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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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2日間籠城!
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
月曜日から水曜日まで田舎の友達のうちにちょっとお邪魔してたのですが木金と40°C近くになるという予報が既に出てたのでバス疲れの体を押してスーパーで買い物もしてきました。
ついでに最近見つけたおいしいフォーの店で夕飯も。私はなぜか暑いとスープ類が食べたくなるのですがそうでない人でも暑いときのフォーは良いですよ-。牛肉がやっぱりいいな(ただしスライス肉だけのやつで他の色んな部位が入ってない方が好き)。あんまり塩気が強すぎないスープがそこはおいしいです。

それでばっちり籠城体勢整えて昨日(木曜)が38°C、今日が41°Cという灼熱の2日を乗り越えました。テニスの全豪オープンもあって見てる人もプレーしてる人も大変ですがそれによって電車が混んだりなんだり、それから暑さで速度制限なんかも電車はあって「普通の」生活をしてる人はしんどそう。

私はもうこの温度になったら「とにかく家から出ない」が基本行動です。幸い夏バテとかはなく、いつも通り仕事してピアノしてご飯食べてができるのはラッキー。ただ料理するのはめんどくなるのでなるべく簡単にできるものを揃えておく&作ることに。
人間はいいとして今回もひやひやだったのが庭のジンチョウゲ。水をたっぷりやってもへなへなになってしまったり、特にメルボルンの夏は湿度も低いので熱+乾燥でそうとうこたえてるに違いない。日差しに強めの品種ではありますがこないだの40度超えの日にはまだ若い葉っぱが黒く焼けるというハプニングも。短期間で葉っぱもちょっとタフになったようですが、ほんと心配になります。

住んでるとこは平屋なのですが、西側の窓の外の分厚い日除けブラインドカーテンさえ閉めれば熱の遮断はまあなかなか。特に午前中~お昼過ぎくらいまでは家の中はなかなか涼しいです。ただ勝負はそこからで太陽光を遮っても家自体が西に傾いていく太陽で熱せられるのは防げなく。今日で言うと外の気温は午後5時くらいにピークで今30度を下回ってるのが家の中の温度は今(9時半手前)でピークっぽい。もうちょっと経ったら窓開けられるかしらん。(そういう時の涼しい風もまた風流でいいんですがね)
エアコンはないのですが前述通り扇風機でも欲しい時間は限られてて。今使ってますが。でも大体ピアノ練習の間とたまに寝る前にタイマー30分付きくらい。

そんなわけで家の中にいても暑さ・乾燥対策は必須。仕事してるときとかピアノしてるときは常に水とか麦茶をスタンバイ。気持ちもちょっと味と栄養分のある液体が欲しいとき用にココナッツウォーターも買って冷蔵庫に入れて置いたり、あとお風呂の後のFrosty Fruits(最近はトロピカル味)もないとちょっとしんどいです。
ついでに水道水が冷たい方出しても延々とお湯(しかも熱い)だったりするので飲み水、蕎麦をしめる水、さらにはジンチョウゲにあげる水に使う氷(今日はどうしても使った)も欠かせない。

なにはともあれ家の中はまだ暑いですが明日(久しぶりのバレエレッスン!)からは気温も下がるようです。ちょくちょく暑い日もあるようですがずーっと暑いわけじゃないので気が楽。予報もある程度でれば準備できますしね。
こうやってがーっと暑くなったりその後の涼しさだったり、タオルを洗濯しても2時間くらいで乾いちゃう乾燥だったり、メルボルンの夏は安全に過ごせば楽しいです。低湿度の夏バンザイ。

メルボルンはやっぱり夏がいいと思ってますが実際に夏に来る場合天気予報と暑さ対策に気をつけてくださいねー。そして日本の冬の寒さにもお気をつけて。


今日の一曲はおやすみ。バス旅用にユダヤ宗教音楽?民謡?どっちも?のアルバムを買ってすごく好きなのですが専門外でまだ書ける気がしないのととにかく暑いので。

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ラリアのHobonichiさん
更新に間があいてました、ちょっとぶりです。
仕事ーとかポケモンーとか生活ーとか書き物ーとかがーっと集中して考えることが多くでもブログに書くようなことでもなく、という日が続いていました。
変わったことといえば天気ぐらいですかね、メルボルンですし。40度超えた日もあれば今日みたいに断続的に雨がざーっと降ったりもあり。

ところで前も書いたかも知れませんが1月になって新しくほぼ日手帳を使い始めてみました。
そもそもほぼ日手帳の存在を知ったのが万年筆仲間の友人が持ってるのを見て、それから万年筆コミュでも結構話が出てて。

万年筆を普段使いするとなると紙の質が結構大切で、インクが裏抜けしなくてすらすら書ける紙の手帳がいい!となるとほぼ日はとっても優秀。
なんたってほぼ日手帳の紙はトモエリバー。薄いけど裏抜けしない、しかも万年筆のインクのsheenを最大限引き出す紙としても有名。ラリアでは必ずしも手に入りやすくない&お値段もお高めのトモエリバーが毎日楽しめる、ということで万年筆愛好家でほぼ日ユーザーはかなりいます。

それからトモエリバーも使うペンを選ぶ、ということでほぼ日ユーザーコミュニティで「どのペンが使い良いかな?」となったときにお手頃価格の万年筆をオススメするケースも多く。
つまりは:
万年筆好き→万年筆に向いてる手帳→ほぼ日沼、というコースもあれば
ほぼ日手帳使う→トモエリバーで書きやすいペン→万年筆&インク沼、という逆のコースもあるようで。大変だなー文具沼。

今年あたりからオーストラリア国内のオンライン文具ショップでほぼ日が買えるところもちらほらできてきましたが(実店舗だとメルボルンセントラルのMiligramなんかもあるけど在庫がすぐなくなるらしい)、私はちょうど2018年手帳発売が一時帰国のタイミングに合ったので日本で買いました。(お値段は日本で頼んでもこっちで買っても大体一緒だそう)
到着当日のライブでサインしてもらいたかったので日本に到着してからすぐライブがある静岡のLoftにgoでした。今考えてもくったくたになる一日だったな。

購入したのはA6サイズの普通のほぼ日手帳・カバー・カバーonカバー・路線図でした。外装&中身はこんな感じ。

常備万年筆は(このためにMelbourne Pen Showで買った)TWSBIのEco(透明、極細)。インクはモンブランのラベンダーパープルです(写真内濃い紫のインク)。
もちろん常備一色じゃつまらないので色々使って書いてます。最初は色分けきちっと決めないほうがいいかなと思ったのですがやっぱり見やすさとか考えてもある程度colour codingしたほうがよさげ。
サンプルページは仕事のことが書いてないの選んだ結果唯一ポケモンのメモがしてあるページに(普段は他のとこにメモしてあるんだけど)。万年筆の字幅は見出しの1.1mmスタブ以外は日本の中字・細字、それから西洋の極細。そこそこの字の大きさで書けるようです。

今では英語版の手帳も出てるのですがこちらのほぼ日ユーザーでも日本語版が良い!って人もいたりA6とA5二冊使いって人もいたりいいや(細長い)Weeksだ、メガだ、公式のカバーだその他にも使えるものあるわとバラエティに富んだラインアップで楽しんでいます。もちろん使い方も人それぞれで、私は手帳にあんまり貼りたくないのですがインディーズのショップでシールとか買って貼ったりする人も多い様子。去年のPlanner Marketでも様々な手帳で使える小物売ってるとこかなりあったみたいですね。

とりあえず私は日々の記録ですね。スケジュール管理は大きいカレンダーフォーマットでもやってるのですがあれは週めくりなので後から振り返れない。例えばいつ働いていつ休んだか、いつピアノのレパートリーを変えたか、ご飯の献立はどんな感じで推移してるかだけでも書くところから始めてます。もっとクリエイティブな使い方はさてどうなるか。

前まで使ってた手帳と比べるとかさばることはかさばるんですがとりあえず今年に入って13日楽しく使ってます。あと手帳使わなくてもほぼ日の路線図は別売りですが(これまでの手帳に付属してたのより)詳しくて見えやすいし丈夫な紙で安心。今度Loft見るときはもっとゆっくり小物類も見たいなー。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第2番 第4楽章



室内楽は今の時代いろんな楽器の組み合わせがありますが王道中の王道といったらやっぱり弦楽四重奏ですね。やっぱり同系楽器の音の溶け合いだったりカバーされる役割や音域だったり音・人の距離感だったりとにかくバランスが絶妙。ついでに言えば屋外で弾いて絵になる(学校時代にやったものです)。

一応弦楽器も一人で同時に複数の音を弾けるわけですがもちろんそれで機動力とかパワーがちょっと削がれるような側面もあったり。そういうことも考えると四重奏って作曲する上で「4人しかいない中で音楽をどうやりくりする?」みたいなところもあり。
それでもこの4人の世界はこぢんまりした世界観に限らずでっかい広がりまで表現できちゃうんだから偉大な作曲家はやっぱりすごいです。

そんな弦楽四重奏がすごい作曲家の一人がショスタコ。何回も書いてますが交響曲に代表されるような外・表の世界とは対照的な秘めた内面の世界が表現されているといわれる作品群です。
スタートが交響曲よりもずっと後なので第2番でも作品番号はop.68。交響曲第8番と第9番の間ですね。

この第4楽章は第2番の最終楽章で変奏曲形式になってます。つまり弦楽四重奏の4つの楽器を色んな組み合わせで楽しめるという側面もあり。ビオラにソロを弾かせてみたりバイオリンs+ビオラ+チェロに分けてみたり、4人でユニゾン弾かせてみたり。
中でも私が好きなのは(この曲に限らずショスタコのカルテット全般で)四重奏を上下真っ二つに分けて弾かせる場面。すっごいパワフルなんですよ。2人ずつだけとは思えない、フルオケの弦楽器セクションに似た圧がある。特にこの変奏曲が急速にクライマックスに向かってスピードアップ&緊張感アップしてく中でのバイオリン2人は不協和音担当、ビオラとチェロはオクターブで一緒のパートを弾く盛り上がり。さっき対照的なんていったのがちょっと悔やまれるくらいsymphonicな規模の音です。

ちなみにショスタコの弦楽四重奏、第1番(第2楽章)も第2番(第4楽章)もビオラが無伴奏でメロディー奏でるソロがあって貴重です。渋さと暖かさとほんのり暗さ、この機会にじっくり聴いておきたいです。


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伝説ハンティング
働きたい&稼ぎたいのに新年+日本が連休であんまり(全然ではないですが)来ないので親知らずのレントゲンとか田舎の友達訪問とかもちょっと今のうちにやっとけばよかったなーと思いながら結局家で書き物とゲームと家周りのことばっかりやってました。

ゲームと言ってもだいたいポケモンです。クリア後悪の組織ボス'sと戦うのは一番後回しにしていわゆる「伝説のポケモン」というやつらを捕まえて回ってます。
一発勝負だった昔と違って今は間違えて倒しちゃってもリーグもう一回勝てばまたチャンスがもらえたり、前作以前の伝説のポケモンも手に入ったり個体値が3Vだったり楽になったなあと思うことはたくさんあるのですがウルトラムーンはそれを超えかねないめんどくさい要素もあって(ORASは楽だったなあ・・・)まあそこそこのんびり遊べるような心持ちになったのでのんびり遊んでます。

今作の伝説ハンティングはミニゲーム要素+ランダム要素があるのでお目当ての伝説ポケモンに確実に効率的にたどり着けないようになっていて。いわゆる厳選というやつをやるにも都合がちょっとよろしくなかったり(でもある程度は絞れるのでのんびりと)、あと私みたいに好きなポケモンは好きだけど他はそんな苦労しなくてもいいかなあという方針とは相性が悪い。
結局全部の伝説ポケモンの育成論読んで厳選で狙う「せいかく」を決めてハンティングすることに。

「伝説」というからにはやっぱり強いというか、パラメータの数字がそこんじょのポケモンより高い仕様になってて、数値の配分もある程度(伝説どうしのバトルを考慮しても)安定して使える、みたいなのがほとんどなのですが、アローラ地方に殴り込んできた「ウルトラビースト」たちはもっとピーキーな能力で面白いやつらです。今作では殴り込んでくるだけでなくビーストたちが元々生息している世界なんてのも見れてなかなか興味深かったり。ヘンテコなやつらはヘンテコな世界に住んでるのですが妙に納得してしまう世界観。やっぱ背景の世界観があると印象も変わりますね(特にデンジュモクの世界が可愛かったです)。

そもそもウルトラビーストもそうなのですが伝説のポケモンってメインのストーリーの最後の方で戦って捕まえて、もう手持ちのメンバーも固まってるしそのままボックスで保存ということになることが多く。(あとストーリークリア後に出てくるパターンもありますね)
なのであんまり彼らを真面目に使ったことがないのです。だからだいたい見た目とタイプで好きかどうか判断してて、今回あらためて育成論とか対戦での使われ方をじっくり見て驚きたくさんでした。

特にシルバー→ブラック→ブラック2→Y→アルファサファイア→ムーン→ウルトラムーンと遊んでくると捕獲できる伝説ポケモンに偏りが出てきて、縁が何かと薄かったホウオウとか改めてちょっと使いたいかも、なんて思ったり。対の相方のルギアは伝説には珍しく四天王攻略メンバーによく加えてたのですが。

子供のころは全然考えてなかったのですがルギアは高速・高耐久・低火力のちょっと変わったポケモンなんですよね。最近はそれが結構魅力的に思えたりします。旅パの6匹もそうですが耐久がある程度あると安心に思えてしまうお年頃。
同じく伝説級で耐久が安心といえばギラティナもそう。これももともとは「アナザーフォルムもオリジンフォルムも違う意味でムカデっぽいドラゴン!」で好きになったのですがそのぶっとい見た目と重さにふさわしい耐久高めのパラメータ。配布されたのも含め何体も育ててます。

むかーしからちょっと残念に思ってるのがフリーザー。あんな美しい見た目でこおりタイプ(今もちょっと少なめな印象)なんだけど弱点が(岩4倍を含め)かなりあって、タイプ相性が物を言うポケモンバトルではちょっと起用に二の足を踏んでしまう。もし実在したら「これぞ伝説の!」って間違いなく言いたくなる存在感なんだけどなあ・・・あの長いしっぽにはロマンがある。

そもそもブラック・ホワイトの格闘タイプ伝説3匹とかダイヤ・パールの妖精っぽい3匹もホウエン地方のレジたちも捕まえてはいるけどほとんど見向きしなかったからなあ。今回こうやってちまちま調べて捕獲して新しい縁につなが・・・るかなあ。つながったら面白いんですけど。何にしろ味方が変わるのは面白い。


そんなに大したことも書かなかったですが今日の一曲も今日はお休みで。




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ファッションなるものは難しいもので
4日になりましたがまだ仕事始めが来ません。流 星姫です。
例年ならここから日本の年度末に向けて忙しくなっていくのでなるべく早くから稼ぎたいのですがさてどうなるか。

ついでにピアノもまだたまに休むくらいなら大丈夫と思われるので今日はショッピングモールをはしごに行きました。
最近ちょっと「もちょっと男の子っぽい服も似合うんじゃね?」と思うことがあり、どんなものがあるのかシティやショッピングモールに行く度に軽く見てはいたのですが今日はもちょっと気合い入れて勉強してみるかということに。
女の子ぽい服が着たくないというわけではないんですが(でもデフォルトの女性物はそんなにおんなのこおんなのこはしていない)もう少し寄せてもいいかな、くらいに考えてたのですが。
これがなかなか難しかった。

例えば自分にどんな色が似合ってどんな形が似合って(とにかくなるべく短く見えないようにする方針)どんなスタイルとか誰を参考にすればいいのか、みたいな机上のプロセスはまずなんとかなるのですが買い物が難しい。
アジア人でも背が低くて足が短い体型となるとたとえユニクロでも男性物はサイズが合わない。西洋人の服の店はもう言わずもがな。かといって女性物だと余計な何かがついてたりシルエットが縦長なんだけど結構体型にぴっちり沿う感じだったり。短パンも短めばっかりだしなぜか今年はカーゴ素材が女性ものはないし。難しい。

素材といえば肌触りも女性物の方がいいんですよね、なんか。この改革(?)の前から特に軽躁の時に備えてなるべく肌触りのいい着てて楽な服を導入(&そうでない服を処分)してきたのですが最近はジーンズの短パンにしてもジャンプスーツにしても着てて色々刺激しないデザイン&素材の服が増えてて嬉しい限りです。
肌触りだったり着心地で服を選ぶのは簡単なんだけどなあ。

一つこうやって着る服改革に挑むにあたって心がけてるのはなるべく自分の体型・身体を嫌いにならないようにということで。「Do I look fat in this dress?(この服太って見えない?)」ってのはコメディとかではよくある台詞ですが、自分の体型に必ずしも合ってないかもしれない服をしかも初めて着て目が慣れてない状態で自分を見ると(特にこれまでと違うタイプの服を試す場合)どうしても自分の身体の不自然なところに目が行ってしまうのかもなあ、と。それだけとりあえず肝に銘じておこうと思います。何にしろ最終目的は自分が外見・着心地ともに納得のいく服探しなので。

何はともあれこれも勉強です。色々気づくこと学ぶこと多いです(全部覚えて身についてるとは言わないですが)。前回も別のことで書いたのですが新しいことに出会う・新しい事を知るのは楽しいです。ただ「これ!」とはっきり自分のなかで分かって形になってないうちにお金をむやみに使ってしまいそうなのでそこは気をつけたいですね。
・・・気をつけたいですがとりあえずチノの短パン(都合良くセール品)とセールになってた25ドルのレオタードも買ってしまいました。それでも勉強料としては安い・・・ですよね。どちらも着心地良いのでとりあえずOKということに。

あと勉強ついでにこれもこないだ言ったかな、香水に対する嗅覚をまた培おうと思ってデパートの香水売り場でいくつか試したらエルメスのナイルの庭だったかな、スプレーの向きが変な方向いてて今もナイルの庭の香りがします。他のエルメスの庭シリーズもどれもいい匂いなのですが自分には複雑すぎるかもなあ、と。次回から気をつけてしっかり備え付けの紙にスプレーします。


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「鏡」より「道化師の朝の歌」



ちょっとそういうファッションにおける脱フェミニンではないですがちょっとぱりっとした感じにしたいってのもそうですし夏なのもそうですしイメージ的には今ラヴェルが特にしっくり来てるなのとそう遠くない感じかな。
もともと大好きな作曲家で自分にとっては精神医的なポジションとまで言うadjuster/balancerな音楽と思ってるのですが、「鏡」は特に思い入れが強いです。大学のときに弾いて最近戻ってきました。相変わらずラヴェルは難しいです。

ラヴェルは母親がスペイン系(バスク系)の人でそちらの文化も音楽に頻繁に取り入れてます。この曲もその一つ。ただラヴェルがスペイン系やると情熱的なんだけどクールで、ユーモアとか感情的なところもあるけどロジカルで真面目で、なんかすっきりさっぱりしたところがあって他とはちょっと違う気がします。唐辛子のホットな辛さとキシリトールの清涼感が矛盾なく同居する感じ。どっちも割とすぐ抜ける感覚ですよね。

この曲もユーモアと頭の回転の速さがあって、派手さはちょっと抑えめだけど華やかで。もちろんピアノの技巧はものすごい。同じ音を速く連打したり、片手で2段グリッサンド(鍵盤の上をすべらせる)したり、ラヴェルお得意の手が重なりあう奏法だったり手が交差したり。弾くには難しいけど難解なところはなくて聴くにも立ち向かうにもストレート。ただそれがまた難しいんだよなあ(完全に弾く方視点ですが)。隠し事ができないんだよラヴェルの音楽って。

ちなみにオーケストラの楽器を使うことに関しては魔術師のようなラヴェル、自分のピアノ作品を色々オケ編曲してますがこの曲もあります。華やかさ1.5倍です。ただオケ好きな私でもこの曲はオリジナルのピアノ版に愛着が。
残念ながらラヴェルは作曲した作品が本当に少なく、こんな精密な作品がこれしかない!と嘆くことも多いのですがその反面仰々しいボックスセットでなくてもお手軽に全ピアノ作品が揃えられちゃうのはある意味幸いかな。うちの先生も一つのコンサートで全部弾いたって言うし。私もできないかなあそういうの(どっちかというとメシアン関連の方がやりたいし多分気も楽ですが)。


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Reflection
2018年明けましておめでとうございます。
今年もちょこちょここちらに顔を出す予定ですのでまたよろしくお願いいたします。

今回クリスマスも大晦日もお正月も家で過ごして穏やかなことこの上ないfestive seasonでした。
大晦日は伝説ポケモンを捕まえたり漢詩(杜甫・王維あたり)を書き写したり短歌を書き写したりエミリー・ディキンソンの詩を読んだり奥飛騨のウォッカを飲んだり10年くらい前のQさまのスピード漢字バトルを観たり(これは観るときには自分も紙とペンと出して挑戦するのがしきたりになってます)。万年筆ライフ楽しみすぎ。(ポケモンでもメモ取りしてますしね)

家にいるからかもしれないですが花火の音が近い方から遠い方からすごかったです。メルボルンだとDocklandのが有名ですが他にもどこかでやってたのかな。もちろんシドニーとかみたいな規模ではないですがまあそれなりに。それがメルボルン。

そして家にいるかもしれないですがあんまり新年という気がしないです。
それだけでなく去年の色んなタイミングからちょっと自分の中で懸案中の案件がいくつかありましてそれをそれなりに労力と時間をかけて引き続き考えているのもあり。
詳細は(まだ?)書かないんですけど、もう今頃になって「自分探し」みたいなことはあれながら30年あまり当たり前に思ってきたことを改めて考え直すのは生半可なことじゃならないようで。去年から引き続き(外から見ても全然ですが)自分の中で色々変化がある時期を迎えてるようです。

そうやってぐるぐるしてると「もうこれもっと若いうちに少しでも気づけば・知っとけばよかった!」みたいなことはちょくちょく出くわします。そこはまあ今そう思ってもしょうがないのですが、でもそもそも最近まで生活やメンタルのことで「落ち着いた」と感じられるまでは行ってなかったなと。例えば10代のうちに今考えてるようなことに気づいたとして、今みたいにじっくりゆっくり構えて考えるようなことは性格的にも心の余裕的にも絶対無理だったと思います。

10代~20代のころはほんとに鬱とそれに付随する諸々が自分のキャパの多くを占めたなあ、と振り返って思います。それがある程度落ち着いてどれだけ楽になったか、というとその鬱の部分があるだけでどんだけ人に対して負担がかかるんだろう、ということに思いを馳せています。
そういう意味でも例えば薬による治療でまずある程度なんとか負担を減らすってのは大切なんですね。それなしには次の何にもつながりにくいというか。治療に限らず。

表立って何か目立つことをしているというわけではないですし急ぎのことでもないですが変化だったり新しい事だったりは怖い、というほどのものでなくても難しいものですね。
その反面新しいことを知ることは(上記の漢詩とかと同じように)楽しいようで、その心持ちがあればまあ大丈夫かーと気楽に構えられるようになったのは多分成長のあかし・・・なのかな?
少なくとも思い詰めないで考えられるようになって多分色んなことが楽になってるはず。

ということで私が何の事を話してるのか詳細を一切伏せたままずっと書いてしまいましたが実際のところについてはいつかなんか文章にできるくらいまとまってから&書きたい気分になってから書くかも知れないし書かないかもしれない、ということで。もしかしたら、いずれ。

なにはともあれ新年。気持ちを新たに、とはなかなかいかないようですが引き続きのんびりと日常もこちらも続けていきたいと思います。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第1番第1楽章



今日は元日なんでなんらかの「第1番第1楽章」を今日の一曲で書きたいなと思ってました。ただ最近も書いたように私は基本晩年の作曲フェチなのでこういう作品番号が超若い作品にぴんと来にくいこともあり。
そんななかでショスタコは特別です。作曲家としても特別ですしこの交響曲は2回弾いてますからね。

この交響曲はショスタコが(まだハリポタの面影が強い)二十歳前に作曲された作品なのですがこれを聞いて「すげえもうショスタコのスタイルが完成してる!」って驚くのと同時に「これベートーヴェンとかモーツァルトにすっごい似てる!」と驚く自分が居ます。説明するのは難しいのですが時代・作風の違いだったり交響曲という共通の形式を差し引いて残った何かがすごい似てると思うんです。
ショスタコは20世紀においてベートーヴェンに一番近い作曲家、というのが自説なのですがこの交響曲はその要素が特に強い作品だとなんとなく思います。

そしてこの交響曲第1番は交響曲という形式にピアノが初登場した作品・・・なのですが残念ながら第1楽章では未登場。第2楽章では大活躍です。
でもこのシンプルでオケの音が楽しめる第1楽章ではピアノの出番はそもそもないと思います。皮肉は痛烈だけど特に第2主題のワルツでは楽器の音の柔らかさが素敵で、室内楽にも似た近さから暗い方向に爆発する広がりとかミクロ単位のメリハリとか、完成はしてないながらもショスタコの魅力がちゃんと存在してる第1楽章です。

そしてショスタコはこの第1番と最後の第15番を対比してみるとすっごい面白いと思うのでリンク先録音もその組み合わせにしてみました。指揮は昔(私が大学生の頃)メル響で振ってたOleg Caetani。20代vs60代の作品、年を重ねて変わったことも多々ありますが変わらないこともあり、はたまた一周回って戻ってきたこともあり。音楽と作曲家の人生の繋がり、そしてショスタコの音楽にまた一つ親しみを持ってもらえればと思います。

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