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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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不安と「認知のゆがみ」
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今回はメンタルヘルス関連でちょっと書きたいことがありまして。なるべく簡潔にまとめたいのですが長くなったらすみません(汗)そして自分でももどかしい表現のぐるぐるもすみません・・・

つい先日、こんなツイートのやりとりがありまして。
https://twitter.com/#!/seiki_ryu/status/172145399111483392
文脈としては「理不尽と思われる強い不安を抱え、それにより問題と思われる行動をしている方々に対する対応」についての話で。
その現象・心理の説明としてこういうものがある、とツイートにリンクされているこの「認知のゆがみ」についての説明をリンクしたという経緯です。
このときお話してましたPKA先生(とても頼もしい&楽しいツイートをされるお医者さんでいつもお世話になってます)がこのツイートをリツイートしていただいて。あれよあれよという間に26 Fav・16 RTとたくさんの方の目に触れることとなり・・・
リツイートしていただいた方々、見ていただいた方に本当に感謝しています。

ただ、たくさんの方に見ていただいてるのになんだかリンクに丸投げしてしまった風に後で感じて、ちょこちょこいろいろ懸念など自分の中に出てきてしまって。
なのでツイッターではちょっと不便なので(そして昨日は出かけてしまったので遅れてしまいましたが)この場で少し補足したいと思います。

(まずちょっと私についてなのでお急ぎの方は飛ばしてしまっても大丈夫です)
ツイートでも分かるかと思いますが私は精神医学の専門家ではありません。
双極性障害で治療を受けていて、薬も飲んでますが私の主治医が「認知行動療法」といわれる治療法を専門としていて、入院した時も入院中の患者さんのため行われているプログラムでそういったアプローチについて学んだり、実際治療として実践したり。認知行動療法は自分にとってはある程度助けになったと思っています。
精神医学には興味があって自分なりに勉強したりしてますが、主な知識は治療を受けた経験、主治医や入院していたときの患者さん仲間との経験から来ています。
(ついでにずっとメルボルンに住んでるので日本のメンタルヘルス事情は聴いたり読んだりでしか知らないので誤認があったらすみません)

この「認知のゆがみ」については入院のプログラムで知りました。
(その当時のプリントがとってあって、思い出した時にそれになるべく近いものを日本語で、わかりやすいものがないかと調べた結果が上記のリンクしたページです)
リンクしたページにあるような「認知のゆがみ」は認知行動療法のなかでもわりと頻繁に扱われるトピックで(プログラムでも重点的に扱われ)、鬱や不安障害などに深く関わるもので。
間違った方向に敷かれてしまった思考のレールが感情や行動に影響を及ぼすのをロジカルなアプローチでほどいていく、というプロセスがこの治療では要となります。

リンクしたページも、私の持ってるプリントも「自分を」「自分が」と自分に対するケアを前提していますがもちろん他人に向けて同じ事を行うこともできます。(自分で気づくのはものすごく困難な場合もありますしね)
治療のテクニックではあるんですが、改めて読んでみると同時に「話術」でもあり「コミュニケーション法」でもあり、「困っている人との接し方」でもあるんですよね。

そもそも「認知のゆがみ」というのは心の病を患っている人だけじゃなく、誰でも経験し得る、程度こそ違えど多くの人が経験したことのあることなんです。
例えばことわざで言うところの「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」、みたいなことだったり、バイアス・偏見だったり。

私が自分のツイートが拡散されてまず懸念したことが、「認知のゆがみ」がある人を心の病を患っていると決めつける人が出るかもしれないことなんです。
「認知のゆがみ」に影響されている人は普段よりもかたくなになって、自分を否定するような意見をより強くシャットアウトする傾向があって。
いつも思っているのですが、それが治療であろうとそうでなかろうと、助けを求める事に対して周りが敷居を高くしちゃいけない。
認知のゆがみ≠心の病、ですがかたくなに心を閉ざしたまま、助けを求めることを拒否したまま、認知のゆがみが自己増強していくのに任せるとそれこそ本当に心の病を発症しかねないです。
そもそもこの「認知のゆがみ」を解く作業はその影響下にある人が自分で気づき、かたくなな心を解いてケアを受ける状態に導く役割もあるので。

そして「認知のゆがみ」について学ばなくちゃいけないのはその影響下にある人自身だけではないと思います。
精神疾患を患う患者さんが全般的に増えたり、ネットでいろんな人と接するようになったりで、心の病を患ってる人、認知のゆがみを持ってる人に接する機会も多くなり。
そういう人たちを助けなきゃいけない、とはいいませんが(無理ですし)、せめてその人達に対して逆効果なことをするのだけはやめようよ、と思うのです。

シンプルなところから始めると「認知のゆがみ」の影響下にある人を馬鹿にしちゃいけませんし、レッテルを貼ったり感情に基づいて行動していることを揶揄したり、そういうことが余計に相手を煽り、「認知のゆがみ」を増強することにつながるんです。こういうコミュニケーションミスなどによる問題悪化は広義でのメンタルヘルスにおいてあまりにも多く起こっている悲劇だと思います。

それからもう一つ言いたかったのが、認知のゆがみを解くのには相手に真摯に向き合うこと、慎重に考えること、お互いの信頼、そして何よりも根気が必要で、本当にやろうと思ったら結構覚悟がいることです。
(例えば不安障害の治療で認知行動療法が使われたりしますが、双方にとってものすごーく大変です)
だから先ほど言いましたように専門家でない人自らがそれを実践する必要はどこにもないのですが、とりあえず逆効果になるようなことは避けてくれ、と。

あとは結びとしてちょっと。(飛ばしていいとこです)
不安や恐怖を抱えている人は「共感」を求めてるため、そういう人に接するときは理論でアプローチするのは逆効果、と思われている節もあるのですが、それは必ずしもそうでなくてやり方によりけりなんですよね。
不安とか恐怖は「認知のゆがみ」についての説明にもあるように思考・論理(この場合間違ったもの)によって支えつながれてることがあって、そういう時にはその間違った思考・論理を断ち切るのが根本的な解決策になる場合もあって。
だからってそこに「共感」の入る余地がないってわけでもないです。相手が感じていることとそのプロセスを分かって、理解した上で認知のゆがみがない立場から一緒にほどいていくことが求められるわけですから。(ただやっぱり1人は冷静じゃないと。)

私のドクターとここ数年認知行動療法を自分にどう適用していくか、自分で自分をケア・モニタリングするのにどう使えば良いかを模索してきて思ったのは、認知行動療法のテクニックの中には心の病を抱えていない人にもものすごく有用なものがある、ということです。
それこそ喧嘩とか人との理不尽な衝突を防ぐのにも使えそうなものもありますし、心の病を発症するまえに自分で気づいてケアできるようにできるテクニックもありますし、先ほど書きましたがケアが必要でそれを拒否している人に敷居を下げる、助けに向かって誘導するのにも。知ってて損はないと思います。
(そもそもメンタルヘルスのケアについての日本での認識とか言いたいことたくさんありますがここではぐっと我慢)

結局長くなりました、ものすごくすみません。(普段から言いたいようなことも混ざっちゃって・・・)
リンクしただけじゃなんかだめな気がしたんです。ものすごく関連があって、使いようによっちゃあものすごく有用な情報なんだけど、丸投げしたら誤用につながりかねないと。
そしてどうしてもメンタルヘルスに話が絡んでくると、不安を抱えてしかも助けを得られない人がいるとじっとしてられなくて。

ここまで目を通してくれて誠にありがとうございます。
人を救いたい、なんて大それたことは思ってないのですが、不要な衝突を避けられれば、不要な問題悪化を防げれば、不安やフラストレーションが少しでも減ればいいな、と思ってす。


今日の一曲: フランツ・シューベルト 即興曲 D899 (op.90) 第4番



前回休んだので今回はやります。
まず・・・えーっと、こっちでいいんだよね(汗)シューベルトは作品番号がちょっとややこしい。
即興曲は4曲の曲集が2つあって、最初の方のなかの第4番です(もう一つの第4番も好きですが)。

シューベルトって31歳とかまでしか生きてないのに恐ろしく多作で。特に600曲以上の歌曲!というのが有名ですが。物理的にどういうペースだったんでしょ。
でも厳しいことをいえば多作な作曲家って割と曲のクオリティにムラができるんですよね。シューベルトも例外じゃないです。そんなに低いクオリティがでてくるわけではないですが、ムラは確かにある。

そんななかこの即興曲は中学?高校?時代に弾いてから割とコンスタントな評価を保っています(あくまでも個人的なものですが)。色彩が美しくて、ピアノ音楽としても美しく、楽しく割と苦がなく弾けるのもあります。
あとシューベルトが得意なウィーン風のダンスと歌い上げるメロディーが楽しめるのもおいしい♪
途中で出てくる左手のチェロっぽいメロディーはもう単純に快感ですね~

色彩が美しいと言いましたがとにかくカラフル。
調としては仄かに暗い変イ短調、豊かな変イ長調、かすかに苦悩のヘ短調を挟んだりもしながら、あと中間部のドラマチックな嬰ハ短調とか。
ベートーヴェン(同時代)だったらそれを鮮やかなカラフルに仕立てるであろうところをシューベルトは優雅な繊細さを持ったカラフルに仕上げて。

曲の規模は大きくないですがシューベルトの「当たり」曲なのは確実だと思います。
シューベルトはぜひブレンデルの演奏で。他の即興曲も有名なものそうでないもの合わせて良い物ありますよー。

拍手[3回]

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