×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ここ数日でちょっとがたがたしたことがあったのですがそちらはカテゴリ「精神関係」で改めて書きたいのでまた別の日に。明日は試合に行くのでその後になりそう。こういうことはなるべくフレッシュなうちに書きたいのですがしょうがない。
さて先日はそんながたがたの中で友人のリサイタルに行って来ました。メルボルン大学で博士号を終えた彼が博士号のテーマに、そしてピアノにおける一種のライフワーク的なものとして(でいいんだよね)弾いていたリストの「巡礼の年:第2年(イタリア)」をまるっと全部聴けるコンサート。一つ一つで、またはいくつか組み合わせて弾いて十分面白い&成り立つ曲が結構あるのであんまり全曲演奏って聴かない気がします。私も第2年今弾いてますが全部は弾かないなあ。なので色々貴重な機会でした。
そして博士号のプロジェクトの一部として録音したこの第2年(+α)のCDも発売してました。もちろん買いましたよー。
Liszt's Italian Pilgrimage
ピアノ:Tristan Lee
フランツ・リスト 巡礼の年:第2年(イタリア)
婚礼
物思いに沈む人
サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
ペトラルカのソネット第47、104、123番
ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲
リスト!イタリア!というよりも今回の演奏の印象はそれぞれの曲、曲集全体としての音楽だけでなくそのインスピレーションや題材になった作品にも思いを馳せられるような何重の層にもなっている芸術作品の集まりの素晴らしさ。もちろん音楽聴いてんですし芸術なのは当たり前ですが音楽もありながら詩もありながら彫刻もありながら絵も有りながら、みたいなテレビでしか見たことのないヨーロッパの美術館みたいな感覚でした。
特に演奏が好きだったのは婚礼、3つめのソネット、そしてダンテ・ソナタかなあ。婚礼に関しては単曲でもう何回も聴いてるしそれ以上に弾いてるはずなのでアットホーム感が心地良い。ダンテ・ソナタはあんな難しいあんな大曲を全体像からディテールまでしっかりコントロールしてどこからみても納得の行くパワフルで鬼気迫る(そして繊細なところは繊細な)演奏で聴けてよかったです。彼の演奏がこの曲に関しては自分の中でのスタンダードであり理想像。
そういえば今回聴衆側にいた別の友人がリストの巡礼の年について面白いことを言ってました。なんでも第2年、第3年は音楽の内容とか表現に対して実際の音が少ない、と。確かに私も楽譜を買ったとき違和感があったんですよね。「あれ、こんなのっぺりとした楽譜でいいの?」みたいな。第1年だったりリストの他の(もっと早期の)作品だと音いっぱいだからリストが晩年に向けて身につけた表現法というか作風というか魔法なのかもしれませんね。
自分にとっては(印象派方面から来てるから自然と、といえばいいのかな)第3年がメインディッシュな感じで取り組んでますがTristanは第3年は弾いたり演奏したりするのかなあ。また色々違って面白いのでどういうアプローチするか気になります。でも博士号は終わってフリーだからなあ。こんど会ったら今後のレパートリーとか聞いてみないとですね(今回後飲みも早く退却だったので・・・)
今日の一曲: フランツ・リスト 巡礼の年:第2年(イタリア)より「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」
iTunes Storeでのリンク
いやーこんな難しい曲自分では一生弾かないですしそんなに頻繁に聴こうとも思えないのですが今回の演奏のあとだと紹介するのはこれしかない。というか今回紹介しないと多分ずっと紹介しない。
ピアノってのは(例えば同曲集のソネットのように)人間の気持ちを表現するのに巧みな楽器なだけでなく本当に色んな物になれるのが面白いと思います。自分の普段のレパートリーだと鳥だったり花火だったり宇宙だったり。
この通称ダンテ・ソナタでピアノが何になることを求められるか、といえばずばり「地獄」です。ダンテの「神曲」の前半「地獄篇」が題材になっているので。
大学の頃ピアノ仲間の中で超絶難しい曲といったらダンテ・ソナタが筆頭みたいなところがありましたが(それでも何人か弾いてました)、今でもやっぱり体力的にも技巧的にも音楽的にもものすごい巨大なモニュメントみたいにそびえ立っている気がします。
というかこの曲が一つの独立したソナタじゃなくて曲集の一部になってるのが色々納得いかない。題材とかの関係もいろいろあるけどこれはこれでこれだろう(意味不明)。要するに異次元だといいたいわけです。
なんと前述のTristanの録音、Move Recordsから出たときにiTunes Storeでも発売になったようで。なのでもちろん激推しでリンク。ダンテ・ソナタは長いのでアルバムオンリーですが是非是非。
さて先日はそんながたがたの中で友人のリサイタルに行って来ました。メルボルン大学で博士号を終えた彼が博士号のテーマに、そしてピアノにおける一種のライフワーク的なものとして(でいいんだよね)弾いていたリストの「巡礼の年:第2年(イタリア)」をまるっと全部聴けるコンサート。一つ一つで、またはいくつか組み合わせて弾いて十分面白い&成り立つ曲が結構あるのであんまり全曲演奏って聴かない気がします。私も第2年今弾いてますが全部は弾かないなあ。なので色々貴重な機会でした。
そして博士号のプロジェクトの一部として録音したこの第2年(+α)のCDも発売してました。もちろん買いましたよー。
Liszt's Italian Pilgrimage
ピアノ:Tristan Lee
フランツ・リスト 巡礼の年:第2年(イタリア)
婚礼
物思いに沈む人
サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
ペトラルカのソネット第47、104、123番
ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲
リスト!イタリア!というよりも今回の演奏の印象はそれぞれの曲、曲集全体としての音楽だけでなくそのインスピレーションや題材になった作品にも思いを馳せられるような何重の層にもなっている芸術作品の集まりの素晴らしさ。もちろん音楽聴いてんですし芸術なのは当たり前ですが音楽もありながら詩もありながら彫刻もありながら絵も有りながら、みたいなテレビでしか見たことのないヨーロッパの美術館みたいな感覚でした。
特に演奏が好きだったのは婚礼、3つめのソネット、そしてダンテ・ソナタかなあ。婚礼に関しては単曲でもう何回も聴いてるしそれ以上に弾いてるはずなのでアットホーム感が心地良い。ダンテ・ソナタはあんな難しいあんな大曲を全体像からディテールまでしっかりコントロールしてどこからみても納得の行くパワフルで鬼気迫る(そして繊細なところは繊細な)演奏で聴けてよかったです。彼の演奏がこの曲に関しては自分の中でのスタンダードであり理想像。
そういえば今回聴衆側にいた別の友人がリストの巡礼の年について面白いことを言ってました。なんでも第2年、第3年は音楽の内容とか表現に対して実際の音が少ない、と。確かに私も楽譜を買ったとき違和感があったんですよね。「あれ、こんなのっぺりとした楽譜でいいの?」みたいな。第1年だったりリストの他の(もっと早期の)作品だと音いっぱいだからリストが晩年に向けて身につけた表現法というか作風というか魔法なのかもしれませんね。
自分にとっては(印象派方面から来てるから自然と、といえばいいのかな)第3年がメインディッシュな感じで取り組んでますがTristanは第3年は弾いたり演奏したりするのかなあ。また色々違って面白いのでどういうアプローチするか気になります。でも博士号は終わってフリーだからなあ。こんど会ったら今後のレパートリーとか聞いてみないとですね(今回後飲みも早く退却だったので・・・)
今日の一曲: フランツ・リスト 巡礼の年:第2年(イタリア)より「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」
iTunes Storeでのリンク
いやーこんな難しい曲自分では一生弾かないですしそんなに頻繁に聴こうとも思えないのですが今回の演奏のあとだと紹介するのはこれしかない。というか今回紹介しないと多分ずっと紹介しない。
ピアノってのは(例えば同曲集のソネットのように)人間の気持ちを表現するのに巧みな楽器なだけでなく本当に色んな物になれるのが面白いと思います。自分の普段のレパートリーだと鳥だったり花火だったり宇宙だったり。
この通称ダンテ・ソナタでピアノが何になることを求められるか、といえばずばり「地獄」です。ダンテの「神曲」の前半「地獄篇」が題材になっているので。
大学の頃ピアノ仲間の中で超絶難しい曲といったらダンテ・ソナタが筆頭みたいなところがありましたが(それでも何人か弾いてました)、今でもやっぱり体力的にも技巧的にも音楽的にもものすごい巨大なモニュメントみたいにそびえ立っている気がします。
というかこの曲が一つの独立したソナタじゃなくて曲集の一部になってるのが色々納得いかない。題材とかの関係もいろいろあるけどこれはこれでこれだろう(意味不明)。要するに異次元だといいたいわけです。
なんと前述のTristanの録音、Move Recordsから出たときにiTunes Storeでも発売になったようで。なのでもちろん激推しでリンク。ダンテ・ソナタは長いのでアルバムオンリーですが是非是非。
PR