエントリー数こそ少ないですが、強い思いを抱いているときにしっかり考えてしっかり書くようにしているため自分の中で大切なエントリーがいくつかあります。例を挙げると:
1) 摂食障害についてのエントリー
2) 自殺についてのエントリー(その1その2)(これは心血を注いだ記憶が強い!)
3) 自分をケアするための対策など「Scaffolding」についてのエントリー
4) 不安と「病的な」不安についてのエントリー

音楽界隈だとリンクしていただいたのがきっかけでプロコフィエフとシュミットホフについてのエントリーに訪れてくれる人がちょこちょこいるようです。だいぶ初期のエントリーなのでちょっと恥ずかしいところもあります(笑)
そして最近ツタンカーメン展@メルボルン博物館に検索エンジンから来る方がまたちらほら増えているのですが日本でツタンカーメン展やるorやってるのかしら。
検索エンジンからのご訪問に関しては未だに「ファゴット バズーカ」のキーワードでいらした方の意図が知りたいです(笑)

イベント的に思い出が深いのはやっぱり2010年のPiano Landmarks(私が音楽に積極的に関わりに戻ってくる最初のきっかけになった出来事でした)、そして去年のトゥーランガリラコンサート@ユースオケ(実際のカムバック)ですね。
イベントといえば去年こちらのABCラジオのABC Classic 20th Century Top 100カウントダウン(結果エントリーこちら)でしょうか。(最初にでたときのエントリーが検索エンジンにひっかかりやすいようですが、結果はリンクしたエントリーに。)これもいろいろ盛り上がりました。こういう企画もっとやって欲しいですが20世紀はでちゃったしさて。

コンサートやレクチャー、本やDVDの感想もできるときはいろいろやってますが、一番自分で思い入れが深い(ってのも変ですが)感想エントリーはBryce Courtenayの「Sylvia」の感想ですかね。結構初期のエントリーですが「なんで感想(というかブログ全般)こうしっかり書けないかなあ」と思う、自分で上手くかけたなと自画自賛できるエントリーです。本も今日本語訳がないと思うのですがものすごく好きな、心に近い本なので今も変わらずおすすめです。

このブログではいろいろ続き物みたいなのをたまにやってます。
ざっと思いつく限りでは楽器と性格、キーワードto音楽、その他まだ続いてないものちょっと断念したものなど。
キーワードto音楽に限らずテーマに合わせて音楽をおすすめ、というのを結構やってますが、今見返してみてもこのフォーマットは好きなエントリー結構あります。例えば:
1) クラシック音楽をあんまり知らない人に良い曲を選んでみる
2) ピアノの表現の幅を模索してみる
3) 破壊的な音楽
4) 心が弱ったときのための音楽
5) 一日の終わりにwind downするための音楽

その他記憶に強く残ってるエントリーだと女性とアニマについての考察や、心の調子が悪いときの練習で気をつけること(これはホント思い入れ強いです。自分で本当に大事にしてること、自分だからこそできることを形にした感が)、そして最近ぐるぐるした自分にとっての「好き」と「ファン」の考察とか(ぐるぐるしたエントリーのなかでは好きな方です(笑))それぞれ違う意味で思い出深いです。

そして今日の一曲。今回が500エントリー目、ということでたまにお休みしたりダブりで紹介しながらもキーワードto音楽で言及している分をカウントすると500曲は超えてると思われます。でもまだまだ紹介してない曲がどのジャンルもいっぱい。
以前も書いてると思うのですが好きな曲を出し渋る傾向があるのですよ。強く。あんまり好きじゃない曲は紹介を書くのがちょっとめんどくさいので避けがち(でもそれでもたまに紹介してますよ、ネタがあると)なんですが、自分が本当に好きな曲は紹介するのももったいない、というか独占したくなるのです。
今日は500エントリー記念ということでちょっと一つ、出し渋ってた曲を紹介します。良い曲なんですから頭ではもっと広く知ってもらいたいと思ってるのですが心がちょっと言うこと聞かなくて(笑)
(でもそういう曲でもキーワードto音楽にはちゃんと選ばれるので、むしろそっちに注目したほうが私にとっての良い曲、好きな曲は見つかりやすいのかも・・・?)

ということで宣言通り:


今日の一曲: ウジェーヌ・イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第3番 「バラード」



ほんっと、出し渋っちゃいけない曲ですよ、これ。
イザイのバイオリンソナタはこれまでも覚えてるだけで2回?今日の一曲で紹介してますし、もしかしたら他でも言及があるかもしれないのですが、どうしてもこの曲は!軽々しく出しちゃいけない気がして。

イザイの無伴奏バイオリンソナタはどれもバイオリンの技巧、表現、その他多岐にわたる魅力を最高に引き出す曲なのですが、その中でも特に愛されているのがこの第3番。
単一楽章のソナタで、ただただ強烈なのです。

この曲の楽譜一回見たことあるのですが、とてもバイオリンの楽譜とは思えないほどの複雑さ(他に何の楽譜でもあり得ませんが・・・)。音の縦・横の多さとか、スラーとかのフレーズマーク、いろいろあって真っ黒です。
でも聴いてると複雑といってもそこまでには聞こえないんですよね。
それは技巧がほぼ100%といって良いほど表現に変換されているのもありますが、その表現、感情の強烈さもあると思います。

バイオリンって以前も書いたと思いますがあんなにちっちゃい楽器で、あんなに細い(少なくともチェロより)弓で、それで一人分の感情全部を表現する、つまりそれをみんなぎゅっと濃縮する楽器なんですよね。弦の張力の強さは音の強靱さと濃さに直結していますし、同時に透明さ、繊細さにもつながってる気がします。

どんな楽器(ピアノでも)もやっぱり伴奏があると曲が安定する一般的な傾向がある気がしますが、この曲もまた「バイオリンだけ」というところでがっつり平衡を崩して、自由に内面を吐露しつくして、狂うことができるような気がします。同時にその孤独が痛く美しく。

私にとってこの曲はバイオリンの理想的な、というよりはある意味「神話的な」姿を表現しているような、これ以上のバイオリン曲はない、と思いますし他の楽器ひっくるめてもこんなに孤高で強烈で狂おしく、心の琴線を締め上げるような曲は数えるほどしかないのではないかと思います。ついでに言えばこんなに美しく気高く(でも全て恥もなくさらけ出して)狂うことができたなら、という事も。
とってもものすごく特別な音楽です。

録音はどうしてもこれ!というのを。試聴はないですが、この演奏が全曲一番だと思います。(大学の図書館にあったので実際に買ってはいないためそのうち入手する!)

拍手[0回]

聖飢魔II「まわりやがれ」の感想みたいな
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日は仕事がちょっとあったのでアウトプット欲は若干落ち着いた様子。
書き物だってピアノだっていろいろやりたいけど精神エネルギーも体力も進めるスピードも全く追いつかないです!
挙げ句の果てに毎日深夜にネットで十年以上来の友達と話していてほぼ毎回寝落ち、というふがいなさ。

そんななかどうやら次のエントリーが500つ目のようで、ちょろっと考えてます。さすがに全部見返すのは無理なのですがなんか振り返ったりなんだりしたいと思ってます。これを機に普段は出し渋ってる自分にとって特別なめちゃくちゃ大好きな曲の一つも「今日の一曲」で紹介したいな、とか。

ちょっと前になったのですが聖飢魔IIの「まわりやがれ」を見ました。
自分で買う聖飢魔IIはこれが最初、というと普通に考えて「なんで!?」なのですがミサDVDや「ウラビデオ」(解散以降のミサなど舞台裏)シリーズは妹が主に買ってそろえているので私は隙間といいますかそれ以外のものを買うよう心がけてるのです(いちいちお互いに確認してですね、次はこのCDとこのDVDを買うんだ、とか(笑))

以前も書いてるのですが聖飢魔IIの信者になってからはかなり日が浅くてバンドの歴史とか時代背景とか(さらにはどの歌・どのアルバムがどの時代かとかも)あんまりまだ分からないままで、そういうほぼまっさらな状態で作品をisolateした状態で見るのでだいぶ今回偏った感想(のようなもの)になるのをまず最初に明確にしておかなければならないと思いまして。不勉強申し訳ないです。
あとなんだか声が途中ちょっとだけ黄色くなったらそれもすみません(汗)

さて、この「まわりやがれ」、先ほどミサ映像のDVDでないと言いましたが大まかに「まわりやがれ」(一連のなんだかストーリーみたいなもの、含「ゼノン和尚バンザイ!」)、PV+ライブ映像、CMパロディに分かれてる・・・というか分けてみました(笑)ほぼ間違いないはずです。
各セクションの感想などなど:

ちなみに自分メモ、構成員の皆様のこの時期の外見(時系列でなかなか覚えられないんです): 閣下黒髪、長官黒髪、参謀黒髪ロング、和尚長角、殿下ヒゲ。

「まわりやがれ」(含「ゼノン和尚バンザイ!」): 
まず最初にエース長官が倒れながらギターをスタンドにおいている自然さに「すごいぞ!」と思ってしまう(笑)やっぱりゼノン和尚のクッキングの脱力感半端ないです。なぜか「糠に釘」という言葉が頭をよぎるのなんでだろう。
あとは「ご飯を待つ画」(勝手にそう呼んでる)が好きです(笑)ことごとく可愛い。ゼノン和尚の角にぎにぎはもはや反則。(あとこのときのルーク参謀の戦闘服いいですなあ、肩の辺りとか。羽根の装飾が似合うお方だ)

PV+ミサ映像: 「闘う日本人」を外国の方に見せてみたい(笑)Teenage Dreamはあんまり頻繁に聞かない曲なのですがこれで見て惚れましたね、なんといってもライデン殿下のドラムにものすごく魂を感じて(実際叩いてるところを見てるからというのもあるのですが)。ライブメドレーは「地獄へ突撃!」があんまり聞いたことなかったので新鮮で。好きだったですよ~
でもやっぱりPVは「世界一の口づけを」と「ロマンス」が。好きだなあ。特に前者はただでも聞くと感傷的になってしまうのであんまり聞かない曲なのに映像も見ると手に負えなくなってしまう(汗)この歌のルーク参謀のコーラスが大好き。
ロマンスはまた別の意味で好きです。おちゃめな悪魔たちに「うわあ可愛いじゃないか!」とほほえんでしまう。ちなみにロケ地の景色がちょっとオーストラリアに似てるのも親しみ深い(笑)ただしメルボルン郊外はもっと茶色い、と妹とうなずき合います。

パロディCM: 何よりもルーク参謀のムキムキが!(笑)他のところで見て知ってるのは知ってるんですが戦闘服着てると全然ああ見えないんで毎回ちょっとだけびっくりする。あと「ポンクミンC」の野球のくだりを見て「でもアメトークで演技じゃなく本当にこうだったんだよ(涙)」と思ってしまう21世紀の性。「東アンデス天然水」の諸々ツッコミどころの多さ(全部つっこむには短い!)もすごいんだけど、やっぱり炭酸が飲めないのには毎回一番即笑い。

全体的には楽器演奏構成員にウェイトが大きいDVDになるのかな。CMパロディだとリポンク(参謀、殿下)、ポンクミン(閣下以外)、東アンデス~(長官、和尚)、あとは和尚バンザイとか閣下が出てこないコーナーも結構ありますし。あとエース長官が「まわりやがれ」では倒れてる役(笑)なので他の構成員よりは少しだけless activeとなってるか。

これまでもミサDVD(妹の)など見てましたがあんまり感想を書こうとは思わなかったのがなぜ今回こんなしっちゃかめっちゃかになってまで感想を書こうとしたのか、というのは自分でもよく分からないです。
次に自分が買うことになってる(いつになるかは不明)DVDは47都道府県のCMのプロジェクトのやつなのでそのときはまた書くかもしれないですね。そのときはもうちょっとしっちゃかめっちゃかにならないようにします・・・なるべく。


今日の一曲: 聖飢魔II 「ロマンス」



あんまり聖飢魔IIの楽曲をここで紹介してないのも徐々になんとかしたいな、と思います(たまももちろんそうですし、そして今度face to aceのCDも買いますからね、課題は山積みです)。
このブログでは本文でも今日の一曲でもクラシックは言いたい放題してるので今日は(本文もここも)なんかちょっと変なテンションになってますがそれの改善も含め。

ジャンルとしては(ジャンルにそもそも私は詳しくないですが)聖飢魔IIはヘヴィメタル/ハードロックで、でもそれにとらわれずいろいろなスタイルの楽曲がその長い歴史の中で生まれてきて。
聖飢魔IIの曲で一番変化球、というのをあげるとしたら一番最初に私の頭に浮かぶのはきっとこの曲だと思います。

アコースティックギター2本だよ!というのに落ち着きを感じてしまうのはすっかり育った音楽の影響です(笑)
あとロ長調という調(一般的に私が苦手としてる調)が良い感じで丸く穏やかに使われてるのがまたほっこりする、というか。暖かみがあるハーモニーなんですよね。
で、ものすごくシンプルな曲調にシンプルさのある歌詞で。全部ひっくるめてこう、クラシックでいうところの「室内楽的な」クオリティを感じます。
サビでのギター「こつこつこつこつ」拳で叩くのに弱いのは私だけじゃないはず(笑)ルーク参謀はギターの胴の部分をこつこつしてますがエース長官がなんかチェロで言うScroll(ギターだとなんていうんだろう)のところを叩いてるような様子も。

あと映像に関しては「指絡めすぎ!」(閣下のホネホネマントの)、とか「そのブリーフ誰の!?」(持ってる本人・・・じゃなくて本悪魔はブリーフじゃないはずだけど)とかちょこちょこ言いたいこともありますが(笑)なんかみんなはしゃいでる、というよりはリラックスしている感じがPV見てて本当に心地よくて。曲のlaid backな感じも相まって見てて・聞いてて本当に安心するのです。ちょうどいい感じで切ない歌だけど安心する曲なのです。

拍手[5回]

オーストラリア国立音楽アカデミー 「Sound Bite」感想
前回のエントリーに拍手多謝多謝です!
最近ちょっとアウトプットモードが強くなっててピアノに書き物に表現することに飢えてるようです。
いろいろ追いつかない!なんでも表現欲を刺激する!という贅沢な悩み。
落ち着いて形にしていければ、と思います。

さて、昨日は国立アカデミーのコンサートに行って来たので感想を。
トゥーランガリラの彼(以前からさんざん本名コンサート告知でででますね、Peter de Jagerっていうんです)が書いた曲が初演されるというところで行って来ました。
プログラムはこんな感じ(今回は編成も書きます):

Hindson 「Light Music」 (木管五重奏: フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)
ドビュッシー バイオリンソナタ (バイオリン、ピアノ)
De Jager 「Crystals」 (クラリネット、ピアノ)
ブラームス ピアノ四重奏曲第1番 (バイオリン、ビオラ、チェロ、ピアノ)

これらの曲は国立アカデミー在学中の生徒達、先生&卒業生(ピーター)により演奏されました。最初の曲、そして3曲目は作曲家がその場に居る演奏となりました(ピーターは自分の曲でピアノを演奏したり)。
プログラムに曲の説明がなかったので作曲家2人とも口頭で曲の説明をしました。(ピーターはちょっと戸惑い感が。やっぱり自分の書いた曲について人前でしゃべるのは別の話ですもんねー)

HindsonのLight Music、その名の通り「光」を題材とした音楽でした。
第1楽章の「Strobe(ストロボ)」は光の点滅する明・暗の二極性、その表現が以前オケで弾いたことのある彼の作品「Speed」に似たような感覚がありました。スタイルとしてはアメリカのミニマル・ミュージックに似てる感じ。
対照的に「A Single Match(一本のマッチ)」は全く違う流れ、闇の色彩、音色の世界。特にこっちの楽章を聞いて「最近いいファゴットいっぱい聞けて嬉しいなー」と思いましたし、ホルンの弱音の自然さと、何にもないところからすっと入ってくるのにびっくりしました。

ドビュッシーのバイオリンソナタはバイオリンのちょっと暗いところのある音色が曲にふさわしくてかっこよかったのと、あと特に第3楽章でピアノが輝いてました!まだアカデミーの1年はまだ始まったばっかりで、他の人と一緒に弾くアンサンブルのタッグがまだ固まってないのかな?と思ったところもありましたがこれから楽しみです。

ピーターの曲は、「結晶」のようなパターンを敷き詰めたり、並べたりするような音楽で、5つの楽章がそれぞれそういった結晶からなる世界の一部を切り取ったような性質を持ってて。確かになんか小さめの窓の中にサンプルとして展示されてる作品を見るような、そういう感覚がありました。
一見無機質なようだけど、全然そうじゃないんですよね。なんか意思があって、命がある。見ているのはそのほんの一部だけれど、一部から果てしなく広がる世界を垣間見ることができるというか。
今回この曲はクラリネットとピアノで演奏されましたが本人曰く本来はサックスとピアノのために書いた曲だそうで。クラリネットの弱音とか器用さとかがこの曲の表現にぴったりで、サックスでできるのかなあ、と思ったのですが彼はサックスバージョンに結構自信があるようなのでそっちも聞いてみたいですね。
あと、前回聞いた彼の曲(トランペット+ピアノ2台伴奏、近いうちに協奏曲に仕立てるそうです)も今回の曲もピアノが「伝統的なピアノ的な音楽」とは全く別の、ピアノ<音楽全体みたいな動きをしていて面白かったです。ピアノパートの半分がクラリネットと絡んでたり、ピアノだからできることだけど、ピアノらしい機能とは違う。

そしてブラームスのピアノ四重奏曲。ピアノパートは友達が弾いてました。
これもまた難しい曲(特にピアノ!)をこの早い時期にしっかり演奏しますね!凄い!
重厚で濃厚なブラームスをいただきましたよ。音響もあるのかちょっとビオラが聞こえにくかったのが残念。(ピアノ四重奏曲の魂ですからね、あの楽器は)
あとは堅実なテンポだった(本来の勢いでやるのはやっぱり至難の技なんでしょうね)第4楽章、ピアノのカデンツァの潔さが気持ちよかったです。

コンサートのあとは近くのバーにちょっと飲んだり食べたりしに行きました。
ピーターを含む演奏側・聴衆側の友達と一緒に飲んでました。ライチ・リキュールとトニックウォーターをたまに飲むのですがピーターにも薦めた結果はまりました(笑)好みが似てる(でも彼は長調好みで私は短調好み)のと、あと甘党なのを知ってるため想定内のリアクションでしたが。
国立アカデミーは結構集中的に音楽いろいろやるため音楽以外の趣味とか勉強とかもした方が良い、という話だったり、生まれ変わったらどんな生き物になるか、とか。
コンサートを聴きに来てたビオラの後輩(今年アカデミー在学、大学時代はよくオケのリハーサルではグランドピアノを動かすのを手伝ってくれました)がシロナガスクジラになりたい、といってたのも面白いですが、彼に関しては今度これもまた名曲のフォーレのピアノ四重奏曲を弾く、となったとき「ビオラパートメロディーいっぱいあるじゃん」と思ったらほとんど他の弦楽器とユニゾンだった、という話に笑いました。それなんか分かる!ビオラファンとして!
(ちなみに元ビオラ弾きの妹に話したら共感が得られました)

ピーターとは結果おそろいの飲み物を飲んでピッツァを分けて(羊肉のピッツァでした、チーズとヨーグルトがおいしかった!)、で駅まで一緒に歩きました。
昨日は夜まで暖かかったので歩くのにはなんだか心地良い感じで、毎回のことですがピアノのことや音楽のことやなんかいろいろしゃべりながら歩いて。
あとファンフィクション周りちょっとしゃべりましたね、向こうもちょっと知ってるみたいで。自分の諸々(オリジナルもそうでない範囲に入るものも)書き物について話をした自分にちょっとびっくり。うまくどうもいろいろ説明できないんですよね、なんか。(今アウトプットモードで空回ってるのもあるかなー)
やっぱり一緒にいると心が穏やかになります。今書いた「うまく説明できない」部分もそんなにフラストレーションを感じないというか。向こうがなんかなんとなく分かっててそれで大丈夫な感じなところがあって。

そしてまた土曜日に一緒にご飯たべたり散歩したりするんですよ(笑)
向こうがそこそこ乗り気でなんかちょっとだけびっくりした、というか・・・向こうも楽しく思ってくれてるのだったら、心地よく思ってくれてるんだったらいいなあ、嬉しいなあ、と。ちょっとそこんとこ自分は自信ないので(汗)
自信はないですが素直に楽しみです。

今年はもうちょっと人に会ったりコンサートに行ったりできればいいな、と思います。
去年のユースオケの指揮者さんと同門の先輩が日曜日にMonash大学でコンサートやってるのも聴きに行きたいですし、ピーターもこれからもっと弾いたり作曲のお披露目があったりあるので、なんとか都合をつけながらいきたいと思います。
そして自分のこともなんとか。
今年もうちょっと音楽を自分の中で大きくしていく作戦、とりあえず順調ということで。


今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ピアノ四重奏曲第1番 第4楽章



ブラームスのピアノ四重奏曲の中でも一番ポピュラーな曲の一番ポピュラーな楽章。
前ブラームスは曲をしめるのがちょっと苦手、という話をしましたが(あくまでも私の個人的な印象です)、この曲は例外。抜群に盛り上がる最高のエンディングです。

この楽章は「Rondo alla Zingarese」という副題がついてます。つまり「ジプシー風ロンド」。
「ハンガリー舞曲」と似たようなテンションというかスタイルなのでそちらが好きな人は是非、そしてそちらを知らない方も同じく是非(笑)
様々なセクションが立ち替わり入れ替わり現れるロンド、この曲の場合はA-B-A-C-D-B-C-A形式になってるらしいのですが、どのセクションもキャラが立ってて魅力的。私はCセクションがお気に入り。たたずまいの堂々としてる、そして情熱的な感じがハンガリーらしいと思うのですよね-。
でもA部分とか、速いセクションのクレイジーさもまた捨てがたいです。

なんと言っても基本速い!ので自分のパートを転ばず弾いて、アンサンブルをきっちりそろえて、かつ勢いを殺さないのは本当に難しいみたいです。でもその反面、それが全部揃うとこの上なくエキサイティングな演奏になります。めちゃくちゃかっこいい曲ですよ!これで盛り上がらないで何で熱くなる!というくらい。

ちなみにこの曲(全楽章)、シェーンベルクがオケ編曲したバージョンもあります。これはこれでまた別の感性が入ってきて面白いですし、曲のスピリットがオケでうまく生きてて楽しいです(原曲聞いてて「ここオケっぽいなー」って思うところがありますしね)。ということでオケ版もおすすめ。

ブラームスはピアノ四重奏曲を3曲残してて、私は第3番がお気に入り(ピーターはちょっとマイナーな第2番、といってました)。ピアノ三重奏とはまた違うアンサンブルの魅力があって、私はビオラの音が居る、ということに弾いてても聞いてても安心を覚えますし、ピアノとしての立ち回りも、各楽器の役割や絡みもこっちの方が親しみやすいところがあります。
第1番だけ、という録音でも良い物いっぱいありますが今回はあえて3つ揃ってる、しかもどれもが最高水準の演奏、という録音をセレクト(ただ試聴はないみたいです)。スターン、ラレード、マ、アックスの4人のタッグは最高です!(他のいろんな室内楽の曲(ソナタから何重奏まで!)でもこのメンバーの演奏はハズレないのでおすすめですよ~)

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ホルンとチェロの「オイシイ」パート
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
最近コンサートにリハーサルにブログのトピックは何かとつきないですね。(本当はキーワードto音楽とかもやりたいのですがなかなか余裕ができず)
明日は前にも書きましたがトゥーの彼の作曲した曲(とその他諸々)を聴きに国立アカデミーへ行く予定。
あと先日聖飢魔IIのDVD「まわりやがれ」をやっと通して見れたので(いろいろ背景や経緯など周りのことを全く知らないですが)ちょっと感想も書けたらなーと思ってます。なんとかかけたら。

さて、前々から「チェロとホルンは似たもの同士」みたいなことを母と私の間で話してて。
弦楽器と金管楽器、そして性格の特徴や楽器の大まかな性質のカテゴリ(自分で勝手に使ってるやつ)で違うところはあるんですが、例えば以下のようなところが似てます。
1) メロディーを主に担当する楽器ではない
2) 音域・音量の域がかなり広い
3) でも音は大きくてナンボ・・・というか大きい音で歌い上げるのが好き
オケでも特に後期ロマン派以降の作品なんかだと目立ってるときは似たようなパートを弾いてることが多いです。シュトラウスの「英雄の生涯」の冒頭だったり、エルガーの「南国にて」とか、マーラーやブラームスの交響曲だったり。

そしてホルンとチェロはショスタコーヴィチの音楽でも似たような盛り上がりを見せます。
以前ホルン友達と「ショスタコーヴィチはチェロがホルンが好きか」という議論をしたことがあるのですが(笑)、少なくともオケという舞台ではそれが良い勝負になるくらいどっちのパートも充実している印象があります。
ショスタコの音楽をチェリスト時代に弾いて楽しくないことなんか一つもなかったですし、チェロが弾いてて楽しくない、下手に書かれてるパートもものすごく少ないですし。とにかくチェロをオケで弾いてて充実するのです。
そしてその頃向こうから聞こえてくる、さらに今チェレスタ弾きとして隣で吹いているホルンパートを見ても難しいながらも楽しそうなのがものすごく分かりますし、本当に輝いてると思います。

それで日曜日のリハーサルではチェロ・ホルンにとって本当においしい、楽しい、心満たされるオケのパートってなんだろう、といろいろ考え始めたのです(なんたってずっと休みですからね!)。
とりあえずこれまで弾いた曲で参考になりそうなもので、かつスコアがあるのはマーラー5番、ショスタコ5番とショスタコ11番、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」あたりかな。まだ考えはじめなのでぼんやりとしてますが全般的にちょろっと書いてみます。
(あくまでもいち元チェロ奏者&ホルンファン(笑)の見解ですが・・・)

先ほども書いたのですがオーケストラにおいてホルンもチェロも「主にメロディーを担当するパート」ではないんですよね(バイオリンやフルート、オーボエなどはメインメロディー楽器)。もともとチェロはベースライン担当が進化したもので、ホルンも元は吹ける音とかが限られた難しい楽器だったところから進化したもので。それも近代においてはだいぶ変わりましたが。
この2つの楽器はベースラインから伴奏から内声からメロディーから何でも担当できる楽器なんです。
そんななかメロディーを担当することも少なくないですし、メロディーがもらえるときはかなり情熱的な、meatyな・・・いわば舞台の一番前みたいなパートがもらえることがあって、それももちろん(はめをはずせるくらい)嬉しいですし、楽しいですし、はっきりいって完全に陶酔します(笑)
(ロミジュリの「ティボルトの死」とか、チャイコフスキーの5番の第2楽章とかが良い例ですね)

でもそれだけじゃないんですよ。ホルンとチェロは主演男優(女優)賞をもらって嬉しいのと同じほど助演男優(女優)賞に燃えるようなところがあって。
例えば初めて聞いた人はメインのメロディーに耳が行っててなかなか気づかないようなサポートパートにちょっと命かけてたりとかするのがチェロとホルン。
特にチェロはカウンターメロディー、つまりメインのメロディーの下で流れる(メインメロディーに答えたりなんだりする)別のメロディーに対してちょっとだけフェチみたいのがあるかな、という感があります。そういうのにくすぐられる、みたいな。(特にチェロはなんか趣味が「玄人好み」みたいなイメージがあるのです)

そういうとこやっぱりショスタコは長けてるような気がしますね。
主役じゃないけど、独特の意味があるというか、別の意味で大事というか。
ショスタコの第11番に関してはホルンパートをずっと隣で追ってると一番前に出ることはなかなか少ないけど、例えば5拍子が出てくるとこなんかトリッキーながらも味のある、楽しそうなパートがあるんですよね。
マーラー5番の第1楽章でもバイオリンがメインメロディーを奏でてる下でチェロが別の歌を歌ってるのが楽しかったり。

あとはそのメインの部分と「関係なく動く」みたいなところがいいのかな。
もちろん主役は一番目立たなくちゃいけないですが、その範囲で好きに表現できる感覚。サブキャラクターもメインと同じくらい精巧に作り込まなきゃいけない、という意味ではショスタコとかマーラーはチェロ・ホルンパートをうまく「名脇役」として作り込んでくれてますし、生き生きと全力で脇役を演じたい!と思わせてくれるような曲を書いてくれる作曲家だと思います。
似たようなところで「こんな細部まで完璧に作ってある!」みたいな魅力もあるのかな。

ホルンもチェロも他の楽器を引き立てるのがうまくてそういうのが嫌いじゃないけれど、そればっかりじゃ楽しくないな、みたいなところがあって。
他人のために尽くすのもいいけれど、自分のために、自分が楽しみたい。他の人の話を聞くのもいいけれど自分の言い分も聞いて欲しい。
そして楽しむときはとことん楽しみたい。
例えて言えばそういう欲求をクオリティ高く・バランス良く満たしてくれるのが「良いチェロパート、ホルンパート」になるのかな、と思います。

ここまで書いたら「どの楽器でもそうなんじゃないか」と言われそうですが、でもバイオリンだったらほとんどいつも主役で当たり前、とかビオラは「自分が前に出たい」欲求がそんなには高くなかったり、とか楽器とその役割によって感じ方は違ってくると思います。
チェロもホルンも役割の幅が広いからこそ、みたいなことがあってこういう考えに至ったところがあると思うんですよね。なかなかここんところの思い入れを伝えるのは難しい。うーん。

15の時からユースオケや大学のオケで奏者をやってきて、幸いにもメルボルンのこういう若い人のためのオケってどの楽器にとってもいいチャレンジになる、弾いてて&聴いててものすごく楽しくて充実する大曲・名曲を多く取り扱ってて、演奏するたびチェリストとして、チェレスタとして本当にたくさんの素晴らしい機会に恵まれてきたと思います。
もうチェリストとしてのオケの喜びは味わえないけれど、いろんな曲を深く詳細まで知って他の色んな楽器それぞれの喜びを自分の喜びとしてこっそり共感していけたらいいな、と思います。(音楽として、そして諸々ネタにするためにも!(笑))


今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 交響曲第5番 第2楽章



あれ、これ以前紹介したかな・・・
脇役としてのホルン・チェロでなくて「主役」として輝く印象が強い曲ですが、それぞれのパートを意識して追ってみるとどっちも伴奏だったりカウンターメロディーだったり幅広く活躍しています。そもそも色んな楽器が本当にいろんな役を演じてる曲ですなあ。それがやっぱいいオケ曲なような気がします。

この曲ってもう4回も弾いてるんですが(笑)第2楽章のホルンソロとそれに続くチェロセクションソロの美しさにはやっぱり弱い!(笑)
(ただこれ先にホルンが吹くメロディーなのにチェロ弾きは「このメロディーは俺達の」と意地になったりもするんですよねー。大人げないぞ(笑))

あとなんでしょうね、チャイコフスキーでよくある「何度聞いても否応なしに盛り上がってしまう」ちょっとオーバーにも思えるセンチメンタリズム。弾いてても、聴いてても歌い上げられずには居られないこのメロディー。
文句なしで幸せですよね、チャイコフスキーの「ロマンチック」って。

もうね、ステレオで(常識内の)大音量でおいしいお酒とおいしいチーズをお供にソファにゆったりくつろいで聴くような贅沢な曲です(笑)そして胸の中から、腹の底から歌い上げてください(笑)

ロマンチックといえばマゼール、というイメージがあるので彼の指揮の録音をチョイスしましたがなんとmp3でチャイコフスキーの交響曲が全部そろっちゃうのですね。オケはちなみにどこなんだろう。

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